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2025年7月

2025年7月30日 (水)

トイレにはキンモクセイ

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▲昭和世代の人なら、キンモクセイの花の匂いで、ピコレットやサワデーを思い出すというかたも少なくないのではないだろうか・・・・・・。

私が子供の頃は、トイレの芳香剤といえば、藤沢薬品工業のピコレットか、小林製薬のサワデーのどちらかだった。


どちらの商品もテレビCMをよく流していて、ピコレットは「花の香りの~、ピコレット~♪」、サワデーは「さわやかサワデー♪」がお決まりのフレーズだった。


ピコレットの方は天然パーマの天使の子供のキャラクターが、パッケージの真ん中に描かれていて、CMにもしっかりと出演していて印象的だった・・・・・・。


昭和の頃はトイレの芳香剤といえば、上部が細くなった円筒形をしており、固形の薬剤をプラスチックのカバーで覆っているのが定番のスタイルだった。


そしてそのプラスチックのカバーを上下させることで、薬剤の露出幅を調整し、香りの強弱を付けていた・・・・・・。


そして当時の香りの定番は、キンモクセイの花の香りで、どこのメーカーも一番人気だったといわれている。


そんなこともあって、当時はキンモクセイの花の香りを、「トイレの香り」といったり、橙色の花そのものを、「便所花」と呼んだりする人もいた。


最近ではキンモクセイの花の香りの芳香剤をほとんど見かけなくなってしまったが、当時はキンモクセイ一辺倒というくらい、トイレの芳香剤はキンモクセイの花の香りだったのだ・・・・・・。


ところで当時は全く疑問に思わなかったのだが、それっていったいどうしてなのだろう。


じつはこれについては、くみ取り式便所の時代まで遡る・・・・・・。


私が子供の頃はくみ取り式便所から、水洗式便所への切り替えが進む過渡期で、学校や自宅はすでに水洗に切り替わっていたが、町ではまだバキュームカーを見かける時代だった。


キンモクセイは庭木として普通に見られる身近な樹木だったが、なぜかトイレの近くに植えられていることが多かった。


このため当時はトイレの小窓から、キンモクセイの橙色の花を見ることも多かったものだ。


ご存知の通り、キンモクセイの花は、甘く強い芳香を発することから、花期に入ると町のいたるところが、キンモクセイの香りで満たされていった。


キンモクセイがトイレの近くに植えられていたのは、このことに目を付けた昔の人が、くみ取り式便所の臭い対策の1つとして、これを利用したということらしいのだ。


つまり、トイレの芳香剤の定番がキンモクセイの花の香りだったのは、メーカー発案というわけではなく、昭和の民家周りの風景から、「トイレにはキンモクセイ」を採用し、これが大当たりしたというのが真相のようだ・・・・・・。


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▲いまではそのことを知る人は少なくなってしまったが、かつてヤツデの葉は、「うじ殺し」の殺虫剤として使われていた。これがヤツデが家の裏に植えてあった理由である・・・・・・。

ところでくみ取り式便所の時代に、キンモクセイと並んで、トイレの近くに植えられている樹木が、もう1つあったのをご存知だろうか。


それはヤツデで、昔の日本家屋では、家の裏に必ず植えられていた。


ヤツデはこれといっていい香りの花を咲かせるでもなく、ただ、ただ、天狗の団扇のような大きな葉を、何枚も繁らせるだけである。


ヤツデの名前の由来は、葉に8つの切れ込みがあることからで、別名をテングノハウチワ(天狗の羽団扇)と呼ぶそうだ。


では、どうしてヤツデは庭木の定番として、トイレの近くに植えられていたのだろう・・・・・・。


じつはヤツデの葉は、昔はうじ用の殺虫剤として使われていたことがあり、くみ取り式便所の時代には、「うじ殺し」として、その葉を使っていたのだそう。


ヤツデがトイレの近くに植えられていたのは、きっとその頃の名残なのだろう・・・・・・。


現在ではくみ取り式便所は絶滅し、昔ながらの日本家屋も少なくなったことから、家の裏にキンモクセイやヤツデが植えられている光景は、もうほとんど見かけなくなってしまった。


しかし、自然のものを生活に取り入れていたあの頃って、「なんかいいな・・・」と思ったりする・・・・・・。



2025年7月23日 (水)

牛乳に相談だ。「牛乳相談会」

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2005(平成17)年から2010(平成22)年頃にかけて、中央酪農会議が「牛乳に相談だ。」というテレビCMを放映していたことがあった。


その目的は若年層の牛乳離れを食い止めるための、牛乳の消費拡大キャンペーンだった。


で、個人的にこの、「牛乳に相談だ。」のシリーズは、内容があまりにもバカバカしく、ツボだったので、ちょっとネタとして採り上げてみたいと思っている・・・・・・。


じつはこの「牛乳に相談だ。」のテレビCMはシリーズ化されて、10本以上の作品が放映されている。


みなさんの記憶の1ページを紐解くことが出来たら幸いである・・・・・・。


「牛乳相談会 先生篇」

「牛乳相談」という文字が掲げられている雑居ビルが映し出される。


そして、「中学生、高校生、牛乳相談」というプレートの付いた事務所を訪れる中高生たち・・・・・・


一人の学生が部屋に通されると、中には「先生」であるコップに入った牛乳と、学生の応対をする男性相談員がいる。


相談にやって来た女子学生が着席し、悩みを打ち明け始める・・・・・・。


「あの、いまダイエットしてるんですけど元気ないんですよ」と怪訝な表情で話し始める女子学生。


すると、「先生、いかがですか?」とコップの牛乳に聞く相談員の男性。


もちろん「先生」は牛乳なので、言葉を発するわけがない。


そこで相談員の男性が腹話術を使って、「牛乳を飲みなさい!」と答える。


しかも、ありえないくらいの裏声である。


女子学生は引いているのか全くの無反応。


そこでもう一度、「牛乳を飲みなさい!」と裏声でリピート。


へんな空気が流れる中、女子学生が「ありがとうございました」とお辞儀をして、コップの牛乳を一気に飲み干す。


おいおい、「先生」を飲んじゃっていいのかよと思っていると、「ぎゅ~にゅ~にそ~だんだ♪」というこのCMではお馴染みのフレーズが流れCMは終了となる・・・・・・。


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「牛乳相談会 牛先生篇」

女子学生が1名中へ通され、相談員の男性に悩みごとを打ち明け始める。


「いまダイエットをしているんですけど、なんかいまいち元気が出なくて・・・・・・」


しかし、今回は牛乳先生の到着が遅れていて、「先生が遅れられています。もう間もなく、来ると思うんですけど・・・・・・」と相談員の男性。


この前、相談に来た女の子が飲んじゃったからじゃないの?と思っていたところ、「あ~、やっと着いた~(裏声)」という声と共に、なぜか本物の乳牛が部屋に入って来る・・・・・・。


こそこそと乳を搾り、コップに入った牛乳を持って来る相談員の男性。


そして、「先生、よろしくお願いします」と牛乳先生に頭を下げる。


するとすぐに、「牛乳を飲みなさい(裏声)!」とひとこと。


「ありがとうございました」と女子学生と共に、お辞儀をする相談員の男性。


ところがこの時、ちょっとしたハプニングがあって、この台詞をうっかり裏声で言ってしまう。


NGシーンだと思うのだが、そのまま使っちゃうんだ・・・・・・。


「牛乳相談会 大先生篇」

男子学生が「青春って何ですか?」という悩みというか、疑問を相談にやって来る。


相談員の男性はコップの牛乳に問いかけるが、なぜか無言。


そこで巨大なコップの牛乳(大先生)が登場する・・・・・・。


「では、大先生!」と相談員の男性。


すると、「牛乳を飲みなさい!」というダミ声。


どうやら「大先生」はダミ声という設定らしい。


「ありがとうございました」と相談員の男性と男子学生がお辞儀をしてCMは終了する・・・・・・。


(画像上、林縁で咲くオニユリの花・・・・・・。画像下、人知れず羽化していたニイニイゼミ・・・・・・)



2025年7月16日 (水)

500mlペットボトルへの道

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▲昭和の頃の懐かしいデザインで発売されたファンタ。ちなみにビン入りのファンタもこのデザインだった。やっぱりファンタといえばこのデザインだよな~・・・・・・。

1980年頃まではジュースなどの飲み物は、瓶入りや缶入りのものが普通だった。


このため、当時の飲み物は、一度開封してしまうと、蓋を元に戻すことは出来なかった・・・・・・。


瓶入りの飲料は王冠で封がされていたので、栓抜きを使って蓋を開けていた。


このため開栓後は、王冠が変形してしまい、戻しようがなかった・・・・・・。


缶入りの飲料はプルタブ式だったので、缶の口から引き抜いてしまった後は、もうどうしようもなかった。


いまでは考えられない話だが、飲み物は一度開けてしまったら、蓋が出来ないのが基本だったのである・・・・・・。


そうはいっても、子供は一度に全部は飲みきれないこともあった。


そんな時は仕方がないので、ラップで瓶や缶の口を覆い、冷蔵庫に入れておいた。


しかし、それが炭酸飲料だと、次に飲む頃には、炭酸が抜けてしまって、ただの砂糖水になっていて、「なんだこりゃ・・・」と思うこともしばしばあった・・・・・・。


昔はコンデンスミルクも缶入りだったので、缶の上部に練乳を出す穴と空気穴を2つ開けて使用していた。


このため、冷蔵庫に入れる際には、やはりラップを被せて保存していた。


コンデンスミルクに被せたラップは、いつもベタベタになっていて、使用するたびに手を洗いに行くのが、煩わしくて仕方なかった・・・・・・。


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▲昔のデザインを見ると、いまのデザインが思い出せなくなるという人に、こちらはフレーバーは復刻だが、デザインは現代の「ゴールデングレープ」・・・・・・。

炭酸飲料の炭酸が抜けてしまう問題に対応するために、瓶や缶を密閉出来る便利グッズが発売された。


うちにあったのは、瓶の口を密閉出来るグッズで、瓶の口に被せてグッと押し込むと、内側のゴムがぴったりと貼りついて、瓶の口を密閉出来る仕組みになっていた・・・・・・。


ちなみにこのグッズ、瓶の口に被せて押し込んで行くと、中からカエルの顔がビンの上部に、にょっきりと出て来るというおまけつきだった。


うちには緑色のカエルと橙色のカエルの2パターンがあったのを覚えている。


ちなみに缶を密閉出来る、「缶ピタくん」という便利グッズも売られていたのだが、なぜかうちにはなかった・・・・・・。


そんな中、1982(昭和52)年になって、ようやく清涼飲料水の容器にペットボトルが採用される。


しかし、そうはいっても、当時のものは、1.5リットルや2リットルなど、大きなサイズばかりだった・・・・・・。


また、当時の炭酸飲料のペットボトルの特徴として、ボトルの底を覆うようにして、プラスチックのカップが付いていた。


これはボトルの成形技術が追いつかなかったためで、炭酸飲料はボトルの底を丸形にせざるを得なかったためといわれている。


カップがないと自立させることが不可能だったのだ・・・・・・。


ところで、なぜ当時のペットボトルは、大きなものばかりだったのだろうか。


これについては、ペットボトルのリサイクルシステムが未整備だったからで、500mlなど小型のものを作ると、ゴミが増加してしまうことから、飲料メーカー各社が自主規制をしていたのだ。


飲料メーカー各社が自主規制を撤廃したのは、1996(平成8)年のことで、このタイミングでペットボトルのリサイクルシステムが確立したことになる・・・・・・。


いまでは当たり前になっている、500mlのペットボトルだが、当時は雑誌で特集が組まれるほど、センセーショナルな話題となった。


そして500mlのペットボトルの登場で、ペットボトルを持ち歩く人が増えたり、会議室のお茶がペットボトルに変化したり、私たちの生活が少しずつ変化して行ったのである・・・・・・。



2025年7月 9日 (水)

ビリビリブーム

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▲出番は少なくなったものの、いまも売られている9V電池(左)。右は懐かしいナショナルブランドの頃のデザインの単1電池。当時は9V電池も同様のデザインだった・・・・・・。

昭和の頃はビリビリが密かなブームだった。


ビリビリとはいわゆる電気ショックのことで、いま思うとなんでそんなことが流行っていたのか、さっぱり意味が分からない・・・・・・。


そうはいっても、自力で電気を発生させることが出来る人間などいない。


そこで電気を発生させるためのグッズが必要になって来るわけだ・・・・・・。


一番身近なところにある電気を発生させるグッズといえば乾電池だろう。


最近はほとんど見ることもなくなってしまったが、昭和の頃には、角形と呼ばれる四角い乾電池をよく見かけたものだ。


この四角い乾電池は、9V(ボルト)電池とも呼ばれていて、普通の丸い乾電池の6倍もの高い電圧を持っている。


ちなみに普通の丸い乾電池は、1.5V(ボルト)の電圧になる・・・・・・。


角形乾電池は形状の違い意外にも大きな特徴があって、+極と-極の位置が、普通の乾電池とは違っていた。


普通の乾電池の場合、+極と-極は、上下に分かれているが、角形の乾電池の場合は、電池の上部に+極と-極が、2つ並んでいるのだ・・・・・・。


で、昭和の頃、この角形乾電池の電極の部分をペロリと舐めると、舌がビリビリするらしいという噂が、子供たちの間に流れたことがあった。


誰もが「そんな馬鹿な」と思っていたのだが、実はこの噂は本当で、大人の間では乾電池に電気が残っているか確かめるために、電極をペロリと舐めることはよく行われていたのだそう。


ただ、子供がまねをしたら危ないから、子供の前では乾電池を舐めることは控える大人が多かったため、子供たちの間では、あくまでも「うわさ」として認知されていたということらしい・・・・・・。


しかし、そんな気になる噂を聞いたら、本当かどうか、確かめてみたくなるのが子供というものだ。


そうはいっても、普通の乾電池ならともかく、9V(ボルト)という高い電圧を持っている角形乾電池を舐める行為は非常に危険である。


+極と-極を同時に舐めることに加えて、唾液で湿っている敏感な舌に電気が通ることになるわけだ。


もはやビリビリどころの話ではなく、舌を突き抜けるような衝撃と、火傷をしたような痛みがあり、その後も舌が引きつり、ジリジリとした感覚が、しばらくの間、続くことになる。


そしてこれを試してみた子供が思うことは、「こんなこと二度とやるまい」ということである・・・・・・。


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▲これは古いタイプの100円ライター。カチンコ(電気ショック)は、この100円ライターを分解して、着火部分を取り出したものだった・・・・・・。

ビリビリブームの頃、ビリビリを発生させるおもちゃ(?)も売られていた。


それは当時10円玉数枚で回すことが出来たガチャガチャの景品で、通称で「カチンコ(電気ショック)」と呼ばれていた・・・・・・。


カチンコはドッキリグッズとして開発されたわけではなくて、100円ライターの着火部分の部品だった。


形状としては、プラスチックで出来たちっちゃな長方形の箱だった。


そして箱の途中から短いコードが伸びていて、コードの先端だけ針金が露出していた・・・・・・。


使い方は単純で、針金部分を肌に当てて、ボタンを「カチッ!」と押すと、「ビリッ!」と激痛が走るというもの。


怖いもの見たさではないが、自分で体験してみたくて、自らの手に押し当てて、やってみる者もいたが、たいていの場合は餌食になるのは、クラスメートの誰かだった。


後ろで手を組んでいる者にそっと近づいて、「カチッ!」とやったり、「いいものをあげるから手を出して」といって、手を前に出させて、「カチッ!」とやったりしていた。


このためカチンコ(電気ショック)は、「友達をなくすグッズ」と呼ばれていた。


それにしても、こんなものが公然と売られていた昭和の頃って、いまでは考えられないような世の中だったんだな~とつくづく思う・・・・・・。


2025年7月 2日 (水)

「カレーアイス」と「すしアイス」

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昭和のお菓子は「攻めている」商品が多かった。


いまは「味や食感で勝負」している商品が多いが、昭和のお菓子はパッケージも含めた見た目でも攻めていたのである・・・・・・。


私が子供の頃、赤城乳業から、「カレーアイス」という、信じられないような商品が発売になっていた。


赤城乳業といえば、もはやいうまでもなく、ガリガリ君で有名なあの会社である。


赤城乳業がこんなに攻めた商品も出していたのかと後になって気付いて、とても驚かされたものである・・・・・・。


カレーアイスというくらいだから、バニラアイスの上にカレーがかけてあるのを想像してしまうのだが、実際のところは、カレーに見立てたチョコレートがかけてあったのだった。


しかも、このカレーに見立てたチョコレートは、「甘口」と「中甘」の2種類があって、パッケージにもしっかりと書かれていた。


ちなみにパッケージに書かれていた注意書きによると、「中甘」はハーフビターチョコ味なのだとか。


どうでもいいが、ビターチョコ味のハーフとは、いったいどういう意味なのだろうか・・・・・・。


で、このカレーアイス、楕円形をしたカレー皿を模した容器に入っていた。


そして、パッケージ中央には、「カレーアイス」という商品名が赤字で配置され、右端に「中甘」、もしくは「甘口」のいずれかの表示がされていた。


そしてパッケージ上部には緑色の文字で、「古代インダス文明も、まっ青!」と意味不明なことが書かれていた・・・・・・。


そしてパッケージの左側には、金髪で黒髭の上半身裸の謎の男が、あぐらをかいて座っているイラストが描かれていた。


そして彼は、「赤城亭」という緑色の看板(?)を掲げているのだ。


また、彼の足の前には、壺と笛が置かれていて、その様子からして、どうやら彼は、「蛇使い」のようである。


インドといえば「蛇使い」というのが、昭和の子供たちの間に定着した、間違ったイメージだったのである・・・・・・。


と、そんなわけで、色々とつっこみどころ満載のカレーアイスだったのだが、子供たちの間では、「え~!」と思いながらも、カレーの味や香りをどこかで求めていたところがあって、買って食べてみて、「何だカレーじゃないじゃん」と、がっかりしている者が一定数いたものだ。


逆に本当のカレー味だったら、「アイスにカレーはないだろう~」と文句をいうくせに、何をほざいているんだ、このクソガキは!といったところである。


しかし、100個に1個くらいは、「当たり」として、本当のカレー味を入れてみても面白かったのではないだろうか。


そんなカレーアイスだったのだが、みなさんもご存知の通り、とっくの昔に終売になっており、是非とも復刻販売をしてもらいたいな~と思う次第である・・・・・・。


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攻めているアイスといえば、にぎり寿司の見た目をした、「すしアイス」も衝撃だった。


すしアイスを発売していたのは、あずきバーでお馴染みの井村屋で、カレーアイスの時と同様に、その意外さにとても驚かされたものである。


すしアイスのパッケージは、斜めに大きく、「にぎり寿司」という文字が配置されていて、これがとにかく目立っていて、パッケージの右上部に書かれていた、「すしアイス」という文字を打ち消すほどの効果があった・・・・・・。


ちなみにこのすしアイス、マグロのにぎりとたまご焼きのにぎりの2個入りで、パッケージには2貫並べたイラストが描かれていた。


それにしても、どういう理由でマグロとたまご焼きのネタがチョイスされたのか、その理由を知りたいところだ・・・・・・。


当たり前の話だが、このすしアイス、本当にマグロやたまご焼きの寿司の味がするわけではなく、あくまでも中身は普通のアイスである。


アイスをにぎり寿司の見た目にして、はたして子供たちの購買意欲を書き立てられるのかといったら、かなり疑問ではあるのだが・・・・・・。


きっと現代だったら、企画の段階で却下になっているだろう。


それでも勢いのまま発売してしまった昭和のあの頃って、すごい時代だったんだな~と改めて思う・・・・・・。


(画像上、雑木林の窪地で咲くアジサイの花・・・・・・。画像下、一般的なアジサイとは花の形が違うカシワバアジサイの花・・・・・・)



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