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2024年3月

2024年3月30日 (土)

森永「Piknik」と牛乳の自動販売機

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▲じつは「Piknik」は現在も販売されている。立体的な構造の容器に変わり、味のバリエーションも増えて6種類になった・・・・・・。

昭和の頃には、牛乳や乳飲料の自動販売機が、ジュースの自動販売機といっしょに並べて置かれていた。


私が子供の頃には、近所の商店街をはじめ、デパートやスーパーなどの商業施設、学校の購買部の脇などにも、牛乳や乳飲料の自動販売機は普通に置かれていた・・・・・・。


私が一番記憶に残っているのは、森永乳業から1981(昭和56)年に発売された、「Piknik(ピクニック)」という乳飲料だ。


発売当初の「Piknik(ピクニック)」は、ヨーグルト味、ラクトコーヒー味、ストロベリー味、フルーツ味の4種類で展開されていて、色違いのカラフルな容器がとても目を引いていた。


ちなみにパッケージの色は、ヨーグルト味が青色、ラクトコーヒー味が茶色、ストロベリー味がピンク色、フルーツ味が緑色だった。


そしてパッケージの下部には、虹のような印象的なマークが描かれていたので、覚えているかたも多いかと思う・・・・・・。


また、当時はパッケージの後ろ側にストローが付いている200ml程度の飲料は、四角いずんぐりむっくりとした容器が主流で、見るからに「牛乳パック」という見た目のものがほとんどだった。


現在のようなスリムな容器は、まだ見られない時代だったのである・・・・・・。


ところでこの森永の「Piknik(ピクニック)」、昭和の頃はテレビCMをしばしば放映していた。


その内容は「Piknik(ピクニック)」という商品名からなのか、アウトドアやスポーツシーンが多かったように思う。


いまだったら、飲み物のCMに起用するとなると、若手の俳優や女優なのだろうが、「Piknik(ピクニック)」のCMには、なぜか見たこともない外国人女性がたくさん出演していた・・・・・・。


当時、外国人女性がただひたすら、自転車を漕いでいるだけのCMがあったのだが、私は当初、普通の自転車レースのワンシーンなのかと思っていた。


ところがよく映像を見てみると、じつはこの自転車、複数の自転車が連なったような形をしており、1台の自転車に10人ほどの外国人女性が乗って漕いでいたのだ。


そしてこれが2台並んで走っているという謎の設定だった。


そしてCMではカメラの前を自転車が通過して行き、追い越される直前に、真後ろからのカメラアングルにパッと切り替わる。


そしてしばらくの間、自転車を漕いでいる外国人女性のお尻が映し出される。


このシーンには、きっと「おおっ!」と身を乗り出したかたも少なくなかっただろう・・・・・・。


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▲パックの後ろには、「Piknik」の発売当時の容器のデザインが紹介されていた。これを見て、「うわ~、懐かしい~!」と思ったかたは私と同世代だ・・・・・・。

そして最後はゴールに置かれている固定カメラの映像に切り替わり、その前をゴールテープを切った自転車が走り抜けて行くのだが、これだけではただの自転車レースの映像である。


というわけで、当然のことながら、彼女たちはCM中に商品をしっかりとアピールしていた。


じつは彼女たちは、自転車を漕ぎながら、片手に「Piknik(ピクニック)」のパックを持って、なぜかカメラ目線でにっこり微笑みながら、「Piknik(ピクニック)」をゴクゴク飲んでいたのだ。


片手運転やら前方不注意やらで、今だったらちょっと問題になっているかもしれない。


そしてCMの最後には女性の声で、「僕たち飲むなら、ピークニック!」というキャッチフレーズが流されていた・・・・・・。


また、後年発表のCMでは、ビーチの見えるプールサイドで、信じられないくらい高いヒールを履いた、水着姿の外国人女性が、数名並んで立っていて、ただ、ただ、お尻を振り続けているだけという、意味不明の映像もあった。


きっと、自転車バージョンのお尻のシーンが好評だったのだろう・・・・・・。


で、個人的には、森永「Piknik(ピクニック)」といえば、学生の頃に学校の購買部で、パンといっしょに買って、よく飲んでいたのを覚えている。


ちなみに私の当時のお気に入りはラクトコーヒー味だった・・・・・・。


ところで昭和の頃には、「牛乳の自動販売機」というのもあった。


乳飲料ではなく、牛乳そのものである。


牛乳といって多くの人がイメージするのは、500ml入りや1000ml入りの牛乳パックだと思う。


じつは昭和の頃には、500mlや1000mlの牛乳パックも、自動販売機に入れられて、普通に売られていたのだ・・・・・・。


森永の自動販売機には、前述の「Piknik(ピクニック)」といっしょに、1000mlの牛乳パックが入っているものもあったし、500mlと1000mlの牛乳パックだけを入れてあるものもあった。


そしてこれにはコーヒー牛乳なども入っていたと思う。


そしてこれは、明治など他の牛乳メーカーも同様だった。


これは現在ではかなり違和感があると思うのだが、当時はそれが当たり前の光景だったのだ・・・・・・。


ところで1000mlの牛乳パックを自動販売機で買うと、落ちて来る時の衝撃も半端がなかった。


自動販売機に硬貨を投入し、商品を選んでボタンを押すと、次の瞬間に「ダンッ!」という、ものすごい音と衝撃が伝わって来る。


子供の頃はそのたびに身体が「ビクッ!」と反応していたものである。


そしてあまりの衝撃で、穴でも開いていまいかと、恐る恐る牛乳パックを取り出すと、見事に角が凹んだ牛乳パックが現れるのである。


きっと、あんな風に凹んだ牛乳パックを見ることは、もう二度とないのだろうなぁ・・・・・・。


2024年3月24日 (日)

ファミコンのバッテリーバックアップ

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▲ドラクエは「Ⅲ」からバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジが採用され、「ふっかつのじゅもん」からは開放されることになったのだが・・・・・・。

ファミコンの周辺機器、「ファミリーコンピューターディスクシステム」は、1986(昭和61)年2月21日に任天堂から発売になった。


ディスクシステムでは、ソフトの供給は専用の黄色いディスクカードで行われ、セーブが簡単に出来ることが売りの1つになっていた。


しかし、この当時の磁気ディスクは技術的にまだまだ未熟であり、容量がそれほどないうえに、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


この点をサードパーティー各社に敬遠され、結果的にディスクシステムは、ファミコン本体ほどの爆発的なヒットとはならなかったのだった・・・・・・。


そんな中、満を持して登場したのが、バッテリーバックアップ機能が搭載された大容量のカートリッジだったのである。


ここでちょっと、ファミコンのカートリッジの仕組みについて解説をしておこうと思う。


ファミコンのゲームソフトでは、カートリッジに入っている様々なデータは、ファミコン本体の電源をONにすると、RAMと呼ばれる場所に一時的に読み込まれることになる。


ちなみにRAMとはパソコンでいうところのメモリに当たる部分になる。


そしてCPUがそこからデータを取り出すことでゲームがスタートする。


そしてRAMにはそれだけではなくて、プレーヤーのゲームデータも全て収められている。


例えばドラクエでいえば、レベルはいくつか、現在の経験値はいくつか、現在どこにいて、どんな装備をしているのか、所持金はいくらで、持ち物は何を持っているのかなどがそれに当たる。


しかし、RAMはゲームデータの一時的な置き場所なので、ファミコン本体の電源を切ってしまえば、データは全て消えてしまうことになる。


このため、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」では、ゲームを再開するために、「ふっかつのじゅもん」が必要だったのだ・・・・・・。


そこで誕生したのが、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジだったのである。


で、ゲームデータをセーブするためには、どういった手続きが必要になって来るのかというと、簡単に言うなら、ファミコン本体のRAMから、プレーヤーのゲームデータだけを抜き出して、カートリッジの側に保存しておく必要がある訳だ。


前述の通り、ファミコン本体のRAMは、ゲームデータの一時的な置き場所でしかないので、電源を切ればゲームのデータは全て消えてしまう。


そこでカートリッジの中に専用のRAMを搭載し、それを電池と繋げることで、電源が切れないようにしたのが、バッテリーバックアップ機能付きのカートリッジだったのだ。


子供の頃はべつになんとも思っていなかったが、いまこうして考えてみると、「なんだか強引な発想だったのだなぁ」と思う・・・・・・。


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▲カセットの裏面には、「バックアップカセットについてのお願い」が書かれていたが、使用方法をきちんと守っていても、セーブデータはよく消えていた・・・・・・。

そしてこのバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジの登場で、ドラクエは「Ⅲ」からは、「ふっかつのじゅもん」から解放され、ワンタッチでセーブが出来るようになった。


このことによって、「ふっかつのじゅもん」を書きとめる手間と、書き間違えのリスクはなくなったものの、バッテリーバックアップに何も問題がなかったという訳ではなかった。


じつはこのバッテリーバックアップ、セーブデータがよく消えるという致命的な欠陥があったのである・・・・・・。


どういうことかというと、セーブデータが入っている「ぼうけんのしょ」を選んで、コントローラーの決定ボタンを押すと、次の瞬間になぜか突然、「呪いの音楽」が流れ始め、真っ黒な画面に白い文字で、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

と、唐突に表示されることがあったのである・・・・・・。


ファミコン版の「ドラクエⅢ」をプレイしたことのあるかたなら分かると思うが、「ドラクエⅢ」は容量不足の影響で、タイトル画面は真っ黒なバックに、「DORAGON QUEST」の白い文字だけが小さく表示されていて、BGMも一切なく無音だった。


そんな静寂の中で、突然の大音量で、おどろおどろしい「呪いの音楽」が流れ始めたら、驚かない訳がない。


心臓に悪いとは正にこのことである。


そして極めつけは、真っ黒な画面に淡々と表示される、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

という簡潔なメッセージだった。


なんだかそれは、「昨日まで元気にいっしょに遊んでいた友達が、突然パタリと倒れて死んでしまいました」と宣告されているかのようで、当時は多くの子供たちが、トラウマになるほどの衝撃を受けたものである・・・・・・。


そしてこの時に流れる「呪いの音楽」は、日常生活の中で、個人的に何かただならぬショックを受けた時などに、「デデンデン、デンデン ♪」と呟くことで、周囲の者に対して、自己申告をすることにも使用されていた。


例えば返って来たテストの点数が、信じられないくらい悪かった時などに使用され、「ああ~、あいつ相当点数が悪かったんだな~。しばらく話しかけないでおいてやろう・・・」と、周りに気を使ってもらったりしていたものである。


また、先生によっては、採点したテストを返す時に、突然「デデンデン、デンデン ♪」と、呪いのBGMを奏で始め、「W辺くんは答案用紙に名前を書き忘れていたので、お気の毒ですが、今回のテストは0点です」と、ぶっきらぼうに宣言し、「W辺くん」を闇の世界へ葬り去ったこともあった・・・・・・。



2024年3月18日 (月)

修学旅行の木刀

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▲これは私が小学校の修学旅行で、日光に行った時に買って来た木刀。買ったはいいものの、これといった使い道もなく、部屋の片隅でほこりだらけになっていたものを引っ張り出して来て撮影した・・・・・・。

昭和の頃は有名な観光地に行くと、なぜか必ずと言っていいほど木刀が売られていた。


その土地にゆかりのある武士や、歴史上の人物がいたというのなら話は分かるが、なぜここに木刀が置いてあるのか、理解に苦しむような場所でも、当たり前のように売られていた。


子供の頃はべつに気にもしていなかったが、いまこうして考えてみると、なんだかおかしな話である・・・・・・。


私が初めて木刀の存在を知ったのは、小学生の頃に修学旅行で日光に行った時だった。


土産物屋が立ち並ぶような場所では、どの店へ入っても、木刀は店先の一番目に付く場所に、大量に立てて置かれていた。


いまになって冷静に考えてみれば、「木刀なんて買ったところで、いったい何に使うんだよ」と思うのだが、当時はクラスの男子はほぼ全員が、真っ先に木刀を買っていた。


大馬鹿者とは正にこのことである・・・・・・。


一方、女子は誰一人として木刀などには興味はない様子で、店の奥に置かれているキーホルダーや、小さな置物を手に取って眺めていた。


キーホルダーや置物は、小さくてかさばらず、ある程度数を買っても、小さな紙袋1つに収まる。


正にお土産には最適で、誰が見ても賢明な選択といえよう・・・・・・。


それに引き換え、男子が買った木刀は、かさばるとかかさばらない以前の問題で、持ち運ぶには雨上がりの傘のように、片手で持って歩くしか、方法がなかった。


しかも、男子小学生にそんなものを持たせたら、絶対に振り回したり、チャンバラごっこを始めるやつが現れるだろう。


これについては雨上がりの傘で、とっくの昔に証明済みである・・・・・・。


そして学校側もそれは事前に予想していたらしく、木刀は買って間もなくして、それぞれに名札を付けられて、担任に没収され、荷物として配送されることとなった。


その手際の良さから考えて、学校側は男子生徒のほぼ全員が木刀を買うことは、事前に予想していたということだろう。


ということは、修学旅行の時に男子が木刀を買うのは、もはや我が校の伝統になっていたということなのだろうか・・・・・・。


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▲数十年の時が経過して、文字は薄くなってしまっていたが、木刀にはしっかりと「日光山」と記されていた・・・・・・。

後で聞いた話だが、木刀は他のクラスの男子も、大半の生徒が買っていたらしく、学校に木刀が届いた時には、クラスごとに束ねられて、運ばれて来ていた。


その様子はまるで、店のバックヤードに納品されて来た、何かの商品のようだった。


それにしても、これが他校でも同様だったとしたら、昭和の観光地の土産物は、木刀だけで相当な売り上げになっていたに違いない・・・・・・。


そしてその後、木刀は事前に取り付けてあった名札をもとに、個々に配られることになるのだが、修学旅行先では、あんなに欲しかった木刀なのに、学校に帰って来た途端に、その熱はまるで潮がサーっと引いて行くように、急速に冷めて行っていた。


そして、自分の名札の付いた木刀が手元に届いた頃には、「なんでこんなものが欲しかったんだろう?」と、誰もが疑問に感じていたものである。


そしてその後、木刀はそれぞれの家へ持ち帰ることになるのだが、自宅ではこれといって使い道もなく、部屋の片隅に立てかけられたり、傘立てに入れられたりして、そのまま部屋の風景に溶け込んで、その存在はじょじょに忘れ去られて行くことになるのである・・・・・・。


ところで、ある日、友達の家へ遊びに行った時、部屋に見覚えのある木刀が3本も置いてあるのを発見し、たいへん驚いたことがあった。


私はそれを見て、彼が性懲りもなく、旅行に行くたびに、木刀を買って来ているのかと思い、「こいつは学習能力がないのか?」と疑ったのだが、話を聞いてみると、どうやらそうではなかったらしい。


じつは3本のうちの2本は、彼の2人の兄のもので、やはり小学校の修学旅行の時に買って来たものだという。


その話を聞いて、私は思わず「え?」と絶句した。


ということは、彼は過去に兄の失敗を2度も目撃して来ていたことになる訳だ。


そこでちょっと確認だが、木刀が家に来てから、何か役に立ったことはあるだろうか?


また、2人の兄が木刀を何かに利用しているのを、見たことがあるだろうか?


もしかして、木刀は家にやって来た当日に、部屋の片隅に追いやられ、そのまま埃だらけになって行ったのではないのか?


そしてその様子を2回も目撃していたにも関わらず、なんで彼は木刀を買おうとしているクラスメートを止めなかったのか?


いや、それ以前に、「なんでお前まで木刀を買ってんだよ」という話である。


そのことを彼に問い質すと、「そうなんだよなぁ。それは木刀を持って帰って来た日に、母ちゃんにも言われたよ」という。


続けて彼は、「頭では分かってたんだよ。でもさぁ、土産物屋に入って、木刀を見た途端に欲しくてたまらなくなったんだよ。家にあるのは、兄ちゃんのだし・・・」というのだ。


そして彼の母親は、兄弟そろって、3回も木刀を買って来たのを目の当たりにして、呆れてものも言えない様子だったという。


そして、たったひと言、「きっと、土産物屋には魔物がいるに違いない」とポツリと呟いたそうである・・・・・・。


2024年3月13日 (水)

「ヤッターマン」ドロンジョの裸 ①

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ドロンジョはドロンボー一味の女リーダーで、3人のメンバーの中での役回りとしては、「お色気担当」と言われることが多い。


これはなぜかというと、作中でドロンジョが、毎回のように裸を晒していたからに他ならない。


ドロンジョの名誉のために言っておくが、彼女はべつに露出症という訳ではない。


では、泥棒稼業の彼女が、なんでまた世間に裸を晒すことになったのかというと、「そういう運命のもとに産まれて来たから」というほかないだろう。


名探偵と言われる人物が、行く先々で殺人事件に出くわすことにちょっと似ている。


しかし、どんなに優秀な名探偵でも、1話の中で遭遇する事件は、せいぜい1つだけだ。


ところがドロンジョの場合は、たった1話の中で、多い時で3~4回は裸になっていた・・・・・・。


現在のテレビアニメの常識に則って考えるなら・・・・・・、


「裸といっても、じつは下着は着けている状態である」

「本当に裸であっても、お風呂や温泉に浸かっていて、肩から下は見えていない」

「湯気や泡で肝心な部分は隠されている」


・・・・・・といった状況が想像出来るかと思う。


ところがドロンジョの場合は、おっぱいが丸出しになるのは、ほぼ毎回だったし、すっぽんぽんになることも少なくなかった。


もちろん、なんのカバーもなしにである・・・・・・。


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じつはヤッターマンが放送されていた昭和の頃は、テレビ番組の規制が甘く、アニメに限らず、ドラマやバラエティー番組でも、女性の裸が登場することが少なくなかった。


このため作り手の側としては、やりたい放題だったのである。


きっと、ドロンジョも何の気兼ねもなく、脱ぎ放題・・・・・・、いや、はた迷惑な話だったに違いない・・・・・・。


このことを象徴しているのが、2008(平成20)年にリメイクされた、「平成版ヤッターマン」の中で、ボヤッキーが言い放ったセリフだろう。


ドロンジョの胸が露出しそうになると、ボヤッキーが慌てて両手で胸を覆い隠し、「今のテレビはここまでが限界なのよ!」と、カメラ目線で視聴者にメッセージを送っていたのだ。


きっと、若い世代の人たちは、ボヤッキーが何を言っているのか、よく分からなかったと思うのだが、子供の頃にさんざんドロンジョの裸を見せられて来た我々にしてみたら、この程度のオチでは、「物足りない」としか言いようがなかった。


昭和版の放送時には、「この番組は私の裸で持っている」と豪語していたドロンジョも、きっと拍子抜けしていたに違いない・・・・・・。


で、そもそもの話、ドロンジョはなぜ、裸にならなくてはいけなかったのだろう。


まず、物語の冒頭で、ドクロベーから指令が伝えられるのだが、指令のテープを見終わった後に、必ず爆発が起きていた。


この時は3人とも着ている服がボロボロになってしまうのだが、なぜかドロンジョだけは被害が大きく、ペルソナ(覆面)とブーツだけ残して、素っ裸になってしまっていることがよくあった・・・・・・。


また、かろうじて服がボロボロになるだけで、今回は露出はなしかと思っていると、数秒のタイムラグの後、服の胸の部分が崩壊して、おっぱいがポロリなんてこともよくあった。


この指令から爆発のパターンは、毎回のことだったので、ドロンジョも次第に慣れて来て、「あっ!見たわね。小林くんと小林くんのお父さん。後でお電話ちょうだいね」などと、カメラ目線で視聴者に呼びかけたりしていた。


きっと、全国の小林くんは、自分のことが本当に見えているんじゃないかと思い、「ドキッ!」としたことだろう・・・・・・。


で、今ではちょっと考えられないような話だが、当時のドロンジョのポロリシーンでは、なんと乳首までしっかりと描き込まれていた。


現在では規制が厳しくなって、アニメといえど、乳首の露出は自粛されるようになり、このようなシーンは見られなくなっている。


このようにドロンジョは、物語の冒頭付近で、早くも裸になってしまっていたのだが、じつはこの後も、爆発あり、ハプニングありで、裸街道まっしぐらなのだ。


そしてその理由というのがまた笑えるので、このエピソードは、「To be continued」としておきたいと思う・・・・・・。


(画像上、トサミズキが咲き始めた・・・・・・。画像下、木の根元でノジスミレが咲いていた・・・・・・)

2024年3月 6日 (水)

「謎フレーズ探偵」いっせーの1!④

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「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」は、ルールは全国共通なのに、なぜか日本各地に様々な掛け声が存在している。


そして最も一般的と思われる掛け声が、「いっせーの」、「いっせーのーせ」、「いっせーので」、「いっせっせ」などの、「いっせーの系」の掛け声なのだ。


そしてこれらはそのまま、重たい物を動かす時などに、「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」としても使われている。


で、この「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」は、調べてみると、日本のほとんどの地域で、前述の「いっせーの」、または「せーの」という掛け声が使われていることが分かる・・・・・・。


ところがどういう訳か、九州地方だけはこれが当てはまらず、ちょっと特殊なことになっているのだ。


例えば福岡県では、「いっせーの」や「せーの」に相当する掛け声は、「さんのーがーはい」となる。


神奈川県(横浜市)出身の私からしたら、「いったい何語なんだ?」と思わざるを得ない。


何回聞き直しても、とても日本語とは思えない。


恐らく「さんのーがーはい」の「はい」の部分は、「あなたもご一緒に!」的な「はい」なのだろう。


「いっせーのーせ」の「せ」に相当する部分と言えば分かりやすいだろうか・・・・・・。


しかし、それより前の、「さんのーがー」とはいったいどういう意味なのだろう。


じつはこれにはいくつかの説があるようだ。


まずはもともとは、「いちにのさんはい」だったのではないかという説。


「いちにのさんはい」は「さんはい」と短縮することもある。


ここからタイミングを取りやすいように、「さんのーがーはい」という言葉に変化していったのではないかという考え方だ・・・・・・。


2つ目の説は、「せーの」の語源でもあった、「賽の神(さいのかみ)」から変化していったのではないかとする説。


ちなみに前回も書いている通り、「賽の神」とは「道祖神」のことである。


前回ご紹介した「せーの」という掛け声は、「さいのかみ来い」→「せえのかみ来い」→「せーの来い」→「せーの」と変化していった。


「さんのーがーはい」の場合は、「さいのかみ来い」→「さいの来い」→「さんのー来い」→「さんのーがーはい」という流れで変化していったのではないかという考え方だ・・・・・・。


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ところでこの福岡の方言と思われる「さんのーがーはい」だが、同じ九州でも他県に行くと、そのフレーズが少しずつ変化していて面白い。


例えば熊本県では、「せーのがさんはい」という掛け声に変わる。


なんだか言葉がより複雑になっているように感じるのだが、「せーのが」と「さんはい」に分けて考えると分かりやすい。


「せーのが」の「せーの」は言うまでもなく、「賽の神」のことだろう。


そして「さんはい」については、「いちにのさんはい」の「いちにの」を省略して、「さんはい」としたものだろう。


重たい物を動かすために、「賽の神」の力を借りたいので、「さいのかみ来い(せーの)」。


そしてそれに、タイミングを合わせる時の、「さんはい」をプラスした掛け声ということになるのではないだろうか・・・・・・。


そしてこれが鹿児島県に行くと、「いっちゃのーがーせい」という掛け声に変化する。


もはや何かの呪文のようだが、「いっちゃのーがーせい」を分かりやすく言い換えると、「いっせーのーがーせい」となるそうだ。


「いっせーのーがー」の部分は、言うまでもなく、「いっせーの」の掛け声から来ていることは間違いないだろう・・・・・・。


では、「せい」とはいったいなんのことか。


これまでの例から見ても、「せい」は「賽の神」のことではないだろうか。


「賽の神」は「せえのかみ」と訛ることもある。


「せえ」が「せい」に変化したとしても、何ら不思議ではない・・・・・・。


「せい」が「賽の神」を指しているとするなら、「いっせーのーがーせい」の意味としては、タイミングを合わせる「いっせーの」という掛け声と、重たい物を動かすのに、「賽の神の力を借りたい」という意味の、「さいのかみ来い」が合わさった言葉ということになるのではないだろうか。


そして日本の多くの地域では、重たい物を動かす時などに、「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」が、そっくりそのまま、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」の掛け声になっているのだが、今回ご紹介して来たこれらの掛け声は、なぜかそれに当てはまらないのである・・・・・・。


さて、ここで本題である、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」に話を戻そう。


じつはこのゲームのルーツを探って行くと、1600年頃にはすでに行われていたとされる、中国の「本拳(ほんけん)」がその起源ではないかと考えられているようだ。


日本には18世紀頃、およそ300年前に、長崎県に伝来したと言われている。


そしてこれが各地に広まって行き、少しずつ形を変えながら、最終的に「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」になったと考えられている。


ところがどういう訳か、私の知り合いの長崎県人数名に、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」について話を聞いてみると、みんな口をそろえて、「子供の頃は知らなかったので、遊んだことがなかった」というのだ。


(ちなみにこれについては、昭和50~60年代に子供だった人たちに話を聞いている)


最初に「本拳」が伝来した長崎県に、親指のゲームが定着していないというのも、なんだか不思議な話である・・・・・・。


そして調べてみると、長崎県に限らず、どうも九州地方では、このゲームは局所的にしか広まっていないようなのだ。


これはいったいどうしてなのだろう。


親指のゲームの原形は、長崎発で各地に広まって行ったものの、日本で改良されて完成形となった親指のゲームは、出発地点まで戻って来ることはなかったということだろうか。


「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」といい、九州地方はちょっと独特のようである・・・・・・。


(画像上、毎年撮影している桃色の椿が見頃になった・・・・・・。画像下、マンサクの花はそろそろ終盤に・・・・・・)



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