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2025年9月

2025年9月24日 (水)

見えたぞ !! X-線メガネ

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▲「見えたぞ‼X-線メガネ」の見た目は、このような「おもちゃのメガネ」だった。どこからどう見ても、これに透視の機能が内蔵されているとは思えなかった・・・・・・。

昭和の頃は、どんな雑誌にも、必ずといっていいほど、怪しい通信販売の広告が掲載されていた。


そしてそれらの広告は、誰がどう見ても、「絶対に嘘に決まっている」とか、「そんなうまい話があるわけがない」と感じるものばかりだった。


しかし、人間というのは、全く信用していなくても、心のどこかに、「もしかしたら、本当なんじゃないか?」と思う気持ちが少なからず残っていて、よせばいいのに、ついつい「体験者Aさん」のレポートに目を通してしまうのである・・・・・・。


そんな通販グッズ広告の1つに、「見えたぞ ‼ X-線メガネ」があった。


広告には、「透視メガネをかけると、なにもかも透視することが出来るようです」とある・・・・・・。


「なにもかも」とはいったいどういうことかと思っていると、そのすぐ下に、いくつかの例がしっかりと書かれていた。


「貴方の手の骨も」、「卵の黄身も」、「服を着ている人も見てごらん」、「何が見えるでしょう」とある。


そして極めつけは、マリリンモンロー風の女性のイラストが描かれていて、例の地下鉄の風でスカートがめくれているシーンが再現されている。


しかも、風に煽られたスカートがなぜかスケスケになっているではないか。


そしてその隣では、黒縁メガネの男が目を見開き、よだれを流している。


このイラストを見ると、どうもこの「見えたぞ ‼ X-線メガネ」は、大人の男性がターゲットだったようである・・・・・・。


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▲「X光線人体透視メガネ」は左図のような筒状で、指先でつまめるほどの小さなものだった。小さな穴から中をのぞくと、確かに骨のようなものがぼんやりと見えていた(右図)・・・・・・。

で、この「見えたぞ ‼ X-線メガネ」は商品名の通り、メガネ型をしたグッズだったのだが、じつはこれには、「X光線 人体透視メガネ」という元ネタがあった。


ただし、こちらに関しては、メガネ型はしておらず、指でつまめるほどの大きさのグッズだった・・・・・・。


その形状は短い筒の上下に丸い蓋がついていて、蓋の真ん中に、小さな丸い穴が開けられていた。


そしてその丸い穴には、くもりガラスが取り付けてあった。


で、この穴をのぞくと、骨のようなものが、ぼんやりと見えていた・・・・・・。


ちなみに本来の使い方としては、「自分の手を日光に透かしながら、人体透視メガネでのぞいてみよう。なんと骨が透けて見えるではないか!」的なことだったようだ。


しかし、先にも書いたように、べつに手の平を透かさなくても、筒の中にすでに骨は見えていて、この時点でまんまと騙されたことを知り、天を仰いだ者が、当時どれほどいたことだろう。


ちなみにメガネ型をした、「見えたぞ ‼ X-線メガネ」の方も、仕組みとしては全く同じである・・・・・・。


ちなみにこの骨のように見えるものはじつは骨ではなかった。


じゃあ、いったいなんだったのかというと、鳥の羽を小さく切ったものが、内部に貼り付けてあったのだそう。


ただし、どんな鳥の羽でもいいというわけではなく、日本の国鳥、キジの羽でなくてはならなかった。


しかし、キジはどこにでもいる鳥ではないし、それなりに自然度の高いフィールドでなければ棲息していない。


しかもキジは乱獲が出来ないと来ている・・・・・・。


ちなみに日本で最も簡単に、しかも大量に入手出来る鳥の羽といえば、家畜であるニワトリの羽ということになるだろう。


ところがニワトリの羽には、「膜」があるそうで、「X-線メガネ」に使用すると、向こう側が透けて見えず、「透視している」というリアル感を再現することが出来ないのだそう・・・・・・。


そんなわけで、商品を製作する側は、キジの羽集めに苦労していたようなのだが、商品を購入する側は、べつに自分の手の骨など見たくもなくて、道行く女性のすっぽんぽんを拝みたかっただけなのである。


だからX-線メガネの中に何も入っていなかったとしても、べつにそんなことはどうでもよかったのだ。


そもそもの話、「たったの950円(送料共)」で服が透けて見えたりしたら、ドラえもんは誕生していなかっただろう・・・・・・。



2025年9月17日 (水)

人の名前を聞き間違えた話

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▲道端で彼岸花が咲き始めていた。彼岸花は毎年、お彼岸が近くなるときっちりと咲き始める自然の暦だ・・・・・・。

仕事で移動中、のどが渇いたので、ちょっとコンビニに寄って行こうということになった。


自動ドアが文字通り自動で開いたので、私たちは何も考えずに店内へと足を運んだ・・・・・・。


すると間髪を入れずに、「ウクライナさ~ん、ちょっとこっち手伝って~!」という声が聞こえて来た。


どうやら品出しをしている店員が、カウンターの中にいた「ウクライナさん」に声をかけているようだ。


私はウクライナさんというから、てっきり外国人なのだろうと思っていたのだが、カウンターから走って出て来たのは、どう見ても純粋な日本人だった。


私はそれを見て思わず、「え~~~⁉」といってしまいそうになるのを、必死にこらえながら、同僚の里帆さんに、「ウクライナさんなんて変わった名前だよな?」と話しかけた。


すると里帆さんは、「え?」という顔をした後に、「何のことです?」と、逆に私に聞いて来た。


だからさっき、「ウクライナさん、手伝って~」と声をかけられて、あの店員がカウンターから出て来たじゃんと、身振り手振りで里帆さんに説明する。


里帆さんはたいして距離もないのに、私が「ウクライナさん」に指をさしていることを気にして、「ちょっとやめてくださいよ、聞こえますよ!」と小声で言って、私の人差し指を下げさせた・・・・・・。


じゃあ、里帆さんは、ウクライナさんなどという日本人が目の前にいる現実を、不思議に思わないのだろうか?


さらにいうなら、「ウクライナ」なるみよじは、漢字でどう書くのか、疑問に感じないのか?


すると里帆さんは、「くろねこさん、あの人、ウクライナさんじゃなくて、奥平(おくだいら)さんですよ」とボソリといった・・・・・・。


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▲目を凝らして探さないと、どこにいるのかさっぱりわからないショウリョウバッタモドキ。動きも機敏で葉裏にサッと隠れてしまう・・・・・・。

え~、だってさっきは、確かに「ウクライナさん」っていってたじゃん。


「いいえ、最初から奥平さんっていってましたよ」


そりゃ、里帆さんの聞き間違いだ。


「この期に及んで、まだいいます?」


私は里帆さんに引っ張られながら、何も買わずに店を出ることになった・・・・・・。


途中で品出し中の店員2人の前を通過して来たのだが、「ウクライナさん」の名札には、確かに「奥平」と書かれていて、私はひとり驚いていた。


そして店員2人は、私たちの様子を横目で確認しながら、少し半笑いだったような気がする・・・・・・。


そしてこの他にも私は過去に人の名前をよく聞き間違えていて、橋岡さんや竹園さんのことを「タピオカさん」。


りゅうじくんのことを「ミュージック」。


沢村さんのことを「303(さんまるさん)」だと思っていたことがあった。


そしてその都度、仕事でいっしょに行動することの多い里帆さんの手を煩わせることになるのである・・・・・・。


沢村さんのことを、「303(さんまるさん)」と聞き間違えたときは、「もはやそれって、一昔前の囚人じゃないですか」と里帆さんに呆れられた。


沢村さんにたいへん失礼なのは、もはやいうまでもない・・・・・・。


さらに極めつけは、ヘミングウェイのことを「セミ男」と聞き間違えた時だ。


これについては、べつに仕事で会う人物とかではないので、どうでもいいのだが、「いったいどこをどう間違えたら、そんなワードが出て来るんですか?」と、里帆さんに大笑いされたものである・・・・・・。



2025年9月10日 (水)

晦日祓い

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▲開発に取り残された土手に立てられた「みそかっぱらい」。昭和の頃はよく見かけたものだが、最近は住宅事情が変わったこともあってか、あまり見かけなくなってしまった・・・・・・。

子供の頃は無知だったこともあって、いろいろなものが怖かった。


例えば毎年正月休みの頃になると、近所の道端に突如出現する幣束があげられる。


幣束とは神道で神様に捧げる供え物や、祓いの儀式の際に用いられる道具のことだ。


その見た目は細長い木や竹の棒に、「紙垂(しで)」と呼ばれる特殊な形に切った白い紙を挟んだものといえば、分かってもらえるだろうか・・・・・・。


ただ、近所の道端に出現する幣束は、どういうわけか、とても小さいのである。


どのくらいの大きさなのかというと、柄の部分は割り箸ほどの長さしかなくて、そこに取り付けられている紙垂も、それに見合ったサイズということになる。


子供の頃は、前述のような知識もなかったので、「もしかして、呪いの儀式を行った跡なんじゃないか?」などど思っていた・・・・・・。


で、この幣束なのだが、どのような場所に出現していたのかというと、民家の塀の下に刺してあったり、道端の植え込みの下だったり、駐車場の隅っこだったり、畑の周りだったり、とにかく様々な場所に刺してあった。


子供たちの間では、この幣束を見つけても、じっと見つめてはいけないとか、絶対に触ってはいけないとか、幣束を見つけたら、視界から消えるまで、息を止めていなくてはいけないなどといわれて恐れられていた・・・・・・。


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▲住宅の脇のわずかに残された土の部分に刺してあった「みそかっぱらい」。最近は土が露出している場所が少なく、「みそかっぱらい」を刺す場所を探すのも一苦労のようだ。アスファルトの割れ目に無理矢理差し込まれていた場所もあった・・・・・・。

当時はいまと違って、スマホはおろか、パソコンすら普及していなかったので、「分からないことがあったら気軽に検索」なんて、夢のまた夢の時代だった。


このため分からないことがあった時は、誰かに聞くか、図書館や本屋に行って調べるしかなかった・・・・・・。


誰かに聞くにしても、誰に聞くのがベストなのかなんて分かるはずもなく、結局のところは、身近なところにいる友達に、とりあえず話してみるというのが定番だった。


いま思えば、聞いたところで、何一つ解決しない相手にばかり相談していたのだなぁと思う・・・・・・。


そんな状況だったので、「アレは魔女が呪いの儀式に使った道具だ」とか、「見たこともない老婆がアレを振って呪文を唱えていた」とか、「小人のババアがアレにまたがって、空を飛んでいるのを見た」などという、ろくでもない回答ばかりが収集されていた。


どうでもいいが、なんでこういう怖い話には、ばあさんがつきものなのだろう・・・・・・。


で、私はこの幣束が何なのかについて、ちゃんとした正解を知ったのは、大人になってからだった。


じつはこの幣束は、「晦日祓い」といい、多くの人は「みそかっぱらい」と呼んでいた・・・・・・。


晦日祓いは日本の民間の年中行事のひとつで、幣束は暮れに神社からもらって来る。


神棚のお札といっしょに配布されるところが多いようだ・・・・・・。


そしてその家の主人が、晦日祓いで、まずは家族全員の頭の上を祓い、その後、全ての部屋をお祓いして回る。


そして祓い終わった幣束は、家の外の土が露出している地面に刺して終了となる・・・・・・。


この行事の意味は新年を迎えるにあたり、悪いものを家の外に追い出して、家の中を清浄な状態にしてから、晴れて年神様を迎えましょうという意味合いがある。


そんなわけで、正月休みに近所の道端に出現していた幣束は、べつに恐れるようなものではなかったのだ。


誰だよ、「魔女が呪いの儀式に使った道具だ」なんていったやつは・・・・・・。



2025年9月 3日 (水)

刺さったトゲを放置していると死ぬ

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昭和の頃には日常生活に密着した迷信や都市伝説というのがけっこうあった。


そしてそれらは真偽のほどは定かではないのに、なぜか信じて疑わない人がなぜか多かった・・・・・・。


たとえば、「指に刺さったトゲを抜かずにそのまま放置していると死ぬ」という話は有名だった。


いまでは指にトゲが刺さることなんてめったにないが、昭和の頃はけっこう頻繁にトゲが刺さっていたものである・・・・・・。


では、当時はどうしてそんなにトゲが多かったのかというと、まず、身の回りのものに木製品が多かったことがあげられる。


そもそもの話、昭和の頃は、家からして木造の日本家屋が多かった。


私は縁側に座って、庭をボーッと眺めているのが好きな子供だった。


縁側には背もたれなんてないので、板材の上に両手をついて、足をブラブラさせながら座っていたのだが、トゲが刺さるのはそんな時だった。


縁側の板材が古くなって来ると、所々がささくれ立って来て、小さなトゲが出来てくる。


そのトゲがある場所に、運悪く手をついてしまうと、指にトゲが刺さってしまうことになるわけだ。


その他にも、靴を履く時に、木製の下駄箱に手をついた時や、引き戸式の下駄箱を開けようとした時に、トゲが刺さることが多かった・・・・・・。


当時の木製品は、現在のものと違って、木の風合いを残したものが多く、現在のもののように、角を丸めたり、つるつるにコーティングしたものは少なかった。


このことがトゲが刺さることの原因だったように思う・・・・・・。


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そしてもうひとつ、トゲのトラップが仕掛けられた場所をご紹介するなら、「雨戸」があげられる。


日本家屋の雨戸といえば、大型の引き戸になっていて、普段は戸袋と呼ばれる収納スペースに入れられていた。


そして夜寝る前に、戸袋から引き戸を1枚ずつ引き出して、雨戸を閉めていくのだが、この時にトゲが刺さることがよくあった・・・・・・。


戸袋に収納されている雨戸はけっこう重く、しっかりと持って、力を込めて引き出さないと、びくともしなかった。


しっかりと持って力を込めれば、刺さったトゲは小さくても、指の奥の方まで入り込んで、やっかいなことになるわけだ・・・・・・。


深く刺さってしまったトゲというのは、取り出すのも容易ではなく、毛抜きで摘まんでなんて到底無理で、それこそ、「縫い針を使ってほじくり出す」ぐらいしなくては、抜くことは困難だった。


縫い針を使ってほじくり出すのは、時間がかかるうえに、信じられないくらい痛く、「これを我慢するくらいなら、トゲが刺さっている痛みの方がまだまし」と思えるほどだった。


そんなこともあって、刺さったトゲは、とりあえず放置することも少なくなかったのだが、そんな時にふと思い出されるのが、冒頭の「刺さったトゲを抜かずに放置していると死ぬ」というアレだったのだ・・・・・・。


では、なぜそんなことぐらいで死ぬのかというと、刺さったトゲはゆっくりと時間をかけて体内に入り込んで行き、そのうちに血管の中へ侵入、そして全身を巡り巡って、最終的には心臓に刺さって死ぬといわれていた。


そして、トゲの痛みを感じなくなったら、それは血管に入り込んだサインだともいわれていたので、痛みをこらえながら、必死になって縫い針で刺さったトゲをほじくり出そうとしている強者もいた。


で、個人的には、「1ミリあるかないかという大きさのトゲが心臓に刺さったところで死にゃあしないだろう」と思ってはいたのだが、万が一に備えて、トゲが刺さった直後は、とりあえずは縫い針チャレンジもしておいた。


ちなみにそれでトゲが抜けた試しはなかったが、抜けなかったトゲが心臓に刺さって死んだ試しもなかったのである・・・・・・。


(画像上、夏の終わりと秋の到来を告げるセミ、ツクツクボウシ・・・・・・。画像下、林床の水分が保たれている場所では、秋のキノコがちらほらと顔を出し始めた・・・・・・)



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