カテゴリー「紅葉」の記事

2024年12月13日 (金)

「あかなめ」と「枕返し」

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個人的には妖怪というと、人気の少ない場所で、気配を消して、ひっそりと暮らしているイメージが強い。


このため人間がその姿を目撃することはめったにない。


だからこその「妖怪」であり、これが日常的にしばしば目撃される存在であったら、きっと別の呼び方になっていたことだろう・・・・・・。


ところが妖怪の中には、大胆にも人の生活空間に、堂々と侵入してくるものもいる。


例えば「あかなめ」という妖怪は、住人も寝静まった深夜にその家の風呂場に出現する。


人もいない風呂場で、いったい何をしようというのか・・・・・・。


じつは「あかなめ」は、人のいない風呂場で、浴槽に付着した垢をペロペロと舐めているのだ。


「それで?」と思うかたも少なくないだろうが、「あかなめ」がする行動は、その一点に尽きる。


他にはいっさい何もしない・・・・・・。


住人の寝静まった深夜の出来事なので、人間の側からしたら、深夜の風呂場でそんなことが起きているなんて知る由もなく、「あかなめ」の侵入については、永遠に気付くことはないのである。


ただ、浴槽を洗う時に、「最近いやにヌメリがひどいな~?」とは感じるかもしれない・・・・・・。


「あかなめ」が来訪する頻度は定かではないが、風呂の水を替えずに入った日に限って、前日の深夜に「あかなめ」が来ていたりすると、ひじょうにやっかいである。


お風呂に浸かって、「ホッ」と一息ついていたら、ふと浴槽のヌメリに気付いて、「ああ、やっぱり水を替えておけばよかったな・・・」などと思っても、時すでに遅しである。


そのヌメリがただの汚れではなく、「あかなめ」のよだれだったなんて、思いもしないだろうが、そんな経験があるかたは、注意した方がよいだろう。


もしかしたら「あかなめ」は、あなたの家の風呂場の常連で、「ここの家の垢はひと味違う!」などと、太鼓判を押されている可能性もある・・・・・・。


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風呂に入ってさっぱりしたら、後は寝るだけである。


しかし、妖怪の中には、深夜に寝室に現れるものもいるので、うかうかしてはいられない・・・・・・。


先ほどの「あかなめ」は、人に危害を加えるようなことはなかったが、深夜に寝室に現れる「枕返し」という妖怪は、熟睡している人に対して、いたずらのような、謎の行動を仕掛けて来る。


いったい何をして来るのかというと、「枕返し」という名前にもあるように、枕を素早く抜き取って、それをひっくり返して、「サッ!」と元に戻したり、抜き取った枕を投げ捨てたりして来る。


また、布団を「ガバッ!」とめくって、寝ている人の体の向きを、上下逆に入れ替えたりもする。


いったい何のためにそんなことをして来るのか、全くもって理解に苦しむ。


それを実行することによって、相手が起きてしまう可能性もあるわけで、そんなリスクを冒してまで、やることの意味が分からない・・・・・・。


人間の側からしたら、朝起きた時に感じる寝違えや体の痛みは、恐らくこいつのせいだろう。


また、十分寝たのに「寝た気がしない」とか、寝ていただけなのに、「なぜか疲れた」という時も、「枕返し」が現れていた可能性がある。


「もう、やめてくれよ~」という話である・・・・・・。


先ほども書いたが、「枕返し」のこれらの行動は、非常にリスクが高い。


それにもかかわらず、それを実行して来るということは、想像するにこれは仕事なのではないか。


いったいどこから給料が出ているのかは謎だが、夜遅い勤務ということもあり、きっと深夜手当が付くのだろう。


さらにオフィスに出社するわけではないので、恐らくは出張手当も付いているはずだ。


さらに相手を起こさずに、職務遂行をするためには、それなりに経験と技術が必要になって来る。


当然、技術手当的なものも付くだろう。


そう考えると「枕返し」って、意外と高給取りなのではないか?


人の安眠を妨害しておいて、高額な給料を手にしているなんて、非常に腹が立つ話である・・・・・・。


(画像上、イロハモミジがきれいに紅葉した・・・・・・。画像下、日光浴をしている顔見知りの三毛猫・・・・・・)


2024年12月 7日 (土)

ファミコンで通信が実現していたら・・・

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家庭用ゲーム機を手に取って、本体を裏返したり、回転させたりして、くまなく観察する人は、そうそういないと思う。


しかし、そのようにしてじっくり観察していると、「あれ、この端子って、いったい何のために付いているんだろう?」という、思わぬ発見があるものだ。


そしてそれは、ある特定の機種だけではなく、歴代家庭用ゲーム機の複数の機種で、確認することが出来るのである・・・・・・。


古いところでは、家庭用ゲーム機の先駆けとなった、ファミリーコンピューターの時代まで遡る。


ちなみにファミリーコンピューターは、1983(昭和58)年7月15日に発売になっている・・・・・・。


そして、その2年7ヶ月後の、1986(昭和61)年2月21日には、周辺機器のファミリーコンピューターディスクシステムが発売になる。


ファミコン本体とディスクシステムは、ファミコンのカートリッジスロットに、「RAMアダプタ」という平たい機器を差し込んで接続していた。


そしてこのことから分かる通り、ファミコン本体には、「周辺機器を接続する端子」は付いていなかったことになる・・・・・・。


じつはファミコンの時代にあった、「何に使用するのか意味の分からない端子」は、ファミコン本体ではなく、周辺機器であるディスクシステムの「RAMアダプタ」に付いていたのだ。


ただ、子供の頃はゲームに夢中で、そんな使いもしない端子に興味を示す者など誰もいなかった。


だからほとんどの人は、その端子には気付いていなかったのではないだろうか・・・・・・。


ちなみに「RAMアダプタ」に付いていた端子は、「RAMアダプタ」を後ろ側から見ると、長方形をした端子として据え付けられていた。


その大きさは、「RAMアダプタ」の横幅の半分ほども占めていて、結構大きな端子であったことが分かる・・・・・・。


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で、結局任天堂は、この端子に何を接続するつもりだったのだろうか。


じつは当初任天堂は、この端子に「ディスクファックス」と呼ばれる、通信アダプターを接続するつもりだったようなのだ。


通信アダプターということは、当然ネットワークへ接続することを想定していたということになるだろう・・・・・・。


で、任天堂はネットワークに接続することで、いったい何をしようとしていたのか。


これについては、自宅からファミコンのディスクシステムを使って、ネットワークに接続することで、ファミコンのソフトをダウンロードすることが出来るよう、構想が練られていたというのだ。


そして何よりも驚いてしまうのは、これが1980年代の話であることだ。


ちなみに国内初のパソコン通信は、1984(昭和59)年に開局されているのだが、当時のパソコン通信は、まだ文字だけの世界だった。


ゲームのダウンロードなんて、夢のまた夢の時代である・・・・・・。


さらに任天堂には、任天堂とメッセージのやり取りを行う、現代でいうところの、メール交換の構想もあったようだ。


いうまでもないが、当時はネットワークを利用するメールシステムは、まだまだ一般的ではなかった時代だ・・・・・・。


また、ゲームやコミュニケーション以外にも、学校や塾などのテストを、ネットワークを介して配信し、各家庭のディスクシステムを使って送信、そしてその回答を返信することで、採点や添削をしてもらえる、学習支援の機能なども考えられていたそうだ。


もし、この構想が実現していたら、「ま~た、勉強しないでファミコンばかりやって!」という、昭和の母ちゃんたちを、「ギャフン!」と言わせることが出来たかもしれないと思うと非常に残念でならない・・・・・・。


で、これらの機能は現代であれば、もはや当たり前の話になっているのだが、任天堂は1980年代にすでに現代のネットワークサービスに近いものを思い描いていたことになる。


そして、これが実現していたら、もしかしたら未来が変わっていたのかもしれないが、結局のところ、ディスクシステムの通信アダプター「ディスクファックス」は、ついに最後まで発売されることはなかった。


そして「何に使用するのか分からない端子」は、全く使われることがないまま、その役目を終えたのだった・・・・・・。


(画像上、イチョウは散ってからも黃葉が楽しめる・・・・・・。画像下、顔見知りの近所のネコ。寒くなって来たから、早くお家にお帰りなさいね・・・・・・)


2024年11月25日 (月)

牛乳に相談だ。「ラブレター篇」「ライオン篇」

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2005(平成17)年から2010(平成22)年頃にかけて、中央酪農会議が「牛乳に相談だ。」というテレビCMを放映していたことがあった。


その目的は若年層の牛乳離れを食い止めるための、牛乳の消費拡大キャンペーンだった。


で、個人的にこの「牛乳に相談だ。」のシリーズは、内容があまりにもバカバカしくツボだったので、ちょっとネタとして採り上げてみたいと思っている・・・・・・。


じつはこの「牛乳に相談だ。」のテレビCMはシリーズ化されていて、じつに10本以上の作品が放映されている。


というわけで、まずは「ラブレター篇」をご紹介してみたいと思う。


みなさんの記憶の1ページを紐解くことが出来たら幸いである・・・・・・。


「ラブレター篇」

場面は学校の教室で、お弁当の時間。


一目で牛乳をたくさん飲んでいることが分かる女子生徒がいる。


「すごい牛乳飲んでるね」と見たまんまの感想を伝える友達。


すると牛乳をたくさん飲んでいる女子生徒が、「きれいになんのよ」とひと言。


「きれいに・・・」と呟きながら妄想を始める友達・・・・・・。


場面は妄想のシーンに切り替わり、通学路でとある男子生徒から、「これ!」とラブレターらしきものを差し出される。


「わたし?」と言いながら、それを受け取る女子生徒。


とまあ、ここまではドラマでもよくありがちなストーリーだ・・・・・・。


そしてその後、学校の下駄箱までたどり着くと、自分の下駄箱のフタを何気なく「パカッ」と開ける女子生徒。


すると次の瞬間、下駄箱から大量の手紙が、まるで洪水のようにあふれ出て来て、手紙といっしょに流されていく女子生徒。


すると教室では、「ゆうこが溺れている!」と大騒ぎになっているのだが、どんなに大量の手紙が流れ出て来ても、溺れることなんてないと思う。


で、すでにお気づきかと思うが、ここでようやく、このCMの主人公の名前が、「ゆうこ」であることが判明する・・・・・・。


そしてクラスメートの話を聞いて、血相を変えて走って来たのは、先ほどゆうこにラブレターらしき手紙を渡していた男子生徒。


誤解のないように書いておくが、この男子生徒、べつにイケメンでもなんでもなく、潰れたまんじゅうに毛が生えたような、つまらない顔をしている。


「ゆーーこーー!」と叫びながら、いつの間にか海パン一丁になっていた「まんじゅう男」が、果敢にも手紙の濁流の中に、躊躇なく飛び込んで行く。


いうまでもない話だが、濁流とはいえ、流れ出て来ているのはあくまでも手紙である。


海パン一丁になる必要などないのだ。


そして、それに気付いたゆうこが、「じゅんくん!」と叫び、「まんじゅう男」の名前が、「じゅんくん」であることが、この時はじめて明かされる。


「大丈夫か!」とゆうこに追いつくじゅんくん。


すると「人工呼吸して!」と、溺れてもいないのに、血迷ったことを言い出すゆうこ。


どこかで頭でも打ったのだろうか・・・・・・。


場面は冒頭のシーンに戻り、たくさん牛乳を飲んでいた友達に、「飲まなきゃ!」と言いながら、キスをしようとしているゆうこ。


どうやらまだ、半分妄想から覚めていないようだ。


そして最後は2人でのけぞったポーズをとり、牛乳をグビグビ飲みながら、「ぎゅーにゅ~にそうだんだっ ♪」と歌ってCMは終了となる・・・・・・。


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「ライオン篇」

場面は学校の校舎の屋上で、2人の男子生徒が話をしている。


友達がものすごくたくさん牛乳を飲んでいて、「すごい牛乳好きだねぇ」と声をかける坊主頭の男子。


すると「強くなるからね」と友達。


「つよく~?」と妄想に入る坊主頭。


そしてここから妄想のシーンに切り替わる・・・・・・。


本を読みながら、ゆったりと歩いて来る女子生徒がいる。


すると女子生徒の背後から、ライオンがゆっくりと近づいて来る。


その直後、視聴者の予想通り、ライオンに襲われる女子生徒。


それを見た坊主頭の男子が、ライオンに飛びかかり、助けに入る。


そしてライオンと戦闘に入る坊主頭。


するとライオンもなぜか2本足で立ち上がり、ファイティングポーズをとってみせる。


そしてライオンと、パンチの応酬からの力比べが始まる。


もはやプロレスの試合である。


最後は男子生徒の必殺技、電気あんまを決めて見事勝利。


草葉の陰からその様子を見守っていた男子2人が、「すごく強いよ~」とひと言。


そして女子生徒をお姫様抱っこしながら、格好良く去って行く坊主頭。


「強くて好き」と女子生徒・・・・・・。


そして妄想から戻ると、屋上で牛乳をすごくたくさん飲んでいた友達を、お姫様抱っこしている坊主頭の姿が。


そして片手を立てたブリッジのポーズで、「飲まなきゃ!」と言いながら牛乳を飲む2人。


ちなみに牛乳はいまはなき瓶牛乳である。


そして最後は、「ぎゅ~にゅ~に、そーだんだっ ♪」でCMは終了となる・・・・・・。


(画像上、トウカエデが赤く染まり始めていた・・・・・・。画像下、晩秋に発生するキノコのナラタケがあちこちで見られた・・・・・・)


2024年11月19日 (火)

流行ったけれど、縁のなかったカバン

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昭和の頃、「グルーピーケース」という、厚紙で出来たカバンのようなものが流行ったことがあった。


カバンといっても、菓子箱的なものに留め具を付けて、「カパッ!」と、開け閉めが出来るようにしただけのもので、留め具がなければ、ただの丈夫な箱だった・・・・・・。


で、箱が勝手に開いてしまわないように、スナップボタンで「パチッ!」と、留められるようになってはいたのだが、持ち手などはなかったので、小脇に抱えて持ち歩くしかなかった。


個人的には持ち手がないと、持ちづらくてしょうがなくて、いくら流行っているとはいえ、買おうとは思わなかった・・・・・・。


ちなみにグルーピーケースは、1971(昭和46)年に発売になり、1988(昭和63)年まで製造販売されていたようだ。


当時はテレビで、「ミドリのミドリのグルーピーケース ♪」というCMも流れていたので、覚えているかたも少なくないのではないだろうか。


ちなみに「ミドリ」とは発売元の会社の名前である・・・・・・。


グルーピーケースは私には刺さらなかったが、世間一般では流行っていたので、じつに様々なデザインのものが発売になっていた。


個人的によく見かけたのは、ジーンズの尻ポケットの部分を切り取って、ケースに貼り付けたようなデザインのもの、キティちゃんやスヌーピーなどのキャラクターもの、ラグビーのユニフォームや、アメリカンフットボールチームのデザインのものなどが記憶に残っている・・・・・・。


で、このグルーピーケースと同時期に流行っていた(?)のが「ブックバンド」だ。


当時アメリカなど、海外の学園ものドラマを見ていると、学生が教科書をバンドとバックルで十字形に留め、肩から担いで歩いていた。


見た目はかっこいいのだが、よくよく考えてみれば、バンドを緩めて教科書を取り出したら、また縛り直さなくてはならないし、移動の最中にバンドが緩んだりしたら、その辺に教科書をばら撒いてしまうだろう・・・・・・。


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さらにいうなら、ペンケースなどの小物は、いっしょに束ねることが出来ないから、別に持って歩かなければならないのだ。


教科書だって全てサイズがいっしょならいいが、大きさが違うものがあったりしたら、きちんと固定することが出来ないはずである。


これについては、過去に雑誌や本を捨てるときに、ビニールひもで束ねたものを、ゴミ捨て場まで持って行く最中に、その場に派手にばら撒いてしまい、とっくの昔に証明済みである・・・・・・。


もっというなら、雨の日はどうするのだろうか。


バンドで束ねて肩から担いでいるだけなら、まず間違いなく、濡れてしまうだろうし、それを乾かしたとしても、ページが波打ってヨレヨレになってしまい、読みづらいことこのうえない。


そんなわけで、個人的にはこのブックバンドも、「面倒くさい」、「使いづらい」という理由からパスだった・・・・・・。


昭和の頃に流行ったが、自分には刺さらなかったカバンといえば、「セカンドバック」も忘れてはならない。


セカンドバックは小脇に抱えて歩くタイプのカバンで、グルーピーケースと同様に持ち手はなかった。


当時はプロ野球選手が契約更改の時などに持ち歩いている印象が強くて、スポーツニュースの映像でよく見かけたものだった・・・・・・。


セカンドバックはグルーピーケースよりも一回り以上小さくて、今となっては、「スマホもない時代に、いったい何を入れていたのだろう?」と思う人も少なくないと思う。


じつはセカンドバックの中身は、財布や印鑑、眼鏡やペンなど、ちょっとしたもので、だからこそ、プロ野球選手の契約更改の時に、よく見かけたのだろう・・・・・・。


当時子供だった私は、財布なんて小銭入れで十分だったし、印鑑なんて使う機会もなく、視力はよかったので眼鏡なんて無用の長物だった。


となると、セカンドバックに入れるものはペンしかなくて、結果的に買っても役に立たないものということで、自分には縁のないカバンだったのである・・・・・・。


(画像上、里山では至る所で咲いているノコンギクの花・・・・・・。画像下、ケヤキは他の木々に先駆けて、いち早く紅葉が始まる・・・・・・)



2022年12月19日 (月)

おにぎり村

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1970~1980年代には、「自然豊かな日本の原風景」を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


そのほとんどは、現在ではもう発売されていないが、明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は根強い人気で、現在でも継続して販売されている。


当時わたしは、それらのお菓子の世界観になぜかとても惹かれ、新しいパッケージを見つけるたびに、親に買って欲しいとねだっていたものである。


1981(昭和56)年にロッテから発売になった「おにぎり村」もその中の一つで、他社のお菓子とは違う、おにぎりの形をしたビジュアルがとても斬新に感じたのを覚えている。


おにぎり村のパッケージイラストには、茅葺き屋根の古民家が描かれていて、その背景には緑の雑木林と、その奥に小高い茶色い山が3つ描かれていた。


そして抜けるような青空には、スズメが2羽舞うように飛んでいた。


で、パッケージの右側には、おにぎり村のお菓子のイラストが描かれているのだが、その様子はどう見てもおにぎりには見えなかった。


一応、形だけは、三角形のおにぎりの形をしているのだが、パッケージのイラストを見る限り、ご飯や海苔の姿はどこにも見当たらず、なんだか「いなり寿司」のような見た目をしていた。


そしてパッケージのイラストをさらに詳しく見ていくと、油揚げ(ではないのだが・・・)に包まれているのはご飯ではなくて、どうもピーナッツ入りのチョコレートのようだった。


そのイラストを見てしまうと、「おにぎりじゃないじゃん」と、思わず口走りそうになるのだが、これはお菓子屋の店頭に並べられているお菓子なので、当然と言えば当然の話である。


じつはいなり寿司の油揚げのように見えていたのは最中(もなか)の皮で、この中にピーナッツ入りのチョコレートが入っていたのである・・・・・・。


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で、ロッテではチョコレート菓子の「おにぎり村」の姉妹商品として、1981(昭和56)年にアイス版の「おにぎり村」も発売している。


アイス版の「おにぎり村」は、なんとパッケージまで三角形のおにぎりの形をしていて、お店のアイスクリームケースの中でひときわ目立っていたのを覚えている。


そしてアイス版の「おにぎり村」は、日本昔話風のテレビCMがとても印象的だった。


CMでは茅葺き屋根の古民家に住む少年が、囲炉裏の前でおにぎりをにぎっている。


そして庭にはエサをついばむ放し飼いのニワトリの姿がある。


この映像のバックには、「親孝行の子供がおにぎりを畑に届けた」という昔話風のナレーションが流れている。


そして場面は畑のシーンに切り替わり、ほっかむりをした少年の父親の姿が映し出される。


どうでもいいが、少年は頭頂部が尖ったおにぎり型の頭をしているのに、なぜかその父親は顎の方が尖った逆三角形の頭部をしている。


これで本当に親子なのかと疑問に感じるところだが、父親がほっかむりを取ると、なんと子供と同じ頭頂部の尖った三角形の頭に「ぷるんっ!」と戻って行くのだ。


「いったいどんな頭の構造をしているんだよ!」とひと言つっこんでやりたくなる。


そして父親は届けてもらったおにぎりを、「おお、うまそうじゃ。中はアイスかの~」と言って食べ始める。


「え?少年は確かおひつの中から、温かいご飯を取り出しておにぎりをにぎっていたよね?」という気がしないでもないが、CMはそんな視聴者の疑問を一切無視してどんどん進んで行く。


そして場面は引きの映像に切り替わり、父親がおにぎりをうっかり地面に落としてしまい、おにぎりが坂をコロコロと転がり始める。


「あれ、確か平らな畑でおにぎりを食べていたはずなのに・・・?」という気がしないでもないが、CMはそんな視聴者の疑問を一切無視して、「ロッテアイスおにぎり村」という締めくくりのナレーションと共に強制終了することになる・・・・・・。


で、このアイス版おにぎり村だが、CMで少年の父親が「中はアイスかの~」と言っていた通り、三角のおにぎりの形をした最中(もなか)の中には、バニラアイスがぎっしりと入っていた。


パッケージのイラストを見ると、チョコレート菓子のおにぎり村と同様に、まるで三角形のいなり寿司のようなものが描かれているのだが、イラストでは先端がカットされていて、中身が見えるようになっていた。


それを見ると中身はまるで本当のおにぎりのように見える。


そしてその中央には、おにぎりの具材の梅干しのようなものまで描かれていたのだが、ほとんどの人はこれを見て、「これはイメージだろう」と思っていたと思う。


ところが実際に商品を買って、アイス版おにぎり村を食べてみると、アイスの中央には梅干しに見立てたイチゴジャムが入っていて、断面だけはまるで本物のおにぎりのように見えて、当時の子供たちは大喜びだったのである。


そんな訳でお菓子(おにぎり)そのものの完成度という意味では、アイス版おにぎり村の圧勝といえるだろう・・・・・・。


(画像上、初冬の公園のベンチでは人ではなく銀杏が休憩中。画像下、越冬中のアカスジキンカメムシが「こんにちは!」・・・・・・)


2022年12月13日 (火)

「謎フレーズ探偵」ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 ④

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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」

やめてよして触らないで
垢がつくから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


これは多くの人の記憶に残る、オーソドックスな歌詞の「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」だ。


そして前回はこの基本の歌詞から大きく変化した、「人の名前の羅列型の歌詞」についてご紹介をした。
その一例がこちらになる(↓)。


「人の名前の羅列型の歌詞」

やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
フランシスコザビエル
顔は志村けん


で、この「人の名前の羅列型の歌詞」は、私が学生時代を過ごした昭和50~60年代以降も、時代ごとに少しずつ歌詞を変えながら、小中学生の間で代々歌い継がれて行ったらしいのだ。


そこで今回は、私が小中学生の頃には聞いたことがなかった歌詞のものを、いくつかご紹介してみたいと思っている・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 J」

やめてよしこ沢田研二
赤川次郎
あんたなんか志村けん
顔はペプシマン


前回も書いた通り、「人の名前の羅列型の歌詞」は、前半の歌詞が「やめてよしこ 沢田研二 赤川次郎」と歌われるものが基本形になる。


これは元の替え歌の、「やめてよして触らないで垢がつくから」の「音」に合わせた歌詞の置き換えである。


そして今回注目すべきは、後半の歌詞の「あんたなんか志村けん顔はペプシマン」だ。


「志村けん」の部分については、私が小中学生の頃にも歌われていたので、伝統を引き継いだ形になるのだが、最後の「ペプシマン」については、当時は聞いたことがなかった。


というのも、「ペプシマン」自体がまだ世に出ていなかったのである。


ちなみに「ペプシマン」とはペプシコーラのCMキャラクターとして日本で発案され、1996(平成8)年3月からテレビCMに登場している。


ペプシマンは全身銀色のメタリックボディで、顔はツルツルでのっぺらぼうである。


だから歌詞Jでは、「あんたなんか志村けん」みたいだと言っているのに、「顔はペプシマン」と意味不明なことを言っていることになる・・・・・・。


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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 K」

やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
あんたなんかペプシマン
顔は清原


先ほども書いた通り、「人の名前の羅列型の歌詞」は、「やめてよしこ 沢田研二 赤川次郎」と歌われるのが基本形である。


これは元の替え歌から、「やめてよして→やめてよしこ」、「触らないで→沢田研二」、「垢がつくから→赤川次郎」と、音を合わせて歌詞が置き換えられていることからも明らかだ。


では、この夏目漱石バージョンはなんなのかというと、前半の歌詞がそのような理由によるものだと知らずに、ただ、人の名前を並べればいいだけだと思い込んだ当時の子供が、勝手にそのようにアレンジしてしまい、それが自然に広まって行ったものと思われる・・・・・・。


で、後半の歌詞だが、「あんたなんかペプシマン 顔は清原」と歌われている。


まず、「あんたなんかペプシマン」だが、ペプシマンはちょっとおまぬけなキャラクターなので、「あなたはペプシマンみたいに間抜けである」ということを言いたいのだろう。


そして「顔は清原」だが、これは言うまでもなく、元プロ野球選手の清原和博さんのことだろう。


清原さんは1983(昭和58)年4月から1986(昭和61)年3月までPL学園高校に在籍していた。


PL学園は甲子園の常連校だったこともあり、その当時から清原さんは一般に広く顔を知られていた。


しかし、歌詞にはペプシマンが登場していることから、ここで歌われている「顔は清原」は、高校時代のことを指しているのではなく、プロ入り後ということになるのだろう。


先ほども書いた通り、ペプシマンのデビューは1996(平成8)年のことである。


で、「あんたなんかペプシマン 顔は清原」の意味についてだが、「あなたはペプシマンみたいに間抜けで、顔は清原にそっくりである」という、なんだか褒めているんだか、けなしているんだか、よく分からない話になってしまっている・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 L」

やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
あんたなんか波平
顔はペプシマン


まず、「なぜ、主人公のサザエさんではなく波平なのか?」という疑問があるかと思うが、これについては、もともとこの歌は女子が男子に向けてうたう歌だからだ。


男子に向けて「あんたなんかサザエさん」というのは、ちょっとおかしいだろう。


そして見た目のインパクトも、サザエさんより波平の方が大きいし、歌われた男子の精神的ダメージは、きっとそれ以上のものがあるだろう。


そして注目すべきは、ここでも「ペプシマン」なのである。


どうやら1990年代は子供たちの間で、ペプシマンがブレイクしていたようである・・・・・・。


さて、4回に渡って書いて来た「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」だがいかがだったろうか。


今回、追いかけることが出来たのは、1990年代までだったが、もしかしたらこの替え歌は、その後も少しずつ進化しながら、歌い継がれているのかもしれない。


また、新たにその辺のことが分かったら、続きを書いてみたいと思っている・・・・・・。


(画像上、サザンカの花が見ごろになった。画像下、この時期の里山の林縁はカラフルな紅葉の道になっている・・・・・・)


 

2022年12月 7日 (水)

「謎フレーズ探偵」ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 ③

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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」

やめてよして触らないで
垢がつくから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


これは多くの人の記憶に残る、オーソドックスな歌詞のビビディ・バビディ・ブーの替え歌だ。


そしてビビディ・バビディ・ブーの替え歌は、この基本の構成を少しずつ崩しながら、歌詞が変化して行くことになる。


これについては前回書かせてもらった通りである。


そして最終的にはもともとの替え歌の趣旨が分からなくなるほど、歌詞が変化してしまう。


という訳で今回は、当時の小中学生クリエーターの手によって、究極の形へと進化して行く歌詞について、ご紹介して行きたいと思っている・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 G」

やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
フランシスコザビエル
顔は志村けん


「あれ?」と思われたかたも少なくないだろう。


何しろ歌詞Gでは元の替え歌の原形をほとんど留めていない。


恐らく人の名前だけを羅列しているこの歌詞を見ても、元の替え歌がなんなのか思い当たる人は少ないのではないか。


しかし、「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」を聞き取り調査していると、このような「人の名前の羅列型の歌詞」は、じつは意外にも一定数出て来るのである・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 H」

やめてよしこ沢田研二
赤川次郎
あんたなんかザビエル
チビでハゲでブー


「人の名前の羅列型の歌詞」には、歌詞の前半部分が大きく2つのバリエーションに分かれる。


1つは歌詞Gにあったような、「やめてよしこ 沢田研二 夏目漱石」、そしてもう1つは、この歌詞Hにあるような、「やめてよしこ 沢田研二 赤川次郎」である。


元の替え歌は、「やめてよして 触らないで 垢がつくから」と歌われているところをみると、「人の名前の羅列型の歌詞」の元になったのは、恐らく後者であると思われる。


なぜなら、「やめてよして→やめてよしこ」、「触らないで→沢田研二」、「垢がつくから→赤川次郎」と、置き換えられたと思われるからだ。


「人の名前の羅列型の歌詞」は、何も考えずにただ人の名前を並べただけと思われがちだが、じつはちゃんと元の歌詞の「音」を意識して作られているのである・・・・・・。


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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 I」

やめてよしこ沢田研二
赤川次郎
あんたなんかドラえもん
顔はクロマティ


この歌詞Iは私が小中学生の頃の時代背景をよく表している。


当時ドラえもんは春休みや夏休み、年末年始など、一年の区切り区切りで、2~3時間番組が放送されるぐらい、子供たちに大人気のアニメ作品だった(今も人気だが・・・)。


新聞のテレビ欄に出ていた、「春だ!一番ドラえもん祭り!」や「大晦日だよ!ドラえもん!」のタイトルが懐かしく思い出される・・・・・・。


また、当時はゴールデンタイムに野球中継があるのが当たり前の時代だった。


歌詞に出て来るクロマティは、当時の巨人の助っ人外国人で、「3番クロマティ、4番原、5番吉村」のクリーンナップで、数々のミラクルを起こして来た。


クロマティは明るい性格で、ファンサービスにも長けていて、多くのファンを熱狂させていたものである・・・・・・。


また、前半の歌詞に登場する赤川次郎は、もはや説明するまでもなくミステリー作家で、私が中学生の頃には「三毛猫ホームズシリーズ」が、女子に大人気だった。


赤川さんは作家にありがちな難しい表現を使わず、若者にも読みやすい文体が人気だったのである・・・・・・。


そんな訳で今回は、「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」の「人の名前の羅列型の歌詞」について、いろいろと書いて来た。


そして次回は時代が変わっても、更に進化を続けて行く、「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」について書いてみたいと思っている・・・・・・。


(画像上、イチョウの木の下は黄色い絨毯が敷き詰められていた。画像下、じつはオオカマキリは低温に強い生き物だ。12月に入ってもまだ出会うことがある・・・・・・)

2022年1月 5日 (水)

「謎フレーズ探偵」一年イモ食って屁こいて ②

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前回から「一年イモ食って屁こいて」で始まる、学年の数え歌の調査を始めた。


で、今回はこの数え歌の様々なバリエーションをご紹介して行こうと思っているのだが、まずは前回ご紹介した、オーソドックスな歌詞のものをおさらいしておこうと思う。


それがこちらになる(↓)。


「学年の数え歌 A」

一年、イモ食って屁こいて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂道転がって、大事なチンポを擦りむいた
四年、夜中の大小便
五年、ゴリラのケツ洗い
六年、廊下に立たされて、そのうえ中学入れない


で、この数え歌は、地域や学年によっても、かなりバリエーションがあるそうなので、今回はその中からいくつかご紹介してみたいと思っている。


ちなみにここで言う「地域」とは、関東とか関西などの、広い範囲を示すものではなく、学区程度のごく狭い範囲を指している・・・・・・。


「学年の数え歌 B」

一年、イモ食って屁こいて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂から飛び降りて、そのうえチンポを擦りむいた
四年、夜中の大小便
五年、ゴリラのケツ掃除
六年、廊下に立たされて、そのうえ中学入れない


この「数え歌B」の歌詞は、「A」とたいへんよく似ているのだが、三年と五年の歌詞が「A」とは微妙に違っている。


「A」では「三年、坂道転がって」と歌われている所が、「B」では「三年、坂から飛び降りて」と歌われている。


「坂を飛び降りる」という表現はちょっと違和感があるので、歌詞としては「A」の「坂道転がって」がオリジナルなのかなぁという気がする。


また、「A」の「五年、ゴリラのケツ洗い」が、「B」では「五年、ゴリラのケツ掃除」になっているのだが、これも「ケツ掃除」という表現よりも、「ケツ洗い」の方が意味が通じてしっくり来ると思う。


どうでもいいが、なんで五年生になるとゴリラのケツを洗わなければならないのか・・・・・・。


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「学年の数え歌 C」

一年、いちいち叱られて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂から落っこちて、大事な金玉擦りむいた
四年、よろよろ酔っ払い
五年、ゴシゴシケツ洗い
六年、牢屋に入れられた


見ての通り、この「数え歌C」では、歌詞の大半の部分が、これまでご紹介して来たものとは違っている。


「数え歌C」の主人公は、一年生の時に「いちいち叱られて」いたところを見ると、悪ガキであることは容易に想像出来る。


そしてなんと四年生で早くも飲酒をしたらしく、「よろよろ酔っ払い」になってしまっている。


小学校四年生で飲酒とは、こりゃあ、ただ者ではないなと思っていたら、なんと六年生の時に何をしでかしたのか、「牢屋に入れられた」というから、もはや札付きのワルであることは間違いないだろう。


そしてこの「数え歌C」では、三年のフレーズが「坂から落っこちて」とあるのだが、「坂から落っこちる」という表現は、やはり違和感がありおかしい。


ということは、この「数え歌C」も恐らくオリジナルではないということだろう・・・・・・。


「学年の数え歌 D」

一年、一日えらい人
二年、肉屋の大泥棒
三年、散髪丸坊主
四年、ヨチヨチ幼稚園
五年、ゴリラのケツ洗い
六年、ろくろく、ろくでなし


この「数え歌D」も歌詞の大半が違う。


「数え歌D」の主人公は、一年生の時は優等生だったのに、三年生の時に何かやらかしたらしく、頭を丸坊主にして反省。


そして四年生の時に、また何か悪さをしたようで、「幼稚園からやり直して来い!」と怒られた様子。


また、五年生の時には、「ゴリラのケツ洗い」の奉仕活動に専念するも、その甲斐なく六年生でついに「ろくでなし」になってしまっている・・・・・・。


さて、今回は「学年の数え歌A~D」の、4つのバリエーションをご紹介して来たのだがいかがだったろうか。


私の感じでは歌詞に違和感がなく、ちゃんと意味が通じているということから、恐らく「A」が「学年の数え歌」のオリジナルだったのではないかと想像している。


そして今回の調査で1つ分かったことは、これら複数のバリエーション(紹介したものが全てではない)のどれを取って見ても、「二年肉屋の大泥棒」のフレーズだけは必ず採用されていたという事実だ。


前回の記事の冒頭あたりで触れた、「きんしかがやくにっぽんの」で始まるゴム飛び歌に、なぜかこのフレーズだけが使われていたのは、どうやらこんな理由があってのことのようだ。


そして次回はいよいよ大詰め、「学年の数え歌」の元歌に迫って行こうと思っている・・・・・・。


(画像上、寒くても咲いているイモカタバミの花。画像下、橙色に紅葉するイロハモミジ)



2021年12月30日 (木)

「謎フレーズ探偵」一年イモ食って屁こいて ①

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以前、「謎フレーズ探偵」の企画で、「きんしかがやくにっぽんの」で始まるゴム飛び歌について調査をしたことがあった。


で、このゴム飛び歌には、いくつかのバリエーションがあったのだが、その一例がこちらになる(↓)。


「ゴム飛び歌」

きんしかがやくにっぽんの
アジア、アメリカ、ヨーロッパ
パッパッパリアの新学期
にんにんにくやの大泥棒
教会の鐘が鳴ります、キンコンカン


そして、このゴム飛び歌の、「にんにんにくやの大泥棒」というフレーズについて調査をしていた時、この一節は当時流行っていた、「数え歌」のワンフレーズだということが判明した。


で、記事ではその数え歌がどんなものであったか、その一例をご紹介しているのだが、それがこちらになる(↓)。


「数え歌」

一年、イモ食って屁こいて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂道転がって
四年、夜中に大小便
五年、ゴリラのケツ洗い
六年、廊下に立たされた


そしてこの時わたしは、この数え歌のあまりにバカバカしい歌詞がなんだかとっても気になっていたのだった・・・・・・。


ところが調査中の「ゴム飛び歌」に、「数え歌」が関係していたのは、「二年、肉屋の大泥棒」のたったワンフレーズだけだった。


このため、本題から大きくそれてしまうということもあって、この数え歌については特に詳しく調査をすることはしなかった。


しかし、その後もずっと気になっていたことには変わりがなく、機会があったらぜひとも詳しく調査をしてみたいと思っていた。


そこで今回ようやく本腰を入れて、調査をしてみることにしたという訳だ・・・・・・。


ところが「ゴム飛び歌」の調査の際に偶然分かったことなのだが、この「数え歌」はどうも私よりも少し年齢が上の人たちが小学生の頃に、流行っていた歌のようなのだ。


現実に私はこの「数え歌」は知らなかった。


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ということは、私の友人知人のネットワークだけでは、ちょっと心もとないということで、今回も「レインボーマンの替え歌」や、「ハゲの数え歌」の調査の時に、大変お世話になったAさんを頼ることにした。


で、Aさんにこの話を持って行く時に、「ゴム飛び歌」の調査の際に調べてあった、前述の「数え歌」のメモを持参して行き、見てもらうことにした。


するとAさんはメモを見るなり、「ああ、これか、知ってるよ。でもこれ、ちょっと歌詞が抜けてるな」と言って、すぐに歌詞をサラサラっと書き加えてくれた。


どうやら前回調査したものは、「完全版」ではなかったようなのだ。


で、Aさんが歌詞を書き加えてくれた完全版がこちらになる(↓)。


「学年の数え歌 A」

一年、イモ食って屁こいて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂道転がって、大事なチンポをすりむいた
四年、夜中の大小便
五年、ゴリラのケツ洗い
六年、廊下に立たされて、そのうえ中学入れない


どうやら三年と六年のフレーズには、後半の歌詞が存在していたということらしい・・・・・・。


また、Aさんが言うには、この数え歌は地域や学年によっても、かなりバリエーションがあるそうなのだ。


Aさんは中学に進学した際に、同級生が自分の知っていた歌詞とは違う歌詞で、この数え歌を歌っているのを聴いて、たいへん驚いたことを覚えているという。


そう言われてみれば、中学になると、より広い範囲から生徒が集まって来るようになるため、小学校の時とは違って、入って来る情報量が一気に増えて、本件に限らず、このようなことがよく起きていたように思う・・・・・・。


で、今回もAさんがメールや電話を駆使して、あちこちから情報を集めて来てくれたので、次回から本格的に調査を始めたいと思っている。


Aさんいつもありがとうございます。


それにしても、こんなマイナーな話題まで、ちゃんと引っ掛かって来るAさんの情報網は本当にすごいとしか言いようがない。


いったい世の中のどこまで張り巡らされているのだろうか。


うちのベランダに小さな網を張っているジョロウグモも、きっと羨ましがっているに違いない・・・・・・。


(画像上、ドウダンツツジの紅葉。画像下、寒空の下で咲くボケの花)




2021年11月30日 (火)

学校のストーブ

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現在では学校にも空調設備が完備され、エアコンを使用することで、四季を通して快適に過ごすことが出来るようになった。


しかし、私が学生の頃は、夏は教室の窓を開けて自然の風で涼み、冬は教室に大きなストーブを設置することで暖を取っていた。


早い話が室内とはいえ、夏は暑く、冬は寒かったのである・・・・・・。


で、今の季節はストーブが登場することになる訳だ。


今ではもう教室にストーブが置かれている学校なんてないのだろうが、私が小学生のころ教室に置かれていたストーブは、円筒形のとても大きなものだった。


こんな形のストーブはお店では見たことがなかったので、恐らく学校などの施設専用に作られたものなのだろう。


教室に置かれていたストーブは黒い円筒形をしていて、まるで太い丸太を切り出して、それを立てて置いてあるような印象だった。


家庭用のストーブと違うのは、本体の形状だけではなかった。


ストーブの側面からは、長い銀色の煙突が天井に向かって真っすぐに伸びていたのだ。


煙突は天井近くまで伸びてから、急に直角に曲がり、窓の上の壁に開けられた丸い穴から外へ出ていた。


このためストーブは、教室の前方の窓際にスペースが作られ設置されていた。


そしてストーブの周辺には、床にビニールテープが四角く貼られて、その枠に沿って金属の柵が設置されていた。


これは言うまでもなく、「危険だからこれ以上は近付くな!」という意味である。


小学生の頃というのは、友達同士ふざけ合って、机や壁に激突しているやつがしょっちゅういたので、もしこの柵がなかったら、大惨事になっていた可能性も無きにしも非ずである。


というのも、当時学校にあったストーブは、一度火を入れると、ストーブ本体のどこを触っても、火傷をするほど熱くなっていた。


もし、ふざけてバランスを崩して手でも付いたら、まず間違いなく病院送りである。


また、ストーブには大きな丸いやかんが常に置かれていて、まるで蒸気機関車のように、絶え間なく湯気を上げていた。


もし、ストーブに激突でもしたら、この煮えたぎったお湯も、きっと全身で受け止めることになっただろう。


もはや病院送りどころか、命に関わる話である。


いま考えると、当時はよくこんな危険なものを、教室に置くことが許可されていたものである。


いまだったら、危険性云々よりも、消防法にひっかかり、初めから設置すること自体、出来ないのではないだろうか。


当時は他に部屋を暖める手段がなかったと言えばそれまでだが、ストーブが危険物なら小学生だってある意味危険物だったのだ。


いや、ストーブより危険だったと言えなくもない。


そんな危険なもの同士を同じリングに上げて、一度も事故が起こらなかったというのは、もはや奇跡としか言いようのないことである・・・・・・。


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小学生の頃、席替えがある時は、窓側の席が特に人気だった。


なぜかというと、夏は窓から入って来る風が心地よく、冬はストーブに近かったので、暖かかったからである。


ところが夏はまあいいとして、冬場に関してはちょっと注意が必要だった。


教室に設置されていたストーブは、大きくて火力も強かったので、ストーブの真ん前の席になってしまうと、寒くはないが逆に熱かったのだ。


しかもそれは、「ちょっと熱いかな~」というレベルを優に超えて、密教の護摩行をしながら授業を受けているような状態と言っても過言ではなかった。


このためストーブの前の席の者は、いつも鬼のように赤い顔をしていて、うつろな目をしながら、黒板の文字をノートに書き写していた。


ある日、ストーブの前の席のKくんが、授業が終わった後、ノートを持ったまま、廊下に「ボー」っと立ち尽くしていたことがあった。


みんなが心配して、「どうしたのか?」と聞いたところ、真っ赤な顔をしながら、「なんだか頭がボーっとしちゃって」と言いつつ、フラフラと歩き出し、流し台まで行って、水道の水を狂ったようにガブガブ飲み始めた。


そしてその時に、「ちょっと持ってて」と手渡されたノートには、社会科の授業を受けていたはずなのに、なぜか数字とアルファベットの、見たこともない暗号のようなものがびっしりと書かれていて、みんなで顔を見合わせてゾッとしたのを覚えている。


いま考えると、あれって数学の公式だったんじゃないかと思うのだが、小学校低学年でそんな難解な公式を知っているはずはない。


いまとなっては確かめようもないが、あの時Kくんはいったいどこにトリップしていたのだろう。


そしてあの時ほど、「教室のストーブ恐るべし」と思ったことはなかった・・・・・・。


(画像上、トウカエデは都市部でも綺麗に紅葉する樹木だ。画像下、晩秋から初冬にかけて咲くヒイラギの花)


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