カテゴリー「紅葉」の記事

2022年12月19日 (月)

おにぎり村

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1970~1980年代には、「自然豊かな日本の原風景」を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


そのほとんどは、現在ではもう発売されていないが、明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は根強い人気で、現在でも継続して販売されている。


当時わたしは、それらのお菓子の世界観になぜかとても惹かれ、新しいパッケージを見つけるたびに、親に買って欲しいとねだっていたものである。


1981(昭和56)年にロッテから発売になった「おにぎり村」もその中の一つで、他社のお菓子とは違う、おにぎりの形をしたビジュアルがとても斬新に感じたのを覚えている。


おにぎり村のパッケージイラストには、茅葺き屋根の古民家が描かれていて、その背景には緑の雑木林と、その奥に小高い茶色い山が3つ描かれていた。


そして抜けるような青空には、スズメが2羽舞うように飛んでいた。


で、パッケージの右側には、おにぎり村のお菓子のイラストが描かれているのだが、その様子はどう見てもおにぎりには見えなかった。


一応、形だけは、三角形のおにぎりの形をしているのだが、パッケージのイラストを見る限り、ご飯や海苔の姿はどこにも見当たらず、なんだか「いなり寿司」のような見た目をしていた。


そしてパッケージのイラストをさらに詳しく見ていくと、油揚げ(ではないのだが・・・)に包まれているのはご飯ではなくて、どうもピーナッツ入りのチョコレートのようだった。


そのイラストを見てしまうと、「おにぎりじゃないじゃん」と、思わず口走りそうになるのだが、これはお菓子屋の店頭に並べられているお菓子なので、当然と言えば当然の話である。


じつはいなり寿司の油揚げのように見えていたのは最中(もなか)の皮で、この中にピーナッツ入りのチョコレートが入っていたのである・・・・・・。


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で、ロッテではチョコレート菓子の「おにぎり村」の姉妹商品として、1981(昭和56)年にアイス版の「おにぎり村」も発売している。


アイス版の「おにぎり村」は、なんとパッケージまで三角形のおにぎりの形をしていて、お店のアイスクリームケースの中でひときわ目立っていたのを覚えている。


そしてアイス版の「おにぎり村」は、日本昔話風のテレビCMがとても印象的だった。


CMでは茅葺き屋根の古民家に住む少年が、囲炉裏の前でおにぎりをにぎっている。


そして庭にはエサをついばむ放し飼いのニワトリの姿がある。


この映像のバックには、「親孝行の子供がおにぎりを畑に届けた」という昔話風のナレーションが流れている。


そして場面は畑のシーンに切り替わり、ほっかむりをした少年の父親の姿が映し出される。


どうでもいいが、少年は頭頂部が尖ったおにぎり型の頭をしているのに、なぜかその父親は顎の方が尖った逆三角形の頭部をしている。


これで本当に親子なのかと疑問に感じるところだが、父親がほっかむりを取ると、なんと子供と同じ頭頂部の尖った三角形の頭に「ぷるんっ!」と戻って行くのだ。


「いったいどんな頭の構造をしているんだよ!」とひと言つっこんでやりたくなる。


そして父親は届けてもらったおにぎりを、「おお、うまそうじゃ。中はアイスかの~」と言って食べ始める。


「え?少年は確かおひつの中から、温かいご飯を取り出しておにぎりをにぎっていたよね?」という気がしないでもないが、CMはそんな視聴者の疑問を一切無視してどんどん進んで行く。


そして場面は引きの映像に切り替わり、父親がおにぎりをうっかり地面に落としてしまい、おにぎりが坂をコロコロと転がり始める。


「あれ、確か平らな畑でおにぎりを食べていたはずなのに・・・?」という気がしないでもないが、CMはそんな視聴者の疑問を一切無視して、「ロッテアイスおにぎり村」という締めくくりのナレーションと共に強制終了することになる・・・・・・。


で、このアイス版おにぎり村だが、CMで少年の父親が「中はアイスかの~」と言っていた通り、三角のおにぎりの形をした最中(もなか)の中には、バニラアイスがぎっしりと入っていた。


パッケージのイラストを見ると、チョコレート菓子のおにぎり村と同様に、まるで三角形のいなり寿司のようなものが描かれているのだが、イラストでは先端がカットされていて、中身が見えるようになっていた。


それを見ると中身はまるで本当のおにぎりのように見える。


そしてその中央には、おにぎりの具材の梅干しのようなものまで描かれていたのだが、ほとんどの人はこれを見て、「これはイメージだろう」と思っていたと思う。


ところが実際に商品を買って、アイス版おにぎり村を食べてみると、アイスの中央には梅干しに見立てたイチゴジャムが入っていて、断面だけはまるで本物のおにぎりのように見えて、当時の子供たちは大喜びだったのである。


そんな訳でお菓子(おにぎり)そのものの完成度という意味では、アイス版おにぎり村の圧勝といえるだろう・・・・・・。


(画像上、初冬の公園のベンチでは人ではなく銀杏が休憩中。画像下、越冬中のアカスジキンカメムシが「こんにちは!」・・・・・・)


2022年12月13日 (火)

「謎フレーズ探偵」ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 ④

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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」

やめてよして触らないで
垢がつくから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


これは多くの人の記憶に残る、オーソドックスな歌詞の「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」だ。


そして前回はこの基本の歌詞から大きく変化した、「人の名前の羅列型の歌詞」についてご紹介をした。
その一例がこちらになる(↓)。


「人の名前の羅列型の歌詞」

やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
フランシスコザビエル
顔は志村けん


で、この「人の名前の羅列型の歌詞」は、私が学生時代を過ごした昭和50~60年代以降も、時代ごとに少しずつ歌詞を変えながら、小中学生の間で代々歌い継がれて行ったらしいのだ。


そこで今回は、私が小中学生の頃には聞いたことがなかった歌詞のものを、いくつかご紹介してみたいと思っている・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 J」

やめてよしこ沢田研二
赤川次郎
あんたなんか志村けん
顔はペプシマン


前回も書いた通り、「人の名前の羅列型の歌詞」は、前半の歌詞が「やめてよしこ 沢田研二 赤川次郎」と歌われるものが基本形になる。


これは元の替え歌の、「やめてよして触らないで垢がつくから」の「音」に合わせた歌詞の置き換えである。


そして今回注目すべきは、後半の歌詞の「あんたなんか志村けん顔はペプシマン」だ。


「志村けん」の部分については、私が小中学生の頃にも歌われていたので、伝統を引き継いだ形になるのだが、最後の「ペプシマン」については、当時は聞いたことがなかった。


というのも、「ペプシマン」自体がまだ世に出ていなかったのである。


ちなみに「ペプシマン」とはペプシコーラのCMキャラクターとして日本で発案され、1996(平成8)年3月からテレビCMに登場している。


ペプシマンは全身銀色のメタリックボディで、顔はツルツルでのっぺらぼうである。


だから歌詞Jでは、「あんたなんか志村けん」みたいだと言っているのに、「顔はペプシマン」と意味不明なことを言っていることになる・・・・・・。


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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 K」

やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
あんたなんかペプシマン
顔は清原


先ほども書いた通り、「人の名前の羅列型の歌詞」は、「やめてよしこ 沢田研二 赤川次郎」と歌われるのが基本形である。


これは元の替え歌から、「やめてよして→やめてよしこ」、「触らないで→沢田研二」、「垢がつくから→赤川次郎」と、音を合わせて歌詞が置き換えられていることからも明らかだ。


では、この夏目漱石バージョンはなんなのかというと、前半の歌詞がそのような理由によるものだと知らずに、ただ、人の名前を並べればいいだけだと思い込んだ当時の子供が、勝手にそのようにアレンジしてしまい、それが自然に広まって行ったものと思われる・・・・・・。


で、後半の歌詞だが、「あんたなんかペプシマン 顔は清原」と歌われている。


まず、「あんたなんかペプシマン」だが、ペプシマンはちょっとおまぬけなキャラクターなので、「あなたはペプシマンみたいに間抜けである」ということを言いたいのだろう。


そして「顔は清原」だが、これは言うまでもなく、元プロ野球選手の清原和博さんのことだろう。


清原さんは1983(昭和58)年4月から1986(昭和61)年3月までPL学園高校に在籍していた。


PL学園は甲子園の常連校だったこともあり、その当時から清原さんは一般に広く顔を知られていた。


しかし、歌詞にはペプシマンが登場していることから、ここで歌われている「顔は清原」は、高校時代のことを指しているのではなく、プロ入り後ということになるのだろう。


先ほども書いた通り、ペプシマンのデビューは1996(平成8)年のことである。


で、「あんたなんかペプシマン 顔は清原」の意味についてだが、「あなたはペプシマンみたいに間抜けで、顔は清原にそっくりである」という、なんだか褒めているんだか、けなしているんだか、よく分からない話になってしまっている・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 L」

やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
あんたなんか波平
顔はペプシマン


まず、「なぜ、主人公のサザエさんではなく波平なのか?」という疑問があるかと思うが、これについては、もともとこの歌は女子が男子に向けてうたう歌だからだ。


男子に向けて「あんたなんかサザエさん」というのは、ちょっとおかしいだろう。


そして見た目のインパクトも、サザエさんより波平の方が大きいし、歌われた男子の精神的ダメージは、きっとそれ以上のものがあるだろう。


そして注目すべきは、ここでも「ペプシマン」なのである。


どうやら1990年代は子供たちの間で、ペプシマンがブレイクしていたようである・・・・・・。


さて、4回に渡って書いて来た「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」だがいかがだったろうか。


今回、追いかけることが出来たのは、1990年代までだったが、もしかしたらこの替え歌は、その後も少しずつ進化しながら、歌い継がれているのかもしれない。


また、新たにその辺のことが分かったら、続きを書いてみたいと思っている・・・・・・。


(画像上、サザンカの花が見ごろになった。画像下、この時期の里山の林縁はカラフルな紅葉の道になっている・・・・・・)


 

2022年12月 7日 (水)

「謎フレーズ探偵」ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 ③

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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」

やめてよして触らないで
垢がつくから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)


これは多くの人の記憶に残る、オーソドックスな歌詞のビビディ・バビディ・ブーの替え歌だ。


そしてビビディ・バビディ・ブーの替え歌は、この基本の構成を少しずつ崩しながら、歌詞が変化して行くことになる。


これについては前回書かせてもらった通りである。


そして最終的にはもともとの替え歌の趣旨が分からなくなるほど、歌詞が変化してしまう。


という訳で今回は、当時の小中学生クリエーターの手によって、究極の形へと進化して行く歌詞について、ご紹介して行きたいと思っている・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 G」

やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
フランシスコザビエル
顔は志村けん


「あれ?」と思われたかたも少なくないだろう。


何しろ歌詞Gでは元の替え歌の原形をほとんど留めていない。


恐らく人の名前だけを羅列しているこの歌詞を見ても、元の替え歌がなんなのか思い当たる人は少ないのではないか。


しかし、「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」を聞き取り調査していると、このような「人の名前の羅列型の歌詞」は、じつは意外にも一定数出て来るのである・・・・・・。


「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 H」

やめてよしこ沢田研二
赤川次郎
あんたなんかザビエル
チビでハゲでブー


「人の名前の羅列型の歌詞」には、歌詞の前半部分が大きく2つのバリエーションに分かれる。


1つは歌詞Gにあったような、「やめてよしこ 沢田研二 夏目漱石」、そしてもう1つは、この歌詞Hにあるような、「やめてよしこ 沢田研二 赤川次郎」である。


元の替え歌は、「やめてよして 触らないで 垢がつくから」と歌われているところをみると、「人の名前の羅列型の歌詞」の元になったのは、恐らく後者であると思われる。


なぜなら、「やめてよして→やめてよしこ」、「触らないで→沢田研二」、「垢がつくから→赤川次郎」と、置き換えられたと思われるからだ。


「人の名前の羅列型の歌詞」は、何も考えずにただ人の名前を並べただけと思われがちだが、じつはちゃんと元の歌詞の「音」を意識して作られているのである・・・・・・。


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「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 I」

やめてよしこ沢田研二
赤川次郎
あんたなんかドラえもん
顔はクロマティ


この歌詞Iは私が小中学生の頃の時代背景をよく表している。


当時ドラえもんは春休みや夏休み、年末年始など、一年の区切り区切りで、2~3時間番組が放送されるぐらい、子供たちに大人気のアニメ作品だった(今も人気だが・・・)。


新聞のテレビ欄に出ていた、「春だ!一番ドラえもん祭り!」や「大晦日だよ!ドラえもん!」のタイトルが懐かしく思い出される・・・・・・。


また、当時はゴールデンタイムに野球中継があるのが当たり前の時代だった。


歌詞に出て来るクロマティは、当時の巨人の助っ人外国人で、「3番クロマティ、4番原、5番吉村」のクリーンナップで、数々のミラクルを起こして来た。


クロマティは明るい性格で、ファンサービスにも長けていて、多くのファンを熱狂させていたものである・・・・・・。


また、前半の歌詞に登場する赤川次郎は、もはや説明するまでもなくミステリー作家で、私が中学生の頃には「三毛猫ホームズシリーズ」が、女子に大人気だった。


赤川さんは作家にありがちな難しい表現を使わず、若者にも読みやすい文体が人気だったのである・・・・・・。


そんな訳で今回は、「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」の「人の名前の羅列型の歌詞」について、いろいろと書いて来た。


そして次回は時代が変わっても、更に進化を続けて行く、「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」について書いてみたいと思っている・・・・・・。


(画像上、イチョウの木の下は黄色い絨毯が敷き詰められていた。画像下、じつはオオカマキリは低温に強い生き物だ。12月に入ってもまだ出会うことがある・・・・・・)

2022年1月 5日 (水)

「謎フレーズ探偵」一年イモ食って屁こいて ②

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前回から「一年イモ食って屁こいて」で始まる、学年の数え歌の調査を始めた。


で、今回はこの数え歌の様々なバリエーションをご紹介して行こうと思っているのだが、まずは前回ご紹介した、オーソドックスな歌詞のものをおさらいしておこうと思う。


それがこちらになる(↓)。


「学年の数え歌 A」

一年、イモ食って屁こいて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂道転がって、大事なチンポを擦りむいた
四年、夜中の大小便
五年、ゴリラのケツ洗い
六年、廊下に立たされて、そのうえ中学入れない


で、この数え歌は、地域や学年によっても、かなりバリエーションがあるそうなので、今回はその中からいくつかご紹介してみたいと思っている。


ちなみにここで言う「地域」とは、関東とか関西などの、広い範囲を示すものではなく、学区程度のごく狭い範囲を指している・・・・・・。


「学年の数え歌 B」

一年、イモ食って屁こいて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂から飛び降りて、そのうえチンポを擦りむいた
四年、夜中の大小便
五年、ゴリラのケツ掃除
六年、廊下に立たされて、そのうえ中学入れない


この「数え歌B」の歌詞は、「A」とたいへんよく似ているのだが、三年と五年の歌詞が「A」とは微妙に違っている。


「A」では「三年、坂道転がって」と歌われている所が、「B」では「三年、坂から飛び降りて」と歌われている。


「坂を飛び降りる」という表現はちょっと違和感があるので、歌詞としては「A」の「坂道転がって」がオリジナルなのかなぁという気がする。


また、「A」の「五年、ゴリラのケツ洗い」が、「B」では「五年、ゴリラのケツ掃除」になっているのだが、これも「ケツ掃除」という表現よりも、「ケツ洗い」の方が意味が通じてしっくり来ると思う。


どうでもいいが、なんで五年生になるとゴリラのケツを洗わなければならないのか・・・・・・。


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「学年の数え歌 C」

一年、いちいち叱られて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂から落っこちて、大事な金玉擦りむいた
四年、よろよろ酔っ払い
五年、ゴシゴシケツ洗い
六年、牢屋に入れられた


見ての通り、この「数え歌C」では、歌詞の大半の部分が、これまでご紹介して来たものとは違っている。


「数え歌C」の主人公は、一年生の時に「いちいち叱られて」いたところを見ると、悪ガキであることは容易に想像出来る。


そしてなんと四年生で早くも飲酒をしたらしく、「よろよろ酔っ払い」になってしまっている。


小学校四年生で飲酒とは、こりゃあ、ただ者ではないなと思っていたら、なんと六年生の時に何をしでかしたのか、「牢屋に入れられた」というから、もはや札付きのワルであることは間違いないだろう。


そしてこの「数え歌C」では、三年のフレーズが「坂から落っこちて」とあるのだが、「坂から落っこちる」という表現は、やはり違和感がありおかしい。


ということは、この「数え歌C」も恐らくオリジナルではないということだろう・・・・・・。


「学年の数え歌 D」

一年、一日えらい人
二年、肉屋の大泥棒
三年、散髪丸坊主
四年、ヨチヨチ幼稚園
五年、ゴリラのケツ洗い
六年、ろくろく、ろくでなし


この「数え歌D」も歌詞の大半が違う。


「数え歌D」の主人公は、一年生の時は優等生だったのに、三年生の時に何かやらかしたらしく、頭を丸坊主にして反省。


そして四年生の時に、また何か悪さをしたようで、「幼稚園からやり直して来い!」と怒られた様子。


また、五年生の時には、「ゴリラのケツ洗い」の奉仕活動に専念するも、その甲斐なく六年生でついに「ろくでなし」になってしまっている・・・・・・。


さて、今回は「学年の数え歌A~D」の、4つのバリエーションをご紹介して来たのだがいかがだったろうか。


私の感じでは歌詞に違和感がなく、ちゃんと意味が通じているということから、恐らく「A」が「学年の数え歌」のオリジナルだったのではないかと想像している。


そして今回の調査で1つ分かったことは、これら複数のバリエーション(紹介したものが全てではない)のどれを取って見ても、「二年肉屋の大泥棒」のフレーズだけは必ず採用されていたという事実だ。


前回の記事の冒頭あたりで触れた、「きんしかがやくにっぽんの」で始まるゴム飛び歌に、なぜかこのフレーズだけが使われていたのは、どうやらこんな理由があってのことのようだ。


そして次回はいよいよ大詰め、「学年の数え歌」の元歌に迫って行こうと思っている・・・・・・。


(画像上、寒くても咲いているイモカタバミの花。画像下、橙色に紅葉するイロハモミジ)



2021年12月30日 (木)

「謎フレーズ探偵」一年イモ食って屁こいて ①

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以前、「謎フレーズ探偵」の企画で、「きんしかがやくにっぽんの」で始まるゴム飛び歌について調査をしたことがあった。


で、このゴム飛び歌には、いくつかのバリエーションがあったのだが、その一例がこちらになる(↓)。


「ゴム飛び歌」

きんしかがやくにっぽんの
アジア、アメリカ、ヨーロッパ
パッパッパリアの新学期
にんにんにくやの大泥棒
教会の鐘が鳴ります、キンコンカン


そして、このゴム飛び歌の、「にんにんにくやの大泥棒」というフレーズについて調査をしていた時、この一節は当時流行っていた、「数え歌」のワンフレーズだということが判明した。


で、記事ではその数え歌がどんなものであったか、その一例をご紹介しているのだが、それがこちらになる(↓)。


「数え歌」

一年、イモ食って屁こいて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂道転がって
四年、夜中に大小便
五年、ゴリラのケツ洗い
六年、廊下に立たされた


そしてこの時わたしは、この数え歌のあまりにバカバカしい歌詞がなんだかとっても気になっていたのだった・・・・・・。


ところが調査中の「ゴム飛び歌」に、「数え歌」が関係していたのは、「二年、肉屋の大泥棒」のたったワンフレーズだけだった。


このため、本題から大きくそれてしまうということもあって、この数え歌については特に詳しく調査をすることはしなかった。


しかし、その後もずっと気になっていたことには変わりがなく、機会があったらぜひとも詳しく調査をしてみたいと思っていた。


そこで今回ようやく本腰を入れて、調査をしてみることにしたという訳だ・・・・・・。


ところが「ゴム飛び歌」の調査の際に偶然分かったことなのだが、この「数え歌」はどうも私よりも少し年齢が上の人たちが小学生の頃に、流行っていた歌のようなのだ。


現実に私はこの「数え歌」は知らなかった。


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ということは、私の友人知人のネットワークだけでは、ちょっと心もとないということで、今回も「レインボーマンの替え歌」や、「ハゲの数え歌」の調査の時に、大変お世話になったAさんを頼ることにした。


で、Aさんにこの話を持って行く時に、「ゴム飛び歌」の調査の際に調べてあった、前述の「数え歌」のメモを持参して行き、見てもらうことにした。


するとAさんはメモを見るなり、「ああ、これか、知ってるよ。でもこれ、ちょっと歌詞が抜けてるな」と言って、すぐに歌詞をサラサラっと書き加えてくれた。


どうやら前回調査したものは、「完全版」ではなかったようなのだ。


で、Aさんが歌詞を書き加えてくれた完全版がこちらになる(↓)。


「学年の数え歌 A」

一年、イモ食って屁こいて
二年、肉屋の大泥棒
三年、坂道転がって、大事なチンポをすりむいた
四年、夜中の大小便
五年、ゴリラのケツ洗い
六年、廊下に立たされて、そのうえ中学入れない


どうやら三年と六年のフレーズには、後半の歌詞が存在していたということらしい・・・・・・。


また、Aさんが言うには、この数え歌は地域や学年によっても、かなりバリエーションがあるそうなのだ。


Aさんは中学に進学した際に、同級生が自分の知っていた歌詞とは違う歌詞で、この数え歌を歌っているのを聴いて、たいへん驚いたことを覚えているという。


そう言われてみれば、中学になると、より広い範囲から生徒が集まって来るようになるため、小学校の時とは違って、入って来る情報量が一気に増えて、本件に限らず、このようなことがよく起きていたように思う・・・・・・。


で、今回もAさんがメールや電話を駆使して、あちこちから情報を集めて来てくれたので、次回から本格的に調査を始めたいと思っている。


Aさんいつもありがとうございます。


それにしても、こんなマイナーな話題まで、ちゃんと引っ掛かって来るAさんの情報網は本当にすごいとしか言いようがない。


いったい世の中のどこまで張り巡らされているのだろうか。


うちのベランダに小さな網を張っているジョロウグモも、きっと羨ましがっているに違いない・・・・・・。


(画像上、ドウダンツツジの紅葉。画像下、寒空の下で咲くボケの花)




2021年11月30日 (火)

学校のストーブ

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現在では学校にも空調設備が完備され、エアコンを使用することで、四季を通して快適に過ごすことが出来るようになった。


しかし、私が学生の頃は、夏は教室の窓を開けて自然の風で涼み、冬は教室に大きなストーブを設置することで暖を取っていた。


早い話が室内とはいえ、夏は暑く、冬は寒かったのである・・・・・・。


で、今の季節はストーブが登場することになる訳だ。


今ではもう教室にストーブが置かれている学校なんてないのだろうが、私が小学生のころ教室に置かれていたストーブは、円筒形のとても大きなものだった。


こんな形のストーブはお店では見たことがなかったので、恐らく学校などの施設専用に作られたものなのだろう。


教室に置かれていたストーブは黒い円筒形をしていて、まるで太い丸太を切り出して、それを立てて置いてあるような印象だった。


家庭用のストーブと違うのは、本体の形状だけではなかった。


ストーブの側面からは、長い銀色の煙突が天井に向かって真っすぐに伸びていたのだ。


煙突は天井近くまで伸びてから、急に直角に曲がり、窓の上の壁に開けられた丸い穴から外へ出ていた。


このためストーブは、教室の前方の窓際にスペースが作られ設置されていた。


そしてストーブの周辺には、床にビニールテープが四角く貼られて、その枠に沿って金属の柵が設置されていた。


これは言うまでもなく、「危険だからこれ以上は近付くな!」という意味である。


小学生の頃というのは、友達同士ふざけ合って、机や壁に激突しているやつがしょっちゅういたので、もしこの柵がなかったら、大惨事になっていた可能性も無きにしも非ずである。


というのも、当時学校にあったストーブは、一度火を入れると、ストーブ本体のどこを触っても、火傷をするほど熱くなっていた。


もし、ふざけてバランスを崩して手でも付いたら、まず間違いなく病院送りである。


また、ストーブには大きな丸いやかんが常に置かれていて、まるで蒸気機関車のように、絶え間なく湯気を上げていた。


もし、ストーブに激突でもしたら、この煮えたぎったお湯も、きっと全身で受け止めることになっただろう。


もはや病院送りどころか、命に関わる話である。


いま考えると、当時はよくこんな危険なものを、教室に置くことが許可されていたものである。


いまだったら、危険性云々よりも、消防法にひっかかり、初めから設置すること自体、出来ないのではないだろうか。


当時は他に部屋を暖める手段がなかったと言えばそれまでだが、ストーブが危険物なら小学生だってある意味危険物だったのだ。


いや、ストーブより危険だったと言えなくもない。


そんな危険なもの同士を同じリングに上げて、一度も事故が起こらなかったというのは、もはや奇跡としか言いようのないことである・・・・・・。


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小学生の頃、席替えがある時は、窓側の席が特に人気だった。


なぜかというと、夏は窓から入って来る風が心地よく、冬はストーブに近かったので、暖かかったからである。


ところが夏はまあいいとして、冬場に関してはちょっと注意が必要だった。


教室に設置されていたストーブは、大きくて火力も強かったので、ストーブの真ん前の席になってしまうと、寒くはないが逆に熱かったのだ。


しかもそれは、「ちょっと熱いかな~」というレベルを優に超えて、密教の護摩行をしながら授業を受けているような状態と言っても過言ではなかった。


このためストーブの前の席の者は、いつも鬼のように赤い顔をしていて、うつろな目をしながら、黒板の文字をノートに書き写していた。


ある日、ストーブの前の席のKくんが、授業が終わった後、ノートを持ったまま、廊下に「ボー」っと立ち尽くしていたことがあった。


みんなが心配して、「どうしたのか?」と聞いたところ、真っ赤な顔をしながら、「なんだか頭がボーっとしちゃって」と言いつつ、フラフラと歩き出し、流し台まで行って、水道の水を狂ったようにガブガブ飲み始めた。


そしてその時に、「ちょっと持ってて」と手渡されたノートには、社会科の授業を受けていたはずなのに、なぜか数字とアルファベットの、見たこともない暗号のようなものがびっしりと書かれていて、みんなで顔を見合わせてゾッとしたのを覚えている。


いま考えると、あれって数学の公式だったんじゃないかと思うのだが、小学校低学年でそんな難解な公式を知っているはずはない。


いまとなっては確かめようもないが、あの時Kくんはいったいどこにトリップしていたのだろう。


そしてあの時ほど、「教室のストーブ恐るべし」と思ったことはなかった・・・・・・。


(画像上、トウカエデは都市部でも綺麗に紅葉する樹木だ。画像下、晩秋から初冬にかけて咲くヒイラギの花)


2021年11月24日 (水)

「謎フレーズ探偵」ハゲの数え歌 ③

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前回までの調査で、「ハゲの数え歌」にはどうやら2つの系統があることが分かった。


で、今回はいよいよ、「ハゲの数え歌」の元歌を探って行こうという訳なのだが、その前に「ハゲの数え歌」の2つの系統について、ちょっとおさらいをしておこうと思う。


「ハゲの数え歌 ①」

ひとつふたつはいいけれど
みっつ、三日月ハゲがある
よっつ、横ちょにハゲがある
いつつ、いつでもハゲがある
むっつ、向こうにハゲがある
ななつ、ななめにハゲがある
やっつ、やっぱりハゲがある
ここのつ、ここにもハゲがある
とうで、とうとうつるっぱげ


「ハゲの数え歌 ②」

ひとつ、人よりハゲがある
ふたつ、不思議なハゲがある
みっつ、三日月ハゲがある
よっつ、横にもハゲがある
いつつ、いつでもハゲがある
むっつ、向こうにハゲがある
ななつ、ななめにハゲがある
やっつ、やっぱりハゲがある
ここのつ、ここにもハゲがある
とうで、とうとうつるっぱげ


ここでは、「ハゲの数え歌」の2つの系統の、最もオーソドックスと思われる歌詞のものを、それぞれ1つずつご紹介した。


「ハゲの数え歌 ①」と「ハゲの数え歌 ②」の違いは、①では冒頭の歌詞が、「ひとつふたつはいいけれど」と歌われているのに対して、②では「ひとつ」と「ふたつ」にも、それぞれ歌詞が割り当てられているところである。

とはいうものの、このオーソドックスなものに関しては、歌詞は見ての通り、どちらもほとんどいっしょで、普通に考えたらこれはどちらも1つの元歌から派生して行ったと考えるのが自然なのではないだろうか。


ところが調べてみると、どうもそんな単純な話ではないようなのだ。


そんな訳で、まずは「ハゲの数え歌 ①」の元歌について探って行きたいと思う・・・・・・。


じつは今回、「ハゲの数え歌 ①」について、色々な人に聞き込みをしていた時、元歌についても知らないものかと、必ずセットで質問をさせてもらっていたのだが、それらしいことを知っていたのは、期待に反して、たった2人だけだった。


で、元歌の詳細まで知っていたのは、このうちの1人だけで、その1人というのが、「レインボーマンの替え歌」の調査の時に、情報提供をして下さったAさんだったのだ・・・・・・。


Aさんはあっさり、「(ハゲの数え歌①の)出所はドリフだよ」と教えてくれた。


Aさんの話によるとハゲの数え歌は、「8時だョ!全員集合!」の「少年少女合唱隊」というコーナーで、ネタとして披露された歌だったらしい。


「ハゲの数え歌」が小学校で流行っていたことは、なんとなくだが覚えている。


そして、「8時だョ!全員集合!」も当時は毎週かかさず見ていた。


しかし番組の中で、「ハゲの数え歌」が歌われていたのは、私はちょっと記憶にない。


そこでそのことをAさんに伝えると、「ハゲの数え歌はドリフに荒井注がいた頃のネタだから、くろねこくん(私のこと)は知らない世代なんだろう」とのことだった。


確かに私は荒井注さんが、ドリフターズの元メンバーだったということは、大人になるまで知らなかった。


更にAさんは、「ハゲの数え歌は、荒井注がいなければ、決して成立しないネタだったんだよ」とも言う。


じつは当時、荒井注さんはハゲキャラとしてコントでネタにされることが多かったそうなのだ・・・・・・。


そして驚いてしまうのは、この「ハゲの数え歌」を番組で初披露したのは、なんとドリフのメンバーではなかったというのだ。


Aさんが言うには、「ハゲの数え歌を番組で最初に歌ったのは、ゲストの由紀さおりだった」のだそうだ。


そういえば、「8時だョ!全員集合!」には、よく歌手がゲストに来ていて、コントに参加していたのを覚えている。


Aさんは「歌詞のバカバカしさだけではなくて、由紀さおりが歌っていたという意外性が、当時の子供たちにウケたのだと思う」と言う。


で、この情報を元に調べてみると、当時番組の中で、由紀さおりさんが歌ったという元歌が判明したのでご紹介しておく。
それがこちら(↓)。


「ハゲの数え歌 ①(元歌)」

ひとつふたつはいいけれど
みっつ、醜いハゲがある
よっつ、横にもハゲがある
いつつ、いつでもハゲがある
むっつ、向こうにハゲがある
ななつ、ななめにハゲがある
やっつ、やっぱりハゲがある
ここのつ、ここにもハゲがある
とうで、とうとうつるっぱげ


細かく見て行くと、情報を提供してくれた皆さんが覚えていた歌詞とは、微妙に違っていることが分かる。


当時はまだ、ビデオデッキもまともに普及していなかった時代だ。
やはり放送を見ただけではうろ覚えだったのだろう。


そしてそれが更に、人から人へ伝わる際に、少しずつ歌詞が変化して行ったのだろう。


ちなみに荒井注さんがドリフターズに在籍していたのは、1974(昭和49)年の3月までだったそうだ・・・・・・。


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さて、ここからは、「ハゲの数え歌 ②」へ移ろう。


じつはこれについても、Aさんが詳細を知っていた。
もはやAさんに記事を書いてもらった方が早いのではないか。


まず、最大の疑問である、「ハゲの数え歌①と②の出所は、はたしていっしょなのか?」についてだ。


これについてAさんは、「出所と言う意味では違うと思う」とのことだった。


「ハゲの数え歌 ②」の元歌を探る上でヒントとなるのが冒頭のフレーズ、「ひとつ人よりハゲがある」の部分。


これは1970(昭和45)年10月から、2年間に渡ってテレビ放映された人気アニメ、「いなっかっぺ大将」の主題歌の冒頭のフレーズに大変よく似ている。


私は「いなかっぺ大将」の本放送当時は、まだ生まれていなかったので知らないのだが、その後の再放送については、何回も繰り返し放送されていたこともあって、この主題歌についてはよく知っている。


ちなみに主題歌の方は、「ひとつ人より力持ち」と歌われている。


そしてこの「いなかっぺ大将」の主題歌のタイトルは、「大ちゃん数え唄」なのである。


もはやこれは疑いようもないだろう・・・・・・。


そしてここで2つ目の疑問。


なぜ、この2つの「ハゲの数え歌」は、歌詞がかぶっているのか。


これについては、同じハゲを題材にした数え歌ということで、どちらかが歌詞をそのまま借用させてもらった、言い方を変えるなら、強く影響を受けたと考えるのが、自然なのではないだろうか。


そこで調べてみると、2つのハゲの数え歌は、ほぼ同時期に小学生の間で流行っていたことが分かった。


だから、「どちらが先か?」ということについては、正直よく分からなかった。


ただ、「ハゲの数え歌 ②」については、誰が最初に歌ったという記録は残っていなくて、自然発生的に子供たちの間で歌われ始めていることから、個人的には「ハゲの数え歌」としては、①が元ネタだったのではないかと思っている。


当時の子供たちにとって、ドリフの影響力はやはり絶大だったのだ。


ということで、この2つの「ハゲの数え歌」は、それぞれ出所は違っていたものの、どうやら兄弟のような関係だったということだけは確かなようである・・・・・・。


(画像上、秋の野の花の代名詞ノコンギク。画像下、桜は秋早くから紅葉が始まる・・・・・・)

2021年10月25日 (月)

「昭和の商店街」個人経営の小さな書店

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私が子供の頃は個人経営の小さな書店が、まだ町のあちこちにあったものである。


そのような店では、決まって「〇〇書店」と、店主のみよじが入った大きな看板を、軒の上に掲げていることが多かった。


町の本屋さんは、せいぜい畳2~3畳程度の広さの所が最も多く、広い店でも6畳程度の広さだったと思う。


このような店では店内が狭いので、売れ筋の雑誌は、店の外に大きな台を出して平面陳列されていた。


私が子供の頃は、今とは比べ物にならないくらい、子供の数が多かったので、店先に平面陳列されている雑誌は、そのほとんどが「小学一年生」などの学年誌だった。


今では考えられないことだが、当時は小学一年生から小学六年生、そして中学一年から中学三年、高校一年から高校三年までの、全ての学年誌が揃っていた時代だったのだ。


もっと言うなら、幼稚園や未就学の児童向けの雑誌もあったので、学年誌だけでかなりの売り場面積を必要としていた。


当時、学年誌が人気だったのは、ただの学習雑誌という位置付けではなく、漫画をはじめ娯楽要素の高いページが多かったからだ。


今となっては知る人は少ないが、国民的アニメに成長した「ドラえもん」や、一世を風靡した「あさりちゃん」などは、もともとは当時の小学生向けの学年誌から誕生した漫画だったのである・・・・・・。


そして中学、高校の学年誌になって来ると、表紙の趣からして、それまでのものとはガラリと変わる。


毎号、女性アイドルがカメラ目線で、にっこりとほほ笑んでいるのである。


いま思うと、タイトルがなければとても学習雑誌には見えなかった。


アイドル全盛と言われたあの当時は、その魅力に取りつかれてしまう男子生徒も多くいて、別に学年誌が欲しかった訳ではないのに、「本屋で〇〇ちゃんが、俺に微笑みかけていたから、ついつい買ってしまった」なんて馬鹿なことを言っているやつもいたくらいだ。


表紙一杯に写された、大きな顔写真が定番だったところをみると、どうやらそれが出版社の狙いだったのかもしれない。


欲しくもないのに学年誌を買ってしまった彼は、正に出版社の思惑に、見事にハマってしまっていたということになるだろう。


小学校高学年ぐらいになって来ると、じょじょに興味の幅が広がって行き、ジャンプやマガジンなどの漫画雑誌や、ファミコンやプロレスの専門誌を買う者が増えて来る。


そしてそれと同時に、学年誌からは離れて行く読者が増えて行くのだ。


いま思うと、表紙の女性アイドルの顔写真は、そんな読者を繋ぎとめるための、苦肉の策だったのかも知れない・・・・・・。


そんな一時代を築いて来た学年誌だったが、2009年ごろから廃刊が相次ぎ、現在では「小学一年生」、「入学準備小学一年生」、「季刊学習幼稚園」の3誌が残るのみとなった。


なんとも寂しい限りである。


インターネットで簡単に情報を入手出来る時代になったことや、少子化で子供の数が減少したことなどが、その要因になったと思われる・・・・・・。


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当時、町のあちこちにあった、個人経営の小さな書店では、月刊誌や週刊誌の定期購読も受け付けていた。


と言っても、出版社に料金を先払いして、毎号郵送してもらうという、現代でもお馴染みのあのスタイルではない。


店主に定期購読を頼んでおくと、毎号「取り置き」で1冊確保しておいてくれるのだ。


こうしておけば、発売日に店に買いに行ったはいいが、売り切れで買えなかったなんてことは起こらない。


当時はこのシステムを利用している客がたくさんいて、レジの奥にある取り置き棚には、紙袋に入れられて、〇〇様と書かれた雑誌がびっしりと詰まっていたものだ。


また、多い時には、レジが置かれているテーブルにも、取り置き雑誌が山積みにされていて、お釣りの受け渡しに支障をきたしていたこともあったぐらいだ。


当時はどこの家でも、近所の商店街で買い物をしていたので、夕方に晩御飯のおかずを買いに来たお母さんが、家族が取り置きしておいてもらった雑誌を、受け取りに立ち寄ることが多かった。


店主もそのことを心得ていて、客の姿が見えると、「〇〇さ~ん、雑誌入荷してるよ~!」と、声を掛けてくれたりしていたものだ・・・・・・。


また、店によっては、定期購読している雑誌が発売になると、わざわざ家まで配達をしてくれる所もあった。


まだ、当時は核家族化も進んでおらず、共働き家庭も少なかったので、今と違って家には必ず誰かしらいたため、このようなシステムが成り立っていたのである。


そしてこのような店では、なんと読み終わった雑誌の引き取りもしてくれていた。


今ではちょっと考えられないような話だが、当時は本当に何から何まで至れり尽くせりだったのだ。


理髪店や美容室などでは、客の待ち時間用に、たくさんの雑誌を置いているので、一般家庭よりも、この配達、引き取りのサービスはありがたかったらしい。


最近、近所の理髪店で聞いた話では、町内から個人経営の書店がなくなってしまった時、わざわざ隣町に一軒だけ残っている書店まで行って、定期配達を頼んで来たと言っていた。


その書店はまだ辛うじて残っていて、雑誌の配達を続けてくれているらしい・・・・・・。


本好きの私としては、近所に書店がないと非常に不便である。


ちょっと本を探したい時に、わざわざ電車に乗って、大きな本屋まで出向かなければならないからだ。


面倒くさいことこの上ない。


人は昔と比べて便利な世の中になったというけれど、個人的にはこのように不便に感じることも少なくない・・・・・・。


(画像上、今年は寒くなるのが早かったせいか、里山は早くも色付き始めている。画像下、横浜では今秋、南方系のチョウ、クロマダラソテツシジミが大発生している。ここまでの数を確認したのは初めてである・・・・・・)


2020年12月 5日 (土)

「関東ローカルのCM」としまえん

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関東ローカルのCM第3弾は「としまえん」。

「としまえん」は東京都練馬区にあった遊園地で、1926(大正15)年に開業。
そして2020(令和2)年8月31日を持って閉園し、94年の歴史に幕を下ろした・・・・・・。


「としまえん」は首都圏では、昔からテレビCMをよく流していて、現地に行ったことがない人でも、その名前だけは知っているという、一般に広く知れ渡った遊園地だった。


そんな歴史ある遊園地ということもあって、最終日の2020年8月31日には報道陣がどっと押し寄せて、テレビ各局は朝から晩まで、その様子を報道していた。


しかし、これは首都圏の話で、ローカルな話題ということもあって、その他の地域では全くと言っていいほど、報道はされなかったようだ。


まぁ、首都圏以外の地域では、「としまえん」の名前すら知らないという人がほとんどなので、それも当然と言えば当然の話である・・・・・・。


ところで「としまえん」と言えば、閉園後の9月になってから、日本テレビ系列で放送されている、「ザ!鉄腕!DASH!」という番組の中で、紹介されたことがあった。


とは言っても、遊園地そのものにスポットを当てていたという訳ではなくて、「大都会の真ん中でカブトムシを探せるか?第3弾」という企画で、「としまえん」の敷地を使わせてもらっていたのだ。


皮肉にも首都圏以外の地域にお住いの皆さんは、この放送を見て、「としまえん」の存在を初めて知ったと言う人も少なくなかったようだ。


ちなみに「ザ!鉄腕!DASH!」以外にも、全国区のバラエティ番組で、閉園間際の「としまえん」が何度か紹介されたことがあったので、もしかしたら、見たことがある人もいるかもしれない。


しかし、土地勘のない人にとっては、「としまえん」と言われてもピンと来ることはなく、「東京にそういう遊園地があるのね」ぐらいの感覚だったのではないだろうか・・・・・・。


さて、本題に入ろう。


「としまえん」は昔からCMが斬新過ぎることで知られていた。


どのCMを見ても、とても遊園地のCMとは思えず、テレビを「ぼーっ」と見ていた時などは、「あれ、今のなんのCMだったの?」ということもしばしばあったものだ。


「としまえん」のCMで私が一番印象に残っているのは、画面いっぱいにどこまでも続く砂漠が映し出されているもの。


このCMには2つのバージョンがあって、1つは砂漠の真ん中になぜかポツリと「ししおどし」が設置されていて、そこに向かって少しずつ画面がズームして行くというもの。


最初は砂漠の真ん中に、ちっちゃく何かが見えているだけで、それがなんなのかは、はっきりとは分からないのだが、画面がズームして行くにつれて、それが「ししおどし」のフォルムであることが少しずつ分かって来る。


最終的には「ああ、ししおどしだったんだ」と思うと同時に、「なんで砂漠にししおどし?」と、ただ疑問だけが残ることになる・・・・・・。


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そしてもう一つのバージョンは、砂漠の真ん中にポツリと何かが見えているところまでは変わらない。


しかし、画面がゆっくりとズームして行くと、「あれ、ししおどしの形じゃないな」ということがじょじょに分かって来る。


そしてそれが「ドリンキングバード(水飲み鳥)」であると気付いた瞬間に、ドリンキングバード(水飲み鳥)がペコリとお辞儀をして、コップの中の水を飲むという流れになっている。


そして、「ししおどし」の時と同様に、「なんで砂漠にドリンキングバード(水飲み鳥)?」と、ただ、ただ、疑問だけが残るCMとなっている・・・・・・。


ちなみにドリンキングバード(水飲み鳥)とは、昭和の頃に流行ったおもちゃで、現在の若い世代は知らないかもしれない。


どんなおもちゃなのかは名前の通りなので、もはや説明するまでもないと思うが、一定の時間が経過すると、首の長い鳥のおもちゃがペコリとお辞儀をして、コップの中の水を飲むというもの。


いったいどんな仕組みになっているのか、ちょっと不思議なのだが、ドリンキングバード(水飲み鳥)の体の中には、じつは赤い液体が入っていて、これがドリンキングバード(水飲み鳥)を動かす原動力になっている。


じつはこの赤い液体、「塩化メチレン」という化学物質で、なんと室温で沸点に達して、蒸発する特性があるのだ。


どういうことかと言うと、液体から蒸気に変わった塩化メチレンが、温度変化で再び液体に戻ることで、ドリンキングバード(水飲み鳥)の頭を動かしているのである。


じつはドリンキングバード(水飲み鳥)には、コップに入った水が必ずセットで必要になって来る。


ドリンキングバードの頭は布で覆われており、この布が水を吸収することで頭部を冷やし、それが蒸発することで、塩化メチレンを再び凝縮させて、お辞儀をさせる仕組みになっているのだ。


シルクハットを被ってひょうきんな顔をしたドリンキングバード(水飲み鳥)だが、じつはただのおもちゃではなく、人形の体内では科学実験が行われているようなものなのである。


ちなみにこのドリンキングバード(水飲み鳥)、任天堂が開発し発売したテレビゲーム、「どうぶつの森」の中にも登場していたが、現在ではこれが実在するおもちゃだと知っている人が、はたしてどれぐらいいるのだろう・・・・・・。


話がそれてしまったが本題に戻ろう。


この砂漠バージョンのCMを見ても分かる通り、「としまえん」のCMというのは、映像だけを見ていても、いったいなんのCMなのか全く理解出来ないというものがほとんどだった。


この他にも、画面には木に止まっているセミが映し出されていて、「ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン!」と、15秒間ただ鳴き続けているだけというのもあった。


一瞬、何かのドラマの導入部分かと、勘違いしそうになったこともあるぐらいだ。


また、固定カメラで、ストーブの火をただひたすら映し出しているだけというのもあったし、鍋料理を煮込んでいる様子を、クローズアップで映し続けているというバージョンもあった。


いずれのCMも15秒間最初から最後まで、その映像が流れているだけで、オチらしきものも何もなく、CMの最後にたった一言、「としまえん」とナレーションとテロップが入るだけだった・・・・・・。


こんな意味不明のCMを放送して、はたして集客の効果があったのかどうかは不明だが、未だにこんなにはっきりと覚えているということは、どうやら印象に残るCMであったことだけは確かなようである。


しかし、あまりの意味不明さに視聴者からはクレームが入ることもあったそうだ。


最後にひとこと言わせてもらうなら、「私は嫌いじゃなかったけどね」・・・・・・。


(画像上、きれいな橙色に染まるアカシデの紅葉。画像下、林縁で咲くシロヨメナの花)

2020年11月23日 (月)

「ザ・ガマン」の性欲我慢!

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いま思うと昭和のテレビ番組はかなり過激だった。


今だったら企画書すら通らないような内容の番組が、ゴールデンタイムで堂々と放送されていたのだから驚いてしまう。


私が特に印象に残っているのは「ザ・ガマン」という番組。


「ザ・ガマン」はフジテレビのバラエティ番組で、1980年代に「火曜ワイドスペシャル」の番組枠で放送されていた。


「ザ・ガマン」はその名の通り、挑戦者たちが番組で用意した様々な試練に耐え、最終的に最も我慢強かった者を勝者とするという番組。


挑戦者は基本的に「東京六大学の学生」から選ばれることが多かったが、番組が用意する試練の内容があまりにもバカバカしく、低俗であったため、「大学まで行って何やってんだか・・・」とさげすんだ目で見ている大人が多かったように思う・・・・・・。


そしてその低俗ぶりを「これでもかっ!」というくらい、いかんなく発揮してみせたのが、「性欲を我慢して、どこまで平静でいられるか」という、じつにくだらない企画。


この企画で挑戦者に選ばれたのは、東京六大学の学生ではなく、確か受験生、サラリーマン、修行僧、AV男優の4名だったと記憶している。


そして彼らは本番の2~3日前から、番組で用意した部屋で生活をさせられることになる。


部屋の壁には女性のヌードポスターが貼られており、そこでウナギやスッポンなどの、精力がつくとされる食事ばかりを食べさせられていた。


そしていざ本番を迎えるのだが、本番直前に挑戦者たちは裸にさせられて、なんと男性器に鈴を括り付けられる。


そしてシャワールームのような狭い個室にそれぞれ入れられることになるのだ。


この個室は体の部分だけが扉で隠れるようになっていて、顔と脛から下は見えている状態だったと思う。


そして全員がこの状態でスタンバイ出来ているのを確認して、ようやく競技開始が宣言される・・・・・・。


競技開始と言っても、当人たちは何もすることはなくて、ただそのままの状態で立っているだけである。


で、そこに現れるのが若い女性たちで、最初に出て来たのは着物姿の女性だった。


着物を着ているということは、当然肌の露出は「ほぼ、ない」と言っていいだろう。


多くの視聴者は、「少しずつ着物を脱いでいくんじゃないか」と期待していたと思うのだが、結局この着物姿の女性は、最後までそんな素振りは少しも見せなかった。


ただ、ふと立ち止まり、裾をそっとたくし上げて、足首をチラッと見せたのだ。


するとその瞬間に間髪を入れず、若い修行僧の鈴が「チリン!チリン!チリン!チリン!」と鳴り始め、個室の前に設置されている赤色灯が点灯し、グルグルと回り始めたではないか。


恐らくほとんどの視聴者は、「え~~~!」という声を上げていたと思う。


なぜなら着物姿の女性は、足首をチラッと見せただけなのだ。


そしてそれを見せた本人も、声には出さなかったものの、「え~~~!」という表情をしていた。


きっとそんなつもりではなかっただろうし、そんなことぐらいで鈴が鳴る訳がないと思っていたはずだ。


そして早々に鈴を鳴らしてしまった若い修行僧は、「修行の身なので、女性とは無縁の生活を送っているもので・・・」と、恥ずかしそうに言い訳をしていた。


どうでもいいが、そもそもの話、修行僧ともあろう者が、こんな低俗なテレビ番組なんかに出演してもよかったのだろうか。


百歩ゆずってそれをよしとするなら、せめて日々の修行の成果を出し、目の前に現れる若い女性に惑わされることもなく、常に平静を保ち続け、最後まで勝ち残ってこそ、「修行僧」を名乗る意味があるのではないか・・・・・・。


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着物姿の女性の次に現れたのはテニスウェアの若い女性。


テニスウェアは当然ミニスカートなので、着物と比べると肌の露出は大幅に増えることになる。


しかも、いきなりの生足ということもあって、刺激度もかなりアップしている。


確かテニスウェアの女性はくるっと一回転したりはしていたが、着物姿の女性のように裾をたくし上げたりはしていなかったと思う。


もっともミニスカートの裾をたくし上げたりしたらパンツが丸見えになってしまう。


それなのに、これもかなり早い段階で、受験生の鈴が「チリン!チリン!チリン!チリン!」と鳴り出して、彼の個室の前の赤色灯が点灯し、くるくると回転を始めたのだ。


まぁ、これについては分からなくもない。


露出が極めて少なかった着物から、テニスウェアのミニスカートへの落差は、想像しているよりもかなり大きい。


生足の威力はやはり絶大だったと言えよう。


どうでもいいが受験生、こんな番組に出ている暇があったら、もっと勉強しろよ。


これで志望校に落ちたら、周りからなに言われるか分からないぞ。


まぁ、今更それを言ったところで、もう後の祭りなのだが・・・・・・。


そして次に登場したのは、お待ちかねの水着姿の女性だった。


水着と言っても、マイクロビキニのような露出の激しいものを想像してはいけない。


女性が着ていたのは、ごく普通のどこにでもある普通の水着である。


にもかかわらず、ここでサラリーマンの鈴が、「チリン!チリン!チリン!チリン!」と鳴り出してしまい、赤色灯がくるくる回り始めたのだ。


サラリーマンの脱落が決まったことで、残っている挑戦者はAV男優1人となり、自動的に彼の勝利が決まったことになる。


まぁ、終わってみれば、さすがAV男優と言ったところか・・・・・・。


ところで、他の挑戦者がこの時点で、まだ複数名残っていたとしたら、この先はいったいどうなっていたのだろう。


もしかしたら、「下着」や「裸」なんてところまで準備されていたのではないか。


当時のテレビは規制が甘く、ゴールデンタイムに女性の裸が登場することも珍しくない時代だった。


だからそれも、ない話ではなかったのではと思うのだ。


そう考えると、挑戦者たちには、もうちょっと頑張って欲しかったな~と思う。


特に修行僧、なにやってんの・・・・・・。


(画像上、里山の紅葉は現在シデの仲間が見ごろ。カエデの仲間はもう少し先になりそう。画像下、里山の秋を代表する花といってもいいノコンギク)

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