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2024年12月

2024年12月26日 (木)

「スターヘリコプター」と「ぴょんぴょんカエル」

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▲昭和の当時に売られていた「スターヘリコプター」はもう売られていないが、その進化版と思われるおもちゃが売られていた。昭和版ではシンプルな棒状だった回転軸が、現代では拳銃型になって、引き金を引くことで、プロペラが飛んで行く仕組みになっている・・・・・・。

駄菓子屋で売られていたおもちゃというのは、お正月のお年玉を使ったり、クリスマスに親にねだって買ってもらうような、高額なおもちゃではなく、何かを我慢すれば、普段でも簡単に手に入るような、安価なものばかりだった。


そしてそれらは、値段が値段だけに、購入して遊んだところで、満足感や充実感はあまりなくて、「だから何?」と感じるようなものばかりだった。


で、そんな「だから何?」をいまからいくつかご紹介してみたいと思っている。


きっと、皆さんの思い出の1ページにも、しっかりと刻まれているアイテムだと思うので、当時を懐かしんでもらえたら幸いである・・・・・・。


まず、私が駄菓子屋で売られていたおもちゃで、真っ先に思い浮かべるのは「スターヘリコプター」だ。


確かそんな商品名だったと思うのだが、イメージとしては竹とんぼのプラスチック版である。


とはいうものの、竹とんぼをただプラスチックで作りましたというわけではなくて、柄の部分には回転軸が内蔵されていて、ひもを引っ張ることにより、これが回転して上部のプロペラが飛んで行くような仕組みになっていた。


ちなみにプロペラの羽は、Yの字状に3枚あって、各羽を円形の輪っかで固定してあった・・・・・・。


竹とんぼはコツがつかめないと、うまく飛ばせないものだが、スターヘリコプターはひもを引っ張るだけで、誰でも簡単に飛ばすことが出来た。


ただ、スターヘリコプターは、私たちが想像している以上に飛ぶので、室内だと電気の傘の上に乗っかってしまったり、野外だと木の枝に引っかかったりと、遊ぶ場所を選ばないと、プロペラを回収するのに、非常に苦労することになる・・・・・・。


うちでは飛んで行ったプロペラが、タンスの後ろの隙間に落ちてしまい、物差しやハエ叩きで、何とか取ろうとしたのだが結局取れず、これはタンスを動かさなきゃ無理だなということになって、年末の大掃除まで待たされることになった。


ところがその数週間後、うちのネコがスターヘリコプターのプロペラを咥えて歩いて来て、「どうやって取ったの !?」と、家族全員で唖然としたことがあった。


結局、ネコがどうやってプロペラを取ったのかは、いまも謎のままである。


駄菓子屋のおもちゃというのは、冒頭にも書いたように、「だから何?」と感じるようなものばかりで、すぐに飽きてしまうものがほとんどだったが、このスターヘリコプターでは、けっこう遊んだのを覚えている・・・・・・。


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▲昭和の頃はよく見かけた「ぴょんぴょんカエル」。現代の子供たちもこのおもちゃの存在を知っているのは、「サザエさん」の登場人物、カツオの影響に違いない。ちなみに現在店頭で見かけるのは、いわゆる「類似品」である・・・・・・。

駄菓子屋で売られていたおもちゃで忘れてならないのが「ぴょんぴょんカエル」だろう。


現在では「ぴょんぴょんカエル」で遊んでいる子供なんて、めっきり見なくなってしまったが、じつはこの「ぴょんぴょんカエル」は、現在でも販売されている超ロングセラー商品だ・・・・・・。


そしてこの「ぴょんぴょんカエル」を現在でも有効に活用している超有名な少年がいる。


「サザエさん」の登場人物のひとり、カツオである。


カツオはサザエさんを驚かすために、「ぴょんぴょんカエル」を何度使用したか知れない。


カツオは何度も同じ手口で驚かしに来るのに、毎回腰を抜かすほど驚くサザエさんは、よっぽどカエルが苦手なのだろう・・・・・・。


「ぴょんぴょんカエル」は、カエルのお尻からチューブが伸びていて、それがポンプに繋がっている。


で、このポンプをシュポシュポ押すと、カエルの折り畳まれた足が伸びて、ぴょんぴょん跳ねる仕組みになっている・・・・・・。


ところでカエル本体に空気を送るためのチューブについてだが、これは何mもあるような長いものではなくて、せいぜい40~50㎝もあればいい方だ。


ということは、サザエさんからは、いたずらを仕掛けようとしているカツオの姿は、丸見えだったはずなのだ。


それにもかかわらずサザエさんは、「ぴょん!」と飛び出て来たカエルを本物だと認識し、腰を抜かすほど驚いて、いたずらを仕掛けて来たカツオに激怒して、追いかけ回しているのである。


どうでもいいが、もはやそれって、カツオが悪いというより、サザエさんの方がどうかしているとしか、いいようがないのではないだろうか・・・・・・。



2024年12月19日 (木)

「プリンミクス」と「プリンエル」

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▲じつは「プリンミクス」は、現在も売られている超ロングセラー商品だ。発売はなんと1964(昭和39)年だった。右は100円ショップで手に入るプチサイズ・・・・・・。

私が子供の頃、プリンはお店で買って来て食べるものというより、自宅でお母さんが作ってくれるものだった。


店ではグリコのプッチンプリンも売っていたし、買って食べてもいたのだが、それよりも家で作っていたプリンの方が、強く印象に残っている・・・・・・。


家でプリンを作るなんていうと、「面倒くさそう」と思われるかたも少なくないと思う。


ところがどっこい、全然面倒くさくなかったのである。


なぜかというと、当時はハウスから、「プリンミクス」というプリンを家で手軽に作ることが出来るプリンの素が発売されていて、これがちょっとしたブームになっていたのだ。


ちなみにプリンミクスは、卵や牛乳などを準備する必要もなく、プリンの素をお湯と水で溶いて、冷蔵庫で冷やすだけで、簡単に作ることが出来た。


「プリンミクス」は1964(昭和39)年の発売で、なんと現在もスーパーに行けば売っている、超ロングセラー商品なのである。


半世紀も売られ続けているということは、やっぱり「プリンミクス」はよい商品ということになるだろう・・・・・・。


ところでこのハウスから発売になっていたプリンの素は、じつは2種類あった。


赤いパッケージの「プリンミクス」と、橙色のパッケージの「プリンエル」がそれである。


ちなみにプリンエルは、1988(昭和63)年の発売である・・・・・・。


で、当時はテレビCMも流れていたのだが、CMではプリンミクスとかプリンエルという商品名は使わずに、「ハウスプリン」と表現していたので、2種類の商品があるということを、分かっていない人も少なくなかった。


それもそのはず、プリンミクスとプリンエルは、パッケージもそっくりで、どちらも中央にドカンと大きなプリンの写真が自己主張していた・・・・・・。


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▲こちらは牛乳で作る「プリンエル」。プリンミクスから遅れて1988(昭和63)年に発売になった。プリンミクスと同様に現在も売られている超ロングセラー商品である・・・・・・。

では、このプリンミクスとプリンエル、何がどう違っていたのだろう?


じつはこれについては、プリンミクスは「お湯と水で作る」、プリンエルは「牛乳で作る」という明確な違いがあった。


ちなみに我が家では、母がプリンの素を牛乳で溶いて作っていた記憶があるので、プリンエルを使っていたのだろうか。


しかし、私には母が「プリンの素は牛乳で溶いた方が美味しいんだって」と言っていた記憶もあって、そう考えるとお湯と水で溶いて作るプリンミクスを、あえて牛乳で溶いて作っていたとも考えられるのだ。


いまとなっては確かめようもないのだが、牛乳で溶いて作るプリンは、とても美味しかったのを覚えている・・・・・・。


で、このプリンの素、水や牛乳で溶いて完成というわけではない。


それではただのプリン味の飲み物である。


そこでこのプリン味の液体を型に流し込み、冷蔵庫に入れて固める必要があるわけだ・・・・・・。


で、当時はハウスのプリンの素が大人気だったこともあって、どこの家にもプリンを固めるためのアルミの容器(型)が常備されていた。


このプリンの型に、プリン味の液体を入れて、冷蔵庫に入れて、1時間以上冷やせば、プリンが完成となるのだが、当時子供だった私は、「まだか、まだか・・・」と、気になって仕方がなくて、何度も冷蔵庫を開けては、プリンが固まっていないか確認していたので、冷蔵庫の温度が思うように下がらず、なかなかプリンが固まらなかった。


あげくのはてには、まだ半分しか固まっていないプリンを取り出し食べようとして、母に何度も怒られていたものである・・・・・・。


ところでこのプリンを固めるためのアルミの型だが、現在では売っているのを、ほとんど見かけなくなってしまった。


いまではプリンは、「店で買って来て食べる」のが主流となって、家で作る人は少なくなってしまったのだろう。


当時を知るものとしては、なんだかちょっと寂しく感じて、ついつい遠い目になってしまう・・・・・・。


2024年12月13日 (金)

「あかなめ」と「枕返し」

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個人的には妖怪というと、人気の少ない場所で、気配を消して、ひっそりと暮らしているイメージが強い。


このため人間がその姿を目撃することはめったにない。


だからこその「妖怪」であり、これが日常的にしばしば目撃される存在であったら、きっと別の呼び方になっていたことだろう・・・・・・。


ところが妖怪の中には、大胆にも人の生活空間に、堂々と侵入してくるものもいる。


例えば「あかなめ」という妖怪は、住人も寝静まった深夜にその家の風呂場に出現する。


人もいない風呂場で、いったい何をしようというのか・・・・・・。


じつは「あかなめ」は、人のいない風呂場で、浴槽に付着した垢をペロペロと舐めているのだ。


「それで?」と思うかたも少なくないだろうが、「あかなめ」がする行動は、その一点に尽きる。


他にはいっさい何もしない・・・・・・。


住人の寝静まった深夜の出来事なので、人間の側からしたら、深夜の風呂場でそんなことが起きているなんて知る由もなく、「あかなめ」の侵入については、永遠に気付くことはないのである。


ただ、浴槽を洗う時に、「最近いやにヌメリがひどいな~?」とは感じるかもしれない・・・・・・。


「あかなめ」が来訪する頻度は定かではないが、風呂の水を替えずに入った日に限って、前日の深夜に「あかなめ」が来ていたりすると、ひじょうにやっかいである。


お風呂に浸かって、「ホッ」と一息ついていたら、ふと浴槽のヌメリに気付いて、「ああ、やっぱり水を替えておけばよかったな・・・」などと思っても、時すでに遅しである。


そのヌメリがただの汚れではなく、「あかなめ」のよだれだったなんて、思いもしないだろうが、そんな経験があるかたは、注意した方がよいだろう。


もしかしたら「あかなめ」は、あなたの家の風呂場の常連で、「ここの家の垢はひと味違う!」などと、太鼓判を押されている可能性もある・・・・・・。


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風呂に入ってさっぱりしたら、後は寝るだけである。


しかし、妖怪の中には、深夜に寝室に現れるものもいるので、うかうかしてはいられない・・・・・・。


先ほどの「あかなめ」は、人に危害を加えるようなことはなかったが、深夜に寝室に現れる「枕返し」という妖怪は、熟睡している人に対して、いたずらのような、謎の行動を仕掛けて来る。


いったい何をして来るのかというと、「枕返し」という名前にもあるように、枕を素早く抜き取って、それをひっくり返して、「サッ!」と元に戻したり、抜き取った枕を投げ捨てたりして来る。


また、布団を「ガバッ!」とめくって、寝ている人の体の向きを、上下逆に入れ替えたりもする。


いったい何のためにそんなことをして来るのか、全くもって理解に苦しむ。


それを実行することによって、相手が起きてしまう可能性もあるわけで、そんなリスクを冒してまで、やることの意味が分からない・・・・・・。


人間の側からしたら、朝起きた時に感じる寝違えや体の痛みは、恐らくこいつのせいだろう。


また、十分寝たのに「寝た気がしない」とか、寝ていただけなのに、「なぜか疲れた」という時も、「枕返し」が現れていた可能性がある。


「もう、やめてくれよ~」という話である・・・・・・。


先ほども書いたが、「枕返し」のこれらの行動は、非常にリスクが高い。


それにもかかわらず、それを実行して来るということは、想像するにこれは仕事なのではないか。


いったいどこから給料が出ているのかは謎だが、夜遅い勤務ということもあり、きっと深夜手当が付くのだろう。


さらにオフィスに出社するわけではないので、恐らくは出張手当も付いているはずだ。


さらに相手を起こさずに、職務遂行をするためには、それなりに経験と技術が必要になって来る。


当然、技術手当的なものも付くだろう。


そう考えると「枕返し」って、意外と高給取りなのではないか?


人の安眠を妨害しておいて、高額な給料を手にしているなんて、非常に腹が立つ話である・・・・・・。


(画像上、イロハモミジがきれいに紅葉した・・・・・・。画像下、日光浴をしている顔見知りの三毛猫・・・・・・)


2024年12月 7日 (土)

ファミコンで通信が実現していたら・・・

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家庭用ゲーム機を手に取って、本体を裏返したり、回転させたりして、くまなく観察する人は、そうそういないと思う。


しかし、そのようにしてじっくり観察していると、「あれ、この端子って、いったい何のために付いているんだろう?」という、思わぬ発見があるものだ。


そしてそれは、ある特定の機種だけではなく、歴代家庭用ゲーム機の複数の機種で、確認することが出来るのである・・・・・・。


古いところでは、家庭用ゲーム機の先駆けとなった、ファミリーコンピューターの時代まで遡る。


ちなみにファミリーコンピューターは、1983(昭和58)年7月15日に発売になっている・・・・・・。


そして、その2年7ヶ月後の、1986(昭和61)年2月21日には、周辺機器のファミリーコンピューターディスクシステムが発売になる。


ファミコン本体とディスクシステムは、ファミコンのカートリッジスロットに、「RAMアダプタ」という平たい機器を差し込んで接続していた。


そしてこのことから分かる通り、ファミコン本体には、「周辺機器を接続する端子」は付いていなかったことになる・・・・・・。


じつはファミコンの時代にあった、「何に使用するのか意味の分からない端子」は、ファミコン本体ではなく、周辺機器であるディスクシステムの「RAMアダプタ」に付いていたのだ。


ただ、子供の頃はゲームに夢中で、そんな使いもしない端子に興味を示す者など誰もいなかった。


だからほとんどの人は、その端子には気付いていなかったのではないだろうか・・・・・・。


ちなみに「RAMアダプタ」に付いていた端子は、「RAMアダプタ」を後ろ側から見ると、長方形をした端子として据え付けられていた。


その大きさは、「RAMアダプタ」の横幅の半分ほども占めていて、結構大きな端子であったことが分かる・・・・・・。


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で、結局任天堂は、この端子に何を接続するつもりだったのだろうか。


じつは当初任天堂は、この端子に「ディスクファックス」と呼ばれる、通信アダプターを接続するつもりだったようなのだ。


通信アダプターということは、当然ネットワークへ接続することを想定していたということになるだろう・・・・・・。


で、任天堂はネットワークに接続することで、いったい何をしようとしていたのか。


これについては、自宅からファミコンのディスクシステムを使って、ネットワークに接続することで、ファミコンのソフトをダウンロードすることが出来るよう、構想が練られていたというのだ。


そして何よりも驚いてしまうのは、これが1980年代の話であることだ。


ちなみに国内初のパソコン通信は、1984(昭和59)年に開局されているのだが、当時のパソコン通信は、まだ文字だけの世界だった。


ゲームのダウンロードなんて、夢のまた夢の時代である・・・・・・。


さらに任天堂には、任天堂とメッセージのやり取りを行う、現代でいうところの、メール交換の構想もあったようだ。


いうまでもないが、当時はネットワークを利用するメールシステムは、まだまだ一般的ではなかった時代だ・・・・・・。


また、ゲームやコミュニケーション以外にも、学校や塾などのテストを、ネットワークを介して配信し、各家庭のディスクシステムを使って送信、そしてその回答を返信することで、採点や添削をしてもらえる、学習支援の機能なども考えられていたそうだ。


もし、この構想が実現していたら、「ま~た、勉強しないでファミコンばかりやって!」という、昭和の母ちゃんたちを、「ギャフン!」と言わせることが出来たかもしれないと思うと非常に残念でならない・・・・・・。


で、これらの機能は現代であれば、もはや当たり前の話になっているのだが、任天堂は1980年代にすでに現代のネットワークサービスに近いものを思い描いていたことになる。


そして、これが実現していたら、もしかしたら未来が変わっていたのかもしれないが、結局のところ、ディスクシステムの通信アダプター「ディスクファックス」は、ついに最後まで発売されることはなかった。


そして「何に使用するのか分からない端子」は、全く使われることがないまま、その役目を終えたのだった・・・・・・。


(画像上、イチョウは散ってからも黃葉が楽しめる・・・・・・。画像下、顔見知りの近所のネコ。寒くなって来たから、早くお家にお帰りなさいね・・・・・・)


2024年12月 1日 (日)

イチゴスプーンとグレープフルーツスプーン

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▲イチゴスプーンはスプーンの腹側と背側の両面にイチゴの模様が彫り込まれているのが特徴。また、先割れスプーンタイプもあって、うちにはその両方があった・・・・・・。

昭和の頃、イチゴは「イチゴミルク」にして食べるのが常識だった。


ちなみに「イチゴミルク」とは、イチゴを容器に盛って、全体に砂糖をまぶしてから、果肉を専用のスプーンで丁寧に潰していき、その上から牛乳をかけたもののことをいう・・・・・・。


では、なぜ当時はそんな面倒なことをしていたのだろうか。


ズバリ言うなら、当時のイチゴは酸っぱかったのである。


当初イチゴは冷凍用品種のダナー種を、アメリカから輸入していたが、非常に酸味が強いイチゴだったといわれている・・・・・・。


そして1985(昭和60)年ごろになって、ようやく国産品種が出回り始める。


栃木県の「女峰」と福岡県の「とよのか」の2品種である。


どちらも酸味がグッと少なくなって、当時は「甘いイチゴ」として、大変な話題になったものである。


しかし、「女峰」や「とよのか」を持ってしても、まだまだイチゴは酸っぱいフルーツだったので、「イチゴミルク」を作って食べる食べ方が、この頃はまだ主流だったのだ・・・・・・。


そして、イチゴミルクを作る際に必需品だったのが、「イチゴスプーン」だったのである。


イチゴスプーンは、スプーンの表側の窪んでいる部分と、その裏側の両面にイチゴの模様が彫られていた。


子供の頃は、「これはイチゴを食べるためのスプーンですよ」とアピールするために、そのようなデザインになっているのかと思っていた。


しかし、じつはこれ、単なるデザインではなくて、イチゴを潰す際の滑り止めの役割があったのだという。


わざわざそんな滑り止めを付けてもらっていたにもかかわらず、当時子供だった私は、イチゴを潰す際によく弾いて飛ばしてしまっていた。


ということは、もしあの滑り止めがなかったら、容器のイチゴは半分以上がなくなっていたのかもしれない・・・・・・。


そんな酸っぱかったイチゴが、甘くて美味しいイチゴに変貌を遂げたのは、1996(平成8)年に品種登録された、「とちおとめ」からだった。


その後、2005(平成17)年になると、福岡県が県のオリジナル品種の「あまおう」を世に送り出し、成功を収めることになる。


これがきっかけになり、他の生産地でも、イチゴはより糖度の高いものを目指して、品種改良が進められていくことになる・・・・・・。


ところで昭和の頃には、どこの家にもあったイチゴスプーンなのだが、いつの頃からか、その姿を全く見なくなってしまった。


じつはこれについては、イチゴが品種改良によって甘くなったことで、イチゴミルクを作る必要がなくなり、イチゴスプーンの出番がなくなったことがその原因のようだ・・・・・・。


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▲グレープフルーツスプーンはスコップのような形をしていて、スプーンの周りにギザギザが付いている特殊な形状。これはグレープフルーツの果肉をすくい取りやすくするためだ・・・・・・。

同様の理由で世の中から消えていったスプーンに、グレープフルーツを食べる時に使うスプーンがある。


昭和の頃に出回っていたグレープフルーツは酸味が強く、とてもじゃないが、そのままでは食べられなかった。


このため昭和の頃は、グレープフルーツは真ん中から輪切りにして、断面の部分に砂糖をかけて、果肉をスプーンですくい取って食べていた。


で、この時に使用していたのが、グレープフルーツ専用のスプーンだったのだ・・・・・・。


グレープフルーツ専用のスプーンは、果肉をすくい取りやすいように、スプーンの腹の部分が卵形ではなくて、逆三角形をしていて、その周囲にはギザギザが付いていた。


グレープフルーツが甘くなったのは、果肉がピンク色や赤色のものが登場してからだった。


そしてちょうどその頃から、グレープフルーツは皮をむいてから、果肉を取り出して食べる食べ方が主流となっていった。


イチゴスプーンと同様に、これがきっかけとなって、グレープフルーツスプーンは世の中から姿を消していったのである・・・・・・。


ちなみに私は、スーパーの青果コーナーで、イチゴやグレープフルーツを見かけるたびに、反射的に真っ先に頭に浮かんでくるのは、イチゴスプーンとグレープフルーツスプーンだ。


昭和世代にとって、イチゴスプーンやグレープフルーツスプーンは、それぐらい愛着のあるスプーンだったのである・・・・・・。



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