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2025年1月

2025年1月29日 (水)

牛乳配達

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最近は瓶入りの牛乳を見る機会がすっかりなくなってしまったが、昭和の頃は、ほとんどの家が牛乳屋さんから牛乳を配達してもらっていたので、瓶入り牛乳は嫌でも毎日見ていたものだ。


朝起きて郵便ポストから朝刊を、そして牛乳箱から瓶牛乳を取って来るのが、昭和の朝の光景だったのである・・・・・・。


ところで牛乳箱などといっても、現代では通じないかもしれないが、天板が蓋になっていて、「カパッ!」と開くことが出来る、木製の四角い箱と思って貰えばよいと思う。


イメージとしては、鳥の巣箱がそっくりなのだが、もちろん鳥が出入りするための丸い穴はない。


そして牛乳箱は全体を黄色や赤色などの目立つ色に塗ってあって、牛乳屋さんに見つけてもらいやすく工夫してあった・・・・・・。


昔は新聞配達や牛乳配達は、早朝のまだ薄暗い時間帯に来ていて、家の前で止まるバイクのエンジン音や、自転車の「キーーーッ!」とというブレーキ音が、目覚まし時計代わりになっていたという人も少なくなかった。


牛乳配達に至っては、自転車の荷台から牛乳瓶を取り出す時の、「カチャカチャ」という音を聴いて、無性に朝の一杯を飲みたくなって、「ボーーッ」としていた頭が急速に冴えていくのを感じていたという人もいたそうである・・・・・・。


ところで、当時は配達された新聞や牛乳を取りに行くのは子供たちの仕事だった。


このため昭和のドラマやアニメでは、朝起きて子供が眠い目をこすりながら、玄関先まで新聞と牛乳を取りに行く場面が、しばしば描かれていたものだ。


サザエさんのカツオや、ドラえもんののび太が、パジャマ姿で新聞や牛乳を取りに行くシーンを見たことがあるという人も、少なくないのではないだろうか・・・・・・。


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ところで今となっては、「新聞はともかく、牛乳って誰が配達していたの?」と思う人も少なくないかもしれない。


じつは昭和の頃には、商店街など町のあちこちに牛乳の販売店があって、店の人が自転車の荷台に、牛乳瓶がたくさん入った箱を積んで、契約してもらっている各家庭に、牛乳を配達して回っていたのである。


新聞屋さんの牛乳版と思ってもらえばよいかと思う・・・・・・。


そして牛乳の配達を牛乳屋さんと契約した時に手渡されるのが牛乳箱で、「玄関先の分かりやすい場所に設置しておいて下さい」と言われていた。


牛乳箱の色は牛乳メーカーごとに違っていて、間違って配達されることがないように工夫してあった・・・・・・。


そして牛乳配達の優れていた点は、飲み終わった空き瓶を牛乳箱に戻しておくと、牛乳を配達してくれる時に、空き瓶を回収して持ち帰ってくれていたことだろう。


ゴミやリサイクルの問題が叫ばれる以前から、牛乳配達というシステムでは、牛乳瓶を循環させる仕組みが、すでに出来上がっていたのである・・・・・・。


そんな牛乳配達だったのだが、牛乳パックの登場をきっかけに、じょじょに減少していくことになる。


そしてそれはスーパーマーケットが増加して、商店街が衰退し始めた頃とちょうど重なる。


牛乳配達を見なくなっても、牛乳瓶は根強く生き残っていたのだが、2020年前後から乳業メーカー各社は、瓶入り商品の販売を、相次いで取り止めて来ている。


いま思えば、牛乳配達が減少していった時点で、「毎朝牛乳を飲む」という昭和の文化は、とっくの昔に消滅していたのかもしれない。


しかし、牛乳配達の自転車の「キーーーッ!」というブレーキのきしむ音や、荷台から牛乳瓶を取り出す時の、「カチャカチャ」という、瓶がぶつかり合う音は、私の記憶から消えることは決してないだろう。


いまこうして振り返ってみると、牛乳配達とは単に牛乳を届けていただけではなく、「昭和の朝」そのものだったのである・・・・・・。


(画像上、梅に鶯という言葉があるように、ちょうどこの時期に和菓子屋さんの店頭に出る「うぐいす餅」・・・・・・。画像下、ヨモギの芽が出始めるころに店頭に出る「草餅」・・・・・・)



2025年1月22日 (水)

まほうのビキニ

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▲ファミコン版のドラクエⅢ公式ガイドブックには、なぜか「まほうのビキニ」も、それを落とす「キングマーマン」も掲載されていなかった。画像はゲームボーイカラー版の公式ガイドブックで、ここに来てようやく情報が解禁されたことになる・・・・・・。

ドラクエの世界には、女性専用の装備品というのが存在する。


家庭用ゲーム機で発売されたドラクエシリーズで、女性専用の装備品が初めて登場したのは、1988(昭和63)年2月10日に発売になったドラクエⅢ(ファミコン版)だった・・・・・・。


ドラクエⅢでは、まず、旅立ってから間もなくして到着するアッサラームの町で、「アブない水着」が売られていた。


これについては、以前に書かせてもらったので、そちらを参考にしてもらいたい・・・・・・。


そしてドラクエⅢには、もう1つ女性専用の装備品が登場する。


「まほうのビキニ」は「アブない水着」と同様に、身体を守るための防具で、ドラクエの世界ではいちおう鎧の1種として分類されている。


鎧とはいうものの、「まほうのビキニ」の名称を見れば分かる通り、実際には「ビキニ=水着」である・・・・・・。


これを装備するぐらいなら、TシャツにGパンの方がよっぽど守備力がありそうだが、なんと「まほうのビキニ」は、勇者と戦士以外ではなぜか最強の鎧(守備力)に相当する。


特に武闘家と商人にとっては、「最強の鎧」ということもあって、ラスボスとの最終決戦にビキニ姿で挑まなければならず、裸同然の格好で、ゾーマの強烈な吹雪攻撃に耐え忍ばなくてはならない。


いうまでもなく、「まほうのビキニ」には耐性はないので、守備力がどうとかいう以前に、凍死しかねないと思うのだが・・・・・・。


ちなみに「まほうのビキニ」は、店では売っておらず、キングマーマンが戦闘後に64分の1の確率で落とす。


キングマーマンは半魚人風のビジュアルのモンスターで、身体の色は紫色で、腹側だけが橙色をしている。


そのビジュアルが示す通り、キングマーマンは海にしか現れない・・・・・・。


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▲ゲームボーイカラー版の公式ガイドブックでは、「まほうのビキニ」のビジュアルはもちろん、衝撃的なその誕生秘話までが語られている・・・・・・。

「まほうのビキニ」が勇者と戦士以外では最強の鎧ということもあり、キングマーマンが登場するのは物語り後半。


場所はゾーマ討伐前のアレフガルドの海。


この時点のアレフガルドは常に夜なので、キングマーマンは夜行性で、エンカウントするのは夜の海限定ということになるだろう。


同じ系列のモンスターに、マーマンとマーマンダインがいて、キングマーマンはその名の通り、最上位種となっている。


戦闘時の攻撃の特徴としては、ヒャダルコで攻撃して来たり、自分のHPが減ると、「ごくらくちょう」を呼んで回復してもらったりする・・・・・・。


ちなみにファミコン版の公式ガイドブックには、なぜかキングマーマンは載っていない。


「なんで?」と思っていたら、キングマーマンが落とす「まほうのビキニ」も載っていなかった。


ということは、「まほうのビキニ」がシークレットアイテム的な扱いになっているため、これを持っているキングマーマンも掲載出来なかったということなのではないだろうか。


じつはそのことを証明するかのように、「まほうのビキニ」は売ることが出来ないアイテムになっている。


公式ガイドブック(赤本)に載っていないので、ファミコン版Ⅲの時点では、「まほうのビキニ」のビジュアルは不明だったのだが、リメイク版で黄色いビキニであったことが判明している・・・・・・。


ところで、ゲームボーイカラー版の公式ガイドブックには、「まほうのビキニ」の誕生秘話が語られている。


個人的には、「布地が極端に少ないビキニであるにも関わらず、不思議な魔法の力で、驚異的な守備力と機動力を実現した」的な話なのかと思っていた。


ところがそこに書かれていたのは、「むっつりスケベな魔法使いが、可愛い弟子に着せようと作り出したもの」とある。


ゾーマの強烈な吹雪攻撃を、ビキニ姿で耐え忍ぶ彼女らに、この逸話を聞かせたら、はたしてどう思うだろうか・・・・・・。


2025年1月15日 (水)

MAYA

Maya
▲自宅の物入れから、昭和の頃の古い雑誌が出て来た。「MAYA」は1988(昭和63)年10月に、「月刊ムー」の姉妹誌として創刊されている・・・・・・。

自宅の物入れを整理していたところ、思いがけず古い雑誌が出て来て、思わず見入ってしまった。


表紙のタイトルには、「MAYA」とあるのだが、いまの私には買った記憶が全くなくて、見覚えがない雑誌だった・・・・・・。


そこで表紙を捲って、目次を確かめてみることにする。


すると巻頭特集は、「ザ・ピラミッドミステリー」、総力特集企画は、「占いスペシャル1992年はこうなる!」、そして巻末大特集は、「宇宙人大図鑑」とある。


これを見ると、この「MAYA」という雑誌は、どうやらオカルト情報誌のようである。


オカルト情報誌といえば、1979(昭和54)年に学習研究社から創刊された「月刊ムー」が有名だが、ムー以外にもオカルト情報誌が発売されていたとは知らなかった・・・・・・。


で、「MAYA」については、衝撃的事実が明らかになった。


なんと「MAYA」は「月刊ムー」と同じ学習研究社から刊行されていたのである。


「すでにムーがあるのになんで?」と思うかたも少なくないと思うが、じつは「MAYA」は「月刊ムー」よりも、低年齢層に向けて刊行した雑誌だったらしいのだ。


確かに「月刊ムー」の内容は、子供にはかなり難しく、とてもじゃないが簡単に理解出来るようなものではなかった。


ちなみに「MAYA」は1988(昭和63)年10月に、月刊ムーの姉妹誌として創刊されている。


そう考えると、「ムー」を意識しての、「MAYA」というタイトルだったのだと理解出来る。


ちなみに「月刊ムー」以外のオカルト情報誌は、現在は全て休刊になってしまっている・・・・・・。


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▲巻末大特集の「宇宙人大図鑑」。オールカラーできれいにまとめられているが、いまとなっては、ちょっと聞いたことのないような宇宙人も紹介されている・・・・・・。

ところで、今回自宅の物入れから出て来た「MAYA」は、1992(平成4)年2月号だったのだが、なんとなんと、休刊前の最後の号だったのだ。


通常ならば「次号予告」になるページに、「読者の皆様へ」というタイトルがあって、「マヤはこの2月号を持って休刊いたします。3年半に渡る読者の皆様のあたたかいご支援に心よりお礼申し上げます。ビジュアルでわかりやすいオカルト入門書として、「マヤ」は可愛がって貰うべく努力してきました。しかし、当初の志とは裏腹に、読者の皆様のご期待に添えるまでに成長するに至りませんでした。誠に心苦しく残念ですが休刊のやむなきに至りました。長い間のご愛読有り難うございました。」とある・・・・・・。


この文面を見ると、3年半しか続けられなくて、読者に対して申し訳ないという気持ちが、ひしひしと伝わって来るのだが、個人的には雑誌として、3年半は長続きした方なのではないかと思う。


昭和のファミコンブームの頃に発売になった、ファミコンの情報誌なんて、3年どころか数ヶ月で休刊に追い込まれたものもあるのだ。


それを考えたら、3年半続けられたことは、立派だったと思うのだ・・・・・・。


ちなみにあまり知られていないが、「MAYA」を刊行していた学研からも、ファミコン情報誌は発売になっていた。


1986(昭和61)年4月に創刊された「ファミコントップ」がそれである。


じつはこの年にはなんと6誌ものファミコン情報誌が創刊されていた。


そのことも影響したのか、「ファミコントップ」は思うように売り上げが伸びていかず、なんとたったの4号で休刊へ追い込まれることになってしまった。


これは当時10誌近くあったファミコン情報誌の中で、最も短命な雑誌だったといえる。


そんなわけで、すでにお気づきかと思うが、学研には「MAYA」よりも上(下ともいえる・・・)の雑誌があったのである。


イメージとは裏腹に、学研ってけっこうやっちまっていたようである・・・・・・。


そして今回の件で1つ分かったことは、私がこの「MAYA」という雑誌をたった一冊だけ捨てずに保管しておいたのは、この号が最終号だったからではないだろうか。


ということは、当時のわたしは、この「MAYA」をずっと愛読していたのかもしれない。


そんな愛着のある雑誌でなければ、いくら最終号とはいえ、ずっと保管しておくことなんてないだろう。


ただ、1つ残念なのは、私には「MAYA」を購読していた頃のことが、いくら思い出そうとしても、全く思い出せないのだった・・・・・・。



2025年1月 8日 (水)

牛乳に相談だ。「シンクロ篇」「チョーク篇」

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2005(平成17)年から2010(平成22)年頃にかけて、中央酪農会議が「牛乳に相談だ。」というテレビCMを放映していたことがあった。


その目的は若年層の牛乳離れを食い止めるための、牛乳の消費拡大キャンペーンだった。


で、個人的にこの「牛乳に相談だ。」のシリーズは、内容があまりにもバカバカしくツボだったので、ちょっとネタとして採り上げてみたいと思っている・・・・・・。


じつはこの「牛乳に相談だ。」のテレビCMはシリーズ化されていて、じつに10本以上の作品が放映されている。


というわけで、まずは今回は、「シンクロ篇」をご紹介してみたいと思う。


みなさんの記憶の1ページを紐解くことが出来たら幸いである・・・・・・。


「シンクロ篇」

公園のベンチで牛乳を飲んでいる友達に、「牛乳好きね~」と語りかける女子高生。


すると、「ナイスなバディになれんのよ」と友達。


「ナイスなバディ~?」と、ひとり妄想に耽る女子高生・・・・・・。


場面は変わり、なぜかアーティスティックスイミング(当時はまだシンクロナイズドスイミングの名称だった)の会場。


女子高生はなぜか選手として大会に出場している。


プールに入ろうとして、水を身体にちょっとかけるが、「冷たいっ!」と後ずさりする女子高生。


まだ、プールにも入っていないのに、その様子を見て、なぜか10点満点のプレートを出す審査員たち。


演技が始まったものの、泳げないのか、溺れているような感じで、不格好な演技を続ける女子高生。


その様子を見て、またしても10点満点のプレートを掲げる審査員たち。


しかもよく見ると、「10」の脇に手書きで「億」の文字が書かれている。


この審査員、どうみても外国人なのに、なぜ漢字が書けるのか。


その直後、審査員長が驚きの行動に出る。


なぜか金メダルを持ってプールにダイブするのだ。


その様子を見て、お祭り騒ぎの会場・・・・・・。


場面は冒頭の公園のシーンに戻り、「飲まなきゃ!」と女子高生がひとこと。


そしてベンチに背中を当てて、ブリッジしながら瓶牛乳をグビグビ飲む2人。


「牛乳に相談だ ♪」のお馴染みのフレーズでCMは終了となる・・・・・・。


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そしてこの「シンクロ篇」と同時期に、もう1本CMが放映されていたので、こちらも続けてご紹介してみたいと思う・・・・・・。


「チョーク篇」

机を向かい合わせにして、2人の男子生徒が話をしている。


友達が瓶牛乳をがぶがぶ飲んでいる姿を見て、思わず、「この牛乳好きめ!」と言ってしまう男子生徒。


すると友達は、大して気にする様子もなく、「集中力がアップするんだよ」とひと言。


「集中力・・・・・・?」と妄想を始める男子生徒・・・・・・。


授業中なのにこっそり雑誌を見て、後ろの席の友達に何やら話しかけている男子生徒。


うかつなことに教鞭を震う女教師に、その様子を見られてしまう。


しかも、この女教師、ただ者ではないらしく、間髪入れず正確なコントロールで、チョークを投げつけて来る。


しかし、男子生徒の反応は早く、それを頭を傾けて余裕で避けてしまう・・・・・・。


すると今度は悔しそうな表情を浮かべながら、両手の指の間にチョークを挟み、それを一気に投げつけて来る女教師。


この女教師、もしかして忍者の家系なのか。


しかし男子生徒はそれを身体をくねらせながら避けてみせる・・・・・・。


それを見た女教師、ここで方向転換、秘密兵器を投入する。


なんと教卓の天板を跳ね上げると、中にチョークがびっしりと入っている。


そして足でペダルを踏むことで、収納部分が跳ね上がり、チョークが一気に飛んで来る仕組みになっている。


しかし男子生徒はそれすらも、いとも簡単に避けてしまう・・・・・・。


それを見た女教師は、教卓の下に避難したのかと思いきや、なんと教卓の下にはたくさんの操作レバーが隠されていたのだ。


そして手慣れた手つきで、それを操作していく女教師。


するとメカニカルアームが教卓の前方から出て来て、矢のようなスピードでチョークを投げつけて来る。


しかし、それすらも男子生徒は避けてしまうのだが、その避け方がまた凄いのだ。


なんと男子生徒は爆速で飛んで来たチョークを箸でキャッチしてしまうのだ。


動体視力ハンパねぇという話である・・・・・・。


それを見た女教師は、いよいよ最後の手段に出る。


なんと女教師は、「ガシン!ガシン!ガシン!」といいながら、巨大チョークに変身してしまうではないか。


こいつ人間ではなかったのか・・・・・・。


そして巨大チョークはロケットのごとく発射される。


ちなみに巨大チョークの前面は女教師の顔になっており、「うはははははっ!」と笑いながら男子生徒に突っ込んで来るのだが、恐怖というか、非常に気味が悪い。


しかし男子生徒は、それすらも全く臆することなく、両手でキャッチしてしまう。


そしてチョーク前面の女教師の顔に向かって、「授業を続けませんか?」とクールにひと言・・・・・・。


そして場面は冒頭の教室のシーンに戻り、「飲まなきゃ!」。


最後に友達と向かい合い、のけぞりながら瓶牛乳を「グビッ!」と飲み、「ぎゅ~にゅ~にそ~だんだっ ♪」というこのCMではお馴染みのフレーズが流れる。


そして、「牛乳に相談だ gyunyu.com」というテロップが出てCMは終了となる・・・・・・。


(画像上、キンクロハジロが珍しく陸に上がって来ていた・・・・・・。画像下、寒空の下、ニホンスイセンが綺麗に咲いている・・・・・・)


2025年1月 2日 (木)

近所にあった「ほかほか弁当」

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▲昭和の頃、商店街の外れにあった「ほかほか弁当」は、このようなチェーン店ではなかったと思うのだが、残念ながらいまとなっては確かめようもない・・・・・・。

私が中学生の頃、近所の商店街の外れに、「ほかほか弁当」という弁当屋がオープンした。


当時はコンビニ弁当が、まだあまり美味しくなかった時代だったので、近所に弁当専門店が出来ることは、みんな大歓迎だった。


「ほかほか弁当」はとてもシンプルな店構えで、店内に客が入るスペースは一切なくて、窓口で注文を受けて、その同じ窓口から出来上がった弁当を受け取る、「窓口販売」のシステムだった・・・・・・。


で、この「ほかほか弁当」なのだが、私は初めて弁当を買いに行った時の衝撃がいまでも忘れられない。


何がそんなに衝撃だったのかというと、簡単に言えば、弁当の量が信じられないくらい多かったことだ。


当時は現在のように、エコバッグ持参ではなかったので、弁当屋でも大きめのレジ袋に、出来上がった弁当をすっぽり入れて、手渡してくれていた。


このため、手渡された時点では、中の弁当がどんな状態なのかは、よく分からなかったのだが、家に持ち帰って、袋から弁当を取り出してみてビックリ仰天。


なんと弁当のフタが思いっ切り浮いているのだ。


それも5㎝以上もである。


で、浮いている弁当のフタは、2本の輪ゴムでしっかり止めてあるのだが、きっと、この輪ゴムがなかったら、中身が飛び出して袋の中に散らばり、大変なことになっていただろう・・・・・・。


で、問題は「なんで弁当のフタが浮いているのか?」である。


これについては、輪ゴムを外してフタを開けてみれば一目瞭然だった。


この時、私が買ったのは、「唐揚げ弁当」だったのだが、弁当ではちょっと見たこともない量の唐揚げが、山盛りに入っていたのである。


確かかなり大きなサイズの唐揚げが10個は入っていたように思う。


「入っていた」というより、「無理矢理入れてあった」という表現の方が正しいかもしれない


たくさん入っていること自体は喜ばしいことなのだが、「何もそんなに無理に詰め込まなくてもいいんじゃないか・・・」と思えるほどの量だった・・・・・・。


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▲現在のお弁当はこのような横型の容器が主流になっているが、昭和の当時は縦型が主流で、おかずの入るスペースと、ご飯の入るスペースが均等に仕切られていた。また、容器は白く中身が見えない仕様になっていた・・・・・・。

ところで最近のコンビニ弁当の容器は、ご飯の入るスペースより、おかずの入るスペースの方が広く取られていて、ご飯好きの私としては、「なんで?」と疑問に感じてしまうのだが、「ほかほか弁当」の容器は、おかずの入るスペースとご飯の入るスペースが、きれいに均等に分かれていた。


そして先ほどは唐揚げの量に驚かされたのだが、じつは「ほかほか弁当」の弁当は、ご飯の量も半端がなかった。


一目見て分かるほどの山盛りのご飯が、ギュウギュウに詰められていたのだ。


「てんこ盛り」という言葉は、正にこの弁当のためにあるのではないかと思えるほどである・・・・・・。


その量たるや、ご飯茶碗3杯分以上は優にあるのではないかと思えるほどだった。


それは一般的な弁当屋で、50円増しでオーダー出来る、「大盛り」を遙かに凌ぐ量といえるだろう。


じつは弁当を持って帰るときに、「弁当しか持っていないのに馬鹿に重たいな」と思ってはいたのだ・・・・・・。


で、こんなに爆盛りの弁当だと、値段もさぞかしお高いのだろうと思われるかたも少なくないかもしれない。


しかし、私の記憶が間違っていなければ、これでたったの500円だった。


このように近所の「ほかほか弁当」の弁当は、おかずもご飯も超大盛りだったので、初めて見たときは、家族そろって、目ん玉を丸くして、ただただ顔を見合わせていたのだった・・・・・・。


そんな弁当だったので、ガテン系の仕事の人たちには特に人気で、平日の昼時には、作業服姿の人で行列が出来ていたそうである。


ところで近所の商店街の外れにあった「ほかほか弁当」だが、いま思うと、とてもチェーン店には見えなかった。


弁当を作っている人は3人いたが、全員制服は着ていなくて、白い割烹着を羽織った、近所のおばちゃんのような格好だった。


また、店名の書かれた看板も、ロゴマーク的なものはなくて、ただ、「ほかほか弁当」と黒いシンプルな文字で書かれているだけだった。


そんな「ほかほか弁当」だったのだが、私の知らないうちに、いつの間にか閉店してしまっていた。


「あんなに繁盛していたのになんでだろう?」と、近所の人たちは顔を見合わせていたのだが、私はおばちゃんたちが調子に乗って、おかずとご飯を盛り過ぎて赤字が続き、ついに潰れてしまったのではないかと、密かに思っていたのだった・・・・・・。


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