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2019年7月14日 (日)

岸根公園の怪談

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▲現在の篠原池の様子。木々の奥に見える三角の屋根は武道館だ。

神奈川県の横浜市に岸根公園と言う大きな公園がある。
木々が多く、桜の名所としても知られるのどかな公園である。


岸根公園は休日になると、たくさんの家族連れやジョギングをする人たちなどでにぎわっている。


平日もそこそこ人出はあって、小さな子供を連れたお母さんたちや、近隣の複数の保育園の園児たちが行列をしてお散歩を楽しんでいる。


私が子供の頃、この岸根公園にはちょっとした都市伝説があって、怪談話風にまことしやかに囁かれていた。
都市伝説の舞台は公園の北側にある「篠原池」だ。


篠原池は水鳥たちの休憩場所にもなっていて、コサギ、アオサギ、カルガモ、オナガガモ、バンなどの水鳥を始め、運が良ければ水辺の宝石、カワセミの姿も見ることが出来る。


また、カメやコイ、各種トンボも観察することが出来て、生き物たちの行動をじっと眺めていると、それだけで時間が経つのも忘れてしまうものだ・・・・・・。


都市伝説は夜に篠原池の脇の道を通った人が、池の周辺で幽霊の姿を目撃したというものだった。


Aさんは池の縁にたたずんでいる幽霊を見たとか、Bさんは池の中の葦原の中からこちらを見つめている幽霊を見たとか、Cさんは池に仰向けに浮かんでいる幽霊を見たとかいう、いわゆる幽霊の「目撃証言」が広まっていた。


当時はその話を誰かに聞かされて、確かに知ってはいたのだが、私はてっきり「学校の怪談」のようなものだろうと思っていて、たいして気にしてはいなかった・・・・・・。


そしてちょうどその頃、もっと魅力的(?)な都市伝説(詳しくは「口裂け女」のエピソードを参照)が社会現象を起こしていたこともあって、地域ローカルの篠原池の幽霊話は、子供たちの間でブームになることはなく、頭の片隅に追いやられ、他の記憶の中にじょじょに埋もれて行ったのだった。


そしてそんな話はもうとっくの昔に忘れてしまっていたのだが・・・・・・。


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▲公園西側の突端付近にある「少年野球場」のあるあたりには、当時は「高射砲陣地」があったという。

5~6年ほど前に知人から、「昔、岸根公園って米軍の基地だったの知ってる?」と聞かれたことがあった。
「米軍の基地?こんなところに?」と、私は思わず聞き返していた。


「こんな住宅地の真ん中にある公園が米軍の基地だなんて、何を言ってるんだこの人は・・・」というのが、その時の率直な感想だった。


最初は「何かの冗談だろう」と思って聞いていたのだが、真面目な顔で話す知人の様子は、とても冗談を言っているようには見えなかった。


知人によると岸根公園に米軍の基地があったのは、朝鮮戦争からベトナム戦争の頃で、当時はこの場所は「岸根公園」ではなく、周囲を有刺鉄線で囲まれており、「KISINE BARRACKS(岸根バラックス)」と呼ばれていたそうだ。


ちなみにバラックというのは兵舎のことを言う・・・・・・。


現在、公園西側の突端付近には「少年野球場」があるが、当時はこの辺りに敵機を撃ち落とすための「高射砲陣地」があったらしい。


また、基地にはヘリポートや野球場、プール、教会などがあったことも分かっている。


ちなみに公園東側にある大人用の「野球場」は、基地があった頃と位置が全く変わっていないことから、恐らくそのまま残されたのではないかとのことだった・・・・・・。


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▲この「ひょうたん原っぱ」に当時は病棟が4棟建っていたそう。

ベトナム戦争が始まると米軍は岸根基地内に「第106総合病院」を開設する。
病院は負傷者や戦死者の搬送のために必要で、急ピッチでの建設だったという。


そして驚いてしまうのは、病院の建設は当時の日本政府が担っていたそうで、4階建ての建物が4棟も建てられたという。


ちなみに当時病院が建てられたのは、現在の「ひょうたん原っぱ」がある場所だ。


ひょうたん原っぱと言えば、休日ともなるとたくさんの家族連れが訪れて、レジャーシートを広げたり、テントを立ててくつろいでいる場所である。


当時、この場所に4棟の病棟が建っていたなんて、今となってはにわかには信じられないというかたも少なくないだろう・・・・・・。


病院が出来てからは、前述のヘリポートにヘリコプターが飛来する回数が増えて行き、一日に数えきれないほどヘリがやって来ていたそうだ。


病院の用途は負傷者の治療はもちろんのこと、どうやら戦死者の受け入れもしているらしいと噂されていたという。


アメリカという国は宗教上の理由があって、基本的に戦死者は火葬をすることなく、遺体をそのまま本国へ戻すのだという。


たとえ体がバラバラになっていたとしても、遺体は綺麗に洗われて腐敗防止の処置をして、元通りに縫合してから棺に納められていたという。


このためこの話を知った当時の岸根の住人たちの間では、「篠原池は戦死者の体を洗うために使われていたので、池の水が赤く染まっていた」とか、「池に死体が浮いていることもあった」といった、事実とも噂ともとれるような都市伝説が広まっていたのだそうだ・・・・・・。


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▲篠原池に注ぐ湧き水は鉄分を多く含む土のせいで赤茶色に見える。これが血のように見えたのだろうか・・・・・・。

ちなみに当時の篠原池は現在の武道館があるあたりまであったらしく、今の倍くらいの広さだったらしい。


しかし、本当に米軍が岸根基地で戦死者の処置をしていたのかどうかは定かではない。
米軍がそんなことを日本に向けて発表するはずはなく、あくまでも噂だったようだ。


しかし、ベトナム戦争での米兵の死者数は5万6千とも言われており、当時そのような施設が必要になっていたことは確かだった。


そして、その時期と重なるように、第106総合病院は開設されている・・・・・・。


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▲公園東側の野球場は当時からそのまま残っている施設のようだ。

「今思えば」だが、私が子供の頃に聞かされた岸根公園の都市伝説は、もしかしたらただの怪談話ではなかったのかもしれない。


知人によると岸根公園の都市伝説は、「くろねこくん(私のこと)より、一回り以上うえの年齢の人たちが、子供の頃に流行った怪談話」だと言う。


恐らくその年齢の人から、たまたまその話を聞く機会があった子供がいて、その子供が「地元にこんな都市伝説があったんだって!」と友達に話し、その友達がまた別の友達に話しという感じで、自然に広まって行ったのではないかとのことだった。


しかし、冒頭でも書いた通り、当時は口裂け女の都市伝説が、テレビや新聞、週刊誌を巻き込んで社会現象を起こしていたこともあり、地域ローカルの岸根公園の都市伝説は、再ブレイクするようなことはなく、じょじょに忘れ去られて行ったのだ・・・・・・。


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▲教会が建っていたと思われるあたり。近くには下士官宿舎も建っていたそう。

しかし、岸根公園の都市伝説が他の都市伝説と決定的に違うのは、パッと湧いて出て来たようなありえない夢物語ではなく、きちんとした歴史的背景があったという点だ。


そう考えると岸根公園の都市伝説は、過去に見聞きしたどんな都市伝説や怪談話よりも、よほど信憑性があって怖い物であるということに、今さらながら気付かされる・・・・・・。


そしてもし子供の頃に、この話がブームになっていて、友達に「ちょっと本当かどうか確かめに行こうぜ!」などと誘われ、ヒョコヒョコ付いて行っていたりしたら、もしかしたら本当に怖い思いをしていたかもしれない。


そういう意味では、当時「口裂け女」の都市伝説がブームになっていて本当によかったと思う。


正に「口裂け女」様様である。


口裂け女の家がどこにあるのかは知らないが、「今晩から口裂け女に足を向けて寝られないな~」と思う今日この頃だ・・・・・・。

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