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2020年5月 3日 (日)

昭和の商店街

Photo_20200503091001

昔は町のあちこちに大小様々な商店街があったものだが、最近では各地で次々とその姿を消して行っているらしい。


商店街のアーケードや名前は残っていても、実際に入ってみると、ほとんどの店はシャッターが下りていて、すでに営業していなかったり、普通の民家に建て替えられて、店だった頃の面影すらなくなっている所も少なくない。


もっと言うなら、アーケードも取り払われて、そこに商店街があったことすら、分からなくなっている場所もあるくらいだ・・・・・・。


私が子供の頃は、商店街は常に暮らしの中心にあって、商店街に行けばたいていの物はそろったものである。


商店街には様々な店があって、今では全く見なくなってしまった「専門店」も多かった。


私が子供の頃によく行っていた近所の商店街は、入ってすぐのところに「乾物屋」があった。


幼い頃の私は、親から「ここは乾物屋さんだよ」と教えられて、よく意味も分からないまま、なんの疑問も抱かずに、「この店はかんぶつやと言うんだ!」と思っていたものだ。


そして私が「かんぶつや」が、「乾物屋」であることを知った頃には、確かもうここの商店街はなくなっていたように思う。


今では「乾物屋」なんて言っても、通じない人の方が多いのではないだろうか・・・・・・。


「乾物屋」というのは、読んで字のごとく、水分のない乾いた食品ばかりを置いてある店のことをいう。


具体的に言うなら、海苔や昆布、とろろ昆布などの乾燥した海藻類や、干した大根や乾燥させた芋がら、高野豆腐なども置いてあった。


また、鰹節や煮干し、干ししいたけなどの出汁に使う物、スルメやさきイカ、畳いわしなどのおつまみ類、そしてこれは魚屋とかぶって売られていたのだが、アジの開きなどの魚の干物もけっこう置いてあった。


当時、母がよく言っていたのは、「魚の干物は魚屋よりも乾物屋の方が肉厚で品物がいい」そうで、アジの開きなどを買う時は、決まって「乾物屋」で買っていたものだ・・・・・・。


そんな「乾物屋」なのだが、じつは私はここの商店街がなくなってからは、他の場所で「乾物屋」を見たことは、今のところ一度もない。


もしかしたら、あの店は私にとって、最初で最後の「乾物屋」だったのかもしれない・・・・・・。


乾物屋の隣には魚屋があった。


商店街の魚屋のいいところは、店頭にない物でも、材料さえあれば、その場ですぐに作ってくれることだ。
例えばイカの塩辛が欲しいと言えば、店頭のイカをパパっとさばいて作ってくれた。


刺身はスーパーのように初めから作って置いてある訳ではなくて、2~3点好みの魚を選んで何人前欲しいと言えば、その場で盛り合わせを作ってくれた。


また、買った魚をどんな料理に使うか伝えると、すぐに調理を始められる状態にさばいてくれたりもした・・・・・・。


釣りが趣味の人が自分で魚をさばけないからと、魚屋に釣った魚を持って来て、さばいてもらっていることもよくあった。


その時に「食べ切れないから」と、湯がいたタコを丸ごと一匹分、刺身にしたものをいただいたことがあったが、タコだけの盛り合わせだったため、異様に顎が疲れて、食べ終わった後、家族そろって放心状態だったのを覚えている・・・・・・。


当時の魚屋は現在のスーパーのように、魚をトレイに入れて、パック詰めして売っている訳ではなかった。


このため買った魚は青色のビニール袋に入れて、口の部分をキュッと縛って、そのまま渡されていた。


サケやブリの切り身などは、木を薄く削って作ってある、「経木」という、木を紙のように薄くした物に巻いてから、青いビニール袋に入れられて渡された。


経木は魚など水分の多いものを包むと、適度に水分を吸ってくれて、持って歩く時に水分が漏れて来るのを防いでくれる優れものだったのだが、最近はあまり見なくなってしまった。


今思うと、経木と青いビニール袋のセットは、魚屋以外では見たことがなくて、どうやら魚屋特有のアイテムだったような気がする・・・・・・。


また、これは個人的な印象なのだが、当時の魚屋というのはどこの店も、なぜか壁や床のタイルが青系で統一されていることが多かったと思う。


青いビニール袋と言い、やっぱり海をイメージしてそうしていたのだろうか。


個人的に長年、疑問に感じていることの一つである・・・・・・。


Photo_20200503091101

魚屋の向かい側には肉屋があった。


肉屋では豚肉、牛肉以外にも、メンチカツやコロッケなども置いてあったので、店先にはいつも客が並んでいた。


とんかつは何時ごろ取りに来るからと伝えておくと、その時間までに揚げておいてくれたので、熱々の揚げたてを持って帰ることが出来た。


このためとんかつは、会社帰りのお父さんが頼まれて、帰りに取りに来ていることもよくあったそうだ・・・・・・。


私は子供の頃、牛肉があまり好きではなくて、ほとんど食べなかったのだが、肉屋で売っている牛肉は、色が嫌に黒っぽくて、見た目からしてあまり美味そうには見えなかった。


当時は大人たちも、「冷凍してあるものをカットするから冷凍焼けして黒いんだ」みたいなことを話している人もいたのだが、じつは新鮮な牛肉というのは、切った直後は黒っぽい色をしているのだそうだ。


スーパーなどでトレイに入って売られているものは、鮮やかな赤い色をしていることが多いが、これは空気に触れて酸化して赤くなっているのだという。


だから商店街の肉屋の牛肉は、それだけ新鮮だったということなのだ・・・・・・。


ところで、「魚屋は壁や床のタイルの色が青系で統一されていることが多い」と書いたが、肉屋はなぜか暖色系のタイルで統一されていることが多かったと思う。


個人的には薄い橙色に統一されている店(特に床)を、当時はよく見かけていたのだが、みなさんはどうだろうか・・・・・・。


肉屋の隣には「鳥肉屋」があった。


素朴な疑問だが、食肉を置いている店というのは、なぜ豚肉と牛肉を置いている店と、鳥肉だけを置いている店に分かれるのだろう。


豚肉屋、牛肉屋というのはなぜかないのだ・・・・・・。


鳥肉屋で人気だったのは、なんと言っても焼き鳥である。


焼き鳥は店の右端に専用のスペースがあって、そこからいつもいい香りが漂って来ていたものだ。


夕方になると、どう見ても夕飯の買い物に来ているようには見えないおっちゃん数名が、焼き鳥を買いに来ていたり、部活帰りの学生が焼き鳥を2~3本買って、その場で食べたりもしていた。


店の人に「1本おまけね!」なんて言われて、店の前でガッツポーズをしている学生をよく見かけたものだ。


また、鳥肉屋では、もも焼きや手羽焼き、から揚げ、竜田揚げなど、家に持って帰って、皿に盛り付ければすぐに食べられるものがたくさん置いてあって、主婦に大人気だった。


また、鳥肉屋には、ポテトサラダやマカロニサラダなどの、自家製のサラダ類も充実していて、隣の肉屋のとんかつやコロッケと合わせて買って行く人も多かった。


ところで鳥肉屋というのは、なぜかどこの店も、サラダを数種類置いていることが多いのだがこれはなぜなのだろう。


個人的に疑問に感じていることの一つである・・・・・・。


鳥肉屋で納得がいかないのは、クリスマスになると、もも焼きや手羽焼きの値段が、200~300円高くなることだ。


普段売られているものと、全く同じものなのに、なぜか値段だけが高くなるのだ。


特別に何かクリスマスの飾り付けがしてあるとか、そういう訳でもないのになぜなのか。


そのおかげで、クリスマスに「もも焼き」を買ってもらえないこともあったくらいである。


親は「明日になれば安くなるから」というが、クリスマスに食べなければ意味がないといつも思っていたものだ・・・・・・。


商店街は時代の流れと共に、次々となくなって行っているというのに、なぜかこの伝統だけは脈々と受け継がれて行き、現代のスーパーでもクリスマスになると、同じような現象が起きているのは、なんとも困った話である・・・・・・。


(画像上、こんなところでハナニラの花が咲いていた。画像下、階段の隅っこで咲くタンポポの花に通る人が足を止めて行く・・・)

 

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