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2023年6月

2023年6月29日 (木)

定番なのに現実には使わないセリフ

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人は恐怖に直面すると、「キャ~~~~~!」と悲鳴を上げるイメージがある。


例えば暗い夜道を若い女性が1人で歩いている時、後ろから何者かが一定の距離をキープしながらつけて来るシーン。


恐怖に耐えられなくなって女性が走り出すと、それを追って相手も走り出す。


そして女性が転んで後ろを振り返ると、そこには刃物を振りかざし、いまにも襲い掛かろうとしている男の姿が・・・・・・。


また、夜中に身体に異変を感じて目覚めると、金縛りにあって身動きがとれなくなっていることに気付く。


とりあえず、目は動かせるので、部屋の中をぐるりと見回すと、床の上をゆっくりと這いながら、こちらへ向かって近付いて来る、白装束の髪の長い女の姿が。


なんとかこの場から逃げ出そうと、手足をバタつかせ、身体を必死に動かそうとするが、自分の意思に反して身体が全く動かない。


「もうダメだ。夢であってくれ!」と祈りながらギュッと目を閉じると、こちらの予想に反して何も起きる気配がない。


そこでゆっくりと目を開くと、自分の顔をじっと覗き込む、青白い女の幽霊の顔が目の前に現れるのだ。


そして、このようなシーンでは、どちらもクライマックスは女性の「キャ~~~~~!」という叫び声で締めくくられることが多い・・・・・・。


しかし、ちょっと待って欲しい。


冷静に考えてみると、これってどこか不自然に感じないだろうか。


もし、自分がそのような状況に追い込まれたとして、あなたははたして、「キャ~~~~~!」などという叫び声を上げたりするだろうか。


「そんなこと、そうなってみなけりゃ分からないよ」と思われるかもしれない・・・・・・。


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それでは質問を変えよう。


そのような絶体絶命のピンチにあなたは、「キャ~~~~~!」などという叫び声を上げる自信があるだろうか。


人間というのは真の恐怖に直面した場合、声は出せないものである。


仮に出せたとしても、それは「ヒッ・・・!」とか「ハッ・・・!」という、息を呑む瞬間に思わず出てしまった声なのではないだろうか。


では、あの「キャ~~~~~!」はいったいなんなのかというと、「恐怖を演出するためのセリフである」としか言いようがない。


きっとこれは、ドラマやアニメ、漫画の世界から生まれた手法だったのではないかと私は思う・・・・・・。


現実にドラマやアニメ、漫画の世界では、ちょっと驚いたぐらいの場面でも、「キャ~~~~~!」が使われているのだが、現実の世界ではそんな大げさな驚き方をする人は見たことがない。


それに意識的に「キャ~~~~~!」を使ってみようと思っても、実際に自分が言うとなると、周りの目が気になって、これがかなり恥ずかしい。


そしてそんな大声を出すこと自体、かなり勇気がいるということに気付かされるはずだ。


だからもし、自分が絶体絶命のピンチに陥ったとしても、「キャ~~~~~!」と悲鳴を上げれば、きっと誰かが助けに来てくれるなんて思わない方がいい。


「あっちにへんなやつがいるから近づかない方がいい」と思われるのがオチである。


あれはあくまでも、恐怖を演出するためのセリフなのである。


そこにリアリティは微塵もないのだ・・・・・・。


そしてこのようなセリフは、「キャ~~~~~!」だけではない。


じつは探して見るとけっこうあるものなのだ。


例えばちょっと色っぽい場面で使われることの多い、「いや~ん」などがそうである。


例えばギャグマンガでは、ヒロインの女の子が何かの拍子に転倒して、パンツが丸見えになってしまい、スカートを押さえながら、「いや~ん」などと言ったりする。


また、ドラマではハゲたじじいが、キャバクラで店の女の子に、「〇〇ちゃん、おっぱい大きいねぇ」などと、胸を凝視しながら話しかけ、〇〇ちゃんがその大きな胸を手で隠しながら、「いや~ん」と返したりするのが定番である。


しかし、現実には「いや~ん」なんてセリフを吐く女の子はまずいないだろう。


また、「いや~ん」に続くセリフに、「ばか~ん」もあるが、これを続けて口に出してみると非常にバカっぽい。


もしそんなことを口走ってしまったら、「自分は大バカ者です」と言っているようなものである。


ドラマやアニメ、漫画の世界では、ごくごく日常的に使われているセリフだから、それが現実なのだろうと勝手に勘違いをして、うっかり使ってしまったりすると大変なことになるので注意が必要である・・・・・・。


(画像上、林床にギンリョウソウが現れた。画像下、斜面への転倒防止に植えられているアジサイが見ごろになった・・・・・・)


2023年6月23日 (金)

給食との格闘

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▲私が小学生の頃は、基本はパン食だったので、箸が付いて来ることはまずなく、画像のような先割れスプーンが毎回必ず付いて来ていた。このため、たまに出るソフト麺やご飯を食べる時も、この先割れスプーンを使っていた・・・・・・。

私が小学生の頃、給食に出ていたヨーグルトはビン入りだった。


牛乳は紙パックの三角牛乳だったのに、ヨーグルトに限ってなぜビン入りだったのか、いま考えるとちょっと疑問に感じる。


そしてそのヨーグルトの容器に使われていたビンは、寸胴で口がキュッと先細りになっていて、ちょうど牛乳ビンの上部だけを、バッサリとカットしたような形をしていた。


で、このビン入りヨーグルト、子供たちには人気のメニューだったのだが、1つ難点があって、前述のようにビンの口が先細りになっていたため、とても食べづらかったのだ。


というのも、当時給食に必ず付いて来ていた先割れスプーンは、まるでカレースプーンのような大きさのスプーンだった。


牛乳ビンの口にカレースプーンを入れることを想像してもらえば分かると思うが、サイズ的にはギリギリだったのだ。


しかもヨーグルトのビンは上部がキュッと狭くなった形をしていたので、大きなスプーンでは中のヨーグルトをすくいづらく、そのことがとてもストレスになっていた。


特にビンの首の部分に貼り付いているヨーグルトは、スプーンをどう使っても、かき取ることが出来ず、ビンを逆さにしてみたり、振ってみたりして、なんとかきれいに食べられないものか、ビンと格闘している者が教室のあちこちにいた。


そんな風に、食べるのに一苦労のヨーグルトだったのだが、休みの者がいれば、じゃんけんによる争奪戦が展開されていた。


しかし、見事勝利しても、次の瞬間には再びヨーグルトのビンと格闘を始めなければならず、じゃんけんに勝ったにもかかわらず、ヨーグルトのビンを握りしめながら、大きなため息を吐いていたものである・・・・・・。


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▲給食にはマーガリンやバター、チーズ、ジャムなどがしばしば付いて来ていた。ジャムだけは袋入りになっていたが、その他のものは、四角い銀紙に包まれているだけだった。どうでもいいが、画像のように食パンが3枚も付いて来ることはなかった・・・・・・。

私が小学生の頃は、給食はパン食だったので、マーガリンやバターがしばしば付いて来ていた。


給食に付いて来るマーガリンやバターは1回分の量を小さなブロック状に固めてあり、それを銀色の紙できれいに包んであった。


こんな風に個別に小さく包装されているマーガリンやバターは、店で売っているところは一度も見たことがなかったので、あれは給食専用に開発されたものだったのだろう。


で、このマーガリンやバターだが、ただ専用の銀紙に包んであっただけなので、子供にはとても扱いづらいものだった。


開封するにしても、ミシン目などが入っていた訳ではなく、銀色の包装紙の接着部分を、爪でカリカリしながら、剥がして行くしか方法がなかった。


で、接着部分を剥がして、折り畳まれている包装紙をゆっくりと開いて行くのだが、当然のことながらその構造上、内側ほど包装紙はベタベタになっており、全部開き切る頃には、自分の手にもマーガリンやバターが付着し、手がベタベタになってしまっていた。


そうは言っても、これはもはや毎度のことで、半分は諦めていたものの、これにはみんなストレスを感じていたものである。


そんな中、バカな男子は、「マーガリンは食べられるし、ハンドクリームになるし、いい匂いもするんだぜ~」などと言って、テカテカになった自分の手を女子に見せびらかしていたが、そんなものを見せられたところで、「よかったね・・・」と苦笑するのが精一杯である・・・・・・。


ところで給食に出ていたマーガリンやバターには、それとはまた別の問題もあった。


夏は通常よりも軟らかく、冬は通常よりも硬くなってしまっていたのだ。


別の言い方をするなら、夏はドロドロ、冬はカチカチだったのである。


気温の高い夏はマーガリンやバターは、ちょっと触っただけでグニャグニャになっていることがすぐに分かり、開封の際に手がベタベタになることは容易に想像することが出来た。


手に伝わって来るグニャグニャした感触を噛みしめながら、「うわ~・・・」などと顔をしかめながら、開封作業を進めていたことを、いまでもはっきりと覚えている。


高温でマーガリンやバターが溶けているため、パンに塗りやすいことが、唯一の利点だったといえるだろう。


その反対に冬はマーガリンやバターは、これでもかというくらいカチカチになっていた。


暖かい季節のように、手がベタベタにならないのはよかったのだが、今度はあまりに硬すぎて、パンに塗れないという問題が生じていた。


真冬なんてパンに塗ることを諦めて、そのままかじって、パンと交互に食べている者もいたくらいだ・・・・・・。


さすがに今はもう、あのようなシンプルな包装のマーガリンやバターはないと思う。


そんな訳で、あの手がベタベタになるマーガリンやバターは、いったいいつ頃まで現役だったのか、個人的にはちょっと気になっているところだ・・・・・・。


2023年6月17日 (土)

「ゲームボーイ」という名のファミコン専門誌

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▲任天堂から携帯用ゲーム機の「ゲームボーイ」が発売になったのは、1989(昭和64/平成元)年4月のことだった。画像は初代のゲームボーイで、後発の機種に比べるとかなり大きく厚みがあった・・・・・・。

インターネットがまだなかった時代、ゲームソフトの情報提供は雑誌の役割だった。


当初、コンピューターゲームの主役はパソコンだったが、1983(昭和58)年7月15日にファミコンが発売になったことで、その流れは大きく変わって行った。


特に1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこれを契機にファミコン専門誌が次々と創刊されて行くことになったのである。


いまでは考えられない話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が出版各社から発売になっていた。


そんなファミコン専門誌だったのだが、現在でも発売されているのはわずか1誌だけで、他は全て休刊になってしまっている。


あの時代を知っている者としては、なんとも寂しい限りである・・・・・・。


で、今回は当時発売されていたファミコン専門誌の中から、あえてメジャーとはいえなかったものを選んで、面白いエピソードをご紹介してみたいと思っている。


日本初のファミコン専門誌、「ファミリーコンピューターMagazine(徳間書店刊)」が発売になったのは、1985(昭和60)年7月のことだった。


そしてこの年の12月、それを追いかけるようにして、「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」という雑誌が発売になった。


ちなみにこの雑誌、「ゲームボーイ」とはいうものの、創刊当時に扱っていた情報は、あくまでもファミコンのゲームソフトについてだった。


それもそのはず、「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」が創刊された当時は、「任天堂の携帯用ゲーム機のゲームボーイ」はまだ発売されていなかった。


ちなみに任天堂から携帯用ゲーム機のゲームボーイが発売になったのは、1989(昭和64/平成元)年4月のことで、「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」の創刊から、じつに3年4ヶ月後のことだったのだ。


ということは、もはやいうまでもないが、「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」という誌名は、特定のゲーム機のことを指しているのではなくて、単純に「ゲーム少年」という、そのまんまの意味だったということになる。


いま考えれば、誌名に「ファミコン」の文字は一切なく、なんとも斬新なネーミングの雑誌だったといえるだろう・・・・・・。


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▲ゲームボーイ(マガジンボックス刊)では、ライバル誌のファミコン通信(↑)の人気企画「ガバス」を集めて、ファミコン通信編集部に、編集者が自ら出向いて景品をもらいに行くという、ぶっとんだ企画もやっていた・・・・・・。

ところで任天堂は、携帯用ゲーム機の「ゲームボーイ」を発売する際に、ゲームボーイというファミコン専門誌がすでに存在していることは、さすがに知っていただろう。


なにしろ任天堂のファミコンのゲームを紹介してくれている雑誌なのだ。


知らない訳がないだろう。


それにも関わらず任天堂は、自社の携帯用ゲーム機に、ゲームボーイという名前を付けたことになる訳だ。


普通だったら、トラブルを避けるという意味でも、他の名前の候補に変更することを検討すると思うのだが、結局任天堂は最終的にゲームボーイという名前に決定している。


いまとなっては、そのことを知る者はもうほとんどいないが、当時のゲーム業界には、任天堂の携帯用ゲーム機が登場する以前から、「ゲームボーイ」はすでに存在していたのだ。


そしてその「元祖ゲームボーイ」はゲーム機などではなくて、当時まるで雨後の筍のごとく創刊されていた、ファミコン専門誌の1つだったのである・・・・・・。


ところで、この「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」という雑誌だが、「誌面にそんな広告出してもいいの?」と思うような、かなりアウトローな商品を取り扱う、怪しい業者の広告を堂々と出していることでも知られていた。


例えば聞いたこともないような、ゲームソフトの買取業者の広告だったり、コピーツールの通販業者の広告を、毎号、当たり前のように掲載していた。


これらはメジャーなファミコン専門誌では、全く見ることのない広告だったので、ファミコン専門誌としてはかなり異彩を放っていたといえるだろう・・・・・・。


また、ゲームボーイ(マガジンボックス刊)では、新作ゲームの紹介記事以外にも、ライバル誌の「ファミコン通信」の人気企画でもあった「ガバス」を読者から広く募り、ファミコン通信の編集部に編集者がわざわざ出向いて、景品をもらいに行くという攻めた企画もやっていた。


ちなみに「ガバス」とは、お便りが採用されると貰える、ポイント付きのチケットのようなもので、一定のポイントのガバスを編集部に送ることで、希望の商品と交換することが出来た。


きっと、ファミコン通信の編集者たちも、「そんなことする~?」と驚いたに違いない。

 

ファミ通は現在も発売されている、唯一の「家庭用コンピューターゲーム専門誌」だが、編集者の世代交代も進み、きっと当時のことを知っている人はもう誰もいないだろう。


だからこんなことがあったということをリアルに知っている者は、もう当時の読者だけになってしまっているはずだ。


雑誌を作っている編集部の人間よりも、読者の方がその歴史に詳しいなんて、なんだか妙な話である・・・・・・。


そんな「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」だったのだが、時代の流れには逆らえず、1994(平成6)年に休刊になってしまったのだった・・・・・・。


2023年6月11日 (日)

カルピスソーダ

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▲じつは缶入りのカルピスソーダは現在でも売られている。しかし、そのデザインは昭和の発売当初のものとは、ずいぶん変わってしまった・・・・・・。

カルピスソーダが発売になったのは、1973(昭和48)年8月のことだった。


ただし、この時は首都圏限定の発売で、その翌年から全国発売が開始された。


ちなみに当時はペットボトルはまだなかったので、細身の250ml缶での発売だった。


当時の缶のデザインはとてもシンプルで、白地の缶の上部に赤い文字で、「カルピスソーダ」と書かれていて、そこから下は青い水玉模様が散りばめられていた。


一定の年齢以上のかたなら、この缶はお馴染みのデザインだと思うのだが、ペットボトルが主流となった現在では、缶入りのカルピスソーダはほとんど見かけることがなくなってしまった・・・・・・。


ところで缶入り、またはペットボトル入りのカルピスといえば、まずは「カルピスウォーター」を思い浮かべる人が多いと思う。


ところが当時はまだ、カルピスウォーターは発売されていなかった。


意外に思われるかたも少なくないと思うが、カルピスウォーターよりも、カルピスソーダの方が発売は先になるのだ。


じつは発売元のアサヒ飲料も、当初はカルピスウォーターを発売しようと考えていたようなのだが、当時の技術ではカルピスを単純に水で割っただけでは長期保存がきかず、品質が劣化してしまうことが分かり、やむなく炭酸飲料として発売することになったらしい。


当時は「白くはじけるカルピスソーダ」のキャッチコピーにもあるように、「カルピスを炭酸で割るとはなんて斬新な発想なんだ!」と、ただただ感動している人が多かったそうだ。


しかし、カルピスソーダの誕生にそんな秘密が隠されていたなんて、当時は誰も知る由もなかったのである。


そして自動販売機の普及と共にカルピスソーダは、「戸外で気軽に飲めるカルピス」として、順調に売り上げを伸ばして行くことになるのだった・・・・・・。


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▲カルピスソーダは、昭和の発売当初、このようなシンプルなデザインだった。そして当時はじつに様々な味のバリエーションがあって、味ごとに水玉模様の色が変えられていて、とてもカラフルなことになっていた・・・・・・。

ところで昭和の頃、カルピスソーダには様々な味のバリエーションがあったのをご存じだろうか。


最初に発売された味のバリエーションは、オレンジ、グレープ、グレープフルーツで、1979(昭和54)年のことだった。


そしてその3年後の1982(昭和57)年にはプラム味が発売になる。


この時はまだ細身の250ml缶での発売だった。


そしてその翌年の1983(昭和58)年には、カルピスソーダに300ml缶が登場し、このタイミングでメロンフルーツパンチ味が発売になる。


そして1987(昭和62)年には、いちご、メロン、青りんごと、一気に3種類がラインナップに加わった。


そして1989(昭和64/平成元)年には、カルピスソーダにも350ml缶が登場し、コーラ、グレープ、イチゴ、メロン、オレンジにラインナップが一新される。


さらに1991(平成3)年にはアセロラブームがあって、アセロラ味も発売になっている。


ちなみにカルピスウォーターが発売になったのはちょうどこの年で、カルピスソーダの発売からじつに18年後のことだった・・・・・・。


このように当時は様々な味のバリエーションがあったカルピスソーダなのだが、個人的には味そのものよりも、とてもカラフルなことになっていた、缶のビジュアルの方が強く印象に残っている。


私が特に印象に残っているデザインは細身の250ml缶の頃のものだ。


冒頭でも書いた通り、当時の缶のデザインはとてもシンプルで、白地の缶の上部に赤い文字で「カルピスソーダ」と書かれていて、そこから下は青い水玉模様が散りばめられていた。


そしてこの当時のカルピスソーダには、4種類の味のバリエーションがあって、缶のデザインは全て同じだったが、それぞれカラーリングが変えられていた。


オレンジは缶の上部に書かれた「カルピスソーダ」の文字は青色で、その下に散りばめられている水玉模様は橙色。


グレープは「カルピスソーダ」の文字は緑色で水玉模様は紫色。


グレープフルーツは「カルピスソーダ」の文字は赤色で水玉模様は緑色。


プラムは「カルピスソーダ」の文字は青色で水玉模様は赤色だった。


そして当時のCMではノーマルを含めた5本の缶が並べられたカットが挿入され、その様子はとてもカラフルで、目に映えていたのをいまでもはっきりと覚えている。


今から40年も前に放映されていたCMを未だに覚えているのだから、私にとってあの缶のデザインやカラーリングは、よほど印象的だったのだろう。


ちなみにCM本編には女性アイドルが出演して、笑顔を振りまいていたと思うのだが、それが誰だったのかは、いくら考えても思い出せない。


「普通は逆だろう」と言われそうだが、こればっかりはどうしようもない・・・・・・。



2023年6月 5日 (月)

ネズミ捕り器とドラえもん

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▲自宅の廊下でネズミと遭遇し、パニックになったドラえもん。四次元ポケットから取り出したのは、なんと「地球破壊爆弾」だった。未来の世界ではこんなものが市販されているのだろうか・・・・・・。

ドラえもんは大のネズミ嫌いだ。


しかも、ただネズミが嫌いというだけではなく、ネズミが現れると冷静な判断が出来なくなり、部屋の中でマシンガンをぶっ放したりしてしまう。


てんとう虫コミックス第7巻に収録されている、「ネズミとばくだん」というエピソードでは、のび太には戦車を一発で吹き飛ばす「ジャンボ・ガン」、ママには一瞬で鉄筋のビルを煙にしてしまう「熱線銃」を持たせて、ネズミに対抗しようとしている。


どうでもいいが、未来の世界では銃刀法は廃止になったのだろうか・・・・・・。


そして挙句の果てにドラえもんは、ネズミを恐れるあまり気が変になり、「地球破壊爆弾」なるものを取り出して、よだれを流しながら、不敵な笑みまで浮かべている。


幸いなことに、結局この爆弾は使われることがなかったので、本当に地球を破壊出来る爆弾だったのかどうかは定かではない。


しかし、もしこれが本物だとしたら、未来の世界では個人がこんな物を所有出来る、物騒な世の中になっているということなのだろうか。


しかも、ドラえもんが持っているということは、たいへんリーズナブルなお値段で入手出来る爆弾ということになるのだろう。


もしかしたら、未来のテレビショッピングでは、「今日だけ1つ分のお値段で、なんと爆弾を2つお付けしてぇ~~っ!ご注文をお待ちしておりますっ!」などとやっているのかもしれない。


そんな風に誰でも簡単に強力な爆弾を入手することが出来て、地球をあっという間に破壊することが出来るとしたら、未来の世界では命がいくらあっても足りないだろう。


そう考えると、私はこの爆弾は、ジョークグッツの可能性が高いと思うのだが、本当のところはドラえもんに聞いてみなければ分からない・・・・・・。


そんな訳で、ドラえもんの作中では、家の中にしばしばネズミが出現しているのだが、これは現代ではちょっと考えられないことである。


みなさんは「家の中で突然ネズミと鉢合わせてびっくり仰天!」なんて経験をしたことがはたしてあるだろうか。


恐らく「ない」と答えるかたが大半だと思う。


現代では建物の中にネズミが現れるとしたら、それは飲食店の厨房ぐらいではないだろうか。


きっと、ネズミにしてみたら、「住みにくい世の中になったものだな~」と思っているに違いない。


じつはドラえもんの漫画が雑誌に連載されていた1970~1980年代は、世の中のじつに8割以上の建物が木造建築の日本家屋だった。


この当時はまだまだマンションと呼ばれるような、鉄筋コンクリートの建物は少なかったのだ。


じつはこのことが、ネズミが家の中に侵入して来る一番の原因だったのである・・・・・・。


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▲原作漫画のドラえもんの舞台は1970~1980年代の東京だ。当時は世の中のじつに8割以上の建物が木造建築の日本家屋だった。そしてこれこそが家の中にネズミが出る一番の原因だった。アニメのドラえもんで、野比家にいまだにネズミが出るのは、この設定を引き継いでいるからである・・・・・・。

てんとう虫コミックス第7巻に収録されている「ネズミとばくだん」というエピソードの1シーンで、のび太のママはちっちゃな鳥かごのようなものを持って廊下を歩いて来る。


じつはこれ、鳥かごではなくて、ネズミを捕獲するために作られた「ネズミ捕り器」なのだ。


どのように使うのかというと、ケージの中にエサを入れて、ネズミが出そうな場所に置いておく。


そしてケージの中にネズミが入ると、入り口のトラップから出られなくなる仕組みになっているのだ。


野良猫を保護する時に使う捕獲器と同じような仕組みといえば理解してもらえるだろうか。


で、この「ネズミ捕り器」だが、当時は商店街の金物屋さんや雑貨屋さんなどで普通に売られていた。


うちではネズミなんて出たことがなかったので、「こんなの誰が買うんだろうなぁ」といつも不思議に思っていたのを覚えている・・・・・・。


で、問題はこの「ネズミ捕り器」でネズミを捕獲した後なのだ。


ゴキブリホイホイなら生ごみと一緒にゴミ袋に入れて、ゴミの日にそのまま出してしまえばいいのだが、ネズミの場合はそうもいかない。


それにわざわざ買って来たネズミ捕り器を、たった1回使っただけで、捨ててしまったらもったいないし、何よりも割に合わないだろう。


かといって、捕獲したネズミを屋外へ放してしまったら、同じことを延々と繰り返すだけである・・・・・・。


では、どのようにして、ネズミを処分していたのだろうか。


当時はどこの家にも、子供がすっぽり入れるぐらいの、蓋つきの大きなポリバケツがあった。


本来は生ごみを入れておくための容器だが、これに水を張って置き、ネズミを捕獲した後は、ここにネズミ捕り器ごとネズミを沈めて、蓋をして置いておいたのである。


「ネズミ捕り器」に付いていた解説には、「バケツの水に沈めて蓋をして3分待つ」と書かれていたそうである。


なんだかカップラーメンを作る時の解説文のようだが、3分待って蓋を開けても、中から出て来るのはネズミの溺死体だけである。


そして死んだネズミは生ごみとして廃棄され、「ネズミ捕り器」は洗って乾かして何度でも使えるという訳だ。


当時はそれが当たり前の日常だったので、きっとなんとも思わなかったのだろうが、いま考えると「昭和ってすごい時代だったんだな~」と、ちょっと引いてしまっている自分がいる・・・・・・。


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