カテゴリー「冬芽葉痕」の記事

2024年2月23日 (金)

「謎フレーズ探偵」いっせーの1!②

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私が小学生の頃、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」がプチブレイクしていたことがあった。


このゲームでは、「いっせーの1!」といった具合に、掛け声をかけながら、数字をコールしていたのだが、全国的に見ると、じつに様々な掛け声があったようなのだ。


で、この辺のことに関しては、前回詳しく書かせてもらっているので、そちらを参考にして欲しい・・・・・・。


で、今回は最もオーソドックスと思われる、「いっせーの」という掛け声に焦点を絞って、調査を進めて行こうと思っている。


じつはこの最もオーソドックスと思われていた、「いっせーの」という掛け声なのだが、細かく調べてみると、「いっせーの」という言葉にも、地域性があることが分かった。


私の出身は神奈川県の横浜市だが、小学生の頃、この遊びの掛け声は、「いっせーの1!」だった。


で、調べてみると、この掛け声は、やはり関東地方で勢力が強い掛け声だったようだ・・・・・・。


ところが意外だったのは、同じ関東でも、「いっせーの」ではなくて、「いっせーのーせ」という掛け声を採用している地域もあったようなのだ。


これについては、私は小、中、高を通してみても、一度も聞いたことがなかったので、たいへん驚いている。


と、そうは言っても、「せ」がたった1文字増えただけなのだが、実際に「いっせーのーせ」の掛け声で、この指遊びをやってみると、なれていないせいか、どこで数字をコールしたらいいのか、ちょっとタイミングが分からなくなってしまう・・・・・・。


ちなみに誤解のないように書いておくと、私が子供の頃は、「いっせーのーせー」という掛け声は、指遊びには使われていなかったが、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」としては日常的に使っていた。


だから「いっせーのーせ」という言葉自体は、関東では方言や地域性のある言葉という訳ではなくて、標準語と言っていいと思う・・・・・・。


ところでこの「いっせーのーせ」という掛け声だが、関西地方へ行くと、「いっせーのーで」という掛け声に変わる。


そしてこれは、指遊びの掛け声のみならず、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」としても、日常的に使われているそうなのだ。


たった1文字、「せ」が「で」に変わっただけなのだが、関東ではそのような言い方はしないので、横浜市出身の私としては、もはや違和感しかない・・・・・・。


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また、関東地方では、相手とタイミングを合わせる時に、「せーの」という言い方もするが、これも関西地方では、「せーのーで」になるのだそうだ。


どうやら関西では、語尾に「で」が付くらしい。


関東人としては、なんだかタイミングをずらされたような感じで、思わず、ずっこけそうになってしまう・・・・・・。


で、指遊びの掛け声だが、他の地域ではどうなのか見て行くと、「いっせーの」という言葉の原形を留めているものに関しては、あとは中部地方の「いっせっせーの」が見られるぐらいだった。


そしてこの「いっせーの」、「いっせーのーせ」、「いっせーのーで」、「いっせっせーの」に共通して言えることは、再三書いているように、「指遊びの掛け声」であると同時に、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」でもあるという点だ。


これについては、前回ご紹介した、「う~~」や「バリチッチ」、「せっさん」などにはない特徴といえる。


そして全国的に見て、この指遊びの最もメジャーな掛け声といえるのが、この「いっせーの系」なのである・・・・・・。


そんな訳でここからは、本題である指の数を当てるゲームからはちょっと離れて、単純に「いっせーの」という言葉について、もう少し深堀してみようと思っている。


「そもそもの話、いっせーのとはなんなのか?」ということである。


じつはこの「いっせーの」という言葉は、調べてみると、日本列島のほとんどの地域で使われている言葉であることが分かった。


で、ざっくり見て行くと、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」には、「いっせーの」と「せーの」という2通りの言い方があることが分かった。


そこで多くの人が疑問に思うのは、「じゃあ、なんで2通りの言い方があるのか?」ということだろう。


そんな訳で次回は、まずそのあたりから、紐解いて行こうと思っている・・・・・・。


(画像上、里山では早春に咲く花、マンサクが咲き始めた・・・・・・。画像下、猿の顔に例えられるセンダンの冬芽葉痕・・・・・・)


2024年1月30日 (火)

エロ本の自動販売機

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現在ではもう絶滅してしまったが、かつては「エロ本の自動販売機」が、街角に堂々と置かれていた時代があった。


エロ本の自動販売機は、商品窓にマジックミラーが使われていて、普段は中に何が入っているのか見えないようになっていた。


そして日が暮れてあたりが暗くなると、自動販売機のライトが点灯して、初めて中が見えるような仕組みになっていた。


当初わたしは、故障した自動販売機に、客が誤って硬貨を投入してしまわないように、商品窓を銀色の紙で覆って、見えないようにしてあるのだろうと、勝手に思い込んでいた。


しかし、故障した自動販売機なのに、いつまでも撤去されずに、その場所に放置されていて、変だなとは思っていた・・・・・・。


ところでこの「エロ本の自動販売機」、最盛期には全国に2万台以上が設置されていたそうである。


そしてそれは、当時の書店の数と、ほぼ同数だったというから驚きである。


ということは、私が「エロ本の自動販売機」を街で見かけていた頃は、もう、とっくにピークは過ぎていたということなのだろう・・・・・・。


そしてそれは自動販売機の中身を見ても明らかだったようである・・・・・・。


じつは当初自動販売機で売られていたエロ本は、ヌードグラビアと記事ページからなる、いまでいう「成人向け週刊誌」のような構成であったらしい。


そしてそれは、表紙とグラビアだけを見れば、いわゆる「エロ本」なのだが、雑誌の大半を占めている記事ページは、エロとはいっさい何の関係もない、サブカルチャー系の情報誌の体裁だったという。


しかも、頼みの綱の表紙やグラビア部分に関しても、エロ本というほどの過激さはなく、モデルの女性はしっかりと下着を付けており、それも特別セクシーなものでもなかったそうなのだ。


それだったら、いまでいう「成人向け週刊誌」の方が、よっぽど過激でエロ本ぽいといえるのかもしれない。


いま考えれば、「そんな内容でよく売れたな」と思うのだが、当時はエロメディアの絶対数が不足しており、そんなものでも多くの需要があって、なんと500億円規模の市場になっていたというから驚きである・・・・・・。


私が中学生の頃、「きのう俺は部活帰りに、自動販売機でエロ本を買った!」と豪語しているやつがいて、学校でそれをみんなに見せびらかしていることがあった。


どうも、「自分は度胸があるだろう!」ということを、みんなに自慢したかったらしい。


しかし、実際のところはどうもそうではなかったらしい。


じつはエロ本の自動販売機は、ボタンを押して商品が取り出し口に落ちて来る際に、なぜか「ブーーーッ!」という、けたたましいブザーが鳴るような仕組みになっていた。


彼はこの音に仰天して、腰を抜かしそうになり、一時電信柱の後ろまで走って行き、身を隠して様子を見ていたのだそうだ。


で、何も起こりそうもないので、急いで購入したエロ本を取りに戻ったのだという。


そして彼はその苦労して買ったエロ本を、わざわざ学校に持って来て、みんなに見せびらかしていることになるわけだ。


傍から見れば、そんなことをするやつは、ただの変態でしかないのはもはや言うまでもない。


現実に女子はかなり引いていたが、彼はそのことに全く気付いていない様子だった・・・・・・。


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で、そのエロ本を見せてもらったところ、予想に反して全ページカラーグラビアだったものの、びっくりするほどうすっぺらな雑誌だった記憶がある。


もう、この時点で、先程まで書いて来た「自販機本」とは、明らかに様相が違うことが分かると思う。


じつは私が学生の頃に街角で見られた「エロ本の自動販売機」は、中身が当初のものとは変更になっていたようで、いわゆる「ビニ本(ビニール本)」と呼ばれるものが入れられていたらしい・・・・・・。


で、いわゆる「自販機本」と何が違うのかというと、モデルの女性のポーズがより過激になり、着用している下着もスケスケのものに変更になっていたのだそうだ。


中には下着を着けていない写真も掲載されていたが、そのようなものは肝心な部分は見えないよう、ポーズが工夫されていた。


ものすごく分かりやすくいうなら、「とにかく明るい安村」状態である。


そして局部が見えるようなポーズのものは、当然のことながら、修正が加えられていた・・・・・・。


ところで当時、自動販売機で売られているエロ本は、修正部分を砂消し(消しゴム)でこすると、黒い修正箇所がきれいに消えて、肝心な部分が丸見えになるという、いかにも嘘っぽいうわさが流れていた。


当時は「そんなバカな」と思いながらも、とりあえず試してみたという人も、少なくなかったそうである。


昭和の頃に「砂消し」が売れたのは、このうわさのせいだという人もいるくらいである・・・・・・。


じつはこのうわさにはちゃんとした理由があった。


エロ本の自動販売機が最盛期の頃は、印刷所が24時間フル稼働で、関係者は多忙を極めていた。


このため、修正の入れ忘れがしょっちゅう起きていたのだという。


で、それをそのまま出荷する訳にはいかないので、急遽、人を集めて、なんと黒マジックを使って、手作業で肝心な部分を塗りつぶしていたのだという。


それを翌日の出荷に間に合うように、一晩でこなしていたというのだから、相当たいへんな作業だったに違いない。


もしかしたら、そんな雑誌を入手していれば、あのうわさは現実になっていたのかもしれないが、それでも砂消しでは無理だったろう。


ちゃんとした薬品を使えば、インクを消すことは出来たかもしれないが、問題は紙の方が耐えられるかどうかだ。


教室でエロ本を見せびらかしていた彼も、「砂消しを買って試してみる!」と息巻いていたが、次の日にそのことを尋ねてみると、たった一言、「やぶけた・・・」と呟いたのだった・・・・・・。


(画像上、早咲きの河津桜の蕾が動き出した。画像下、青空に映えるイチョウの枝振り・・・・・・)


2022年3月 6日 (日)

「謎フレーズ探偵」天の神様の言う通り ③

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これまでは、前回、前々回と、2回に渡り、「天の神様の言う通り」の5つの系統についてご紹介して来た。


ところが調査を進めて行くと、この歌には5つの基本の系統だけに留まらない、「複合型」のようなものが存在していることが分かって来た。


そしてこの複合型の歌詞には、複合型にしか登場しない「ワード」が出て来ることが分かったのだ。


そこでまずはその代表的なワードをいくつかご紹介してみようと思う。
そしてそれは次のようなものになる(↓)。


「複合型の歌詞にしばしば付けられるワード」

① 柿の種
② 玉手箱
③ ごはん粒
④ あぶらむし
⑤ 赤トンボ(白トンボ)
⑥ チョコレート


そして今回調査したものに関しては、この中でも「柿の種」の使用率が、なぜか他のワードに比べてずば抜けて高かった。


で、これらのワードが「天の神様の言う通り」の歌詞に、どのように関わって来るのかという話を、今からして行こうと思っている・・・・・・。


まず、複合型の歌詞は、「シンプル系」と「ミックス系」の2つに分けられる。


というか、分かりやすくするために、私が勝手にそのように分けてみた。


「シンプル系」というのは、前回までご紹介して来た5つの系統の歌詞の最後に、先程のワードが1つだけプラスして付けられるもののことをいう。


もう一つの「ミックス系」というのは、「A系統」+「ワード」+「B系統」というように、2つの系統の「つなぎ」の役割として、「ワード」が使われているもののことをいう。


文章で説明されてもイメージしにくいと思うので、実際の歌詞を例に上げて解説してみたいと思う。


「複合型・シンプル系」

どちらにしようかな
天の神様の言う通り
赤豆、白豆、さんど豆(系統)
柿の種(ワード)


上の歌詞のものは、「お豆系統」の歌詞の最後に、「柿の種」というワードがプラスされた、「シンプル系」の歌詞の例の1つになる。
ちなみに()内は分かりやすくするために付記したもので、歌詞とは全く関係がない。


「複合型・ミックス系」

どちらにしようかな
天の神様の言う通り
鉄砲撃ってバンバンバン(A系統)
柿の種(ワード)
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10(B系統)


こちらの歌詞は、「鉄砲系統」+「ワード(柿の種)」+「数字系統」の構成になっている、ミックス系の1つの例である。


こちらも()内は分かりやすくするために付記したもので、歌詞とは全く関係がない。


ちなみに「ワード」は必ずしも、「A系統」と「B系統」の間に入る訳ではなく、最初に来る場合や、最後に付けられる場合もあるようだ。


ただ、今回調査したものに関しては、間に入るものがほとんどだった・・・・・・。


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そしてこのワードの使い方には例外もある。


通常は「ワード」は1つだけ使われることが多いのだが、「呪文系統」のフレーズのようにシンプルで短い系統の後には、「ワード」が2つ3つ使われることもあるのだ。


その1つの例がこちらになる(↓)。


「呪文系統+ワード+ワード」

どちらにしようかな
天の神様の言う通り
なのなのな(系統)
赤トンボ、白トンボ(ワード)
柿の種(ワード)


また、「呪文系統」のフレーズはシンプルで短いため、「ワードの代用」のようにして使われることもある。


この場合、今回調査したものに関しては、通常のワードは使われず、「系統」+「系統」の構成になっていることが多かった。


そしてその1つの例がこちらになる(↓)。


「鉄砲系統+呪文系統」

どちらにしようかな
天の神様の言う通り
鉄砲撃ってバンバンバン
もひとつおまけにバンバンバン(系統)
なのなのな(系統)


この場合の「なのなのな」は、「柿の種」のような、ワードの代わりに使われていることが分かる。


なのでこの後に、「ミックス系」のように別の系統が続くこともある・・・・・・。


では、「天の神様の言う通り」の歌詞の構成は、なんでこうも複雑になっているのだろうか。


じつはこの疑問について、色々な人に話を聞いてみると、みんな口をそろえて、「数合わせだと思う」と言うのだ。


そもそも、「天の神様の言う通り」という歌は、今すぐにどちらにするのかを決めなくてはならない状況で、自分では即決出来ないので、「神様」にどちらにするのかを決めてもらおうという趣旨の歌である。


だから2択の場合もあれば、3択、4択など、状況によって、数は様々だと思う。


で、「どちらにしようかな」と、指を順番に指して行きながら、最終的に指が止まった所に決定されるということになる訳だ。


ところがフレーズも終わり近くになって来ると、どこで止まるかがだいたい予想出来るようになって来る。


そこで自分の望まない所で止まりそうになった時、急遽ワードを1つ足して、それを回避するのだ。


そしてそれでも足りない時には、「ええい、別系統のフレーズをもう1つくっ付けてしまえ!」ということで、歌詞の構成がどんどん複雑になって行ったというのが真相らしい。


ちなみに鉄砲系統の歌詞に追加で付けられる、「もひとつおまけにバンバンバン」や、放屁系統の歌詞に追加で付けられる、「もひとつおまけにぷっぷっぷ」なども同様の目的がある。


一応は歌詞の終わったところで、「決定」されることになってはいるのだが、これで本当に「天の神様の言う通り」になっているのか、一度「神様」にちゃんと聞いてみたいところだ・・・・・・。


(画像上、園芸品種の赤いマンサクが見ごろになった。画像下、春を待つシナサワグルミの冬芽葉痕)


2020年2月21日 (金)

中学男子の妄想

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男というのはつくづくバカな生き物だな~と思う。


そしてそのバカさ加減のピークは、個人的には中学生の頃ではないかと思うのだ。


「中学男子」という言葉からして、すでにバカっぽさがにじみ出ているような気がするのは私だけだろうか・・・・・・。


「中学男子」というのは、基本的に思考の八割はエロいことで構成されている。


ただし、これは平均値というか、控え目に言っての「八割」で、人によっては九割五分という強者もいる。


だから「中学男子」の頭の中は、学校の授業中だろうが、家でテレビを見ている時だろうが、食事をしている時だろうが、うんこをしている時だろうが、全くぶれることがなく、常にエロいことを追求していると言っていいだろう。


とにかく「中学男子」は四六時中エロいことしか考えていないので、日常のなんてことのない光景でも、ついついエロいことに繋げて考えてしまうのだ。


例えば学校でどこからか女子の咳払いが聞こえて来たとする。


男子の咳払いは野太い声なので、近くで何度もされると印象が悪く、「うるせえな」とか、「風邪じゃないだろうな、うつすんじゃねぇぞ!」などとイライラしてしまうのだが、女子の場合は声が高いので、「んんっ!」などと咳払いをされると、「中学男子」には妙に色っぽく聴こえて来て、思わず「ドキッ!」としてしまうのだ。


喉がいがらっぽいのか、「んんっ!んっ!んん~っ!」などと続けて何度もされると、「もしかしてあいつ咳払いをしているんじゃなくて、感じてるんじゃないか?」などとバカな妄想を膨らませてしまう。


そもそも学校の教室で友達と楽しく話をしている最中に、人目もはばからず、ひとり喘いでいる女子などいようはずがない・・・・・・。


また、居眠りをしていたら、隣の席の女子が、「うーーーーん、うっ!」などと突然大きな声を出し、びっくりして飛び起きたことがあった。


ふと横を見れば、隣の席の女子が体の前で両手を組んで、大きく伸びをしていただけだったのだが、こういう時も「中学男子」というのは、「も、もしや!」と期待してしまうのである。


大きな伸びをして、その反動で「はあっ・・・」と脱力している女子の顔をじっと見ていると、「もしかして、伸びと見せかけての絶頂?」と勘繰ってしまう・・・・・・。


体力測定の時に立位で前屈の測定をする時や、体育の授業で座った姿勢で前屈をする時なども、「はっ!」とする男子は多いものだ。


特に二人一組になって、後ろから背中を押して、前屈をサポートするような場面では注意が必要である。


前屈が始まるとたいていあちこちから、「あーーっ!あーーっ!やばい、やばい、やばい!」などと声が聞こえて来る。


こちらも前屈をしているので、その様子はいっさい確認出来ないが、「あーーっ!あーーっ!あーーっ!」などと言われると、ただ前屈をしているだけなのは分かっているが、気になってしょうがない。


前屈をして自分のすねを間近に見ながら、「もしかして自分の視界の外側では、ものすごいエロい光景が展開しているんじゃないか」などと思うと、居ても立っても居られなくなる・・・・・・。


二人一組と言えば、腹筋をする時もそうだった。


体育の授業では、「誰が一番回数を多く、腹筋を続けることが出来るか」というのをよくやっていた。


最初のうちは先生の「一回、二回、三回、四回、五回!」という掛け声に合わせて、みんな余裕を見せながら腹筋をしているのだが、回数を重ねて行くにつれて、じょじょにきつくなって行き、「うっ、うっ、うっ、うっ、うーっ!」などという呻き声が聞こえて来るようになって来る。


男子の呻き声はただ不気味で耳障りなだけだが、女子の「うっ、うっ、うーっ!」は、ほんのり頬を赤く染めながらの苦悶の表情と相まって、「中学男子」の耳には妙に色っぽく聞こえて来るのだ。


そして「中学男子」の頭の中では、その声にエコーまでかかって聞こえているのだから不思議なものである・・・・・・。


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いつだったか、学校に足つぼを刺激するための棒を持って来ている女子がいた。
確か雑誌の付録のようなものだったような記憶がある。


本を見ながら、その棒で友達の足つぼを刺激していたのだが、つぼを押されている方の女子は、「いっ、あ~~っ、あ~~っ、ダメ、ダメ、ダメ!」などと絶叫している。


もしも、その様子を見ていなくて、声だけ聞こえている状況だったら、きっとものすごく卑猥な光景を想像してしまうだろう。


更につぼを押されている方の女子は、「棒はダメ!最初は指でやって、慣れて来てから棒にして!」などと懇願していて、当事者ではないのに、「うん、分かった!」などと即答している男子の声が、教室のあちこちから聞こえて来ていた・・・・・・。


「中学男子」は女子が棒状の物を食べている所を見ると興奮する。
昔から根強い人気なのはバナナである。


「中学男子」は女子がバナナを手に取った瞬間に、「おおっ!」という静かな歓声を上げ、その瞬間から目が釘付けになる。


バナナを食べるためには、当然皮をむかなければならない訳で、女子がバナナの皮をむき始めると、心の中で「ゆっくりね、ゆっくりね、急にむかないで~!」などと叫んでいるのだが、外見上は平静を装っている。


バナナを食べるために皮をむいたのだから、当然次の行動はバナナに「ガブッ!」とかぶり付くことになる。


しかし、「中学男子」の頭の中では、「バナナにかぶり付く女子」ではなく、「バナナにしゃぶり付く女子」を欲している。


だからいま正に女子がバナナにかぶり付こうとしている時、頭の中では「歯を立てないで~、歯を立てないで~!」などと一人絶叫し、バナナを噛みちぎらないで欲しいという思いが炸裂している。


しかし、その思いもむなしく、バナナは先端から噛みちぎられ、むしゃむしゃと食べられてしまうことになるのである。


その光景を目の当たりにして、思わず「人間じゃねぇ・・・」などと口走りそうになり、慌てて口をつぐんだ経験のあるかたも少なくないだろう・・・・・・。


そういう意味では、当時よく売られていた、細長い棒状のアイスキャンディは、「中学男子」の願いを成就してくれる可能性が高い食べ物だ。


アイスキャンディを食べる時、男子の場合は「サクッ、サクッ!」と、普通にかじって食べてしまうことが多いのだが、女子の多くはアイスキャンディをかじらずに、「カポッ」と口にくわえて、クルクルと回しながら、口の中で少しずつ溶かして食べて行く者が多かった。


そんな食べ方をされようものなら、「中学男子」はもはや女子の口元に目が釘付けである。


また、ソフトクリームも「中学男子」にとっては注目の食品である。


男子はソフトクリームを食べる時は、上から「カプッ、カプッ!」と食べて行くのが普通だが、女子の場合はソフトクリームの側面から、「ペロン、ペロン」と舐め取るように食べて行く者が多かった。


舐め方にも個性があって、クリームを少しずつ「ペロン、ペロン」と舐める者もいれば、大胆に下から上へ向かって、舐め上げるように食べる者もいた。


その様子を見ていると、思わず興奮してしまい、「ああ~っ!」などと声が出そうになって慌てて口をつぐむ。


女子がソフトクリームを食べているのを、ただ見ているだけなのに、男子の中には「すげえ・・・」と感嘆の声を上げている者までいたのだから、いま考えると笑ってしまう・・・・・・。


アイスキャンディやソフトクリームがとけて来て、口元からたらりと流れ落ちそうになることがある。


女子が「ああ~!」などと叫びながら、慌てて口の横から舌を出し、流れ落ちそうになっている白い液体を、「ペロリ」と舐め上げたりしようものなら、バカな「中学男子」はあっという間に撃沈である。


そしてその光景を思い出しながら、一週間はご機嫌に過ごすことが出来るのだから、「中学男子」というのは、なんとも単純で幸せな生き物なのである・・・・・・。


(画像上、園芸品種の赤いマンサクの花、画像下、シナサワグルミの冬芽葉痕)




2020年2月15日 (土)

消えゆく黒板

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唐突だが学校の教室をちょっと想像してみて欲しい。


そして教室の中にあるもので、あなたがまず一番に思い浮かべたものはなんだろうか。


恐らく多くのかたは、「黒板」と答えるのではないだろうか。
黒板は教室にはなくてはならないもので、これがなければ授業にならないと言っても過言ではない。


黒板は授業中に全生徒が注目し続ける、教室の中で最も重要な設備であると言えるだろう。


ところが近年になって、学校の教室から黒板が消えて行こうとしているらしい。


「いったいどうして?」と思うかたがほとんどだと思うが、問題となったのは黒板そのものではなくて、黒板に文字を書くためのチョークの方なのだ・・・・・・。


チョークの主成分は多くの筆記用具に使われているインクではなくて炭酸カルシウムだ。


チョークを黒板に押し当てると、炭酸カルシウムの粉末が黒板に付着する。
これがチョークで黒板に文字を書くことが出来る仕組みである。


このためチョークで黒板に文字を書いたり、黒板消しを使って文字を消したりするたびに、炭酸カルシウムの粉末が周囲に飛び散ることになる。


だからチョークを一日中使い続けている教師は、授業が終わるころには指先や肩、髪の毛などが白い粉だらけになっていることも少なくなかった。


これだけ体中が粉だらけになっているということは、当然のことながら、少なからず鼻や口からチョークの粉を吸い込んでしまっているはずで、むろん体にいい訳がない・・・・・・。


じつはチョークの粉を吸い込んでしまっていたのは教師だけではない。


日直の生徒は授業が終わると、黒板消しでチョークで書かれた黒板の文字を消し、チョークの粉で真っ白になった黒板消しを、窓のところへ持って行って、パンパン叩いてきれいにしていた。


チョークの粉は空中に舞い上がり、風向きによっては全身でそれを受け止めてしまうことも少なくなかった。


黒板消しクリーナーもあるにはあったが、すぐに吸い込みが悪くなってしまうため、窓でパンパンした方が早かったのである。


それにバカな男子たちは白い粉が空中に舞い上がって行くのが楽しくて、初めから黒板消しクリーナーを使う気などさらさらなかった。


そんな訳で黒板消しがきれいになるころには、全身がうっすらと粉をかぶり、口の中が粉っぽく感じることがしばしばあったものだ。


当時はチョークの粉を吸い込むことで、健康被害があったなんて話は聞いたことがなかったが、近年になってそういうことを避けるためにも、チョークではなくて、マーカーで書くことが出来る、ホワイトボードへ転換して行こうという動きが盛んになって来たそうなのだ。


これが黒板が学校から消えて行こうとしている理由である。


しかし、個人的な感想としては、学校にホワイトボードなんて、会社じゃあるまいし、ちょっと勘弁してほしい。


黒板がない学校なんて、なんだか味気ないし、教室を風景として見た場合、黒板がないとなんだか締まりがないではないか・・・・・・。


当たり前のことかもしれないが、学校の先生はみんな黒板に文字を書くのがうまかった。


黒板に文字を書くことに慣れていない我々生徒は、授業で先生に指名されて、黒板に解答を書き込んだりする時に、どうにも文字をうまく書くことが出来なくてストレスを感じていた。


なんで先生はあんなにも書きづらい黒板に、スラスラときれいに文字を書けるのか不思議でならなかったものだ。


「小、中、高」と進学して行くにつれて、次第に教科も増えて行き、様々な先生から授業を受けることになって行く。


そうなると教師によって、黒板の使い方や書き込む文字の大きさが多様になって行き、こちらもその都度、それに対応して行かなければならなくなって行った・・・・・・。


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目の悪い生徒にとっては、やたらと小さい文字を書く先生は困りものだった。


その先生は授業が始まると、黒板の右上から文字を書き始め、黒板の左下まできっちりと文字を書き込んで授業を終えていた。


このため授業中に黒板を消すことは一度もなかった。
ノートをとるのが遅い生徒にとっては、このことはむしろありがたいことだった・・・・・・。


逆にやたらと文字が大きいうえ、黒板の中央付近だけを使って、文字を書き込んでいる先生もいた。


もはや文字を書く部分よりも、余白の方が大きいんじゃないかと思えるほどだった。


このため頻繁に文字を消さないと、続きを書くことが出来なかったので、ノートをとる時は一瞬たりとも気を抜けなかったものだ・・・・・・。


やたらと文字を書くのが早いうえ、要点だけでなく、ついでに話した余談のポイントまで、克明に黒板に書き込んで行く先生もいた。


この先生は文字を書き込んで行くのがとにかく早いので、黒板はすぐに文字でいっぱいになってしまい、先に書き込んだ部分から少しずつ消して行きながら、新たに文字を書き込んで行くのだが、ノートをとるのが遅い生徒から、「まだ、書いてないから待って~!」と言われて、やむを得ず一行消しては次を書き込んで行くという具合だった。


しかし、この先生が黒板に書き込んでいることは、三分の一は余談である。


ノートをとるのが遅い生徒というのは、ノートをとることに必死になっているため、そういうことを考える余裕がなく、とにかく黒板に書かれている文字を一字一句もらすことなく、すべてノートに書き写していた。


時には授業とは全く関係のない自分の休日の過ごし方を、簡単な図まで描いて説明していることもあったが、ノートをとることに必死になっている生徒は、そんなことまでノートに書き写していることがあって思わず笑ってしまった・・・・・・。


黒板に書き込んだ内容を説明する時に、チョークで黒板を叩く癖がある先生がいた。


「このことがここに繋がっているんだっ!」などと熱く説明しながら、指し示した部分をチョークでバンバン叩くのだ。


このためその先生の授業ではチョークが何本も折れて、短くなったチョークが床に散らばっていた。


だから次の授業を担当する先生が入って来て授業を始める時に、黒板に置かれているチョークを手に取ろうとして一瞬固まり、「なんでここのクラスは、こんなに短いチョークしかないの?」と聞いて来ることがしばしばあった・・・・・・。


その短くなったチョークを利用する先生もいた。


授業中、居眠りをしているやつや、教科書で覆い隠して漫画を読んでいるやつに向かってチョークを投げるのだ。


漫画やアニメで描写される「チョーク投げ」は、まるで野球のボールを投げるかのように、直線的に勢いよくチョークを投げつけているのだが、実際のチョーク投げは短いチョークを山なりに投げて、居眠りをしている生徒の頭にコツリとぶつけたり、教科書で覆い隠して漫画を読んでいる生徒の目の前に、測ったようにチョークを落として驚かすだけだった。


時には爆睡しているやつもいて、チョークを当てても全く起きないので、先生が短いチョークをそっと鼻の穴にねじ込んでいることもあった。


驚くべきことに、その生徒はそれでも起きる気配がなく、教室中が大爆笑となっていた。


そしてその騒ぎに気付いて彼はようやく起きたのだが、自分の鼻の穴にねじ込まれているチョークには、全く気付いていない様子でポカンとしている。


そしてそのことが更にみんなの笑いを誘い、教室は爆笑の渦に包まれて行ったのだった・・・・・・。


卒業の日、黒板にみんなで寄せ書きをしたことは忘れられない思い出になった。


それは現代の「黒板アート」とは程遠いものだったが、黒板の中央には誰かが大きく下手くそな絵を描いて、それを囲むようにして、みんなで一言ずつコメントを書き込んで行った。


テーマは自由だったので、人それぞれに学校や担任や友達やこの教室に向けて、感謝の言葉を一言ずつ書き込んで行った。


別に当たり前の、なんてことのないことしか書いていないのに、その一言、一言が、心に響いて、号泣しているものさえいたものだ。


今だったらスマホで撮影して、画像を永遠に残しておくのだろうが、当時はスマホなんてなかったので、自分の目にしっかりと焼き付けて、記憶の引き出しにそっとしまって置くしかなかった。


そしてみんなで書いた、最初で最後の寄せ書きも、きっと明日の今ごろには消されて、きれいさっぱり、何もなくなっているのだろうと思うと、ボロボロと止めどなく涙がこぼれ落ちて来た。


そしてこういう時は、なぜか普段涙とは無縁のやつほど号泣していて、そのことが余計にみんなの涙を誘っていた。


そしてみんなで黒板に書いた寄せ書きに見送られるようにして、私たちはこの教室から卒業して行ったのだった・・・・・・。


(画像上、早咲きの桜の河津桜が開花した。画像下、カラスザンショウの冬芽葉痕はとてもかわいい)




2020年2月 9日 (日)

個性的な歩き方の人

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世の中には、「この人、歩き方が個性的だな~」と思う人がたまにいる。


昔いっしょに仕事をしていた、年配のおじさんの「久保寺さん(仮名)」は、普段は普通の歩き方なのに、客先を訪問してオフィスに一歩足を踏み入れた途端に、急に中腰になって、お辞儀を繰り返しながら歩き出すという変なクセがあった。


そんなにヘコヘコしながら歩かれると、いっしょに歩いているこっちは恥ずかしくてしょうがない。


その様子はまるで、一昔前の漫画に出て来る「こそ泥」の歩き方のようでもあり、見ていて思わず笑ってしまいそうになる。


久保寺さんは極度の口下手なので、客と話をする時には、もっぱら私が対応していた。


ところが久保寺さんは私が客と話をしている最中に、本来は客に向かってする返事を、なぜか私に向かって、「そうだ!」とか、「〇〇〇だもんなっ!」などと、まるで合の手を入れるように、一人でブツブツ言っていて、どうにもやりにくくてしょうがなかった。


思わず、「ちょっと黙ってて下さい」と言いたいところだったが、大先輩に対してそんなことを言う訳にもいかず、ただ淡々と話を続けるしかなかった・・・・・・。


客も最初のうちは、どっちに返事をしたらいいものか迷っていたが、久保寺さんはシャイなので、客とはいっさい目を合わさず、常に私の方を見ながらしゃべっているので、客も結局は「こっちでいいのかな・・・」という感じで、私の方に向かって返事をしていた。


久保寺さんは別に悪気はないのだが、客とたまに話すとあがってしまい、タメ口で話をしている時があり、それを考えると「むしろこれでいいのかな」といつも思っていた・・・・・・。


久保寺さんの「こそ泥歩き」は重心が前にあるのだが、重心が妙に後ろ側にある歩き方をする人もいる。


一見ふんぞり返って歩いているように見えなくもないが、それとはまた違って、バランスそのものがなんだかおかしいので、見ていてかなりの違和感がある。


「後ろに傾いている」と言ったら分かりやすいだろうか。


よくあんなバランスで歩けるものだと感心する。


ところでテレビで、「傾いたまま営業している飲食店」を見たことがあるだろうか。


よく見ると建物は確かに傾いているのだが、その状態で一応は微妙なバランスを保っていて、それ以上傾いて行くことはないようだ。


後ろに傾きながら歩いている人も、きっとそんな状態なのだろう。


傾いている人にしてみたら、その歩き方で何年も普通に生活して来た訳だし、きっと自分が傾いているなんて、これっぽっちも思っていないはずだ。


「あんた傾いているよ」と誰か教えてやればいいのにと思うのだが、よっぽど親しい人でもない限りはちょっと言いづらい。


一番いいのは家族が教えてやることだが、よく考えてみれば、今まで一度もそのことを指摘されたことがないから、こんなことになってしまっているのではないか。


家族というのは他人から見ると、「みんな同じ顔をしている」と感じることも少なくなく、もしかしたら歩き方もみんな同じである可能性もなきにしもあらずである。


もしそうだとしたら、家族そろって傾いて歩いていることになり、家族でお出かけする時などは、まるで何かのパフォーマンス集団のように思われるかもしれない。


どうせならマイケルジャクソンくらい傾いて欲しい。


そこまでやってくれたら、敬意を表して、「ポーーーッ!」の一言ぐらい贈りたいと思う・・・・・・。


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人の歩き方を大まかに分けるなら、「外股の人」と「内股の人」に分かれると思う。


自分がどちらなのか分からないという人は、靴底のすり減り具合を確認すればすぐに分かる。


靴の外側の方がすり減っている人は外股気味、逆に内側の方がすり減っている人は内股気味の歩き方の人ということになる。


ところがひとくちに外股や内股と言っても、「やや外股気味」、「やや内股気味」ぐらいの人もいれば、「ものすごい外股」の人や、「ものすごい内股」の人まで様々だ。


「ものすごい外股」の人や、「ものすごい内股」の人というのは、もうパッと見ただけで、「歩き方が極端」なことにすぐに気付く。


「ものすごい外股」の人は、後ろから来た自転車や車に足をひかれるんじゃないかと心配になるくらい、足を外側に大きく投げ出すような歩き方をする。


あれでポケットに両手を突っ込んで歩いていたら、ドカンズボンにリーゼントの、昭和の不良の歩き方そのものである。


「ものすごい内股」の人は、左右の膝や、左右のつま先が、歩いている時にぶつかるんじゃないかと心配になるくらい、足先が極端に内側をむいている。


その歩き方はまるでゼンマイ仕掛けの人形みたいでとてもぎこちない。
よくあれで普通に歩けるものだと感心してしまう。


「ものすごい外股の人」や「ものすごい内股の人」は、靴底のすり減り方もすごいことになっていて、まるで靴底が斜めにカットしてある特殊な靴のようになっている。


歩いている時はいいが、信号待ちなどで立ち止まった時、足が「ガクッ!」となって、バランスが取れずに転倒してしまうんじゃないかと心配になるのだが、不思議なことに彼らは平然と立ち止まって静止している。


フィギュアスケートの選手が、氷との接地面がほんの僅かしかないスケート靴で、普通に立つことが出来て、そのうえジャンプをしたり、スピンをしたり、片足を上げた状態で滑ったり出来るのと同じくらい不思議である。


そのような人たちを見ていると、人間というのは訓練を重ね、それが日常になって行けば、なんでも出来るようになるのだな~と思わず感心してしまう。


恐らく生物の進化というのは、最初はこのような些細なことの積み重ねだったのではないだろうか。


しかし、「ものすごい外股の人」や「ものすごい内股の人」が、いったいどこへ向かって進化しようとしているのかは全くもって謎である・・・・・・。


普段は普通の歩き方なのに、エスカレーターの前に行った途端に動きがおかしくなる人もいる。


普通にスタスタ歩いて行きながら、そのままエスカレーターに乗ってしまえばなんてことはないのだが、エスカレーターに乗るのが苦手な人はそれが出来ないのだ。


エスカレーターの直前までは普通に歩いているのに、エスカレーターを目の前にした途端、急に小刻みにステップを踏み始めるのだ。


いったいどのタイミングで、次の一歩を踏み出していいものか分からなくなるらしい。


後ろに並んで待っている人にしてみたら、「こいつはいったい何をしているんだ?」と思っているに違いない。


正に一人牛歩戦術状態といえよう。


混雑している時には後ろから押されて、「あっ!」と思っているうちにエスカレーターに乗れてしまい、結果オーライになったという話を聞いたことがある。


逆に空いている時には、誰も後ろから押してくれないので、いつまで経ってもエスカレーターに乗ることが出来ず、あきらめて隣の階段を上って行くことにしたそうだ。


子供の頃にエスカレーターに乗ることが出来ず、苦労したという人は多いかと思うが、このように大人になってからもエスカレーターに乗れず苦労している人もいるのだ。


エスカレーターの前で小刻みにステップを踏んでいる人を見かけたら、「何やってんだ!」などとイライラしないで、温かい目で見守ってあげて欲しい。


そしてその人がもし小柄な人で、自分がその人を持ち上げる自信があるなら、子供にするように背後から脇の下に手を差し入れ、「ひょい」とエスカレーターに乗せてあげて欲しい。


逆にその人が体格が良くて、どう頑張っても持ち上がりそうもない場合は、「タイミングを見て押してあげましょうか?」と声をかけてみて欲しい。


以前、「結果オーライ」になった経験のある人なら、「ぜひ!」と目を輝かせることだろう。


ただし、注意事項もあって、背後から脇の下に手を差し入れ、「ひょい」と持ち上げる場合は、事前にその人が「くすぐったがり屋」かどうかは確認するべきだろう。


そうしないと、エスカレーターの前に座り込まれてしまい、いつまで経ってもミッションを達成することは出来なくなるからだ・・・・・・。


(画像上、二月に入って里山ではマンサクの花が咲き始めた。画像下、センダンの冬芽葉痕はおサルさんの顔に似ている)


2020年1月28日 (火)

気付かない人 4

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私はたいていお気付きにならない。


テレビの心霊番組で、「お気付きになっただろうか?」というナレーションが流れた時のことである。


よほど分かりやすく、画面の中央にでかでかと幽霊が映し出されているのなら話は別だが、こちらが思いもかけないような場所に現れたり、物陰からチラッと見えているだけだったりした場合、私はまず間違いなくお気付きにならない・・・・・・。


そもそも幽霊が白昼堂々と、「やあ!」などと出て来る訳がなく、普通は物陰からひっそりと現れるものなのだ。


薄暗闇の中、ただ静かにこちらを見つめているだけの幽霊を、この私が気付くはずがないのだ。


せめて、「はい、いま出ました!」的なことを言ってもらい、「ここですよ~」と大きく手を振ってもらえると、私としてはありがたいのだが、そんなサービス精神旺盛な幽霊は見たことがない。


通常のVTRの後に、「分からなかった」と言う人のために、その部分を切り取って、アップにして流してくれることがあるのだが、私の場合はそれでも「なんだかよく分からない」ことが多い・・・・・・。


そんな訳で、私はいっしょにテレビを見ている人との温度差はいつもかなり激しく、隣で「キャー、キャー!」言っている人が、何をそんなに騒いでいるのかさっぱり分からず、「ポカン」としていることがほとんどなのだ。


「怖くないの?」と聞かれるのだが、怖いも何も私にはただの日常の風景にしか見えていないのだから、「全然」と答えるしかない。


そうすると、「スゴーイ!」とちょっと尊敬されたりして、いい気分にもなるのだが、自分も何が映っているのかどうしても知りたくなって、結局は事情を説明することになる。


あとで録画しておいたビデオを一人で見ていて、「うわ~ぁ、これかぁ!」などと騒いでいるのだが、周りの人とかなりの時間差があるため、怖さを誰かと共有することが出来ず、いつも一人くやしい思いをしている。


そんな訳で、私はもしも本物の幽霊が現れたとしても、きっと目の前に堂々と出て来てくれない限りは、恐らく全く気付かないのだろうな~と思う。


幽霊なんて絶対に見たくないという怖がりの人にはうらやましがられるのだが、わざわざ出て来た幽霊にしてみたら、きっと拍子抜けするに違いない・・・・・・。


ほんの1~2分程度のVTRの中で、「少しずつ見えている物が変化して行き、最終的にいくつの物が変化したか?」というのも私はほとんど気付かない。


例えばVTRの初めには長そでを着ていた人が、いつの間にか半そでになっていたとか、グラスの形や花瓶の柄が変化していたとか、普通のネクタイが蝶ネクタイに変わっていたとか、丸い時計がいつの間にか四角くなっていたとかいうアレである。


しかしこれは、「物が少しずつ変化して行く」とあらかじめ知らされていれば、誰でも注意して見ているから気付くかもしれないが、何も知らされずに見ていたら、きっとほとんどの人は気付かないのではないか。


一般的には「物が少しずつ変化して行く」と最初に知らされてからVTRを見ても、1回見ただけではほとんどの人が半分も分からないそうだ。


2回目、3回目と続けて見て、少しずつ「変化した物」に気付いて行くのだという。


私はテレビをボケーっと見る癖があるせいか、何度見ても相当分かりやすいもの以外は、ほぼ気付かないと言っていい。


「1回見ただけで、ほとんどの変化に気付く人もすごいと思うが、あんたも逆の意味ですごいと思う」とよく言われる。
ここはほめ言葉ととっておきたいと思う・・・・・・。


テレビ番組で出演者の衣装やヘアスタイルが途中から変わっていたりすることがある。


別々の日に撮影したものを繋ぎ合わせて放送しているのだが、私は誰かに、「ここから別撮りなんだね」と言われないと、たぶん気付かずに最後まで見ていると思う。


前述のように私はテレビを見ている時は、ボケーっとしているので、そういうことに気付きにくいのだ。


人に言われて初めて、「ああ、そう言えば、衣装が違うのか・・・」と思うのだが、同じような色合いの衣装だったりすると、言われなければ最後まで全く気付かないことも多い。


番組を見終わってから、「途中から別撮りだったね」と言われることもあるが、こういう時は「もっと早く言えよ」と思うと同時に、「そう?」とそっけなく答えるしかない・・・・・・。


更に言うなら、別撮りの部分から、ゲストが何人か入れ替わっていることもある。


さすがにこれは気付きそうなものだが、私ぐらいになると気付かないことも少なくない。


テレビというのはスタジオ全体を映している訳ではなく、常に一部分を切り取って画面に収めている。


だから途中でゲストが入れ替わっていても、たまたま映っていなかっただけで、初めからそこにいたものだと思ってしまうのだ・・・・・・。


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私は「七つ違い」も苦手だ。
同じように見える絵が二枚並べてあるのだが、じつは違う部分が七か所あるというアレである。


子供でも分かるような簡単なものならいいのだが、難易度が高いものだと、見つけるのに時間がかかるので、1つ・・・、2つ・・・、3つ・・・、4つ・・・、と見つけて行くうちに、最初に見つけた部分がなんだったのか忘れてしまい、何度も同じ絵合わせをしていて、「あれ、これさっきチェックしたやつだっけ?」というループにハマって行くのだ。


で、終わってみたら、全部見つかったんだか、見つかってないんだか、自分でもよく分からないことになっている・・・・・・。


同じ漢字がたくさん書かれている中に、たった1文字だけ違う漢字が紛れているのを探すというのも私は苦手だ。


例えばたくさんの「金」の中に、たった一文字だけ隠れている「全」を探すというやつである。


最初は「そんなの簡単じゃん!」と息巻いているのだが、実際にやってみるとけっこう難しくて、全部「金」に見えてしまうのだ。


上の段から順番に視線を流して行くのだが、何周しても「全」が見つからない。


「え~、ほんとうにあるのかよ~!」とか、「ぜんぶ金じゃん」などと独り言をつぶやきつつ、軽くイラつている自分に気付く。


しかし、ここでイライラしていたら相手の思うつぼだと思い直し、平常心を心がけて再チャレンジするのだが、一向に「金」が見つからないのだ。


挙句の果てには、「そもそもなんで『金』の中に『全』を隠すかな~、『金』の中に隠すならどう考えても『玉』だろ~」などと無茶苦茶なことを言い始める始末。


たくさんの「金」の中に、1つだけ「玉」があるのなら、誰だって簡単に見つけられるのだ。
似たような形をしていて、ちょっとだけ違う字が紛れているからこそ見つけにくいのである・・・・・・。


「2つの点に顔を近付け焦点をぼかして行くと、3つに見える瞬間があって、その時に視線をそのまま作品に移すと何かの絵が浮かび上がって来る」というのも私は苦手だ。


苦手というかこれに関しては、私は1度も成功したためしがない。


そもそもどのようなシステムになっているのかすらよく理解出来ていない。


2つの点に顔を近付け焦点をぼかしていくと、3つに見える瞬間があるというが、私には3つに見える瞬間がそもそもない。


2つしかない点が3つに見える訳がなく、それってただの乱視なんじゃないのかと思ってしまう。


3つに見えないので仕方なく焦点がぼやけた段階で視線を作品に移して見るのだが、見えているのは焦点の合っていない意味不明の絵で、何かが浮かび上がって来たことなど、今のところは1度もない・・・・・・。


「目の焦点をぼやかすことでなにかが見える」と言えば、アダルトビデオのモザイクを思い出す。


私が学生の頃、「アダルトビデオは目を細めて見ると、モザイクが消えて丸見えになる」なんていう噂があった。


目は極限まで細めた方がいいとか、少し「より目」にした方がいいとか、白目をむいた方がいいとか、様々なことが言われていたが、そのどれもがモザイクが取れるどころか、よけい見づらくなるだけだった・・・・・・。



「2つの点に顔を近付け焦点をぼかしていくと3つに見える瞬間があって、その時に視線をそのまま作品に移すと、何かの絵が浮かび上がって来る・・・・・・」


もし、この技を習得することが出来たら、アダルトビデオのモザイクもきれいに取れて、丸見えになるような気がするのだが、どうやらまだまだ先は長そうである・・・・・・。


(画像上は春を待つ河津桜の冬芽。じつは今年は暖冬の影響でもう咲き出している木もある。画像下はナミスジフユナミシャクのメス。里山では現在ナミスジフユナミシャクが発生のピークを迎えている)


2019年2月19日 (火)

花粉症との戦い

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私は花粉症である。
花粉とはもうずいぶん長い付き合いになるが、初めから花粉症だった訳ではない。


なった当初は花粉症なんて自分とは縁のないものだと思っていたので、花粉症というものがどのようなものなのかもよく理解していなかった。


ただ、「くしゃみ、鼻水、鼻づまり」がひどいので、てっきり風邪だと思い込み、ずっと風邪薬を飲んでいた。


ところが風邪薬を飲み始めて1か月ぐらい経っても、症状が一向に良くならず、「ずいぶんと長引く風邪だな~」と思っていた時、たまたま点けていたテレビのニュースで、「花粉症」の特集をやっていた。


それを何気なく見ていた時に、自分と症状がよく似ていることに気付き、このとき初めて「もしかして、これは花粉症なんじゃないか?」と思い始めた。


そう言われてみれば、最近やたらと目がかゆい。
「もはやこれは花粉症で間違いなさそうだ」と、その時にようやく気付いたのである・・・・・・。


花粉症になって数年間は、最もひどい症状は鼻水と鼻づまりだった。
ピークの時の鼻水は正に滝のように流れ落ち、ティッシュがいくらあっても足りないくらいだった。


花粉シーズンに我が家から出るゴミの半分は、私が鼻をかんだティッシュで、ゴミの日には45リットルのゴミ袋1つが、真っ白いティッシュだけだったこともある。


きっと私は日本のティッシュの売り上げに相当貢献しているに違いない。
メーカー各社から金一封くらい出してもらってもバチは当たるまい。


私はそれくらいティッシュを消費するので、鼻に優しい肌触りのいい高級なティッシュなんて、とてもじゃないが買うことが出来ない。


いつも5~6箱セットで175円の安いティッシュを買う。


毎年、鼻をかみすぎて、鼻の周りが赤くなり、ヒリヒリするのだが、鼻に優しい高級なティッシュを使えば、そんな症状も少しは軽減されるのだろうか。


そんな訳で、私は高級ティッシュのモニターにはうってつけの人物であるということも付け加えておきたい・・・・・・。


私の場合、昼間体を動かしている間は、鼻水が出ていることが多いのだが、夕方から夜にかけて運動量が減ると、今度は鼻づまりになって来る。


よりによって、夜寝る頃になると、ひどい鼻づまりになっていて、苦しくてろくに眠ることが出来なくなる。


鼻づまりを解消するために、マスクをしたり、蒸しタオルで鼻を温めたり、色々なことを試して来たが、どれもほとんど効果はなかった。


そんな中、個人的に一番効果があったのは、メンソレータムを鼻に塗ることだった。


最初は鼻の両脇に塗っていたのだが、スーッとして気持ちはいいものの、鼻づまりは改善されない。
そこで、これはもう鼻の穴に塗ってしまうしかないと思い、鼻の穴の中に少し塗ってみた。


するとメンソールが呼吸と共に、スーッと鼻の奥に進入して来るのが分かり、わずかだが空気の通り道が出来たのが実感出来た。
私は鼻づまりがピークの時は、この方法で何とか夜眠ることが出来るようになった。


それでも、数時間でまた鼻がつまって目が覚めてしまうのだが、その都度メンソレータムの力を借りて、空気の通り道を作ってやって、鼻が通っているうちに速攻で眠るというのを繰り返しながら朝を迎えるのだ。


ミント系のスースーが苦手なかたは、逆に寝られなくなる可能性があるので、おすすめ出来ないが、私の場合は今のところこの方法が一番、鼻づまりの解消には効果がある・・・・・・。


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花粉症の症状は、「くしゃみ、鼻水、鼻づまり」だけではない。
目のかゆみも多くの人が感じる症状の一つだ。


私の場合、目のかゆみに加えて、耳の穴の奥や、咽喉(のど)のかゆみの症状もある。
早い話が体中の穴という穴が全てかゆくなるのだ。


唯一、尻の穴だけはズボンを履いているのでかゆくならないが、たまにかゆくなることがあるのは、また別の問題だろう。


しかし、もし尻を丸出しで外を歩いていたら、尻の穴にも花粉が進入し、それが原因でかゆくなったりするのだろうか・・・・・・。


花粉が原因のかゆみで一番堪えがたいのは耳の穴の奥のかゆみだ。


目はかゆければ手でこすったり、目薬や水で洗うことも出来るし、咽喉はお茶で流し込んだり、うがいをすることも出来る。


しかし、耳の穴の奥だけは、指も入らないので、かゆくてもどうすることも出来ず、もどかしいことこの上ない。


家に帰ってから耳かきをすると、花粉と思しきパウダーがたくさん出て来て、「花粉がこんなに出て来た!」と家族に見せるのだが、「それは花粉ではないと思う。耳クソの一種だ」と毎年のように言われて悔しい思いをする。


しかし、私はあれは絶対に花粉だと思っている。
外出から帰って来るたびに耳かきをしているのだから、そんな短期間に耳クソがたまる訳がないのだ・・・・・・。


かゆみと言えば、最近「花粉症皮膚炎」というのがあることを知った。
まぶたや目の周り、頬骨の周辺などが花粉が原因で赤くなり、かゆくなるのだそうだ。


私も花粉症が発症して数年間は、目の周りがパンダのようになることがしばしばあったのだが、もしかしたら花粉症皮膚炎だったのかもしれない。


花粉が原因で目の周りがパンダのようになるなんて、花粉症の人間しか知らないことなので、私の周りの花粉とは無縁の人間には、「あいつ酔っぱらってるんじゃないか」と思われてるんじゃないかと思い、内心ひやひやしながら過ごしていたものだ。


最近は理由は分からないが、なぜか花粉シーズンになっても、パンダにはならなくなってホッとしている・・・・・・。


花粉は髪の毛にもたくさん付着する。
家に入る前に、一応バサバサとはたいて来るのだが、それだけではどうやらきれいには取れないらしい。


顔や首など髪の毛が触れる場所が、花粉シーズンになると必ずかゆくなる。


普段は髪の毛なんて全く気にしないのに、花粉シーズンだけは皮膚に触れる毛先がどうにも気になって、色気づいた男子中学生のように、気が付けば髪ばかり気にしている。


あんまりかゆみがひどい時は、自分の髪の毛がうっとうしく思えて来て、いっそのこと丸坊主にしてしまおうかと思ったこともあったが、丸坊主にした自分を想像したら、思わず爆笑してしまい、さすがにそれは思いとどまった・・・・・・。


ある日、かゆみに耐えかねて、髪が顔に触れないように、ためしに脳天でまとめてしばってみたら、これが思いのほか効果ありで驚いた。


ちょうど頭のてっぺんから噴水が吹き出しているようなヘアースタイルだ。


家にいる時はこうしておけば、かゆみが軽減されるので、「こりゃいいや」と味を占め、それからは毎日このヘアースタイルで過ごすようになった。


ところがある日、なんだか小腹が減って、パンとコーヒー牛乳を買いにコンビニに出かけたのだが、うっかりこの噴水ヘアーのまま出かけてしまい、帰って来るまで全く気付かなかった。


パンを食べ終わるころになって、「あっ!」と思って頭に手をやって、噴水ヘアーのまま出かけたことに気付いたが、「時すでに遅し」である・・・・・・。


うかつなことにコンビニには結構長く滞在してしまい、雑誌コーナーで立ち読みしている時に、外でタバコを吸っていた男がガラス越しに私の顔をじろじろ見ていたり、小さい子供がバカ殿がどうとかと母親と話していたり、レジで店員がポカンとした表情で私を見ていたりしたことの理由がようやく理解出来た。


しかし、現場で気付いて、慌てて噴水ヘアーを元に戻して、恥ずかしい思いをするより、気付かなかったことで、堂々としていられたから、笑われることもなかったのかな~と思うのだ。


笑われはしなかったものの、「おかしな奴が入って来たな~」と思われて、関わり合いにならないように、少し距離を置かれていたことはまず間違いないのだが・・・・・・。


(画像上はじっと春を待つ樹木の冬芽、画像下は地面に貼り付いて春を待つブタナのロゼット)

 

2019年2月10日 (日)

道端のうんこ

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道を歩いていて、うんこを踏んづけた時ほどショックに感じることはない。


足の裏から伝わって来る「ぐにゃり」という嫌な感触で、「今、もしかしたら、うんこを踏んづけたんじゃないか」とまず思う。


そして、そうでないことを必死に祈りながら、足元をそっと確認する。


「やっぱり、うんこだった・・・」という時は、「なんでもっと足元を見て歩かなかったのだろう」という後悔にさいなまれ、同時に「靴底に付いたコイツをどうするか」という問題に直面し、悩まされることになる・・・・・・。


うんこと言えば汚物界の頂点に君臨するシロモノである。
そんなものが靴底一枚隔てた足の裏にこびり付いているのだ。


誰にも気付かれないうちに、一刻も早く除去したいのは言うまでもない。


うんこを踏んづけた時にまずすることと言えば、地面に足をこすり付けて、少しでも早く靴底のうんこをきれいに取り除こうとすることではないだろうか。


しかし、自分の靴底の跡がくっきりと付いて、ぺったんこになっているうんこの横で、そんなことをしていたら、道行く人に、「あいつ、あのうんこを踏んづけたんだな」と思われかねない。


現実にその通りなのだが、さすがにそう思われるのは恥ずかしいので、数メートル先に足早に移動してから地面でゴシゴシする。


ところがうんこというのはとてもしつこいもので、靴底のすべり止めの溝に入り込んで、なかなかきれいには取れないものなのだ。


さすが汚物界の王様、一筋縄ではいかない。


しかし、もう現場で出来ることと言えばこのくらいで、あとは歩きながら自然に取れてくれるのを待つしかない・・・・・・。


現場で一番やってはいけないのは、少しでもきれいにしようとして、ティッシュなどで拭き取ろうとすることだ。


慌てているとやりがちなのだが、ポケットティッシュは薄いうえに、折り目から破れやすいので、靴底だけでなく、自分の手まで汚しかねない危険な行為と言えよう。


ウエットティッシュは破れこそしないものの、目が粗く出来ていて、うんこが浸透して来やすいので、これもやめておいた方が賢明だ。


更にティッシュやウエットティッシュを使った場合、そのゴミをどうするのかという問題もある。
間違っても、その辺に「ポイ」をしてはいけない・・・・・・。


世の中にはそんな汚物界の王様をものともしない強者がいる。
井戸端会議中の主婦の皆さんである。


その日、私が目撃したのは、住宅街の小道で立ち話をしている、買い物帰りと思しき二人組だった。


そこは住宅街を縫うように通っている、決して広くはない道なので、他の人の通行の邪魔にならないように配慮したのか、立ち話をしている二人組は道の隅っこに寄って話し込んでいた。


二人は「〇〇町のスーパーはすごく安いのだが、あそこまで交通費をかけて行ったら意味がない。何とか歩いて行くことは出来ないか」ということについて話をしているようだった。


私は〇〇町のスーパーへ行くには、バス通りを歩いて行くと道は分かりやすいが遠回りになる。


しかし、住宅街を抜けて行けばアップダウンも少なくショートカット出来るので、それほど遠くは感じないということを知っていたが、見ず知らずの男が急に話に割り込んで来たら怪しまれると思い、教えたい気持ちをグッとこらえて、二人の横を通り過ぎようとしていた。


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ところがその時私はとんでもない光景を目にしてしまった。
私に背を向けていた主婦Aの足元にうんこがあったのだ。


道端なのでうんこがあること自体は不思議でも何でもない。
衝撃だったのは主婦Aは見事なまでにそのうんこを踏んづけたまま、立ち話をしていることだった。


うんこは主婦Aの右足に踏んづけられ、「凹」の形になって靴にきっちりとはまっていた。


しかも、このうんこはけっこう大きくて、人間がする一本糞とさして変わらないようだった。
きっと、大型犬のものだろう・・・・・・。


主婦Aはこんなに大きなうんこを踏んづけているにも関わらず、全く気付いていない様子で主婦Bとまだ「〇〇町のスーパー」の話で盛り上がっている。


主婦Bは「歩いて行けないことはないと思うが、あそこから大根やキャベツなどの重たいものを持って帰ってくるのはきつくないか」などと、悠長なことを言っていて、相方の右足がうんこにめり込んでいることなど、視界の片隅にも入っていない様子。


一方の主婦Aは巨大なうんこに右足をめり込ませたまま、仁王立ちで相方の話に頷きながらも、「たとえ大根やキャベツなどの重たいものであっても、トートバックを持って行けば大丈夫。スーパーの袋だから手が痛くなり、重たく感じるのだ」と持論を展開していた。


私は主婦Aにうんこを踏んづけていることを教えてやるべきか悩んだが、たとえ教えたところで、すでに主婦Aの靴はうんこにパックリとくわえ込まれていて、もはやどうすることも出来ない。


うんこを踏んづけていることを教えても、今さら靴がきれいになる訳ではないのだから、教えることでショックを与えパニックにさせるよりも、そっとしておいてやった方がいいのではないか・・・・・・。


そんなことを考えていたら、主婦Aは突然、「あら、嫌だ。もうこんな時間。そろそろ失礼しなきゃ」と、主婦Bに別れを告げると、そそくさと歩いて行ってしまった。


相当長い時間、この場所で立ち話をしていたのか、主婦Aの右足には半乾きになったうんこがパックリと食らいついたままで、家が近くならうんこは落ちることなく、いっしょに帰宅することになりそうな様子だったが、その後どうなったのかは、確認した訳ではないので定かではない。


私は井戸端会議中の主婦が、道端でうんこを踏んづけたまま話し込んでいるのを見たのは今回で3回目だったが、あんなに大きなうんこを踏んづけているのを見たのは初めてだった・・・・・・。


道端のうんこに気付かなかったことはまあ分かる。
しかし、あんなに大きなうんこを踏んづけたら、踏んだ瞬間に足に「何か踏んだ」という感触が絶対に伝わって来ると思うのだ。


普通はそこで足元を確認すると思うのだが、話に夢中になっている主婦にとっては、そんなことは蚊に刺されたくらいのことでしかないようだ。


更に足にあんなに大きなうんこを付けたまま、それに気付くこともなく、平然と歩いて行く姿にも驚かされる。
「普段より右足が重たいな」とは思わないのだろうか。


きっと、主婦Aの意識はもうとっくに家に帰っていて、「帰ったらやるべきこと」で頭の中がいっぱいになっていたのだろう。


人は何かに夢中になっていると、自分に起きているちょっとした事件に、全く気付いていないことがある。
私はうんこを踏んづけたまま、話に夢中になっている主婦を見るたびに、そんなことをふと思う。


そして、汚物界の王様をものともしない主婦、恐るべしである・・・・・・。


(画像上はサルの顔のようなオニグルミの冬芽葉痕、画像下はジョウビタキのオス)

2019年2月 3日 (日)

教師の体罰を考える

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今でこそ教師の体罰が問題視されるようになって、テレビで報道されるほどになったが、私が子供のころはそんなことは当たり前で、誰も騒ぎ立てる者なんていなかった。


小学生の頃は授業が始まっても、おしゃべりをやめない生徒が必ずいるもので、2~3回注意してもやめないと、担任は躊躇なく出席簿や持っている教科書で、脳天を「パン!」と叩いていたものだ。


しかし、音は派手だがたいして痛くはない。


今考えると、その効果は絶大で、「口で注意されたにも関わらず、おしゃべりをやめなかったから叩かれた」という強烈な印象が残り、じょじょに罪悪感が広がって行き、その後の授業は静かに進行して行った・・・・・・。


教師によっては黒板用の巨大な定規を使うものもいた。


サイズはびっくりするほど大きいのだが、思っているほど厚みがないので、平らな部分で「ペシッ!」とやられても、じつはそれほど痛くはない。


叩かれても痛くないので、懲りずにまたおしゃべりを始めるやつがいる。


再度、巨大な定規を持って、ゆっくりと近付いて来る教師に気付き、自ら頭を差し出す生徒がいるのだが、じつは2度目は違う。
今度は定規の平らな部分を使うのではなく、包丁で言えば刃の部分を使うのだ。


そんなこととも知らず、自分から頭を差し出す、バカな生徒の頭に、教師は定規を軽く振り上げ、定規の刃の部分を重力に任せるようにして振り下ろす。


「コツン!」という鈍い音がして、「い~ってえ~っ!」というバカな生徒のマヌケな声が教室中に響き渡る。
教師と生徒の一連のやり取りが、まるでコントみたいで大爆笑が起こる。


教師は「してやったり」、生徒は「やられたよ」みたいな表情をして授業再開となる・・・・・・。


また、別の教師は授業に子供用のプラスチック製のバットを持参して来ていた。


何に使うのかは言うまでもなく、数回注意しても同じことを繰り返すと、「前に出て来い!」と黒板の前に呼ばれ、いわゆる「ケツバット」の餌食になる訳だ。


プラスチック製のおもちゃのちゃっちいバットなので、中は空洞で信じられないくらい軽いのだが、これをなめてもらっては困る。


自称、「元野球部」の教師が、容赦ないフルスイングで、バットを的確にケツの中央にヒットさせて来ると、「スパーーン!」という何とも切れのいい音が教室中に響き渡る。


ケツバットの餌食になった生徒は、カクカクしたロボットダンスのような動きで、しばらくの間、教室の中を歩き回らずにいられない。


ケツバットがヒットした時の清々しいほどの音と、ロボットダンスをやめられないバカな生徒に、またしても教室は爆笑の渦に包まれるのだ。


余談だが民放某局の年末恒例のバラエティー特番は、子供の頃にこのような経験をした、「元、バカな生徒」が企画して始まったのではないかと、私は密かに思っているのだがどうだろう・・・・・・。


ちなみにケツバットには3種類のスイングがあって、「何を注意されたのか」、「何回目の注意だったのか」、「常習犯か否か」などの判断材料から、どのスイングを使うのかを判断される。


もっとも軽いスイングは「流し打ち」と呼ばれ、バットでケツを押し返して行くようなイメージのスイング。


普通の強さのスイングは「センター返し」と呼ばれ、ケツと平行にバットを当て、振り抜いて行くイメージ。


最も強いスイングは「引っ張り」と呼ばれる素早いスイングで、、バットのスイング方向にケツもいっしょに持っていかれるんじゃないかというくらいのフルスイング。


ケツバットに指名された者は、ただ単に「今からケツバットを受けなくてはならない」ということだけではなく、「3種類のスイングのどれが来るのか」という恐怖とも戦わなくてはならないのだ。


誤解のないように言っておくが、最も軽いスイングの「流し打ち」でも十分痛い・・・・・・。


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中学の時の社会科の教師はデコピンの使い手だった。
デコピンというと地味なイメージで、「痛いのはほんの一瞬だろう」と思われがちだが、この社会科教師のデコピンは違った。


一般的なデコピンはインパクトの瞬間、「ペチッ!」という音がするが、この教師のデコピンは「ゴツッ!」という鈍い音がするのだ。


それは明らかに指でおでこの表面が弾かれる音ではなかった。
骨と骨がぶつかり合うような嫌な音で、音だけ聞いていたら絶対にデコピンの音とは思われないだろう。


石頭で有名なプロレスラーが、相手の頭部に頭突きを喰らわせている時の音に似ている。


デコピン経験者に話を聞くと、一般的なデコピンは皮膚の表面が痛いのだが、この社会科教師のデコピンは、「頭蓋骨がジンジンするような痛さ」だと言う。


その言葉の通り、デコピンを受けた者は、3~4分程度、額を押さえたまま動けず、周りの声や音も全く耳に入って来ないそうだ。


ようやく現実に戻り、まずすることと言えば、額に手を当てて、流血していないか確認をすること。


なんでも、デコピンを受けた瞬間は、指が額の皮膚を突き破り、骨に直接当たっているように感じるのだそうだ。


現実にはもちろん流血などしている訳はなく、デコピンをされた証明として、おでこの真ん中が丸く真っ赤になっているだけである。


しかし、デコピンをされた生徒は、おでこの真ん中に赤丸を付けたまま、きょう1日過ごさなければならず、他のクラスの生徒に、「あいつデコピンをされたんだ」と指を指され、かなり恥ずかしい思いをすることになる・・・・・・。


体罰といえば、私が小学生のころ、「暴力教師」と呼ばれ、恐れられている先生がいた。


彼の体罰はこれまでご紹介して来た体罰とは比べ物にならないくらいの、正統派の「ザ、体罰」で、小学生相手に平気で平手打ちをして、体ごと吹っ飛ばしている姿をよく見かけたものだ。


私は幸いなことに、6年間の小学校生活の中で、その暴力教師が担任になったことは一度もなかったのだが、彼の担当しているクラスの生徒が、廊下で彼に吹っ飛ばされている姿は数えきれないくらい目撃していた・・・・・・。


彼の体罰を最も目にする機会が多かったのは、朝の全校集会の時だった。


全校集会と言うと、最近は体育館で座った状態で行われているところが多いそうだが、私が小学生の頃は、雨天でなければ四季を問わず、校庭で整列した状態で行われていた。


どこのクラスの担任も、列が乱れていたり、むだ話をしている生徒がいれば、その都度注意をするし、言うことを聞かない生徒がいれば、時にはポカリとげんこつを落とすこともあった。


ところが、暴力教師はその更に上を行っていて、列を乱している者、むだな話をしている者などは、襟首を掴まれて、引きずるようにして列の真ん前へ連れて行かれ、まるで見せしめのように皆の方を向かされ横並びにさせられた。


そして、左から順に足払いで豪快に転倒させられて行ったのである。
足を払われて、一瞬宙に浮いて、地面に落ちて行く恐怖たるや、想像を絶するものがあるだろう。


そんな光景を見せつけられるたびに、私はこの男が担任でなくて本当に良かったと心の底から思ったものだ・・・・・・。


全校生徒の目が地面に倒れこんで泣いている生徒に注目する中、暴力教師は「さっさと列に戻れ」と静かに言い放つ。


普段なら校庭の端の方に並ぶ学年や列の後方の生徒には、聞き取れないくらいのつぶやくような一言だったが、この時ばかりはなぜかはっきりと聞こえた。


それくらいシーンとしていたのだ・・・・・・。


しかも、なぜか「足払いショー」の後は、いつの間にか全校の列がピシッと気持ちいいくらい真っ直ぐになっていた。


ところがこの後の校長先生のなが~いお話で、飽きてだらけ始める生徒が出て来て、再び列は少しずつ乱れて行くのであった・・・・・・。


暴力教師は校長先生のなが~いお話の時だけは、「こればっかりはやむを得ない」と思っていたのか、何も言わず、ただ、ただ、生徒といっしょに長い話が終わるのを待っていた・・・・・・。


(画像上はミツマタの花芽、画像下はゴシュユの冬芽葉痕)
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