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2023年9月

2023年9月21日 (木)

たばことビールの自動販売機

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▲商店街にいまも残るたばこ屋の前には、まだこのように、たばこの自動販売機が置かれているが、最近はそれ以外の場所ではほとんど見かけなくなってしまった・・・・・・。

私が子供の頃は、まだ町のあちこちに「たばこ屋」が残っていた。


たばこ屋は必ず四角い小さな看板を掲げていて、赤地に白い文字で「たばこ」と書かれているか、赤地の中央が楕円形に白く抜けていて、そこに黒い文字で「たばこ」と書かれていた。


たばこ屋は畳1~2畳程度の狭い店舗がほとんどで、大半の店は店内に客が入るスペースはなくて窓口販売だった。


たばこ屋の窓口(店の外側)には、赤い公衆電話が必ず置かれていて、たばこには用がない人も、電話をかけるために、たばこ屋の赤い看板を探したりしていたものだ。


ひとくちにたばこ屋といっても、店の形態は様々で、本業の片手間にやっている店もよく見かけた。


というか、そういう店の方が多かったと思う。


例えば酒屋や米屋、雑貨屋の横に、狭い店舗が併設されていて、たばこ屋の窓口には、その店のおばあちゃんが店番をしていることが多かった・・・・・・。


また、今では考えられない話だが、昭和の頃はたばこは誰でも買うことが出来た。


だからお父さんに頼まれて、子供がたばこ屋に煙草を買いに来ている光景をよく見かけたものだ。


子供にしてみたら、ただのパシリということになるのだが、当時は「お釣りはお小遣いにしていいよ」という父親が多くて、喜んで買いに来ている子供がたくさんいたものだ・・・・・・。


ところでたばこといえば、最近はたばこの自動販売機をあまり見かけなくなった。


その理由としては、「喫煙に対する社会の変化」としか言いようがない。


昭和の頃は自動販売機のたばこは、いつでも誰でも買うことが出来たが、そのうちに23時から5時の間は販売が中止となった。


そして、2008年3月からは、未成年でもたばこを自由に変えることが問題視され、成人識別ICカード「taspo(タスポ)」が導入された。


しかし、taspoで使用している通信回線サービスが終了することから、これに合わせて2026年3月末でサービスは終了することとなった。


また、最近はコンビニエンスストアでたばこを買う人が増えて、自動販売機の需要が減り、自動販売機そのものが数を減らしているようだ・・・・・・。


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▲閉店した酒屋の前にいまも残るたばこの自動販売機。たばこの自動販売機の横に置いてあった、ビールの自動販売機はすでに撤去されてなくなっていた。個人商店が相次いで閉店して、管理する人がいなくなったのもその要因だと思われる・・・・・・。

さらに極めつけは、昭和の頃(約50年前)の男性の喫煙率は、なんと8割以上もあったというが、現在では3割以下にまで減少しているのだそう。


その数字が示すように、当時はあの国民的アニメ「サザエさん」の作中でも、波平さんやマスオさん、ノリスケさんは、家族の集まる居間で、平然とたばこを吹かしていたものだが、現在では懐からたばこを取り出すシーンは出て来なくなった。


このように喫煙者そのものが減少したことが、たばこの自動販売機を見かけなくなった一番の要因かも知れない。


いつの間にか町からたばこ屋が消えてなくなって行ったように、「昔はたばこの自動販売機があったよね」なんていう時代が、もしかしたら近い将来、やって来るのかもしれない・・・・・・。


自動販売機といえば、ビールの自動販売機も最近は見かけなくなった。


昭和の頃はジュースやたばこの自動販売機といっしょに、町のあちこちで見かけたものだが、いつの間にかどこに行っても見当たらなくなっていた。


そもそもの話、昔はビールは酒屋に注文して配達してもらうものだった。


サザエさんに出て来る三河屋のサブちゃんのように、御用聞きが町内を回っていた時代があったのだ。


ビールの自動販売機が一般的になって行ったのは、アルミ缶が誕生したことや、時代と共にライフスタイルが変化して行ったことなどが上げられる。


一人暮らしや共働きの世帯が増えると、酒屋による御用聞きや配達は逆に都合が悪くなり、仕事帰りに自宅近くの自動販売機でビールを買える方が、当時のライフスタイルには合っていたのだ・・・・・・。


ビールの自動販売機の設置台数は、1992(平成4)年がピークで、その後は少しずつ減少して行く。


その理由としては、たばこの自動販売機と同様に、未成年でも自由にビールを買えることが問題視され、メーカーが設置を自粛するようになって行ったためといわれている。


昭和の頃の不良のイメージは、体育館の裏でたばこをプカプカと吹かし、学校帰りの公園で自動販売機で買ったビールをグビグビと飲んでいる・・・・・・、昭和世代の人なら、そんな光景をどこかで見たことがあるという人も少なくないだろう。


自動販売機に年齢制限がかけられたり、町から撤去が進んだ現在では、不良も喫煙や飲酒は行わず、きっと健康的な不良生活を満喫しているに違いない・・・・・・。



2023年9月15日 (金)

「ドラクエ」RPGがまだ浸透していなかった時代


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▲初代ドラゴンクエストのラスボスの「竜王」。いまでは考えられない話だが、当時は攻略本にラスボスの姿が堂々と掲載されていた・・・・・・。

任天堂から家庭用ゲーム機のファミリーコンピューターが発売になったのは、1983(昭和58)年7月15日のことだった。


そして1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこのファミコンブームの真っただ中の、1986(昭和61)年5月27日に、満を持して発売になったのが、後に日本が世界に誇るRPGとなる、「ドラゴンクエスト」だったのである。


ちなみにドラゴンクエストは、家庭用ゲーム機では初のRPGだった・・・・・・。


当時はパソコンでは、「ウィザードリィ」や「ザナドゥ」などのRPGがすでに発売になっていたが、これらのタイトルはパソコンのゲームということもあって対象年齢が高く、子供が遊ぶにはちょっと難解で、キャラクターデザインも少々とっつきにくいものであった。


当時、任天堂は「ファミコンはあくまでもおもちゃ」と公言しており、小中学生が主なターゲットだったため、ドラクエは子供に興味を持ってもらえるような、可愛らしいキャラクターデザインにして、ゲームのシステムも極力単純化して、シンプルなコマンド選択式が採用された。


さらにドラクエの開発を手掛けていた堀井雄二さんは、ドラクエの発売に先駆けて、すでにパソコン版が発売になっていた、「ポートピア連続殺人事件」をファミコンに移植。


そしてドラクエ発売の前年の、1985(昭和60)年11月29日にリリースした。


「ポートピア連続殺人事件」には、「ばしょいどう」、「ひとにきけ」、「ひとしらべろ」、「なにかみせろ」、「ひとさがせ」、「よべ」、「たいほしろ」などのコマンドがあり、これを選択して行くことで、ストーリーを進めて行くことになる。


つまり、「ポートピア連続殺人事件」というアドベンチャーゲームを先に発売して、コマンド選択式のゲームにまず慣れてもらい、ドラクエをプレイする時に、プレーヤーが戸惑わないように仕掛けがされていたのだ。


さらにドラクエといえば、当時は「少年ジャンプ」誌上に、なぜかファミコンのゲームソフトを紹介するページがあって、ここにファミコン専門誌にも載っていないような情報が、開発中の画面写真と合わせて紹介されていた。


堀井さんはこのページに、発売前のドラクエの情報を掲載して、当時はまだ一般的ではなかったRPGというジャンルを、少しずつ世間に浸透させていったのだ・・・・・・。


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▲当時はドラクエの発売元のエニックスに、出版部門がまだ設立されていなかった。このため攻略本は徳間書店から発売されていた。そしてこの攻略本には、他のモンスターと同様にラスボスの姿も堂々と掲載されていた・・・・・・。

ところで1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークだったと書いたが、じつはこの2年間はファミコン専門誌の創刊ラッシュでもあった。


いまでは考えられないような話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が、出版各社から発売になっていたのである。


そしてゲームの攻略本が誕生して、次々と刊行されて行くようになるのも、ちょうどこの頃からだった・・・・・・。


ちなみに上の画像は、1986(昭和61)年9月30日に発売になった、初代ドラゴンクエストの攻略本である。


当時はまだ、ドラクエの発売元のエニックスに、出版部門が設立されておらず、攻略本は徳間書店から発売になっていた。


で、この攻略本の中身を見て驚いてしまうのは、なんと初代ドラクエのラスボス「竜王」の姿が、モザイクを掛けられるでもなく、堂々と掲載されているのである。


しかも、変身前の姿のみならず、変身後の姿まで載っていて、「これが竜王の正体だ」と、はっきりと書かれているのである。


いまだったらちょっと考えられない話なのだが、当時はまだRPGというジャンルが一般に浸透しておらず、ラスボスなんていう概念も、正直よく分かっていなかった。


だから「他のモンスターは全部出しているのに、なんで最後の敵だけ載せちゃいけないの?」という感じだったのだ。


それは出版社の側も、プレーヤーの側も同様だったと思う。


だから当時はファミコン専門誌の記事の中でも、ラスボスの姿がごく普通に載っていた記憶がなんとなく残っている。


「そんな時代もあった」といえばそれまでだが、何事も最初というのは手探りなのである・・・・・・。


2023年9月 9日 (土)

雑種のタンポポ

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▲うちの近所で見られる雑種のタンポポは花が驚くほど大きい。画像は花の大きさがよく分かるように、同行者に花茎を指の間に挟んでもらい、手の平の大きさと比較してみた・・・・・・。

私が子供時代を過ごした昭和50~60年代は、近所の道端で見られるタンポポは外来種のセイヨウタンポポがほとんどだった。


セイヨウタンポポはヨーロッパ原産の外来種で、今からおよそ150年前に食用として日本へ渡来して来たと言われている。


で、当時は住宅地の道端で見られるタンポポは、このセイヨウタンポポばかりで、図鑑などにはセイヨウタンポポに駆逐されて、日本の在来タンポポが数を減らしているようなことが書かれていた・・・・・・。


ところが近年になって、その勢力図が大きく書き換えられていることが明らかになった。


いつの間にか、在来種のタンポポと、セイヨウタンポポが交雑し、雑種のタンポポが誕生していたことが分かったのだ。


そしてその雑種のタンポポは、私たちが知らない間に日本各地へ分布を広げていたというのである。


さらに都市部では、これまでセイヨウタンポポと思われていた個体のうち、なんと8割以上が雑種のタンポポに置き換わってしまっていたことが分かったというのだ。


何度も書くが、私が子供の頃、近所のアスファルトの道端で見られたタンポポは外来種のセイヨウタンポポだった。


それがいったいいつの間にこんなことになってしまっていたのだろう。


私たちの気付かないところで、道端のタンポポにそんな異変が起きていたなんてちょっと驚きである。


子供の頃、地べたに座り込んで観察をしていたあの花と、大人になってからこうして見下ろしているタンポポの花は、そっくりではあるが厳密には別物だったのだ・・・・・・。


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▲雑種のタンポポの総苞の形がよく分かるように、花が開き始めた個体を選んで撮影してみた。一見、カントウタンポポのような形の総苞だが、開花が進むと、総苞の外片は水平まで開いて来る。分かりやすくいうなら、シャンプーハットのような状態になる・・・・・・。

では、雑種のタンポポはどのようにして見分けたらいいのだろう。


正確に見分けるためには、遺伝子の解析を行う必要があるのだが、タンポポの花の下に隠れている「総苞」の形を確認することで大まかな分類は出来るという。


ちなみに私が子供の頃に図鑑で見た、「在来種のタンポポとセイヨウタンポポの見分け方」も、この総苞の違いが紹介されていた。


在来種のカントウタンポポの総苞は、真っ直ぐに直立していて、きれいなお椀のような形をしている。


一方、外来種のセイヨウタンポポは、総苞の外片が強く反り返り、先端が花茎にくっついてしまっている。


で、雑種のタンポポはどうなっているのかというと、いくつかのタイプがあるものの、両者の中間程度のものが最も多く見られるようだ。


どういうことかというと、総苞の外片はセイヨウタンポポほどは強く反り返らないが、水平程度には開いているものが多いのだ。


私を含め、昭和世代の人たちには、「シャンプーハット」をイメージしてもらえば分かりやすいかもしれない・・・・・・。


そして在来種のカントウタンポポと雑種の違いは、そのような見た目だけではなく、繁殖の方法についても大きく違っている。


在来種のカントウタンポポが種を作るためには、他の花の花粉が必要になる。


花を訪れる昆虫に花粉を運んでもらうことで受粉が行われ種が出来るのだ。


ところが雑種のタンポポは、受粉をしなくても種を作ることが出来るため、クローンのように増殖して行くことが可能なのだ。


このため雑種のタンポポには個性がなく、同じ場所で見られる個体は、花の大きさや形がどれも親と同じような見た目になる。


ちなみにうちの近所で見られる雑種のタンポポはどれも花が驚くほど大きい。


花茎を中指と薬指の間に挟んで、花を手の平の上に乗せてみると、手の平の横幅と花の直径がほとんどいっしょであることが分かる。


そしてこの花はただ大きいだけではなく、タンポポの花とは思えないようなボリュームがあって、遠目にはまるでマリーゴールドの花が咲いているのかと勘違いするほどである。


私が「最近、タンポポの花が何かおかしいな」と感じたのは、この大きな花を咲かせるタンポポを目にしたのがそのきっかけだった。


そうは言っても雑種のタンポポには、その見た目に複数のタイプがあるので、全部が全部、このような大きな花を咲かせるという訳ではない。


私たち昭和世代にとっては、一番よく見慣れているであろう、セイヨウタンポポの花の大きさに近いものの方がむしろ多いのだ・・・・・・。


ところで先ほど、「雑種のタンポポは、受粉をしなくても、種を作ることが出来る」と書いたが、じつは花にはちゃんと花粉がある(花粉がないタイプのものもある)。


そしてこの花粉が在来種のカントウタンポポに受粉してしまう可能性もある訳だ。


そうなって来ると、カントウタンポポが作る種子のうち、何パーセントかは雑種になる可能性があるということになる。


現実に雑種のタンポポはそのようにして誕生した・・・・・・。


救いなのは雑種のタンポポは、カントウタンポポが自生している里山や野原では育ちにくいことだ。


セイヨウタンポポがそうだったように、雑種のタンポポは都市部のアスファルトの隙間がお好みなのだ。


セイヨウタンポポは、雑種のタンポポとの生存競争に負けて、近所から姿を消して行ったのだ。


毎日通っている生活道路の片隅で、そんな熾烈な争いが起きていたなんて、きっと世の中のほとんどの人は知らなかっただろう・・・・・・。


2023年9月 3日 (日)

「ヤッターマン」ドロンジョのキセル

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「ヤッターマン」は私が子供の頃に見ていたアニメ作品で、正式なタイトルは「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」になる。


ヤッターマンの本放送は、1977(昭和52)年1月1日から、1979(昭和54)年1月27日まで、フジテレビ系列で放映されていた。


そして毎週土曜日の午後6時30分から午後7時までの放送枠で全108話が放映されている。


ちなみに2年間の平均視聴率は20・1%、最高視聴率は28・4%だったというから驚きである。


そう言われてみれば、当時はヤッターマンを知らない子供なんていなかった。


それぐらいヤッターマンは子供たちに人気の作品だったのだ。


そしてヤッターマンは人気の作品ということもあって、その後も夕方に何度も再放送をやっていたので、きっと幅広い世代の人が知っているアニメ作品なのではないだろうか・・・・・・。


ところでみなさんは、ヤッターマンといったら、どのキャラクターを一番に思い浮かべるだろうか。


じつはこの質問には多くの人が、主人公の「ヤッターマン」ではなく、悪役三人組の「ドロンボー一味」と答えるのだそうだ。


「ヤッターマン」という作品にとって、それぐらい「ドロンボー一味」はなくてはならない存在だったのだ。


そもそも彼らがいなければ、ヤッターマンの存在意義はないと言っても過言ではないだろう・・・・・・。


そしてドロンボー一味といえば、まずは何よりもリーダーのドロンジョである。


ドロンジョのイメージといえば、何と言っても頭からすっぽりと被っている、あの特徴的なデザインのペルソナ(覆面)だろう。


「ドロンボー」というくらいだから、きっと素顔を晒さないように、常に着用しているのかと思いきや、じつはそうでもないらしく、初期の頃は活動資金を稼ぐためのインチキ商売を行う際には、堂々と素顔のままで接客をしていた。


そしてその素顔は、金髪で碧眼のかなりの美人で、そのうえ173cmの長身で頭脳明晰、スタイルも抜群と来ている。


何もこんな商売をしなくても、他にいくらでも成功できる仕事があるだろうと思うのだが、本人はそんなつもりはさらさらないらしく、どうも金銀財宝の魅力に憑りつかれてしまっているらしい・・・・・・。


じつはドロンジョには実在のモデルがいて、フランス人女優のミレーヌ・ドモンジョがそうだといわれている。


そして当時ドロンジョの声を担当されていた小原乃梨子さんは、ミレーヌ・ドモンジョの吹き替えも担当していたことがあったのだそうだ。


個人的にはとても興味がある話なのだが、これって偶然だったのだろうか・・・・・・。


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ところで、小原乃梨子さんといっても、あまりピンと来ないかもしれないが、「大山版ドラえもん」の「のび太くんの声」といえば分かってもらえるだろうか。


当時はそんなこととはつゆ知らずヤッターマンの放送を見ていたのだが、まさか小学5年生の「のび太くん」と、24歳の大人の女性のドロンジョの声を、同一人物が演じ分けていたなんて考えてもみなかった。


そして放送から数十年が経過して、自分がおっさんの域に達してから、そのことを知ることになろうとは、世の中本当に分からないものである・・・・・・。


ところで当時ドロンジョは、暇さえあればいつもドクロの装飾が付いた細長いキセルで、煙草をプカプカと吹かしていた。


そしてドロンジョは、そのキセルの煙を必ずドクロの形にくゆらせていて、その姿はなんともいえず優雅であった。


そして煙草の煙を「フーーーッ」と吹き出すその口元は、子供が見たって、「色っぽいなぁ」と感じたものである・・・・・・。


そんなドロンジョの代名詞ともいえるキセルだったのだが、2008(平成20)年にヤッターマンのリメイク版が放映された際には、まるでなかったことのように、その存在がきれいに消されてしまっていた。


その理由としては、「喫煙に対する社会の変化」としかいいようがない・・・・・・。


昭和の頃は、学校の職員室でも普通に煙草を吸っていて、ドアを開けて中に入ると、煙草の煙で室内がかすんで見えるほどだった。


また、医者が診察中に煙草を吹かしていたり、テレビのトーク番組では、出演者が煙草を吸いながら話をしていたりする時代だった。


そんな時代だったので、当時はあの国民的アニメ「サザエさん」でも、波平さんやマスオさん、ノリスケさんは、家族の集まる居間で、平然と煙草を吹かしていた。


しかも、なぜかその煙草の銘柄は、いつも「ハイライト」と決まっていて、波平さんやマスオさんが、懐から煙草の箱を取り出すシーンでは、決まって当時のあの青いパッケージが握られていたものだ。


きっと、磯野家の居間の壁は、煙草のヤニで真っ黄色だったことだろう。


いまこうして振り返ってみると、ちょっと信じられないような話だが、これは本当の話である・・・・・・。


いま思えばサザエさんの家では、カツオやワカメ、タラちゃんもいることだし、さすがに居間で煙草はまずいだろうと思うのだが、ヤッターマンのドロンジョの場合は、また話は別である。


ドロンジョのキセルは、ドロンジョというキャラクターの一部といっても過言ではなく、そのキャラクターは昭和の頃に放送されていた、「元祖ヤッターマン」で、すでに完成されていたのだ。


ドロンジョからキセルを取り上げるということは、ドロンジョというキャラクターに対する否定でしかない。


昭和の頃に放送されていた、元祖「ヤッターマン」を知る者としては、ゆったりと椅子に腰かけて、長い脚を組み、キセルの煙を優雅にくゆらせているあの姿こそが、ドロンジョ様なのである・・・・・・。


(画像上、明るくなると同時に鳴き始めるミンミンゼミ。画像下、どこからやって来たのか道端でタカサゴユリが開花した・・・・・・)


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