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2023年7月

2023年7月29日 (土)

学研が出していたファミコン専門誌

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▲ファミ通は現在も発売されている、唯一の家庭用コンピューターゲーム専門誌である。じつは創刊当時のファミ通は「ファミコン通信」という誌名だった。そしてそのファミコンの名前を、未だに誌名に残してくれていることは、ファミコン世代にはとても嬉しいことだ・・・・・・。

インターネットがまだなかった時代、ゲームソフトの情報提供は雑誌の役割だった。


当初、コンピューターゲームの主流はパソコンだったが、1983(昭和58)年7月15日にファミコンが発売になったことで、その流れは大きく変わって行った。


特に1985(昭和60)年から、1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこれを契機に、ファミコン専門誌が次々と創刊されて行くことになったのである。


今では考えられない話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が出版各社から発売になっていたのだ。


そんなファミコン専門誌だったのだが、現在でも発売されているのはわずか1誌だけで、他は全て休刊になってしまっている。


あの時代を知っている者としては、なんとも寂しい限りである・・・・・・。


このように一時は雨後の筍のごとく、創刊ラッシュだったファミコン専門誌なのだが、その全てが順調に売れて行ったという訳ではなかった。


その理由の1つは、ほぼ同時期に創刊ラッシュとなってしまったため、ライバルが多かったことが上げられるだろう。


「ファミコントップ」は1986(昭和61)年4月に学研から創刊されたファミコン専門誌だった。


1986(昭和61)年には、なんと6誌ものファミコン専門誌が創刊になっていて、ちょうどこの年が創刊ラッシュのピークであったことが分かる・・・・・・。


ところで学研からファミコン専門誌が発売になっていたなんて聞くと、私はちょっと意外な感じがする。


学研といえば我々の世代からすると、「学研のおばちゃん」が自転車で家まで配達してくれていた、学年誌の「科学と学習」や、本棚にズラリと並べられていた「学研の図鑑」のイメージが強かった。


だから学習とは何の関係もないファミコンの専門誌を、学研が出していたなんて聞くと、個人的にはなんだかちょっと、場違いな感じがしてならないのだ・・・・・・。


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▲スーパーミステリーマガジン「ムー」は、1979年(昭和54)に学習研究社から創刊された歴史の古い雑誌である。その後、学研のグループ再編に伴い、現在はワンパブリッシングから発行されている・・・・・・。

しかし、その一方で、学研は「スーパーミステリーマガジン」と称した、オカルト専門誌の「ムー」を発売している会社でもあるのだ(現在はワンパブリッシング刊)。


ちなみに「ムー」は2023年に創刊44周年を迎え、現在も発売中の雑誌である。


それを考えると、学研がファミコン専門誌を出していたって、何ら不思議ではなかったのかもしれない・・・・・・。


で、話が少しそれてしまったが、学研から創刊された「ファミコントップ」についてである。


1986(昭和61)年、ファミコン専門誌の創刊ラッシュの中で発売された「ファミコントップ」なのだが、思うように売り上げが伸びて行かず、なんとたったの4号で休刊に追い込まれることになってしまった。


これは当時10誌近くあったファミコン専門誌の中で、最も短命な雑誌だったといえるだろう。


さすがにこれだけライバルが多いと、他誌との差別化というか、独自色がよほどはっきりとしていないと、競争に勝つことは難しかったということなのだろう。


しかし、学研がすごかったのは、これでファミコン専門誌から即撤退とは考えていなかったことだ。


じつはファミコントップの休刊から2年後に、「最強ゲーム情報誌」と称して、「ファミコンBEST」というムック本を新たに創刊したのだ。


前身の「ファミコントップ」が、たったの4号で休刊に追い込まれたにも関わらず、それに懲りることなく、「最強ゲーム情報誌」を発売してしまうあたり、怖いもの知らずにも程があるといえよう。


しかし、この「ファミコンBEST」も6号が刊行された後、またしても休刊へと追い込まれることになってしまった。


ちなみに1986(昭和61)年に4号だけ発売され、その後、休刊となってしまった「ファミコントップ」は、現在では古書店などでは、高値が付けられて売られているそうだ。


雑誌は取っておく人が少なくて、現物がほとんど残っていないことがその理由のようだ。


人気が出ずに売り上げが伸びず、早々に休刊へと追い込まれた雑誌が、数十年後にこんなに高値で取引されるようになるなんて、当時は誰も想像もしていなかった未来だろう・・・・・・。



2023年7月23日 (日)

カントウタンポポとセイヨウタンポポ

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▲野原一面に群生している「カントウタンポポ」の群落。ちなみに私が子供の頃に読んでいた図鑑には、「日本タンポポ」という大きな括りで紹介されていて、地域ごとの詳しい分類まではされていなかった・・・・・・。

私が子供の頃(昭和50~60年代)、近所で見られるタンポポは、外来種のセイヨウタンポポがほとんどだった。


セイヨウタンポポはヨーロッパ原産の外来種で、今からおよそ150年前に、食用として日本へ渡来して来たといわれている。


で、当時は住宅地の道端で見られるタンポポは、このセイヨウタンポポばかりで、図鑑などを開くと、セイヨウタンポポに駆逐されて、日本の在来タンポポが数を減らしているようなことが書かれていた。


ところがうちの近所では、日本の在来タンポポが全く見られないという訳ではなかった。


野原や開発に取り残されている土手、雑木林などでは、在来種のカントウタンポポが大きな群落を作って生えていて、逆にそこにはセイヨウタンポポの姿はなかった。


その光景を見る限りは、とても在来種のカントウタンポポが、セイヨウタンポポに駆逐されているようには見えなかった・・・・・・。


そしてこれは大人になってから知ったことだが、じつはこのことにはちゃんとした理由があった。


じつはカントウタンポポが結実するためには、他の個体の花粉が必要になる。


このため、カントウタンポポが増えて行くためには、同じ場所にたくさんの個体が群生していた方が都合がいいのだ。


そして確実に花粉を受粉してもらうためには、たくさんの昆虫が生息している、野原のような環境の方が望ましい。


一方のセイヨウタンポポは受粉をしなくても、単体で種子を作ることが出来るため、わざわざ群生をする必要はない。


このため、住宅地のコンクリートの隙間などに、点々と生育していても、全く問題はないのだ。


そしてこのような環境では、他の植物と競合することが少ないという利点がある・・・・・・。


また、野原では初夏を迎えると、他の草が一気に伸び始め、タンポポなど背の低い草は下の方に埋もれてしまい、光合成が出来なくなってしまう。


しかし、カントウタンポポは、夏に葉を落として夏眠をする性質があり、春に飛ばした種子も、夏の暑い盛りを避けて発芽する。


そして周りの草が枯れ始めた頃に目覚めて、葉を伸ばし始めるのだ。


だから夏の暑い時期に、周囲を草に覆われてしまっても、カントウタンポポにとっては、特に問題はないということになる。


一方、セイヨウタンポポにはこのような特性がないため、野原などには入り込みにくいということになる・・・・・・。


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▲カントウタンポポは花が終わる頃になると、周囲を背の高い草に覆われてしまい、光合成が出来なくなってしまう。しかし、カントウタンポポには夏眠の性質があり、特に問題はない・・・・・・。

当時の図鑑や身近な自然を紹介した読み物には、「セイヨウタンポポに駆逐されて、日本の在来タンポポが数を減らしている」と書かれていた。


しかしそれは、セイヨウタンポポに駆逐されてというよりも、開発によってカントウタンポポが自生する、里山や野原がなくなって行っていることの方が、むしろ問題だったようである・・・・・・。


ところで、私は子供の頃に、わざわざ野原に行って、在来種のカントウタンポポを1株掘って来て、庭に植えて育てていたことがあった。


住宅地の道端ではカントウタンポポは見られなかったので、身近な場所にカントウタンポポが生えていれば、ちょっと人に自慢出来ると思っていたのだ。


で、私は庭に植えたカントウタンポポに肥料まで与えて大切に育てていた。


するとカントウタンポポは夏に葉を枯らして、夏眠するどころか、まるでホウレンソウのごとく大きな葉を繁らせ、どんどん巨大になって行った。


その様子は母に、「なんだかこのタンポポ美味しそうだね」と言わしめたほどである。


当時わたしはその生長具合を見て、「肥料が効いて来たんだな、しめしめ・・・」ぐらいにしか思っていなかったのだが、今こうして考えてみると、家の庭では他の草に光合成を妨げられるようなことはないのだ。


それに当時住んでいた家には、見上げるほどの大きなヤブツバキの木があって、夏に涼しい日陰を作ってくれていた。


これがカントウタンポポの生長にはよかったのかもしれない・・・・・・。


ちなみにこれまでずっと、在来種のタンポポのことを、「カントウタンポポ」と書いて来たのだが、当時の子供向けの図鑑には、在来種のタンポポは、「日本タンポポ」という大きな括りで紹介されていた。


このため子供の頃の私は、自分の住んでいる地域に自生している在来タンポポが、「カントウタンポポ」であることは知らなかった・・・・・・。


翌年の春、庭のカントウタンポポは、まるで花束のようにたくさんの花を咲かせた。


私は「友達に自慢するならいまだ!」とばかりに、「うちには日本タンポポの大株があって、いまたくさんの花を咲かせているんだ!」と、胸を張って話をした。


しかし残念なことに、友達は誰一人として、日本タンポポとセイヨウタンポポの違いが分からず、まずそこから説明を始めなければならなかったのだった・・・・・・。



2023年7月17日 (月)

「ヤッターマン」ガンちゃんとアイちゃん

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▲ヤッターマンとコラボしたポッカコーヒー。この絵を見て懐かしく感じたかたも、きっと少なくなかっただろう・・・・・・。

今回のテーマは私が子供の頃に放送されていたアニメ作品、「ヤッターマン」を採り上げてみたいと思う。


ちなみにヤッターマンはタイムボカンシリーズの2作品目ということで、「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」が正式なタイトルになる。


ヤッターマンの本放送は1977(昭和52)年1月1日から、1979(昭和54)年1月27日まで、フジテレビ系列で放映されていた。


そして毎週土曜日の午後6時30分から午後7時の放送枠で全108話が放映されている。


ちなみに2年間の平均視聴率は20・1%、最高視聴率は28・4%だったというから驚きである。


そう言われてみれば、当時はヤッターマンを知らない子供なんていなかった。


それぐらいヤッターマンは子供たちに人気の作品だったのだ・・・・・・。


ところで主人公のガンちゃんと、そのガールフレンドのアイちゃんは、初めから「ヤッターマン1号、2号」だった訳ではなかった。


そして2人がヤッターマンになった経緯については、もうほとんどの人が忘れてしまっていると思う。


じつはガンちゃんの家は、「高田玩具店」というおもちゃ屋だった。


そしてガンちゃんの家には、父親が製造の途中で放棄している巨大な犬型のロボットが置いてあった。


これが後のヤッターワンである。


で、この犬型の巨大ロボットを、ガンちゃんはなんとガールフレンドのアイちゃんと2人で、密かに完成させてしまうのだ。


どうでもいいが、この時ガンちゃんは13歳、アイちゃんは12歳なのだ。


そんな子供が特別な技術もなしに、いったいどうやってあんな巨大なロボットを組み立てたというのだろう。


そしてガンちゃんは、完成したロボット犬をこのままにしておけば、いずれ父親にもバレてしまい、金儲けの道具に使われてしまうだろうと考える。


いったいどんな父親なんだという話はさておき、そんなことに使われるぐらいなら、このロボット犬を正義のために役立てることは出来ないか?


そう考えたガンちゃんとアイちゃんは、自ら正義の味方、ヤッターマンになることを決意し、ロボット犬と共に活動を開始することにしたのである。


そんな訳で、2人がヤッターマンになった経緯は、「金儲けのことしか頭にないダメ親父からロボット犬を守り、これを正義のために役立てようと考えたから」ということになる。


早い話が「思いつきだった」ということになるだろう。


「そうだ、京都に行こう!」みたいなものである・・・・・・。


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▲果実は見たことがあっても、花は見たことがないという人が多い、ザクロの花・・・・・・。

ところで作中では、「ガンちゃん」、「アイちゃん」と呼び合っている2人だが、じつはちゃんとフルネームの設定が存在している。


ガンちゃんの本名は「高田 ガン」で、先程も書いた通り、高田玩具店の一人息子という設定だ。


私は当初、「ガンちゃん」はニックネームなのかと思っていたのだが、どうやら本名ということらしい。


それにしても、「ガン」なんて、ちょっと他では聞かない珍しい名前である。


もしかして、高田玩具店の息子だから「ガン」なのか?


もしそうだとしたら、なんとも安易な名前の付け方をしたものだ。


しかし、金儲けのことしか頭にないあのおやじならやりかねないといえよう。


一方のアイちゃんの本名は、「上成 愛(かみなりあい)」で、上成電気店の一人娘という設定だ。


ガンちゃんに合わせて、上成デンコとかにならなくて本当によかったと思う・・・・・・。


ところで先程も書いたが、この2人、じつは13歳の少年と、12歳の少女という設定になっている。


しかし、2人の体格や体形は、どう見ても大人の身体なのだ。


13歳といえば中学1年、12歳といえば小学校6年生である。


それなのに2人の身長は、ガンちゃんは165cm、アイちゃんは161cmと、信じられないような発育状況だ。


いったい何を食ったらこんな体になるのだろう・・・・・・。


しかもガンちゃんに至っては、物語の中盤以降、ドロンボー一味の女ボス、「ドロンジョ」を捕まえて、彼女のことを口説き始めるのである。


そしてドロンジョもまんざらではない様子で、そのうちにヤッターマン1号(ガンちゃん)に惚れてしまい、彼を前にするとしどろもどろになってしまう。


ちなみにドロンジョは、ヤッターマン1号、2号の正体を知らないので、彼の本当の年齢など知る由もない。


ところが、毎回いい雰囲気になって、気分は盛り上がるものの、ヤッターマン2号の嫉妬で、2人もろともシビレステッキでお仕置きをされてしまうのがお決まりのパターンになっている。


しかし、ドロンジョの側に立ってみれば、もし本当にガンちゃんと一夜を共にする関係になっていたら、それはもはや犯罪であり、本業とは別の容疑で逮捕されていたかもしれない。


そういう意味では、ドロンジョはヤッターマン2号には感謝すべきである・・・・・・。


2023年7月11日 (火)

「謎フレーズ探偵」サル、ゴリラ、チンパンジーの歌 ②

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前回は「サル、ゴリラ、チンパンジーの歌」のルーツについて書いて来た。


で、今回はこの歌の歌詞の謎について調査をして行きたいと思っている。


と、そうはいうものの、「サル、ゴリラ、チンパンジーの歌」は歌詞も短いし、歌詞のバリエーションも極端に少ない。


こんなに短い歌詞の何を調べるのかと思われるかもしれないが、まずはその数少ない歌詞のバリエーションをいくつかご紹介してみたいと思う。


(歌詞 A)

「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」


歌詞Aは一般に広く知られている、最もオーソドックスな歌詞だと思う。


そして歌詞Aはこれを単純に繰り返して歌うだけである。


(歌詞 B)

「サル~、えてこ、チンパンジ~ ♪」


歌詞Bは関西方面でよく歌われていた歌詞のようだ。


これも歌詞Aと同様に、これを単純に繰り返して歌うだけだ。


(歌詞 C)

「サル~、ゴリラ、(マントヒヒ~)♪」


これは当時の子供たちのアレンジで、「チンパンジー」の部分のフレーズを、様々なサルの仲間に置き換えて歌っていたもの。


歌詞A、Bと同様にこれを単純に繰り返して歌うだけである・・・・・・。


で、この3つの歌詞のバリエーションの中に、気になるフレーズが1つだけある。


それは歌詞Bにある「えてこ」というフレーズだ。


「えてこ」とはいったいなんのことだろう。


私が小学生の時には歌詞Aと、歌詞Cしか聴いたことがなかったが、中学になると同級生の1人が、「関西にいる従兄から教わった」と言って、歌詞Bを歌っているのを初めて聴いた。


この時に「えてことは何か?」と聞いてみたのだが、歌っている当人もよく分かっていない様子だった。


で、いろいろ調べてみると、「えてこ」とは正しくは「えてこう」のことらしい。


では、「えてこう」とは何なのか?


調べてみると、「えてこう」の「えて」とは、どうもサルの古語のようである。


つまり、「サル、えてこ、チンパンジー」とは、同じ意味の単語の繰り返しで、「サル、サル、チンパンジー」という意味になる・・・・・・。


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では、「えてこう」の「こう」とはいったいなんのことか?


これには2つの意味があって、対象になる人物に親しみを込めて使う場合と、その逆に相手を見下したり、軽蔑したりする場合に使われる俗語のようである。


つまり「えてこう」を漢字で書くと「猿公」となる。


「なんだかあまりなじみのない言葉だな」と思われるかもしれないが、決してそんなことはない。


現在では犬のことを「わんこ」、猫のことを「にゃんこ」といったりする。


多くの人はこれを、「わん子」、「にゃん子」の感覚で使っていると思う。


しかし、この言葉もルーツをたどれば、「わん公」、「にゃん公」だったのだ。


「公」はもともとは、上野の「ハチ公」のように、親しみや尊敬を込めた言葉として使われていたが、動物に対して使われる場合は、「人間より劣っている生物」という意味で使われることが多い。


いまでも年配の人と話をしていると、わんこではなく「わん公」、にゃんこではなく「にゃん公」というイントネーションで話される人がいる。


「猿公(えてこう)」もこれと同様だったのである・・・・・・。


また、「猿公」の「えて」は古語であると書いたが、初めから「猿」を「えて」と読んでいた訳ではなかった。


「猿」という言葉は、「去る(=失う)」に繋がる縁起の悪い言葉と考えられ、逆の意味の「得手(=得る人)」という読みが当てられたのだという。


今と違って昔の人は、このような忌み言葉を気にする傾向が特に強かった。


現在でも受験生に、「落ちる」とか「すべる」という言葉を使ってはいけないとか、結婚式のスピーチで「別れる」とか「飽きる」という言葉を使ってはいけないというのは、「猿(=去る)」と同様に、「その場にふさわしくない縁起の悪い言葉=忌み言葉」と考えられているからだ。


ちなみに「猿=去る=失う」を逆の意味の「えて=得手=得る人」と読み替えたのは、昔の商人たちだったそうである・・・・・・。


(画像上、梅雨時に大きな花を咲かせるタイサンボク。画像下、ウンモンスズメは木の幹に貼り付いて、じっとしていると誰にも気付かれない・・・・・)



2023年7月 5日 (水)

「謎フレーズ探偵」サル、ゴリラ、チンパンジーの歌 ①

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「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」という歌をご存じだろうか。


きっと「子供の頃によく歌っていたよ」というかたも少なくないと思う。


この歌は特に流行っていたという訳ではないのだが、何かの拍子にそのメロディがふと頭に浮かんで、なんとなく歌っていることが多かったように思う。


当時は誰でも知っている有名な歌だったのだが、その一方で人から、「これってなんの歌だっけ?」と聞かれると、誰も答えられなかったりする、出所不明の謎の歌でもあった。


確か私の記憶では運動会の時に、この曲がスピーカーから流れていたと思うのだが、その時は楽器の演奏だけで、歌詞は特になかったと思う。


ということは、私のその記憶が正しければ、この曲は「そもそも歌詞なんてなかった」ということになるのではないか。


それではなぜ、子供たちの間で、「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」などという歌詞が付けられて、歌われることになったのだろうか。


そのことを調べるためには、まずこの曲のルーツを探って行かなくてはならないだろう・・・・・・。


で、調べてみると、「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」の歌のルーツ(大元)は、1914年にイギリス軍楽隊の、ケネス・ジョセフ・アルフォードが作曲した行進曲、「ボギー大佐マーチ」だったようだ。


「ボギー大佐マーチ」は軍の行進曲なので、当然歌詞はなくて、楽器による演奏のみである。


それにもし仮に、歌詞があったとしても、軍の行進曲に、「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」などという、意味不明のバカバカしい歌詞を付ける訳がない。


そしてそもそもの話、「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」の歌が日本で歌われ始めたのは、もっとずっと後の時代のことであり、どうやらこの歌と「ボギー大佐マーチ」は、直接的な関係はなかったようだ。


じつは今回のテーマは、その背景がちょっと複雑で、元歌にたどり着いたから、それで全て解決とはならないのである・・・・・・。


じつはこの「ボギー大佐マーチ」は、1957年に公開された映画「戦場にかける橋」で、マルコム・アーノルドが「クワイ河マーチ」というタイトルに編曲して、このタイミングで世界的に有名になっている。


ちなみに「クワイ河マーチ」にはちゃんと歌詞があって、ミッチ・ミラーとその合唱団による歌唱が付けられている。


しかし、この映画は戦争映画で、子供が見るような内容ではないし、仮に見たとしても、全然面白くないだろう。


ということは「クワイ河マーチ」も、「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」の歌とは、直接的な関係はなかったものと思われる。


では、子供たちはいったいどこで、「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」の元となる曲に遭遇していたのだろうか・・・・・・。


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じつはこの曲、日本では「ボギー大佐マーチ」でも、「クワイ河マーチ」でもなく、「口笛吹いて(西六郷少年少女合唱団)」という曲名で、一般に広く知られることになったのだ。


そしてそのきっかけは、1963(昭和38)年4月に放映された、NHKの「みんなのうた」だったという。


ちなみに「口笛吹いて」には、日本語のオリジナルの歌詞が付けられていたそうだ。


元歌である「ボギー大佐マーチ」は軍の行進曲、「クワイ河マーチ」は戦争映画に使われた曲ということで、これに子供が興味を持つとはとても思えない。


そもそも子供の替え歌というのは、元となる日本語の歌があって、初めて作られるものだ。


どうやら当時の子供たちが目を付けたのは、「ボギー大佐マーチ」でも、「クワイ河マーチ」でもなく、「みんなのうた」で流れていた、「口笛吹いて」だったようである。


「ボギー大佐マーチ」や「クワイ河マーチ」は、子供との接点はほぼないといっていいと思うが、「みんなのうた」なら子供は日常的に見る番組である。


そして、「みんなのうた」では、オリジナルのアニメーションと共に、歌が流されていたそうなので、きっと子供にとっては、アニメ番組のオープニングを見ているような感覚だったはずである。


そうなって来ると、これはもはや疑いようもないだろう。


「サル~、ゴリラ、チンパンジ~ ♪」の歌の元となったのは、1963(昭和38)年にNHKの「みんなのうた」で放映された、「口笛吹いて」というタイトルの歌だったようだ・・・・・・。


そんなわけで次回②へ続きます・・・・・・。


(画像上、赤紫色のアジサイが目を引いて思わず足を止めた。画像下、成長を見守って来たカルガモのヒナがだいぶ大きくなった・・・・・・)


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