カテゴリー「木の実、草の実」の記事

2022年12月 1日 (木)

「謎フレーズ探偵」ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 ②

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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」

やめてよして触らないで
垢がつくから
あんたなんて嫌いよ
顔も見たくない(フン)


前回はこの「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」の、オーソドックスな歌詞のものを3つほどご紹介した。


恐らく多くのかたの記憶に残る「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」は、この基本の構成のものだと思う。


ところが「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」は、ここから基本の構成を少しずつ崩しながら、歌詞が変化して行くことになるのだ。


で、今回からは、当時の小中学生クリエーターの手によって、少しずつ変化して行く歌詞について書いてみたいと思っている・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 D」

よらないで触らないで
垢がつくから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


この歌詞Dでは冒頭の歌詞が大きく変わっている。


基本の構成では「やめてよして触らないで」と、近付いて来ようとする男子に対して、「こっちに来ないで」的な意味合いで歌われている。


ところがこの歌詞Dでは、いきなり「よらないで触らないで」と、言い方がさらに強くなっていて、「そこから一歩も動くな!」的な意味にとれるのである。


この男子はいったい過去に何をして、彼女にそこまで嫌われたというのだろう。


その場から動くことすら許されない男子が不憫でならない。


まあ、自業自得なのだろうが・・・・・・。


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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 E」

やめてよしてしゃべらないで
つばが飛ぶから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


歌詞Dでは冒頭の歌詞だけが変化していたが、この歌詞Eでは「原因」についても、すっかり変化してしまっている。


まず、基本の構成の歌詞では、「やめてよして触らないで」と始まるところが、歌詞Eでは「やめてよしてしゃべらないで」と歌われている。


なぜ、しゃべってはいけないのかと思ったら、「つばが飛ぶから」だという。


きっとこの男子は、つばを飛ばしながらしゃべる癖があるのだろう。


しゃべることすら許されない、彼の唯一のコミュニケーション手段は、どうやら「筆談」ということになりそうだ。


まあ、そこまでして、嫌われている彼女としゃべりたいと思うかどうかは疑問だが・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 F」

触らないで動かないで
フケが舞うから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


どうでもいいけど、この歌詞を見ると、あらためて「ひでぇ歌だなぁ」と、思わず笑ってしまう。


今だったら、「そんな歌、うたっちゃいけません!」と、絶対に大人に止められているだろう。


ビビディ・バビディ・ブーの軽快なメロディに乗せて歌われているから、歌詞の過激さが軽減されて、ソフトに聴こえているが、こうして歌詞だけをみたら、「フケが舞うからその場から一歩も動くんじゃねぇ!」と言っているだけなのだ。


この男子はよっぽどのフケ症だったのだろうか・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」は、このように基本の構成を少しずつ崩しながら、歌詞が変化して行くのだが、最終的にはもともとの替え歌の趣旨が分からなくなるほど変化してしまう。


という訳で、次回は元の替え歌の原形すら留めていない、究極に進化した歌詞についてご紹介してみたい・・・・・・。


(画像上、道端で咲くタイワンホトトギスの花。画像下、イチョウの木の下にはおびただしい数の銀杏が・・・・・・)



2022年10月14日 (金)

「謎フレーズ探偵」アルプス一万尺の替え歌 ④

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前回までは「アルプス一万尺の替え歌」の様々な歌詞のバリエーションについて書いて来た。


そして今回は基本から外れたちょっとイレギュラーな歌詞のものをご紹介してみたいと思う。


で、まずは比較用として、「アルプス一万尺の替え歌」の、オーソドックスな歌詞のものを1つご紹介しておくので参考にして欲しい。


「アルプス一万尺の替え歌(オーソドックスなもの)」

田舎のじっちゃんばっちゃん
イモ食って屁こいて
大事なパンツに穴開けた(ヘイ!)
じじいは殺され
ばばあは自殺
大事なパンツは博物館


オーソドックスな歌詞のものは、歌詞が前半部分(「ヘイ!」という掛け声のところまで)と、後半部分に分かれているのだが、後半部分はなぜか「知らない」というかたも少なくなかった。


で、今回の本題となるイレギュラーな歌詞のものがこちらになる(↓)。


「アルプス一万尺の替え歌(イレギュラーな歌詞)①」

田舎のじっちゃんばっちゃん
トイレに入って
紙がないから
手で拭いた(ヘイ!)
ラーララ ラララララ
ラーララ ララララ
ラーララ ラララララ
ララララ ラー


私はこの歌詞を見て、「あれ?」とすぐにあることに気付いた。


冒頭の「田舎のじっちゃんばっちゃん」まではいいとして、その後の歌詞はなんだかどこかで見たことがあるような気がするのだ。


そこで記憶の糸を手繰って行くと、これって以前調査した、「みっちゃんみちみちうんこたれての歌」のフレーズにそっくりなのだ。


ちなみに「みっちゃんみちみちうんこたれての歌」では、「みっちゃんみちみちうんこたれて 紙がないから手で拭いて もったいないから舐めちゃった」と歌われている。


このイレギュラーな歌詞のものは明らかに、「みっちゃんみちみちうんこたれての歌」の影響を受けていると考えていいと思う。


しかし、それが意図的なものだったのか、混同して伝わってしまったものなのかは残念ながらよく分からない。


で、このイレギュラーな歌詞のものは、後半の歌詞は「アルプス一万尺の手遊び歌(元歌)」と同様に、シンプルに「ラ」のみで歌われて行く。


ただ、今回の調査では、後半の歌詞がない例も見られた。


また、「みっちゃんみちみちうんこたれての歌」の影響を受けたと思われる歌詞には、次のようなバリエーションもあった。


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「アルプス一万尺の替え歌(イレギュラーな歌詞)②」

隣のじっちゃんばっちゃん
トイレに入って
ティッシュがないから
手で拭いた(ヘイ!)


まず、冒頭の「田舎のじっちゃんばっちゃん」が、「隣のじっちゃんばっちゃん」に変化していることが分かる。


しかし、これについては、オーソドックスな歌詞のものも、両方の歌詞がバリエーションとして存在していた。


次に①の「紙がないから」というフレーズが、②では「ティッシュがないから」というフレーズに変化している。


これについては、人から人へ伝わって行く際に、まるで伝言ゲームのように、どこかのタイミングで、変化して行ったものと思われる。


また、②の歌詞では、後半の歌詞の「ラーララ ラララララ・・・」はなくて、前半の歌詞だけで全てが完結していた。


このようにイレギュラーな歌詞①、②は、明らかに「みっちゃんみちみちうんこたれての歌」の影響を受けていることが分かる・・・・・・。


で、影響を受けていると言えば、オーソドックスな歌詞の2行目、「イモ食って屁こいて」というフレーズも、どこかで聞いたことがあるような気がする。


で、こちらも記憶の糸を手繰って行くと、以前調査した「学年の数え歌」に全く同じフレーズがあった。


ちなみに「学年の数え歌」では、「一年、イモ食って屁こいて」と歌われている。


このように子供の替え歌というのは、他の替え歌に歌詞の一部を流用していることがままある。


そしてこのことがより一層、歌詞の謎を深めることになるのである・・・・・・。


ちなみに前回は本文では特に触れなかったが、この「イモ食って屁こいて」というフレーズは、「屁して」、「屁こいて」、「屁ふって」、「屁たって」などのバリエーションがあった。


意味としては全く同じなのだが、住んでいる地域によって、方言に置き換えられて歌われていたようである。


ちなみに私が子供の頃に聞いた記憶があるのは、「屁して」と「屁こいて」の2パターンだった。


恐らくもっと広い範囲で調査をして行けば、更に多くのバリエーションが出て来るのだろう。


という訳で、4回に渡って書いて来た、「アルプス一万尺の替え歌」だが、とりあえず今回で完結ということになる・・・・・・。


(画像上、気温が下がって、ハギの花が目立ち始めた。画像下、クヌギのどんぐりが落ちる季節になった・・・・・・)


2021年10月 1日 (金)

「謎フレーズ探偵」レインボーマンの替え歌 ①

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「謎フレーズ探偵」の記事を書く時に、いつも情報提供でお世話になっているAさんに、「レインボーマンの替え歌も調査してみたら面白いんじゃない?」と提案してもらった。


ところが、どういう訳か私は、Aさんの言う「レインボーマン」については、どんなに子供の頃の記憶を掘り返して見ても、まったく思い出すことが出来なかった。


ストーリーはおろか、主人公がどんな姿をしていたのかすら思い出せないのだ。


そこでちょっと調べてみたところ、「愛の戦士レインボーマン」は、1972(昭和47)年から1973(昭和48)年にかけて放映されていたらしく、親が私に番組を見せてくれていたとしても、当時の私はまだ幼過ぎて、内容については全く理解出来ない年齢だったということになるようだ。


で、そのことをAさんに話したところ、「俺だって内容は全く覚えていないよ」と言うではないか。


更に驚いてしまうのは、「内容どころか主題歌すら知らない」と言うのだ。


それなのになんで、「替え歌を調査してみたら?」なんて言うのかと聞いてみたところ、「替え歌というのは、子供たちの間で歌い継がれて行くもの。だから元になったレインボーマンを知らない世代でも、替え歌の方は意外と知っていたりするものなんだよ」という。


Aさんと私はたいして歳は違わない(Aさんの方が年上)。


それなのに、Aさんはレインボーマンの替え歌を知っているのに私は知らない。


そのことがどうも引っ掛かるのだが、私が忘れているだけの可能性もあるし、今回はAさんの言葉を信じて、とりあえずレインボーマンの替え歌の調査を進めて行くことにした・・・・・・。


冒頭でも少し書いたが、「愛の戦士レインボーマン」は、1972(昭和47)年10月6日から、1973(昭和48)年9月28日まで放映されていた、東宝制作の特撮ヒーローものだ。


そしてその後、1982(昭和57)年には内容をマイルドにした、テレビアニメ版も制作され放送されている。


このように書くと、「内容をマイルド」という所に、引っ掛かる人もいるかもしれないが、じつは特撮版のレインボーマンは、かなり内容がどぎつく、今だったら放送出来ないんじゃないかという設定だったのだ。


ちなみに私はこのテレビアニメ版の方も、どういう訳か全く記憶にない・・・・・・。


で、替え歌の記事を書くにあたり、いつもならここで、まずはレインボーマンの元歌(主題歌)をご紹介するところなのだが、じつはAさん曰く、レインボーマンの替え歌は、替え歌とはいうものの、歌詞の原形を留めているのは、最初の「インドの山奥で」の部分だけだというのだ。


それに私もAさんも、レインボーマンの元歌(主題歌)は、リアルタイムでは全く聴いたことがないので、紹介したところで何の解説も加えられない。


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そんな訳で今回は元歌(主題歌)は省いて、いきなり替え歌の調査を始めたいと思う。


ちなみに今回は、私の周りでは替え歌はおろか、レインボーマン自体を知っている人がいなかったので、Aさんが友人、知人などに聞いて回り、情報を集めて来てくれた。


で、まずは言い出しっぺのご本人、Aさんの覚えていた替え歌がこちら(↓)。


「替え歌 A」

インドの山奥(で)
でんでん虫かたつむ(り)
りんごは真っ赤っ(か)
かーちゃんおこりん(ぼ)
ぼーくは泣いちゃっ(た)
たぬきの立ちしょん(べん)
便所の戸が開かな(い)
インドの山奥で(冒頭へループして行く)


レインボーマンの替え歌は、基本的に繋ぎ歌になっていて、()の部分は歌わずに、歌詞を次々と繋げて歌って行く、しりとり歌になっていたのだそう。


そしてこの歌を聴いて、1つ気になったことがあった。


私はレインボーマンの主題歌を知らないのに、なぜかこの替え歌は、なんとなく聴いたことがある気がするのだ。


これはいったいどうしてなのだろう・・・・・・。


で、Aさんが言うには、上の歌詞のものが最もオーソドックスなもので、子供たちの間で、最も広く歌われていたのではないかとのことだった。


そしてこの「替え歌 A」にはバリエーションがあって、それをもう1つご紹介しておこうと思う。


それがこちらになる(↓)。


「替え歌 B」

インドの山奥(で)
でんでん虫かたつむ(り)
リカちゃんプレゼン(ト)
トマトはなぜ赤(い)
インドの山奥で(冒頭にループして行く)


この替え歌A、Bのように、「インドの山奥で」の次の歌詞が、「でんでん虫かたつむり」になるものに関しては、次の歌詞が「りんごは真っ赤っか」になるものと、「リカちゃんプレゼント」になるものにきれいに分かれるようだ。


ちなみに「リカちゃんプレゼント」とは、恐らく「リカちゃん人形」のことだと思われる。


で、どちらがこの替え歌の元歌だったのかについては、今となっては調べようがなく、もはやお手上げ状態なのだが、元歌からもう一方が派生して行ったことだけは間違いないだろう。


じつは調べて行くと、レインボーマンの替え歌には、いくつかの系統があって、今回ご紹介した替え歌のAとBは、そのうちの1つということになる。


そんな訳で次回は、別系統の替え歌について、調査を進めて行きたいと思っている・・・・・・。


(画像上、秋早くから咲き始めるキクイモの花。画像下、いち早く落ち始めるコナラのどんぐり。この時期のものは、緑色のうちに落下して、次第に茶色に変わって行く)

2021年1月10日 (日)

中国の超能力者たち

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1980年代半ばごろから、1990年代にかけて、テレビではいわゆる超能力にスポットを当てた番組が次々と放送されていた。


当時、個人的にテレビでよく目にしたのは中国の超能力者たちで、世界は広いのになぜ中国にばかり、こんなに超能力者が沢山いるのか、不思議に思っていたものだ・・・・・・。


中国の超能力者で私が未だに忘れられないのは、「超宝勝」という見るからに神経質そうな男である。


当時彼は薬ビンの中から錠剤を取り出すというパフォーマンスで、一時話題になったことがあった。


「薬ビンの中から錠剤を取り出す」と言っても、ビンの蓋を開けて中から錠剤を取り出すという意味ではない。


それでは超能力でもなんでもない。


彼は密封された薬ビンを片手で握りしめ、それを上下に振ることで、ビンの底から錠剤を取り出す(勝手に錠剤がバラバラと抜け出て来る)というパフォーマンスをやっていた。


ところが彼の一連の振る舞いは、もはや挙動不審としか言いようがなく、誰が見ても怪しげなものだった。


詳細については省くが、薬ビンの底から錠剤がバラバラと抜け出て来るところが、カバーなしにはっきりと見えているというのなら、ビジュアル的にもかなり不思議なのだが、錠剤が抜け出て来る瞬間、彼は薬ビンをしっかりと握りしめているため、薬ビンの底は全く見えていない状態なのだ。


ところでもし仮に、薬ビンの底から錠剤が抜け出て来るのが、はっきりと見えていたとして、それを見ていた周囲の人たちが驚愕し、「おおっ!すげ~っ!」と歓声を上げたとしよう。


しかし、冷静に考えてみて、それがいったいなんになるというのだろう。


薬を取り出すだけなら、何も超能力など使う必要はないし、普通に薬ビンの蓋を開けて、いつも通り錠剤を取り出した方が、よっぽど早いのではないか。


現実に彼は錠剤を取り出すのに、けっこうな時間を要していたし、取り出す錠剤の数も制御出来ないらしく、バラバラと大量の錠剤をあたりに撒き散らしていた。


薬には適切な服用量が定められている。


早い話が「そんなにいらねえよ」という話である。


このように超能力というのは、「それが出来たところで、いったいなんの役に立つのか」というものがじつに多い・・・・・・。


中国では超能力のことを「特異功能」と言い、超能力者のことを「特異功能人」と呼ぶらしい。


しかし、中国ではそれとは別に、自分は「気」の力を操り、不可能を可能にする「気功師」であると名乗る者も多くいる。


そしてそのような気功師たちの中には、「それのどこが気功なんだよ」と、思わずつっこみたくなるような、非常にバカバカしいパフォーマンスを、大真面目にやって見せるものも少なくなかった。


例えば名前は忘れてしまったが、いい年をした小太りのおやじが、上半身だけ裸になり、胸から腹にかけて針金をぐるぐる巻きにして、気合と共に針金を「ブチッ!」と切って見せるというパフォーマンスをやっていたのを覚えている。


そしてこの針金おやじは、周囲の日本人スタッフの反応など一切気にすることなく、「どうだ!」と言わんばかりのドヤ顔でポーズを決めていたのがなんとも印象的だった。


どうせなら現地調達の針金などではなく、日本から持参したロープで亀甲縛りにでもしてもらい、それを気の力とやらで、「ブチッ!」と切ってもらいたかったものである。


金属の針金が切れるのだから、きっとロープなど容易いものだろう。


そしてもし、ロープを切ることが出来なかったら、日本から同行してもらっている女王様の鞭打ちの刑が待っているというのはどうだろう。


しかし、この針金おやじ、そんなことをしたら、逆に喜びそうな顔をしていたので、罰ゲームにはならないかもしれない・・・・・・。


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で、この針金おやじだが、じつはもう1つ、しょーもないネタを持っていた。


針金おやじはまたしても上半身だけ裸の状態で登場し、今度はいったい何をしでかすのかと思いきや、なんと小さな子供の服を取り出し、「今からこれを着て見せる」というのだ。


もはや気功なんてどうでもよくなっちゃっている気がしないでもない。


そして針金おやじは、「ハーッ」だの「フーッ」だの「ホーッ」だのと、何度も大きく息を吐きながら、最終的にはちっちゃな子供の服を、どうにか着て見せて、またしても「どうだ!」と言わんばかりにポーズを決めていた。


本人は「決まった!」と思っているのだろうが、着ている服は「つんつるてん」で、ポッコリと出た腹が丸出しになっており、見ていて思わず「プッ!」と吹き出してしまったのを覚えている。


ところでテレビで放映されていたのはここまでだったのだが、個人的にはあの子供服をどうやって脱ぐのかをぜひ見てみたかった・・・・・・。


中国の気功師は石やレンガを割りたがる者も多くいた。


これも名前は忘れてしまったが、石を人差し指一本で割って見せると言う男がいた。


用意されているのは、「いったいどこでそんな形の石を拾って来たんだ」というような、ニンジンほどの大きさの割りやすそうな細長い石。


彼はその石を片手でわしづかみにして、もう一方の手の人差し指一本で、この石を真っ二つにして見せると言う。


そして彼はその細長い石を見事に切断して見せたのだが、その割れ目はまるで鋭利な刃物で切断したかのようにまっ平で、それはそれは見事なものだった・・・・・・。


じつはこれ、金属製の台の上でパフォーマンスを行っていたのだが、石を割る瞬間、彼は石を握りしめている方の手で、石を台の縁に叩きつけているように見えなくもなかった。


このパフォーマンスを見ていた多くの人は、石を割る気のパワーは、突き立てられた人差し指から出るものだと思っていたようだが、そのパワー(日本語で言えば力)はどうやら石をわしづかみにしていた方の手から、「えいやっ!」とばかりに出ていたようだ・・・・・・。


また、当時は腹の上に置いたレンガや石の板を、助手がハンマーで叩き割るというパフォーマンスもよく見せられたものだ。


もはや気功と言うより、「ただの我慢大会なんじゃないか?」と思えて来る。


この我慢系のパフォーマンスをする人の中には更なる強者がいて、なんと自分の股間を助手に大きなハンマーで何度も叩かせるのである。


股間を連打されている間、彼は「アイッ!アイッ!アイッ!アイッ!」などと、ものすごい形相で叫んでいるのだが、そんなことをしていったいなんになるというのか。


もはや気功でもなんでもない・・・・・・。


拳法着を着ているからいいようなものの、これが裸にビキニパンツとかだったら、ただのSMプレイである。


やっぱり中国には日本から女王様を連れて行くべきだろうか・・・・・・。


(画像上、野鳥に食べられて、ハナミズキの果実がだいぶ少なくなって来た。画像下、丑年にぴったりの柄をしたチャバネフユエダシャクのメス。冬でも探せば昆虫はいる・・・)


2020年10月30日 (金)

変わりゆく一汁三菜

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和食の基本は「一汁三菜」と言われる。


「一汁三菜」とは、ご飯と味噌汁、主菜と副菜2品を基本として、これに小皿に入った漬物が付くメニューを指すことが多いようだ。


「一汁三菜」が日常的に食べられるようになったのは、1960年頃からと言われている。


これはちょうど高度経済成長期に当たる。


そしてこの頃から日本は豊かになり、食事の質が上がり、献立の品数も増えて来たのである・・・・・・。


そしてその後は、時代の流れと共に、減塩が叫ばれるようになり、漬物は次第にサラダへとシフトして行き、定番化して行くことになる。


また最近では味噌汁は必ずしも必須ではなくなって来ているそうで、昔に比べて家で作る回数はかなり減って来ているとのこと。


これについては、健康志向の高まりから、漬物と同様に塩分の摂り過ぎになって、高血圧の原因にもなりかねないと、一時期テレビや雑誌でしきりに話題になっていたことがあった。


どうやらこれを契機に味噌汁は敬遠されるようになって行ったようなのだ。


このため最近では汁気の多いおかずを、味噌汁の代用にすることも増えて来ているという。


個人的には「おかず」が味噌汁の代用になるとはとても思えないのだが、時代の流れと共に、「一汁三菜」のスタイルも少しずつ変わって来ているということなのか。


味噌汁好きの私としては、非常に残念な話ではあるのだが、確かにうちでも昔に比べて、味噌汁の出番は減ったように感じる・・・・・・。


ところが最近の研究によると、味噌汁は逆に血圧を上げにくくする効果があるということが分かって来たのだそうだ。


マルコメと医学博士の上原誉志夫さんが、2019年に共同で行った臨床試験によると、高血圧(ステージ1)の人や血圧が高めの人に、一定期間、味噌汁を1日2杯飲んでもらったところ、なんと昼間の血圧は全く上がることはなかったそうだ。


そして夜間の就寝中に関しては、顕著に血圧が下がったというのだ。


普通は血圧は活動する昼間は上昇し、就寝中は下がるものだ。


このことから、味噌汁には血圧の上昇を抑えたり、血圧を下げたりする効果があることが分かったのだという。


なんだか今まで言われて来たことと真逆の話で驚いてしまう・・・・・・。


また、ラットを使った試験では、味噌に含まれる塩分は、腎臓から尿として排出されやすいということが分かったという。


更に味噌に関しては、最近では糖尿病や動脈硬化の予防効果についての研究も進んでいるそうで、これらのことからも1日2杯の味噌汁は、飲んでも全く問題はなく、逆に体にいい効果をもたらしてくれるということが言えるようだ。


一時期は悪者扱いされて来た味噌汁だが、ここに来てようやく名誉回復となりそうである。


そしてそんなに体にいい味噌汁を、「専門家」の言葉を信じて、わざわざ敬遠して来た人たちは、今までかなりの損をして来たということにもなるだろう。


いったいどこの誰が、「味噌汁は高血圧の原因になる」なんてことを言い出したのだろうか・・・・・・。


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うちでは昔から、食卓に食器を配置する時は、ご飯を自分の左側に置き、味噌汁をその右側、そしておかずはそれぞれ奥にという配置だった。


これまでそのような食器の配置については、特に気にもしていなかったのだが、調べて見ると和食では昔から、「ご飯は左、汁物は右」が一般的な配置であるとされて来たようだ。


ということは、たまたまなのか、母がそのことを知っていて、そうしていたのかは不明だが、結果的にはこれで正しかったことになる訳だ。


うちではそれが日常的に習慣になっていたので、「どこの家でもそういうものだろう」と、今までなんの疑問も抱かずに、勝手にそう思っていた。


そういえば、考えてみたら、食堂で定食を頼んだ時も、ご飯は必ず左側で、味噌汁は右側に配置されていて、おかずは奥に置かれていることがほとんどである。


どうやらこれにはちゃんと理由があったということのようだ・・・・・・。


ところでこれについては地域差もあるようで、関西の食堂では左側にご飯を置くことには変わりはないが、味噌汁はご飯の奥に配置され、ご飯の右側にはおかずが置かれることが多いのだそうだ。


理由としては、「その方が食べやすいから」ということのようだが、どうやらこれは昔からそうだったという訳ではないようだ。


なぜなら和食のご飯と汁物の位置は室町時代からの「常識」で、全国的にご飯は左側、味噌汁は右側だったのだそうだ。


近年は家庭で味噌汁を出す回数が減って、汁物が軽視される傾向が強くなった。


そしておかずの方を重視するようになったため、このような現象が起きているというのが真相のようだ・・・・・・。


ところで皆さんは市販の弁当を食べる時、弁当の容器をどのような向きにして食べるだろうか。


私は子供の頃から、市販の弁当は縦が正しい向きだと思っていて、現在でも縦の向きに置いて食べている。


これはコンビニ弁当だろうが、スーパーの弁当だろうが、弁当屋の弁当だろうが、駅弁だろうが、どれもいっしょである。


長年の習慣ということもあって、縦向きでないと、どうもしっくり来ないのだ。


ところが最近になって、市販の弁当を横向きにして食べている人がいることにふと気付いた。


「なんでこの人は弁当を横向きにして食べているのだろう?もしかして、ひねくれ者?」などと思ったりもしたが、そんなことを言ったら、怒り出すかと思い、「なんで弁当を横向きにして食べているの?」と素直に聞いてみることにした。


すると、「ええっ!ラベルの向きがこうだったから、これで正しいのかと思っていました・・・」という答えが返って来た。


彼女が食べていたのは、スーパーで買って来た弁当で、確かにフタにはラベルが貼ってあり、その向きの通りなら横向きで正しいことになる。


しかし、ラベルの向きなんかに惑わされてはいけない。


なぜならラベルの向きの通りなら、ご飯は右に来てしまうのだ。


かと言って、ご飯を左に持って来ると、おかずが右に来てしまう。


ここはやっぱり弁当を縦に置き、弁当といっしょに買った、カップの味噌汁を右に置くのが、正しい配置なのではあるまいか・・・・・・。


(画像上、タイワンホトトギスの花が咲き始めた。画像下、アラカシのどんぐりが大豊作)

2019年12月23日 (月)

恐怖や苦痛に耐えたがる人々

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人はなぜ怖いと分かっているのに、わざわざそれを体験しようとしたがるのだろう。
例えば絶叫マシーンがそうだ。


最近のジェットコースターの中には、発射速度が僅か1~2秒程度のロケットスタートで、最高速度は時速100㎞を軽く超えるものがざらにある。


カーブでは遠心力で体が空中に放り出されるんじゃないかという恐怖に襲われ、高速で突入して行くループでは、もはや上下の感覚すら分からなくなり、その混乱がまた恐怖を倍増させることになるのだ。


そして乗車中、常に付きまとうのがシートに体が押し付けられる強烈なGで、むしろこちらの方が体の負担は大きいのかもしれない・・・・・・。


しかし、座席にちゃんと座れるものはまだいい。


絶叫マシーンの中にはブランコのように脚を空中に投げ出した状態で乗車するものもある。
その状態で捻りながら回転したり、ループで大きく回転させられたりするのである。


更には高層ビルの最上階から、高速で真っ逆さまに地上に落下して行くようなものまであるのだ。


ここまで来ると、もはや宇宙飛行士が行う訓練である。
宇宙に行くわけでもないのに、なんでこんな体験をしなくてはならないのか。


私は月や火星に行く予定はないので、出来る限り絶叫マシーンには近付かないことにしている。


そもそも絶叫マシーンは、なぜ怖い思いをさせられるのに、金を支払わなくてはならないのだろう。
まず、そこが納得がいかない。


そんな危険なマシーンに乗ってもらいたいと言うのなら、逆に金を出すのが筋というものだ。


なぜ金を払ってまで、絶叫マシーンに乗りたいと思う人がいるのだろう。
私にはそれが全く理解出来ない・・・・・・。


遊園地サイドは、きっと「安全は保障されている」と言うだろうが、私は世の中に「絶対」はないと思う。


そもそも安全な乗り物を目指すと言うのなら、なぜ絶叫マシーンはオープンカー仕様なのか。
そこがまずおかしいではないか。


もしも、電車や新幹線がオープンカー仕様だったら、きっと誰もが「危険」と判断して、乗ろうなんて決して思わないはずだ。


それが「絶叫マシーン」という名前が付いただけで、危険を危険と感じなくなるのだから、人の心理というのは全くもって理解出来ない・・・・・・。


しかも、絶叫マシーンは電車や新幹線と違って、平らな場所を走るのではなく、わざわざ急な傾斜のあるレールを走ったり、捻りながら回転したり、ループで大回転させられたりするのだ。


いつどこで安全バーやシートベルトが外れて、体が空中に放り出されないとも限らない。


ハムスターが回し車を高速で回し過ぎて、空中に「ビュ~ン!」と放り出されてしまう映像を見たことがあるだろう。
いつ自分がああなるとも限らないということをよく考えてみて欲しい。


それにしても、ハムスターはあれで全く怪我をせず、「ケロッ」としているのだから大したものである。


人間があのスピードで回転している乗り物から、「ビュ~ン!」と放り出されたら、まず間違いなく即死である。
そういう意味ではハムスターって、案外すごい動物なのかもしれない・・・・・・。


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人は怖いと分かっているのに、なぜかテレビの心霊番組を見たがる。


しかも、それを見たらまず間違いなく、顔を洗ったり、シャンプーをしたりする時に、「背後に何かいるんじゃないか・・・」という恐怖に付きまとわれるということが分かっているのに、「怖いもの見たさ」の誘惑に負けて、ついつい見てしまうのである。


小学生の頃は心霊番組を見てしまうとトイレに行くのも怖かった。


「もしかしたら、トイレのドアを開けたら、学校の怪談などで、トイレに現れると言われている幽霊が立っていて、ドアを開けると同時に、トイレに中に引きずり込まれるんじゃないか」などと考えてしまい、限界までトイレを我慢してモジモジしていたものである。


冷静になって考えてみたら、学校の怪談に出て来る幽霊というのは、学校のトイレ、それも女子トイレに現れるものがほとんどで、男子がそれに遭遇する可能性は極めて低く、そもそも自宅のトイレにいる訳がないのだ。


しかし、心霊番組を見た直後というのは、その世界にどっぷりと浸かってしまっているため、冷静にそんなことを考えている余裕などなかったのである・・・・・・。


心霊番組を見てしまうと、夜寝ることもままならなくなる。


子供のころ住んでいた家は天井が板張りだったので、じっと天井を見つめて寝ていると、木目がなんだかゆがんだ人の顔のように見えて来たりする。


怖くなって目を閉じたはいいが、このまま眠りについたら、知らないうちに金縛りにあっていて、目を開けたらボロボロの甲冑を身に着けた落ち武者が、体の上に乗っていたりしたらどうしようなどと考えてしまい、ますます眠れなくなって来る・・・・・・。


また、子供の頃、家族で心霊番組を見ていた時に、私の右後方から、「ああ~うっ!」などという、苦しそうな男の喘ぎ声が聞こえて来たことがあり、思わず母と一緒になって、「うわあっ!」と悲鳴を上げてしまったことがあった。


しかし、その不気味な喘ぎ声だと思っていたのは、ただ父が屁をしただけだった。


心霊番組は父の間の抜けた放屁の音すら恐怖に変えてしまうパワーがあるのだ。


そして父には紛らわしい屁をしないでもらいたいと思うと同時に、この屁に驚いたことが原因で、寿命が少し縮んでいたりしたら非常に腹が立つ・・・・・・。


恐怖とは違うが、人はなぜか苦しさを我慢しようとする性質があるようだ。
例えばサウナに入ろうとする人がそうである。


サウナは高温度、高湿度に耐えて、汗をダラダラとかくことで体を温め、血流の流れを促進し、疲労を回復する効果があると言われている。


しかし個人的には高温度、高湿度なんて夏の蒸し暑さだけで充分である。


私は夏の蒸し暑さが大の苦手なので、夏でもないのに自分から率先してサウナに入って行き、蒸し暑さに耐えてぐったりするなんて、ちょっと考えられない行為である。


サウナの蒸し暑さに耐えて、熱中症になる人も少なくないそうで、そこまでして蒸し暑さに耐えて、いったいなんの得があると言うのだろう。


そもそも日本の夏は天然のサウナみたいなものだと思うのだが、いくら夏に蒸し暑さに耐えて汗をダラダラかいたって、疲労が回復するなんてことは一切なく、逆に夏バテを起こしてしまうではないか。


そんな訳で私は自分がサウナに入っても、「疲労回復、元気百倍!」なんてことには間違ってもならないと思う・・・・・・。


世の中には痛みに耐え続けようとする人もいる。


かかとから出血しながらも、ハイヒールで歩き続けている女性などがそうだ。


かかとに貼られた大きな絆創膏が、真っ赤な鮮血に染まっているのも痛々しいが、世の中には更なる強者がいる。


かかとからダラダラと流血しているにも関わらず、絆創膏も貼らずにハイヒールで平然と歩いている女性がいるのだ。


その様子はまるで額から血を流し、顔面を真っ赤に染めながら戦っている悪役レスラーのようでもある。


昭和の名悪役レスラー、ブッチャーは自ら自分の額にフォークを突き刺して、流血しながら戦っていたことがあったが、ハイヒールでかかとが流血しても、その傷を全く気にする様子もなく、平然と歩いている女性も、きっとブッチャーと同じような心境なのだろう・・・・・・。


(画像上はツルウメモドキの実、画像下はヒュウガミズキの黄葉)



2019年10月30日 (水)

感染する体臭

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どうやら人間は臭わずにはいられない生き物のようだ。
その証拠に人間というのは、体の各パーツごとに異なる臭いを発しているのだという。


それがいい匂いならば全く問題はないのだが、残念なことにそのどれもが、お世辞にも「いい匂い」とは言いかねるような臭いで、早い話が「くさい」のである・・・・・・。


例えば人の「頭部」からは、油のような臭いが発せられているという。
正確には頭部というよりも、頭皮からにじみ出て来る皮脂の臭いのようだ。


分かりやすく言うなら、「お父さんの枕カバーの臭い」がそうだろう。


風邪で熱を出して、2~3日お風呂に入れなかったりすると、確かに髪の毛や頭皮が油っぽくなって来るのが分かる。


臭いそのものは、自分では分かりにくいかもしれないが、これがその油っぽい臭いの原因なのだろう・・・・・・。


次は臭いの王道、「脇の下」だ。
脇の下からは酢やスパイスのような臭いが発せられるという。


一番汗をかく場所でもあるので、これについてはもう仕方がないとしか言いようがない。
むしろ臭わない方がおかしい部位である・・・・・・。


次は「体幹」だ。


体幹という言葉には、「体の中心」とか「軸」という意味があるが、なんと人間はその「体幹」から、草のような臭いを発しているのだそう。


最近は「体幹トレーニング」をする人が増えたが、トレーニングをすればするほど、草の臭いを周囲に撒き散らしていることになるのだ。


ジムなどで大勢でいっしょに体幹トレーニングをしていたら、室内なのにそこはもはや大草原と言えるだろう。


そのうち草も生えていないのに、バッタが生息するようになるかもしれない・・・・・・。


最後は「足」。
足からは納豆のような匂いが発せられているそうだ。


しかし、個人的には「足の匂いが納豆」などと言うのは、本物の納豆に対して失礼だと思う。


本当に足が納豆の匂いだというのなら、自分の足の臭いと、薬味のネギの匂いを交互に嗅ぎながら、朝ご飯を三杯はイケるはずである。


「そこまで言うなら、ちょっとためしてみよう!」などとはこれっぽっちも思わないが、もしそれが成立するのなら、これも一応、「自給自足」と言うのだろうか・・・・・・。


それにしても、油だの酢だのスパイスだの納豆だのと言われると、人間の体臭はなんだか台所の匂いのようでもある。


そう考えると、「体臭」という先入観をとっぱらって考えたら、「案外、人の体臭ってイケてるんじゃないか」という気がしないでもない・・・・・・。


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このように人間の体からは、様々な臭いが自動的に発せられているのだが、それに加えて体臭には、年代によって変化するものもあるというからやっかいだ。


10代半ばから30代半ばぐらいまでは、男女に関係なく、脇の下の汗の匂いである、「脇臭」が中心に発せられているそう。


30代半ばから50代半ばの男性からは、後頭部などから「ミドル脂臭」という不快な脂っぽい臭いが強く発せられるという。


そして、50代後半からは男女に関係なく、胸や背中などから、「加齢臭」という独特の、脂っぽくて青臭いような臭いが発せられるようになるのだという・・・・・・。


ちなみに「加齢臭」が特定され発表されたのは1999年。


「ミドル脂臭」が特定され発表されたのは2013年。


そして、以前記事にしている「SWEET臭」が特定され発表されたのは2018年と、人間の体臭はやっかいなことに年々増え続けている傾向にあるのだ・・・・・・。


そして、更に2018年の10月には資生堂が、「ストレス臭」を特定し発表している。


なんでも人間は強いストレスを受けると、体から「ストレス臭」なるものを発するらしいのだ。


ストレス臭は加齢臭やミドル脂臭とは違って、年齢や性別に関係なく、ストレスを感じている全ての人から発せられる臭いとのことで、体の様々な部位から出ているらしい。


加齢臭やミドル脂臭が「体の特定の部位」からのみ発せられていることを考えると、ストレス臭はよりやっかいな体臭であると言えるだろう。


で、ストレス臭はどんな臭いなのかというと、「硫黄化合物系の臭い」とのことで、身近なものに例えるなら、「ネギやニンニクのような匂い」と感じる人が多いという・・・・・・。


ストレス臭を発見するために行った実験では、「暗算」を続けたり、「答えづらい質問」を受け続けたりした後に、手の平から発せられる「皮膚ガス」の臭いを検証したのだという。


それにしても、「答えづらい質問」とは、具体的にはどんなことなのか個人的にはとても気になる。


もしかして、人に言えない性癖のようなものを、根掘り葉掘り聞かれたりするのだろうか。
だとしたらそれは、人によってはかなりのストレスになるに違いない。


また、そういう性癖を持っていそうな人を、あえて被験者に選んでいそうで、実験の裏側を想像してみると思わず笑ってしまう。


そして実験では緊張による心拍数が高くなった人ほど、臭いは強く出る傾向があったそうで、答えづらい質問攻めで、よほど追い詰められていたのかと思うと、実験とはいえ同情せずにはいられない。


また、実験では「ストレス臭」を嗅ぐ前後の心理変化を確認したところ、嗅いだ後は「疲労」と「混乱」の指数が高まることを確認したという。


これは「ストレス臭」を発している本人だけではなく、それを嗅いだ周りの人も、「疲労」と「混乱」の度合いが高まる可能性を示唆していることになる。


早い話が強いストレスを感じて、「ストレス臭」を発している人の近くで、うっかりその人の臭いを嗅いでしまったことにより、自分もそのストレスを知らないうちに貰って来てしまっているという構図になる。


たとえそのことを知っていて、他人の体臭を出来るだけ吸い込まないようにしていたとしても、どこからかネギの香りが漂って来て、「あれ、なんかネギ臭いな~」と感じたら、もうその時点でアウトということになる。


満員電車の中などでは、他人の体臭を吸い込まないようにするなんて、どう頑張っても無理な話で、風邪のウイルスなどといっしょで、知らないうちに感染してしまっているなんてことになりかねない・・・・・・。


どうやら「ストレス臭」に関しては、体臭予防ということよりも、他人の「ストレス臭」を嗅いで吸収してしまった後に、「いったいどうしたらいいのか?」ということを考えて行くことの方が重要のような気がする。


そう考えると、やっかいな体臭が見つかったものである・・・・・・。


(画像上は赤く色付いたウメモドキの果実。画像下は刈り取った稲を天日干しする、懐かしい「はさ掛け」の風景)


2019年1月 2日 (水)

「すごいな~」と思うこと

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映画やドラマを見ていると、主人公が歯を磨きながら部屋の中をウロウロしているシーンがよく出て来る。


歯を磨きながらテレビを見ていたり、家の中をあちこち歩き回りながら探し物をしていたり、時にはピンポンが鳴って宅配便を受け取ったりもしてしまう。


「すごいな~」と思う。
私にはとてもじゃないがマネの出来ない芸当だ。


なぜかというと、私の場合、歯磨きを始めて30秒も経過すると、歯ブラシを咥えている口の隙間から、ツツーっと歯磨き粉が垂れてくるからだ。


だから歯を磨きながら歩き回るなんてちょっと考えられない行為だと言えよう。
みんなは歯磨きの時、歯磨き粉が垂れてこないのだろうか・・・・・・。


学生の頃、映画やドラマのそんなシーンを「かっこいい」と思っていた時期があって、それをマネして歯ブラシを咥えて部屋の中を用もないのにウロウロしてみたことがあった。


ドラマのワンシーンのようにカッコよく、リモコン片手にテレビのチャンネルを変えてみたり、視力がいいので持ってもいないメガネを意味もなく探してみたりしたのだが、結果は予想していた通り、まるで私を追跡するかのように、歯磨き粉が点々とこぼれ落ちていた。


慌てて口をゆすぎ、ティッシュで拭いて歩いたのだが、歯磨き粉というのはとてもしつこくて、その時はきれいに拭き取れているように見えても、翌日になると白く浮き上がって来て、謎の白いシミとして家族を不気味がらせていた。


そんな訳で個人的には歯を磨いているとき、歯磨き粉がツツーっと垂れて来るのは普通のことなので、歯磨き中に歯ブラシを咥えたままウロウロ出来る人というのは、よっぽど唾液の量が少ない人なのではないかと思うのだ。


それとも、逆に私の方が唾液の量が多い人なのだろうか・・・・・・。


洗顔料を付けて顔を洗っているとき、たいていの人は目を閉じていると思うのだが、まるで見えているかのように的確に泡を洗い流して行く人も「すごいな~」と思う。


私の場合、きれいに洗い流したつもりでも、たいていは顔の縁と鼻の両サイドあたりにかなりの確率で泡が残っている。
鏡で確認しながら、2度3度と洗い流すこともしばしばだ。


なぜ、見えていないのに、「ここに泡が残っている」ということが分かるのか不思議でならない・・・・・・。


「人は潜在的には誰でも透視能力がある」と聞いたことがあるが、顔を1発できれいに洗える人を見ていると、本当に見えているんじゃないかと思えて来る。


身近なところにもそんな人がいるので話を聞いてみたところ、「そんなバカな、だいたい勘で分かるでしょ」と言う。
こっちは「だいたい勘で分からない」から聞いているのだ。


しかし、普段の彼女を見ていると、とても透視能力がありそうには思えない。


お中元やお歳暮でもらった箱の中身を予想させても、全く違うものを答えるし、おまけ付きのお菓子やガシャポンも欲しいものが当たらない。


トランプゲームやじゃんけんも弱い。


どうやら彼女の透視能力は洗顔の時にだけ発揮されるようだ。
なぜなのだろうか・・・・・・。


それはそこに人の欲や願望のようなものが一切生じていないからではないか。
いわゆる超能力というのは、そこに雑念が絡んで来ると発揮されにくくなるという。


競馬などのギャンブルでビギナーズラックと言われるのも、初心者ゆえに余計な情報や知識を持ち合わせておらず、「絶対に当ててやる」という変な欲がないからだ。


顔を洗う時にきれいに泡を落とせても、さっぱりするだけで、そこに雑念が湧いて来る余地はない。
だから彼女には残っている泡が見えるのではないか。


まあ、どちらにしても、顔を洗う時にきれいに泡を落とせない私には、「すごいな~」と感じてしまうことに変わりはない・・・・・・。


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外国人のスポーツ選手が、鼻の片側を押さえて、鼻水を勢いよく、「フン!」と出すところを見たことがないだろうか。
鼻水はまるで弾丸のように一直線に飛んで行き地面に着地する。


ほんの一瞬の出来事で、そこに汚らしさは微塵も感じられない。
顔や鼻の周りはきれいなまま保たれていて、「すごいな~」と思う。


競技や試合の最中にはティッシュなど余計なものを持ち込めないことから、自然に習得された技なのだろうが、「お見事」としか言いようがない。


私はそれを初めて見た時、またしても「かっこいい」と思ってしまい、よせばいいのにマネをしてみたくなった。


ティッシュで鼻を「チーン」とかんでいると、「あいつ鼻をかんでいるな」と音で周りに気づかれるし、鼻をかんだティッシュを捨てるところがなければ、ポケットやカバンに入れておかねばならず、周囲には「きたね~な~」という印象を与えてしまうだろう。


ところがあの技を習得できれば、周囲にはいっさい気づかれることなく、鼻水を一瞬で除去出来るのだ。


しかし、この技を公衆の面前で行うにはかなり勇気がいる。
失敗したときのリスクがあまりにも大きすぎる。


小さな子供ならまだしも、いい大人が鼻の下を鼻水まみれにして突っ立っていたら、いったいどう思われるだろう・・・・・・。


この技は非常にシンプルで簡単そうに見えるのだが、頭の中でシュミレーションをすればするほど、失敗している自分しか思い浮かばず、どうやら高度な技術が必要なようだ。


そこで私は不安を払拭するため、とりあえず練習を始めることにした。
ぶっつけ本番で哀れな姿をさらすより、賢明な選択といえよう。


私は花粉やホコリに反応して鼻水が出て来る「アレルギー性鼻炎」なので、年間を通してある程度、鼻水とは付き合っていかねばならない運命だ。


だからこそ、この技を習得できれば何かと都合がよい・・・・・・。


この日、私は多くも少なくもない、練習にはちょうどいい量の鼻水が鼻の中に溜まっているのを感じていた。
とりあえず、鼻水の着地点を想定してティッシュを床に数枚敷いてみるが、すぐに的を外れた時の映像が脳裏に浮かぶ。


より広範囲をカバーするためには、ティッシュの量を増やすより、新聞紙を一枚敷いてしまった方がよいと思い、見開きの状態で足元に一枚広げることにした。


さあ、準備は出来た。
練習開始である。


練習と言っても、鼻水は一度出してしまえば、次に溜まるまでにはある程度の時間が必要だ。
立て続けに発射の練習を繰り返すという訳にはいかない。


そこで私は、とりあえず、「シャドー弾丸鼻水」をやってみることにした。


鼻の片側を押さえて、鼻水を「フン!」と勢いよく出し、新聞紙の上に着地させる。
それをモーションと共にイメージしながら集中力を高めて行く。


10回ほどそれを繰り返し、ある程度のイメージが固まったので、本番を想定した練習に移ることにした。


私にはもう、床に敷いた新聞紙のど真ん中に、弾丸のように鼻水が着地するシーンしか思い浮かばなかったので、新聞紙の真ん中に一枚だけティッシュを置き、「的」とした。


さあ、いざ練習本番である。


大きく息を吸い、片鼻を押さえる。
顔を少し横に向けて勢いをつけ、正面に戻すと同時に、鼻水を「フン!」と空気の力で一気に押し出す。


その瞬間、「あれ?」という感覚があった。


鼻水は弾丸のように小さく一塊になって飛んでは行かず、糸コンニャクやところてんがニュルっと押し出されるようなイメージで鼻から飛び出して行った。


イメージトレーニングでは大きくガッツポーズをする私がいたのだが、現実にはそこに立っていたのは、鼻の下からあごにかけてヌルヌルになっている妖怪だった・・・・・・。


新聞紙の上にたった一枚、小さく広げられたティッシュが、ただ、ただ、むなしかった。


そして、「弾丸鼻水」を実際にやってみて分かったことは、外国のスポーツ選手の技はやっぱり「すごいな~」ということだった・・・・・・。

 

(画像上は池のコガモ、画像下はマサキの実)

2018年11月18日 (日)

「おなら専門」のセキセイインコ

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突然だがセキセイインコというと皆さんはどんなイメージを持っているだろう。


テレビの動物番組やおもしろ映像、びっくり映像などの影響もあって、「おしゃべりをする」というイメージが強いのではないだろうか。


そして、多くのかたは、セキセイインコはちゃんと教えれば、どの個体もおしゃべりが出来るようになると思っているのではないだろうか。


しかし、残念ながら、それは幻想である。
セキセイインコのおしゃべりは、犬にお手やお座りを教えることとは少し違うのだ。


まず、おしゃべりが出来るのは、多くの場合オスで、メスはほとんどものまねはしない。


そして、オスだからと言って、全ての個体がおしゃべりが出来るという訳ではなく、おしゃべりをするようになるかどうかは、その個体におしゃべりの素質があるかどうかに尽きる。


おしゃべりが出来るようになるセキセイインコは、小さなうちから口の中で、「ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ」と、言葉にならないさえずりのようなことを繰り返している。


このように、生まれつき、言葉遊びのようなことが好きな個体が、おしゃべりが出来るようになるようだ・・・・・・。


次にひとくちに「おしゃべり」とは言うものの、個体によってその能力や得意分野に差がある。


テレビでしばしば紹介される、「むかしばなし」を話すセキセイインコのように、長文をペラペラペラペラとしゃべれるようになるものから、「おはよう」とか「こんにちは」などの単語だけを一つ一つ覚えて行くものもいる。


また、人の言葉はしゃべれないが、人の発するくしゃみやせき、いびきやおならなどを覚えてマネをする個体もいる。


そして、そのような個体がやっかいなのは、わざわざ教えなくても、いつの間にか勝手にそれらの音を覚えてしまっている点だ・・・・・・。


例えば「こんにちは」を覚えさせようと思ったら、毎日、毎日、「こんにちは」を根気よく聞かせ続ける。
そうすることでセキセイインコが、耳から入って来た「こんにちは」を、口の中で再現しようとし始める。


そうして、少しずつ「こんにちは」の完成度が高くなって行き、いずれ「こんにちは」とはっきりしゃべれるようになるという訳だ。


ところが、くしゃみやせき、いびきやおならなどを覚えてしまう個体は、それをわざわざ教えなくても、勝手に学習してしまう。


そんな音をあえて教えようとする飼い主はまずいないだろうから「やっかい」なのだ・・・・・・。


以前、うちには「おなら専門」のセキセイインコがいた。
言葉は全く覚えなかったが、家族一人一人のおならを聞き分けて、その特徴を見事に再現してものまねしていた。


もちろん、家族の誰一人として、おならを教えようとした覚えはなく、日常生活の中で何気なく、「ブー」と出たおならを聞いていて、勝手に覚えて行ったようだ。


きっと、彼はおならの音に興味を持ったのだと思う。
興味があるから、自分なりにおならの音を分析して、その違いを再現出来るようになったのだろう・・・・・・。


父のおならはいつも空気が多い印象で、中心は「ブー」なのだが、その周りを空気が包み込んでいて、「ブー」に「スー」がコーティングされたような状態で出る。


これは言葉で表現するのは非常に難しい。


しかし、おなら専門のセキセイインコは、この難しいコーティング具合も完璧に再現していて、すぐに父の放屁のまねをしていると分かった・・・・・・。


母は当時少々太り気味の体形だったので、おならは尻の肉に圧迫されて、かなりの高音で「ブー」ではなく、「プー」と出ることが多かった。


この高音のおならは実際に聞くとかなりゆかいで、出した本人も、聞きたくもないのに聞かされた方も、「プー」と音がした途端、思わず「ぷっ!」と吹き出し大爆笑となる。


そんな高音の「プー」を、おなら専門のセキセイインコに、すまし顔で再現された日にゃ、大爆笑どころの話ではなく、腹がよじれんばかりに「ヒー、ヒー」言いながら、のた打ち回ることになる・・・・・・。


大トリを飾るのは私だが、私の場合、普通におならをすれば、「ブー」か「ビー」だ。
肛門ウーファーを震わす重低音と言ったらいいのだろうか。


おならの音としては家族の中では最も下品な音色と言えよう。


おならに上品な音なんてものがあるのかどうかは疑問だが、もしあるのだとしたら、ぜひその出し方を真剣に学びたいものだ。


そして、上品なおならの出し方をマスター出来れば、もし万が一、ふいにおならが出てしまっても、「あら、あのお方、何て上品なおならをなさるんでしょ」と言われるに違いない。


しかし、残念ながら、「時すでに遅し」で、我が家では「おなら専門のセキセイインコ」に、家族全員のおならを完コピされてしまっているのだ・・・・・・。

 

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そこで問題になって来るのが、うちにお客さんが来たときなのだ。
一時間もいないで帰るようなお客さんならまだいいのだが、2~3時間も居座られたらちょっとまずいことになる。


知らない人が家にやって来て、最初は緊張していたセキセイインコも、一時間もすれば慣れて来てさえずりはじめる。


そして、次第にごきげんになって来て、口の中で「ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ」と、言葉にならない言葉を転がし始めたら、いよいよ覚悟が必要になる。


そう、「ブー」が出るのはもはや時間の問題なのだ。


気心が知れた友人なら、笑って済ますことも出来るが、目上の人やめったに会わない親戚などが、たまたま訪ねて来ていたりすると、非常に焦ることになる・・・・・・。


そしてこの日もそんなめったに合わない親戚がうちに来ていた。


「仕事でこっちに来る用事があったので、ちょっと寄ってみた」と言っていたが、うちになんの用もないのに、そんなくだらない理由でちょっと寄らないでもらいたいものである。


私たちはセキセイインコのニセ放屁を恐れて、意味もなく声の大きさを上げて話をしたり、テレビのボリュームを上げてみたりしていたのだが、どう頑張ってもこれには限度というものがある。


いつ出るかもしれないニセの放屁のために、延々とそれを続けて行く根気はさすがにない。


私たちは顔は相手に合わせて笑っているが、内心はひやひやしながら、ただ、ただ、客が早く帰ってくれることをひたすら祈り続けていた・・・・・・。


私は初めのころ、この状況でセキセイインコが、「いったい誰のおならのマネをするのか」ということばかりを気にしてドキドキしていたのだが、次第にじつはそんなことはたいした問題ではないことに、はたと気付いた。


セキセイインコが誰のおならのマネをしようが、客にとっては、そのニセ放屁が誰のおならの音色かなんて分かるはずがないのだ。


一番問題なのは、「おなら専門のセキセイインコ」がまねるおならの音は「リアルである」ということなのだ。


そして、それを知らなければ、誰もが本物のおならだと思うだろう。


また、一般の人は、セキセイインコがおならのものまねをするなんて、きっとこれっぽっちも思っていないだろうから、「じつは今のおならの音はこのセキセイインコのものまねなんです」と説明したって、すぐには信じてもらえまい。


「何をバカなことを」と鼻で笑われるのがオチである・・・・・・。


と、そんなことばかりを心配していると、緊張で腹にガスが溜まって来て、下腹が妙に重苦しく感じて来た。


依然客の腰は重く、一向に帰る気配はない。


一方のセキセイインコの方はといえば、ノリノリで頭をふりふりしながら、「ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ」とごきげんに何かを言いたげな様子。


これはまずいかなと思った瞬間、ついにその時は来てしまった。


「プーーッ!」
それは母の高音のおならのマネだった。


私は思わず「ぷっ!」と吹き出してしまい、その拍子に緊張で腹に溜まっていたガスが、肛門から「ビーーッ!」と出た。


セキセイインコのおならのものまねをずっと心配していたのに、うかつなことに自分も本物の放屁をしてしまうという失態を犯してしまったのだ。


しかし、「プーーッ!」という高音のおならのものまねが出た瞬間、家族全員大爆笑となっていたので、その大きな笑い声のおかげで、私の「ビーーッ!」はややかき消されていた。


客の前で自らの高音でゆかいなおならを公開されてしまった母は誰よりも大爆笑で、泣きながら大笑いしつつ、なぜか四つん這いになって、ゆっくりと前進するという謎の行動をしていた。


客はポカンとあっけに取られていて、何が起きているのか全く理解できない様子で、ただ、ただ、事の顛末を見守っていたのだった・・・・・・。

 

(画像上はクヌギのどんぐり、画像下はシラカシのどんぐり)

2017年11月25日 (土)

謎の「いらっしゃいませ」

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近所のスーパーに買い物に行った時のことだった。


入口から店の中に入った途端、青果や鮮魚、精肉、惣菜コーナーなど四方八方から、「いらっしゃいませー!」という威勢のよい掛け声が聞こえて来る。


この掛け声を聞くと、私はいつも子供のころの記憶がふとよみがえる・・・・・・。


私が子供のころは、買い物といえば近所の商店街と決まっていた。


当時、近所の商店街はとても活気があって、声が潰れてガラガラ声の八百屋のおっちゃんや、遠くまでよく通る声をした魚屋のおばちゃんが、「らっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、安いよ、安いよ、安いよ、安いよ!」などと、テンポよく、リズム感のある掛け声で、競い合うようにしてお客さんの気を引いていた。


その掛け声を聞くと、用もないのに、「おっ!」と思わず立ち止まり、店の中をのぞいて行く客がたくさんいたものだ。


今思えば、あのテンポとリズムは絶妙なもので、客を立ち止まらせる魔法の言葉だったと思う。


そして、客を立ち止まらせて、初めて商品を売り込み始めるのだが、「見て!このキュウリ!今朝収穫したばかり!色最高!ツヤ最高!もちろん、味最高!でも、少しだけ曲がってる!だから安いの!」と、一語一語、短く区切ってテンポよく話し始める。


おっちゃんは時おり手を「パン!パン!」とリズムを取るように叩きながら、商品の説明をして行く。
すると、立ち止まった客のほとんどは、おっちゃんの話に引き込まれて行き、最後には自然に商品を購入して行くことになるのだ・・・・・・。


現代のスーパーではこんな話術を持った店員は恐らく一人もいないと思うが、先日このスーパーでちょっと変わった個性的な店員と遭遇してしまった。


その店員は入り口を入ってすぐの青果コーナーにいた。


私が店に入って間もなくして、彼はバックヤードから出て来て、奥から持って来た商品を棚や台に並べたりしていた。
私はその時は特別彼に注目していた訳ではなかったので、視界の片隅でそれを無意識に確認していた程度だった。


私は彼の横をゆっくりと通り過ぎ、商品棚を眺めながら店の奥へ向かっていた。
すると、私の背後からこんな掛け声が聞こえて来た。


「ファイヤ~、クラッシャ~、い~らっしゃいま~せ~!」


私は一瞬、自分の耳を疑った。
聞き間違いだろうか。


私にははっきりとそう聞こえたが、きっと聞き間違いなのだろう。
なぜなら、そうでなければ、全く意味が通じないからだ・・・・・・。


すると、たいして間を置くこともなく、再び「ファイヤ~、クラッシャ~、い~らっしゃいま~せ~」と聞こえて来た。


それはかなりゆっくりとした独特の口調で、私は誰がそんな訳の分からないことを言っているのだろうと思い、気になって振り返って見ることにした。


すると、私の背後には、先ほどの青果コーナーの若い男性店員が一人いるだけだった。
恐らくあの黒縁メガネの彼が謎の言葉を発している張本人だろう。


しかし、残念ながら、私の位置からでは彼は後ろ向きで、ちょうど背中をこちらに向けて作業している格好になっていた。
それにここからでは少し距離がありすぎる・・・・・・。


そこで私は黒縁メガネの彼が、謎の台詞を発するのを、しかとこの目で見届けてやろうと、彼の前側に回り込むことにした。


私は出来る限り高速移動を心がけたが、小走りに息を切らしながら彼の前まで移動して行ったりしたら、きっと誰が見たって不審者に違いない。


そこで、私は早くいいポジションを確保したい気持ちをぐっとこらえて、普通に歩くよりは少し早めの速度を心がけ、なおかつ「目的地へまっしぐら」では怪しまれると思い、「私は目的の商品を探して歩いているのですよ」というそぶりを見せつつ、黒縁メガネの彼に少しずつ接近して行った。


すると、私が黒縁メガネの彼の前に到達する前に、「ファイヤ~、クラッシャ~、い~らっしゃいま~せ~」と聞こえて来た。


しかし、私はこの時すでに彼の真横付近まで来ていたので、今回は彼の口からその台詞が発せられていることを、はっきりと確認することが出来た。


しかし、確認することは出来たものの、残念ながら私には彼が何と言っているのかは、やはり分からなかった。
私にはどうしても、「ファイヤ~、クラッシャ~、い~らっしゃいま~せ~」としか聞こえないのだ・・・・・・。

 

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そこで私は、いっしょに買い物に来ていた、アシスタントの「ぴかちう♀」を呼び、「あの黒縁メガネの店員は何と言っていると思うか?」と単刀直入に聞いてみた。


するとやはり、「ファイヤ~、クラッシャ~、い~らっしゃいま~せ~」と聞こえると言う。
やはり、誰が聞いても、そう聞こえるのだ。


私は自分の耳が変なのかと思い始めていたので、その言葉を聞いて少し安心した。


しかし、「いらっしゃいま~せ~」はいいとして、「ファイヤ~、クラッシャ~」とはいったいどういう意味なのか・・・・・・。


ぴかちう♀に「どういう意味だと思うか?」とためしにたずねてみたところ、「店名説」がまず浮上した。


商店街の八百屋とかだったら、「八百八」などの昔ながらの店名だろうが、こういう近代スーパーに入っている店なら、おしゃれな横文字の店名に違いないとぴかちう♀は言うのだ。


しかし、仮にそうだとしても、「ファイヤー、クラッシャー」などという意味不明の不吉な名前を付けるはずがない。
それにこのスーパーはテナント制ではなかったはずなので、店名説はちょっと違うようだ・・・・・・。


次に浮かんだのは、「ファイヤー」と「クラッシャー」という言葉の組み合わせから、「破格の安さ」とか、そういう意味合いなのではないかという説。


ぴかちう♀曰く、「定価に火をつけて、ぶっ壊すみたいな」とのこと。


まあ、言いたいことは分からなくもないが、それなら、「いらっしゃいませ、安いよ、安いよ!」でいいような気がする。


あえて、意味を暗号化する必要はないのではないか。
それに火をつけたら、ぶっ壊す以前にただの放火ではないか・・・・・・。


そんなことをあれこれ二人で考えていたところ、バックヤードへ続く扉から、もう一人の店員がナスの箱を抱えて出て来た。


その小太りの店員は、「いらっしゃいませ~、ナスがお買い得になっていますよ~!」といたって普通で、その後も「いらっしゃいませ」しか言わずに、ナスの箱を並べ終わるとさっさと扉の向こうへ帰って行ってしまった。


その後も別の店員が、トマトやらキュウリやらを持って二名ほど出て来たが、やはり「いらっしゃいませ」しか言わない普通の店員だった。


結果的にますます黒縁メガネの彼の言う、「ファイヤ~、クラッシャ~、いらっしゃいま~せ~」の謎が深まることになった・・・・・・。


他の店員が「ファイヤー、クラッシャー」を言わないところをみると、恐らくこれは彼のオリジナルなのだろう。


その後も彼は「ファイヤ~、クラッシャ~、い~らっしゃいま~せ~」を連呼していたが、言うたびに気分が乗って来るらしく、次第に最後の「い~らっしゃいませ~」の部分が演歌調になって来るのが分かった。


私とぴかちう♀は黒縁メガネの彼がしまいにはこぶしでも回し始めるんじゃないかと思って、用もないのに青果コーナーをうろうろしていた・・・・・・。


そんな時だった。


でっぷりと太ったボストロールのような風貌のおばちゃんが、黒縁メガネの彼に何やら話しかけているのを発見した。


私とぴかちう♀はボストロールが、「あんた何て言ってんの?」とか、「ファイヤー、クラッシャーってどういう意味なのよ?」などと、黒縁メガネの店員に絡んでいることを期待して、まるでゴキブリのような足取りで、サササササッと素早く現場へ急行した。


しかし、ボストロールはジャガイモの品種の、「きたあかり」と「インカの目覚め」の違いについてたずねているだけだった。


私とぴかちう♀は「そんなことより、もっと他に聞くべきことがあるだろう!」ともどかしい思いで地団駄を踏んだが、この後ボストロールは黒縁メガネの彼の、「ファイヤ~、クラッシャ~、い~らっしゃいませ~」を至近距離で聞いたにもかかわらず、不思議なことに全くそれを気にしている様子はなかった・・・・・・。


それにしても、ボストロールの他にもこんなに周りに客がいるというのに、誰一人「ファイヤ~、クラッシャ~、い~らっしゃいま~せ~」を気にしている様子がないのはいったいどうしてなのか。


まさか、私とぴかちう♀以外の人間には、その言葉の意味が理解出来ているとでもいうのだろうか。


それとも、黒縁メガネの彼はじつは宇宙人で、「ファイヤー、クラッシャー」の部分だけは周波数の合う人間にしか聞こえないように細工をしているのかもしれない。


もし、そうなら、私とぴかちう♀は「選ばれし者」ということになる。


しかし、黒縁メガネの彼に選ばれたところで、言っていることが分からなければ何の意味もない。


結論としては、私たちは今後も黒縁メガネの彼の様子をつぶさに観察し、常に聞き耳を立てて、彼が何を言わんとしているのかを解き明かすことが、我々に課せられたミッションということになる・・・・・・。


帰りがけにせまい通路で思いがけずボストロールと対峙してしまい、思わずとっさに身構えて、「出たなボストロールめ!」などと口走ってしまいそうになり、ギロリとボストロールににらまれた。


私は宇宙人の彼よりも、このスーパーでよく出くわす、このボストロールをまずなんとか克服しなくてはと、ふと思ったのだった・・・・・・。


(画像上はシラカシのどんぐり、画像下はヒヨドリジョウゴの果実)

2024年5月
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