2026年7月15日 (水)

ビン入りコーラのうわさ

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▲ビンコーラは冷蔵庫から出したら、まず、この王冠を栓抜きで抜かなければ飲むことは出来なかった。現代では、「もう、家に栓抜きなんてないよ」という家庭も少なくないのでは・・・・・・。

私が子供の頃、「コカコーラはビン入りの方が、缶入りのものより美味い」とよく言われていた。


私はコーラが苦手だったこともあって、「そんな馬鹿な・・・」と思うだけで、たいして気にもしていなかったのだが、「ファンタや他のジュースも同じだよ」と言われて、なんだかちょっと気になり始めていた・・・・・・。


そんなある日、父が家でビンビールを飲みながら、「クーーーッ!やっぱりビールはビン入りに限るな~」などと言っていた。


私は何気なく、「なんで?」と聞いた。


すると父は、「缶ビールは安っぽい味なんだよ。ビンビールは雑味がなくて美味い」と、本当に美味そうな顔をして言った。


そこまで言われたら、私もビンジュースの美味さとやらを確かめずにはいられまい・・・・・・。


私が子供の頃は、自動販売機のジュースは、もうほとんど缶入りのものに切り替わっていたが、駄菓子屋やお菓子屋の店先に置かれていた自販機には、まだビンジュースが残っていた。


私は早速、ビン入りのファンタを購入して、家の冷蔵庫に入れて冷やしておいた。


そして父がビールを飲むときに、いっしょにビンジュースを取り出して、飲んでみることにした・・・・・・。


栓抜きで栓を開け、「プシュ!」という心地いい音を聞きながら、よく冷えたファンタオレンジをコップに注ぐ。


そしてそれを慎重に一口だけ口に含んでみる。


すると確かに「あれ?」という感じがあった。


父が「ビンビールは雑味がない」と言っていた意味がなんとなく分かるような気がする・・・・・・。


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▲600ミリリットルや680ミリリットルのペットボトルが主流となっている現代からすると、ビン入りジュースの容器は細身で小ぶりに感じることだろう。でも、当時はこれが当たり前だったのだ・・・・・・。

そう、いつもと何かが違うのだ。


それが雑味ということなのか。


缶ジュースよりは確かに美味い気もする。


何なんだこれは。


もしかして、缶とビンでは中身が違うのか。


いろいろ考えてはみたが、当時はそのことをちゃんと説明出来る者は、私の周りには誰一人いなかった。


そんなこともあって、当時は本当なのか、嘘なのかよく分からない、都市伝説的な話として語られていたのを覚えている・・・・・・。


そして私が事の真相を知ったのは、なんと大人になってからだった。


メーカーの話によると、じつは缶もビンも中身は全くいっしょとのことで、味が違うように感じるのは、容器の材質の特性によるものとのことだった。


缶入りのものは、ビン入りのものに比べて、少なからず、缶の匂いが飲料に移りやすくなってしまうので、これが雑味のように感じるのだろうとのこと・・・・・・。


一方、ビンは遮光や保冷、ガスバリア性に優れている。


このため、冷えやすい、炭酸が抜けにくいなどの特性がある。


また、ビンそのものには匂いがないため、純粋に飲料の風味が感じられるようだ。


そんなわけで、「コカコーラはビン入りの方が、缶入りのものより美味い」という噂は、「確かに美味くは感じるが、中身は全くいっしょである」という、分かったような、分からないような、狐に摘ままれたような真相にたどり着いたのだった・・・・・・。


2026年7月 8日 (水)

中国のビックリ人間

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最近ではほとんど見ることがなくなってしまったが、昭和のテレビ番組では、「ビックリ人間」がしばしば特集されていた。


そんな「ビックリ人間」の常連だったのが中国人だった。


「ビックリ武術」と銘打たれた彼らは、中国河南省の嵩山(すうざん)、あの有名な少林寺の周辺に伝わる、武術少林拳の使い手だという・・・・・・。


まず、挨拶代わりに紹介されたのは指逆立ち。


手の平ではなくて指を立てて逆立ちをするという。


見ているだけで、思わず「痛ててててて・・・!」と声が出て、指が「ボキッ!」と折れそうなパフォーマンスである。


念のため、自分の指が折れていないかさすってみるが、指逆立ちをしている人を見ているだけなのだから折れるわけがない・・・・・・。


次に紹介されたのは、「石頭突き割り」。


これは読みようによっては、「いし、ずつきわり」とも、「いしあたま、つきわり」とも読むことが出来る。


さて、いったいどちらが正しいか・・・、と答えを知りたいと思うが、これについては、はっきり申し上げて、どちらでもいいと思う・・・・・・。


パフォーマンスとしては、大きな石を頭突きで割ってみせるだけである。


石を頭突きで割るということは、当然のことながら、演者の頭も石頭に違いない。


ということは、どちらも正解ということになるだろう・・・・・・。


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続けてご紹介するのは、彼らのメインイベントともいえるほどの大技である。


まず、上半身裸の1人の男性が台の上に横になる。


そして、彼の上半身の上に大きな剣山を複数セットする。


さらにその上にもう1人、上半身裸の男性が横になる。


続けて、その上(腹)に平らな石をセットする。


そして仕上げとして、もう1人の男性が巨大なハンマーで、平らな石を思いっ切りぶっ叩くのだ。


「名付けて、剣山サンドイッチ石叩き」などと、ふざけたナレーションが入っていたが、もしこれが本当ならば、笑い事ではないのは、誰が見ても明らかだった。


あまりの衝撃映像に、「血が吹き出すんじゃないかと思って、チャンネルを変えちゃったよ」という人も少なくなかったようだ・・・・・・。


最後にご紹介するのは、見るからに苦しそうなパフォーマンスだ。


まず、1人のおっさんがフレームイン。


そして台の上に準備されていたおがくずを口いっぱいに詰め込み始める。


もう、入らないだろうというくらい、おがくずを口に含んだおっさんの頬は、まるで怒ったハリセンボンのごとく、パンパンにふくらんでいてる。


何が楽しくてそんなことをしているのか、全く理解出来ない・・・・・・。


そして、おっさんが何やら自分の口を指し示していたと思ったら、驚くべきことに、おっさんの口から、モクモクと煙が立ちのぼり始める。


思わず、口いっぱいに煙草を咥えたおやじが、もうもうと煙を上げながら、煙草をふかすパフォーマンスを思い出してしまった・・・・・・。


で、おがくずのおっさんだが、クライマックスが迫っているらしく、「こっちを見ろ、こっちを見ろ」と、身振り手振りでアピールして来る。


そしてついにこのおっさん、何と口から火を吹くのである。


その様子を見ていると、口の中のおがくずは、真っ黒な燃えかすになっていく・・・・・・。


おっさんは全てのプログラムを終えたらしく、ドヤ顔で拍手を求めていたが、視聴者が感じていたのは、驚きや感動ではなく、咳き込みそうな息苦しさと、何とも後味の悪い、いや~な気分だけだった。


私は何だか無性にサイダーが飲みたくなった・・・・・・。


(画像上、斜面への、転倒、転落防止用に植えられているアジサイ・・・・・・。画像下、林縁で偶然出会ったテングタケの親子・・・・・・)



2026年7月 1日 (水)

窓付きポテトチップス

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▲カルビーポテトチップスの1975(昭和50)年発売当時のパッケージデザイン。これは復刻版なので透明な窓にはなっていないが、当時は中身が見える仕様になっていた・・・・・・。

いまでは定番のお菓子となっているカルビーのポテトチップスは、1975(昭和50)年に発売された超ロングセラー商品だ。


当時のお菓子のパッケージは、透明な窓を付けて、袋の中身を見せるのが主流だった。


これはなぜかというと、袋の中身を見せることで、どんなものが入っているのか、視覚的に分かるようにして、消費者に安心して買ってもらうことが出来るようにしていたのだ。


そしてこれは、カルビーのポテトチップスも例外ではなかった・・・・・・。


現在のパッケージでは、ポテトチップスの画像がプリントされている部分が、当時のパッケージでは透明な窓になっており、開封をしなくても中身が見える仕様になっていた。


カルビーといえば、もう1つのロングセラー、サッポロポテトもあるが、こちらも現在では画像がプリントされているパッケージ中央部分が、透明な窓になっていて、中身が見えるようになっていた。


ちなみにサッポロポテトは1972(昭和47)年の発売で、ポテトチップスよりも先輩ということになる。


また、サッポロポテトバーべQ味は1974(昭和49)年の発売で、こちらもポテトチップスより、先行して発売されている。


そして現在のような中身が見えないアルミ蒸着フィルムが初めて採用されたのは、1983(昭和58)年の「ポテトチップスルイジアナ」からで、この頃から透明フィルムのパッケージは、じょじょに見られなくなっていった・・・・・・。


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▲サッポロポテトの復刻版パッケージ。こちらも復刻版なので透明窓ではないが、当時のものは中身が見える仕様になっていた。当時は「中身が見えない商品は売れない」と思われていた・・・・・・。

では、どうして透明フィルムはなくなってしまったのだろう。


じつは透明フィルムには欠点があって、バリア性が低く、外気を通してしまうのだ。


このため油が酸化しやすく、匂いも移りやすいという問題があったのだそう・・・・・・。


そして、町にコンビニエンスストアが出現し始めたのもちょうどこの頃だった。


コンビニは24時間営業が売りだったので、商品は一日中、蛍光灯の光に当たり続けることになる。


その結果、ポテトチップスの油は酸化が進み、品質に支障を来し始める。


現実に当時は客から、「油が酸化した匂いがする」とか、「ポテトチップスと同じ袋に入れていたものに匂いが移ってしまう」といった声が寄せられていたという・・・・・・。


そこで登場したのが、アルミ蒸着フィルムだったのだ。


しかし、アルミ蒸着フィルムを使用すると、光を遮ることは出来るのだが、パッケージの中身が見えなくなってしまう。


中身は見えなくなってしまうものの、アルミ蒸着フィルムは、光や酸素、水分の侵入を、大幅にカットすることが出来た。


その結果、ポテトチップスの品質は改善されていくことになり、現在に至るというわけだ・・・・・・。


いまでは、「昭和の頃はポテトチップスのパッケージは、中身が見えたんだよ」なんて言っても、ピンと来ない人の方が多いのかもしれない。


しかし、いまこうして振り返ってみると、「あの、透明窓が付いていたパッケージは、なかなか味があってよかったよな~」と思う。


出来ることなら、復刻してもらいたいのだが、ポテトチップスのパッケージに関しては、もはやあの時代に戻ることは、もう二度とないのだろう・・・・・・。



2026年6月24日 (水)

昭和の頃によく見た光景

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▲学生の頃、よく「折り手紙」が回って来た。どうでもいいような内容ばかりだったが、いま思えば、現代のLINEやメールのような、コミュニケーション手段だったように思う。様々な折り方があったと記憶するが、画像のものが最もシンプルな形で、これが最も多かった・・・・・・。

昭和の頃、ビールの空き瓶を使って、庭に花壇を作っている家をよく見かけた。


ビールの空き瓶で、どうやって花壇を作るのかと思われるかもしれないが、そう難しく考える必要はない。


ビールの空き瓶を逆さまにして、7割ほどを土の中に埋めるだけだ。


これをぐるっと並べて囲いを作り、花壇にしていたのだ・・・・・・。


レンガやブロックを買うとなると、1つ2つでは済まないわけで、重量もあるので、持って帰って来るだけで一苦労だ。


それに何よりもお金がかかる。


それだったら、家に売るほどある、ビールの空き瓶を活用しようというわけだ。


ビールの空き瓶は軽いので扱いやすく、当時は公園や団地の花壇にもよく使われていた。


ビールの空き瓶の花壇を見なくなったのは、酒屋の衰退と缶ビールへの移行の時期とピタリと重なる・・・・・・。


昭和の頃、たばこの空き箱を利用して、小さな傘を作り、棚などに飾ってある光景をよく見かけたものだ。


たばこ店のショーケースには、2~3個必ず入っていたし、親戚や友達の家の戸棚でも見た記憶がある・・・・・・。


うちの両親はたばこを吸わなかったので、たばこの空き箱の傘とは無縁だったので、「どうやって作るんだろう?」といつも不思議に思っていたものだ。


後になって、材料はたばこの空き箱と爪楊枝と糸だけだと聞いて、たいへん驚いたのを覚えている・・・・・・。


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▲昭和の家庭では、コタツや座卓の上に、チラシで作ったゴミ箱が必ず置かれていた。ミカンの皮や消しゴムのカスなどを気軽に捨てられて、とても重宝していた・・・・・・。

新聞の折り込み広告を利用したゴミ箱を見かけたのも、ちょうどこの頃だったと思う。


ゴミ箱といっても、コタツや座卓の上に置いておく四角い箱で、ミカンの皮や用済みのメモ、鼻をかんだティッシュなどを捨てて、いっぱいになったら、そのままゴミとして捨てていた。


私は学習机ではなくて、コタツや座卓の上で宿題をやることがほとんどだったので、チラシのゴミ箱に何度消しゴムのカスを捨てたか知れない。


テーブルの上にゴミを捨てる場所があると何かと便利で、当時はよく利用させてもらっていたのを覚えている。


新聞を取る家庭が減少した現代では、チラシのゴミ箱も絶滅しつつあるのだろうか・・・・・・。


学校では折り手紙がよく回って来た。


発信者はほぼ女子で、くだらない内容の手紙ばかりだったが、小さな便せん1枚に本文を書き、それがそのまま封筒の代わりにもなってしまうという、驚きの仕様になっていた・・・・・・。


折り手紙はとにかく折り方が凝っていたので、いったいどうやって開けるのか分からず、考え込んだこともあった。


無理に引っ張ると、破いてしまいそうで、わざわざ発信者に開けてもらいに行くという、意味のない行動に出たことも何度かあった・・・・・・。


折り手紙には、オーソドックスな四角いもの以外にも、ハート形や六角形、摘まみを引っ張れば、きれいに開いて行くものまで、じつに様々な種類があった。


いま思えば、折り手紙を渡して来る女子は、手紙を読んでもらいたいというよりも、「自分はこんなに凝った美しい折り方を知っているんだ」ということを、クラスのみんなに知らしめて、自慢をしたいだけだったのではないだろうか。


LINE全盛の現代では、もうこんなアナログなコミュニケーションは、なくなってしまったのだろうか・・・・・・。


2026年6月17日 (水)

妙に疲れた1日・・・

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私は10時、12時、15時に、きっちり休憩を取れる仕事をしているわけではないので、長時間休憩を取らずに仕事をすることも少なくない。


だから休めるときにしっかり休まないといけないので、時間に余裕がある時は仮眠を取ることにしている・・・・・・。


その日、私は仕事のパートナーの里帆さんに、「〇時頃に起こしてね」と告げて眠りについた。


起こしてもらうので文句は言えないが、じつは以前、里帆さんに起こしてもらうようお願いをして、眠りについていたところ、里帆さんも机に突っ伏して眠ってしまっていたらしく、30~40分仮眠を取る予定だったのが、なんと1時間半も眠ってしまっていたことがあった・・・・・・。


だから私はちょっと心配だったのだが、その日の里帆さんはきっちりと、定刻に起こしに来た。


そして私は里帆さんに声を掛けられることになるのだが、その言葉にギョッとして目覚めることになる・・・・・・。


里帆さんは仮眠室に入って来るなりこう言ったのだ。


「ねぇ、うんこしていい?」


私は眠気が一気に吹き飛び、里帆さんに、「早く行って来なよ!」と血相を変えて言っていた・・・・・・。


すると里帆さんは、その言葉とは裏腹に、妙に落ち着いた様子で、「はい?どこへですか?」と聞いてきた。


「どこへってトイレに決まってるだろ」と言ったところ、「私べつにトイレなんて行きたくないですよ?」という。


じゃあ、何でさっき、「うんこしていい?」なんて聞いたのさと聞いたところ、「私そんなこと言ってないですよ。もう、起こしていい?って聞いたんです」というではないか。


私は里帆さんが便意に耐えながら、起こしに来たんじゃなくて本当によかったと、「ホッ」と胸を撫で下ろしていた・・・・・・。


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里帆さんは、「少し早めに起こしに来たので、時間まで休憩室に行きましょ」というので、着いて行くことにする。


里帆さんはずっとテレビを見ていたらしく、テレビが点けっぱなしになっていた。


すると里帆さん、テレビの画面を指さして、「ああ、そうそう、この娘たちすごいんですよ」という。


インタビューを受けている少女たちは、ごく普通の女の子にしか見えず、高校生と中学生といったところか・・・・・・。


そこで何がすごいのか里帆さんに尋ねると、「なんと!助平姉妹なんです~」と、信じられない答えが返って来た。


「真面目そうに見えるのに、じつはむっつりスケベなのか・・・・・・」と、ひとり言をつぶやいていたら、「何いってるんですか。助平姉妹じゃないですよ!スケボー姉妹ですよ、スケボー!」というではないか。


冷静に考えてみれば、全国放送のテレビ番組で、真っ昼間から、ただの助平な姉妹を紹介するわけがない。


そして間髪を入れずに里帆さんが、「なに残念がってるんですか」と突っ込みを入れて来たところを見ると、どうもその時の心情が顔に出ていたらしい・・・・・・。


私は自分では喜怒哀楽が顔に出る方ではないと思っていたので、少々ショックを受けていた。


私は里帆さんの、「何だか曇って来たけど雨降らないですよね?」という問いに、「う~ん」などと、生返事を返しつつ、どうやったら、その時の気分を顔に出さずに、その場をやり過ごせるかを、自分の顔を撫で回しながら考えていた・・・・・・。


すると突然里帆さんが、「あ、ヨードチンキだ!」と声を張り上げた。


私は何のことか分からず、「ヨードチンキ?」と里帆さんの顔を見た。


里帆さんは私のその様子を見て、「へ?」という顔をしていたので、「いま、ヨードチンキだって言ったよね?」と聞くと、里帆さんは笑いながら、「ちょうど天気だって言ったんです」と言いながら、テレビの天気予報を指さした。


その後、私たちは、「じゃあ、ヨードチンキって何だっけ?」という話になり、ネット検索までする羽目になったのだった。


仮眠を取ったのに、なんだかいつもより疲れた気がする・・・・・・。


(画像上、ワインレッドの印象的なアジサイの花・・・・・・。画像下、高木なので、花が咲いていることに気付きにくいが、タイサンボクも梅雨時に咲く花だ・・・・・・)



2026年6月10日 (水)

エッチな下着

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▲こちらはオリジナル(スーパーファミコン版)のドラクエⅤのパッケージ。縦長のパッケージからも分かるように、ソフトの形態はカートリッジだった。リメイク版しか知らない世代には逆に新鮮なのかもしれない・・・・・・。

「エッチな下着」はドラクエシリーズに登場する装備の中で、最もインパクトのあるネーミングで、高い知名度を誇るアイテムといえるだろう。


ちなみに「エッチな下着」は、ドラクエⅤ、Ⅵに登場している・・・・・・。


「エッチな下着」と堂々といっているにも関わらず、ドラクエの世界では、これはただの下着ではなく、れっきとした防具(鎧)という認識のようだ。


ということは、「下着っぽい形状をした鎧なのでは?」と思うかたもいるかもしれない。


現実にドラクエⅢの女戦士のイメージ画は、通称ビキニアーマーと呼ばれる、下着っぽいデザインの鎧を身につけている。


ところが、「エッチな下着」に関しては、ビキニアーマーのような金属感は微塵も感じられず、正真正銘、どこからどう見ても、露出の多い、女性用の下着なのである・・・・・・。


「エッチな下着」の見た目は、黒くセクシーな下着で、「ブラジャー」、「ショーツ」、「ガーターベルト」の3点で構成されている。


ちなみにこれは、スーパーファミコン版の構成で、リメイク版では「ガーターベルト」がなくなって、「黒のレース付きの下着」に変更になり、スケスケ感がアップした・・・・・・。


DS版のドラクエⅥの公式ガイドブックには、「黒いレースと色っぽいデザインが女性の魅力を最大限に引き立てる下着」と書かれていて、「何だよ、やっぱり下着じゃん!」と思ったかたも少なくないだろう。


一方、DS版ドラクエⅤの公式ガイドブックには、「これを着て旅をするのは、かなりの勇気が必要」という記述がある・・・・・・。


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▲こちらはオリジナル(スーパーファミコン版)ドラクエⅥのパッケージ。「Ⅴ」と同様にソフトの形態はカートリッジだった・・・・・・。

現実に作中では、外見は下着でも、あくまでもこれは防具(鎧)なので、「エッチな下着」の上に服(または鎧)を着たりすることは、出来ない仕様になっている。


このため、一度「エッチな下着」を装備してしまうと、フィールドであろうが、ダンジョンであろうが、人通りの多い町の中だろうが、お城の王様の前だろうが、ずっと、黒いセクシーな下着姿で歩き回らなければならないことになる。


一歩間違えたら、ただの変態、下手をしたら露出症の女がいると通報されてもおかしくないだろう・・・・・・。


こんな恥ずかしい格好で、あちこち連れ回されているにも関わらず、防御力1とかだったら、もはや絶縁されても文句はいえまい。


しかし、安心して欲しい。


じつは「エッチな下着」は、やっぱりただの下着ではなかったのだ。


なんと、エッチな下着の守備力は23もあり、これは「鉄の鎧」に匹敵する。


こんな布地の少ない下着のどこに、あの重たい「鉄の鎧」に匹敵する守備力が秘められているというのだろう・・・・・・。


ちなみにオリジナルのスーパーファミコン版ドラクエⅤでは、「エッチな下着」は非売品で、グランバニアの宝物として、隠し部屋に保管されている。


ちなみに前作に当たるドラクエⅣでは、グランバニアの国王は、あのパパス。


ということは、グランバニアに伝わる、「エッチな下着」の持ち主は、妻のマーサということになるのか。


それを考えると、妙な妄想に頭の中を支配されていき、何だかちょっと嫌だわ~~~・・・・・・。



2026年6月 3日 (水)

どこにしまったか忘れる・・・

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私は物をどこにしまったかよく忘れる。


忘れても思い出せればいいのだが、いくら考えても、一向に思い出せないから困ってしまう。


ちなみにこれは年齢は関係なく、若いときからずっとそうである・・・・・・。


しまった場所を忘れるのは、たいてい文房具である。


例をあげるなら、ハサミやスティックのりなどがそうである・・・・・・。


ハサミが見つからないときは、カッターでどうにか代用出来るので、まあいいのだが、スティックのりがないときは非常に困る。


封筒に封をするぐらいなら、セロハンテープで代用可能だが、書類に「コピーしたものを、のり付けして送って下さい」などと書いてあると、やっぱりのりじゃなきゃまずいと思うのだ・・・・・・。


しかし、スティックのりというのは、めったに使うことがないため、一度引き出しなどにしまい込むと、次に使うまでのスパンが非常に長い。


しょっちゅう使っていれば、しまってある場所を忘れることなんてないのだろうが、前回使ったのは3ヶ月前なんてことになって来ると、もうどこにしまったかなんて全く覚えていない・・・・・・。


運よく見つかった場合も、安心してはいられない。


ずっと使っていなかったからか、のりが乾燥してカチカチに固まってしまっていて、使い物にならないなんてことがよくある・・・・・・。


同様の理由で、しまった場所を忘れてしまう文房具に、ホチキスの種とクリップがある。


ホチキスはホチキス本体も行方不明になることがあるが、それよりも難敵なのがホチキスの種の方だ・・・・・・。


ちなみにホチキスの種は、正式には「ホチキスの針」というのだそうだ。


私は子供の頃から、ずっと「ホチキスの種」と呼んでいたので、こちらの方で話を進めさせていただくことにする・・・・・・。


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ホチキスの種が行方不明になるのは、パッケージが小さすぎることが、その要因の1つだろう。


消しゴムぐらいの大きさしかないため、他のものといっしょにしまってあると、周囲の物に埋もれてしまい、目に付かなくなってしまうのである・・・・・・。


ホチキス本体があるのに、ホチキスの種が見つからない時ほど、歯がゆいことはない。


止まるはずもないのに、書類の端っこを空のホチキスでパチンとやって、「ハァ・・・」とため息をつく経験を何度したことだろう・・・・・・。


同様の理由から、クリップも見つからない。


クリップは1ケースで買っても、せいぜい消しゴム2つ分程度の大きさで、やはり周囲の物に埋もれてしまい、どこに行ったのか分からなくなる・・・・・・。


電池もどこにやったか分からなくなる。


電池は12個パックとかで買っているので、未使用の時ほど横に長い。


これだけ長ければ、見つからないわけはないだろうと思うのだが、どういうわけか、しまってあるはずの場所をいくら探しても出て来ない。


「いやいや、そんなわけはないだろう・・・」と、ひとり言をいいつつ、引き出しの中をガチャガチャとかき回すのだが、そういうときに限って、いまは使う予定のない、ホチキスの種が出て来て、「ほら、やっぱりここに入ってんじゃん!」などと、勝ち誇ったような顔をする。


しかし、いま必要なのは電池なのだ。


電池は昭和の頃は、単1、単2など、大きなサイズの出番が多かったが、いつの間にか小さく細身の単3がメインになって、探している時に見つからない品物にランクインした。


「昭和の頃は電池がでかかったから、なくしようがなくてよかったよな~」なんて思ったりする・・・・・・。


ちなみにうちでは、今日ご紹介した、スティックのり、ホチキスの種、クリップ、電池は、必要な時に探しても出て来た例しがなく、かなりの確率で、その都度、新しいものを購入している。


その結果、どうでもいい時に、部屋のあちこちから、それらの物がザクザク出て来る。


それにも関わらず、次に探す時には、もうあったはずの場所からなくなっていて、毎回毎回、同じことを繰り返すことになるのである・・・・・・。


(画像上、独特の香りを放ちながら、シラカシの花が咲いている・・・・・・。画像下、一方、ビワはいまが果実の旬の時期になる・・・・・・)


2026年5月27日 (水)

ツナマヨのおにぎり

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▲現在では定番となっているツナマヨのおにぎりだが、昭和の発売当初は奇抜な印象で、全く売れていなかった・・・・・・。

現在ではツナマヨはコンビニおにぎりの定番になっている。


しかも、20年以上もトップの座に君臨し続けているというから驚きである・・・・・・。


ツナマヨのおにぎりが初めて世に現れたのは、1983(昭和58)年頃といわれている。


私の記憶では、セブンイレブンが最初だったのではないかと思う。


というのも、当時はいまと違って、まだまだ、コンビニの種類や店舗数が少なくて、うちの近所にはセブンイレブンしかなかったと記憶している・・・・・・。


で、当時はツナマヨのおにぎりは、斬新ではあったが、あまりにも奇抜な印象で、全く売れていなかった。


当時はツナマヨといえば、サンドイッチやサラダの具材として認知されていて、「それをおにぎりの具として使うなんて馬鹿じゃないの?」と思っている人がほとんどだった。


例えるなら、「パンに刺身をサンドして食べる」ような感覚だったのだ・・・・・・。


当時はおにぎりの具材といえば、「梅干し、鮭、昆布」といった、和風のものが定番で、しょっぱめで、保存性を重視したものが主流だった。


だからツナマヨは邪道以外の何者でもなく、売れないのは、当然といえば当然だったのである・・・・・・。


しかし、それでもコンビニでは、粘り強くツナマヨを店頭に並べ続けていた。


子供の頃の私の記憶では、商品棚にツナマヨのおにぎりだけが、たくさん残っている印象が強烈に残っているのだが、その後、ツナマヨは少しずつ売れていくことになる・・・・・・。


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▲ツナといえば「シーチキン」だが、近年は缶詰タイプだけでなく、このようなパウチのパッケージも登場した。店頭で初めてこれを目撃したとき、「うちのネコとおそろいになったな・・・」と苦笑したものだ・・・・・・。

いったいいつ頃から、ツナマヨのおにぎりが売れ始めたのかは定かではないのだが、そのきっかけを作ってくれたのは若者だったといわれている。


いつの時代も、若者はチャレンジャーであり、時にそれは流行の渦を巻き起こすことがある・・・・・・。


そして、1990年代に入ると、ツナマヨはコンビニおにぎりの定番の具材となっていく。


80年代では奇抜すぎる具材だったツナマヨが、90年代に入ると定番化し、この時代に育った世代からすると、「子供の頃からあった具材」として認知されることになる。


たったの10年なのに、何だか自分がとてつもなく年寄りになったような、とても不思議な感覚に襲われる・・・・・・。


結局のところ、私は子供の頃、一度もツナマヨのおにぎりは食べなかったように思う。


なぜかといえば、「おにぎりは鮭や昆布の方が美味い」と感じていたからだ。


私がツナマヨのおにぎりを初めて食べたのは、20代半ばになってからだったと思う。


ツナマヨはサラダとして、よく食べていたから、当然、その味は知っていたので、おにぎりをひと口かじっても、特にこれといった感想はなく、「まあ、そうだよなぁ」と、ひと言だけつぶやいたのを覚えている・・・・・・。


2026年5月20日 (水)

ビックリ人間のおっぱい

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最近ではほとんど見ることはなくなってしまったが、昭和のテレビ番組では、「ビックリ人間」がしばしば特集されていた。


そんな特番に必ず登場していたのが、「ものすごくおっぱいの大きな外国人女性」だった・・・・・・。


この、「ものすごくおっぱいの大きな外国人女性」には、2つのタイプの人がいて、1つは「ただ単におっぱいが信じられないくらい大きい人」で、このタイプの人は、何かパフォーマンスをするわけではなく、カメラの前で巨大なおっぱいをアピールするだけだった。


そして、この「おっぱいが信じられないくらい大きい人」は、年々、さらに大きなおっぱいを持つ女性を見つけて来ては、大きさを次々と更新して行くのが定番だった。


そして、私が覚えている限りでは、「スイカ4つ分」といわれていた女性が最後だったように思う。


ちなみにいうまでもないが、「スイカ4つ分」の内訳は、「おっぱいの片方ずつが、スイカを2個合わせた大きさ」という意味である・・・・・・。


そして、もう1つのタイプの人は、「大きなおっぱいでパフォーマンスをする人」で、その巨大なおっぱいを用いて、空手の瓦割りのようなパフォーマンスを次々と繰り広げていた。


例えば重ねた板5枚を、わしづかみにしたおっぱいを叩き付けて割る。


飲料の缶をおっぱいの圧で押しつぶす。


おっぱいを振り下ろしてスイカを割る・・・など、なんとも強烈な印象が残るパフォーマンスだった・・・・・・。


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というのも、おっぱいで様々なものを破壊してしまうこと自体は、確かにすごいのだが、わしづかみにして叩き付けられているおっぱいは、どこからどう見ても痛々しく、パフォーマンスの後は、真っ赤になっていたものだ。


これはどう考えても、おっぱいの使い方を間違えているとしかいいようがない・・・・・・。


このおっぱいパフォーマンスをしていた外国人女性は、「バスト推定Xカップ、重さ18kg」なんていわれていた。


そして彼女は、このおっぱいパフォーマンスで荒稼ぎをして、なんと島をまるごと1つ買ったというから驚きである・・・・・・。


ところで、この「ビックリ人間」は、ゴールデンタイムに放送されることがほとんどだった。


「子供が見ている時間帯に、こんな映像を流してもいいの?」と思われそうだが、昭和から平成初期にかけては、素っ裸の女性がテレビに登場することも少なくなかったので、「ビックリ人間」に出て来る巨乳の女性なんて、全然序の口、屁の河童だったのである・・・・・・。


それに彼女たちには、全然エロさのようなものは感じなかった。


イメージとしては、悪役の女子プロレスラーで、決してグラビアアイドルや、セクシータレントではなかったのである。


そんなわけで、「ビックリ人間」の、「ものすごくおっぱいの大きな女性」を目の当たりにした、当時の子供たちは、巨乳がトラウマになった者も少なくなかったそうだ・・・・・・。


(画像上、里山ではウツギの花が花盛り・・・・・・。画像下、遅咲きのサツキの花が見ごろになった・・・・・・)



2026年5月13日 (水)

コアラのマーチとラッコの親子

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▲「コアラのマーチ」といえば、この斬新な形のパッケージだろう。じつはこの形、ユーカリの木をイメージしたデザインなのだそう・・・・・・。

「コアラのマーチ」が発売になったのは、1984(昭和59)年3月で、いまから42年前(2026年現在)のことになる。


一般的にいって、お菓子のライフサイクルは、そのお菓子を食べ始めた子供が成人するまでの20年間といわれている。


それを考えると、「コアラのマーチ」は、かなりのロングセラーといえるだろう・・・・・・。


じつはロッテは、1980年代の初頭に、空洞型のビスケットに、チョコレートを注入する技術を、すでに確立していたのだとか。


ただ、その当時は、どのようなコンセプトの商品にするのかは、まだ決まっていなかった。


そんな折に、オーストラリアからコアラが来日するというニュースが入り、お菓子のモチーフをコアラにすることが決まったのだという・・・・・・。


「コアラのマーチ」といえば、六角形の特徴的なパッケージで有名だが、じつはこの、他では見ない斬新な形は、ユーカリの木をモチーフにしたものといわれている。


そして、「コアラのマーチ」というネーミングについては、「コアラが楽しくマーチングバンドを組んで日本にやって来る」というイメージから名付けられたのだそうだ・・・・・・。


で、そのコアラが実際に日本にやって来たのは、1984(昭和59)年10月25日のことで、多摩動物園、東山動物園、平川動物公園に、合計6頭のコアラが到着し、日本中にコアラブームが巻き起こったのだった。


「コアラのマーチ」が発売になったのは、その8ヶ月も前のことだったので、コアラブームを見越しての発売だったことになる・・・・・・。


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▲ちなみに現在のお菓子のデザインは、「自分の生年月日が入っていたらラッキー」という企画になっている・・・・・・。

じつはロッテでは、同時期に「ラッコの親子」という、コンソメ味のスナック菓子も発売していた。


こちらはあまり売れなかったのか、静かにフェードアウトして行ったのだが、個人的にはパッケージの印象が強烈で、いまでもはっきりと覚えている・・・・・・。


「コアラのマーチ」のパッケージは、デフォルメされたコアラがかわいく描かれているが、「ラッコの親子」の方は、なぜかリアル指向で、お菓子のキャラクターとしてのラッコの親子ではなく、「ザ・動物」のラッコの親子がしっかりと描かれていた。


べつにかわいくないわけではないのだが、「お菓子にリアルな動物ってどうなんだろう?」と、いまになって思ったりしている・・・・・・。


ちなみに中身のお菓子の方は、コアラのマーチを横に細長くしたようなイメージで、子供のラッコを胸に抱いた、親ラッコの姿が描かれていた。


こちらは決して「リアル」ではなかったが、いったい何の動物なのかもよく分からない、謎の生物が描かれていて、当時子供だった私は、若干の薄気味悪さを感じていたのを覚えている。


私が思うに、「ラッコの親子」が生き残れなかったのは、この「謎の生物」が原因だったような気がしている・・・・・・。



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