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2020年9月24日 (木)

白黒ばあさん

Photo_20200924092401

私は小学生の頃、「増山さん(仮名)」という同級生の女の子と、毎日いっしょに帰っていた。


増山さんとは特別親しかった訳ではないのだが、クラスメートの中で私と帰る方向が一緒だったのは増山さんだけだったので、なんとなくいつの間にかそれが習慣になっていたのだ。


小学生の頃というのは、特定の女子といっしょに帰っているなんてことを周りに知られたら、たいていは冷やかして来るやつが必ずいて、翌日の教室の黒板には、大きな相合い傘が描かれていたりするものだが、どういう訳かそのようなことは一度もなかった・・・・・・。


増山さんとは学校にいる間は、必要な会話以外はほとんどしなかったのだが、なぜか帰り道ではやたらと話したいことが、頭の中に次々と浮かんで来て、時には道で立ち止まって話をしていることさえあった。


帰る方向が一緒とは言うものの、増山さんと一緒に歩いて帰れるのは、100メートルもなかったので、お互い話したいことをすべて話すには、ちょっと時間が足りなかったのだ・・・・・・。


学校の校門を出て10メートルも歩くと、目の前は交通量の多い大きな道路に阻まれていた。


これを渡るためには、目の前に見えている歩道橋を渡らなければならなかった。


そして歩道橋の階段に差し掛かる頃になると、私たちは急に歩く速度がペースダウンして、まるで別れを惜しむ恋人同士のように、ゆっくり、ゆっくりと歩いていた・・・・・・。


ところがそれと逆行するように、口の方はまるで機関銃のように高速でしゃべり続けていて、「昨日のあのテレビ番組は面白かったね」とか、「お菓子に付いているおまけを集めているが、欲しいのがなかなか当たらない」とか、「今日の給食のグラタンはいつもより美味かった気がする」とか、「同級生のSのバカさ加減には呆れてしまう」とか、「この前は鉛筆を貸してもらってどうもありがとう」とか、別にいま話さなくてもいいようなことを延々としゃべっていた。


私も増山さんも普段はどちらかというと口数が少ない方だったので、なぜ帰り道になると、こんなに次から次へと話題が生まれて来るのか、お互い不思議でならなかった。


そんなに話したいことがたくさんあるのなら、学校にいるうちにいくらでも話しておけばいいのにと思うのだが、なぜか学校ではこんな風に、頭の中に話題がポンポン浮かんで来るようなことはほとんどなかった・・・・・・。


歩道橋を真ん中あたりまで進んで来ると、私たちは道行く車を眺めながら、ついには立ち止まって話をしていた。


「お前たちは熱愛中の恋人同士か!」と一言つっこんでやりたくなる。


そしてこうしてこの場所で話をしていると、毎日必ず同じタイミングで、眼下の歩道を向こう側から、ゆっくりトボトボと歩いて来るおばあさんがいた。


このおばあさんは歩道橋の上から見ると、髪の毛が6対4ぐらいの割合で、きれいに白と黒に分かれていて、私たちはその見た目から、通称「白黒ばあさん」と呼んでいた。


そして私たちは、わざわざ「白黒ばあさん」のテーマソングまで作って、「白黒ばあさん」が現れると、いつも二人で、「しろく~ろ、ばあさ~ん ♪」などと、楽しそうに歌っていたのを覚えている・・・・・・。


Photo_20200924092501

ところでこの「白黒ばあさん」だが、いま考えると、「ちょっと不思議なばあさんだったな~」と思う。


「白黒ばあさん」はおばあさんなので、当然ゆっくりとしたペースで歩いて来る。


当時も「変わった歩き方をするおばあさんだな~」と思ってはいたのだが、いま考えるとそれは歩いているというよりも、「スーッと移動して来る」と言った方がしっくり来る感じだった。


「移動して来る」と言っても、何か乗り物に乗っているという訳ではなくて、どこからどう見ても、直立して普通に歩いているようにしか見えなかった。


しかし、どこか違和感のある妙な歩き方だったのだ。


その様子を分かりやすく例えるなら、「マイケル・ジャクソンのムーン・ウォークの前進バージョン」のような感じと言ったら分かってもらえるだろうか。


また、別の言い方をするなら、「ローラースケートのような物を履いて、誰かに後ろからゆっくりと押してもらっている」ような印象とも言える。


ただ、どちらにしても不思議なのは、ガタガタ、カクカクした感じは微塵も感じられず、まるで歩く歩道の上に立っているように、スーッとこちらへ移動して来るように見えることだった・・・・・・。


そして「白黒ばあさん」が歩道橋の下に差し掛かったのを見届けると、私たちはお互いに目で合図をして、歩道橋の階段を猛ダッシュで一気に駆け下りて行き、道路の向かい側の歩道に下り立つ。


私たちはいつの間にか、勝手に白黒ばあさんと競争するのが、毎日の習慣になっていたのだ。


階段を下りた瞬間に、白黒ばあさんの背中が目の前にあったら私たちの勝ちというルールだった。


そして息を切らしながら、「白黒ばあさん」の姿を探すのだが、そこにはすでにその姿はなくて、なんともう20~30メートルほど先まで行ってしまっているのである・・・・・・。


歩道橋の上から見ていた時には、あんなにゆっくりとしたペースで歩いていたのに、いったいいつの間にペースを速めて、あんな所まで行ってしまったのだろう。


しかし、今ここからこうして見ていても、「白黒ばあさん」の歩く速度は、歩道橋の上から眺めていた時と何ひとつ変わっていなくて、それがまたなんとも不思議でならなかった。


しかし、当時はあまり深く考えることもなく、「白黒ばあさん、スゲーーッ!」と2人で顔を見合わせて笑っているだけだった。


そして「明日は絶対に追いつこうね!」と健闘を誓いあったりしていたのだが、結局、「白黒ばあさん」に追いついたことは、小学校を卒業するまで一度もなかった・・・・・・。


しかし、今こうして大人になってから冷静に考えてみると、「白黒ばあさん、スゲーーッ!」と能天気に笑っていた自分たちに、「スゲーー、じゃねえよ!」と一言つっこんでやりたい気分でいっぱいである。


まぁ、確かに「スゲー」ことに変わりはないのだが、あのおばあさんがどんなに歩くスピードを速めたとしても、こんなに短時間のうちに、あんなに遠くまで行ける訳がないのだ。


私たちが目を離しているわずかな間に、いったい何が起きていたというのだろう。


そして「白黒ばあさん」とはいったい何者だったのだろう。


今となっては確かめようがなく、謎としか言いようがないのが残念でならない・・・・・・。


ところで小学生の頃、同級生の増山さんと、毎日いっしょに渡って帰っていたあの歩道橋だが、数年前から老朽化のため通行止めになっていて、すでに撤去が決まっているという貼り紙がしてあった。


じつは昨年になって久しぶりにこの道を通ったので、いったいいつ頃から、歩道橋が通行止めになっていたのかは定かではないのだが、撤去することが分かっていたら、「利用出来るうちに、もう一度だけ渡っておきたかったな~」と今更ながら思う。


考えてみたら、私がこの歩道橋を利用していたのは、小学校の6年間だけだったのだ。


きっと、大人になってから歩道橋の上から眺める景色は、また違ったものだったろうと思う・・・・・・。


そして昨年の3月にその姿を見たのを最後に、あの思い出の歩道橋は、いつの間にか跡形もなく消えて無くなっていた。


あんなに長く巨大なものを、いったいどうやって撤去したのだろう。


きっとあと数年もしたら、ここに歩道橋があったことなんて、人々の記憶から消えてなくなってしまうのだろう。


なんだか歩道橋といっしょに、小学生の頃の思い出も持ち去られたような気がして、とても複雑な気分だった・・・・・・。


増山さんはあの歩道橋を渡って、毎日わたしといっしょに帰っていたことを、今でもまだ覚えてくれているだろうか・・・・・・。


(画像上、今はもうない思い出の歩道橋。画像下、ふと木を見上げれば、セミたちの「生きた証」がたくさん残っていた・・・)




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