ゆく年くる年
昭和の頃には、毎年12月31日から翌年の1月1日にかけて、「ゆく年くる年」という年越し番組が放送されていた。
いま思えば、「ゆく年くる年」は、けっこうな長寿番組で、時期としては、1956(昭和31)年から、1988(昭和63)年までの32年間、放送されていたことになる。
放送時間は午後11時45分から深夜1時までで、一貫してSEIKOの一社提供の番組だった・・・・・・。
また、「ゆく年くる年」は、全国の民放103局の同時ネットで、大晦日から正月にかけての、この時間帯だけは、どこのチャンネルをかけても、全く同じ番組が放送されていた。
だから当日の新聞や雑誌の番組表は、局と局の境界線をなくして、横に繋がった番組表になっていた・・・・・・。
さらに「ゆく年くる年」は、SEIKOの一社提供の番組だったので、流されるCMも全くいっしょで、何から何まで全部いっしょだったことになる。
CMといえば、「ゆく年くる年」放送の1週間ぐらい前になると、当時SEIKOが放映していた「時報CM」内で、時報の前にちゃっかり番組の宣伝を入れたりしていた・・・・・・。
昭和の頃は、子供は深夜まで起きていてはいけないという風潮があって、小学生の頃には夜9時には、「もう寝なさい」といわれていたものだった。
しかし、大晦日だけは、年越しまで起きていてもよいという家庭が多く、この日ばかりは子供もハイテンションで夜更かしをしていたものである。
そんなこともあって、SEIKOの時報CMに、「ゆく年くる年」の番宣が差し込まれるようになると、「いよいよだな~!」と1週間も前からワクワクしていたものである。
ところで、「大晦日だけは、子供も年越しまで起きていてよい」と考えるのは、一般家庭だけではなかったようで、テレビ業界でも、「ゆく年くる年」だけは、深夜に子供が普通に中継に参加したりしていて、いま考えるとちょっと驚きだったりする・・・・・・。
そんな「ゆく年くる年」だったのだが、番組の内容的には、とても子供が食いついて見るようなものではなかった。
全国各地の年越しの風景の中継や、合唱シーン、楽器の演奏などが延々と流されていたのだ。
1週間も前から、あんなにワクワクしていたのに、それに反して、テレビからは非常につまらない映像が垂れ流されている。
そのような、自分が全く興味がない映像を、意味もなくだらだらと見続けていると、困ったことに決まって眠くなって来るのだ・・・・・・。
開いているのか、開いていないのか、よく分からない目で、見えているのか、見えていないのか、よく分からない映像を、じっと見つめていると、母から「眠いなら布団で寝なさい」と声をかけられる。
何を言うか、自分はこれから、年越しのカウントダウンを、みんなと共有しながら新年を迎えるのだ。
寝てなんかいられるものか。
と、そう思ってはいたのだが、いつもあともう少しのところで、完全に眠ってしまっていた・・・・・・。
もう、頼むから、「蛍の光」の大合唱なんてやめてくれ。
「蛍の光」は私にとっては、子守歌でしかない。
「眠って下さい」といっているようなものである。
ドラクエの「ラリホー」よりも効く睡眠誘導の呪文といっても過言ではない。
そんなわけで、私は「ゆく年くる年」は、ドリフにしてくれないかな~と、毎年のように思っていたのだった・・・・・・。
(画像上、真冬にひっそりと咲く、ビワの花・・・・・・。画像下、コナラの紅葉は12月が最も色鮮やか・・・・・・)




















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