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2020年2月 9日 (日)

個性的な歩き方の人

Photo_20200208102601

世の中には、「この人、歩き方が個性的だな~」と思う人がたまにいる。


昔いっしょに仕事をしていた、年配のおじさんの「久保寺さん(仮名)」は、普段は普通の歩き方なのに、客先を訪問してオフィスに一歩足を踏み入れた途端に、急に中腰になって、お辞儀を繰り返しながら歩き出すという変なクセがあった。


そんなにヘコヘコしながら歩かれると、いっしょに歩いているこっちは恥ずかしくてしょうがない。


その様子はまるで、一昔前の漫画に出て来る「こそ泥」の歩き方のようでもあり、見ていて思わず笑ってしまいそうになる。


久保寺さんは極度の口下手なので、客と話をする時には、もっぱら私が対応していた。


ところが久保寺さんは私が客と話をしている最中に、本来は客に向かってする返事を、なぜか私に向かって、「そうだ!」とか、「〇〇〇だもんなっ!」などと、まるで合の手を入れるように、一人でブツブツ言っていて、どうにもやりにくくてしょうがなかった。


思わず、「ちょっと黙ってて下さい」と言いたいところだったが、大先輩に対してそんなことを言う訳にもいかず、ただ淡々と話を続けるしかなかった・・・・・・。


客も最初のうちは、どっちに返事をしたらいいものか迷っていたが、久保寺さんはシャイなので、客とはいっさい目を合わさず、常に私の方を見ながらしゃべっているので、客も結局は「こっちでいいのかな・・・」という感じで、私の方に向かって返事をしていた。


久保寺さんは別に悪気はないのだが、客とたまに話すとあがってしまい、タメ口で話をしている時があり、それを考えると「むしろこれでいいのかな」といつも思っていた・・・・・・。


久保寺さんの「こそ泥歩き」は重心が前にあるのだが、重心が妙に後ろ側にある歩き方をする人もいる。


一見ふんぞり返って歩いているように見えなくもないが、それとはまた違って、バランスそのものがなんだかおかしいので、見ていてかなりの違和感がある。


「後ろに傾いている」と言ったら分かりやすいだろうか。


よくあんなバランスで歩けるものだと感心する。


ところでテレビで、「傾いたまま営業している飲食店」を見たことがあるだろうか。


よく見ると建物は確かに傾いているのだが、その状態で一応は微妙なバランスを保っていて、それ以上傾いて行くことはないようだ。


後ろに傾きながら歩いている人も、きっとそんな状態なのだろう。


傾いている人にしてみたら、その歩き方で何年も普通に生活して来た訳だし、きっと自分が傾いているなんて、これっぽっちも思っていないはずだ。


「あんた傾いているよ」と誰か教えてやればいいのにと思うのだが、よっぽど親しい人でもない限りはちょっと言いづらい。


一番いいのは家族が教えてやることだが、よく考えてみれば、今まで一度もそのことを指摘されたことがないから、こんなことになってしまっているのではないか。


家族というのは他人から見ると、「みんな同じ顔をしている」と感じることも少なくなく、もしかしたら歩き方もみんな同じである可能性もなきにしもあらずである。


もしそうだとしたら、家族そろって傾いて歩いていることになり、家族でお出かけする時などは、まるで何かのパフォーマンス集団のように思われるかもしれない。


どうせならマイケルジャクソンくらい傾いて欲しい。


そこまでやってくれたら、敬意を表して、「ポーーーッ!」の一言ぐらい贈りたいと思う・・・・・・。


Photo_20200208102701

人の歩き方を大まかに分けるなら、「外股の人」と「内股の人」に分かれると思う。


自分がどちらなのか分からないという人は、靴底のすり減り具合を確認すればすぐに分かる。


靴の外側の方がすり減っている人は外股気味、逆に内側の方がすり減っている人は内股気味の歩き方の人ということになる。


ところがひとくちに外股や内股と言っても、「やや外股気味」、「やや内股気味」ぐらいの人もいれば、「ものすごい外股」の人や、「ものすごい内股」の人まで様々だ。


「ものすごい外股」の人や、「ものすごい内股」の人というのは、もうパッと見ただけで、「歩き方が極端」なことにすぐに気付く。


「ものすごい外股」の人は、後ろから来た自転車や車に足をひかれるんじゃないかと心配になるくらい、足を外側に大きく投げ出すような歩き方をする。


あれでポケットに両手を突っ込んで歩いていたら、ドカンズボンにリーゼントの、昭和の不良の歩き方そのものである。


「ものすごい内股」の人は、左右の膝や、左右のつま先が、歩いている時にぶつかるんじゃないかと心配になるくらい、足先が極端に内側をむいている。


その歩き方はまるでゼンマイ仕掛けの人形みたいでとてもぎこちない。
よくあれで普通に歩けるものだと感心してしまう。


「ものすごい外股の人」や「ものすごい内股の人」は、靴底のすり減り方もすごいことになっていて、まるで靴底が斜めにカットしてある特殊な靴のようになっている。


歩いている時はいいが、信号待ちなどで立ち止まった時、足が「ガクッ!」となって、バランスが取れずに転倒してしまうんじゃないかと心配になるのだが、不思議なことに彼らは平然と立ち止まって静止している。


フィギュアスケートの選手が、氷との接地面がほんの僅かしかないスケート靴で、普通に立つことが出来て、そのうえジャンプをしたり、スピンをしたり、片足を上げた状態で滑ったり出来るのと同じくらい不思議である。


そのような人たちを見ていると、人間というのは訓練を重ね、それが日常になって行けば、なんでも出来るようになるのだな~と思わず感心してしまう。


恐らく生物の進化というのは、最初はこのような些細なことの積み重ねだったのではないだろうか。


しかし、「ものすごい外股の人」や「ものすごい内股の人」が、いったいどこへ向かって進化しようとしているのかは全くもって謎である・・・・・・。


普段は普通の歩き方なのに、エスカレーターの前に行った途端に動きがおかしくなる人もいる。


普通にスタスタ歩いて行きながら、そのままエスカレーターに乗ってしまえばなんてことはないのだが、エスカレーターに乗るのが苦手な人はそれが出来ないのだ。


エスカレーターの直前までは普通に歩いているのに、エスカレーターを目の前にした途端、急に小刻みにステップを踏み始めるのだ。


いったいどのタイミングで、次の一歩を踏み出していいものか分からなくなるらしい。


後ろに並んで待っている人にしてみたら、「こいつはいったい何をしているんだ?」と思っているに違いない。


正に一人牛歩戦術状態といえよう。


混雑している時には後ろから押されて、「あっ!」と思っているうちにエスカレーターに乗れてしまい、結果オーライになったという話を聞いたことがある。


逆に空いている時には、誰も後ろから押してくれないので、いつまで経ってもエスカレーターに乗ることが出来ず、あきらめて隣の階段を上って行くことにしたそうだ。


子供の頃にエスカレーターに乗ることが出来ず、苦労したという人は多いかと思うが、このように大人になってからもエスカレーターに乗れず苦労している人もいるのだ。


エスカレーターの前で小刻みにステップを踏んでいる人を見かけたら、「何やってんだ!」などとイライラしないで、温かい目で見守ってあげて欲しい。


そしてその人がもし小柄な人で、自分がその人を持ち上げる自信があるなら、子供にするように背後から脇の下に手を差し入れ、「ひょい」とエスカレーターに乗せてあげて欲しい。


逆にその人が体格が良くて、どう頑張っても持ち上がりそうもない場合は、「タイミングを見て押してあげましょうか?」と声をかけてみて欲しい。


以前、「結果オーライ」になった経験のある人なら、「ぜひ!」と目を輝かせることだろう。


ただし、注意事項もあって、背後から脇の下に手を差し入れ、「ひょい」と持ち上げる場合は、事前にその人が「くすぐったがり屋」かどうかは確認するべきだろう。


そうしないと、エスカレーターの前に座り込まれてしまい、いつまで経ってもミッションを達成することは出来なくなるからだ・・・・・・。


(画像上、二月に入って里山ではマンサクの花が咲き始めた。画像下、センダンの冬芽葉痕はおサルさんの顔に似ている)


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