カテゴリー「キノコ」の記事

2023年11月25日 (土)

「謎フレーズ探偵」たんたんたぬきの金玉は

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「た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~、か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~ ♪」という歌をご存じだろうか?


・・・と、一応そのように書いてはみたものの、恐らく「知らない」と答えるかたは、限りなくゼロに等しいと思う。


もし仮に、「日本でもっとも有名な、どうしようもない歌ランキング」というのがあったら、この歌はまず間違いなくベスト5には入っているだろうし、もっと言ってしまえば、個人的にはこの歌が1位なんじゃないかとも思っている。


この歌はそれぐらい日本全国の幅広い世代の人が知っている、「どうしようもない歌」なのである・・・・・・。


しかし、この手の歌というのは、ある一定の世代の人は知っていても、年配の人や若い人は知らなかったりするものだ。


また、自分たちが子供の頃に歌っていたものと、現在歌われているものでは、明らかに歌詞が変化してしまっているということもよくある。


ところがこの歌は、歌詞の前半部分に関しては、日本全国どこへ行っても、全く同じフレーズで歌われていて、しかも数十年間、その内容は全く変化していないのである。


音楽の教科書に載っているとか、テキストとして何らかの形で残されているのならともかく、人から人へ歌い継がれて行くだけという、なんとも原始的な方法で、よくぞここまで完璧に、代々継承されて来たものである・・・・・・。


ちなみに、「た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~、か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~ ♪」に続く後半の歌詞に関しては、私が子供の頃(昭和50~60年代)から、すでにいくつかのバリエーションが存在していた。


それをいまからいくつかご紹介してみたいと思う・・・・・・。


「たんたんたぬきの金玉は(A)」

た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~
か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~
そ~れをみ~ていた、お~やだぬき~
おなかをかかえて~、わっはっは


「たんたんたぬきの金玉は(B)」

た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~
か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~
そ~れをみ~ていた、お~やだ~ぬき~
か~たあし、あ~げて、ぶ~らぶら~


歌詞Aと歌詞Bは、子だぬきの金玉が、風もないのに、ぶらぶらと揺れている様子を親だぬきが見ていて、そのことを面白がっているという、親だぬき目線の歌である・・・・・・。


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「たんたんたぬきの金玉は(C)」

た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~
か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~
そ~れをみ~ていた、こ~だぬきも~
お~やのまねして~、ぶ~らぶら~


「たんたんたぬきの金玉は(D)」

た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~
か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~
そ~れをみ~ていた、こ~だぬきは~
ぼ~くもほしいと~、な~きだした~


歌詞Aと歌詞Bでは、子だぬきの金玉が、風もないのにぶらぶらと揺れている様子を、面白がって眺めている親だぬき目線の歌だったが、歌詞Cと歌詞Dでは、親だぬきの金玉が揺れているのを眺めている、子だぬき目線の歌になっている・・・・・・。


で、どちらが正しいとか、どれが元歌だったのかということに関しては、残念ながら正直よく分からないとしか言いようがない。


というのも、私が子供の頃には、すでに複数のバリエーションが存在していて、判断の付かない状態になってしまっていたからだ。


ただ、ひとついえることは、「たんたんたぬきの金玉は」という歌は、もはや言うまでもないと思うが「替え歌」である。


そしてその元になった歌や曲については、いまさら調べるまでもなく、すでにちゃんと判明しているのだ・・・・・・。


じつはこの歌のもとになった曲は、小学生が歌う唱歌で、「夏は来ぬ」というタイトルで知られている。


「国民唱歌集」という1891(明治24)年発行の本にも掲載されていることから、替え歌の方もそれなりに歴史があるものと思われる。


ちなみに「夏は来ぬ」というタイトルを見ても分かる通り、「たぬきの金玉」などいっさい何の関係もない歌であることは、もはや言うまでもない・・・・・・。


そしてややこしい話になって来るが、この「夏は来ぬ」には、さらに元歌が存在している。


じつはこの歌は、もともとは「Shall We Gather At The River」という聖歌だったのだ。


邦題は「まもなくかなたの」で、1864年にアメリカで発表された曲になる。


それにしても、聖歌が唱歌になったまではよかったが、そこからどこをどう間違えたら、「たぬきの金玉」に行き着くのだろう。


そうは言っても、日本では「たぬきの金玉の歌」が誕生していなければ、この曲がここまで有名になることなんてなかっただろう。


現代人は唱歌、「夏は来ぬ」を知らないのだから、そういう意味では、「たぬきの金玉の歌」は、じつはすごい歌で、この歌の作者(恐らくそこらへんにいる子供だったのだろうが・・・)は、偉大な功績を残したといえるだろう。


ただ、今となっては、それがどこのだれだったのか、皆目見当もつかないのである・・・・・・。


(画像上、気温が下がると花色が鮮やかになるスイフヨウの花。画像下、雑木林ではナラタケが爆生中・・・・・・)


2022年11月25日 (金)

「謎フレーズ探偵」ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 ①

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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 A」

やめてよして触らないで
垢がつくから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


この歌は昭和50~60年代、私が小中学生の頃に、子供たちの間でよく歌われていた歌で、きっとご存知のかたも少なくないだろう。


ビビディ・バビディ・ブーの軽快なメロディに乗せて、なんとも強烈な歌詞をサラリと歌い上げている。


この歌は主に女子が男子に向けて歌う歌で、男子にからかわれたり、ちょっかいを出されたりした時に、その対抗策として歌われていた。


冒頭でご紹介した歌詞が、最もオーソドックスなもので、私はこの歌詞Aがこの替え歌の元歌なのではないかと思っている。


と、そんな訳で、今回はこの「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」について、調査をして行きたいと思っている。


ちなみに今回は、主に女子が歌っていた歌ということで、以前ゴム飛び歌の調査の時に協力していただいた、女性のみなさんに声を掛けて、それぞれの友人、知人などから、情報を集めてもらって来た・・・・・・。


で、まずは冒頭でご紹介した歌詞Aについて、ちょっと補足をしておこうと思う。


歌詞Aでは「やめてよして触らないで垢がつくから」と歌われているのだが、この「垢がつくから」という部分を、「垢がつくでしょ」と覚えていたかたがけっこういた。


しかし、違っているのはこの部分だけなので、「どちらかが間違えて覚えているのでは?」と思われるかもしれない。


ところがじつはそうでもなさそなのだ。


子供の頃に流行っていたこの手の歌というのは、どうしようもなく、くだらない歌詞のものが多いのだが、なぜか鮮明に覚えているかたが、意外と多いのだ。


そして「自分が子供の頃に歌っていたのは絶対にこの歌詞だった」と強く主張されるのである。


そんな訳で歌詞Aには、「垢がつくから」と「垢がつくでしょ」の2つのパターンがあったことを、とりあえずご報告しておく・・・・・・。


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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 B」

やめてよして触らないで
近づかないでよ
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


どうでもいいけど、「ひでぇ歌だなぁ」と思う。


歌詞Aでは「垢がつくから触らないで」と言われていたのに、歌詞Bでは近づくことすら許してもらえない様子。


そこまで嫌われているとは、この男子生徒は過去にいったい何をしたというのだろう。


私が小学生の頃、馬鹿な男子がいて、鼻くそを丸めて指でピッと弾いている所を、屈強な女子に見つかって、往復びんたを喰らっていたことがあったが、恐らくそんなところだろうか・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 C」

やめてよして触らないで
子供出来ちゃう
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


私はこの歌詞はあまり記憶にないのだが、歌詞Cはその内容からして、中学生の頃に流行っていたバリエーションだろうか。


小学生が「子供が出来ちゃうから触らないで」などとは言わないだろう。


まあ、中学生ともなれば、触られたぐらいで、子供など出来る訳がないということは、ちゃんと理解しているはずである。


ということは、この歌詞には、「もっと絡んで来んかいっ!」という、逆説的な意味合いが込められているのかもしれない。


絡まれる相手にもよるのだろうが・・・・・・。


という訳で、今回は「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」のオーソドックスな歌詞のものを3つご紹介してみたのだがいかがだったろうか。


恐らく多くのかたの記憶に残る「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」は、この基本の構成の歌詞だと思う。


ところが「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」は、ここから基本の構成を少しずつ崩しながら、歌詞が大きく変化して行くことになる。


そして最終的には、もともとの替え歌の趣旨が分からないほどまでに変化してしまう。


で、次回からは、その変化して行く歌詞を追いかけてみようと思っている・・・・・・。


(画像上、ノコンギクは里山で最も普通に見られるノギクの仲間だ。画像下、林縁や雑木林ではナラタケが爆生中・・・・・・)

2022年10月 2日 (日)

「謎フレーズ探偵」アルプス一万尺の替え歌 ②

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「アルプス一万尺(元歌)」

アルプス一万尺
小槍の上で
アルペン踊りを踊りましょ
ラーララ ラララララ
ラーララ ララララ
ラーララ ラララララ
ララララ ラー


一般にアルプス一万尺は、子供が2人1組で行う手遊び歌として知られている。


私が子供の頃、女の子はよくこのアルプス一万尺をやって遊んでいた。


基本的にアルプス一万尺は女子の遊びで、男子がやっているのを見かけたことは、確か一度もなかったと思う。


その代わりと言ってはなんだが、男子の間では「アルプス一万尺の替え歌」が流行っていた。


男子は女子がアルプス一万尺をやっているのを見つけると、わざわざその近くまで走って行って、「アルプス一万尺の替え歌」を歌って、ゲラゲラと笑っていたものだ。


その歌詞の内容があまりにもバカバカしいので、アルプス一万尺で遊んでいた女子も、思わず「プッ!」と吹き出して、いっしょに爆笑していたのを覚えている・・・・・・。


で、今回はその替え歌をいくつかご紹介してみたいと思っている。


例によって今回もいつものメンバーに協力してもらい、それぞれの友人知人のネットワークから情報を集めてもらった。


ちなみに本稿では昭和50~60年代に小学生時代を過ごした人たちから話を聞かせてもらっている。


そんな訳でまずは私が覚えていた歌詞のものを最初にご紹介してみたい。
それがこちらになる(↓)。


「アルプス一万尺の替え歌 A」

田舎のじっちゃんばっちゃん
イモ食って屁して
大事なパンツに穴開けた(ヘイ!)


そしてこの後は、後半の歌詞に続いて行くのだが、今回は前半の歌詞だけをご紹介して行く。


ちなみに元歌の方は、後半の歌詞は、「ラーララ ラララララ・・・」と、「ラ」でシンプルに歌って行くだけなのだが、替え歌の方は一応ちゃんと歌詞がある。


これについては、次回以降で詳しくご紹介して行こうと思っている・・・・・・。


「アルプス一万尺の替え歌 B」

田舎のじっちゃんばっちゃん
イモ食って屁こいて
パンツが破れて空飛んだ(ヘイ!)


歌詞Aと歌詞Bはよく似ているのだが、注目すべきは最後の部分だ。


歌詞Aでは「大事なパンツに穴開けた」だけで済んでいるが、歌詞Bではパンツが破れただけに止まらず、なんと屁のパワーだけで空を飛んだというから驚きである。


田舎のじっちゃんばっちゃんとはいえ、なかなか侮れない特技を持っているといえよう。


それにしても屁をするたびに、パンツに穴が開いたり、破けたりしていたら、パンツが何枚あっても足りないだろう。


ということは、普段はパンツを一度下ろしてから、屁をしているのかもしれない。


ところがこの日はうかつにもイモを大量に食べてしまったため、不意に屁が出てしまい、パンツに穴を開けてしまったということではないだろうか。


ちなみに上の歌詞の()内のフレーズは、歌わないバージョンもあったという意味である・・・・・・。


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「アルプス一万尺の替え歌 C」

隣のじっちゃんばっちゃん
イモ食って屁して
パンツが破れてさあ大変(ヘイ!)


「アルプス一万尺の替え歌 D」

隣のじっちゃんばっちゃん
イモ食って屁こいて
パンツが破けて気絶した(ヘイ!)


歌詞Cと歌詞Dを見てまず気付くのは、冒頭の歌詞が「田舎のじっちゃんばっちゃん」から、「隣のじっちゃんばっちゃん」に変化していることだ。


じつは今回の調査で出て来たものに関しては、同じ歌詞のものでも、冒頭の歌詞が「田舎のじっちゃんばっちゃん」になっているものと、「隣のじっちゃんばっちゃん」になっているものの2パターンがあった(人によって違っていた)。


したがって、本稿でご紹介する際には、どちらか多かった方の歌詞を採用している・・・・・・。


「アルプス一万尺の替え歌 E」

田舎のじっちゃんばっちゃん
イモ食って屁こいて
パンツが破れてケツ出した(ヘイ!)


どうでもいいが、パンツが破れてケツが出るのは当たり前の話である。


どうせケツを出すのなら、パンツが破けないように、屁をする前に出さなければ意味がないだろう。


「パンツが破れてケツ出した(ヘイ!)」などと言っている場合ではない・・・・・・。


「アルプス一万尺の替え歌 F」

田舎のじっちゃんばっちゃん
イモ食って屁こいて
パンツを脱いだらクソだらけ(ヘイ!)


この歌詞Fではうかつにも屁ではなく、具の方が出ちゃったらしい。
肛門のしまりが悪くなっているのだろうか。


しかし、「パンツが破けた」という記述はどこにもないので、とりあえず今回はパンツそのものは無事だったようである・・・・・・。


という訳で、今回は「アルプス一万尺の替え歌」の前半の歌詞をご紹介して来たのだがいかがだったろうか。


じつはこれが全てではないのだが、切りがないのでとりあえず今回は、この辺で線引きしておこうと思う。


そして次回は、今回あえてご紹介しなかった、後半の歌詞について書いてみたいと思っている・・・・・・。


(画像上、道端で咲く、白花の彼岸花。画像下、テングタケの幼菌。林縁ではキノコが目立つ・・・・・・)


2022年9月14日 (水)

のっぺらぼう

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先日、会社の近くのスーパーへ買い物へ行こうと、いつも通る道をエコバックを片手に歩いていたところ、50mほど前方に気になる人物を発見した。


私はのどが渇いていたので、その場に立ち止まり、ペットボトルのお茶をグビグビと飲みながら、その人物をぼんやりと眺めていた。


ところが不思議なことに、その人物はこちらに向かって歩いて来ているはずなのに、なぜか一向に近付いて来る気配がないのだ。


これはいったいどうしたことだろう。


と、そんなことを考えていたら、私はふとあることに気付いた。


「あれ、顔がない?」


前述の通り、その人物とは50mほど離れていたので、はっきりとは見えないが、どうもその人物には顔がないように見えるのだ。


正確にいうなら、頭部はちゃんとあるのに、目や鼻や口が見当たらないのである。


とは言うものの、そんなバカなことがあるはずがない。


私は何度も目を擦りながら、目玉が飛び出さんばかりに目を見開いて、その人物をじっと凝視した。


しかし、どんなにじっくり見たところで、その人物に目や鼻や口があるようには見えなかった。


もしかして、顔のないお面やマスクを被っているのではないかとも思ったのだが、そんな何も描かれていないお面やマスクに需要があるとはとても思えない。


仮にそんなお面やマスクがあったとしても、そんなものを被って外出しようなんてやつはいまい。


では、こいつはいったい何者なのか。


で、いろいろと考えた挙句に、私は1つの結論にたどり着いた。


「もしかして、これってのっぺらぼう・・・・・・?」


のっぺらぼうとは言うまでもなく、顔がツルツルで、目や鼻や口が何もない妖怪である。


私はのっぺらぼうなんて、漫画やアニメの世界の話だと思っていた。


だからまさか自分が現実に遭遇することになるなんて、これっぽっちも思ってもみなかった。


しかし、後日この話を人に話したとしても、絶対に信用してもらえないだろう。


人に信用してもらうためには、私以外にも目撃者が必要なのだ・・・・・・。


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そこで私は同行者の里帆さんに、「あれ、のっぺらぼうだよね?」と聞いてみることにした。


すると私の指を指す方向を怪訝な表情で「え?」と覗き込んだ彼女は、「のっぺらぼう?何を言ってるんですか?」と聞き返して来た。


もしかして彼女にはのっぺらぼうの姿が見えていないのかと思い、そのことをすぐに確認すると、ちゃんと見えているという。


そこで「顔がないのに変だとは思わないのか?」と問い質すと、「顔なんてある訳ないじゃないですか、後ろ向きなんだから」と言うではないか。


「え?」と言ったまま、あっけにとられている私に、里帆さんは「あれ、ハゲたおじさんですよ」と言った。


「いくらハゲたおじさんだって、顔がない訳がないだろう」というと、彼女は「だから後ろ向きなんですって。向こう側に歩いて行ってるんですよ」と言うではないか。


私はてっきりこちら側に歩いて来ていると思っていたのだが、のっぺらぼうは向こうに歩いて行っていたということらしい。


確かに後ろ向きになっているのなら、顔なんてあるはずがない。


しかも、ツルツル坊主のハゲ頭で、後頭部にも髪の毛がなかったため、のっぺらぼうのように見えていたということらしい。


しかし、私にはそのことがどうも納得がいかなかった。


なぜならあの時ののっぺらぼうは、確かにこちら側に向かって、歩いて来ているように見えたからだ。


ところがそのことを里帆さんに話して、「こちら側に向かって来ているのではなく、向こう側に歩いて行っているんですよ」と言われた途端に、のっぺらぼうの進行方向が変わったのだ。


しかも不思議なのは、回れ右をした様子がまるでなかったことである。


そしてあんなにゆっくりと歩いていたのっぺらぼうが、進行方向が変わった途端に、急に人が変わったように歩く速度を上げたのだ。


そしてあっという間に、十字路を右に曲がって姿が見えなくなってしまった。


里帆さんは私がハゲたおじさんのことを、のっぺらぼうだと言っていたことが相当面白かったらしく、私の横で腹を抱えて大爆笑していた。


笑い過ぎて瀕死のゴキブリのようになっている彼女を引っ張って、私は大急ぎでのっぺらぼうが姿を消した十字路まで行ってみた。


ところがこの先は急な長い上り坂であるにも関わらず、のっぺらぼうの姿はすでにどこにも見当たらなかったのである。


これはどう考えてもおかしい。


そこで私は里帆さんに、「ほら、見てみなよ。やっぱりおかしいよ」と声を掛けた。


すると彼女は再び笑いのツボに入ったらしく、腹を抱えて笑い始めたのだった・・・・・・。


(画像上、フィールドでは夏の終わりを告げるセミ、ツクツクボウシが急に増えた。画像下、雨が降ってシロソウメンタケが地上に現れた・・・・・・)


2021年7月21日 (水)

「ドラえもん」のび助とノビスケ

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▲のび太のパパこと、「野比のび助」にはいくつかの謎がある。そしてその謎は、ドラえもんの秘密道具を駆使しても、きっと分からないだろう・・・・・・。

皆さんはのび太くんのパパの本名をご存知だろうか。


作中ではのび太やドラえもんからは「パパ」と呼ばれているし、のび太のママからも名前で呼ばれることはなく、「パパ」か「あなた」と呼ばれている。


では、のび太のパパに本名の設定はないのかというと、決してそんなことはなくて、本名は「野比のび助」という。


きっと、初めて聞いたという人も少なくないだろう。


そんな訳で、今回はのび太のパパこと、「野比のび助」について、色々と書いてみたいと思っている。


で、毎度のことながら、本稿では原作者やアニメの制作サイドの事情にはいっさい踏み込まない。


つまり原作漫画の絵やアニメの映像が、全て現実の事柄であると仮定して話を進めて行くことを先にお断りしておく・・・・・・。


ところで、のび太のパパこと野比のび助には、ちょっとした疑問というか謎がある。


それは彼の名前についてなのだが、のび助というのは本当に彼の本名なのだろうか。


というのも、原作漫画の第2巻の「地下鉄を作っちゃえ」というエピソードで、のび太とドラえもんは、パパに「野比のび三」という名前の書かれた定期券を手渡している。


じつはこのシーン、テレビアニメの「大山版ドラえもん」の頃にも、原作に忠実に「野比のび三」と書かれた定期券をパパに手渡すシーンが、しっかりと放映されている。


それにしても子供が実の父親の名前を間違えるなんてことがはたしてあるだろうか。


もしかしたら、のび太のパパは、「野比のび三」が本当の名前なのではないのか。


と、そんなことを思ったりもしたのだが、原作漫画は版が重ねられ、このシーンは現在では、「野比のび助」にしれ~っと修正されてしまっている。


結果的に不可解だった謎が、知らないうちに闇に葬られていたことになる訳だ・・・・・・。


じつはこの、「野比のび助」という名前にはもう1つ謎がある。


のび太は将来しずかちゃんと結婚して、子供が産まれるのだが、その子の名前もなぜかのび太のパパと同じ「ノビスケ」なのだ。


常識的に考えたら、自分の子供に自分の父親と同じ名前を付けようなんて考える人はまずいないだろう。


のび太はなぜそんなことをしたのだろう。


そして、しずかちゃんもなぜそれを止めようとはしなかったのだろうか。


ちょっと考えてみて欲しい。


自分の息子に、自分の父親と同じ名前を付けたりしたら、息子の名前を呼ぶ時はもちろん、叱ったりする時にも、常に父親のことが脳裏に浮かぶはずである。


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▲林床で「ドラえもん」を発見!体型はよく似ているが、これはヤマドリタケモドキというキノコだった・・・・・・。

それでも親と別に住んでいるのならまだいい。


問題は親と同居をしていたり、実家に遊びに行ったりした時である。


父親と同じ名前の息子を、大きな声で堂々と呼んだり、叱ったりすることは、どう考えても気まずいだろう。


そしてそれをするのがのび太ならまだいいが、しずかちゃんだったら、きっとかなり肩身の狭い思いをするに違いない。


そしてそうなることは、初めから分かっていたはずなのに、なぜのび太はそれを強行したりしたのだろう。


そう考えると、あの定期券に書かれていた、「野比のび三」という名前が、どうも引っ掛かるのである・・・・・・。


原作漫画ではのび太のパパこと野比のび助は、36歳という設定になっている。


年齢だけに注目すると、「意外と若いな」と思われるかもしれないが、じつはのび太のパパは戦争経験者であることを忘れてはならない。


だから連載初期の頃は、のび太のパパは、家にいる時はほとんど和服姿なのである。


原作漫画では36歳とされている年齢だが、アニメの方では41歳であることが読み取れるエピソードがある。


じつは原作漫画とアニメでは、のび太のパパに限らず、キャラクターの設定が微妙に違う部分が見られる。


例えば原作漫画ののび太は小学4年生だが、アニメ版ののび太は小学5年生だ。


この設定に従うなら、のび太のパパは原作漫画で36歳なのだから、アニメ版では37歳でなければおかしい。


では、どうしてのび太のパパだけ、一気に5歳も年を取ってしまったのか。


じつは原作漫画では、のび太のママは38歳ということになっており、のび太のパパより2つ年上の姉さん女房なのだ。


もしかしたら、アニメ版では理由は分からないが、この設定を変えたかったのではないだろうか。


41歳ならばママよりも3つ年上ということになり、「ちょうどいい年齢差の夫婦」という判断なのかもしれない・・・・・・。


しかし、「こういう現実的な話は面白くないよな~」ということで、無理やり夢のある方向へ話を持って行くことにする。


したがって、これから書くことは、「真実ではない私の妄想のようなもの」と思っていただきたい。


そもそも原作漫画のドラえもんと、アニメ版のドラえもんは、登場人物も物語の舞台も全くいっしょである。


しかし、細かい設定を1つ1つクローズアップして見て行くと、前述のエピソード以外にも、所々が微妙に違っていたりする。


どちらの世界も現実に存在していて、そのどちらにも「自分」がいるし、「家族」や「仲間」もいる。


すなわち自分がいる世界と、そっくりな世界が、もう1つ存在しているのだが、目に見えない部分が微妙に違っている。


そして2つの世界は、常に平行線を保っており、決して交わることはない。


と、このような構図になる。


よく考えてみると、これって並行世界、パラレルワールドなのではないだろうか。


そして、この考え方を用いると、原作漫画とアニメの間で起きている数多くの矛盾点が、きれいさっぱり解消されることにもなる。


どうだろうか、ちょっとは夢のある話になっただろうか。


で、このパラレルワールドの考え方は、タイムマシンを語る上でも深く関連して来るので、いずれまた詳しく書いてみたいと思っている・・・・・・。


2021年7月15日 (木)

「謎フレーズ探偵」ガッチャマンの替え歌③

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前々回から、私が子供の頃に流行っていた、「ガッチャマンの替え歌」の調査を始めた。


そして前回の調査では、ガッチャマンの替え歌は、東日本と西日本で主人公が違っていたことが判明した。
今回はその続きである。


という訳で、内容を忘れてしまっているといけないので、まずは「ガッチャマンの元歌」、「東日本の替え歌」、「西日本の替え歌」を先におさらいしておこうと思う。


「ガッチャマンの元歌」

誰だ誰だ誰だ、空のかなたに踊る影
白い翼のガッチャマン
命をかけて飛び出せば
科学忍法火の鳥だ
飛べ飛べ飛べガッチャマン
行け行け行けガッチャマン
地球は一つ、地球は一つ
おお、ガッチャマン、ガッチャマン


「東日本の替え歌(オーソドックスなもの)」

誰だ誰だ誰だ、僕のおやつを盗むやつ
黒いお目々のパンダちゃん
命をかけて飛び出せば
電信柱にぶつかって
飛べ飛べないパンダちゃん
行け行けないパンダちゃん
地球は一つ、割れれば二つ
おお、パンダちゃん、パンダちゃん


「西日本の替え歌(オーソドックスなもの)」

誰だ誰だ誰だ、僕のおやつを盗むやつ
白い翼のニワトリ
命をかけて飛び出せば
科学忍法焼き鳥だ
飛べ飛べないニワトリ
行け行けないニワトリ
地球は一つ、割れたら二つ
おお、ニワトリ、ニワトリ


ざっと目を通してもらえば分かる通り、東日本の替え歌も、西日本の替え歌も、歌詞の内容そのものは、ほとんどいっしょと言っていいと思う。


それなのになぜか、東日本の替え歌の主人公は「パンダちゃん」、西日本の替え歌の主人公は「ニワトリ」になっている。


これはいったいどういうことなのだろう・・・・・・。


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ガッチャマンのテレビアニメは、フジテレビ系列で1972年10月1日より、毎週日曜日午後6時から午後6時30分の放送枠で放映が始まった。


そして、1974年9月29日の放映終了までに、全105話が放送されている。


じつはガッチャマンのテレビアニメの放映が始まった1972年は、日中国交正常化を記念して、中国から日本にパンダが初めて贈られた年でもある。


昭和生まれの人なら、カンカンとランランと言えば、思い出していただけるかと思う。


カンカンとランランは、1972年10月28日に、中国から専用機に乗せられて、羽田空港へ到着している。


そして驚いてしまうのは、この時、当時の内閣官房長官の二階堂進さんが、わざわざ羽田空港まで出向いて、カンカンとランランを出迎えているのだ。


当時、パンダは正にVIP級の待遇だったと言えるだろう。


そしてこのことは、当日のニュースや翌日の新聞でも大きく報じられたそうだ。


その後、カンカンとランランは東京の上野動物園で、同年の11月5日から一般公開された。


当時のパンダフィーバーは凄まじく、パンダを見るためだけに2時間待ちの行列に並び、ようやく順番が回って来たと思ったら、立ち止まることも許されず、観覧時間はたったの30秒という有り様だった。


しかも、その30秒の間、パンダが起きて動き回っているという保証は何もなく、せっかく見に行ったのに、パンダは2頭とも寝ていて、全く動かなかったなんて話も当時はよく聞かされたものである。


ちなみに私も幼い頃に、上野動物園にパンダを見に行った記憶がある。


私が見に行った時は、すでにパンダ来日から5~6年が経過していたと思うのだが、それでもパンダ舎の前は大行列で、やはり立ち止まることは許されず、ゆっくり見ている暇はなかったと記憶している。


そして前評判通り、パンダは2頭とも寝ていて、しかもこちらに尻を向けていたため、寝顔すら見られなかったのを、なんとな~く覚えている。


帰宅後、どっと疲れが出たことは言うまでもない・・・・・・。


ガッチャマンの放映が始まったのが1972年10月1日。


日本にパンダが初めてやって来たのが1972年10月28日。


そして、カンカンとランランを飼育展示していたのが、東京都恩賜上野動物園。


もう、お気付きだろう。


そう、この3つのキーワードを合わせると、当時東日本の小学生の間で流行っていた、ガッチャマンの替え歌の背景が見えて来るのだ。


どうやら、東日本の替え歌の主人公が「パンダちゃん」だったのは、当時のパンダフィーバーが関係していたようである。


そして、その当時は、西日本の動物園には、パンダはいなかったので、「どーせ、西日本の動物園にはパンダはいませんよ~だ!」と、自虐的な意味合いを込めて、西日本の各地域では、主人公をどこにでもいる、身近なニワトリに置き換えて歌っていたのではないだろうか。


また、ガッチャマンの主人公、「大鷲の健」の白いコスチュームは、どうひいき目に見てもオオワシには見えない。


オオワシは白というよりも、全体に黒っぽい鳥なのだ。


小学生はオオワシなんて言われてもピンと来ないし、校庭の鳥小屋にいるニワトリの方が身近で、イメージしやすかったのだろう。


そして、昭和の当時、小学校の校庭で飼われていたニワトリは、白いボディで大型の、「白色レグホン種」が多かったのも、その一因になっていたと思われる。


ガッチャマンの放映スタートと、パンダ来日の時期が一致していることからも、これでほぼ間違いないと思われる・・・・・・。


(画像上、日陰のアジサイはまだまだ元気。画像下、まとまった雨の日が続いて、テングタケが次々と顔を出す)

2021年7月 9日 (金)

「謎フレーズ探偵」ガッチャマンの替え歌②

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前回から私が小学生の頃に流行っていた、「ガッチャマンの替え歌」の調査を始めた。


今回はその続きである。


そこでまずは、ガッチャマンの主題歌(元歌)について、ちょっとおさらいをしておこうと思う。


「ガッチャマンの歌」

誰だ誰だ誰だ、空のかなたに踊る影
白い翼のガッチャマン
命をかけて飛び出せば
科学忍法火の鳥だ
飛べ飛べ飛べガッチャマン
行け行け行けガッチャマン
地球は一つ、地球は一つ
おお、ガッチャマン、ガッチャマン


どうだろうか。
昭和生まれの人なら、頭の片隅に眠っていた記憶が、これで呼び覚まされたのではないだろうか。


そして、前回の記事の内容についても、思い出していただけたろうか・・・・・・。


という訳で、ここからは前回の続き、「ガッチャマンの替え歌」に話を戻したいと思う。


前回は「食べ物編」と「便所編」の2つのジャンルをご紹介した。


そして今回1発目にご紹介するのは「パンツ編」である。
それではどうぞ(↓)。


「替え歌 D」

誰だ誰だ誰だ、僕のパンツを盗むやつ
黒いお目々のパンダちゃん
命をかけて飛び出せば
電信柱にぶつかって
飛べ飛べないパンダちゃん
行け行けないパンダちゃん
地球は一つ、割れたら二つ
おお、パンダちゃん、パンダちゃん


「パンツ編」の替え歌はもう一つあるので、続けてご紹介することにする。


「替え歌 E」

誰だ誰だ誰だ、僕のパンツを脱がすやつ
白いお手々のパンダちゃん
命をかけて飛び出せば
電信柱に激突だ
飛べ飛べないパンダちゃん
行け行けないパンダちゃん
地球は一つ、割れたらおけつ
おお、パンダちゃん、パンダちゃん


「パンツ編」の替え歌を2本続けてご紹介してみたのだがいかがだったろうか。


歌詞を見れば分かる通り、前回ご紹介した「便所編」にも増して、パンダちゃんがより一層、「やべえやつ」になっていることが分かる。


注目すべきは「替え歌D」では「僕のパンツを盗むやつ」、「替え歌E」では「僕のパンツを脱がすやつ」とあるように、パンダちゃんのターゲットはいずれも「僕」なのである。


これが「私」ならばまだ分からなくもないが、なぜに「僕」なのか。


私たちは「ガッチャマン」という先入観から、パンダちゃんはてっきりオスだと思い込んでいたが、これはもしかしたらパンダちゃんは、メスなのではないだろうか。


(いや、そういう問題ではないと思う・・・・・・。)


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さて、パンダちゃんがオスかメスかはさておき、ここまでの「替え歌A~E」では、「パンダちゃんが主人公である」ということは、もはや言うまでもないだろう。


そしてこれまでご紹介して来た替え歌は、全て関東地方で流行っていたものである。


ところがこのガッチャマンの替え歌、関西地方では、なんと主人公はパンダちゃんではないのである。


では、「いったい主人公は何者なのか?」の答えがこちらになる(↓)。


「替え歌 F」

誰だ誰だ誰だ、ぼくのおやつを盗むやつ
白い翼のニワトリ
命をかけて飛び出せば
科学忍法焼き鳥だ
飛べ飛べないニワトリ
行け行けないニワトリ
地球は一つ、割れたら二つ
おお、ニワトリ、ニワトリ


なんとガッチャマンの替え歌、関西地方では主人公はパンダちゃんではなく、ニワトリだったのだ。


「なぜ、ニワトリ?」という気がしないでもないが、それを言うならパンダちゃんだって、「なぜ、パンダちゃんなのか?」ということになるだろう。


それによくよく考えてみたら、科学忍者隊ガッチャマンは、鳥のコスチュームを身に着けており、イメージとしてはパンダちゃんより、ニワトリの方がしっくり来るのだ。


特にリーダーの「大鷲の健」は白いコスチュームで、イメージとしては大鷲というよりは、むしろニワトリの方が近いかもしれない。


更にニワトリの種類まで言及するならば、個人的には「白色レグホン」を押したいと思う。


間違っても「チャボ」のような小さな可愛らしい種類をイメージしてはいけない。


大型でガッチリとした「白色レグホン」こそが、ガッチャマンのイメージにピッタリのニワトリなのだ。


それに全体の歌詞を見ても、パンダちゃんよりも、ニワトリの方がしっくり来るのが分かると思う。


ただ、「科学忍法焼き鳥だ」の部分だけは、ちょっと気になるところではある。


いったいどんな「科学忍法」なのかと、つっこまずにはいられない。


で、この西日本バージョンのニワトリの歌詞のものも、先にご紹介している東日本のパンダちゃんと同様に、歌詞には様々なバリエーションがあるようである・・・・・・。


私は小学生の頃、ガッチャマンの替え歌は、自分の周りで流行っているだけで、きっと同級生の誰かが作った替え歌なのだろうと、勝手にそう思い込んでいた。


ところが、大人になってから、こうしていろんな人に話を聞いてみると、どうやらこの替え歌は、全国的に流行っていた替え歌だったらしいという、衝撃的事実が判明した。


こんなバカバカしい替え歌が、全国区だったということも驚きだが、東と西で歌詞(主人公)が違っていたということもどうも気になる。


という訳で、次回はいよいよ大詰め、ガッチャマンの替え歌の裏に隠れる、背景について迫って行きたいと思っている。


どうでもいいが、こんなバカバカしい内容の替え歌について、3回も書くことになろうとは思っても見なかった・・・・・・。


(画像上、アジサイにはやっぱり雨がよく似合う。画像下、頭に泥をくっつけてツルタケが地上に姿を現した)




2021年3月23日 (火)

「謎フレーズ探偵」じゃんけんぽっくりけっつうまのくそ

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私が小学生の頃、変なじゃんけんが流行っていたことがあった。


そしてそのじゃんけんの掛け声はやたらと長くて、覚えるのも一苦労だった。


最初のうちは、いったいどのタイミングでじゃんけんをするのかもよく分からなくて、「やっかいなじゃんけんが流行り出したな~」と子供ながらに思っていたものだ・・・・・・。


で、そのやたらと長いじゃんけんの掛け声は次のようなものだった。


「じゃ~んけん、ぽっくりけっつ、ま~めは~さまっ(た)、た~んこぶ、た~んぼですりむい(た)、た~んぼでくっそたれたっ!」


この歌はいわゆる「繋ぎ歌」になっていて、連続する「た」を1つ減らすことで、流れるように歌うのが特徴だった。


つまり歌詞の()の部分は省略して歌わないのである。


また、じゃんけんの「手」は、最後の「くっそたれたっ!」の「たっ!」の時に出すことは言うまでもない。


そしてこのフレーズを聞かされて、まず思うことは、「いったいこれって、どういう意味なんだろう?」ということだ。


しかし、当時はそんなことは二の次で、とにかく流行りに置いて行かれないように、まずはこのフレーズを全部覚えるということを優先していたように思う・・・・・・。


じつはこのじゃんけんには簡易版もあった。


簡易版の方は、「じゃ~んけん、ぽっくりけっつ、う~まのくそっ!」と、前者に比べたら非常に短くシンプルで覚えやすいものだった。


しかし、「掛け声の意味がさっぱり分からない」ということに関してはどちらも変わりがなかった。


で、今こうして振り返って見ると、このじゃんけんは掛け声の意味も分からなければ、その出所も一切不明で、いったいなぜ流行っていたのかもよく分からず、あまりにも謎に満ちていた。


そんな訳で今回は、この謎のじゃんけんについて、色々と考えてみたいと思っている・・・・・・。


まず私は自分の身近な所で、この謎のじゃんけんについて、知っている人がいないか、事あるごとに聞き込みをしてみた。


すると私と同年代ぐらいの人は、やはり「ああ、アレか!」とか、「懐かしいな~」と思い当たる節があるようだった。


ところが聞き込みをして行くと、不思議なことに、人によって、じゃんけんの掛け声のフレーズが、微妙に違っていることが分って来た。


例えば「じゃ~んけ~ん、ぽっくりけっつ」の「ぽっけりけっつ」の部分を取って見ても、「ぽっくりけった」と言う人もいれば、「ぽっくりけって」と微妙に違う人もいる。


更には「ほったらけつ」と言う人もいるし、「ほっからけつ」だと言う人もいる。


また、「ぽっくりげた」だと言う人や、「ぽっくりげっつ」じゃないかと言う人もいた。


さすがに「ぽっくりげっつ」に関しては、「ゲッツ!」に影響されているんじゃないかと思うのだが、教えてくれた人に悪いので、その点は追求しなかった・・・・・・。


更にじゃんけんの掛け声の最後の部分についても調べて見た。


長文バージョンでは「くっそたれたっ!」で、簡易バージョンでは「う~まのくそっ!」の部分である。


どうでもいいが、こうして文字にしてみると、どちらも非常にバカバカしい掛け声である。


するとこれも人によってだいぶ違うのだ。


簡易バージョンで一番多かったのは、「うまのくそ」だったのだが、じつは「うまのけつ」もけっこういた。


また、「イモ食ってブー」や、「屁が出てブー」派の人もいた。


更に「イモ食ってプー」だと言う人は、「じゃ~んけ~ん、ぽっくりけっつ、いもくってぷ~!」とじゃんけんをして、あいこだった場合は「へがでてぷ~(あいこでしょの意味)!」、もう一度あいこだった場合は、もう一回「へがでてぷ~!」、その後もあいこが続いた場合は、「ぷ~!」、「ぷ~!」、「ぷ~!」と、勝負がつくまで延々と続けるのだと言い張っていた。


「もはやそれって、あんたのネタなんじゃないの?」という疑惑もあるが、早く勝負が付かないと、なんだか臭って来そうな掛け声である・・・・・・。


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で、いろんな人に聞いてみて、人や地域によってフレーズが少しずつ違うことはあるものの、とりあえず「このじゃんけんが、本当に流行っていた時期があった」という事実は確認出来た。


しかし、流行っていたのはいいとして、このじゃんけん最大の疑問である、言葉の意味については、誰に聞いてもよく分からず、出所はどこなのか、元ネタのようなものがあったのかなどは、結局は分からずじまいだった。


私が思うに、このような謎のワードは、決まってテレビ番組から流行が始まることが多いので、個人的にはその線が怪しいと踏んでいたのだが、残念ながら誰に聞いても、そこに行き着くことはなかった・・・・・・。


そして「これ以上は無理かな・・・」と半ばあきらめかけていたところ、例のじゃんけんのフレーズを、「じゃんけん、ぽっくりげた、ひよりげた」だと覚えていた人がいて、「大人になってから知ったんだけど、ぽっくりげたというのは、むかし着物姿の女の子が履いていた下駄のことで、歩く時にぽっくり、ぽっくりと音がするからそう呼ぶのだそうだよ」と教えてくれた。


「舞妓さんが履く下駄をイメージしてもらったら分かりやすいと思う」とのことだった。


そして、もう1つの「ひよりげた」については、天気の良い日に履く、背の低い下駄のことで、漢字では「日和下駄」と書くのだそうだ。


なるほど・・・・・・。


と言うことは、私たちが小学生の頃に言っていた、「じゃ~んけん、ぽっくりっけっつ・・・」というフレーズは、どうやら「じゃんけん、ぽっくりげた、ひよりげた」が元々の掛け声であったらしい。


「ひよりげた」がなぜ、「うまのくそ」になったのかは気になるところではあるが・・・・・・。


で、この話をまた別の「ぽっくりげた」派の人に話したところ、その話を家族にも話して聞いてくれたらしい。


しかし、家族はそれ以上のことは、特に何も知らなかったらしいのだが、家族がその話を更に親族の誰だかに話してくれたそうなのだ。


するとその人から次のような情報を聞き出すことが出来たというのだ。


「じゃんけん、ぽっくりげた、ひよりげた」というのは、元々は「東京の童歌を集めた本」のタイトルなのだという。


そしてその本の中に、じゃんけんをする時の歌として、「じゃんけん、ぽっくり下駄、しよひげ煙草を一本吸いました(ここでじゃんけんをする)」、あいこだった場合は、「二本吸いました」、更にあいこだった場合は、「三本吸いました」と続いて行く歌が紹介されているのだそうだ。


どうやら「じゃんけん、ぽっくりけっつ、うまのくそ」の原点はコレらしい。


しかし、なぜ本に紹介されている歌の方ではなく、本のタイトルの方が、じゃんけんの掛け声として流行っていたのかは定かではない・・・・・・。


ところで、「しよひげ煙草」とはいったいなんのことだろう。


じつはこれについては、残念ながら正確には分からなかった。


しかし、これはあくまでも我々の推理なのだが、このワードは元々は、「ひよりげた」と「たばこ」という2つの単語だったのではないだろうか。


昔の東京の下町の方言では、「ひ」を「し」と読む。


そう言えば、東京の世田谷出身のうちの父も、「火を点ける」を「しをつける」と発音していたのを覚えている。


「ひよりげた」を「しよりげた」と読んだものが、「しよひげた」と訛って、語呂をよくするために、「たばこ」という単語を後ろに続け、「た」を1つ省略してしまったのではないだろうか。


いわゆる「繋ぎ歌」というやつである。


要するに、「じゃんけんぽっくり下駄、日和下駄、たばこを一本吸いました・・・」が元々のフレーズだったのではないかと思うのだ。


そういえば、私が小学生の頃も、長いバージョンの方の歌詞を、「たんこぶ、たんぼで、すりむいたんぼで、くそたれたっ!」と、「た」を1つ省略して歌っていたではないか。


恐らくそういうことだったのではないかと思う。


私があれほど知りたいと思っていた、「じゃんけんぽっくりけっつ・・・」の意味については、意外にもそのフレーズ全体には意味はなく、ただの語呂合わせの、言葉遊びのようなものだったというのが真相のようだ・・・・・・。


(画像上、サンシュユと白梅の共演。画像下、春の使者、トガリアミガサタケが地上に現れた)

2020年9月30日 (水)

悩ましいコーヒー

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私は食べ物の好き嫌いはあまりない方だと思う。


しかし、食べられない(飲めない)訳ではないが、「これはちょっと苦手だな~」というものはいくつかある。


そのうちの一つがコーヒーである。


カフェオレぐらいなら飲めるのだが、ミルクを入れていない、真っ黒いコーヒーは、自分から好き好んで飲もうとは思わない・・・・・・。


コーヒーは豆を挽いている時や、お湯を注いでドリップしている時は、私でも「いい香りだな~」と思う。


鼻の穴を広がるだけ広げて、少しでもその香りを体内に取り込みたいと思うほど、「いい香りだな~」と感じる。


そして、「こんなにいい香りがする飲み物が、まずい訳がないじゃないか」と信じて疑わない。


ところがカップに注がれたそれは、カップの底が見えないほど真っ黒で、そこにまず不信感が生まれる。


そしてそれをひとくち、口に含んだ瞬間に、「なんだこりゃ・・・」と思うことになる。


個人的な印象としては香りと味のギャップがあり過ぎるのだ。
あの香りからイメージされる味は、「こんなんじゃない!」のだ・・・・・・。


一番納得がいかないのは、「酸味のあるコーヒー」である。


香りやコクや苦味、そして酸味は、コーヒーには欠かすことが出来ない要素だというが、なぜ酸味が必要なのか、私には全く理解出来ない。


しかしコーヒーの酸味は、ただ酸っぱいだけという訳ではなくて、苦味を和らげる効果があったり、苦味の余韻を軽減する効果があるのだという。


個人的にはそれだったら、酸っぱさよりもミルクのようなまろやかさが欲しいところだ。


また、コーヒー通の人に言わせると、酸味の種類にも色々あるそうで、オレンジやレモン、グレープフルーツなどの柑橘類を始め、マスカットなどの葡萄、そして各種ベリーなどに例えられることもあるそうだ。


「例えられる」とは言うものの、私にはどうも言っている意味がよく分からず、無理やりこじつけているようにしか思えない。


そもそもコーヒーの中に、オレンジやマスカットを感じる必要があるのだろうか。


個人的には頭を捻りながら、コーヒーの黒い液体の中から、わざわざオレンジやマスカットらしさを探し出すぐらいなら、素直にオレンジジュースやマスカットジュースを飲んだ方が、香りも爽やかだし、よっぽど美味いと思うのだが・・・・・・。


そんな訳で、うちでは昔から、「コーヒー」と言えば、「雪印のコーヒー牛乳」のことだった。


コーヒー牛乳は美味い。


世の中の美味い飲み物のベスト5に入るぐらい美味いと思う。


コーヒー牛乳はパンやケーキのお供としてだけでなく、風呂上りに「クーーッ!」と一杯飲んでも美味い、万能な飲み物なのだ・・・・・・。


「グリコのカフェオーレ」も美味い。


ピンと来ない人のために説明するなら、先細りになったような円筒形の容器に入っているアレである。


ただ、非常に残念なのは、容量があまりにも少な過ぎることだ。
あの大きさなら一度に5本は飲める。


そういう訳で、グリコさん、カフェオーレの容器をあの形のままもっと大きくしてもらえませんか・・・・・・。


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お中元やお歳暮で、毎回インスタントコーヒーの詰め合わせを送って来る人がいる。


しかし、うちではコーヒーはほとんど飲まないので、お中元にもらったインスタントコーヒーのセットが、そっくりそのまま残っているのに、お歳暮でまたインスタントコーヒーのセットが送られて来るなんてことも少なくない。


しかも、お中元やお歳暮に、インスタントコーヒーの詰め合わせをチョイスする人は意外と多くて驚かされる。


こういう人たちはきっと、「コーヒーを飲まないやつなんていないだろう」と思って、あまり深く考えずにインスタントコーヒーの詰め合わせを、「無難なもの」として選んでいるのだろうと思う。


コーヒー好きの人からしたら、コーヒーは朝晩飲むものだし、きっとこの程度の量はあっという間になくなってしまうのだろう。


しかし、私のように普段コーヒーを飲まない者は、コーヒー1杯を飲むために、コーヒーと同量かそれ以上の牛乳が必要になる。


早い話がコーヒーよりも牛乳の消費量の方が多いのである。


お中元やお歳暮にもらうインスタントコーヒーの詰め合わせには、クリープが1本だけ付いている。


私は牛乳が冷蔵庫にない時は、このクリープを大量消費するので、出来ることなら、インスタントコーヒーの詰め合わせは、コーヒーとクリープの本数を同量にしてもらいたいところである。


もっと言うなら、コーヒー1本にあとは全部クリープでもいいぐらいだ・・・・・・。


もったいないので、頑張って飲んでいるインスタントコーヒーなのだが、私の場合コーヒーを飲む時は、人の半分以下の量しか使わないため、毎日飲んでいてもなかなか減らない。


なぜ人の半分以下の量で済むのかというと、そうしておかないと、あとで大量の牛乳を投入するので、マグカップ1杯に収まり切らなくなってしまうのだ・・・・・・。


そんな訳で、毎日一生懸命飲んでいても、インスタントコーヒーは一向に減らず、うちではインスタントコーヒーの詰め合わせが山積みになっており、ちょっとしたショーケースでも準備したら、商売でも始められそうな雰囲気である。


一時期、未開封のインスタントコーヒーの詰め合わせを、お中元やお歳暮として使い回せないものかと企んだことがあったが、もし万が一、包装紙の下に、一筆箋でも忍ばせてあったらと思うと、残念ながらそれは断念するしかなかった。


そしてこの時ほど、空港のX線検査装置を、「欲しい」と思ったことはなかった・・・・・・。


(画像上、稲刈り間近の里山の田んぼ。画像下、気温が下がってヤマドリタケモドキが出始めた)


2020年8月 7日 (金)

昭和のテレビ事情2

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未だにテレビのチャンネル番号を、アナログ放送だった頃の番号で言う人がいる。


かく言う私も、会話の中でうっかりアナログ時代の番号を言ってしまうことがある。


やはり昭和の頃から慣れ親しんだチャンネル番号は、しっかりと頭の中に刻まれていて、そう簡単にアップデート出来るものではなかったのだ・・・・・・。


テレビがアナログ放送だった頃、私が住む地域では、テレビ各局のチャンネルは次のように割り当てられていた。

(1)NHK総合
(2)空きチャンネル
(3)NHK教育
(4)日本テレビ
(5)空きチャンネル
(6)TBSテレビ
(7)空きチャンネル
(8)フジテレビ
(9)空きチャンネル
(10)テレビ朝日
(11)TVK(テレビ神奈川)
(12)テレビ東京


そしてこれがデジタル放送に切り替わるタイミングで、チャンネルの割り当ても次のように変更になった。

(1)NHK総合
(2)NHKEテレ
(3)TVK(テレビ神奈川)
(4)日本テレビ
(5)テレビ朝日
(6)TBSテレビ
(7)テレビ東京
(8)フジテレビ


デジタル放送になってチャンネルが変わったのは、(3)のNHK教育が(2)へ移動し「Eテレ」に名称変更、(11)のTVKが(3)へ移動、(10)のテレビ朝日が(5)へ移動、(12)のテレビ東京が(7)へ移動した。


早い話がアナログ放送当時の「空きチャンネル」にきっちりと詰めて入ってもらったことになる訳だ。


いま考えると、そもそもなんのために「空きチャンネル」を設けていたのか謎である・・・・・・。


そしてこのことは、ただ単にチャンネル番号が変わっただけではなく、新聞の番組表の配置も変わることにもなり、変更になった直後はとにかく多くの人がたいへん混乱したものである。


まず、(12)のテレビ東京が(7)に変更になり、(6)のTBSの右隣に移動したことが、いつまで経っても慣れなかった。


そしてアナログ放送の頃は、テレビ東京のスペースになっていた番組表の右端は、デジタルになってからはフジテレビのスペースになっていて、変更になった直後はフジテレビの番組表をテレビ東京のものだと思い込み、「あれ、おかしいな」を何度も連発していたものである・・・・・・。


また、番組表と言えば、デジタル放送になって、テレビ朝日が日本テレビとTBSに挟まれているというのも、なかなか慣れなかった。


アナログ放送の頃は、(4)日本テレビ、(6)TBS、(8)フジテレビ、(10)テレビ朝日で、これまでの人生ずっとその配置で慣れ親しんで来た訳だから、「今日からテレビ朝日は(5)チャンネルになって、(4)の日本テレビと(6)のTBSの間に移動しますよ~」なんて言われても、そう簡単に頭の中をパッと切り替えられる訳がなかった・・・・・・。


NHKのEテレ(元の教育テレビ)が(2)チャンネルなったことは、「NHKのチャンネルは2つ並んでいる」と理解して、すぐになじんだのだが、未だにアナログの頃の(3)チャンネルのイメージが強く、人と会話をする時についつい「(3)チャンネル」と言ってしまうことが多い。


また、テレビのリモコンでEテレに合わせたつもりが、TVK(テレビ神奈川)が映っていて、「あ、(3)じゃなかった!」ということもよくあることだ・・・・・・。


年配の人の中には、そもそも変更になったチャンネル番号を覚える気がさらさらなく、昔のアナログ放送当時のチャンネル番号で、未だに会話をして来る人がいる。


そのような人と会話をする時は、この人はいったい私に何を伝えたがっているのだろうということを、推理しながら話を聞かねばならず非常に疲れる・・・・・・。


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アナログ放送の頃はよくあったのに、デジタル放送になって見なくなったテレビの光景に、「おそれいりますが、しばらくお待ちください」の静止画像がある。


アナログ放送の頃は番組の放送中に、見ていた映像が突然止まってしまい、「おそれいりますが、しばらくお待ちください」の画面に切り替わることがよくあったのだ。


確かほとんどの局は青バックの画面に白の文字で、「おそれいりますが、しばらくお待ちください」と書かれた、シンプルな画面だったと思う。


早ければ30秒ほどで復旧するのだが、遅い時は3~4分近く待たされることもあった。


あまり長いと、「もしかして自宅のテレビが壊れたのか?」と、いらぬ心配をしてしまうのだが、「しばらくお待ちください」の画面が出ている場合は、あくまでもテレビ局側の問題だった。


復旧しても1分もしないうちに、また、「しばらくお待ちください」の画面に切り替わることもしばしばあった。


そしてそれを2回も3回も繰り返されると、「いったいどうなってるんだよ!」と、テレビの前で切れている隣人の声が聞こえて来たりして、「みんな同じチャンネルを見ているんだね!」と、家族で顔を見合わせて思わず笑ってしまい、イライラが少し解消されることもあったものである・・・・・・。


人気のドラマを放送中の時などは、イライラしている人がかなり多かったようだ。


そしていざ復旧してみると、VTRが止まっておらず、しばらくお待ちしていた間に、いったい何が起きていたのか分からずじまいで、ストーリーがよく分からなくなっていることも多く、視聴者を唖然とさせたものである。


また、客を入れた生放送番組では、お客さんがいるので進行を完全に止めてしまうという訳にもいかず、復旧した時にみんなで爆笑していたりすると、いったい何がそんなにおかしいのか気になって仕方がなかったものだ・・・・・・。


野球中継ではしばらくお待ちしている間に、満塁ホームランが出ていたりして、この試合の一番の盛り上がりの場面を、「しばらくお待ちください」の画面に阻まれて見られなかったということもよくあった。


しかも映像が復旧した直後は、まだバッターは一塁ベースを回っているところで、「あと、10秒早く復旧していれば、ホームランの瞬間を見られたじゃん!」ということもよくあった・・・・・・。


プロレス中継でも同様のことがよくあった。


映像が復旧した瞬間には、レフェリーのカウントがすでに「2」まで進んでおり、こちらとしては「え~~~!」という気分なのだが、生放送なので待ってはくれず、すぐに続けて「3ーっ!」とカウントが入り、「カン、カン、カン、カ~ン!」と無情にも試合終了のゴングが打ち鳴らされることになるのだ。


ひいきの選手が勝ったのはいいが、いったいどんな技がフィニッシュだったのか、これではさっぱり分からない。


プロレスはスポーツニュースで取り上げられることもないし、現在のようにインターネットも普及していなかったので、その試合の流れを知るためには、一週間後に発売になるプロレス専門誌を待つしかなかった。


気分的にはこっちが正に試合終了、ジ・エンドである・・・・・・。


(画像上、畑の縁で咲くオニユリの花。画像下、かわいいテングタケの三兄弟)


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