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2023年5月 6日 (土)

ファミコン専門誌

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▲「ファミリーコンピューターMagazine」は、ゲームの攻略記事がとても充実している雑誌だった。そして画像のような攻略本サイズの付録がよく付いて来ていた。この付録を目当てにファミマガを買っていたという人も少なくないはずだ・・・・・・。

インターネットがまだなかった時代、ゲームソフトの情報提供は雑誌の役割だった。


当初、コンピューターゲームの主流はパソコンだったが、1983(昭和58)年7月15日にファミコンが発売になったことで、その流れは大きく変わっていった。


特に1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこれを契機に、いわゆる「ファミコン専門誌」が次々と創刊されていくことになった。


今では考えられない話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が出版各社から発売になっていたのである・・・・・・。


1985(昭和60)年7月、日本初のファミコン専門誌として誕生したのが、「ファミリーコンピューターMagazine」だった。


「ファミリーコンピューターMagazine」を刊行した徳間書店は、当時、任天堂から発売になるゲームソフトの、取扱説明書の編集も任されていた。


また、任天堂はファミコンソフトの攻略法や楽しみ方を解説する書籍、いわゆる「攻略本」の出版委託契約を徳間書店と結んでいた。


当時はゲームの攻略本を買うと、徳間書店刊行のものがやたらと多かったのだが、どうやらそのような理由があったからのようだ。


そんなこともあって、「ファミリーコンピューターMagazine」は、ゲームの攻略記事がとても充実している雑誌だった・・・・・・。


そんな「ファミリーコンピューターMagazine」だったのだが、「ファミコン通信」にじょじょにシェアを奪われて行き、1998(平成10)年3月発売の5.6月合併号をもって、ついに休刊となってしまった。


余談だが休刊前に一時ファミマガは、NINTENDO64のゲームを中心に取り扱った、「ファミマガ64」に誌名を変更していた時期があった。


しかし、当時の任天堂は誰が見ても迷走中で、NINTENDO64そのものがヒットしなかった。


結果的にこれに付き合わされる形となり、ファミマガは休刊へと追い込まれることになったのだった。


正にタッグを組む相手を間違えたとしか言いようがない休刊劇だったといえよう・・・・・・。


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▲当初、「ファミコン通信」の表紙には、マスコットキャラクターの「ネッキー」が毎号のように登場していた。しかし、時代の流れと共に、アイドルが表紙になったり、ゲームのキャラクターが表紙なったりするようになり、その存在感はじょじょに薄れて行った・・・・・・。

1986(昭和61)年6月には、「ファミコン通信(アスキー)」が創刊された。


ちなみにこのファミコン通信、現在では「ファミ通」に誌名が変わっているが、現在も生き残っている唯一の「家庭用コンピューターゲーム専門誌」ということになる。


そしてファミ通のすごいところは、誌名を短縮したものの、未だに「ファミコン」の名前を残してくれていることだろう。


前述のように「ファミ通」は、創刊から2000年3月までは、アスキーから発売になっていた。


しかし、その後いろいろあって、現在の発売元はKADOKAWAということになっている。


ちなみにKADOKAWAといえば、昭和の頃はライバル誌の「マル勝ファミコン」を発売していた会社である。


そしてその「マル勝ファミコン」は、時代の流れに逆らえず、1997(平成9)年に休刊に追い込まれている。


当時「マル勝ファミコン」の編集部で働いていた人たちは、こんな皮肉な未来がやって来ようなどとは、きっと思ってもみなかっただろう。


じつは「ファミ通」に関しては、いろいろと感慨深い思い出があるので、いずれまた単独のエピソードとして書いてみたいと思っている・・・・・・。


「ファミコン通信」と同じ年に、「ファミコン必勝本」も誕生している。


「ファミコン必勝本」はJICC出版局、現在の宝島社が発売するファミコン誌だった。


じつはこの雑誌の前身は、別冊宝島シリーズ「ファミリーコンピューター必勝本」というムック本だったのだそうだ。


ムック本といえば、宝島社の代名詞と言っても過言ではなく、いま考えれば「なるほどな」と思う。


で、「ファミコン必勝本」で驚いてしまうのは、なんとオールカラーの誌面にも関わらず、250円という低価格であったことだろう。


これは当時の小中学生にとっては、とてもありがたい価格設定であったに違いない。


そんな「ファミコン必勝本」だったのだが、時代の流れには逆らえず、1998(平成10)年5月1.15日合併号をもって休刊となってしまった・・・・・・。


「ファミコン通信」のところでも、ちょっとご紹介しているが、1986(昭和61)年4月には「マル勝ファミコン(角川書店)」が創刊されている。


「マル勝ファミコン」は、ファミコン専門誌が発売される以前からあった、パソコンゲームの専門誌、「コンプティーク」の1コーナーから独立して誕生した雑誌だった。


じつはこのような形で誕生したファミコン専門誌は、「マル勝ファミコン」だけではなく、あの「ファミコン通信」も「ログイン」というパソコンゲーム専門誌の1コーナーが独立して創刊されたものだった。


「マル勝ファミコン」は、1990(平成2)年11月にスーパーファミコンが発売になると、1991(平成3)年4月に誌名を「マル勝スーパーファミコン」に変更している。


さらに1996(平成8)年にも誌名を変更しているのだが、この時の誌名は誰もが首をかしげる「マル勝ゲーム少年」だった。


当時この雑誌を実際に手に取った人は、きっと「こんな誌名じゃ、絶対売れねぇ・・・」と思っていたはずだ。


なぜなら誰が見ても、「やっちまった感」が半端なかったからである。


そしてその予想通り、「マル勝ファミコン」は、1997(平成9)年に休刊することとなったのだった・・・・・・。


今回ご紹介したファミコン専門誌は、当時はどこの書店にも置いてあるようなメジャーな4誌だった。


しかし、ネタとして本当に面白いのは、じつは「メジャーではなかった方」なのだ。


そんな訳でそちらの方も、そのうちご紹介してみたいと思っている・・・・・・。


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