2020年11月29日 (日)

ドラクエⅢの社会現象

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▲日本中を社会現象に巻き込んだ、ファミコン用ソフト、「ドラゴンクエストⅢそして伝説へ・・・」

1988年2月10日に、ファミコン用ソフト、「ドラゴンクエストⅢ~そして伝説へ・・・」は発売になった。
個人的には「ドラクエⅢ」というと、ゲーム本編を語る以前に、社会現象とまで言われた、いくつかの事件のことがまず頭に浮かぶ・・・・・・。


「ドラクエⅢ」は前年に発売になった「ドラクエⅡ」のヒットもあって、発売前から大きな話題となっていた。
ファミコン専門誌には、毎週のように新しい画面写真が掲載され、新たに判明した新着情報の記事が、巻頭の5~6ページを割いて特集されていた・・・・・・。


そんなこともあって、当時の子供たちにとって、「ドラクエⅢ」は期待せずにはいられない超大作であった訳なのだが、発売日が近付いて来るにつれて、ちょっと心配な情報も流れ始めていた。
「初回出荷分だけでは、欲しい人すべてには行き渡らないかもしれない」というのだ。
もちろん、その後も順次出荷されて行くので、2回目以降の入荷を待てばいいだけの話なのだが、これだけ話題になっているゲームソフトなので、やはり一刻も早くプレイしたいと思っている者がほとんどだった。


そしてそのような背景もあって、この「ドラクエⅢ」の頃から、発売日当日の混乱を避けるために、ゲームソフトを予約販売する店がじょじょに増えて行った。
とは言うものの、当時はどこの店でも予約を受け付けていたという訳ではなくて、まだまだ、「当日の直接販売のみ」という店の方が多かったように思う。


うちの近所にはゲームソフトを予約販売している店がなかったので、私はわざわざ横浜駅西口の「高島屋」まで行って、「ドラクエⅢ」を予約して来たのを覚えている。
無事に予約を済ませたことで、発売日に「ドラクエⅢ」が手に入らないかもしれないという心配は、これでしなくてもよくなり、私はとりあえず「ホッ」としていた・・・・・・。


そして1988年2月10日、「ドラクエⅢ」の発売日を迎えることになった。
当日の朝、何気なくつけたテレビのニュースを見て、私は思わず愕然としたのを、今でもはっきりと覚えている。
この時、テレビに映し出されていたのは、ビックカメラ池袋東口店。
そして店の前にはなぜか長蛇の列・・・・・・。


いったいなんの行列かと思って見ていたら、なんと「ドラクエⅢ」の購入希望者が、前日の夜から徹夜の行列を作っていたというのだ。
「予約をしていない場合、早めに店に行かないと買えないかもしれない」とは言われていたが、まさかこれほどのことになろうとは思っても見なかった。
私はこの時、「ドラクエⅢ」を事前に予約しておいて本当によかったと、心の底からそう思っていた・・・・・・。


後で聞いた話では、この時の行列は最終的になんと1万人を超えたそうで、テレビでは1日中このことを報じていた。
この時の行列の映像を引きで見ると、なんだか初詣の人出を映しているようにも見えて、また正月がやって来たのかと勘違いしそうになる(ドラクエⅢの発売日は2月10日だった)・・・・・・。


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▲「ドラクエⅢ」の取扱説明書の裏表紙。「勇者の心得」として、懐かしい言葉が並ぶ・・・・・・。

そして驚いてしまうのは、この時の行列の様子が、子供の頃に誰もが読んだことがあるであろう、「学研まんが 日本の歴史17巻 昭和から平成へ」に掲載されたというのだ。
残念ながら私はそのニュースをリアルタイムで見ていた世代なので、そのまんがを見ることはなかったが、まさかあの時、テレビで見たあの光景が、「日本の歴史」として紹介されているとは思ってもみなかった。
どうでもいいが、「日本の歴史」などと言われると、なんだか自分がものすごく「じじい」のように思えて来てならない・・・・・・。


そしてこのドラクエⅢの発売日には、日本中で様々な事件が起きていた。
ドラクエⅢを買うための行列には、じつは子供たちの姿もかなり見られ、テレビにもはっきりと映っていた。
しかし、この日は水曜日で学校は休みではない。
このため警察に補導される子供がかなりの数にのぼった・・・・・・。


そして後に、「ドラクエ狩り」と呼ばれるようになった恐喝事件も多発した。
これについてはゲームソフトそのものを強奪するだけではなく、ソフトを買えずに帰ろうとしている子供から、お金を奪おうとする事件まで起きていた。
そしてこのような事件が起きていることは、ドラクエⅢの発売元のエニックスの耳にも入り、被害届を出した少年少女に対し、連絡先が分かる場合に限って、エニックスは「ドラクエⅢ」を無償提供していたという・・・・・・。


そしてこの「ドラクエ狩り」という言葉は、後に「エアマックス狩り」や「おやじ狩り」などという言葉を生むきっかけにもなるのだが、「〇〇〇狩り」という言葉は、どうやらこの「ドラクエ狩り」が元祖だったようだ・・・・・・。


ちなみにドラクエシリーズの発売日は、「Ⅰ」が1986年5月27日(火曜日)、「Ⅱ」が1987年1月26日(月曜日)、「Ⅲ」が1988年2月10日(水曜日)だった。
曜日に注目すると、いずれも平日だったことが分かる。
しかし、この「ドラクエⅢ」の事件をきっかけに、「Ⅳ」以降の発売日は全て、学校が半日か休みの「土日」に固定されることになった。


そして発売日が土日になったことで、当日の行列も緩和されたのかというと、じつはそうでもなかったようだ。
私がドラクエシリーズを毎回予約していた横浜高島屋では、予約販売であったにも関わらず、売り場から大きく離れた、通称「青階段」と呼ばれる階段まで行列が続いていて、店員が行列の整理のために走り回っていたのを、今でもはっきりと覚えている。
ただ予約していた商品を引き渡すだけでこれだったのだから、当日の直接販売のみの店は、さぞかし大変だったのだろうな~と今更ながら思う・・・・・・。

2020年11月23日 (月)

「ザ・ガマン」の性欲我慢!

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いま思うと昭和のテレビ番組はかなり過激だった。
今だったら企画書すら通らないような内容の番組が、ゴールデンタイムで堂々と放送されていたのだから驚いてしまう。
私が特に印象に残っているのは「ザ・ガマン」という番組。
「ザ・ガマン」はフジテレビのバラエティ番組で、1980年代に「火曜ワイドスペシャル」の番組枠で放送されていた。


「ザ・ガマン」はその名の通り、挑戦者たちが番組で用意した様々な試練に耐え、最終的に最も我慢強かった者を勝者とするという番組。
挑戦者は基本的に「東京六大学の学生」から選ばれることが多かったが、番組が用意する試練の内容があまりにもバカバカしく、低俗であったため、「大学まで行って何やってんだか・・・」とさげすんだ目で見ている大人が多かったように思う・・・・・・。


そしてその低俗ぶりを「これでもかっ!」というくらい、いかんなく発揮してみせたのが、「性欲を我慢して、どこまで平静でいられるか」という、じつにくだらない企画。
この企画で挑戦者に選ばれたのは、東京六大学の学生ではなく、確か受験生、サラリーマン、修行僧、AV男優の4名だったと記憶している。


そして彼らは本番の2~3日前から、番組で用意した部屋で生活をさせられることになる。
部屋の壁には女性のヌードポスターが貼られており、そこでウナギやスッポンなどの、精力がつくとされる食事ばかりを食べさせられていた。


そしていざ本番を迎えるのだが、本番直前に挑戦者たちは裸にさせられて、なんと男性器に鈴を括り付けられる。
そしてシャワールームのような狭い個室にそれぞれ入れられることになるのだ。
この個室は体の部分だけが扉で隠れるようになっていて、顔と脛から下は見えている状態だったと思う。
そして全員がこの状態でスタンバイ出来ているのを確認して、ようやく競技開始が宣言される。


競技開始と言っても、当人たちは何もすることはなくて、ただそのままの状態で立っているだけである。
で、そこに現れるのが若い女性たちで、最初に出て来たのは着物姿の女性だった。
着物を着ているということは、当然肌の露出は「ほぼ、ない」と言っていいだろう。
多くの視聴者は、「少しずつ着物を脱いでいくんじゃないか」と期待していたと思うのだが、結局この着物姿の女性は、最後までそんな素振りは少しも見せなかった・・・・・・。


ただ、ふと立ち止まり、裾をそっとたくし上げて、足首をチラッと見せたのだ。
するとその瞬間に間髪を入れず、若い修行僧の鈴が「チリン!チリン!チリン!チリン!」と鳴り始め、個室の前に設置されている赤色灯が点灯し、グルグルと回り始めたではないか。
恐らくほとんどの視聴者は、「え~~~!」という声を上げていたと思う。


なぜなら着物姿の女性は、足首をチラッと見せただけなのだ。
そしてそれを見せた本人も、声には出さなかったものの、「え~~~!」という表情をしていた。
きっとそんなつもりではなかっただろうし、そんなことぐらいで鈴が鳴る訳がないと思っていたはずだ。
そして早々に鈴を鳴らしてしまった若い修行僧は、「修行の身なので、女性とは無縁の生活を送っているもので・・・」と、恥ずかしそうに言い訳をしていた・・・・・・。


どうでもいいが、そもそもの話、修行僧ともあろう者が、こんな低俗なテレビ番組なんかに出演してもよかったのだろうか。
百歩ゆずってそれをよしとするなら、せめて日々の修行の成果を出し、目の前に現れる若い女性に惑わされることもなく、常に平静を保ち続け、最後まで勝ち残ってこそ、「修行僧」を名乗る意味があるのではないか・・・・・・。


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着物姿の女性の次に現れたのはテニスウェアの若い女性。
テニスウェアは当然ミニスカートなので、着物と比べると肌の露出は大幅に増えることになる。
しかも、いきなりの生足ということもあって、刺激度もかなりアップしている。


確かテニスウェアの女性はくるっと一回転したりはしていたが、着物姿の女性のように裾をたくし上げたりはしていなかったと思う。
もっともミニスカートの裾をたくし上げたりしたらパンツが丸見えになってしまう。
それなのに、これもかなり早い段階で、受験生の鈴が「チリン!チリン!チリン!チリン!」と鳴り出して、彼の個室の前の赤色灯が点灯し、くるくると回転を始めたのだ。


まぁ、これについては分からなくもない。
露出が極めて少なかった着物から、テニスウェアのミニスカートへの落差は、想像しているよりもかなり大きい。
生足の威力はやはり絶大だったと言えよう・・・・・・。


どうでもいいが受験生、こんな番組に出ている暇があったら、もっと勉強しろよ。
これで志望校に落ちたら、周りからなに言われるか分からないぞ。
まぁ、今更それを言ったところで、もう後の祭りなのだが・・・・・・。


そして次に登場したのは、お待ちかねの水着姿の女性だった。
水着と言っても、マイクロビキニのような露出の激しいものを想像してはいけない。
女性が着ていたのは、ごく普通のどこにでもある普通の水着である。
にもかかわらず、ここでサラリーマンの鈴が、「チリン!チリン!チリン!チリン!」と鳴り出してしまい、赤色灯がくるくる回り始めたのだ。


サラリーマンの脱落が決まったことで、残っている挑戦者はAV男優1人となり、自動的に彼の勝利が決まったことになる。
まぁ、終わってみれば、さすがAV男優と言ったところか・・・・・・。


ところで、他の挑戦者がこの時点で、まだ複数名残っていたとしたら、この先はいったいどうなっていたのだろう。
もしかしたら、「下着」や「裸」なんてところまで準備されていたのではないか。
当時のテレビは規制が甘く、ゴールデンタイムに女性の裸が登場することも珍しくない時代だった。
だからそれもない話ではなかったのではと思うのだ。
そう考えると、挑戦者たちには、もうちょっと頑張って欲しかったな~と思う。
特に修行僧、なにやってんの・・・・・・。

(画像上、里山の紅葉は現在シデの仲間が見ごろ。カエデの仲間はもう少し先になりそう。画像下、里山の秋を代表する花といってもいいノコンギク)

2020年11月17日 (火)

学校の前にあった個人商店

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私が学生の頃には、今ではあまり見かけなくなった、小さな個人商店が、まだ町のあちこちに残っていた。
そしてそんな個人商店の中には、「この店はいったい何屋なのか?」と疑問に思うような店もけっこうあった。
そういう店はたいてい、「〇〇商店」という看板を掲げていて、「〇〇」には店主のみよじが入る場合がほとんどだった。
だから店の名前だけを見ても、その店がいったい何を売っている店なのかを判断することはちょっと難しかった・・・・・・。


学校の近くにはそんな店が必ず1件はあって、学校帰りには学生たちでにぎわっていたのを、今でもはっきりと覚えている。
学校の前にある店というのは、学生相手の商売ということもあって、店には学生が使う物がメインに置いてあった。
私が中学生の頃は、学校に購買部がなかったので、学校の前にある店にノートや鉛筆、シャーペンの芯などがおいてあるのは、大変ありがたいことだった・・・・・・。


授業中にノートやシャーペンの芯が切れると、チャイムと同時に店へ走って行って、大慌てで買い物をして、猛ダッシュで帰って来るということもしばしばあった。
またこの店には絵筆や絵の具、彫刻刀なども置いてあって、美術部の部員はみんなこの店の常連だという話を聞いたことがあった・・・・・・。


またこの店にはなぜか総菜パンが山のように置いてあった。
量だけではなくて種類も豊富で、仮に1週間総菜パンを買い続けたとしても、毎回違う種類のパンを食べることが出来るほどだった。
私が中学生の頃は給食ではなく、弁当持参だったので、親が寝坊をして、弁当を持って来られなかった生徒は、この店に総菜パンとコーヒー牛乳を買いに行くことが出来てとても便利だった・・・・・・。


学生の頃というのは、どういう訳か異常に腹が減るもので、開店と同時にこの店へ走り、午前中のうちに総菜パンをぺろりと平らげている者もいたものだ。
しかも昼にはきっちりと弁当も食べるのだから、いったいどんな腹をしていたのか不思議でならない。
また、部活帰りに総菜パンを買って、店の前で食べている者も多かった。
きっとこの店は総菜パンだけで、相当の売り上げがあったに違いない・・・・・・。


天候が急変し、急に雨が降り出して来たりすると、この店ではいったいどこにしまってあったのか、カサやカッパなどの大量の雨具を店の軒先に出して、「雨具あります!」と大アピールしていた。
普通の雨なら濡れて帰るという選択肢もあるが、土砂降りになって来ると、やっぱり雨具はないよりあった方がいい。
最初の頃は、「こんなに大量に雨具を仕入れて、売れなかったらどうするつもりなんだろう」と、余計な心配をしていたものだが、考えてみたら全校生徒を対象にした商売なのだ。
総菜パン同様、売れない訳がなかった・・・・・・。


また朝の登校時に大雨が降っていた日には、店の入り口付近にいつの間にか、特設の靴下売り場が出来ていた。
こんな日は大雨で革靴の中まで浸水してしまい、靴下を履いていない生徒が多いことを見越してのことだった。
男子は「もうどうでもいいや!」と1日中裸足で過ごしている者も多かったが、女子は「靴下を履いていないと気持ち悪い」と、休み時間に靴下を買いに行く者が多かった・・・・・・。


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この店には少量だったがお菓子も置いてあった。
スナック菓子のようなガサばるものは置いていなかったが、アポロやアーモンドチョコのような置き場所を取らない物が、数種類だけ置かれていた。
置き場所を取らないということは、言い方を変えれば、「コンパクトである」ということで、学校帰りに片手で持って、友達と食べながら帰るには最適な大きさだった。
当時はたいして気にもしていなかったが、店に置かれていた菓子はそこまで計算して選ばれていたようである。
この店のおやじ、ただハゲ散らかしているだけかと思いきや、どうやらただものではないようだ・・・・・・。


この店にはなぜか絆創膏やガーゼ、包帯など、ちょっとした傷の手当てが出来るものも置いてあった。
なんでそんなものまで置いてあるのかと疑問に思っていたところ、野球部やサッカー部の生徒が、目立つ部分に出来た擦り傷を隠すのに、よく買っていたのだそうだ。
そう言われてみれば、野球部やサッカー部の生徒は、腕や顔に絆創膏をよく貼っていた。
小学生の頃は転んで大きなかさぶたを作っても、絆創膏など貼らずに、「お構いなし」という者が多かったが、中学生ともなると妙に色気づいて来て、女子の目を気にして、小さな傷すら隠したがったりしたものである・・・・・・。


店の入り口近くには、雑誌も数冊置いてあった。
個人商店で店内が狭いので、本当に売れ筋のものだけが置かれていた。
「少年ジャンプ」などの漫画雑誌はよく売れるらしく、発売日にはレジの前にも山積みにして置いてあった。
確かに教室では休み時間になると、漫画雑誌を読んでいる者が何人もいたのを覚えている。


当時、「少年ジャンプ」はファミコンゲームのドラゴンクエストとコラボして、専門誌に出ないような情報を、毎週小出しにして掲載していた。
このため普段はマンガ雑誌を読まない者も、ドラクエの記事を見たいがためにジャンプを買っていた。
だから当時、「少年ジャンプ」は本当によく売れていて、書店を数軒回らないと買えないこともあったぐらいだった。
そういう意味では、学校が終わるのを待たずに買いに行けるこの店は、ジャンプを入手出来る確率も高かったという訳だ・・・・・・。


店内に置かれている雑誌には、なんとエロ本も数冊あった。
エロ本は店内の目立たない場所にひっそりと置かれていて、それが気になって、その場を行ったり来たりしている生徒をよく見かけたものだ。
エロ本を購入する時は、このようにコソコソしていると逆に目立つので、堂々とレジに持って行ってしまうのが正解である。
そうすると不思議なくらい気付かれないものなのだ・・・・・・。


このようにこの店では、学校生活だけに留まらず、家に帰ってからの性欲処理のことまで考えてくれており、正に至れり尽くせりの品揃えの店だったと言えよう。
そのおかげで私たちは、充実した中学校生活を送ることが出来たのである・・・・・・。

(画像上、イヌタデは目立たない花だが群生していると見事だ。画像下、アキアカネは低温に強く、12月頃まで見ることが出来る・・・)

2020年11月11日 (水)

関東ローカルのCM「東京サマーランド」

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今回は関東ローカルのCMの第二弾、「東京サマーランド編」をお届けしたいと思う。
遊園地と言うと、よほど大きな規模の所でもない限り、全国区のCMを放映しているような所は少ないと思う。
ほとんどの遊園地は、近隣の都府県を対象とした、ローカルなCMを流しているぐらいだろう。
しかし、そんな小規模な遊園地でも、日本全土を揺るがすほどの、インパクトのあるCMを放映している所があるのをご存じだろうか。


今回ご紹介するのは「東京サマーランド」。
「東京サマーランド」のCMは、毎年のように更新されていて、これまでも様々なバージョンが放映されて来たのだが、今回は私が特に印象に残っているものをピックアップして、いくつかご紹介してみたいと思う・・・・・・。


まずはちょっと、サザエさん一家が住んでいるような日本家屋を想像してみて欲しい。
季節は夏で窓は開放になっており、居間からは縁側と庭が見えているような状況だ。
そして庭には丸いビニールプールが設置されていて、ぽっちゃり体型の水着姿の少年が、浮き輪を抱えて水遊びをしている。


居間ではスイカに塩をふりかけながら、いま正にスイカを食べようとしている、少年の両親の姿が見て取れる。
そして少年に負けず劣らずのぽっちゃり体型の母親が、おもむろに「今日さぁ、シーにする?ランドにする?」と少年の父親に聞いている。
ところが、このぽっちゃり母ちゃん、そんなことを聞いておきながら、その返事を待つこともなく、スイカをいわゆる「志村けん食い」で、あっという間に平らげてしまうのだ。
その間、わずか数秒、圧巻としか言いようがない・・・・・・。


そしてその隣でスイカを食べていた存在感のない父親が、「シーよりランドでしょ」とボソッと言う。
するとビニールプールで遊んでいた少年が浮き輪を抱えて立ち上がると、「マジで?今日ランド行くの~?」と喜んでいる。
それを見たぽっちゃり母ちゃんは、何を思ったのか、突然服を脱ぎ捨て、水色のビキニ姿になると、「シーよりサマー!」と叫びながら、縁側へ猛ダッシュ。
そして躊躇することもなく縁側からジャンプし、ビニールプールへ「ザッパ~ン!」と飛び込むのだ。
テレビの画面には、「夏だ!プールだ!サマーランドだ!」の文字・・・・・・。


いや~、なんとも衝撃的なCMである。
このCMの何がすごいかというと、恐らく誰も見たくはないであろう、ぽっちゃり母ちゃんのビキニ姿に尽きると思う。
そして画面いっぱいに迫って来る肉感の衝撃は、一度見たら忘れられないものがある。
「夢にまで見そう」とは正にこのことである・・・・・・。


ちなみにぽっちゃり母ちゃんが言っていた、「シーにする?ランドにする?」は言うまでもなく、「ディズニーシー」と「ディズニーランド」にかけているのだが、CMの最後に出て来る、「SEAよりサマーランド」のテロップが全てを説明してくれている。
そしてこのテロップのバックは、水色のビキニ姿でポーズを決める、三段腹のぽっちゃり母ちゃんであることも付け加えておきたい・・・・・・。


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じつはこのぽっちゃり一家のCMは、好評だったのかどうかは定かではないが、なんとシリーズ化されている。
別の年に放映されたCMの舞台も、見覚えのある日本家屋で、「もしや」と思って見ていたところ、冒頭に登場するのは、なんとあのぽっちゃり息子ではないか。
そして居間でくつろいでいる両親に向かって、「母ちゃん、彼女出来た」と一言。
すると障子の後ろから現れたのは、なんとストライプ柄のビキニを付けたナイスバディな外国人女性。
どうでもいいが、このセクシー外国人、まさかこの格好でぽっちゃり一家の家までやって来たのだろうか・・・・・・。


そしてこの時、ナイスバディな外国人は、登場と同時に「ドンラ~マ~サ~」と謎の言葉を発していて、「いったいあんた、何人(なにじん)なのかね?」と聞いてみたくなる。
しかし、文字に起こして逆から読んでみれば、なんのことはない、「サマーランド」と言っているに過ぎないのだ・・・・・・。


そして誰も予想もしていなかった、ビキニ姿のセクシー外国人の登場で、仰天した父親は思わず飲みかけていた麦茶を、「ブーーーッ!」と吹き出してしまう。
そしてその次の瞬間、何を思ったのか、あのぽっちゃり母ちゃんは、またしても服を脱ぎ捨て、セクシー外国人といっしょにプールにザッパ~ン!
画面には「夏だ!プールだ!東京サマーランド!」の文字。
ちなみにぽっちゃり母ちゃんの今回の水着は真っ赤なビキニ。
派手さだけなら、「息子の彼女」のセクシー外国人にも負けていない・・・・・・。


また別のバージョンのCMでは、縁側に異常に短い滑り台が設置されていて、その真下には例のビニールプールが置かれている。
そして、ぽっちゃり母ちゃんは、庭で洗濯物を干しているという状況。
縁側には父親とぽっちゃり息子の姿があって、父親が危なっかしい足取りで、異常に短い滑り台の上へ上り、ぽっちゃり息子はホースで滑り台の上から水を流している。


そして父親が覇気のない声で「行くぞ~!」と一言。
それに気付いたぽっちゃり母ちゃんが振り返り、「何してんだ?」と聞いて来る。
するとぽっちゃり息子が、「新感覚のドボン」と答える。
ぽっちゃり母ちゃんが怪訝な顔で「あ?」と返した直後、滑り台の上でバランスを崩した父親が、「あっ!あ゛~~っ!」と叫び声を上げながら、異常に短い滑り台をあっという間に滑り落ちる。


そしてビニールプールに「ドボン!」と落下した父親は、ものすごい水しぶきを上げる。
そしてぽっちゃり母ちゃんは、頭からその水をかぶって、びちゃびちゃになってしまう。
水をかぶったぽっちゃり母ちゃん、きっと怒り狂うだろうと思いきや、なぜかあっという間に服を脱ぎ捨て縁側へ。
そして異常に短い滑り台を、「あ゛~~~!」と絶叫しながら一気に滑り落ち、父親以上の水しぶきを上げて見せるのだ・・・・・・。


ちなみに今回のぽっちゃり母ちゃんのビキニは柄物。
どうでもいいが、このぽっちゃり母ちゃん、なんでいつも服の下にビキニを着ているのだろう。
そして「いったいビキニ何着持ってんだよ」と、思わずテレビの前で突っ込まずにはいられないのは私だけではあるまい・・・・・・。

(画像上、里山ではあちこちで咲いているノコンギクの花。画像下、里山で出会ったオオカマキリさん)



2020年11月 5日 (木)

「10円サッカー」と「消しゴム落とし」

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▲「10円サッカー」は画像のように、10円玉3枚を逆三角形に置き、手前の10円玉を叩いて前方の10円玉2枚を弾いてゲームスタートとなる。画像は分かりやすいように机の真ん中で撮影しているが、実際は机の一番手前側がゲームのスタート地点になる。


私が小学生の頃には、授業と授業の合間の、ちょっとした空き時間にやっていた、たわいもない遊びというのがけっこうあった。
それらの遊びは、なぜか小学校の教室限定の遊びで、学校にいる最中は、狂ったように何度も遊んでいるのに、学校の校門を一歩出ると、なぜか誰もその遊びをしようとはしなかった。
別に門外不出の決まりなんてどこにもなかったのに不思議なものである・・・・・・。


その遊びの一つが「10円サッカー」だった。
もしかしたら、正しい名称があるのかもしれないが、当時はみんな「10円サッカー」と呼んでいた。
「10円サッカー」のいいところは、10円玉が3枚と教室にある机が1つあれば、他には何も必要がないことだ。
小学生にとっては、金がかからずに楽しい遊びが出来るというのは理想と言えよう。


「10円サッカー」は名前の通り、10円玉をボール、机をサッカーコートに見立てて試合をする遊びである。
「10円サッカー」では、まず最初にじゃんけんをして先攻と後攻を決める。
先攻は10円玉3枚を逆三角形になるようにくっつけて、机の一番手前側に置く。


後攻は左右の握りこぶしをくっつけて、両手の小指だけを伸ばして机の手前に乗せる。
両手の小指がゴールポストになり、この内側にシュートが決まるとゴールとなる。
そしてこの状態で、利き手の人差し指を伸ばしてキーパーにする。
キーパーの役目の人差し指は、左右に動かしてもOKというルールだ。


しかし、どうしても指の可動範囲というのは限られているので、コーナーを狙われると指が届かず、思わずゴールポストごと動いて、ゴールを阻止しようとするやつが必ずいたものだ。
もちろんそれは反則なので、ゴール判定となるのは言うまでもない・・・・・・。


で、試合の進め方だが、先攻はまず逆三角形に置いた10円玉の手前の一つを、上から指で「ポン!」と叩く。
すると2枚の10円玉が弾かれて、机の上を左右に分かれてスーッと移動して行く。
次に手元に残っている10円玉(先ほど指で叩いた10円玉)を、デコピンの要領で弾いて、前方の2枚の10円玉の間を通してやる。
その後は手前の10円玉を指で弾き、前方の2枚の10円玉の間を通して行くということを繰り返して行き、相手のゴールへ少しずつ接近して行く。


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▲後攻の「ゴール」の形。両手の小指がゴールポストで、利き手の人差し指がゴールキーパーになる。画像は左利きの人の場合。当たり前だがゴールポストは固定が原則で動いてはいけない。ゴールキーパーの人差し指は左右に動かせる。


そしてシュートを打ちやすいポジションまで移動したらシュートを打つ。
別にゴールから離れていても、そこからシュートを決める自信があるなら、いつシュートを打っても構わない。
その反対にシュートを狙える位置まで接近していても、シュートを打つと見せかけて、更に接近して行っても構わない。
そこは相手との駆け引きである。


で、シュートが決まっても、キーパーにシュートを阻まれても、どちらの場合もその時点で攻守交代となる。
また、2枚の10円玉の間を「ボール」を通す時、「ボール」の10円玉が前方の10円玉にぶつかってしまうことがある。
この場合はその時点で攻守交代になる。
その他にも2枚の10円玉の間を「ボール」の10円玉が通らなかった時や、10円玉がテーブルから落下してしまった時も攻守交代となる。


で、この10円サッカーは、授業と授業の間の、わずかな時間で楽しんでいたので、いつもいいところでチャイムが鳴ってしまう。
このためノートに試合経過をチェックしておき、次のチャイムで試合再開というルールが自然と出来ていた。
授業中にノートに付けている得点表をボーっと眺めていて、それをうっかり担任に見られてしまい、「おい、これはいったいなんだ?」と背後から担任の尋問にあっている間抜けな生徒もいたものだ・・・・・・。


「10円サッカー」は基本的に1対1のゲームなので、複数人が集まっている時は、「消しゴム落とし」をやることが多かった。
「消しゴム落とし」は自分の消しゴムを指で弾いて、相手の消しゴムに当てて落とすだけの簡単な遊びである。
「消しゴム落とし」ではまず初めに、自分の消しゴムを机の上の好きな場所に置く。
置く場所は机の真ん中でも、机の角ぎりぎりでもどこでも構わない。
この時どこに置くかが相手との駆け引きで、のちのちゲームの行方を大きく左右することにもなって来る。


消しゴムを机の上に置いたら、じゃんけんをして順番を決める。
自分の順番が来たら、デコピンの要領で自分の消しゴムを弾いて、他の消しゴムに当てる。
そして狙った消しゴムが机から落ちたら、落とされた消しゴムの持ち主はその時点で負けになる。
また、自分の弾いた消しゴムが、勢い余って机から落ちてしまった場合も負けになる・・・・・・。


だからプレイする人数が多ければ多いほど、初めに消しゴムを置く位置というのはけっこう重要になって来る。
机の角ぎりぎりに消しゴムを置かれると、一見簡単に落とせそうではあるのだが、自分の弾いた消しゴムも一緒に落ちてしまう可能性が大なのだ。
だからゲーム序盤でそのような消しゴムを狙って行くのはリスクが大きく、避けた方が無難ということになる訳だ。
で、もはや説明するまでもないと思うが、最終的に最後まで机から落とされずに残った者が勝ちということになる。
「消しゴム落とし」はものすごく単純なゲームではあるのだが、意外と奥が深くてハマっている者が多かった・・・・・・。


このように「10円サッカー」や「消しゴム落とし」は、学校の教室では大盛り上がりの遊びだったのだが、冒頭でも書いたように、学校の校門を一歩出ると、なぜか誰もその遊びをしようとはしなかった。
そしていま考えると、いったい誰が「10円サッカー」や「消しゴム落とし」のルールを、みんなに広めたのかも定かではない。
いつの間にか自然発生的に始まった遊びだったように思う。
私は未だにそのことが不思議でならない・・・・・・。


2020年10月30日 (金)

変わりゆく一汁三菜

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和食の基本は「一汁三菜」と言われる。
「一汁三菜」とは、ご飯と味噌汁、主菜と副菜2品を基本として、これに小皿に入った漬物が付くメニューを指すことが多いようだ。
「一汁三菜」が日常的に食べられるようになったのは、1960年頃からと言われている。
これはちょうど高度経済成長期に当たる。
そしてこの頃から日本は豊かになり、食事の質が上がり、献立の品数も増えて来たのである・・・・・・。


そしてその後は、時代の流れと共に、減塩が叫ばれるようになり、漬物は次第にサラダへとシフトして行き、定番化して行くことになる。
また最近では味噌汁は必ずしも必須ではなくなって来ているそうで、昔に比べて家で作る回数はかなり減って来ているとのこと。
これについては、健康志向の高まりから、漬物と同様に塩分の摂り過ぎになって、高血圧の原因にもなりかねないと、一時期テレビや雑誌でしきりに話題になっていたことがあった。
どうやらこれを契機に味噌汁は敬遠されるようになって行ったようなのだ。


このため最近では汁気の多いおかずを、味噌汁の代用にすることも増えて来ているという。
個人的には「おかず」が味噌汁の代用になるとはとても思えないのだが、時代の流れと共に、「一汁三菜」のスタイルも少しずつ変わって来ているということなのか。
味噌汁好きの私としては、非常に残念な話ではあるのだが、確かにうちでも昔に比べて、味噌汁の出番は減ったように感じる・・・・・・。


ところが最近の研究によると、味噌汁は逆に血圧を上げにくくする効果があるということが分かって来たのだそうだ。
マルコメと医学博士の上原誉志夫さんが、2019年に共同で行った臨床試験によると、高血圧(ステージ1)の人や血圧が高めの人に、一定期間、味噌汁を1日2杯飲んでもらったところ、なんと昼間の血圧は全く上がることはなかったそうだ。
そして夜間の就寝中に関しては、顕著に血圧が下がったというのだ。
普通は血圧は活動する昼間は上昇し、就寝中は下がるものだ。
このことから、味噌汁には血圧の上昇を抑えたり、血圧を下げたりする効果があることが分かったのだという。
なんだか今まで言われて来たことと真逆の話で驚いてしまう。


また、ラットを使った試験では、味噌に含まれる塩分は、腎臓から尿として排出されやすいということが分かったという。
更に味噌に関しては、最近では糖尿病や動脈硬化の予防効果についての研究も進んでいるそうで、これらのことからも1日2杯の味噌汁は、飲んでも全く問題はなく、逆に体にいい効果をもたらしてくれるということが言えるようだ。


一時期は悪者扱いされて来た味噌汁だが、ここに来てようやく名誉回復となりそうである。
そしてそんなに体にいい味噌汁を、「専門家」の言葉を信じて、わざわざ敬遠して来た人たちは、今までかなりの損をして来たということにもなるだろう。
いったいどこの誰が、「味噌汁は高血圧の原因になる」なんてことを言い出したのだろうか・・・・・・。


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うちでは昔から、食卓に食器を配置する時は、ご飯を自分の左側に置き、味噌汁をその右側、そしておかずはそれぞれ奥にという配置だった。
これまでそのような食器の配置については、特に気にもしていなかったのだが、調べて見ると和食では昔から、「ご飯は左、汁物は右」が一般的な配置であるとされて来たようだ。
ということは、たまたまなのか、母がそのことを知っていて、そうしていたのかは不明だが、結果的にはこれで正しかったことになる訳だ。
うちではそれが日常的に習慣になっていたので、「どこの家でもそういうものだろう」と、今までなんの疑問も抱かずに、勝手にそう思っていた・・・・・・。


そういえば、考えてみたら、食堂で定食を頼んだ時も、ご飯は必ず左側で、味噌汁は右側に配置されていて、おかずは奥に置かれていることがほとんどである。
どうやらこれにはちゃんと理由があったということのようだ。
ところでこれについては地域差もあるようで、関西の食堂では左側にご飯を置くことには変わりはないが、味噌汁はご飯の奥に配置され、ご飯の右側にはおかずが置かれることが多いのだそうだ。


理由としては、「その方が食べやすいから」ということのようだが、どうやらこれは昔からそうだったという訳ではないようだ。
なぜなら和食のご飯と汁物の位置は室町時代からの「常識」で、全国的にご飯は左側、味噌汁は右側だったのだそうだ。
近年は家庭で味噌汁を出す回数が減って、汁物が軽視される傾向が強くなった。
そしておかずの方を重視するようになったため、このような現象が起きているというのが真相のようだ・・・・・・。


ところで皆さんは市販の弁当を食べる時、弁当の容器をどのような向きにして食べるだろうか。
私は子供の頃から、市販の弁当は縦が正しい向きだと思っていて、現在でも縦の向きに置いて食べている。
これはコンビニ弁当だろうが、スーパーの弁当だろうが、弁当屋の弁当だろうが、駅弁だろうが、どれもいっしょである。
長年の習慣ということもあって、縦向きでないとどうもしっくり来ないのだ。


ところが最近になって、市販の弁当を横向きにして食べている人がいることにふと気付いた。
「なんでこの人は弁当を横向きにして食べているのだろう?もしかして、ひねくれ者?」などと思ったりもしたが、そんなことを言ったら、怒り出すかと思い、「なんで弁当を横向きにして食べているの?」と素直に聞いてみることにした。


すると、「ええっ!ラベルの向きがこうだったから、これで正しいのかと思っていました・・・」という答えが返って来た。
彼女が食べていたのは、スーパーで買って来た弁当で、確かにフタにはラベルが貼ってあり、その向きの通りなら横向きで正しいことになる。
しかし、ラベルの向きなんかに惑わされてはいけない。
なぜならラベルの向きの通りなら、ご飯は右に来てしまうのだ。
かと言って、ご飯を左に持って来ると、おかずが右に来てしまう。
ここはやっぱり弁当を縦に置き、弁当といっしょに買った、カップの味噌汁を右に置くのが、正しい配置なのではあるまいか・・・・・・。

(画像上、タイワンホトトギスの花が咲き始めた。画像下、アラカシのどんぐりが大豊作)

2020年10月24日 (土)

レジ袋有料化

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2020年7月1日より、それまでスーパーやコンビニで無料で提供されていたレジ袋が有料化された。
その目的はCO₂の排出量を押さえて地球温暖化を防ぐことや、海洋へ流出するプラスチックゴミを削減する効果を期待してのことだ。


ほとんど店では一ヶ月ほど前から、出入り口の目立つ場所に、「7月1日からレジ袋が有料になります」と大きな貼り紙をして注意を促したり、レジで支払いの際に、店員が客の一人一人に説明をしたりして準備を進めていた。
そして6月の1か月間、私たちは行く店、行く店で、レジ袋有料化の貼り紙を目にし、店員からもその都度説明を受けていたので、客によってはもううんざりして、「うるさいな~、もう分ったよ!」などと、店員を怒鳴りつけている者までいたものだ。
だから7月1日からは、「買い物をする時はエコバックを持って行かないと大変なことになる」ということは、誰もがちゃんと分かっていたはずなのだ・・・・・・。


それなのにいざ当日になって見たら、エコバックを持って来るのをすっかり忘れて、買った商品を両手で抱えて持って帰ろうとする人をたくさん見かけた。
ところが商品を手で持って歩くのにはやはり限界があって、バランスを崩して床に買った商品をぶちまけている客もいた。
そんな客にはレジ打ちの店員たちの鋭い眼光が一斉に向けられ、「だから言わんこっちゃない!」と心の中で言い放っているのが、その表情からまざまざと見て取れた・・・・・・。


エコバックを忘れて来ても、お菓子やカップ麺、日用品くらいなら、両手で抱えてなんとか家まで持って帰れないこともない。
ところが弁当や惣菜など、汁やタレが容器から漏れて来る恐れがあるものは、やはりレジ袋がないとちょっときびしいものがある。
また、肉や生魚を買った時も、商品を薄いビニール袋に入れて、それをそのままエコバックに入れるのはちょっと抵抗があるものだ・・・・・・。


野菜の直売所では採れたての新鮮な野菜が買える。
新鮮なのはもちろんいいことなのだが、採れたての野菜というのは、収穫する時にカットした切り口から、野菜が根から吸収した水分が、ボタボタと滝のように流れ出て来ていることがよくある。
このような新鮮な野菜を持って帰る時も、やはりレジ袋がないと非常に困ったことになる。


エコバックを持っているにも関わらず、野菜の根元から流れ出て来る水が止まらないため、両手を「前へならえ!」のように差し出しながら、野菜を持って帰るハメになるのだ。
そしてその間もずっと野菜は、「ボタボタ、ボタボタ」と止めどなくおしっこを垂れ流しているのである・・・・・・。


パン屋でパンを買った時も困る。
パン屋のパンは紙でくるんだ状態で渡されることが多く、それをそのままエコバックに入れていいものかどうか悩むのだが、他に何も持ち合わせていないので、仕方なくそのままの状態でそっとエコバックの中へ入れてみる。
別に素早く入れたところで、結果的には何も変わらないのだが、そ~っと入れた方が大変なことが起こらないような気がするのだ・・・・・・。


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ところでスーパーでは、レジ袋は有料化されたというのに、買った商品を袋詰めするための台に設置されている、ロール状の薄いビニール袋は、なぜかそのまま無料で提供されている。
個人的にはこれではなんの意味もないんじゃないかと思うのだがどうなのだろう。


それだったら、こちらを廃止にして、「レジ袋を普通サイズだけでも残して欲しかったな~」と思うのは私だけではあるまい。
と言うのも、ほとんどのスーパーでは、このロール状の薄いビニール袋は、1サイズしか置いていないため、小さすぎて肝心の入れたい物が入らないのだ。
そもそもレジ袋はダメなのに、なぜこの薄いビニール袋はOKなのか意味が分からない。
そしてそのことを誰も疑問に感じていなさそうなのも不思議な話だ・・・・・・。


よくよく考えてみれば、今までずっと無料で提供されていたレジ袋が、急に有料になるということ自体、納得がいかない話である。
どうしてもレジ袋が欲しい時は、サイズごとに5円とか3円を払って購入することになるのだが、もともと無料だったものに、わざわざ金を払っていると考えると、非常にバカバカしく思えて来る。
本来なら「レジ袋を出さない代わりに、5円とか3円を還元しますよ」というのが、正しいやり方なのではあるまいか・・・・・・。


また、更に納得がいかないのは、レジ袋有料化にかこつけて、手提げの紙袋まで有料にした店があることだ。
もう地球温暖化防止とか、プラスチックゴミの海洋流出削減など、一切関係のない話になって来ている・・・・・・。


そんな中、家電量販店のヨドバシカメラでは、レジ袋が提供され続けていて驚いたのだが、なんでも袋の素材を変更したとかで、「石灰石から生まれた、環境に優しい新素材」が使われているのだとか。
もちろんこれまで通り、無料で提供されていて、こういうちょっと視点を変えた試みは素晴らしいと思う・・・・・・。


レジ袋がなくなって、不便に感じるのは、購入した商品の運搬時だけではなく、レジ袋のその後の役目であった、「ちょうどいいサイズのゴミ袋」がなくなったということも、個人的にはかなり大きなウエートを占めている。
レジ袋は部屋のゴミ箱の内側に被せるのにちょうどいい大きさで、ゴミがいっぱいになったら、そのまますっぽり外して捨てることが出来て便利だった。
また、台所の生ゴミを密封して捨てるのにも重宝していた。
それとうちにはネコがいるので、猫のトイレのネコ砂を捨てる時にも便利だったのだ・・・・・・。


じつはレジ袋はドラッグストアなどに行くと、100枚入りの束になって、商品として普通に売られている。
レジ袋をもらえなくなってからは仕方がないので、私はわざわざそれを買って来て使っている。
もちろんゴミ袋としてである。
店やメーカーの価格設定にもよると思うが、たぶんレジで1枚5円出して買うよりはずっと安いのではないか。
そして「レジ袋有料化」で気付いたことと言えば、「私にとってレジ袋は、本来の目的よりも、ゴミ袋としての利用の方が重要だったのだな~」ということである・・・・・・。

(画像上、秋になるとあちこちで見かけるようになるハギの花。画像下、ゆっくりと木の幹を登って行くハラビロカマキリ)

2020年10月18日 (日)

関東ローカルのCM

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全国区だと思っていたCMがじつは関東ローカルだったと知った時の衝撃は大きい。
私がこれまでに一番以外に感じたのは、「三井のリハウス」のCMだ。
このCMが最初に放映されたのは1987(昭和62)年。
「初代リハウスガール」としてCMに起用されたのは、当時まだ10代だった宮沢りえだった。


「三井のリハウス」のCMは、思春期の娘がいる家庭で、娘が成長したことをきっかけに、住み替えをするという設定。
この時、CMで宮沢りえが演じていたのは転校生の役。
担任と2人で教室の前に立ち、クラスメートに「白鳥麗子です」と、自己紹介をしているシーンがとても印象的だった。
そして当時、このCMを見た多くの人が、「なんて透明感のある少女なんだ」と、まだほとんど無名だった宮沢りえを絶賛し、世の中の大きな話題となったのだ・・・・・・。


余談だが、当時はこの「三井のリハウス」のCMが転校生のハードルを上げ、転校して来る側も、それを受け入れる側も、「白鳥麗子」を変に意識してしまい、不安や期待の入り混じる妙な空気で、教室が満たされていたものである・・・・・・。


で、その後もこの「三井のリハウス」のCMでは、「リハウスガール」として、代々、新人の女優を起用し、現在に至るまでそうそうたるメンバーが名を連ねている・・・・・・。


ところが、じつはこの「三井のリハウス」のCMは、首都圏(東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城)を対象とした、ローカルCMなのだそうだ。
私は1987(昭和62)年に宮沢りえが「白鳥麗子」として登場したあのシーンが未だに忘れられない。
彼女はあのCMがきっかけで、女優として様々な作品に出演するようになって行ったのだ。


そして当時あのCMは、テレビ番組や雑誌、新聞などを巻き込んで、「あの娘は誰?」と大きな話題になっていた。
それなのに、「三井のリハウス」のCMが、首都圏ローカルだったなんてちょっとショックである。
バラエティ番組や情報番組などで、あのCMが話題になっていた時は、他の地域の人には全く意味が通じていなかったということなのだろうか・・・・・・。


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昔はよく放映されていたのに、いつの間にか全く見なくなっていたCMに「宇津救命丸」がある。
CMは記憶にないけど、「宇津救命丸」という名前は聞いたことがあるという人は、このCMを絶対に見たことがあるはずだ。
「宇津救命丸」のCMは、まるで絵本のページをペラペラと捲って、読み進めて行くような作りになっていた。


私が覚えているのは、影絵のとんがり帽子の小人が2人登場し、チューリップの花の中で眠っている影絵の赤ちゃんを、そっと覗き込んでいるバージョンと、一羽のコウノトリが、その長いくちばしに赤ちゃんをたずさえて、夜の街を一軒の家を目指して、ゆっくりと飛んで行くバージョンの2つだ。
そしてそのどちらのバージョンも、CMの締めくくりは、「赤ちゃんも夢を見るのかしら。風邪ひき、かんの虫、胃腸障害に宇津救命丸」というナレーションだった・・・・・・。


私は子供の頃、この「宇津救命丸」のCMが大好きで、自分にとっては全く必要のない商品だったにも関わらず、どこにいてもCMが始まるとテレビの前まで走って行って、その場に突っ立ったまま、最後までCMを食い入るように見つめていたものだ。


ちなみにこの「宇津救命丸」のCMも関東ローカルとのことで、関東以外の地域の人は、「宇津救命丸」の名前すら知らないらしい。
その代わりと言うのも変な話だが、関西には「樋屋奇応丸」という、関東の人間には馴染みのない、似たような薬があるそうだ・・・・・・。


「ホントにホントにホントにホントにラ~イオ~ンだ~♪」という歌で有名な、「富士サファリパーク」のCMもじつは関東ローカルだという。
ちなみにこのCM曲、開園以来40年間、CMで流され続けていて、恐らく「関東では知らない人はいない」と言うくらい浸透している。


ちなみに現在CMで流されているのは15秒バージョンだが、1980(昭和55)年の放映開始当初は、30秒CMが主流だったこともあり、30秒バージョンで流されていた。
若い人は聞いたことがないだろうが、「ホントにホントにホントにホントにラ~イオ~ンだ~♪」には続きがあって、その後は「ホントにホントにホントにホントにゾ~ウな~のだ~♪」、そして「ホントにホントにホントにホントにク~マな~のだ~♪」とリレーされて行く・・・・・・。


ところでこの歌、和田アキ子さんが歌っていると思い込んでいる人がじつに多いらしい。
どこからそんな話が出て来たのか全くもって不明だが、この曲を歌っているのは、キン肉マンや宇宙刑事ギャバンのOP曲を歌っていた串田アキラさんである。
キン肉マンの歌い出しの、「GO! GO! マッスル!リ~ング~に~♪」というあの声を想像してみてもらえれば分かりやすいと思う・・・・・・。


ところで、「富士サファリパーク」のCMは、バラエティ番組の中で何度か紹介されていたこともあり、私は全国区とまではいかないまでも、日本のかなり広い範囲で放映されているCMなのだろうと勝手に思っていた。
ところがじつは関東ローカルだと聞いてたいへん驚いた。
と言うことは、それを全国放送のバラエティ番組のネタにしても、関東地方の人にしか意味が通じていなかったことになる訳だ。


そしてこのCMが放映されていない地域の人たちは、「ホントにホントにホントにホントにラ~イオ~ンだ~♪」を、番組で初めて聞かされて、いったいどのように受け止めていたのだろう。
そして大盛り上がりの東京のスタジオと、それを呆然と見つめているお茶の間との温度差も、きっとかなりの開きがあったのだろうと思うと、なんだかちょっとやるせない気持ちになる・・・・・・。

(画像上、「藁ボッチ」が並ぶ里山の田んぼは今の季節ならではの風景。画像下、草地でショウリョウバッタモドキと「こんにちは!」)

2020年10月12日 (月)

宇宙人疑惑のある人

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世の中には、「この人ちょっと宇宙人っぽいな~」と感じる人がたまにいる。
そうは言っても、その人に面と向かって、「あんた宇宙人っぽいねぇ!」などとは口が裂けても言えない。
「その人に対して失礼だから」というのもあるが、もしその人物が本当に宇宙人だったら、正体がバレたと思われて、口封じに殺されかねないからだ。
「用心に越したことはない」ということである・・・・・・。


ところが私はそのような人物に出会うと、どういう訳かいても立ってもいられなくなる。
そしてその人物が宇宙人であることの証拠を掴むため、極秘裏に調査を開始するのである・・・・・・。


「宇宙人疑惑がある人」にはいくつかのタイプがあるのだが、まず、「ちょっと普通じゃ考えられないくらい目が大きい人」は怪しいと思った方がいい。
こういう人は整った顔立ちをしていることが多く、どちらかというと、男性よりも女性に多い傾向がある。
「整った顔立ちをしている」ということは、「美人である」と言い換えることも出来る。
このためこのタイプは女優やモデルをやっている人に特に多く見受けられるようだ。


しかし、一般人は普通に生活していたら、女優やモデル級の美人に出会うことなんてまずないだろう。
街を歩いていて、そんな美女にたまたま出会いましたなんてことは、ジャンボ宝くじで一等前後賞合わせて10億円当選するよりあり得ない話だ。
逆に言えば、だからこそ彼女たちは、女優やモデルになれた訳なのだが、裏を返せばそれこそが宇宙人であることの証拠なのではないか。
何を言いたいのかと言うと、もうすでにその美しさやスタイルは、人の限界を優に超えているということである。
よく、彼女たちを見て、「とても同じ人間とは思えない」という感想を言う人がいるが、案外当たっているのかもしれない・・・・・・。


そうは言っても、全ての女優やモデルが宇宙人だと言っているのではない。
冒頭でも書いたように、「ちょっと普通じゃ考えられないくらい目が大きな人」は怪しいと言っているのだ。
そしてその目の大きさも人の限界をとっくに超えており、例えるならそれはまるで、漫画やアニメのキャラクターのようでもある。
だから冷静に目だけを見たら、不自然なくらいの大きさなのに、顔全体を見ると見事なまでにバランスが整っているため、その美しさにカムフラージュされて、目の大きさがそこまで気にならなくなっているのだ。
美人だと思って鼻の下を伸ばしていると、じつは宇宙人でしたなんてこともあるので注意した方がいい。
正に美人と宇宙人は紙一重なのである・・・・・・。


「宇宙人疑惑のある人」の2つ目のタイプは「黒目しかない人」だ。
「そんなやついね~よ!」と言われそうだが、注意して見ていると、あ~ら不思議、これがまたけっこういるのである。
「黒目しかない人」の特徴としては、目が細い人に多いということが挙げられる。
普段、人と会話をしている時には、気を張っているせいか、ちゃんと白目もあるように見えるのだが、一人で何か考え事をしている時や、何かに没頭していて、ふと顔を上げた瞬間などに、すかさず目に注目すると、「明らかに黒目しかない」ということに気付く。
向こうも誰かに見られていることに気付くと、「ハッ!」として、慌てて「人間の目」に戻そうとしている。
目の細い人が身近にいたらぜひ注目してみて欲しい・・・・・・。


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「宇宙人疑惑のある人」の3つ目のタイプは、「黒目を大きくしたり小さくしたり出来る人」だ。
これは意図的にそうすることが出来るというよりは、例えば激怒している時や、爆笑している時、歓喜して躍り上がっている時など、主に興奮状態になっている時に、黒めがスーッと小さくなる傾向があるようだ。
正直、これを目の当たりにするとかなり怖い。
そしてその興奮が冷めて行くにつれて、黒目の大きさも自然と元に戻って行く。
このタイプの人は、「黒目しかない人」と違って、自分では黒目が小さくなっていることに全く気付いていないようで、興奮状態の時は、正に「宇宙人丸出し」と言えよう・・・・・・。


「宇宙人疑惑のある人」の4つ目のタイプは「つるっぱげの人」だ。
しかし、ただ「つるっぱげ」というだけでは宇宙人とは言えない。
そんなことを言い出したら、世の中のハゲている人は全て宇宙人ということになってしまう。
それではただの悪口である。


「宇宙人疑惑のあるつるっぱげの人」は、つるつるにハゲていて、なおかつ腕が人よりも長い人、もしくは手の指が人よりも長い人という特徴がある。
ただし、やっかいなのは、「宇宙人疑惑のあるつるっぱげの人」はカツラを付けていることがあるのだ。
このため見た目は女性の可能性も十分にある。
女性で腕や指が異様に長いと感じる人もマークしておくべきだろう。


ちなみにこのような人は、強風が吹き荒れている日は出歩きたがらない。
なぜならつるっぱげなので、すっぽりかぶるタイプのカツラを使用せざるを得ず、カツラを固定する所がないため、強風の時はまず間違いなく、「スポ~ン!」とカツラが飛ばされてしまうからだ。
ただし、つるつるの頭頂部に、マジックテープを貼り付けて固定している可能性もあるので、注意して観察すべきである。
強風が吹き荒れている日に出勤して来ない、ヅラ疑惑のある同僚がいたらかなり怪しいと思った方がよい・・・・・・。


「宇宙人疑惑のある人」の5つ目のタイプは、「腕を振らないで歩く人」だ。
歩行する時に腕を少しも振らずに、足だけを機械的に交互に動かして、スーッと歩いている人がたまにいる。
こういう人は宇宙人の可能性がある。


そもそも宇宙人が地球と同じくらいの重力がある星に住んでいるとは限らない。
もしかしたら、その星の重力は地球の半分もないのかもしれない。
歩く時に腕を振るというのは、バランスを取るためにすることで、地球よりも重力が少ないのなら、もはやその必要すらないのではないか。
腕を振らないで歩くということは、長年の習慣でその癖が抜けていないからではないだろうか・・・・・・。


「宇宙人疑惑のある人」の6つ目のタイプは、「腰痛の持病がある人」だ。
これは腕を振らないで歩く人と同様に重力に関係している。
宇宙人にとって地球の重力は強すぎて、腰にかなりの負担がかかっているため、慢性の腰痛になる傾向が強いということだ。
年がら年中、「腰が痛い」と言っている人が身近にいたら、マークしておくべきだろう。


じつはかく言う私も腰痛持ちで、年中腰の痛みに悩まされている。
自分が宇宙人であるという自覚は全くないが、「もしかしたら、地球の重力が合わないのかもしれないな~」と思う、今日この頃だ・・・・・・。

(画像上、草地で休憩中のアカボシゴマダラ、画像下、フェンスに絡むベニバナマメアサガオ)


2020年10月 6日 (火)

午後6時50分のドラえもん

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私が子供の頃、アニメ「ドラえもん」は、月曜日~土曜日の帯番組で、午後6時50分から10分間だけ放送されていた。
確か午後6時から始まるニュース番組から、切れ目なく移行していたように記憶している。
この帯番組は10分間番組だったので、当然1話分だけの放送だった。
ところが同年代の人にこの話をしても、「知らない」と言う人がけっこういて、「へんだな~・・・」と思っていたところ、どうやらこの午後6時50分からの10分間番組は、関東ローカルだったようだ・・・・・・。


その後、間もなくして、アニメ「ドラえもん」は、日曜日の午前8時30分からの30分番組も始まったが、そんな朝っぱらから放送されても、「日曜日ぐらいはゆっくり寝ていよう」とか、早く起きても、「日曜日は家族でお出かけ」という家が多くて、私の周りでは見ているという者は、ほとんどいなかったように思う。
そんな訳で、私は日曜日の午前8時30分からの30分番組は、放送されていたことだけは知っていたが、結局のところ1回も見たことはなかった。
そのせいか、個人的にはアニメ「ドラえもん」は、午後6時50分からの10分間番組という印象の方が、今でも強く残っている・・・・・・。


ここまでの話で、すでにお気付きのかたも多いかと思うが、当時(1979年~1980年頃)のアニメ「ドラえもん」は、月曜日~土曜日は夜の10分間番組、日曜日は朝の30分番組があったので、早い話が「毎日放送されていた」ということになり、ドラえもんファンにはなんとも贅沢な時代だったと言えるだろう・・・・・・。


ところでアニメ「ドラえもん」の放送時間で、多くの人が記憶しているのは、「毎週金曜日の午後7時からの30分番組」ではないだろうか。
なんだか、「そう、そう、そう!」と同意する声が聞こえて来るような気がする。
じつはアニメ「ドラえもん」が、この時間に放送されるようになったのは1980年の9月からで、これはそれまで日曜日の朝にやっていた30分番組を、金曜日の午後7時に移動させて来たものだった。
やっぱり日曜日の朝8時30分では視聴率が上がらなかったのだろうか・・・・・・。


ちなみにこれにともなって、月曜日~土曜日の夜に放送されていた10分間の帯番組は終了となり、後番組として「忍者ハットリくん」が始まった。
これは個人的にはとても残念だったのだが、このままだと毎週金曜日だけ、10分番組のドラえもんの直後に、30分番組のドラえもんが続けて始まるという、なんともおかしな構図となってしまうため、終了になったものと思われる・・・・・・。


アニメ「ドラえもん」の放送時間と言えば、1987年10月~1989年3月の期間だけ、午後6時50分~午後7時20分の枠へ放送時間が変更になったことがあった。
これは番組改編で、午後7時20分という中途半端な時間から、新しくニュース番組が始まったためだった。
個人的にはドラえもんが午後6時50分から始まるのを、ちょっと懐かしく感じていたのだが、中途半端な時間から始まるニュース番組であったため、視聴率が上がらなかったのか、1年ちょっとで終了し、それにともなって、ドラえもんも午後7時からの放送枠に戻されたのだった。
そしてその後は、「金曜日の夜7時はドラえもん」に固定され、そのイメージが日本全国の少年少女たちに定着して行くことになったのだった・・・・・・。


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ところが私は「ドラえもん」というと、どういう訳か、未だに午後6時50分から始まる、あの10分間の帯番組の印象が最も強く心に残っている。
じつはこの帯番組が放送されていた期間は、わずか1年半程度だった。
それなのになぜそこまで強く印象に残っているのか、自分のことながら不思議でならなかった。


そこでその理由を自分なりに色々と考えてみたのだが、まず放送が週1回とかではなく、月曜日~土曜日まで連日放送されていたということが大きかったのではないかと思う。
子供にとって、「毎日、同じ時間に見られる」というのは、やはり楽しみになるし嬉しいものだ。
それによくよく考えてみたら、こんな「連ドラ」方式のアニメって、この時の「ドラえもん」だけだったのではないだろうか。
また、午後6時50分からの10分間番組だと、野球放送のため放送がなくなるという心配がなかったのも大きいと思う。
午後7時からの放送だと、野球放送の枠とかぶるため、どうしてもシーズン中は野球放送にすり替わることが多かったのだ・・・・・・。


そしてこの帯番組が放送されていた当時、ドラえもんのオープニングソングは、なんとドラえもん本人が歌う、「ぼく ドラえもん」だった。
ドラえもん(当時の声優は大山のぶ代さん)の声やしゃべり方はとても個性的で、テレビの前の少年少女の心をグッと掴んで離さない、魅力あふれるものだった。
そしてそれは正にドラえもんの世界観そのものと言ってもよかったと思う・・・・・・。


そのドラえもんがオープニングから、「あったまテッカテーカ、さえてピッカピーカ、そぉーれがどぉしーた、ぼくドラえもん~ ♪」と、あの独特の声とイントネーションで歌い始めれば、テレビの前の子供たちはもうその瞬間に、ドラえもんの世界に一気に心を持って行かれていたと言っても過言ではないだろう・・・・・・。


そしてこの「ぼく ドラえもん」は、歌詞に「キミョウ、キテレツ、マカフシギ、キソウテンガイ、シシャゴニュウ、デマエジンソク、ラクガキムヨウ」という、まるで早口言葉のような、何かの暗号のような、謎の言葉が羅列する部分があって、当時の子供たちはなぜかそこに不思議な魅力を感じて、意味も分からないのに、必死で歌詞を覚えようとしていたものである。
別に歌詞を覚えなければいけないという決まりなんてなかったのだが、それを覚えることがドラえもんファンのスタンダードみたいなところがあったのだと思う・・・・・・。


そしてこの「ぼく ドラえもん」は、10分間の帯番組が終了すると同時に、オープニングには使われなくなった。
そして、アニメ「ドラえもん」が、金曜日の午後7時からの30分番組になってからは、「こんなこといいな、できたらいいな ♪」で始まる、「ドラえもんのうた」がオープニングに使われるようになったのだ。
恐らく多くの世代がドラえもんのオープニングソングとして認識しているのは、この「ドラえもんのうた」の方なのではないだろうか・・・・・・。


しかし、私の中では未だに、「ぼく ドラえもん」の強烈なインパクトが、頭の中にはっきりと刻まれていて、あの10分間の帯番組こそが、私にとっての「ドラえもん」であり続けているのである・・・・・・。

(画像上、猛暑の影響なのか、今年は彼岸花の開花が遅れた。画像下、こちらも猛暑の影響か、今年はアキアカネが平地に帰って来るのが遅かった・・・・・・)


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