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2020年8月 1日 (土)

床屋のサインポールの謎

Photo_20200801085601

今では想像もつかない話だが、中世のヨーロッパでは医療は僧侶の仕事だったという。
なんと修道院が病院も兼ねていたというのだ。


修道院や病院は清潔感を重視するためか、1092年に「僧侶たるもの、身だしなみを常に綺麗に整えておかねばならない」と、ローマ法王よりお達しがあり、それをきっかけに僧侶たちはお互いの理髪を行うようになって行く。


しかし、自分たちで行う理髪にはやはり限界があったのか、修道院ではその後、外部から専属の床屋を雇うようになって行ったという・・・・・・。


床屋は普段から客のヒゲを剃ったりしているので、刃物の扱いには長けていた。


これに目を付けた僧侶は修道院で行っていた、外科手術の助手を床屋に頼むようになって行った。


外科手術を手伝う床屋は、理容技術と外科技術を兼任し、「理髪外科医」とか「床屋外科医」と呼ばれるようになって行ったそうだ。


しかし、いくら刃物の扱いに長けているとは言っても、客のヒゲを剃ることと、患者の手術をすることは、ちょっと考えても分かる通り、全く別の技術と言える。


それでいて彼らは、怪我の治療やできものの切開、時には手足の切断まで行っていたというから驚きである。


しかも彼らはもともと床屋だから、医者の資格などあろうはずがない。


いくら「助手」とは言え、「ちょっと外科手術を手伝ってよ」と言われて、「うん、いいよ~」ですべてが成立してしまうこの時代って、恐ろし過ぎやしないか・・・・・・。


1163年、そんな僧侶と床屋の関係に変化が訪れる。


ローマ法王によって、「神聖な教会の中で血を見せることは好ましくない」という趣旨のお達しがあったのだ。


これによって事実上、修道院の中では外科手術は出来なくなったことになる。


そこで僧侶は外科手術を助手の床屋に全て任せ、自分たちは内科の診療だけを行うようになって行った。


これまで助手の経験しかなかった床屋だが、「これからは外科手術は全て任せるからね」と、いきなり僧侶から言われても、全く動じることもなく、またしても、「うん、いいよ~」とふたつ返事で引き受けてしまうのがこの時代なのである。


そして床屋は修道院から独立、「理髪外科医(床屋外科医)」として歩んで行くことになる・・・・・・。


当時は「身体の悪い部分には悪い血が集まるもの」と考えられていて、「悪い血を抜くことで、身体の状態を改善させることが出来る」と考えられていた。


この治療法は「瀉血(しゃけつ)」と呼ばれていた。
で、この瀉血治療の方法がまた衝撃的なものだった・・・・・・。


Photo_20200801085701

瀉血治療ではまず、患者に「棒」を握らせて腕を固定する。


そして患部を切開し、血を抜いて行くのだが、患者に握らせている棒を伝って、血が受け皿に落ちて行く仕組みになっていたというのだ。


このため患者に握らせる棒は初めから赤く塗装されていたそうだ。


じょじょに血の色に染まって行くと、視覚的に気味が悪かったからだと思われる。


それはまるで何かの怪しい儀式のようにも見えるのだが、当時は大まじめにこんなことが信じられていたのだ。


そして瀉血治療を終えると、切開した患部には包帯を巻いて出血を止めていたというのだが、切開したのに患部を縫わなくても大丈夫だったのだろうか。


また、この当時は包帯は貴重で、使い捨てではなかったので、何回も洗濯をして再利用していたという。


そして患者に握らせる赤い棒も使った後は洗浄し、包帯といっしょに店先に干しておくのが、この当時の日常の光景だったようだ。


で、この時に風が吹いて、赤い棒に白い包帯がぐるぐると螺旋状に巻き付いていることがよくあったらしい。


そしてこれこそが、現在床屋の店先にあるサインポールの原型だったのではという説があるのだ。


しかし、床屋のサインポールは「赤、白、青」の3色である。
「青」はいったいどこに行ってしまったのだろう・・・・・・。


医学が進歩して来ると、理髪外科医の外科手術に制限が加えられるようになって来る。


そして1745年に時のジョージ2世により、「理容と外科を分離させる法令」が出される。


これがきっかけとなって、理髪店と外科病院を区別するために、理髪店は「赤、白、青」のサインポール、外科病院は「赤、白」のサインポールを掲げるように決められたのだという。


そして時代と共にいつの間にか、外科病院の「赤、白」のサインポールはなくなり、理髪店の「赤、白、青」のサインポールだけが残ったのだそうだ・・・・・・。


じつは理髪店のサインポールの由来については、この他にもいくつかの説があるのだが、どれも取って付けたような説が多く、個人的には歴史的な背景もあるこちらの説が一番信憑性が高いのではないかと思う・・・・・・。


ちなみにこのサインポールを最初に考案したのは、フランスのパリで外科医をしていた「メヤーナキール」という人物で、自身の病院に看板として掲げたのが始まりだと言われている。


1540年頃のことだったそうだ。


ちなみに「メヤーナキール」は医師から理容師になった異色の経歴を持っている・・・・・・。


理髪店のサインポールがこんなにも歴史あるものだったなんて、ちょっと意外というか、考えてもみなかったことである。


よくよく考えてみれば、床屋の店先に当たり前のように設置されているサインポールって、謎と言えば謎である。


そして私たちは謎を謎とも思わずに、「サインポールが設置されているから、ここは床屋である」とだけ理解していたのだ。


本来だったら、「いったいなんのために、こんな物が設置されているのだろう」と思うべきなのだ・・・・・・。


更に不思議なのはこのサインポールは、世界共通の「理髪店に掲げる看板」になっていることだ。


誰かが意図的に世界中に広めたという訳でもないのに、いったいどうやって世界中に拡散して行ったのだろう。


サインポールのルーツは分かったものの、まだまだこのクルクル回る3色のポールには、謎がたくさん詰まっていそうな気がしてならない・・・・・・。


(画像上、床屋の店先にあるサインポール。最近はこんなおしゃれな形のものも増えて来た。画像下、長梅雨でキノコは元気いっぱい。次々と出現するテングタケ)

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