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2024年1月

2024年1月30日 (火)

エロ本の自動販売機

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現在ではもう絶滅してしまったが、かつては「エロ本の自動販売機」が、街角に堂々と置かれていた時代があった。


エロ本の自動販売機は、商品窓にマジックミラーが使われていて、普段は中に何が入っているのか見えないようになっていた。


そして日が暮れてあたりが暗くなると、自動販売機のライトが点灯して、初めて中が見えるような仕組みになっていた。


当初わたしは、故障した自動販売機に、客が誤って硬貨を投入してしまわないように、商品窓を銀色の紙で覆って、見えないようにしてあるのだろうと、勝手に思い込んでいた。


しかし、故障した自動販売機なのに、いつまでも撤去されずに、その場所に放置されていて、変だなとは思っていた・・・・・・。


ところでこの「エロ本の自動販売機」、最盛期には全国に2万台以上が設置されていたそうである。


そしてそれは、当時の書店の数と、ほぼ同数だったというから驚きである。


ということは、私が「エロ本の自動販売機」を街で見かけていた頃は、もう、とっくにピークは過ぎていたということなのだろう・・・・・・。


そしてそれは自動販売機の中身を見ても明らかだったようである・・・・・・。


じつは当初自動販売機で売られていたエロ本は、ヌードグラビアと記事ページからなる、いまでいう「成人向け週刊誌」のような構成であったらしい。


そしてそれは、表紙とグラビアだけを見れば、いわゆる「エロ本」なのだが、雑誌の大半を占めている記事ページは、エロとはいっさい何の関係もない、サブカルチャー系の情報誌の体裁だったという。


しかも、頼みの綱の表紙やグラビア部分に関しても、エロ本というほどの過激さはなく、モデルの女性はしっかりと下着を付けており、それも特別セクシーなものでもなかったそうなのだ。


それだったら、いまでいう「成人向け週刊誌」の方が、よっぽど過激でエロ本ぽいといえるのかもしれない。


いま考えれば、「そんな内容でよく売れたな」と思うのだが、当時はエロメディアの絶対数が不足しており、そんなものでも多くの需要があって、なんと500億円規模の市場になっていたというから驚きである・・・・・・。


私が中学生の頃、「きのう俺は部活帰りに、自動販売機でエロ本を買った!」と豪語しているやつがいて、学校でそれをみんなに見せびらかしていることがあった。


どうも、「自分は度胸があるだろう!」ということを、みんなに自慢したかったらしい。


しかし、実際のところはどうもそうではなかったらしい。


じつはエロ本の自動販売機は、ボタンを押して商品が取り出し口に落ちて来る際に、なぜか「ブーーーッ!」という、けたたましいブザーが鳴るような仕組みになっていた。


彼はこの音に仰天して、腰を抜かしそうになり、一時電信柱の後ろまで走って行き、身を隠して様子を見ていたのだそうだ。


で、何も起こりそうもないので、急いで購入したエロ本を取りに戻ったのだという。


そして彼はその苦労して買ったエロ本を、わざわざ学校に持って来て、みんなに見せびらかしていることになるわけだ。


傍から見れば、そんなことをするやつは、ただの変態でしかないのはもはや言うまでもない。


現実に女子はかなり引いていたが、彼はそのことに全く気付いていない様子だった・・・・・・。


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で、そのエロ本を見せてもらったところ、予想に反して全ページカラーグラビアだったものの、びっくりするほどうすっぺらな雑誌だった記憶がある。


もう、この時点で、先程まで書いて来た「自販機本」とは、明らかに様相が違うことが分かると思う。


じつは私が学生の頃に街角で見られた「エロ本の自動販売機」は、中身が当初のものとは変更になっていたようで、いわゆる「ビニ本(ビニール本)」と呼ばれるものが入れられていたらしい・・・・・・。


で、いわゆる「自販機本」と何が違うのかというと、モデルの女性のポーズがより過激になり、着用している下着もスケスケのものに変更になっていたのだそうだ。


中には下着を着けていない写真も掲載されていたが、そのようなものは肝心な部分は見えないよう、ポーズが工夫されていた。


ものすごく分かりやすくいうなら、「とにかく明るい安村」状態である。


そして局部が見えるようなポーズのものは、当然のことながら、修正が加えられていた・・・・・・。


ところで当時、自動販売機で売られているエロ本は、修正部分を砂消し(消しゴム)でこすると、黒い修正箇所がきれいに消えて、肝心な部分が丸見えになるという、いかにも嘘っぽいうわさが流れていた。


当時は「そんなバカな」と思いながらも、とりあえず試してみたという人も、少なくなかったそうである。


昭和の頃に「砂消し」が売れたのは、このうわさのせいだという人もいるくらいである・・・・・・。


じつはこのうわさにはちゃんとした理由があった。


エロ本の自動販売機が最盛期の頃は、印刷所が24時間フル稼働で、関係者は多忙を極めていた。


このため、修正の入れ忘れがしょっちゅう起きていたのだという。


で、それをそのまま出荷する訳にはいかないので、急遽、人を集めて、なんと黒マジックを使って、手作業で肝心な部分を塗りつぶしていたのだという。


それを翌日の出荷に間に合うように、一晩でこなしていたというのだから、相当たいへんな作業だったに違いない。


もしかしたら、そんな雑誌を入手していれば、あのうわさは現実になっていたのかもしれないが、それでも砂消しでは無理だったろう。


ちゃんとした薬品を使えば、インクを消すことは出来たかもしれないが、問題は紙の方が耐えられるかどうかだ。


教室でエロ本を見せびらかしていた彼も、「砂消しを買って試してみる!」と息巻いていたが、次の日にそのことを尋ねてみると、たった一言、「やぶけた・・・」と呟いたのだった・・・・・・。


(画像上、早咲きの河津桜の蕾が動き出した。画像下、青空に映えるイチョウの枝振り・・・・・・)


2024年1月24日 (水)

ファミコンのディスクシステムとセーブ

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▲ファミコン版「ドラゴンクエストⅡ」にはセーブ機能はなく、ゲームを再開するためには、最大で52文字の「ふっかつのじゅもん」を入力する必要があった・・・・・・。

いまとなってはもはや当たり前の話だが、ゲームの続きを遊ぶためには、セーブデータが欠かせない。


しかし、家庭用ゲーム機の草分け的存在の、ファミリーコンピューターが発売になった当初は、ゲームの進行状況を保存しておくという概念そのものが、まだ存在していなかった。


その当時のファミコンのゲームは、アクションゲームやシューティングゲームが中心で、いま思えばステージ数もびっくりするほど少なかった。


このため、そもそもゲームの進行状況を保存しておく必要がなかったのである。


セーブという概念が生まれたのは、ある程度長い時間をかけて、ゲームクリアを目指して行く作品が登場してからになる・・・・・・。


ファミコンゲームに最初に採用されたセーブ方法は「パスワード」だった。


そしてこの当時は、まだ「セーブ」という言葉は一般的ではなかったと思う。


パスワードのシステムを最初に採用した、最も有名なゲームといえば、それはもはやいうまでもなく、「ドラゴンクエスト」だろう。


ドラゴンクエストでは、パスワードのことを「ふっかつのじゅもん」と呼び、現在では伝説として語り継がれている。


ちなみに「ふっかつのじゅもん」は、1986(昭和61)年5月27日発売の初代ドラゴンクエストと、1987(昭和62)年1月26日発売のドラゴンクエストⅡに採用されていた・・・・・・。


ところで、初代ドラゴンクエストが発売になった1986(昭和61)年は、ファミコンの周辺機器のディスクシステムが発売された年でもあった。


ディスクシステムは、フロッピーディスクのような外観の黄色いディスクカードを読み込むことで、ゲームをプレイすることが出来た。


このディスクカードは両面を使用することで、112キロバイトの容量があり、初期のファミコンのロムカセットの約3倍の容量があった。


ちなみに「スーパーマリオブラザーズ」は40キロバイト、「初代ドラゴンクエスト」は64キロバイトの容量だった・・・・・・。


また、ディスクカードを使用することにより、ゲームの進行状況をセーブすることが出来るようになった。


これはロムカセットではまだ実現していなかったことで、当時としては画期的なことだった。


そして、このディスクシステムが登場したことにより、ファミコンのゲームをプレイする子供たちの間で、初めてセーブという仕組みが認識されることになったのである・・・・・・。


これまではゲームを終了する際にパスワードをメモしておき、ゲームを再開する時には、そのメモしておいたパスワードを一文字ずつ入力しなければならなかった。


しかし、ゲームの容量が増えて行くにつれて、パスワードの文字数も、それに比例するように増えて行き、ドラクエⅡの頃にはなんと52文字にまで膨れ上がっていた。


そしてそのうちのたった一文字を間違えただけで、ゲームの再開がかなわなくなるのである。


それがディスクシステムが登場したことにより、ボタン1つでゲームの進行状況を保存出来るようになったのだ。


当時の子供たちは、初めてそれを経験した時には、「今までの苦労はいったいなんだったんだ・・・」と思わず脱力したものである・・・・・・。


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▲ファミコンのディスクシステムでは、ゲームの進行状況をボタン1つでセーブ出来るようになった・・・・・・。

ところでファミコンのディスクシステムが発売になったのは、1986(昭和61)年2月21日のことだった。


そしてこれは、「初代ドラゴンクエスト」が発売になった、1986(昭和61)年5月27日より前の話なのだ。


ということは、少なくとも、「ドラゴンクエストⅡ」に関しては、ディスクシステムで出そうと思えば出せたはずなのだ。


しかし、ドラゴンクエストⅡはロムカセットでの発売になった。


当時は多くの子供たちが、52文字もある「ふっかつのじゅもん」の書き間違いで、ゲーム再会がかなわなくなり、涙を飲んでいた。


しかもそれは1度や2度ではなかったのである。


もし、これがボタン1つでセーブ可能のディスクシステムだったらと思うと、非常にもどかしい思いでいっぱいだった・・・・・・。


では、どうしてドラクエは、ディスクシステムで発売されなかったのだろう。


じつはこれにはいくつかの理由があったようだ。


まず、発売当初のディスクシステムは大容量を売りにしていたのだが、じつはその直後に1メガビット(128キロバイト)の大容量のROMカートリッジが開発されていた。


一方のディスクシステムのディスクカードは、112キロバイトの容量だったが、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


カートリッジにはそのようなストレスはなかったのだ・・・・・・。


さらに1987(昭和62)年になると、リチウム電池を使用した、バッテリーバックアップ機能搭載のROMカートリッジが登場した。


もはや「セーブが出来る」ということは、ディスクシステムの専売特許ではなくなっていたのだ・・・・・・。


ソフトを買う側の子供たちにとっては、ディスクシステムのゲームは、何よりも価格が安いことが最大のメリットだった。


ところがソフトを開発する側にとっては、単価が安いということは、そのぶん利益率が上がらないということになるわけだ。


そうなって来ると、ソフトを開発する側としては、当然ディスクカードよりも、カートリッジを選択したくなる。


このような要因がいくつか重なって、ドラクエシリーズは最終的にカートリッジのソフトとして発売されることになったのである・・・・・・。


もし、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」が、ディスクシステムで発売になっていたら、「ふっかつのじゅもん」の書き間違いは起こらずに、きっと多くの子供たちがストレスなくエンディングまでたどり着けていただろう。


しかし、そうなって来ると、「ふっかつのじゅもん」はそもそも存在しなかったことになり、現在のように「伝説」として語り継がれることもなかったのである。


実際にゲームをプレイしていた当時は、それこそ死活問題だったのだが、いまとなってはあれはあれでいい思い出となっているのだから、これでよかったのかもしれない・・・・・・。



2024年1月18日 (木)

蝶の知られざる習性

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▲ゴマダラチョウはカブトムシやクワガタムシといっしょに樹液に群がっているところをよく見かける・・・・・・。

蝶というとお花畑をヒラヒラと舞っている姿を思い浮かべる人が多いと思う。


なぜかといえば、蝶は花の蜜を主食としていて、蜜を吸うために花から花へと飛び回っているからだ。


その光景は優雅で美しく、アニメやドラマの世界では、のどかな風景を演出するために、あえてそんなシーンを挿入することもある。


また、写真や絵画の題材としてもよく使われていて、蝶は自然環境において、美しさや優雅さの象徴のように考えられている・・・・・・。


ところで蝶は花の蜜を主食としているが、花の蜜しか吸わないという訳ではない。


種類によっては、樹液や熟れた果実の汁を吸うものもいる。


例えば日本の国蝶であるオオムラサキやゴマダラチョウは、カブトムシやクワガタムシといっしょに樹液に群がり、彼らと場所争いを繰り広げながら、幹からにじみ出る樹液に口吻(ストロー状の口)を伸ばしている。


また、蝶は水も飲む。


里山を歩いていると、蝶が湿った路上に降りて来て、地面に向けて口吻を伸ばしている姿をしばしば見かける。


これはほとんどの場合オスで、ナトリウムを摂取するための行動といわれている・・・・・・。


ところで夏に野山を歩いていると、普段は人から一定の距離をとっている蝶がヒラヒラと寄って来て、身体にピタリと止まることがある。


胸にまるでブローチのように止まってみたり、本人も気付かぬままに、背中に密かに止まられていたり、まるで「ねえ、ねえ」と話しかけているように、顔をこちらへ向けて肩に止まっていたり、止まる場所にこれといった決まりはないようだ。


ただ1つ共通して言えることは、蝶が人に寄って来るのは、夏場が多いということだろう。


では、なぜ蝶は夏になると、人に寄って来るのだろう。


じつは種類にもよるのだが、蝶はたんぱく質が分解する時に発する臭いに寄って来る性質がある。


そしてその成分の中には乳酸などの老廃物も含まれている。


そう、蝶は人というよりも、人の汗に反応して寄って来ているのだ。


蝶にとっては人の汗も、摂取すべき栄養なのである。


だから蝶にしてみたら、汗だくの人ほど、「美味しそう」と感じているに違いない。


普段は人から距離を取っている蝶が、自分からヒラヒラ寄って来て、身体にピタリと止まってくれると、なんだかちょっと嬉しいものだが、真相を知ってしまうと、「おまえ汗臭いな!」と言われているみたいで、とても複雑な心境である・・・・・・。


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▲アカボシゴマダラは樹液以外に、柿などの落下した果実や、獣糞でもしばしば見かける・・・・・・。

しかし、汗ぐらいで驚いていてはいけない。


じつは蝶は動物のおしっこにも集って来る。


動物の中でも人間のおしっこは、特に塩分を豊富に含んでいるため、蝶に好まれるようだ。


現在では野外でおしっこをする人なんていないだろうが、昭和の頃には外で小便をしている人がたくさんいた。


「立ち小便」なんて言葉があったぐらいだ。


だから道端に不自然な水たまりがあったりすると、「誰かが小便をした跡に違いない」と思って、そこを避けて歩いたりしていたものだ・・・・・・。


子供の頃、よく虫捕りに行っていた野原や林縁では、そんな小さな水たまりに蝶が集まって、吸水していることがよくあった。


いま思えば、雨も降っていないのに、水たまりが出来ているなんてかなり不自然である。


もしかしたら、あれは誰かが残して行ったおしっこだったのかもしれない・・・・・・。


じつは海外の昆虫写真家の中には、蝶のこんな習性を撮影に利用している人もいるそうだ。


蝶を撮影する際には、死んだ魚におしっこをかけたものを、わざわざ持参して来るのだそうだ。


これはかなり効果があるそうで、あっという間に蝶が集まって来るという。


そして蝶は夢中になっておしっこを飲み始めるので、その間に簡単に撮影が出来るのだそうだ。


それにしても、夢中になっておしっこを飲み始めるって、なんともすごい表現である・・・・・・。


ところで1990年代に飲尿療法がブームになったことがあった。


しかし、当時はいくら健康にいいといわれても、自分の小便を飲むなんて絶対に嫌だと思っていたものだが、蝶が夢中になっておしっこを飲んでいる様子を見ると、もしかしたらあれは本当に身体にいいんじゃないかとさえ思えて来る。


そうは言っても、飲んでみたいとは、これっぽっちも思わないが・・・・・・。


しかし、おしっこぐらいで驚いていてはいけない。


信じられないかもしれないが、じつは蝶は動物のうんこにも集って来るのだ。


野山を散策中に、コロッとした土の塊に、蝶が数匹止まっているのを発見した。


しかし、よく見たらそれは土の塊ではなく、動物のうんこだったなんてこともよくあるのだ。


じつは蝶のオスは塩分とアミノ酸を消費してフェロモンを生成する。


うんこには塩分とアミノ酸が豊富に含まれているため、蝶はうんこにも集って来るのだ。


都市部でも放置された犬の糞に、蝶が止まっている様子を目撃することはあるのだが、多くの人は蝶が飛び立ってから気付くので、蝶は地面に降りて休憩していたのだろうぐらいにしか思っていない。


どうでもいいが、おしっこやうんこに集って来る蝶を見ていると、蝶と蝿の境界って、いったい何だろうと思わずにはいられない・・・・・・。


お花畑をヒラヒラと舞っている蝶の姿は大変優雅で美しい。


そんな蝶がたまに身体にピタッと止まってくれたりすると、とっても嬉しいものだが、それと同時に、「お前、さっきまでうんこに止まってましたなんて言わないよね?」と、思わず問い質さずにはいられないのである・・・・・・。



2024年1月12日 (金)

「ヤッターマン」ドクロベーの謎

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「ヤッターマン」は私が子供の頃に見ていたアニメ作品で、正式なタイトルは、「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」になる。


ヤッターマンの本放送は、1977(昭和52)年1月1日から、1979(昭和54)年1月27日まで、フジテレビ系列で放映されていた。


そして、毎週土曜日の午後6時30分から午後7時までの放送枠で全108話が放映されている・・・・・・。


ヤッターマンといえば、爆発から始まり、爆発で終わり、最後はお仕置きというのがストーリーの定番である。


そしてその最初の爆発に関わっているのが、「泥棒の神様」を自称するドクロベーなのである・・・・・・。


ドロンボー一味は、まずインチキ商売で金を稼ぎ、その稼いだ金でメカを作る。


インチキ商売を行う店舗の地下にはメカ工場があり、資金稼ぎからメカ製造まで、その場所で全て出来るようになっている。


そしてメカが完成したタイミングで、ドクロベーからの指令が下ることになる。


指令を伝えるのはドクロベー本人ではなく、ドクロ顔の小さなロボットになる。


そして、ドクロベーがロボットを通して、指令を伝えた後に爆発するのがお約束になっている。


爆発といっても、小さなロボットが爆発するだけなので、建物にはいっさい影響はない。


その影響を受けるのはドロンボー一味で、着ている服が見るも無残にボロボロになってしまう。


どういう訳か、一番被害が大きいのはいつもドロンジョで、ボヤッキーやトンズラーは、服が破けるぐらいで済んでいるのに、ドロンジョだけは、なぜかパンツ一丁になってしまっていることもあった。


そこまでいかなくても、爆発の後のポロリはもはや定番ネタとなっていて、ドロンジョは片乳ぐらいは毎回出していたように思う。


ドロンジョにしてみたら、はた迷惑な話なのだが、作品も終盤に差し掛かって来ると、本人も慣れて来て、ポロリシーンの後に、「あっ!見たわね、小林くんと小林くんのお父さん、後でお電話ちょうだいね」などと、視聴者に向かって呼びかけるシーンが見られるようになって行った。


それにしても、「お電話ちょうだいね」とは、いったいどういう意味だったのだろう。


今回のポロリシーンの感想を聞いて、今後のパフォーマンスの参考にでもしたかったのだろうか。


また、ボヤッキーは、「目を消毒して早く寝なさい」と、よく視聴者に呼びかけていたものだが、どうやって消毒したらいいのかまでは教えてはくれなかった・・・・・・。


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ところでドロンボー一味が忠誠を誓っているドクロベーだが、彼がいったい何者なのか、みなさんは覚えているだろうか。


ヤッターマンをリアルタイムで見ていた子供の頃は、ちゃんとそれを理解していたと思うのだが、あれから数十年が経過した現在では、どうも記憶があいまいで、「陰でドロンボー一味を操るボスキャラ的存在」と、なんとな~く理解しているというのが正直なところだ。


ところが調べてみると、実際はそうではなかったのである。


じつはドクロベーは、ドクロ惑星出身のXYZ星人という宇宙人なのだそうだ。


個人的にはヤッターマンという作品は、泥棒を正義の味方が成敗する物語だと思っていたので、「ヤッターマンって、そんなSFチックなお話だったんだ!」と正直驚いている・・・・・・。


で、問題はその宇宙人であるドクロベーが、なぜ地球上で「泥棒の神様」になる必要があったのかである。


じつはドクロベーは、地球誕生の際に爆発に巻き込まれ、身体がバラバラになってしまったのだという。


そしてバラバラになった自身の身体を取り戻すため、泥棒家業のドロンボー一味に、「自分は泥棒の神様であり、宝のありかの情報を握っている」と噓を言い、「ドクロストーン=バラバラになった自身の身体」を探させていたという訳だ。


ところでドクロストーンって、確か私の記憶では、4つに割れた頭蓋骨だったと思うのだが、ドクロベーにはもともと人の身体に相当する部分は、存在していないのだろうか。


それにそもそもの話、頭部が行方不明になっているのに、いったいどこでものを考え、ドロンジョたちに指令を出していたというのだろう。


このようにドクロベーは、とにかく謎の多いキャラクターだった。


そんなこともあって、放送から数十年が経った今になっても、じつはドクロベーは架空のキャラクターで、地球上にそのニセ情報を操っている、真のボスキャラがいたんじゃないかなんてことを考えてしまうのだ・・・・・・。


(画像上、本来の花期は8月頃だが、真冬の1月に開花したタカサゴユリ。画像下、冬に発生する蛾、クロスジフユエダシャクが産卵中・・・・・・)



2024年1月 6日 (土)

「謎フレーズ探偵」ちり紙交換車

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「毎度、お騒がせいたしております。
ちり紙交換車でございます。
ご家庭内でご不要となりました、
古新聞、古雑誌、ぼろ切れ、
ダンボールなどございましたら、
お声がけください」


私が子供の頃は、こんなフレーズを拡声器で流しながら、ちり紙交換の軽トラックが、定期的に町内を巡回しにやって来ていた。


当時は複数の業者の軽トラックが、入れ違いで回って来ていたので、このフレーズを耳にする機会が多く、それはもはや「生活の音」といっても過言ではなかった。


そして時代と共にじょじょにその数は減って行ったものの、確か平成の前半頃までは、ちり紙交換の車は走っていたと思う。


で、いつの頃からか、「最近、ちり紙交換の車、見なくなったよな~」なんて思っているうちに、いつの間にか全く見なくなってしまったのである・・・・・・。


では、そもそも、「ちり紙交換」とはいったいなんだったのだろう。


じつはこれこそが、昭和の頃に主流だった、古紙のリサイクル回収の方法だったのだ。


当時は家庭から出る一般ゴミには、分別という意識がほとんどなくて、なんでもかんでもゴミ袋に詰めて出していた時代だった。


そんな中、古紙回収に協力すれば、ちり紙がただでもらえるというのは、画期的なシステムといえた・・・・・・。


ちなみにもらえるちり紙の量は、出した古新聞や古雑誌を秤で測って、それに見合った量をもらうことが出来た。


使用する秤は業者によって違っていて、吊るし秤を使っている業者もあれば、上皿自動秤を使っている業者もあった。


当時はどちらの秤もアナログ式の針の目盛りを読むタイプで、業務用のとても大きなものだった。


そして、ちり紙交換業者が回収して行った古新聞や古雑誌は、その後、古紙再生業者に売られることになる訳だ。


そんな「ちり紙交換」だったのだが、現在ではめっきり見ることがなくなった。


古紙価格が暴落したことで、ちり紙交換業者が相次いで廃業したことが原因である・・・・・・。


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その代わりに現在では、新聞屋さんが月1回、古新聞の回収を行っていて、玄関先に古新聞を専用の袋に入れて出しておくと、車で巡回して来て回収してくれるシステムになっている。


また、古雑誌についても、いっしょに出しておけば、ついでに回収してもらえる。


そして「ちり紙交換」でちり紙がもらえたように、新聞屋さんもトイレットペーパーを、回収のしるしとして、置いて行ってくれる。


ありがたいことに新聞屋さんは、古紙とちり紙を交換するシステムを、引き継いでくれたことになる訳だ。


「今まではちり紙と交換してもらえたのに何ももらえないの?」と文句を言われることを恐れたのだろうか。


また、現在では各自治体でも資源回収を行っていて、昭和の頃に比べて、リサイクル回収の方法が増えている・・・・・・。


ところでこれまで散々書いておいてなんなのだが、みなさんは「ちり紙」をご存じだろうか?


ちり紙は漢字では「塵紙」と書き、「ちりがみ」または「ちりし」と読む。


ちり紙は長方形の一枚紙が700~800枚単位でパッケージングされていて、当時は日用品を売る店や薬局で売られていた。


その用途はトイレットペーパーやティッシュペーパーと同様で、様々な場面で使うことが出来る便利な紙だった・・・・・・。


トイレが水洗化される前のボットン便所では、「ちり紙」はピッタリサイズの箱に入れられて、トイレの角に置かれているのが定番の光景だった。


私は幼い頃にその様子を見た記憶があるのだが、どこで見たのかは定かではない。


少なくとも、私が小学生の頃には、自宅のトイレは水洗だったので、普通にトイレットペーパーを使っていたし、部屋ではティッシュペーパーを使っていた・・・・・・。


しかし、ちり紙は便利だったので、座卓の上に必ず一束おかれていて、今でいうペーパータオルのように使っていた記憶がある。


何かをこぼした時には、片手で簡単に適量を取ることが出来て、サッと拭き取ることが出来たし、ホコリを取ったり、ちょっとした掃除にも使うことが出来た。


そんなちり紙だったのだが、ちり紙交換の車と共に、じょじょに見なくなって行った。


それまでは当たり前のように部屋に置かれていたものなのに、いったいいつ頃から、その姿を見なくなったのか、記憶が定かではない。


それってなんだか、とても不思議な話である・・・・・・。


(画像上、ハルサザンカの花が咲き出した。画像下、落ち葉に埋もれながら春を待つカントウタンポポ・・・・・・)


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