カテゴリー「昭和」の記事

2024年5月29日 (水)

「謎フレーズ探偵」グッとパーでわかれましょ ①

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私が小学生の頃、チーム分けが必要な遊びをする時は、グーとパーのどちらを出すかで、集団を2つに分けていた。


例えば野球やキックベース、ドッチボールなどの球技や、ケイドロをはじめとする鬼ごっこで遊ぶ時がそうである。


で、このグーとパーによるチーム分けなのだが、いろいろな人に話を聞いてみると、地域によってその掛け声に様々なバリエーションがあることが分かった。


ちなみにここでいう「地域」とは、都道府県などの広い範囲だけではなく、市区町村などの狭い範囲も指している。


現実に私が子供の頃には、中学に進学して、他の地域に住むクラスメートと交流するようになると、それまでは聞いたこともなかったような掛け声で、チーム分けをしようとするものが現れて、たいへん驚いたものである・・・・・・。


ちなみに私が小学生の頃に、チーム分けに使っていた掛け声は、以下のようなものだった。


(掛け声 A)

「グッとパーでわかれましょ」


私の記憶ではチーム分けの際は、ほぼ100%といってもいいぐらい、この掛け声だったと思う。


(掛け声 B)

「グットッパ」


時間がない時や、何らかの理由で急いでチーム分けをしなくてはいけない時などはこれだった。


恐らくこの掛け声は、その使い方から考えても、「グッとパーでわかれましょ(A)」を短縮したものと考えるのが自然だろう。


私が小学生の頃に使っていた、チーム分けの際の掛け声は、この2つだけで、これ以外の掛け声は、当時は聞いたことがなかった。


ちなみに私は神奈川県の横浜市出身である・・・・・・。


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中学に進学して、他の地域に住むクラスメートと交流するようになると、これらの掛け声にバリエーションが存在していることを知ることになりたいへん驚いた。


そしてそれは、掛け声A、掛け声Bともに存在していたのである。


それがこちらになる(↓)。


(掛け声C)

「グッとパーであえばいい」


これは掛け声Aのバリエーションと思われる。


個人的には小学生の頃は、ず~っと「グッとパーでわかれましょ」に慣れ親しんでいたので、正直なところ、「グッとパーであえばいい」には違和感しかなくて、「あえばいいとは、いったいどういう意味だろう?」とずっと思っていた。


これについては、いま考えても、思わず頭を捻ってしまうのだが、恐らく「数が合えばそれでいい」という意味だったのだろう。


しかし、それって、日本語としてどこかおかしくはないだろうか。


そう考えると、もともとの掛け声はどうもAのような気がする・・・・・・。


(掛け声D)

「グッチッパ」


これはどう考えても、掛け声Bのバリエーションだ。


なぜ、「グットッパ(B)」が「グッチッパ(D)」になったかは定かではないが、恐らくこの掛け声は、「グーチョキパー」を短縮したものだと思われる。


しかし、チーム分けにはチョキを使うことはないのに、なぜこのような掛け声になったのか疑問に感じる。


そしてこの掛け声については、さらなるバリエーションがあった。


(掛け声E)

「グッパッパ」


グーとパーで分かれるから、「グッパッパ」なのだろうが、これでは「パ」が1つ多い気がする。


そんな訳で、個人的にはもう一捻り欲しいところだ。


(掛け声F)

「グッパッしょ」


最初、「しょ」とは何のことだろうと思っていたのだが、掛け声のリズムからして、どうもジャンケンをする時の、「あいこでしょ」の「しょ」のようだった。


そう思って、「しょ」はひらがな表記にしてみた。


恐らく「グッパ」ではリズム感が悪いので、「あいこでしょ」の「しょ」を語尾に強引に付けてみたということではないだろうか・・・・・・。


そんな訳で、「グットッパ(B)」、「グッチッパ(D)」、「グッパッパ(E)」、「グッパッしょ(F)」という一連の短縮系の掛け声のもとは、「グットッパ(B)」ということになりそうだ・・・・・・。


(次回②へ続くよ・・・・・・)


(画像上、風車のような形をしたヤマボウシの花・・・・・・。画像下、甘い香りを漂わせながら、スイカズラがたくさんの花を咲かせている・・・・・・)


2024年5月23日 (木)

「昭和の遊具」雲梯

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最近、「小学校の校庭が嫌にすっきりしてしまったなぁ」と思っていたところ、私が通っていた当時にはあったはずの遊具が、ことごとくなくなってしまっていることにふと気付いた。


そのうちのひとつが「雲梯」である。


雲梯とは梯子をアーチ状にしたような遊具で、私が子供の頃には学校には必ず設置されていたものだ。


私の母校にあったものはアーチ状のものだったが、他にも梯子の部分が水平になっているものや、山形になっているもの、また、梯子ではなく吊り輪になっている特殊なタイプもあったようだ・・・・・・。


遊び方としては、梯子状の持ち手の部分にぶら下がり、右手、左手と交互に使いながら、前へ前へ進んで行き、端まで行き着いたらゴールになる。


例えるなら木の枝から枝へ、腕の力だけで移動して行く、お猿さんのイメージだ。


このため雲梯をサクサクとリズミカルに進んで行くことが出来る者は、男女問わず高確率で、「オランウータン!」とか「モンキー!」という掛け声を掛けられていたものだ・・・・・・。


ところでこの雲梯で遊ぶためには、ある程度の腕の筋力が必要になる。


このため小学校低学年の頃は、雲梯で遊ぼうなんてやつはほとんどいなかった。


しかし、学年が上がるにつれて、次第に筋力もついて来て、梯子の持ち手を、1つ飛ばしや2つ飛ばしで持ち替えながら、前へ前へ進んで行く者も現れるようになって来る。


この頃になると、自分が少しずつ猿に近付いて行っているのを、なんとなく実感出来たものである。


雲梯を端から端までクリアした者は、今度は梯子の上へよじ登り、まるでイグアナのような姿勢で、反対側まで歩いて行くという、離れ業を身に着けていった。


一見かっこうよく感じるのだが、よく考えてみれば、これは哺乳類から爬虫類への退化であることを忘れてはならない・・・・・・。


ところでこの雲梯だが、いま考えると、遊具というより身体を鍛える目的の設備だったような気がする。


というのも、雲梯は体育の授業にも取り入れられていたからだ。


雲梯をスムーズに渡って行くためには、握力や腕の筋力が必要なのはもはや言うまでもない。


さらに腕を交互に繰り出して、常に一定のペースで持ち手を持ち替えて行かないと、バランスを崩して途中で落下してしまうことになる。


雲梯にはリズム感が必要なのだ・・・・・・。


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また、端から端まで落下することなくゴールするためには、ある程度の持久力も必要になって来る。


雲梯は日常的に遊ぶことで、握力や腕の筋力、腹筋や背筋、持久力やリズム感まで、効果的に鍛えることが出来るのだ。


遊んでいるだけで、自然に身体を鍛えることが出来るのだから、子供の成長に伴う筋力の向上にとって、こんなに理想的な遊具はないといえるだろう・・・・・・。


では、そんな優秀な遊具だった雲梯が、なぜなくなってしまったのだろうか。


これについては、いくつかの要因があったようだ。


1つは雲梯は跳び箱などと違って、校庭に常に設置されている遊具なので、子供たちがいつでも自由に遊ぶことが出来たこと。


自由に遊べるということは、先生や大人の見ていない所で、何が起こってもおかしくないということだ。


例えば学校帰りにランドセルを背負ったまま、雲梯の上へあがって遊んでいた子供が、持ち手の梯子の部分にひっかかってしまい、宙吊りになって動けなくなってしまったなどの事故が起きていたようなのだ。


誰かがいっしょにいれば、すぐに発見してもらえるのだが、1人で雲梯に宙吊りになっている様子は、なんとも間抜けとしか言いようがない。


ランドセルを下ろさずに、横着をした結果がこれである・・・・・・。


そして、このような事故は決して少なくなかったようで、どうやらこれが危険と判断されたらしい。


また、そのような事故以外の要因としては、子供の体力低下が挙げられるという。


昔は学校のスポーツテストで、「懸垂」という種目が必ずあった。


ところが現在では、懸垂が1回も出来ない生徒が急増して、1999(平成11)年頃に、懸垂の種目は廃止になってしまっている。


懸垂を1回も出来ないなんて、私が子供の頃にはちょっと考えられない話だが、確かに懸垂が出来なければ、雲梯で遊ぶことなんて、絶対に不可能だろう・・・・・・。


私が小学生の時の卒業アルバムを開いて見ると、雲梯に数名ずつぶら下がって撮ってもらった写真や、みんなでジャングルジムに捕まって撮った写真など、遊具で撮った写真がたくさん収められている。


しかし、現在の小学校の校庭には、鉄棒以外の遊具は、何もなくなってしまった。


そんな風景を眺めていると、いまの卒業アルバムは、きっと寂しいことになってしまっているのだろうなぁと思わずにはいられない・・・・・・。


(画像上、初夏の林縁ではウツギの花が見頃に・・・・・・。画像下、公園ではピンク色のヤマボウシが咲き始めた・・・・・・)





2024年5月17日 (金)

ミミズバーガーのうわさ

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昭和の頃には、「その話し本当なの?」と思うような、どうしようもない噂話がたくさんあった。


冷静になって考えてみれば、どう考えても嘘なのに、当時は「本当の話」として、真面目に語られていたので、そのことを信じて疑わない人も少なくなかった。


ひとつ例を挙げるなら、「マクドナルドのハンバーガーにはミミズの肉が使われている」という話が有名である。


今だったら、「都市伝説」という言葉ひとつで片付けられてしまい、発信する側も、受け取る側も、「信じるか信じないかは、あなた次第です」というスタンスがお約束になっている。


しかし、昭和の頃には、「都市伝説」などという便利な言葉は存在していなかったので、本当なのか嘘なのか分からない話は、あくまでも「噂」であって、その話を事実として受け取って信じている人もたくさんいたのだ・・・・・・。


では、「マクドナルドのハンバーガーにはミミズの肉が使われている」という話は、具体的にはどのようなものだったのだろうか。


この手の話というのは、時代と共にアップデートされて行くので、この話が現在どのような内容になっているのかは私は知らない。


ちなみに私が子供の頃に聞いた話では・・・・・・、


「マクドナルドのアルバイト店員が何気なく調理場を覗いたところ、調理担当者がハンバーグの具材にミミズの肉を入れて調理しているところだった。そして、その様子を見ていた店長に、店の奥へ連れて行かれて、口止め料として多額の現金を渡された・・・・・・」


また、別の話では・・・・・・、


「客の女子高生が店内でハンバーガーをひとかじりしたところ、ハンバーガーから何やら赤いひものようなものが垂れ下がって来た。そしてそれをよく見ると、まるでミミズのような縞模様が入っており、女子高生がそのことについて、店員にクレームを言うと、店の奥へ通されて、現金を手渡された・・・・・・」といった話が有名だった・・・・・・。


確かミミズ以外にも、犬の肉や猫の肉、ネズミの肉などのバリエーションがあったと思う。


ネコの肉説では、店舗裏のポリバケツに、猫の皮が捨ててあったとか、店の冷蔵庫にネコの頭が並んでいたとか言われていて、マクドナルドには野良猫を捕獲するための専門の部署があるなんていう話も、まことしやかに語られていた。


と、そうはいっても、やはり主流だったのは、ミミズの肉説だったように思う・・・・・・。


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では、そもそもの話、どうしてこのような都市伝説が生まれたのだろうか。


じつはこれについては、いくつかの要因が重なって誕生した可能性が極めて高い。


まず、個人的に一番大きな要因と思っているのが、ハンバーグを作るために使用するひき肉が、一見ミミズっぽいビジュアルをしていることだ。


みなさんもご存じの通り、ひき肉は細長く、生の状態では赤っぽい色合いをしており、見方によってはミミズに似ていなくもない・・・・・・。


また、かつての精肉業界では、隠語としてひき肉のことを「ミミズ」と呼んでいたそうなのだ。


精肉のプロがひき肉のことを「ミミズ」と呼ぶぐらいなのだから、やはり生のひき肉のビジュアルはミミズに似ているのだろう。


もし、精肉業者がひき肉の納品の際に、「はい、ミミズ〇kgね~!」などと言いながら、ひき肉が入ったポリ袋を手渡したりしていたら、事情を知らないアルバイト店員は、その様子を見て、きっと仰天したに違いない・・・・・・。


しかし、そうはいっても、「そんな訳ないだろう!」と冗談だと思う人が大半だと思う。


では、当時はどうしてそこまで、ミミズバーガーの存在を信じて疑わない人が多かったのだろう。


じつはあの当時は、食用ミミズの養殖が話題になった時代でもあった。


海外では食用ミミズを食べる習慣がある国もあり、フランスでは高級食材とも言われていた。


そのような習慣のない日本では、衝撃のエピソードとしてテレビで紹介され、人々の記憶の中に強烈な印象を残していた。


そんな時代背景もあって、ミミズバーガーの都市伝説は、あの時代だからこそ、定着して行ったのだと思う・・・・・・。


また、ハンバーガーという食べ物は、牛肉を使っているにも関わらず、とにかく値段が安かった。


あの当時のハンバーガーの価格は、確か180円前後だったと思う。


ハンバーガーの値段だけ見たら、いまと大して変わらないが、牛肉といえば食肉界の王様である。


豚肉や鶏肉などと比べると、価格は格段に高くなるのは言うまでもない。


「ハンバーガーは牛肉を使っているにも関わらず、そんなに値段が安いのは、ちょっとおかしいんじゃないのか?」と考える人も少なくなかったようなのだ。


そこで人々の頭をよぎったのが、あの食用ミミズだったのである。


ちなみに私は子供の頃、牛肉が苦手だったので、ハンバーガーなんて食べたいとも思わなかったし、食べたことも一度もなかった。


だからハンバーガーにミミズが入っていようがいまいが、そんなことははっきり言ってどうでもよかった。


だから友達から、「ミミズバーガーの話を聞いてから、ハンバーガーが食べられなくなった」という話を聞かされても、あまりピンと来なくて、「へ~、そうなんだ~」と気のない返事しか出来なかったものである。


しかし、よく考えてみれば、その友達は、そのことを知らなかったとはいえ、ハンバーガーを「美味い、美味い!」と食べていたのだ。


ということは、「こいつにとって、ミミズって美味い食べ物ってことになるんじゃないのか?」と、私は頭の片隅で薄っすらと考えていたのだった・・・・・・。


(画像上、白、桃、赤と花色が移ろっていくハコネウツギの花・・・・・・。画像下、ブラシノキの花は、瓶を洗うブラシのような形をしている・・・・・・)



2024年5月11日 (土)

ガムの自動販売機

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▲昭和の頃はガムといえば板ガムのことだった。粒ガムが主流となった現在では、このパッケージを見ても、何の商品なのか分からない世代もいるのだろうか・・・・・・。

私が子供の頃は、ガムといえば板ガムのことだった。


それがいつの頃からか、スーパーやコンビニで見かけるガムは、大半が粒ガムに変わっていた。


子供の頃から板ガムに慣れ親しんで来た私としては、粒ガムが発売になった当初は、パッケージを見ただけでは、飴なのかガムなのか、区別がつかなかったものである・・・・・・。


で、この粒ガム、いったいいつ頃から出回り始めたのかというと、ガム大手のロッテでは、1994(平成6)年2月に発売した、「ブルーベリーガムシュガーレス」と「フラボノガムシュガーレス」が初だったという。


しかし、この当時は、まだまだ板ガムが主流で、一般には粒ガムの認知度は低かったようだ。


そしてその後、1997(平成9)年に「キシリトール」が粒ガムで発売されたことにより、粒ガムの認知度が一気に高まり、ガムの主流は板ガムから粒ガムへと変わって行ったのだそうだ。


しかし、子供の頃から板ガムに慣れ親しんで来た私としては、粒ガムの形を見ると、なんだか薬やサプリメントを思い浮かべてしまい、あまり食べたいとは思わなかったものだ。


また、板ガムのパッケージに慣れてしまっていた当時は、のど飴だと思って買ったのに、開封したら中身は粒ガムだったなんてことも何回かあった・・・・・・。


私が子供の頃は、ガムはじつに様々な種類のものが売られていた。


スペアミントやクールミント、ペパーミントをはじめとする、定番のミント系から、ブルーベリーやマスカット、梅やアセロラなどのフルーツ系、また、当時チョコレートや飴などのお菓子によく採用されていた、「コーヒー味」のガムなんてのもあった・・・・・・。


そして、それらは全て板ガムとして売られていた訳なのだが、板ガムはパッケージを開封して、包み紙からガムを取り出すと、なんとも言えない爽やかな香りが、周囲に「フワ~~ッ」と広がって行くのが感じられた。


当時、私が特に「いい香りだな~」と感じていたのは、ブルーベリーや梅、マスカットやアセロラなどの、フルーツ系のガムの香りだった。


不思議なもので、フルーツ系のガムの香りというのは、匂いを嗅いだだけで、まるで本物の果物を口に含んだような、ジューシーな感覚まで舌に伝わって来るような気がしていた。


そしてその香りは、ガムを噛もうとしている自分だけではなく、同じ部屋にいる多くの人が感じることが出来るほど強いもので、匂いを頼りにガムを手に取っている人を探し当て、「そのガム、なんていうガム?」なんて聞いたりするのが楽しかったものである・・・・・・。


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▲板ガムの魅力の1つが包み紙を開いたときの香りだった。特にフルーツ系のガムの香りは爽やかで、香りを嗅いだだけで、口の中に唾液が出て来たものである・・・・・・。

ところが粒ガムになってから、このガムの香りがなくなってしまったような気がするのだ。


その原因はなんだろうと考えてみると、ガム表面の硬いコーティング層がそれを阻んでいるような気がする。


包み紙を開けた時に、フワッと香るあのガムの匂いは、ガムを食べる時の楽しみの1つだったと思うのだが、それをなくしてしまっては、元も子もないのではないだろうか・・・・・・。


粒ガムになってなくなったものといえば、ガムの嚙み心地というか、弾力がなくなったような気がする。


粒ガムは硬いコーティング層が嚙み砕かれて、溶けてなくなってしまうと、妙に軟らかいふにゃふにゃとした噛み心地のガムが現れる。


板ガムの弾力に慣れていた当時は、「なんだこりゃ・・・」と思ったものである。


ガムは噛むためにあるのだ。


弾力をなくしてしまっては、意味がないと私は思う・・・・・・。


で、板ガムがたくさん発売されていた昭和の当時、「ガムの自動販売機」があったのを覚えているだろうか。


仕組みはジュースの自動販売機と全く同じで、硬貨を入れて欲しい商品のボタンを押すと、購入したガムが商品取り出し口にポトリと落ちて来るのだ。


ただ、ジュースの自動販売機と違う点が1つあって、自動販売機の窓から見えているのは、サンプルではなくて、実際に取り出し口に落ちて来る商品そのものだったのだ・・・・・・。


ガムの自動販売機では、5~6種類のガムが売られていて、自動販売機の窓からは、縦に積まれた商品のガムが見えるようになっていた。


このため売れているガムとそうでないガムの様子が客に丸分かりで、それを見て自分が買おうとしていたガムをやめて、残量の少ない人気のあるガムに変更したりする人もいたものだ。


確か1990年代までは「ガムの自動販売機」は見られたと思うのだが、いつの間にかその姿を見ることはなくなっていた・・・・・・。



2024年5月 5日 (日)

バッテリーバックアップとフーフー

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▲ドラクエⅢのカートリッジの後ろ面には、「バックアップカセットについてのお願い」が貼り付けられていた。バックアップカセットがいかにデリケートなものであることが分かる・・・・・・。

昭和の頃、「ドラゴンクエストⅢ」を始め、バッテリーバックアップ機能を搭載したファミコンのカートリッジでは、セーブデータが消えてしまう悲劇が、しばしば起きていた。


「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージに愕然として、思わず天を仰いだプレイヤーも、少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。


では、なぜこのようなことが起きていたのだろうか。


これについては、そもそもファミコンは、バッテリーバックアップを想定して作られていなかったため、電源を切った際に電気ノイズが流れて、CPUが保存データの一部を書き換えてしまうことがあったのだという。


そしてその予防措置として行われるようになったのが、「リセットボタンを押しながら電源を切る」方法だった。


その理由については、「リセットボタンを押している間は、CPUが動作を停止するから」と言われていたが、それでもデータが消えてしまったという話を、当時はよく聞かされたものである。


そんなこともあって、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジが登場したことによって、急にソフトやハードを丁寧に扱う者が増えていったとも言われていた・・・・・・。


ファミコンといえば、ゲーム中にヒートアップして、本体とコントローラーを繋ぐケーブルを引き千切ってしまったり、八つ当たりでコントローラーを本体に投げつけたりする者が多くいて、当時の任天堂には修理依頼が絶えなかったと言われている。


というのも、ファミコンのコントローラーはコストダウンのため、コネクタ式ではなく、本体へ直接取り付けられていた。


このため、無理に引っ張ると、ケーブルが千切れてしまい、自分では元に戻すことが出来なかったのだ・・・・・・。


本体が壊れただけなら、修理をすれば済むことだが、ソフトの場合はそうもいかない。


アクションゲームやシューティングゲームならまだいいが、ドラクエのようなRPGともなると、ストーリーを先に進めていればいるほど、セーブデータが消えてしまった時のショックは大きいものとなる。


特にストーリーの節目、節目にある、イベントの前後のセーブデータや、万全の準備を整えて、後はラスボスを倒すだけというタイミングのセーブデータが消えてしまった時などは、頭の中が真っ白になり、人生初の放心状態を経験したという子供たちも、当時は決して少なくなかったはずである・・・・・・。


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▲ほこりが付着しているのではないかと、カセットの端子部をフーフーしていたかたも少なくないと思うが、じつはこれ端子部が劣化する恐れがあったのだそう。そうは言っても、ファミコン世代はみんなやっていたよな・・・・・・。

そんなこともあって、ドラクエⅢではゲームをセーブして、ソフトを本体から取り外し、箱にしまうまでが、怖くてしょうがなかった。


イジェクトボタンを操作すると、まるでトースターから焼き上がったパンが飛び出して来るように、カートリッジが「ビヨ~ン!」と跳ね上がって来るのだが、この時の衝撃でデータがとんでしまったりしないものかと、毎回のように心配をしていたものである。


じつはこれ、ただの取り越し苦労とも言い切れなかったようで、そのような衝撃が原因で、データが消失する可能性もあったらしいのだ。


また、ファミコン本体からカートリッジを着脱する時の衝撃だけでなく、カートリッジを箱にしまう際に、うっかり床に落としてしまうリスクなども当然ある訳だ・・・・・・。


ドラクエなどのRPGは、とても1日2日でエンディングまでたどり着けるようなゲームではない。


特に母ちゃんにゲームのプレイ時間を制限されている小中学生は、クリアまで数ヶ月を要することだってある訳だ。


その間、毎日毎日、カートリッジの抜き差しを繰り返すことを考えると、ゲームクリアまでカートリッジを差しっぱなしにしておいた方が、データ消失のリスクは少なかったのかもしれない・・・・・・。


また、バッテリーバックアップ機能搭載のカートリッジが誕生し、ゲームソフトを丁寧に扱う者が増えて来た頃、カートリッジの抜き差しの際に、端子部を「フーフー」する習慣が生まれた。


「もしかしたら、知らないうちに、端子部にホコリがくっついて、それが原因でデータが消えてしまうことがあるんじゃないか?」という不安から生まれた習慣だったようだ。


しかし、この「フーフー」、よかれと思ってやっていたのだが、専門家に言わせると、どうも逆効果になっていたかもしれないというのだ。


「フーフー」することで、確かにホコリを飛ばすことは出来ていたのかもしれないが、吹きかける息に含まれる水分が端子部に付着し、端子部の劣化を早めていたかもしれないという。


どれもこれも、「今となっては・・・」の話なのだが、こういう話って、いつの時代も、なんで後になってから言うんですかねぇ・・・・・・。



2024年4月17日 (水)

「謎フレーズ探偵」たけやさおだけ

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最近は「さおだけ屋」なんて、ほとんど見かけなくなってしまったが、私が子供の頃には、さおだけ屋は「やきいも屋」、「ちりがみ交換」と並んで、町内をしばしば巡回している車の1つだった。


「さおだけ屋」は軽トラックの荷台に、竿竹と物干し台を乗せて各町内を回り移動販売をしていた・・・・・・。


また、「さおだけ屋」といえば、「た~けや~、さおだけぇ~、2本で〇円、2本で〇円、〇年前のお値段です」というフレーズがお馴染みで、これを軽トラのスピーカーから流しながら、かなりゆっくりとしたスピードで町内を走っていた。


ちなみに「〇」の部分については、時代と共に少しずつ変化していたのではないかと思う・・・・・・。


ところで私が子供の頃は、「やきいも屋」と「ちりがみ交換」は呼び止めている人をよく見かけたものだが、「さおだけ屋」を呼び止めている人は、個人的には一度も見たことがなかった。


というのも、当時さおだけ屋は、「悪徳商法で詐欺である」という噂が流れていて、車を呼び止めたが最後、運転席から怖いおじさんが降りて来て、高額な竿竹や物干し台を売りつけて来ると言われていた。


軽トラのスピーカーからは、「2本で〇円、2本で〇円、〇年前のお値段です」と流してはいるが、実際には言葉巧みに誘導されて、最終的には5~6万もする高額商品を買わされるというのである・・・・・・。


ちなみに「2本で〇円、〇年前のお値段です」のフレーズだが、「2本で千円、20年前のお値段です」と記憶されているかたが多いと思う。


じつはこの部分については、「2本で千円というのは20年前のお値段で今は違いますよ」という意味が隠されているというのだ。


ちゃんと逃げ道は作ってあるということだろう・・・・・・。


また、実際に2本で千円の品物から、幅広い価格帯で商品を揃えてはいるが、安い商品はすぐに錆びて、買い替えなくてはならなくなる。


「それならば、長持ちする高級品の方が、長い目で見たら安く付きますよ」と説明され、結局は高額な商品を買わされることになるのだという話もあった。


うちではさおだけ屋から、竿竹や物干し台を買ったことは一度もなかったので、実際にその噂が本当だったのかどうかは定かではないが、当時はその噂を信じている人が多かったように思う・・・・・・。


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ところでこれは大人になってから知った話なのだが、じつは「さおだけ屋」というのは、国家機関などから依頼されて、隠密活動を行っている集団で、竿竹の移動販売という業務形態は、それをカモフラージュしているに過ぎないのだという、まるで都市伝説のような噂まで存在していた。


前述のように、私は「さおだけ屋」をわざわざ呼び止めて、竿竹や物干し台を買っている人を見たことは過去に一度もなかった。


そもそも竿竹や物干し台なんて、そう頻繁に買い替えるようなものではないし、いつも売れない竿竹を荷台に積んで、町内を流しているだけの軽トラを見ていると、子供だって、「こんなんで、商売になるのかよ」と疑問に感じていたほどである。


それを考えると、先程の「そんな馬鹿な」と思えるような都市伝説が、なんだか現実味を帯びて来るような気がしてならないのだ・・・・・・。


では、さおだけ屋が国家機関から依頼されている隠密活動とは、いったいどのようなものなのだろうか。


これについては、電波傍受や盗聴を始め、一般には法的に行えないことを、代行しているのだという。


どうでもいいが、もしそれが事実だとしたら、「一歩間違えたら、犯罪者じゃねえか」という気がしないでもない・・・・・・。


では、そんな怪しい依頼が、具体的にはどこから来ているというのだろうか。


これについては、ズバリ、「公安警察」なのだそうだ。


「え~~~~~!」という気がしないでもないが、実際のところ、町内に紛れ込んで、潜伏している犯人を探し出すことは、決して容易なことではなく、定期的に軽トラで町内を流している「さおだけ屋」は、情報収集にはうってつけの存在なのだとか。


また、逃亡生活を続ける犯人の側からすると、さおだけ屋の「た~けや~、さ~おだけ~」のフレーズを聴くことで、「公安に追い詰められている」という気持ちが増していき、精神的にどんどん追い詰められていくのだそうだ・・・・・・。


ところで、なぜ逃走犯は「さおだけ屋は公安と繋がっている」ということを知っているのだろうか。


「怪盗〇〇〇〇」的な犯人なら、そんな情報を握っていても、決しておかしくはないが、元は一般人だったであろう普通の犯人が、そんな情報を知っているとはとても思えない・・・・・・。


私が子供の頃に聴いた、「た~けや~、さ~おだけ~」というあのフレーズは、まるで民謡歌手のような歌い方をする、おっさんの声だったのだが、いつの頃からか、あまり歌が上手いとは言いかねる、若い女性の声に変わっていた。


ちなみにスピーカーから流れてくる声は若い女性の声だが、運転しているのは、相変わらず、くたびれたおやじなので、「ちょっと見に行ってみよう」なんて気は起こさない方がよい。


多くの人に声を掛けてもらうための、イメージ戦略だったのかもしれないが、逃走犯にプレッシャーをかけて追い詰めるためには、昭和の頃によく聴かれた、あの、おっさんの声の方がよかったんじゃないかなぁと思う今日この頃である・・・・・・。


(画像上、岩に根付いたタチツボスミレ・・・・・・。画像下、身近な春の花、カントウタンポポ・・・・・・)


2024年4月11日 (木)

「昭和の遊具」ブランコ

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▲最近はブランコで遊んでいる小学生はあまり見かけなくなってしまった・・・・・・。

最近はブランコに乗って遊んでいる子供は、お母さんと一緒に公園に遊びに来ている、小さな子供ばかりになってしまったが、私が子供の頃は、じつに幅広い年齢層の子供が、ブランコで遊んでいたものである。


そして、当時ブランコで遊んでいた子供たちの中で、最も多く見られたのが、「クソガキ」の異名を持つ小学生だった・・・・・・。


ところで、ブランコの製造業者が想定しているであろう、「ブランコの正しい遊び方」は、ブランコの板に座って、足で地面を蹴って、ブランコを揺り動かす、オーソドックスな遊び方だと思う。


幼い頃は誰もがそうして遊んでいたと思うのだが、小学生ぐらいになって来ると、誰もそんな遊び方をしている者はいなかった・・・・・・。


特に男子は立ち漕ぎが主流となり、身体全体を使って、ブランコを漕いでいた。


そして学年が上がると筋力もアップし、それに比例するように、ブランコの揺れ幅が大きくなっていった。


そしてブランコの最高到達点も、じょじょに上がって行くことになるのだ・・・・・・。


ブランコの最高到達点が上がって行くにつれて、足をしっかりと踏ん張っていないと、空中で宙ぶらりんになるかもしれないという恐怖や、そこから転倒して大怪我をするリスクも頭をよぎっていた。


しかし、それ以上に、「自分は自分の力だけで、こんなに高い所にいるんだ」という満足感と、「もしかしたらここから空中に投げ出されるかもしれない」というスリルを、どうしても味わいたかったのである。


この「高さ」を追求する立ち漕ぎは、ガチンコの真剣勝負ではあったものの、友達と勝ち負けを競うような類の遊びではなくて、正に自分自身との戦いと言っても過言ではなかった・・・・・・。


これに対して、ブランコの立ち漕ぎでは、シンプルに友達と勝ち負けを競い合う、ゆる~い遊びも存在していた。


立ち漕ぎをしながら、友達と順番に靴を飛ばし合い、その距離を競う、「靴飛ばし」がそうである・・・・・・。


靴飛ばしで距離を出すためには、先程のようにブランコをただ勢いよく漕げばいいという訳ではなかった。


勢いよく漕いで、ブランコの最高到達点から靴を飛ばした方が、より遠くまで飛んで行きそうに思うのだが、実際には高速で揺れるブランコの上では、バランスがとりづらく、片足になるのは非常に危険だった。


また、高速だとタイミングも測りにくいので、仮に靴を飛ばすことが出来たとしても、ブランコの下にポトリと落ちるのがいいところだろう。


そんな訳で、靴飛ばしでは、緩やかな振り子運動から、タイミングを見計らって、靴を飛ばすのが正解だった・・・・・・。


私が子供の頃には、この靴飛ばしで遊んでいる子供が結構いて、ブランコの前を通る時は特に注意が必要だった。


しかし、そうとは知らずに、ブランコの前を「ぼけ~っ」と歩いている、間抜けな子供が毎回必ず一人はいて、突然視界の外から、ロケットのように飛んで来た靴が、測ったように顔面に着弾するという、なんとも悲惨な光景を当時はよく見かけたものである・・・・・・。


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▲昭和の頃はブランコの順番待ちをしている子供もいたのに、最近はもうそんな光景は見られなくなってしまった・・・・・・。

また、靴の代わりに、自分自身が振り子運動を続けるブランコから飛び降りて、その時の着地点の距離を友達と競うという遊びもあった。


この遊びでは、立ち漕ぎでブランコにある程度の勢いをつけたら、すぐにブランコの板の上に腰かける必要があった。


そしてちょうどいいタイミングを見計らって、ブランコから勢いよく飛び降りるのだ。


そしてその時の着地点の距離を、隣の友達と競うのである・・・・・・。


で、この遊びでは、ブランコから飛び降りる、「ちょうどいいタイミング」を見極めるのが、最も重要なポイントだった。


これを見誤ると、想定より手前に着地してしまって天を仰いだり、その反対に距離が出過ぎて、重心が後ろに残る形となり、その場で転倒して後悔するなんてこともよく起きていた。


当然この時の記録は、尻もちをついた場所になる・・・・・・。


そして、一番注意しなければいけないのは、どんな形であれ、着地した後は、その場からすぐに避難しなければならないということだ。


そう、当たり前の話だが、ブランコという乗り物は、数秒後には、必ず元の場所に戻って来るのである。


タイミングを逸したことを、その場で後悔している暇などないのだ。


天を仰いでいる暇があったら、さっさとその場から離れるべきである。


そんなことは頭では分かっているはずなのに、いざ当事者になってみると、「あ~~っ、もうっ!」などと、悔やんでも悔み切れない気持ちが先行して、振り子運動で素直に戻って来るブランコの板に全く気付かず、背中や後頭部を「ゴツン!」と強打することになるのである・・・・・・。


最悪なのは、ジャンプで転倒して起き上がろうとしている時に、後頭部に「ゴツン!」が来た時で、その衝撃で今度は前のめりになって、思いっ切り、顔面から地面に着地することになるのである。


そして被害者にはたいへん申し訳ないのだが、傍目にはその様子は非常に間抜けに見えて、思わず「プッ!」と吹き出してしまい、みんなで涙を流しながら、爆笑していたのを覚えている・・・・・・。


2024年3月30日 (土)

森永「Piknik」と牛乳の自動販売機

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▲じつは「Piknik」は現在も販売されている。立体的な構造の容器に変わり、味のバリエーションも増えて6種類になった・・・・・・。

昭和の頃には、牛乳や乳飲料の自動販売機が、ジュースの自動販売機といっしょに並べて置かれていた。


私が子供の頃には、近所の商店街をはじめ、デパートやスーパーなどの商業施設、学校の購買部の脇などにも、牛乳や乳飲料の自動販売機は普通に置かれていた・・・・・・。


私が一番記憶に残っているのは、森永乳業から1981(昭和56)年に発売された、「Piknik(ピクニック)」という乳飲料だ。


発売当初の「Piknik(ピクニック)」は、ヨーグルト味、ラクトコーヒー味、ストロベリー味、フルーツ味の4種類で展開されていて、色違いのカラフルな容器がとても目を引いていた。


ちなみにパッケージの色は、ヨーグルト味が青色、ラクトコーヒー味が茶色、ストロベリー味がピンク色、フルーツ味が緑色だった。


そしてパッケージの下部には、虹のような印象的なマークが描かれていたので、覚えているかたも多いかと思う・・・・・・。


また、当時はパッケージの後ろ側にストローが付いている200ml程度の飲料は、四角いずんぐりむっくりとした容器が主流で、見るからに「牛乳パック」という見た目のものがほとんどだった。


現在のようなスリムな容器は、まだ見られない時代だったのである・・・・・・。


ところでこの森永の「Piknik(ピクニック)」、昭和の頃はテレビCMをしばしば放映していた。


その内容は「Piknik(ピクニック)」という商品名からなのか、アウトドアやスポーツシーンが多かったように思う。


いまだったら、飲み物のCMに起用するとなると、若手の俳優や女優なのだろうが、「Piknik(ピクニック)」のCMには、なぜか見たこともない外国人女性がたくさん出演していた・・・・・・。


当時、外国人女性がただひたすら、自転車を漕いでいるだけのCMがあったのだが、私は当初、普通の自転車レースのワンシーンなのかと思っていた。


ところがよく映像を見てみると、じつはこの自転車、複数の自転車が連なったような形をしており、1台の自転車に10人ほどの外国人女性が乗って漕いでいたのだ。


そしてこれが2台並んで走っているという謎の設定だった。


そしてCMではカメラの前を自転車が通過して行き、追い越される直前に、真後ろからのカメラアングルにパッと切り替わる。


そしてしばらくの間、自転車を漕いでいる外国人女性のお尻が映し出される。


このシーンには、きっと「おおっ!」と身を乗り出したかたも少なくなかっただろう・・・・・・。


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▲パックの後ろには、「Piknik」の発売当時の容器のデザインが紹介されていた。これを見て、「うわ~、懐かしい~!」と思ったかたは私と同世代だ・・・・・・。

そして最後はゴールに置かれている固定カメラの映像に切り替わり、その前をゴールテープを切った自転車が走り抜けて行くのだが、これだけではただの自転車レースの映像である。


というわけで、当然のことながら、彼女たちはCM中に商品をしっかりとアピールしていた。


じつは彼女たちは、自転車を漕ぎながら、片手に「Piknik(ピクニック)」のパックを持って、なぜかカメラ目線でにっこり微笑みながら、「Piknik(ピクニック)」をゴクゴク飲んでいたのだ。


片手運転やら前方不注意やらで、今だったらちょっと問題になっているかもしれない。


そしてCMの最後には女性の声で、「僕たち飲むなら、ピークニック!」というキャッチフレーズが流されていた・・・・・・。


また、後年発表のCMでは、ビーチの見えるプールサイドで、信じられないくらい高いヒールを履いた、水着姿の外国人女性が、数名並んで立っていて、ただ、ただ、お尻を振り続けているだけという、意味不明の映像もあった。


きっと、自転車バージョンのお尻のシーンが好評だったのだろう・・・・・・。


で、個人的には、森永「Piknik(ピクニック)」といえば、学生の頃に学校の購買部で、パンといっしょに買って、よく飲んでいたのを覚えている。


ちなみに私の当時のお気に入りはラクトコーヒー味だった・・・・・・。


ところで昭和の頃には、「牛乳の自動販売機」というのもあった。


乳飲料ではなく、牛乳そのものである。


牛乳といって多くの人がイメージするのは、500ml入りや1000ml入りの牛乳パックだと思う。


じつは昭和の頃には、500mlや1000mlの牛乳パックも、自動販売機に入れられて、普通に売られていたのだ・・・・・・。


森永の自動販売機には、前述の「Piknik(ピクニック)」といっしょに、1000mlの牛乳パックが入っているものもあったし、500mlと1000mlの牛乳パックだけを入れてあるものもあった。


そしてこれにはコーヒー牛乳なども入っていたと思う。


そしてこれは、明治など他の牛乳メーカーも同様だった。


これは現在ではかなり違和感があると思うのだが、当時はそれが当たり前の光景だったのだ・・・・・・。


ところで1000mlの牛乳パックを自動販売機で買うと、落ちて来る時の衝撃も半端がなかった。


自動販売機に硬貨を投入し、商品を選んでボタンを押すと、次の瞬間に「ダンッ!」という、ものすごい音と衝撃が伝わって来る。


子供の頃はそのたびに身体が「ビクッ!」と反応していたものである。


そしてあまりの衝撃で、穴でも開いていまいかと、恐る恐る牛乳パックを取り出すと、見事に角が凹んだ牛乳パックが現れるのである。


きっと、あんな風に凹んだ牛乳パックを見ることは、もう二度とないのだろうなぁ・・・・・・。


2024年3月24日 (日)

ファミコンのバッテリーバックアップ

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▲ドラクエは「Ⅲ」からバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジが採用され、「ふっかつのじゅもん」からは開放されることになったのだが・・・・・・。

ファミコンの周辺機器、「ファミリーコンピューターディスクシステム」は、1986(昭和61)年2月21日に任天堂から発売になった。


ディスクシステムでは、ソフトの供給は専用の黄色いディスクカードで行われ、セーブが簡単に出来ることが売りの1つになっていた。


しかし、この当時の磁気ディスクは技術的にまだまだ未熟であり、容量がそれほどないうえに、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


この点をサードパーティー各社に敬遠され、結果的にディスクシステムは、ファミコン本体ほどの爆発的なヒットとはならなかったのだった・・・・・・。


そんな中、満を持して登場したのが、バッテリーバックアップ機能が搭載された大容量のカートリッジだったのである。


ここでちょっと、ファミコンのカートリッジの仕組みについて解説をしておこうと思う。


ファミコンのゲームソフトでは、カートリッジに入っている様々なデータは、ファミコン本体の電源をONにすると、RAMと呼ばれる場所に一時的に読み込まれることになる。


ちなみにRAMとはパソコンでいうところのメモリに当たる部分になる。


そしてCPUがそこからデータを取り出すことでゲームがスタートする。


そしてRAMにはそれだけではなくて、プレーヤーのゲームデータも全て収められている。


例えばドラクエでいえば、レベルはいくつか、現在の経験値はいくつか、現在どこにいて、どんな装備をしているのか、所持金はいくらで、持ち物は何を持っているのかなどがそれに当たる。


しかし、RAMはゲームデータの一時的な置き場所なので、ファミコン本体の電源を切ってしまえば、データは全て消えてしまうことになる。


このため、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」では、ゲームを再開するために、「ふっかつのじゅもん」が必要だったのだ・・・・・・。


そこで誕生したのが、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジだったのである。


で、ゲームデータをセーブするためには、どういった手続きが必要になって来るのかというと、簡単に言うなら、ファミコン本体のRAMから、プレーヤーのゲームデータだけを抜き出して、カートリッジの側に保存しておく必要がある訳だ。


前述の通り、ファミコン本体のRAMは、ゲームデータの一時的な置き場所でしかないので、電源を切ればゲームのデータは全て消えてしまう。


そこでカートリッジの中に専用のRAMを搭載し、それを電池と繋げることで、電源が切れないようにしたのが、バッテリーバックアップ機能付きのカートリッジだったのだ。


子供の頃はべつになんとも思っていなかったが、いまこうして考えてみると、「なんだか強引な発想だったのだなぁ」と思う・・・・・・。


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▲カセットの裏面には、「バックアップカセットについてのお願い」が書かれていたが、使用方法をきちんと守っていても、セーブデータはよく消えていた・・・・・・。

そしてこのバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジの登場で、ドラクエは「Ⅲ」からは、「ふっかつのじゅもん」から解放され、ワンタッチでセーブが出来るようになった。


このことによって、「ふっかつのじゅもん」を書きとめる手間と、書き間違えのリスクはなくなったものの、バッテリーバックアップに何も問題がなかったという訳ではなかった。


じつはこのバッテリーバックアップ、セーブデータがよく消えるという致命的な欠陥があったのである・・・・・・。


どういうことかというと、セーブデータが入っている「ぼうけんのしょ」を選んで、コントローラーの決定ボタンを押すと、次の瞬間になぜか突然、「呪いの音楽」が流れ始め、真っ黒な画面に白い文字で、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

と、唐突に表示されることがあったのである・・・・・・。


ファミコン版の「ドラクエⅢ」をプレイしたことのあるかたなら分かると思うが、「ドラクエⅢ」は容量不足の影響で、タイトル画面は真っ黒なバックに、「DORAGON QUEST」の白い文字だけが小さく表示されていて、BGMも一切なく無音だった。


そんな静寂の中で、突然の大音量で、おどろおどろしい「呪いの音楽」が流れ始めたら、驚かない訳がない。


心臓に悪いとは正にこのことである。


そして極めつけは、真っ黒な画面に淡々と表示される、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

という簡潔なメッセージだった。


なんだかそれは、「昨日まで元気にいっしょに遊んでいた友達が、突然パタリと倒れて死んでしまいました」と宣告されているかのようで、当時は多くの子供たちが、トラウマになるほどの衝撃を受けたものである・・・・・・。


そしてこの時に流れる「呪いの音楽」は、日常生活の中で、個人的に何かただならぬショックを受けた時などに、「デデンデン、デンデン ♪」と呟くことで、周囲の者に対して、自己申告をすることにも使用されていた。


例えば返って来たテストの点数が、信じられないくらい悪かった時などに使用され、「ああ~、あいつ相当点数が悪かったんだな~。しばらく話しかけないでおいてやろう・・・」と、周りに気を使ってもらったりしていたものである。


また、先生によっては、採点したテストを返す時に、突然「デデンデン、デンデン ♪」と、呪いのBGMを奏で始め、「W辺くんは答案用紙に名前を書き忘れていたので、お気の毒ですが、今回のテストは0点です」と、ぶっきらぼうに宣言し、「W辺くん」を闇の世界へ葬り去ったこともあった・・・・・・。



2024年3月18日 (月)

修学旅行の木刀

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▲これは私が小学校の修学旅行で、日光に行った時に買って来た木刀。買ったはいいものの、これといった使い道もなく、部屋の片隅でほこりだらけになっていたものを引っ張り出して来て撮影した・・・・・・。

昭和の頃は有名な観光地に行くと、なぜか必ずと言っていいほど木刀が売られていた。


その土地にゆかりのある武士や、歴史上の人物がいたというのなら話は分かるが、なぜここに木刀が置いてあるのか、理解に苦しむような場所でも、当たり前のように売られていた。


子供の頃はべつに気にもしていなかったが、いまこうして考えてみると、なんだかおかしな話である・・・・・・。


私が初めて木刀の存在を知ったのは、小学生の頃に修学旅行で日光に行った時だった。


土産物屋が立ち並ぶような場所では、どの店へ入っても、木刀は店先の一番目に付く場所に、大量に立てて置かれていた。


いまになって冷静に考えてみれば、「木刀なんて買ったところで、いったい何に使うんだよ」と思うのだが、当時はクラスの男子はほぼ全員が、真っ先に木刀を買っていた。


大馬鹿者とは正にこのことである・・・・・・。


一方、女子は誰一人として木刀などには興味はない様子で、店の奥に置かれているキーホルダーや、小さな置物を手に取って眺めていた。


キーホルダーや置物は、小さくてかさばらず、ある程度数を買っても、小さな紙袋1つに収まる。


正にお土産には最適で、誰が見ても賢明な選択といえよう・・・・・・。


それに引き換え、男子が買った木刀は、かさばるとかかさばらない以前の問題で、持ち運ぶには雨上がりの傘のように、片手で持って歩くしか、方法がなかった。


しかも、男子小学生にそんなものを持たせたら、絶対に振り回したり、チャンバラごっこを始めるやつが現れるだろう。


これについては雨上がりの傘で、とっくの昔に証明済みである・・・・・・。


そして学校側もそれは事前に予想していたらしく、木刀は買って間もなくして、それぞれに名札を付けられて、担任に没収され、荷物として配送されることとなった。


その手際の良さから考えて、学校側は男子生徒のほぼ全員が木刀を買うことは、事前に予想していたということだろう。


ということは、修学旅行の時に男子が木刀を買うのは、もはや我が校の伝統になっていたということなのだろうか・・・・・・。


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▲数十年の時が経過して、文字は薄くなってしまっていたが、木刀にはしっかりと「日光山」と記されていた・・・・・・。

後で聞いた話だが、木刀は他のクラスの男子も、大半の生徒が買っていたらしく、学校に木刀が届いた時には、クラスごとに束ねられて、運ばれて来ていた。


その様子はまるで、店のバックヤードに納品されて来た、何かの商品のようだった。


それにしても、これが他校でも同様だったとしたら、昭和の観光地の土産物は、木刀だけで相当な売り上げになっていたに違いない・・・・・・。


そしてその後、木刀は事前に取り付けてあった名札をもとに、個々に配られることになるのだが、修学旅行先では、あんなに欲しかった木刀なのに、学校に帰って来た途端に、その熱はまるで潮がサーっと引いて行くように、急速に冷めて行っていた。


そして、自分の名札の付いた木刀が手元に届いた頃には、「なんでこんなものが欲しかったんだろう?」と、誰もが疑問に感じていたものである。


そしてその後、木刀はそれぞれの家へ持ち帰ることになるのだが、自宅ではこれといって使い道もなく、部屋の片隅に立てかけられたり、傘立てに入れられたりして、そのまま部屋の風景に溶け込んで、その存在はじょじょに忘れ去られて行くことになるのである・・・・・・。


ところで、ある日、友達の家へ遊びに行った時、部屋に見覚えのある木刀が3本も置いてあるのを発見し、たいへん驚いたことがあった。


私はそれを見て、彼が性懲りもなく、旅行に行くたびに、木刀を買って来ているのかと思い、「こいつは学習能力がないのか?」と疑ったのだが、話を聞いてみると、どうやらそうではなかったらしい。


じつは3本のうちの2本は、彼の2人の兄のもので、やはり小学校の修学旅行の時に買って来たものだという。


その話を聞いて、私は思わず「え?」と絶句した。


ということは、彼は過去に兄の失敗を2度も目撃して来ていたことになる訳だ。


そこでちょっと確認だが、木刀が家に来てから、何か役に立ったことはあるだろうか?


また、2人の兄が木刀を何かに利用しているのを、見たことがあるだろうか?


もしかして、木刀は家にやって来た当日に、部屋の片隅に追いやられ、そのまま埃だらけになって行ったのではないのか?


そしてその様子を2回も目撃していたにも関わらず、なんで彼は木刀を買おうとしているクラスメートを止めなかったのか?


いや、それ以前に、「なんでお前まで木刀を買ってんだよ」という話である。


そのことを彼に問い質すと、「そうなんだよなぁ。それは木刀を持って帰って来た日に、母ちゃんにも言われたよ」という。


続けて彼は、「頭では分かってたんだよ。でもさぁ、土産物屋に入って、木刀を見た途端に欲しくてたまらなくなったんだよ。家にあるのは、兄ちゃんのだし・・・」というのだ。


そして彼の母親は、兄弟そろって、3回も木刀を買って来たのを目の当たりにして、呆れてものも言えない様子だったという。


そして、たったひと言、「きっと、土産物屋には魔物がいるに違いない」とポツリと呟いたそうである・・・・・・。


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