« 2025年9月 | トップページ | 2025年11月 »

2025年10月

2025年10月29日 (水)

いも作くん

Photo_20251029174701

「いも作くん」を覚えているだろうか。


「いも作くん」は1985(昭和60)年に、明治製菓から発売されたチョコレート菓子だった・・・・・・。


なぜ、「いも作くん」なのかというと、サツマイモ風味のクッキーを、チョコレートでコーティングし、そのお菓子自体もサツマイモの形をしているという、サツマイモを前面に押し出したお菓子だったからだ。


しかし、商品名になっている「いも作くん」は、このお菓子のことを指しているわけではなかった。


では、「いも作くん」とは、いったい何なのか・・・・・・。


その疑問については、「いも作くん」のパッケージを見れば一目瞭然だった。


「いも作くん」のパッケージには、上部に大きく、「いも作くん」の文字が配置され、パッケージの2/3を使って、サツマイモ形のお菓子を山盛りにしたイラストが描かれていた・・・・・・。


そして注目すべきは、パッケージの右側1/3ほどのスペースに描かれている、坊主頭に麦わら帽子を被った少年である。


首にはタオルを巻いていて、白いシャツに紺色のモンペを履いていて、右手にはなぜか木の葉を1枚持っている。


さらに足下に注目すると、靴ではなくて、地下足袋を履いているように見える。


いかにも野暮ったい田舎の少年という感じなのだが、この少年こそが、どうやら「いも作くん」のようだ。


昭和のお菓子には、オリジナルのキャラクターが作られて、広告展開されることが多くて、カールおじさんや木こりの切株のおじさんなどが有名である。


で、「いも作くん」のオリジナルキャラクターが彼ということになる・・・・・・。


Photo_20251029174801

さらにオリジナルキャラクターの「いも作くん」は、テレビCMにも出演を果たしていて、スヌーピーのような色柄をした、1匹の犬といっしょに公園のベンチに座っている。


どうやらこの犬は、「いも作くん」の飼い犬のようだ・・・・・・。


そこに自転車でポメラニアンを連れて現れたのが、当時アイドルとして活動していた松本友里さんだった。


松本さんに話しかけられて、「いも作くん」と相棒の犬は、顔が真っ赤になってしまうという内容だった・・・・・・。


イメージしてもらえば分かると思うが、このCMは「いも作くん」のアニメーションと、松本友里さんの実写を織り交ぜて制作されている。


個人的には2つの違和感があって、1つ目はアニメーションと実写という、決して混ざり合うことのない素材の融合。


そして2つ目は「いも作くん」という、どこからどう見ても、田舎に暮らしている少年が、なぜ都市公園のベンチに犬を連れて座っているのかという謎。


「いも作くん」はその風貌からして、郊外の農村に暮らしていて、野山を走り回っている・・・、そんなイメージの少年なのだ。


だから個人的にはこのCMは違和感しかなくて、映像作品としては失敗だったんじゃないのかな~と思っている・・・・・・。


しかし、チョコレート菓子としての「いも作くん」は、商業的には成功したといっていいと思う。


これは「いも作くん」の発売当時に、サツマイモを活用した食文化が注目されていて、「いも作くん」はこれにフォーカスしたことで、消費者の購買意欲を刺激したのだろうと思う。


その証拠に「いも作くん」は、幅広い年齢層から支持され、人気のお菓子となったのだった・・・・・・。


いうまでもなく、「いも作くん」はとっくの昔に終売となっている。


「いも作くん」の味の記憶も薄れゆく現在、ぜひとも復刻して欲しいな~と思っているのは私だけだろうか・・・・・・。


(画像上、大きなものは人の背丈ほどにもなるタイアザミ・・・・・・。画像下、きれいな模様のカワラタケ・・・・・・)


2025年10月22日 (水)

図書券

Photo_20251022171301

昭和の頃は入学祝いや卒業祝いに、図書券を贈るのが定番だった。


といっても、それは大人の側の話であって、子供はただ単に手渡された祝儀袋を、「どうもありがとう」といいながら受け取るだけの、いわば儀式のようなものだった・・・・・・。


ちなみにここでいう図書券とは紙の図書券のことである。


図書券は私の記憶では、全体が淡い桜色をしていて、中央に「図書券¥500」という文字がプリントされていて、右側には十二単のような装束をまとった女性が、小さな座卓に向かって書き物をしているデザインだったと思う。


図書券は紙質もよくて、金額も書かれていたこともあって、「書店限定で使えるお金」という認識だった・・・・・・。


ちなみに図書券の発行元である「日本図書普及」によると、「贈られた側が、自分の好きな本を選べる仕組み」として、図書券が誕生したとのこと。


本そのものをもらっても、自分がすでに持っている本だったり、全く興味のないジャンルだったりすると、読まずに本棚へ直行することになる。


これでは本を贈られる意味がないではないか。


それを考えると、図書券は画期的なシステムだったといえるだろう・・・・・・。


そんな図書券なのだが、「入学祝い」や「卒業祝い」以外の場面でも贈られることがあった。


ズバリいうなら、それは「お年玉」だ。


お年玉を「はい!」と差し出された時、通常のポチ袋ではなく、無地の封筒だったりすることがたまにあった。


そんな時は高額紙幣がごっそり入っている予感がして、早く家に帰って、封筒を開けてみたい気持ちを抑えきれず、親戚の家の客間で、一人、ほくそ笑んだりしていたものである・・・・・・。


Photo_20251022171401

ところがこの「無地の封筒」というのが大きな落とし穴なのだ。


帰宅後、もらったお年玉を確認するべく、まずは封筒の上から指で摘まんで、感触を確かめる。


するとこちらが想像していた以上に分厚い。


「これは万札なら5~6枚はあるぞ!」などと思い、嬉しさのあまり、「ウヒャァ~!」などと声を上げそうになる・・・・・・。


しかし、ちょっと待てよ。


ここはちょっと冷静になるべきだ。


中身が万札とは限らないではないか。


千円札の可能性だってあるわけだ。


それなら10枚入っていたって1万円だ。


いや、それでも小学生ごときに、1万円も入れてくれる大人は、そうそういない。


こいつは大当たりに違いない。


そしてドキドキしながら、白い封筒を開封すると・・・。


「え?」と思いながら、中身を取り出すと、「図書券¥500」と書かれた紙が10枚入っていた・・・・・・。


そう、封筒に入っていた枚数は当たっていたのだ。


ただ、中身と金額については、全部「はずれ」だった。


憲法改正で、「お年玉に図書券は認めない」ことにして欲しいものである・・・・・・。


ところで、図書券に描かれていた、十二単のような装束をまとった女性についてだが、当時は紫式部や清少納言だと、信じて疑わない人がほとんどだったと思う。


ところがこれは、「平安時代の女流作家」がモチーフになってはいるが、じつは架空の人物なのだそう。


「結局のところ、何一つ当たっていなかったのだな~」と思うと、何だかいまさらながら、ちょっと虚しいものである・・・・・・。


(画像上、クヌギのどんぐりは丸くて大きく見応えがある・・・・・・。画像下、シラカシのどんぐりはクヌギのどんぐりよりもずっと小さい・・・・・・)



2025年10月15日 (水)

扇風機をつけたまま寝ると死ぬ

Photo_20251015175801

昭和の頃は日常生活に密着した迷信や都市伝説というのがけっこうあった。


そしてそれらは、真偽のほどは定かではないのに、なぜか信じている人が多かった・・・・・・。


例えば私が子供の頃に聞かされた話では、「夏の夜に扇風機をつけっぱなしにして寝ると死ぬ」というのがあった。


当時はこの話を信じている人が少なくなかったので、寝室の電気を消灯して、「さあ、寝るぞ!」となった時点で、扇風機の電源スイッチもOFFにしていた。


当時はエアコンなんてなかったので、扇風機の電源をOFFにすると、頼りになるのは、窓から入って来る自然の風か、自家発電による団扇の風だけだった・・・・・・。


で、何で扇風機をつけっぱなしにして寝ると死ぬのかというと、私が聞いた話では、扇風機の風が身体に当たり続けることにより、身体が冷え切ってしまい、低体温の状態が長時間続くことで、ついには生物として生存していくことが困難になってしまうということらしい。


当時子供だった私は、大人からこの話を聞かされて、「怖ぇ~~~」と震え上がったのを覚えている・・・・・・。


Photo_20251015175802

当時、「扇風機をつけっぱなしにして寝ると死ぬ」原因は、いくつかささやかれていて、「脱水症状を起こして死ぬ」というのもあった。


子供の頃は、脱水症状なんていわれても、正直、何のことやら、よく分からなかったのだが、扇風機をつけっぱなしにしていることで、体内の水分がどんどん奪われていき、ついには蒸発する水分もなくなり、最後は魚の干物のようになって死ぬのだとか。


魚の干物と聞いて、最初のうちは、「そんな馬鹿な・・・」と笑っていたのだが、たまたま見ていたテレビ番組で、医学博士の先生が、「人は寝ている間にも汗をかいていて、一晩でコップ一杯分もの水分が身体から失われているのです」といっていて、その瞬間、私の中で、「干物になって死ぬ説」の信憑性がググッと急上昇したのはもはやいうまでもない・・・・・・。


さらにいうと、人は発汗以外にも、皮膚や呼気からも水分を失っているのだとか。


なので、汗をかいていなくても、水分補給は必要ということになる。


扇風機をつけたまま寝てしまうと、本人は眠っているため、水分を補給出来ないばかりか、扇風機の風で失われる水分量が倍増し、もはや干物へ一直線といっても過言ではないだろう・・・・・・。


で、昭和の頃に、まことしやかに語られていた、「扇風機をつけっぱなしで寝ると死ぬという話は事実なのか?」についてだ。


じつはこれについては、「死にはしないが、風の当たりかたによっては、体調不良を起こすかもしれない」というのが答えのようだ・・・・・・。


私が最近見たテレビ番組では、「扇風機をつけて寝るのなら、風は足に当てるようにするとよい」とのことだった。


上半身に扇風機の風を当て続けると、お腹が冷えて腹痛や下痢を引き起こしたり、口を開けたまま寝ていると、口の中やのどが乾燥し、風邪を引きやすくなったりするとのことだった。


どうやら扇風機をつけっぱなしにして寝ても、死ぬことや干物になることはないようである・・・・・・。


(画像上、キンモクセイが咲き始めた。画像下、道を堂々と歩いていたハラビロカマキリ・・・・・・)



2025年10月 8日 (水)

燃えろ‼プロ野球

Photo_20251008175701
▲「燃えろ‼プロ野球」の発売当時は、優秀な助っ人外国人がたくさんいた。阪神タイガースのバースは1985(昭和60)年に三冠王に輝き、シーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得した強打者だった・・・・・・。

1987(昭和62)年6月26日、ジャレコからファミコン用ゲームソフト、「燃えろ‼プロ野球」が発売になった。


当時は選手がデフォルメされていない、リアルな等身で描かれている野球ゲームが、まだなかった時代だった。


そんな中、ジャレコの「燃えろ‼プロ野球」は、選手のグラフィックがリアル指向で、「おっ、こいつはすごいぞ!」と発売前から、大いに話題になったのである・・・・・・。


「燃えろ‼プロ野球」は、選手のグラフィック以外にも、観客の歓声や、審判や監督の声などが、リアルに再現されていて、当時の子供たちを驚かせたものである。


私が一番記憶に残っているのは、ノーアウト満塁で三振したときに流れる、「アホ!」という声。


普段なら「観客のヤジか・・・・・・」と、何とも思わないワンシーンなのだろうが、じつはこれ観客ではなく、自軍の監督が発しているのである。


きっと、いまだったら、まず間違いなく、ボツになる音声だろう・・・・・・。


と、そんなリアル指向の、「燃えろ‼プロ野球」だったのだが、肝心の野球ゲームとしての出来は、かなり問題があったといわざるを得ない。


で、何がそんなに問題だったのかというと、あまりにもバグが多すぎたことが、その要因の1つとなっていた・・・・・・。


最も有名なのは、いまやこのゲームの代名詞ともなっている、「バントでホームラン」だろう。


「燃えろ‼プロ野球」では、各球団に1人は強打者がいて、彼らはなぜかバントであろうが、バットにボールが当たれば、ホームランになったのである。


バントなので当然のことながら、1ミリもスイングはしていない。


ある意味これは怪奇現象である。


ちなみに外国人バッターは、バントが出来ない仕様になっているのだが、その代わりに、「スイングの途中で止めたバットでも、当たればホームラン」が打ててしまう・・・・・・。


Photo_20251008180401
▲いまは無き、阪急ブレーブスのブーマーは、何といっても身長2m体重100㎏という見た目のインパクトが絶大だった。1984(昭和59)年にはシーズンMVPと三冠王を獲得している・・・・・・。

じつはこの「バントでホームラン」、先行して発売されていた、ナムコのファミスタに対抗するために、「誰もかなわないような怪物バッターを作ろう」と思い立ったことがきっかけになったのだそう。


そして1987(昭和62)年5月、ヤクルトスワローズに入団して、ホームランを量産していた、ボブ・ホーナーに注目。


ホーナーのミート指数とパワー指数を極端に上昇させたことにより、バットに当たればホームランというバグが生じることになってしまったのだという・・・・・・。


ちなみに「バントでホームラン」以外にも、本作のバグは多数が知られている。


本作では各選手に、「内野手」、「外野手」、「捕手」と、それぞれにポジションが決められている。


代打を出す場合、同じポジションの選手が残っていないと、「ダイダナイヤノコッテイマセン」などと表示され、その画面でフリーズしてしまい、そうなると、もうリセットするしか、道は残されていなかった・・・・・・。


また、これはバグというか、ゲームバランスの問題なのだが、球場の広さに対して、外野手の足が極端に遅く、ボテボテのゴロなのに、二塁打、三塁打になりやすかったり、高く上がった外野フライに追いつけなかったりしていた。


いま思うと、当時イチロー選手がいたら、この辺のゲームバランスも、こだわって作り込まれたのではないだろうか。


ただ、そのぶん、発売日は遅れたかもしれないが・・・・・・。


最後にこれは個人的に都市伝説だと思っているのだが、当時ファミコン通信のクロスレビューで、「燃えろ‼プロ野球」はなんと32点の高評価を得ている。


クロスレビューは4人のレビュアーが、10点満点で評価するのだが、なんと全員が8点を出しているのだ。


これを都市伝説といわずして何といおうか。


もはや編集部でプレイしたソフトは、一般販売されたソフトとは別物だったとしか思えない・・・・・・。



2025年10月 1日 (水)

サカタのタネガーデンセンター

Photo_20251001165901
▲「サカタのタネガーデンセンター」は、過去に何度かリニューアルがあって、外観がその都度変化して来ている。上の画像は閉店する2023年のもの・・・・・・。

私は子供の頃からずっと、サカタのタネガーデンセンターに、たいへんお世話になって来た。


サカタのタネガーデンセンターは、東急東横線「反町駅」近くにあった大型の園芸店で、いちおう種苗専門店ではあったが、小鳥や金魚、熱帯魚売り場なども充実している、子供にも人気の店だった・・・・・・。


私の父は盆栽を育てることが趣味だったので、サカタのタネガーデンセンターには、苗はもちろん、各種用土や肥料をよく買いに来ていた。


母は草花が好きだったので、季節の草花を買いに来ることが多かった。


一方、私はといえば、生き物が大好きな子供だったので、ペット売り場を見て回るのが最大の目的だった。


また、当時家で飼っていたセキセイインコの餌や、副食を買いに定期的に訪れていた・・・・・・。


小学校の頃は理科の授業で、何か植物を育てるたびに、家でもっと観察してみたくなり、わざわざ種を買いに出掛けたものである。


小学校1年の頃は、理科の授業でアサガオを種から育てて、観察日記をつけさせられるものだが、学校で配られるアサガオの種は、とてもシンプルな花色のものばかりだった。


私はアサガオには、もっとたくさんの品種があることを知っていたので、花弁の縁が白く縁取られる「覆輪」や、絞り模様の花の「絞り咲き」などの種を探すために、種売り場をうろついたりしていたものだった・・・・・・。


で、私が人生で初めて買った花の種は、そのアサガオだったと思うのだが、家に帰って種の袋を開けてとても驚いたのを覚えている。


というのも、私としては、種の袋を開封すると、中から黒々としたアサガオの種が、手の平にバラバラとたくさんこぼれ落ちてくるイメージだったのだが、袋の中から出て来たのは、透明な小さな袋に密封された、たった5~6粒の種だったのだ。


「えっ、たったこれだけ・・・・・・?」とか、「これって、もしかしてぼったくりっていうやつじゃ・・・・・・」と、小学生ながら不安になったりしたものだった・・・・・・。


Photo_20251001170401
▲2023年12月、何気なく立ち寄った店内に「閉店のお知らせ」が告知されていた。東急東横線の反町駅近くで、72年もの間、営業を続けて来たことが分かる・・・・・・。

ところがそんな心配をよそに、種を植えてみれば、なんと全部がきっちりと発芽して、順調に育っていったのだった。


サカタのタネで購入した花の種は、アサガオに限らず、花の写真がプリントされたパッケージの中に、小さな透明な密封袋が入っており、その中に5~6粒の種が入っているというスタイルのものがほとんどだった。


「こんなに少なくて、発芽しなかったらどうするんだろう?」と、毎回のように心配したものだが、不思議なことにどの花の種も、ほとんどが発芽していた。


「やっぱりそこらへんのスーパーで売っている花の種とは違うんだな~」と、何度思ったことかしれない・・・・・・。


ちなみに小学校2年生の時はヒマワリ、3年生の時はヘチマの種を買って育てたのだが、どちらも、ただでさえ狭い庭の、かなりのスペースを占領してしまい、両親からは大ひんしゅくを買ったものだった。


それでもヒマワリは予想以上に大きな花を咲かせてくれたし、ヘチマは大きな実をつけて、大人のすねほどもあるヘチマタワシが何個か収穫出来た。


父はせっかく収穫したのだから、風呂で使おうといっていたのだが、私は苦労して育てたヘチマで身体を洗うなんて、ちょっと考えられず、結局そのまま学習机の棚に飾り、ひとり悦に入っていたのだった・・・・・・。


そんなサカタのタネガーデンセンターだったのだが、2023年12月に突如閉店することになってしまった。


私にとっては、子供の頃の思い出がたくさん詰まった園芸店だったので、その一報を聞いてたいへんショックだった・・・・・・。


サカタのタネガーデンセンターは何度かリニューアルをして、建物の外観がその都度変化して来たのだが、私が一番印象に残っているのは、真っ白いシンプルな2階建ての建物のころで、建物の上部には赤い字で、「サカタのタネ」、緑の字で「ガーデンセンター」と書かれていたのが印象的だった。


確か1980年代までは、その白い建物だったと思う。


そんなサカタのタネガーデンセンターは、いまはもうなくなって、その跡地を通るたびに、何だか子供の頃の思い出を、すっぽりとどこかへ持って行かれたような、複雑な気持ちになるのだった・・・・・・。



« 2025年9月 | トップページ | 2025年11月 »

2026年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

にほんブログ村