お年玉の通帳はどこへ・・・
▲私が子供の頃、近所にあった東日本銀行は、「ときわ相互銀行」という名前だった。東日本銀行に名称が変更になったのは、1989(昭和64/平成元)年のことだった。画像は奇跡的にうちに残っていた当時のポケットティッシュだ・・・・・・。
私は新年を迎えるたびにふと思うことがある。
「子供の頃にたくさんもらったはずのお年玉は、いったいどこへ消えてしまったのだろう?」ということだ。
確かにお年玉を使って、当時欲しかった、おもちゃやゲームを購入したりもした。
しかし、そんなのはもらったお年玉のほんの一部である・・・・・・。
うちは父も母も兄弟姉妹が多かったので、お正月にもらえるお年玉も、人よりも多かったのではないかと思う。
父の親戚は比較的近くに住んでいる人が多かったので、正月2日に父の実家へ新年のあいさつに行くと、みんな集まっていて、その場で次々とお年玉のポチ袋を手渡してくれたものだ。
私は貢ぎ物を次々と差し出される王様になったような気分になって、「うむ、よきにはからえ」などと、口走ってしまいそうになり、慌てて口をつぐんだものである・・・・・・。
父の兄弟は「近い」とはいうものの、ほとんどの人は電車を乗り継いで来ていたので、一番最後まで残っていたのは、一番近いところに住んでいるうちの家族だった。
人がはけて誰もいなくなると、おじさんは、さっきおばさんからお年玉はもらっているのに、「はい、これ。早くしまって、しまって!」と、懐に隠していたポチ袋を素早く手渡してくれた。
これは毎年のことだったのだが、おばさんには内緒でくれていたらしい・・・・・・。
一方、母の親戚は、みんな遠方に住んでいたので、めったに会うこともなかった。
それでもなぜか毎年お年玉はくれていた。
お年玉をくれるためだけに、わざわざ横浜まで出て来たら、渡すお年玉よりも旅費の方が高く付くので、お年玉は事前に送ってくれていた・・・・・・。
普通は現金を送るとなると、現金書留用の封筒を購入して、その中に現金を入れて、郵便局から郵送するものだ。
ところが母の親戚は、お歳暮の荷物の中にポチ袋を忍ばせて送って来る人がほとんどだった。
田舎なのでお歳暮と言っても、家でついたお餅や、自家製の味噌や漬物、畑で採れた野菜、近くの果樹園から直送してもらえる果物などがほとんどだったので、それも可能だったのだろう。
これがデパートやスーパーなどから配送してもらう、一般的なお歳暮だったら、完全にアウトだったろう・・・・・・。
▲近所で唯一の銀行だったこともあり、ここにはお年玉を預けていただけでなく、記念硬貨が発行されたりすると、交換してもらいに行ったりしていた・・・・・・。
そんなわけで、私は子供の頃、毎年かなりの額のお年玉をもらっていた。
私はもらったお年玉は学習机の引き出しに入れて保管していた。
もともと引き出しには、ほとんど何も入っていなかったので、ポチ袋が1つ1つ増えて行くにつれて、「お店のレジスターみたいでかっこいいな」と思っていた。
そしてたまにポチ袋の口を開けて中身を確認しては、大金持ちになったような気分になって、「これで一生遊んで暮らせる。イッヒッヒ・・・」などと、ひとりニヤニヤしていたものである・・・・・・。
そんなある日のこと、母がとつぜん、「子供がそんなに大金を持っていてはいけない」などと言い出し、「お年玉で買う予定でいた、ゲームソフト代だけを取って、あとはあんたの口座を作っておいたから、銀行に預けておきなさい」と、頼んでもいないのに、近所にある銀行の真新しい通帳を、私に「サッ!」と差し出した。
確かに通帳には私の名前がしっかりと印字されている。
「自分の通帳なら他人には使えないから、まあいいか・・・」と思い、私は毎年お年玉貯金を繰り返すこととなった。
いま思えば、毎年積み立てていた私のお年玉は、そこそこの金額になっていたはずである・・・・・・。
そんな私も社会人となり、忙しい日々を送るうちに、子供の頃にもらったお年玉のことなど、すっかり忘れてしまっていた。
20代半ばの頃だったろうか。
私は急にそのことを思い出し、母に「そういえば、お年玉の通帳はどうしたかね?」と聞いたところ、「えっ!?ああ、そのまま保管してあるよ。何かあった時のために、そのまま銀行に預けておきなさい」というので、たいして気にもせず、銀行に預けておいてもらうことにした・・・・・・。
そして月日は経って、一昨年の暮れ近くになって、私のお年玉を預けてあるはずの、東日本銀行の前を通ると、玄関前にとある張り紙がしてあることに気付いた。
「なんだろう?」と思って覗き込むと、「店舗移転のご案内」とある。
本文を読むと、「現在地において1978年3月以降営業しておりましたが、2023年1月23日に最寄りの「横浜支店」内に移転することになりました」とある。
驚きと同時に私が物心ついた頃から、ずっとそこにあった店舗が、ここからなくなることの寂しさで、何ともいえない気分になっていた。
その後、私は子供の頃に作ってもらった、あのお年玉の通帳を家中探し回ったのだが、ついにそれは見つけられなかったのだった。
20代の半ば頃に通帳について尋ねた時の、母の一瞬うろたえたような反応がふと思い出されたが、いまはもう確かめようのない思い出となっていたのだった・・・・・・。
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