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2021年9月13日 (月)

「昭和の商店街」米屋にまつわる2つの謎

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私が子供の頃、「プラッシー」という名前のオレンジジュースがあった。


いま考えると、なんとも奇妙な話だが、プラッシーはなぜか、お米屋さんが配達してくれるジュースだった。


当時はコカコーラもファンタもバヤリースも、まだまだビン入りのものが多く見られ、プラッシーもビン入りで販売されていた。


ビン入りのジュースはお店で数本まとめて買って来るとけっこう重たくて、配達してもらえるのはとてもありがたかった・・・・・・。


前述のようにプラッシーは、お米屋さんが配達してくれるジュースだったので、米の配達を頼む時にいっしょに注文することが多かった。


しかし、米よりも先になくなることがほとんどだったので、米屋のおやじはそれを見越して、近所に配達がある時は、必ずうちに御用聞きにやって来ていたものだ。


プラッシーを注文すると、24本入りの黄色いケースで届けられ、米屋のおやじが「重たいから」と言って、冷蔵庫の脇までわざわざ運んで来てくれていたのを覚えている・・・・・・。


で、そもそもなぜプラッシーが、米屋で販売されていたのかだが、調べてみると、プラッシーの発売元の武田食品工業(当時)は、親会社が製薬会社の武田ということもあり、小売店への清涼飲料水の販売ルートを持っていなかったのだそうだ。


ところが、昭和27年に厚生省(当時)が、日本国民の栄養不足を補うため、「ビタミン強化米」の生産をメーカーに奨励。


プラッシー発売時に武田食品は、ビタミン強化米の「ポリライス」を開発販売していたため、米屋の販売ルートをすでに持っていたのだという。


更にプラッシーの販売については、米と全く無関係ではなかったらしく、主食である米に不足している栄養素を補ってもらうため、ビタミンCをプラスした飲料を販売していたということらしい。


そしてこの、「ビタミンCをプラスした」ということが、プラッシーという名前の由来となったようだ。


当時はなんの疑問も抱かずに、米屋に配達してもらっていたプラッシーに、こんな背景があったとは思ってもみないことだった・・・・・・。


また、当時は「米屋が配達してくれるプラッシー」を売りに、テレビCMも放映されていたらしいのだが、私は一度も見た記憶がない。


どんなCMだったのかぜひ一度見てみたかったものである・・・・・・。


記憶にないといえば、当時プラッシーは米屋で販売されている特殊なジュースということもあってか、「じつはプラッシーには、米のとぎ汁が使用されている」なんていう都市伝説があったのだそうだ。


当時は「都市伝説」という言葉自体がまだなかったので、単なる噂話として世間に広まっていたようだ。


それにしても、米屋で売っている米は、別に研いだものを売っている訳ではないのだ。
いったいどこから、そんな話が湧いて出て来たのか、はなはだ疑問である・・・・・・。


そんなプラッシーだが、当時はどこの家に行っても、必ず冷蔵庫に入っている定番の飲み物だった。


友達の家に遊びに行くと、決まってよく冷えたプラッシーが出て来て、栓抜きで「プシュッ!」と栓を抜いて、コップに注いでもらっていたのをよく覚えている・・・・・・。


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私が子供の頃、米屋はなぜか、灯油の販売、配達もしていた。


当時は灯油の移動販売の車も、町内を巡回しに来ていたが、正直いつ来るかも分からない移動販売の車を、まだかまだかと待つよりも、米屋に注文の電話を1本入れた方が、よっぽどストレスもなく早かった。


注文を入れた後は、玄関に空になったポリタンクを出しておけば、いつの間にかやって来て、灯油を満タンにして置いて行ってくれた。


ちなみにお代は、次回米を注文する時にいっしょに払えばいいことになっていたのだ・・・・・・。


ところで、当時は何の疑問も抱かなかったが、なぜ米屋で米とはなんの関係もない、灯油の販売をしていたのだろうか。


いま考えると、なんとも不思議な話である。


で、ちょっと調べてみたところ、じつはこれ、昔の日本人の生活様式が関係していたようなのだ。


昔は電気炊飯器なんてなかったので、ご飯は羽釜をかまどに掛けて、薪を使って炊いていた。


このため、米を炊くための燃料(薪)も、米屋が米といっしょに販売していたのだという。


時代と共に、かまどがなくなり、薪が使われなくなってからも、燃料は炭や練炭などへ引き継がれ販売は続けられた。


そして更に時代が進むと、炭や練炭も使われなくなり、燃料販売は灯油に切り替わる。


もはや米とはなんの関係もなくなってしまったが、重たい灯油を電話1本で届けてくれるシステムは、灯油ストーブ全盛のあの頃には、とてもありがたかったものだ。


それにしても、米屋で灯油を販売していたことの由来が、かまどで米を炊いていた時代の燃料にあったなんて、なんとも驚きである。


そしてそのことを、数十年の時を経てから知ることになろうとは、当時は全く思ってもみなかったことで、これもまた驚きなのである・・・・・・。


(画像上、樹液酒場にやって来たコムラサキ。画像下、草地で咲き誇るヒメジョオンの花)
 

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コメント

プラッシーだけでなく、コーラ、トマトジュース、マリンカ、サイダー等が有りましたよー。

当時は、コンビニのようなものでトイレの紙、こめ油,醬油、インスタントラーメン等なんかも販売していましたね。

薬局にも化粧品や生活用品なんかがちょこっと置いてありました。
こういうところから、
コンビニやドラックストアの発想が生まれたのかもしれませんね。

プラッシー以外ではファンタとコーラだけは覚えてます。

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