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2024年10月

2024年10月26日 (土)

あぶないみずぎ

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▲「ファミコン版ドラゴンクエストⅢ」の公式ガイドブック、通称「赤本」がこちら。ちなみにドラクエⅠの公式ガイドブックは「黒本」、ドラクエⅡの公式ガイドブックは「青本」だった・・・・・・。

ドラクエの世界には、女性専用の装備品というのが存在する。


家庭用ゲーム機で発売されたドラクエシリーズで、女性専用の装備品が初めて登場したのは、1988(昭和63)年2月10日に発売された「ドラクエⅢ(ファミコン版)」からだった。


そしてその装備品が売られていたのは、旅立ってから間もなくして到着するアッサラームの町だった・・・・・・。


アッサラームの町は昼と夜ではガラッと雰囲気が変わり、夜になると町のステージでベリーダンスが披露される、いわゆる「大人の町」でもあった。


そんな町だからなのか、北東にある武器屋には、他の町では見たことがない、「アブない水着(公式ガイドブックの表記)」なる防具が売られていた。


で、この「アブない水着」こそが、シリーズ初の女性専用の装備品だったのである・・・・・・。


では、「アブない水着」とは、どのような防具なのだろうか。


そこで公式ガイドブックを開いて、そのビジュアルを確認してみると、基本的には胸元が大きく開いたワンピーススタイルの水着であることが分かる。


ただ、通常の水着と違うのは、胸のすぐ下あたりから、へその下あたりにかけて、トランプのダイヤのマークの形に、布地がカットされていて、胸が大きく露出するデザインになっていることだ・・・・・・。


そして、すでにお気づきのかたも少なくないと思うが、これは防具とは名ばかりのただの水着である。


その証拠に公式ガイドブックに記載されている守備力はたったの「+1」なのだ。


そして頼みの綱の特殊効果に関しても、特に何もなしと来ている。


普通に考えたら、こんな裸同然の格好では、モンスターの打撃を食らえば、一撃で大怪我間違いなしで、炎を吐かれようものなら、焼け死んでしまってもおかしくはないだろう・・・・・・。


で、特筆すべきは、こんな何の役にも立たない水着が、なんと「78000G」もすることである。


いったい何に対しての価格設定なのか、意味がさっぱり分からない・・・・・・。


ところでこの「アブない水着」、前作に当たる「ドラクエⅡ」の時に、すでにその構想はあったのだという。


容量の問題があって、結果的にボツになってしまったものの、「販売価格がべらぼうに高い」、「ムーンブルクの王女に装備させると、フィールド上のキャラクターが水着姿になる」という案が練られていたらしい。


そして、キャラクターの名前によっては、「いやよ、こんなもの!」と、装備するのを拒否されてしまうという仕掛けが考えられていたようだ・・・・・・。


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▲公式ガイドブックに紹介されている「アブない水着」。確かにアブないのかもしれないが、その実態は防具というより、「ただの水着」と言ったほうが正解だ・・・・・・。

ところで、「ドラクエⅡ」といえば、MSXに移植されていたことをご存知だろうか?


今となっては、MSXといっても、何のことか分からない人の方が多いと思うので、簡単に説明しておくと、パソコンの入門機の、いわゆる「ホビーパソコン」という位置づけのマシンだった。


で、MSXに移植することで、使える容量が増えて、ファミコン版Ⅱではボツになってしまっていた「あぶないみずぎ」が、MSX版では晴れて採用されることになったのだ・・・・・・。


ファミコン版ドラクエⅢの「あぶないみずぎ」の入手方法は、「武器屋で購入する」というオーソドックスなスタイルであったが、MSX版ドラクエⅡでは、ムーンブルクの王女に何もアイテムを持たせない状態で、ラダトーム王に話しかけるとイベントが発生するようになっている。


ラダトーム王が、「こんなにかわいいのに、きるものもないとはかわいそうじゃ」と、宝箱から「あぶないみずぎ」を出して、プレゼントしてくれるのだ。


どうでもいいが、王様はいったい何の目的で、「あぶないみずぎ」を所持していたのだろうか・・・・・・。


そして王様から「あぶないみずぎ」をもらうと、なぜか教会の効果音が鳴り響き、「あぶないみずぎ」を着用したムーンブルクの王女の一枚絵が、画面にドーンと表示される。


しかも、全身の画像だけではなく、胸と下半身のアップがそれぞれ個別に表示されるというこだわりようだ。


この画像を見ると、「あぶないみずぎ」のデザインは、ファミコン版Ⅲの公式ガイドブックに掲載されているものと、基本的には同じなのだが、MSX版では胸元などにフリフリの装飾が付けられていて、どちらかというと、下着っぽい印象になっている。


ちなみにこの一枚絵、ドラクエのキャラクターデザインとはかなりかけ離れた、昭和アニメ風のデザインになっていて、妙に違和感を感じる仕上がりになっている・・・・・・。


そしてこの画像が表示された直後に、普段はひと言も発しない主人公が、思わず「おおっ、〇〇〇ちゃん!」と口走ってしまうのだ。


ちなみに「〇〇〇」にはムーンブルクの王女の名前が入ることになる。


いっしょにいたサマルトリアの王子も、「こいつはさいこうだぜ!」と興奮している様子。


そして、「あぶないみずぎ」を王女にプレゼントした張本人の王様も、「ああ、このとしまで、いきてきてよかったわい!」と感動している様子なのだが、思わず「このエロじじいがっ!」と、つっこまずにはいられない。


一方、リアルタイムで3人の感想を聞かされたムーンブルクの王女は、「そんなにみないで。わたし・・・はずかしい・・・」と、口でははにかんでいるのだが、先ほどの一枚絵の画像では、左手を腰に当てて、しっかりとポーズを取って見せている・・・・・・。


ところで、このMSX版ドラクエⅡの「あぶないみずぎ」には、ファミコン版ドラクエⅢの「あぶないみずぎ」にはない特徴があった。


なんと装備することで、特殊効果の「みとれる」の効果があったのだ。


早い話が敵が戦闘時にみとれてくれれば、そのターンの敵は、いっさい何もして来ないことになるわけだ。


やっかいな攻撃を仕掛けて来る敵には、これはとてもありがたい特殊効果になるだろう。


しかも、この「みとれる」は、驚くべきことに、ラスボスのシドーにも有効なのだ。


普段はしゃべらない主人公を、しゃべらせただけのことはあるといえよう・・・・・・。


ところでこのMSX版ドラクエⅡは、ファミコン版ドラクエⅢ発売の、わずか4日前に発売になっている。


参考までに付記すると・・・・・・、


ファミコン版ドラクエⅡは、1987(昭和62)年1月26日発売、


MSX版ドラクエⅡは、1988(昭和63)年2月6日発売、


ファミコン版ドラクエⅢは、1988(昭和63)年2月10日発売となる・・・・・・。


先ほども書いたように、MSX版ドラクエⅡには、あぶないみずぎに「みとれる」の特殊効果があった。


ところがその4日後に発売になったファミコン版ドラクエⅢでは、その特殊効果がきれいさっぱりなくなって、ただの「高額な普通の水着」になってしまったのだ。


たった4日の間に何があったというのか・・・・・・。


専門誌などを通じて、MSX版のあぶないみずぎの特殊効果のことを知ってしまうと、これについてはどうにもこうにも納得がいかない。


武器防具の店のおやじに文句を言ってやりたい気分でいっぱいだ。


しかも当時子供だった我々世代からしてみると、それを体験してみたくても、MSXなんて買ってもらえるはずもなく、ただ、ただ、悶々としながら、ファミコン版ドラクエⅢをプレイするしかなかったのである・・・・・・。


2024年10月20日 (日)

パーマンポテトチップス

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▲ポテトチップスに付いていたカードとぴったりサイズの袋の内側に、「当たり」の文字が出るともらえたカードアルバム・・・・・・。

カルビーのカード付きポテトチップスといえば、昔から「プロ野球チップス」が定番だった。


じつは1980年代には、このカード付きポテトチップスは、様々な種類のものが発売になっていた。


そしてそれは、スポーツというジャンルにとらわれず、アニメのキャラクターを採用した商品も多数発売されていた・・・・・・。


1980年代といえば、子供たちに藤子不二雄の作品が人気で、ドラえもんや忍者ハットリくん、パーマンなどが、テレビで次々と放映されている時代だった。


で、カード付きポテトチップスの方も、その人気にあやかって、ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマンなどの絵柄のものが、毎年のように発売になっていた・・・・・・。


最初に発売されたのは、やはり藤子不二雄の代表作のドラえもんだったが、1979(昭和54)年の発売当時は、「ドラえもんスナック」という商品名だった。


で、その2年後の1981(昭和56)年に発売になったのが、「忍者ハットリくんポテトチップス」だった。


そしてその2年後の1983(昭和58)年には、「パーマンポテトチップス」が発売になっている・・・・・・。


で、その翌年の1984(昭和59)年には、「ドラハッパーポテトチップス」が発売になるのだが、今となっては、「ドラハッパー」なんていっても、何のことやらさっぱり分からないという人の方が多いのではないだろうか。


じつは「ドラハッパー」とは、ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマンを合わせて、そのように呼んでいたのだ。


アニメでは絶対に共演することのない彼らが、ポテトチップスのカードの中では、夢の共演を果たしており、当時の子供たちは、ワクワクしながら、カードの袋を開封していたものである・・・・・・。


そして、「ドラハッパーポテトチップス」発売の翌年の1985(昭和60)年には、「オバQポテトチップス」が発売になるのだが、なぜかこの商品だけはカードが付いておらず、店のおばちゃんに、「カードは付いて来ないの?」と聞いている子供がたくさんいたものだ・・・・・・。


さらにその翌年の1986(昭和61)年には、「5きげんチップス」が発売になった。


ちなみに「5きげん」とはなんのことかというと、「ドラハッパー(ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマン)」に、オバケのQ太郎とプロゴルファー猿を加えたものを、「5きげんクラブ」と呼ぶようになり、「5きげんクラブ」のポテトチップスということで、「5きげんチップス」と命名されたようだ。


前年発売の「オバQポテトチップス」は、カードが付いていなかったことが不評だったのか、「5きげんチップス」から再び、カードが付属するようになった・・・・・・。


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▲カードアルバムの内側はこんな感じで、48枚のカードをコレクションすることが出来た。ちなみに上の画像の面は、カード6枚分あって、折りたたまれて収納されている・・・・・・。

で、この藤子不二雄作品のポテトチップスシリーズは、1袋につき、カードが1枚付いて来た。


私の記憶では、確か当時はポテトチップスの袋に、カードは貼り付けられていなくて、ポテトチップスを買うと店のおばちゃんが、「はい」とカードを手渡ししてくれていたように思う・・・・・・。


カードはピッタリサイズの袋に入っていて、中のカードの絵柄は分からないようになっていた。


で、この袋をハサミで切って、中のカードを取り出すのだが、じつはこの袋、ただのカードのカバーというわけではなくて、袋の内側に「当たり」の文字がプリントされていることがあったのだ。


そして、その「当たり」を葉書に貼ってカルビーに送ると、カードを収納することが出来る、「カードアルバム」をもらうことが出来た・・・・・・。


このアルバムには、48枚のカードをコレクションすることが出来たのだが、カードの種類はなんと100種類以上あったそうで、とても1冊のアルバムに収められる量ではなかった。


付属のカードは表面は漫画の1コマがカラーイラストで描かれていて、裏面は白黒のイラストに簡潔な文章が添えられる形で、そのシーンについての解説が書かれていた。


当時の子供たちは、これを読むことで、友達よりも物知りになれたような気がして、ちょっとした優越感に浸ることが出来たのだった。


だからいざ袋を開ける時には、「友達が持っていないカードが出ますように」と、毎回祈るような気持ちで、ドキドキしながら開封作業を行っていたものだ・・・・・・。


で、先ほども書いたように、カードの種類は100種類以上あったので、普通に考えたら、そうそうダブることはないと思うのだが、不思議なもので、同じカードが2枚、3枚と集まることもよくあった。


また、同じカードが出たので、友達に「カードを交換しないか?」と持ちかけると、友達がダブっているカードも、なぜか自分と同じカードだったなんてことも、しばしば起きていた・・・・・・。


ここまで来ると、もはや奇跡としかいいようがない。


それともカードによって、出やすいカードと、そうでないカードがあって、出現率が調整されていたのだろうか。


しかし、当時はそんな話は1度も聞いたことがなかったし、もし、レアカード的なものが存在していたとしたら、子供たちはもっと熱狂して、カード集めが大ブームになっていたことだろう。


で、私は幸運にも「当たり」が出て、カードアルバムをもらうことが出来たのだが、そのアルバムに収めるカードの方はというと、前述のようにダブりがたくさん出て、結局のところ、アルバムの半分も集めることが出来なかったのだった・・・・・・。



2024年10月14日 (月)

牛乳に相談だ。「バスケ篇」「シンデレラ篇」

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2005(平成17)年から2010(平成22)年頃にかけて、中央酪農会議が「牛乳に相談だ。」という、テレビCMを放映していたことがあった。


その目的は若年層の牛乳離れを食い止めるための、牛乳の消費拡大キャンペーンだった。


で、個人的にこの「牛乳に相談だ。」のシリーズは、内容があまりにもバカバカしくツボだったので、ちょっとネタとして取り上げてみたいと思っている・・・・・・。


じつはこの「牛乳に相談だ。」のテレビCMはシリーズ化されていて、じつに10本以上の作品が放映されている。


そしてその記念すべき最初の作品は「バスケ篇」で、2005(平成17)年8月から放映が開始されている。


CMではまず、バスケ部のロッカー室が映し出される。


弱小チームなのか、「試合に勝ちて~」と部員Aがつぶやく。


すると部員Bがすかさず、「じゃ、牛乳だ!」と唐突にひと言。


「なんで?」と部員A。


「でかくなるんだよ」と部員Bが答える。


すると虚空を見つめながら、「でかく・・・・・・」と妄想に耽る部員A・・・・・・。


そして、場面は部員Aの妄想の世界に切り替わる。


どうやら他校との試合のシーンのようだ。


しかし、なぜか部員Aたちは巨人になっており、バスケットボールをまるでバケツリレーでもしているかのように、後ろへ手渡しで次々と回していく。


相手チームは巨人化していないので、ボールに全く手が届かず、なんなくゴールを決めることが出来る。


「よっしゃ!」と喜び合う部員Aたち。


巨人チームに対抗するため、素早いドリブルで部員Aたちの股の間を潜って行き、虎視眈々とゴールを狙う相手チーム。


しかし、巨人と化している部員Aは、ゴールを手の平で隠してしまい、相手チームのシュートは入らない。


スコアを見ると、なんと「327対0」。


女子生徒の黄色い声援に鼻の下を伸ばす部員A・・・・・・。


そして場面は冒頭のバスケ部のロッカー室に戻り、「飲まなきゃ!」とひと言。


そして部員全員で牛乳をコップで飲み干す。


「牛乳に相談だ」と男性のナレーションが入り、CMは終了となる・・・・・・。


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で、この「バスケ篇」と同時期に、「シンデレラ篇」も公開されているので、続けてご紹介してみたい。


「シンデレラ篇」の冒頭の場面は自宅のダイニング。


お母さんが唐突に、「牛乳飲んだら人生得よ」と娘に語りかける。


「何が?」と不思議そうに聞き返す娘。


すると「骨が丈夫になるのよ」とお母さん。


「骨?」とつぶやきながら、妄想を始める娘・・・・・・。


そして場面は中世ヨーロッパのような世界に変わる。


髭の長い外国人執事風の男性から、「履いてみてください」とガラスの靴を手渡される娘。


「ガラスの靴・・・」とポツリとつぶやく娘。


そして言われるがままにそのガラスの靴を履いてみるとなんとピッタリサイズ・・・・・・。


ここで登場するのが、意地悪な姉2人なのだが、主人公の「娘」は黒髪ストレートでがっつり日本人なのに、なぜか姉2人は金髪で中世ヨーロッパ風のお姫様ヘア。


どこからどう見ても外国人である・・・・・・。


そしてこの意地悪な姉2人が暴挙に出る。


なんとお城のダビデ像を倒して、シンデレラ(娘)の頭に直撃させてしまうのだ。


しかし、ダビデ像を頭上に乗せたまま、「なに、なに?」とノーダメージのシンデレラ(娘)。


すると、「ず~っと探してました」と、突然どこからともなく、いかにもバカっぽい王子が現れる。


そして、「あなたのような素敵な骨密度の女性を!」とおかしなことを言い出す。


その直後、シンデレラ(娘)の頭の上に乗っていたダビデ像が首からポキッと折れて、頭の部分だけがシンデレラ(娘)の頭上に残る。


「結婚して!」と王子・・・・・・。


場面は変わり、城の外で夜空を見上げる2人。


「あ、流れ星!」と王子。


「ロマンチック~」と思わずつぶやくシンデレラ(娘)。


その直後、シンデレラ(娘)の頭に隕石が直撃。


「あっつ(熱)!」とはいうものの、なんとシンデレラ(娘)は無傷。


逆に隕石の方が煙を出しながら割れてしまう。


もはやドクタースランプアラレちゃんの世界である・・・・・・。


場面は冒頭の自宅ダイニングに戻り、「飲んどこうかな~」とお母さんと2人でコップに入った牛乳をグビッと飲み干す。


そして、「牛乳に相談だ」と男性のナレーションが入り、CMは終了となる・・・・・・。


このCMによって、牛乳のイメージアップがはかられ、若年層の牛乳離れを食い止めることに繋がったのかどうかは分からないが、面白かったことだけは確かである・・・・・・。


(画像上、草地にアキアカネがたくさん舞っていた・・・・・・。画像下、アキノタムラソウがあちこちで咲いている・・・・・・)


2024年10月 8日 (火)

オクラとスイカにまつわる迷信

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昭和の頃には、日常生活に密着した迷信や、都市伝説というのがけっこうあった。


我が家でもそれは例外ではなく、私が幼かった頃、母から「スイカやオクラの種は、うっかり食べてしまうと、次第に腹に貯まっていき、それが原因で盲腸になる」という話をよく聞かされたものだった。


具体的にどういう話だったのかというと、スイカやオクラの種は、そのまま飲み込んでしまうと、虫垂、いわゆる盲腸の部分に、知らぬ間に貯まっていき、それが原因で虫垂炎になるから、ちゃんと取り除いてから食べなくてはならないという、非常に面倒くさい話だった・・・・・・。


このため母は、オクラを調理する時には、まずオクラを縦半分に切って、種の部分をきれいに掻き出してから調理を始めていた。


一方のスイカの方はというと、オクラのように一掻きで種を取り出すという訳にはいかなかったので、食べるときに自分で一粒ずつ種を取り除かなくてはならず、せっかくキンキンに冷やしておいたスイカなのに、食べ始めるころには生温かくなっていて、とてももどかしく感じたものである・・・・・・。


で、スイカの場合、食べる前に表面の種をスプーンできれいに取り除いても、果肉の内側にも種は点在しており、やっとの思いでひとくち食べられても、今度は口の中で種探しを始めなくてはならなかった。


このため子供にはスイカを食べるのは異常に時間がかかり、正直面倒くさいことこのうえなかった。


早い話がスイカは食べたいけれど、食べるのが面倒くさいというジレンマに悩まされていたのである・・・・・・。


しかし、面倒でもこれをやらなければ盲腸になるかも知れないのだ。


盲腸になったという人の話を聞くと、大の大人が七転八倒するほど、とてつもなく痛いものらしい。


うんこが出そうな時に起こる腹痛とは訳が違うのだ。


そんな激痛レベルの痛みを避けられるのなら、スイカの種を1粒1粒丁寧に取り除く手間など屁でもない・・・・・・。


ところで当時の私には疑問に感じていることが1つあった。


ドリフの志村けんは、スイカの早食いを特技としていた。


あんなに猛烈な勢いで、スイカをあっという間に平らげてしまうのだから、きっとスイカの種を取り除いている暇などないはずである。


きっと、あれでは種も全部丸飲みに違いない。


それなのに志村けんは、なぜ盲腸にならないのか。


ドリフはテレビで毎週やっているのだから、盲腸になって入院でもしたら、きっと番組は休むことになるだろう。


それなのに、志村けんが休んでいるところは、結局のところ、一度も見たことがなかった・・・・・・。


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ところで、スイカといえば、もう1つ迷信というか、都市伝説があったのを、みなさんはご存知だろうか。


どのような迷信だったのかというと、スイカの種をうっかり飲み込んでしまうと、お腹の中でスイカが芽を出し、なんとへそを突き破って蔓が生長してくるというのである。


今だったら、「そんな馬鹿な・・・」と、一笑に伏すところだが、当時は大人が大真面目にその話を語っていたので、信じている子供も少なくなかった。


そんなこともあって、当時の子供たちは、スイカは食べたいけれど、種は絶対に飲み込んではいけないという極度の緊張感と戦いながら、スイカをひとくちずつ、慎重に食べ進めていたのである・・・・・・。


そこまでしていても、「もしかしたら、さっきうっかりスイカの種を、一粒飲み込んでしまったかも知れない」と感じる時があった。


そんな時は、「明日になって、腹が痛くなったらどうしよう・・・」とか、「朝起きたら、へそからスイカの蔓が伸び始めていたらどうしよう・・・」とか、悪いことばかり考えてしまい、なかなか寝付けずに、悶々とした一夜を過ごすことになるのである・・・・・・。


ところで、このオクラやスイカにまつわる迷信(都市伝説)だが、私は中学2年の夏に、全くのデマであることを確信した。


そのきっかけとなったのは、スーパーの惣菜コーナーで買った、「オクラと豆腐の和え物」だった。


そしてその日の夕飯の一品として、その惣菜はだされたのだが、なんとよく見ればそのオクラはぶつ切りで、種を一切取っていなかったのだ。


私がそのことに気付いたのは、もう夕飯をすっかり食べ終わる頃だった・・・・・・。


その日の晩は、もうお先真っ暗の心境で、盲腸にならないことを何度も神に祈りながら、布団へ入ったのだった。


次の日の朝、不思議なことに、あれほど恐れていた腹の痛みは、なぜか少しも感じられなかった。


「あれ?」と思いながら、便意を感じて便所へ行くと、便秘の人がうらやむほどスムーズにブリブリとうんこが出た。


そして、お尻を拭いて、立ち上がり、自分の尻から捻り出されたうんこをまじまじと見つめる。


すると、次の瞬間、思わず「あっ!」と声が出ていた。


なんとなんと、目の前でぐったりと横たわっている私のうんこには、白いつぶつぶがびっしりと入っていたのだ。


もはやいうまでもなく、それはオクラの種だった。


「何だ、食べちゃっても、うんこで出るんじゃん・・・」


私は脱力しながら、自分のうんこをボーッと見つめ続け、そんなひとりごとをボソリとつぶやいていた。


スイカの場合は種が黒いので、今までは全く気付かなかったが、オクラの経験を踏まえて、スイカを食べた翌日のうんこをよーく観察してみると、やはりオクラと同様に、うんこにしっかりと種が練り込まれていた。


一体あの迷信はなんだったのだろうと、今でもふと思うことがある・・・・・・。


(画像上、今年は開花が遅れに遅れた彼岸花・・・・・・。画像下、キクイモの花が見頃になった・・・・・・)



2024年10月 2日 (水)

キャップ弾火薬鉄砲

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▲これは現在100円ショップで売られている鉄砲型のおもちゃだが、銃身を倒して、シリンダーに火薬を装填するようになっている。この仕組みについては、当時のものとなんら変わらない・・・・・・。

昭和の頃によく見られた駄菓子屋では、いわゆる駄菓子の販売以外に玩具の販売もしていた。


駄菓子屋で売られていた玩具は、一般的なおもちゃ屋で売られている玩具とはちょっと違っていて、駄菓子屋特有のものだったように思う・・・・・・。


駄菓子屋で売られていた玩具の代表選手といえば、なんといっても火薬を使用する玩具だろう。


火薬というと、花火を思い浮かべるかたも少なくないと思うが、じつはそうではなくて、駄菓子屋で売られていたのは、内部に火薬を装填して使用する玩具だった。


子供用のおもちゃに火薬を使用するなんて言ったら、きっと今だったら、企画の段階で完全にアウトだろうが、当時は特に問題になることもなく、普通に売られていた・・・・・・。


以前、火薬が使われている駄菓子屋のおもちゃとして、「巻玉鉄砲」と「平玉鉄砲」をご紹介したのだが、じつは火薬が使われている鉄砲型のおもちゃは、この2つ以外にもまだあった。


「キャップ弾火薬鉄砲」は、かなり本格的な鉄砲のおもちゃで、8連式のリボルバー仕様になっていた。


火薬は巻玉鉄砲や平玉鉄砲のようなシート状ではなくて、「カネキャップ弾」と呼ばれるリング状のものだった。


巻玉鉄砲や平玉鉄砲と比べると、火薬の威力がかなり強く、取り扱いには十分な注意が必要だった。


1発の威力が強いことに加え、8回連続で撃つことが可能だったため、連発とは思わずに、うっかり鉄砲の前へ飛び出したりすると、火傷をする恐れもあった。


今だったら、世に出ることは絶対にあり得ないおもちゃだろう・・・・・・。


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▲これも現在100円ショップで売られている「8連発ピストル音の弾」。上のピストルに装填して使用する。じつは昭和の当時に売られていた「カネキャップ弾」も、これと見た目はほぼ同じと考えていい・・・・・・。

また、「キャップ弾火薬鉄砲」には、これをさらに進化させた商品もあった。


基本の「キャップ弾火薬鉄砲」は、「バン、バン、バン・・・!」と音を発することは出来たが弾は出なかった。


あの火薬の威力で弾まで出たら、かなり危険な代物だったのではないかと想像してしまう。


ところが「キャップ弾火薬鉄砲」の進化版は、派手な音に加えて、なんと弾も発射することが出来たのだ。


ちなみに弾はプラスチック製だったが、ちゃんと弾丸の形が再現されていた・・・・・・。


弾丸の装填方法は本物の拳銃と同様で、銃身を倒してシリンダーに弾丸を円形に1つずつ挿入して行く。


「キャップ弾火薬鉄砲」は火薬もリング状で、シリンダーにぴっちりとはめ込んで使用していたので、プラスチック弾はこの火薬リングの外周にセットするようになっていた。


子供の頃はこの火薬とプラスチック弾の装填方法がとてもリアルに感じられ、思わず手が震えたものだが、考えてみたら、本物の拳銃に弾を装填するところなんて見たことがないのだから、その感覚がどこから来ていたのか、いま考えると、全くもって謎としかいいようがない。


しかし、実際にはそう間違いでもなかったところが、また不思議なところなのである・・・・・・。


で、このプラスチック弾の撃てる「キャップ弾火薬鉄砲」だが、前述のようにおもちゃとしては火薬の威力がかなり強かったので、「弾まで撃つことが出来たら、危険極まりないだろう」と考えるのが普通である。


しかし、幸いなことに、「キャップ弾火薬鉄砲」の弾は、プラスチック製ということもあってとても軽く、弾丸としての威力は全くなかったのである。


このように弾丸や火薬の装填方法はとてもリアルで、取り扱い方法を誤ると、火傷をする恐れがあるほどの火薬の威力だったのに、弾だけはなぜか安っぽいプラスチック製という、バランスの取り方があまりにも極端すぎる、「キャップ弾火薬鉄砲」だったのである。


まあ、そうは言っても、これで弾に威力まであったら、いくら規制の甘い昭和の時代とはいえ、発売にストップがかかっていた可能性は大である・・・・・・。


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