カテゴリー「ドラクエ」の記事

2024年5月 5日 (日)

バッテリーバックアップとフーフー

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▲ドラクエⅢのカートリッジの後ろ面には、「バックアップカセットについてのお願い」が貼り付けられていた。バックアップカセットがいかにデリケートなものであることが分かる・・・・・・。

昭和の頃、「ドラゴンクエストⅢ」を始め、バッテリーバックアップ機能を搭載したファミコンのカートリッジでは、セーブデータが消えてしまう悲劇が、しばしば起きていた。


「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージに愕然として、思わず天を仰いだプレイヤーも、少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。


では、なぜこのようなことが起きていたのだろうか。


これについては、そもそもファミコンは、バッテリーバックアップを想定して作られていなかったため、電源を切った際に電気ノイズが流れて、CPUが保存データの一部を書き換えてしまうことがあったのだという。


そしてその予防措置として行われるようになったのが、「リセットボタンを押しながら電源を切る」方法だった。


その理由については、「リセットボタンを押している間は、CPUが動作を停止するから」と言われていたが、それでもデータが消えてしまったという話を、当時はよく聞かされたものである。


そんなこともあって、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジが登場したことによって、急にソフトやハードを丁寧に扱う者が増えていったとも言われていた・・・・・・。


ファミコンといえば、ゲーム中にヒートアップして、本体とコントローラーを繋ぐケーブルを引き千切ってしまったり、八つ当たりでコントローラーを本体に投げつけたりする者が多くいて、当時の任天堂には修理依頼が絶えなかったと言われている。


というのも、ファミコンのコントローラーはコストダウンのため、コネクタ式ではなく、本体へ直接取り付けられていた。


このため、無理に引っ張ると、ケーブルが千切れてしまい、自分では元に戻すことが出来なかったのだ・・・・・・。


本体が壊れただけなら、修理をすれば済むことだが、ソフトの場合はそうもいかない。


アクションゲームやシューティングゲームならまだいいが、ドラクエのようなRPGともなると、ストーリーを先に進めていればいるほど、セーブデータが消えてしまった時のショックは大きいものとなる。


特にストーリーの節目、節目にある、イベントの前後のセーブデータや、万全の準備を整えて、後はラスボスを倒すだけというタイミングのセーブデータが消えてしまった時などは、頭の中が真っ白になり、人生初の放心状態を経験したという子供たちも、当時は決して少なくなかったはずである・・・・・・。


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▲ほこりが付着しているのではないかと、カセットの端子部をフーフーしていたかたも少なくないと思うが、じつはこれ端子部が劣化する恐れがあったのだそう。そうは言っても、ファミコン世代はみんなやっていたよな・・・・・・。

そんなこともあって、ドラクエⅢではゲームをセーブして、ソフトを本体から取り外し、箱にしまうまでが、怖くてしょうがなかった。


イジェクトボタンを操作すると、まるでトースターから焼き上がったパンが飛び出して来るように、カートリッジが「ビヨ~ン!」と跳ね上がって来るのだが、この時の衝撃でデータがとんでしまったりしないものかと、毎回のように心配をしていたものである。


じつはこれ、ただの取り越し苦労とも言い切れなかったようで、そのような衝撃が原因で、データが消失する可能性もあったらしいのだ。


また、ファミコン本体からカートリッジを着脱する時の衝撃だけでなく、カートリッジを箱にしまう際に、うっかり床に落としてしまうリスクなども当然ある訳だ・・・・・・。


ドラクエなどのRPGは、とても1日2日でエンディングまでたどり着けるようなゲームではない。


特に母ちゃんにゲームのプレイ時間を制限されている小中学生は、クリアまで数ヶ月を要することだってある訳だ。


その間、毎日毎日、カートリッジの抜き差しを繰り返すことを考えると、ゲームクリアまでカートリッジを差しっぱなしにしておいた方が、データ消失のリスクは少なかったのかもしれない・・・・・・。


また、バッテリーバックアップ機能搭載のカートリッジが誕生し、ゲームソフトを丁寧に扱う者が増えて来た頃、カートリッジの抜き差しの際に、端子部を「フーフー」する習慣が生まれた。


「もしかしたら、知らないうちに、端子部にホコリがくっついて、それが原因でデータが消えてしまうことがあるんじゃないか?」という不安から生まれた習慣だったようだ。


しかし、この「フーフー」、よかれと思ってやっていたのだが、専門家に言わせると、どうも逆効果になっていたかもしれないというのだ。


「フーフー」することで、確かにホコリを飛ばすことは出来ていたのかもしれないが、吹きかける息に含まれる水分が端子部に付着し、端子部の劣化を早めていたかもしれないという。


どれもこれも、「今となっては・・・」の話なのだが、こういう話って、いつの時代も、なんで後になってから言うんですかねぇ・・・・・・。



2024年3月24日 (日)

ファミコンのバッテリーバックアップ

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▲ドラクエは「Ⅲ」からバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジが採用され、「ふっかつのじゅもん」からは開放されることになったのだが・・・・・・。

ファミコンの周辺機器、「ファミリーコンピューターディスクシステム」は、1986(昭和61)年2月21日に任天堂から発売になった。


ディスクシステムでは、ソフトの供給は専用の黄色いディスクカードで行われ、セーブが簡単に出来ることが売りの1つになっていた。


しかし、この当時の磁気ディスクは技術的にまだまだ未熟であり、容量がそれほどないうえに、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


この点をサードパーティー各社に敬遠され、結果的にディスクシステムは、ファミコン本体ほどの爆発的なヒットとはならなかったのだった・・・・・・。


そんな中、満を持して登場したのが、バッテリーバックアップ機能が搭載された大容量のカートリッジだったのである。


ここでちょっと、ファミコンのカートリッジの仕組みについて解説をしておこうと思う。


ファミコンのゲームソフトでは、カートリッジに入っている様々なデータは、ファミコン本体の電源をONにすると、RAMと呼ばれる場所に一時的に読み込まれることになる。


ちなみにRAMとはパソコンでいうところのメモリに当たる部分になる。


そしてCPUがそこからデータを取り出すことでゲームがスタートする。


そしてRAMにはそれだけではなくて、プレーヤーのゲームデータも全て収められている。


例えばドラクエでいえば、レベルはいくつか、現在の経験値はいくつか、現在どこにいて、どんな装備をしているのか、所持金はいくらで、持ち物は何を持っているのかなどがそれに当たる。


しかし、RAMはゲームデータの一時的な置き場所なので、ファミコン本体の電源を切ってしまえば、データは全て消えてしまうことになる。


このため、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」では、ゲームを再開するために、「ふっかつのじゅもん」が必要だったのだ・・・・・・。


そこで誕生したのが、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジだったのである。


で、ゲームデータをセーブするためには、どういった手続きが必要になって来るのかというと、簡単に言うなら、ファミコン本体のRAMから、プレーヤーのゲームデータだけを抜き出して、カートリッジの側に保存しておく必要がある訳だ。


前述の通り、ファミコン本体のRAMは、ゲームデータの一時的な置き場所でしかないので、電源を切ればゲームのデータは全て消えてしまう。


そこでカートリッジの中に専用のRAMを搭載し、それを電池と繋げることで、電源が切れないようにしたのが、バッテリーバックアップ機能付きのカートリッジだったのだ。


子供の頃はべつになんとも思っていなかったが、いまこうして考えてみると、「なんだか強引な発想だったのだなぁ」と思う・・・・・・。


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▲カセットの裏面には、「バックアップカセットについてのお願い」が書かれていたが、使用方法をきちんと守っていても、セーブデータはよく消えていた・・・・・・。

そしてこのバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジの登場で、ドラクエは「Ⅲ」からは、「ふっかつのじゅもん」から解放され、ワンタッチでセーブが出来るようになった。


このことによって、「ふっかつのじゅもん」を書きとめる手間と、書き間違えのリスクはなくなったものの、バッテリーバックアップに何も問題がなかったという訳ではなかった。


じつはこのバッテリーバックアップ、セーブデータがよく消えるという致命的な欠陥があったのである・・・・・・。


どういうことかというと、セーブデータが入っている「ぼうけんのしょ」を選んで、コントローラーの決定ボタンを押すと、次の瞬間になぜか突然、「呪いの音楽」が流れ始め、真っ黒な画面に白い文字で、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

と、唐突に表示されることがあったのである・・・・・・。


ファミコン版の「ドラクエⅢ」をプレイしたことのあるかたなら分かると思うが、「ドラクエⅢ」は容量不足の影響で、タイトル画面は真っ黒なバックに、「DORAGON QUEST」の白い文字だけが小さく表示されていて、BGMも一切なく無音だった。


そんな静寂の中で、突然の大音量で、おどろおどろしい「呪いの音楽」が流れ始めたら、驚かない訳がない。


心臓に悪いとは正にこのことである。


そして極めつけは、真っ黒な画面に淡々と表示される、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

という簡潔なメッセージだった。


なんだかそれは、「昨日まで元気にいっしょに遊んでいた友達が、突然パタリと倒れて死んでしまいました」と宣告されているかのようで、当時は多くの子供たちが、トラウマになるほどの衝撃を受けたものである・・・・・・。


そしてこの時に流れる「呪いの音楽」は、日常生活の中で、個人的に何かただならぬショックを受けた時などに、「デデンデン、デンデン ♪」と呟くことで、周囲の者に対して、自己申告をすることにも使用されていた。


例えば返って来たテストの点数が、信じられないくらい悪かった時などに使用され、「ああ~、あいつ相当点数が悪かったんだな~。しばらく話しかけないでおいてやろう・・・」と、周りに気を使ってもらったりしていたものである。


また、先生によっては、採点したテストを返す時に、突然「デデンデン、デンデン ♪」と、呪いのBGMを奏で始め、「W辺くんは答案用紙に名前を書き忘れていたので、お気の毒ですが、今回のテストは0点です」と、ぶっきらぼうに宣言し、「W辺くん」を闇の世界へ葬り去ったこともあった・・・・・・。



2024年1月24日 (水)

ファミコンのディスクシステムとセーブ

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▲ファミコン版「ドラゴンクエストⅡ」にはセーブ機能はなく、ゲームを再開するためには、最大で52文字の「ふっかつのじゅもん」を入力する必要があった・・・・・・。

いまとなってはもはや当たり前の話だが、ゲームの続きを遊ぶためには、セーブデータが欠かせない。


しかし、家庭用ゲーム機の草分け的存在の、ファミリーコンピューターが発売になった当初は、ゲームの進行状況を保存しておくという概念そのものが、まだ存在していなかった。


その当時のファミコンのゲームは、アクションゲームやシューティングゲームが中心で、いま思えばステージ数もびっくりするほど少なかった。


このため、そもそもゲームの進行状況を保存しておく必要がなかったのである。


セーブという概念が生まれたのは、ある程度長い時間をかけて、ゲームクリアを目指して行く作品が登場してからになる・・・・・・。


ファミコンゲームに最初に採用されたセーブ方法は「パスワード」だった。


そしてこの当時は、まだ「セーブ」という言葉は一般的ではなかったと思う。


パスワードのシステムを最初に採用した、最も有名なゲームといえば、それはもはやいうまでもなく、「ドラゴンクエスト」だろう。


ドラゴンクエストでは、パスワードのことを「ふっかつのじゅもん」と呼び、現在では伝説として語り継がれている。


ちなみに「ふっかつのじゅもん」は、1986(昭和61)年5月27日発売の初代ドラゴンクエストと、1987(昭和62)年1月26日発売のドラゴンクエストⅡに採用されていた・・・・・・。


ところで、初代ドラゴンクエストが発売になった1986(昭和61)年は、ファミコンの周辺機器のディスクシステムが発売された年でもあった。


ディスクシステムは、フロッピーディスクのような外観の黄色いディスクカードを読み込むことで、ゲームをプレイすることが出来た。


このディスクカードは両面を使用することで、112キロバイトの容量があり、初期のファミコンのロムカセットの約3倍の容量があった。


ちなみに「スーパーマリオブラザーズ」は40キロバイト、「初代ドラゴンクエスト」は64キロバイトの容量だった・・・・・・。


また、ディスクカードを使用することにより、ゲームの進行状況をセーブすることが出来るようになった。


これはロムカセットではまだ実現していなかったことで、当時としては画期的なことだった。


そして、このディスクシステムが登場したことにより、ファミコンのゲームをプレイする子供たちの間で、初めてセーブという仕組みが認識されることになったのである・・・・・・。


これまではゲームを終了する際にパスワードをメモしておき、ゲームを再開する時には、そのメモしておいたパスワードを一文字ずつ入力しなければならなかった。


しかし、ゲームの容量が増えて行くにつれて、パスワードの文字数も、それに比例するように増えて行き、ドラクエⅡの頃にはなんと52文字にまで膨れ上がっていた。


そしてそのうちのたった一文字を間違えただけで、ゲームの再開がかなわなくなるのである。


それがディスクシステムが登場したことにより、ボタン1つでゲームの進行状況を保存出来るようになったのだ。


当時の子供たちは、初めてそれを経験した時には、「今までの苦労はいったいなんだったんだ・・・」と思わず脱力したものである・・・・・・。


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▲ファミコンのディスクシステムでは、ゲームの進行状況をボタン1つでセーブ出来るようになった・・・・・・。

ところでファミコンのディスクシステムが発売になったのは、1986(昭和61)年2月21日のことだった。


そしてこれは、「初代ドラゴンクエスト」が発売になった、1986(昭和61)年5月27日より前の話なのだ。


ということは、少なくとも、「ドラゴンクエストⅡ」に関しては、ディスクシステムで出そうと思えば出せたはずなのだ。


しかし、ドラゴンクエストⅡはロムカセットでの発売になった。


当時は多くの子供たちが、52文字もある「ふっかつのじゅもん」の書き間違いで、ゲーム再会がかなわなくなり、涙を飲んでいた。


しかもそれは1度や2度ではなかったのである。


もし、これがボタン1つでセーブ可能のディスクシステムだったらと思うと、非常にもどかしい思いでいっぱいだった・・・・・・。


では、どうしてドラクエは、ディスクシステムで発売されなかったのだろう。


じつはこれにはいくつかの理由があったようだ。


まず、発売当初のディスクシステムは大容量を売りにしていたのだが、じつはその直後に1メガビット(128キロバイト)の大容量のROMカートリッジが開発されていた。


一方のディスクシステムのディスクカードは、112キロバイトの容量だったが、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


カートリッジにはそのようなストレスはなかったのだ・・・・・・。


さらに1987(昭和62)年になると、リチウム電池を使用した、バッテリーバックアップ機能搭載のROMカートリッジが登場した。


もはや「セーブが出来る」ということは、ディスクシステムの専売特許ではなくなっていたのだ・・・・・・。


ソフトを買う側の子供たちにとっては、ディスクシステムのゲームは、何よりも価格が安いことが最大のメリットだった。


ところがソフトを開発する側にとっては、単価が安いということは、そのぶん利益率が上がらないということになるわけだ。


そうなって来ると、ソフトを開発する側としては、当然ディスクカードよりも、カートリッジを選択したくなる。


このような要因がいくつか重なって、ドラクエシリーズは最終的にカートリッジのソフトとして発売されることになったのである・・・・・・。


もし、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」が、ディスクシステムで発売になっていたら、「ふっかつのじゅもん」の書き間違いは起こらずに、きっと多くの子供たちがストレスなくエンディングまでたどり着けていただろう。


しかし、そうなって来ると、「ふっかつのじゅもん」はそもそも存在しなかったことになり、現在のように「伝説」として語り継がれることもなかったのである。


実際にゲームをプレイしていた当時は、それこそ死活問題だったのだが、いまとなってはあれはあれでいい思い出となっているのだから、これでよかったのかもしれない・・・・・・。



2023年12月13日 (水)

ふっかつのじゅもん

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▲ファミコン版「ドラゴンクエストⅡ」では、最大52文字の「ふっかつのじゅもん」を入力しなければ、ゲームの続きを遊ぶことが出来なかった・・・・・・。

いまとなってはもはや当たり前の話だが、ゲームの続きを遊ぶためには、セーブデータが欠かせない。


しかし、家庭用ゲーム機の草分け的存在の、「ファミリーコンピューター」が発売になった当初は、ゲームの進行状況を保存しておくという概念そのものがまだ存在していなかった。


その当時のファミコンのゲームは、アクションゲームやシューティングゲームが中心で、いま思えばステージ数もびっくりするほど少なかった。


このため、そもそもゲームの進行状況を保存しておく必要がなかったのである。


セーブという概念が生まれたのは、ある程度、長い時間をかけて、ゲームクリアを目指していく作品が登場してからになる・・・・・・。


ファミコンのゲームに最初に採用されたセーブ方法は「パスワード」だった。


そして、この当時はまだ、「セーブ」という言葉は一般的ではなかったと思う。


パスワードのシステムを採用した最も有名なゲームといえば、もはやいうまでもなくドラゴンクエストだろう。


ドラゴンクエストでは、パスワードのことを「ふっかつのじゅもん」と呼び、現在では伝説として語り継がれている・・・・・・。


「ふっかつのじゅもん」を使うためには、ゲーム終了時に王様から呪文を聞いてメモを取っておく必要があった。


そしてゲームを再開する時に、「CONTINUE」画面で、これを入力することで、中断した時の条件のまま、ゲームを再開することが出来たのだ。


ちなみに初代ドラゴンクエストでは、「ふっかつのじゅもん」はラダトームの城で王様から聞くことになる。


「ふっかつのじゅもん」の文字数は20文字と決まっていて、意味のないひらがな文字の羅列だった。


当時は20文字でも長く感じたものだが、これがドラゴンクエストⅡになると、「ふっかつのじゅもん」は合計7ヶ所で聞けるようになり、ゲームの進行具合によって、文字数は18文字から52文字と、事実上増えてしまうことになる。


冒険出来るフィールドが倍以上に広がったのだから、当然といえば当然の話なのだが、意味のない文字の羅列を、1文字も間違えることなく、52文字も書き写すことは、決して容易なことではなかった・・・・・・。


単に読み間違えたことに気付かずに、そのままメモを取ってしまうこともよくあったが、似ている文字を見間違えることもよくあった。


例えば「ぬ」と「ね」、「ぬ」と「め」、「わ」と「ね」、「ぷ」と「ぶ」などの見間違えはしょっちゅう起きていた。


また、当時のブラウン管テレビは、現在のテレビと比べると解像度が低く、「ふっかつのじゅもん」に限らず、ゲームに出て来るような字体の文字は、読み取りにくいという問題もあった。


また、「ふっかつのじゅもん」は、一文字でも間違えると、画面には「じゅもんがちがいます」というメッセージが冷たく表示され、ゲームを再開することが出来なかった。


このため、当時のファミコン専門誌や攻略本には、「ふっかつのじゅもんはメモを取った後に、本当に呪文が合っているか、もう一度しっかり確認しておこう」とか、「ふっかつのじゅもんは必ず2回聞いてメモをしておこう」と注意喚起がされていた。


最初のうちは誰もが、「ひらがなを間違えることなんてあるもんか」と、高をくくっていたものだが、「意味のないひらがな文字の羅列だからこそ間違えるのだ」ということを、ほとんどの子供たちはゲーム序盤で思い知ることになるのである・・・・・・。


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▲「取扱説明書」に書かれていた、「ふっかつのじゅもん」についての解説。

このように、自分のミスでゲームを再開出来なくなるのは、無念ではあるが、まあ仕方がないことだ。


しかし、せっかくメモをしておいた「ふっかつのじゅもん」を、ただのいたずら書きと見なされて、親に捨てられてしまうという事件も、当時はよく起きていた。


「ふっかつのじゅもん」は、ゲームをプレイして行くうえでとても大切なもので、ゲームそのものと言ってもいい。


だからゲーム終了時には、「ふっかつのじゅもん」が間違っていないか、何度も何度も確認をする。


そしてメモをどこへやったか忘れないように、一番目に付くであろう、机の上へ乗せておく。


そしてメモが風で飛ばされて、どこかへ行ってしまわないように、ペン立てを上に乗せて置いておくという念の入れようだ。


しかし、部屋の掃除に来た母ちゃんに、「ぷてまるら ぐてたもらまえ・・・」が、いたずら書き以外の何であるかなんて、理解出来ようはずがなかったのである・・・・・・。


いまだったらスマホやデジカメで、「ふっかつのじゅもん」を撮影しておけばそれで済むのだが、当時はスマホもデジカメもまだ存在していない時代だった。


当時はカメラといえば、フイルムカメラのことだったので、仮に「ふっかつのじゅもん」をカメラで撮影しておいたとしても、装填してあるフイルムを使い切るまでは現像には出せない。


また、当時はいまみたいに、日常的になんでもかんでも写真に撮るような時代ではなかったので、フイルムを1本使い切るのに数ヶ月かかることも少なくなかった。


そんな訳で、当時は「ふっかつのじゅもん」を写真に撮って残しておくというのは、現実的な方法ではなかったのである・・・・・・。


現在ではボタン1つで簡単にゲームのセーブが出来る時代になったが、昔は「ふっかつのじゅもん」を1文字、1文字書き写し、何度も何度も確認をするという、非常に面倒な作業が必要だったのだ。


そして、そこまでのことをしたにも関わらず、「ふっかつのじゅもん」が間違っているということもよくあった。


冒険も終盤に差し掛かって来ると、1ヶ月以上にもおよぶ苦労が、その一瞬で水の泡と化してしまうことになるわけだ。


あまりのショックにゲームクリアを諦めてしまう者も大勢いたものだ。


そしてそこから立ち直り、再度冒険へと旅立ち、見事エンディングへとたどり着いた、不屈の精神を持つ者だけが、当時は真の勇者と呼ばれていたのである・・・・・・。


2023年9月15日 (金)

「ドラクエ」RPGがまだ浸透していなかった時代


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▲初代ドラゴンクエストのラスボスの「竜王」。いまでは考えられない話だが、当時は攻略本にラスボスの姿が堂々と掲載されていた・・・・・・。

任天堂から家庭用ゲーム機のファミリーコンピューターが発売になったのは、1983(昭和58)年7月15日のことだった。


そして1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこのファミコンブームの真っただ中の、1986(昭和61)年5月27日に、満を持して発売になったのが、後に日本が世界に誇るRPGとなる、「ドラゴンクエスト」だったのである。


ちなみにドラゴンクエストは、家庭用ゲーム機では初のRPGだった・・・・・・。


当時はパソコンでは、「ウィザードリィ」や「ザナドゥ」などのRPGがすでに発売になっていたが、これらのタイトルはパソコンのゲームということもあって対象年齢が高く、子供が遊ぶにはちょっと難解で、キャラクターデザインも少々とっつきにくいものであった。


当時、任天堂は「ファミコンはあくまでもおもちゃ」と公言しており、小中学生が主なターゲットだったため、ドラクエは子供に興味を持ってもらえるような、可愛らしいキャラクターデザインにして、ゲームのシステムも極力単純化して、シンプルなコマンド選択式が採用された。


さらにドラクエの開発を手掛けていた堀井雄二さんは、ドラクエの発売に先駆けて、すでにパソコン版が発売になっていた、「ポートピア連続殺人事件」をファミコンに移植。


そしてドラクエ発売の前年の、1985(昭和60)年11月29日にリリースした。


「ポートピア連続殺人事件」には、「ばしょいどう」、「ひとにきけ」、「ひとしらべろ」、「なにかみせろ」、「ひとさがせ」、「よべ」、「たいほしろ」などのコマンドがあり、これを選択して行くことで、ストーリーを進めて行くことになる。


つまり、「ポートピア連続殺人事件」というアドベンチャーゲームを先に発売して、コマンド選択式のゲームにまず慣れてもらい、ドラクエをプレイする時に、プレーヤーが戸惑わないように仕掛けがされていたのだ。


さらにドラクエといえば、当時は「少年ジャンプ」誌上に、なぜかファミコンのゲームソフトを紹介するページがあって、ここにファミコン専門誌にも載っていないような情報が、開発中の画面写真と合わせて紹介されていた。


堀井さんはこのページに、発売前のドラクエの情報を掲載して、当時はまだ一般的ではなかったRPGというジャンルを、少しずつ世間に浸透させていったのだ・・・・・・。


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▲当時はドラクエの発売元のエニックスに、出版部門がまだ設立されていなかった。このため攻略本は徳間書店から発売されていた。そしてこの攻略本には、他のモンスターと同様にラスボスの姿も堂々と掲載されていた・・・・・・。

ところで1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークだったと書いたが、じつはこの2年間はファミコン専門誌の創刊ラッシュでもあった。


いまでは考えられないような話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が、出版各社から発売になっていたのである。


そしてゲームの攻略本が誕生して、次々と刊行されて行くようになるのも、ちょうどこの頃からだった・・・・・・。


ちなみに上の画像は、1986(昭和61)年9月30日に発売になった、初代ドラゴンクエストの攻略本である。


当時はまだ、ドラクエの発売元のエニックスに、出版部門が設立されておらず、攻略本は徳間書店から発売になっていた。


で、この攻略本の中身を見て驚いてしまうのは、なんと初代ドラクエのラスボス「竜王」の姿が、モザイクを掛けられるでもなく、堂々と掲載されているのである。


しかも、変身前の姿のみならず、変身後の姿まで載っていて、「これが竜王の正体だ」と、はっきりと書かれているのである。


いまだったらちょっと考えられない話なのだが、当時はまだRPGというジャンルが一般に浸透しておらず、ラスボスなんていう概念も、正直よく分かっていなかった。


だから「他のモンスターは全部出しているのに、なんで最後の敵だけ載せちゃいけないの?」という感じだったのだ。


それは出版社の側も、プレーヤーの側も同様だったと思う。


だから当時はファミコン専門誌の記事の中でも、ラスボスの姿がごく普通に載っていた記憶がなんとなく残っている。


「そんな時代もあった」といえばそれまでだが、何事も最初というのは手探りなのである・・・・・・。


2023年3月19日 (日)

ドラクエと鍵 ②

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▲右が「とうぞくのカギ」、真ん中が「まほうのカギ」、左が「さいごのカギ」になる。ドラクエシリーズでは、ストーリーに沿って右から左の順番で入手して行くことになる・・・・・・。

ドラクエシリーズに登場するカギといえば、「とうぞくのカギ」、「まほうのカギ」、「さいごのカギ」が基本の構成となっている。


しかし、このラインナップになったのは、1988(昭和63)年2月10日に発売になった、ファミコン版「ドラクエⅢ」からだった。


で、「とうぞくのカギ」、「まほうのカギ」、「さいごのカギ」は、ストーリーに沿って、正にこの順番で登場して来ることになる・・・・・・・。


最初に登場する「とうぞくのカギ」は、その名の通り、盗賊のバコタが作ったカギと言われている。


そしてその仕組みについては非常に単純で、可動式の3本の棒をそれぞれ動かすことで、鍵穴に合わせて扉を解錠する仕組みになっている。


「とうぞくのカギ」は構造が単純なだけに、開けられる扉の種類も限られてしまい、黄色か赤の扉以外は開けることが出来ない。


それにしても、これだけ単純な仕組みだと、カギというより、もはやパズルに近く、セキュリティという意味では、かなり危なっかしいといえよう。


これだったら、ただのかんぬきや錠前の方が、よほど安心なような気がする・・・・・・。


ちなみに「とうぞくのカギ」は、「ドラクエⅢ、Ⅳ」ではお宝、「Ⅴ」では登場せず、「Ⅵ」からはなんと市販品になってしまっている。


どうでもいいが、「とうぞくのカギ」などという、そのものズバリの名前のカギを、店で普通に販売したりして、この世界では問題ないのだろうか。


リアルな世界に置き換えて考えるなら、ピッキングの道具をホームセンターで普通に売っているようなものである。


まあ、それを買ったとしても、それなりの技術がなければ、道具を使いこなすことは出来ないのだが、ドラクエの世界では、主人公は何の苦労もなくそれを使いこなしている。


ということは、彼にはもともとそっち方面の素質があるのか、事前に「それなりの技術」を習得していた可能性があるということになるだろう。


人の家に勝手に上がり込んだり、タンスや壺の中身を物色してみたりと、かなり怪しいとは思ってはいたが・・・・・・。


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▲じつは「まほうのカギ」は「初代ドラゴンクエスト」にも登場している。ただし、「初代ドラゴンクエスト」に登場する「まほうのカギ」は1度使うと壊れてしまい、その都度、買い替えなければならなかった。そしてこれにはある理由があった・・・・・・。

ストーリーが中盤あたりまで進むと、「まほうのカギ」が手に入るようになる。


なぜ、「まほうのカギ」なのかというと、カギの先端部分に魔法がかけられていて、それによって様々な鍵穴に対応出来る仕組みになっているらしい。


アナログな仕組みの「とうぞくのカギ」とは大違いである・・・・・・。


じつはこの「まほうのカギ」、ドラクエⅠから早くも登場していて、Ⅰのアイテム名はシンプルに「かぎ」だった。


しかし、これを売っている「鍵屋」に行くと、「どんなとびらももあけてしまう、まほうのかぎ」という触れ込みで売られている。


ところがⅠの「まほうのかぎ」は、なぜか一度使うと壊れてしまうので、その都度、買い直さなくてはならなかった。


一方、Ⅲの「まほうのカギ」は、一度手に入れれば、壊れることはなく、ずっと使うことが出来る。


これについては、Ⅲのリムルダールの町に、「まほうのカギ」を探しているという老人がいて、主人公が持っているカギを見て、「これと同じものを作ろうと思っている」という。


そしてエンディングで、ついに老人はカギを完成させているのだが、なんと「一度使うと壊れてしまう」というのだ。


「ドラクエⅠ」は「Ⅲ」から400年後の世界を描いている。


どうやらドラクエⅠに登場していた「かぎ」は、オリジナルの方ではなく、リムルダールの老人が作った複製品の製法が代々継承されて行き、大量生産されたものらしい・・・・・・。


ところでこの「まほうのカギ」、名前は格好いいのだが、その主な用途は、世界各地の宝物庫に保管されているお宝を、ただ回収して来るためだけに存在しているようなものといえよう。


それを考えると、「とうぞくのカギ」よりも、むしろこちらの方が、「とうぞくのカギ」と呼ぶに相応しい気がする。


そしてそれを使っているのが本職の盗賊ではなく、正にこれから世界を救おうとしている勇者であるところがまた、何とも言えないものがある・・・・・・。


ドラクエシリーズに登場する3本のカギのうち、一番最後に登場するのが「さいごのカギ」だ。


「さいごのカギ」は全ての扉に対応しているカギで、これで今まで開けることの出来なかった扉も、開けることが出来るようになる。


と、そうは言っても、前述の「まほうのカギ」で、この世界にあるほとんどの扉は開けてしまっているので、「さいごのカギ」の使い所は牢屋ぐらいのものである。


しかし、ドラクエの世界では、なぜか牢屋には囚人だけではなく、貴重なアイテムが眠っていることも少なくないのだ。


記憶の糸を手繰り寄せながら、世界中の牢屋を確認しに行くだけの価値はある。


また、囚人が収監されている牢屋では、扉を開ければ、当然のことながら、囚人は自由の身になってしまうのだが、なぜかそこから出て行こうとする者は誰もいない。


ということは、よっぽどこの世界では、囚人たちにとって居心地のいい環境作りがされているのだろう。


もっとも、脱走でもされたら、それに加担した主人公一行も収監されてしまうことになるだろう。


ただ、収監されたことにより、この場所がどれだけ居心地がいい場所なのか、身を持って経験することは出来るだろうが・・・・・・。


2023年1月 6日 (金)

ドラクエと鍵

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▲もはやいうまでもないと思うが、右が「金の鍵」で、左が「銀の鍵」になる。金の鍵は金色に縁取られた扉、銀の鍵は銀色に縁取られた扉なら全て開けることが出来る。これは世界各国どこへ行っても共通だ。これでセキュリティ上、問題ないのだろうか・・・・・・?

信じられないような話だが、ドラゴンクエストの世界には、扉を開けるための鍵は数種類しか存在していない。


そしてその鍵の種類によって、開けられる扉のタイプは決まっている。


ドラクエの世界では施錠の仕組みはとても単純で、同じ色(同じ系統)の扉なら、全て1本の鍵で世界中どこの施設の扉であろうと、開いてしまうことになる。


扉の向こう側には、貴重なアイテムが保管されていることも少なくないのに、これでセキュリティ上、問題ないのだろうか。


いや、むしろ大問題だと思うのだが、不思議なことに鍵を手に入れて、世界中の扉を開けに行ってみても、扉はどこもしっかりと施錠されていて、部屋の中の宝箱も全くの手つかずで、誰かが進入した形跡は微塵もないのである。


で、勇者一行は、その手つかずの宝箱の中身を、所有者の許可もなく、なんのためらいもなくもらって来る訳だ。


しかし、これって冷静に考えてみると、主人公こそが「宝物庫荒らし」ということになるのではないだろうか・・・・・・。


そんな訳でドラクエの世界では、扉のタイプに対応した鍵さえ入手してしまえば、世界中どこへ行っても、扉を開けることが出来てしまう。


しかし、そうは言うものの、鍵の入手については、一筋縄でいかないものが多い。


例えばドラクエⅡに登場する「きんのカギ」については、持ち主のタシスンが帰って来ないため、いつまで経っても鍵は手に入らない。


そこで町にいる人に話を聞くと、旅の商人から、「この町の男たちの船が魔物に襲われて海の藻屑になった」というとんでもない情報が聞ける。


そしてタシスンの妻からは、「タシスンは犬が大好きだった」という話、さらに町の少年からは、「うわ~ん、あそこの犬が吠えて袖を引っ張るんだよぉ」という、どうでもよさそうな情報が聞ける。


しかし、この町で一番重要な人物は、じつは人ではなくて道具屋の裏にいる犬なのだ。


そうは言っても、犬に話を聞いても話が全く通じない。


そこでやるべきことは、犬の足元の地面を調べることなのだ。


これをやらなければ、いつまで経っても話が進展することはない。


ちなみに「きんのカギ」が手に入ると、金色に縁どられた扉は全て開けられるようになる・・・・・・。


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▲こちらは牢屋の鍵と水門の鍵。なんと牢屋の鍵は道具屋で売っている。もちろん正規のルートではなく、闇取引に応じなければ入手することは出来ない・・・・・・。

そしてもう一つ、「きんのカギ」より早く手に入る「ぎんのカギ」については、湖の洞窟の地下2階に、他の宝箱といっしょに隠されている。


それなら普通のダンジョン探索と変わらないじゃないかと思われるかもしれないが、ここでのパーティは仲間になって間もないサマルトリアの王子1人だけなのだ。


仲間になった直後のサマルトリアの王子は、本当に信じられないくらい役に立たない。


もはや主人公が1人で行くのと大して変わらないのである。


そして「ぎんのカギ」が手に入ると、銀色に縁どられた扉は全て開けられるようになる・・・・・・。


ところで苦労して手に入れた「きんのカギ」と「ぎんのカギ」だが、じつは売ることも出来る。


「金」と「銀」というくらいだから、さぞかし高額で買い取ってもらえるのだろうと思っていたら、なんとどちらもたったの2Gにしかならない。


どうやら「金」と「銀」というのは見た目の色だけで、実際のところは別のお安い金属で出来ているようだ・・・・・・。


ドラクエⅡに登場するカギを2つご紹介して来たので、ついでにもう1つ、「ろうやのカギ」もご紹介してみたいと思う。


じつは「ろうやのカギ」はペルポイの町にある道具屋で売っている。


売っているのなら、入手は簡単じゃないかと思われるだろうが、普通に買えるのなら苦労はしない。


じつはペルポイの町には道具屋がなぜか2つあるのだが、このうち「ろうやのカギ」が売られているのは、怪しい男が経営している店の方だ。


この店のメニューを見ると、なぜか一ヶ所が空欄になっている。


で、その空欄を選択すると、怪しい店員が闇取引を持ちかけて来る。


価格はなんと2000Gだ。


ドラクエⅡでは「はがねのつるぎ」が1500Gなので、「ろうやのカギ」がいかに高額か分かると思う。


で、「ろうやのカギ」を手に入れれば、「鉄格子の扉=牢屋の扉」を自由に開けることが出来るようになる。


それにしてもドラクエの主人公って、先にも書いた通り、鍵を手に入れて、宝物庫荒らしのようなことをしてみたり、本来なら摘発すべき闇取引で、なんのためらいもなくアイテムを入手してみたり、とても世界を救おうとしている勇者には見えないのだが、これで本当にいいのだろうか・・・・・・。


2022年11月 7日 (月)

ドラクエのやくそうの謎

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▲スーパーファミコン版「ドラゴンクエストⅠ.Ⅱ」の、取扱説明書に紹介されている「やくそう」のビジュアルは、葉っぱの上に乗せられた「顆粒状の薬」として描かれている。

ドラゴンクエストに登場するアイテムの中で、一番なくてはならないアイテムといえば、個人的にはそれは「やくそう」ではないかと思っている。


やくそうは物語の序盤から終盤まで、コンスタントに買い続けることになり、恐らく全アイテム中で、最も消費量の多いアイテムなのではないだろうか。


しかも、他のアイテムを寄せ付けない、圧倒的な消費量になるはずだ・・・・・・。


ところでHPを回復出来る便利なアイテムとして、普段何気なく使っているやくそうなのだが、そもそもやくそうとはいったいなんなのだろう。


そこでまずは公式ガイドブックでやくそうのビジュアルを確認してみることにする。


ちなみに本稿ではロト3部作の公式ガイドブックを参照している。


私はやくそうというからには、てっきり草なのだろうと思っていたのだが、公式ガイドブックに載っているやくそうの絵は、1枚の木の葉の上に乗せられた顆粒状の薬のようなものだった。


細かく見て行くと、赤色と黄色の2種類の顆粒を混ぜて作られているようである。


このビジュアルを見る限り、作中でいうところの「やくそうを使った」とは、どうやら「顆粒状の薬を飲んだ」ということになるようだ。


きっと、これについては、意外に感じられたかたも少なくないだろう。


なぜならやくそうは、モンスターとの戦闘中に使うことが多いからだ。


モンスターとの戦闘中に、ちょっと戦闘から外れて、顆粒状の薬を水で流し込んでいる状況を想像すると、なんだかちょっと笑える。


そして、戦闘中にやくそうを使わなければならない状況を考えてみると、相手の攻撃によって出来た傷や打撲、火傷の治療などが思い浮かぶ。


しかし、現実的に考えて、傷や打撲、火傷などの治療に、飲み薬が処方されることなんて、はたしてあるだろうか。


一般的なイメージとしては、やはり塗り薬の方がしっくり来る・・・・・・。


そこでちょっとやくそうの効果について調べてみると、公式ガイドブックには「傷ついた体を癒す」とか、「傷の治療」と書かれている。


やはり服用することで、傷が癒えるということらしい。


で、目に見える効果としては、HPが一定量回復することになる訳だ。


では、そもそもHPとはいったい何のことなのだろう。


恐らく多くの人は、HPに関しては、「相手の攻撃を受けて、体力が削られる」みたいな使い方をしていると思う。


しかし、公式ガイドブックによると、HPとは体力のことではないようで、正確には「生命値」のことを指しているらしいのだ。


生命値とはなんともあいまいな表現だが、やくそうを使うことで得られる効果としては、「傷が癒され、生命値が一定量回復する」ということになるようだ・・・・・・。


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▲ファミコン専門誌が全盛の時代、攻略記事や攻略本の中でしばしば紹介されていたやくそうのビジュアル。やはり葉っぱの上に顆粒状の薬が乗せられている。「やくそう」と言っても、草そのものではなかったのだ。ゲームをプレイしながら、「こんなにたくさんどうやって携帯しているのだろう?」と、疑問に思っていたものだが、これなら大量に持ち歩くことも可能だろう・・・・・・。

ちなみにやくそうと同様の効果がある、回復呪文の「ホイミ」の解説を読むと、「宿屋に泊まらずとも傷を治せる」と書かれている。


ということは、この世界の傷の治し方のスタンダードは、どうやら「宿屋に泊まる」ことであるらしい。


しかし、なぜ宿屋に泊まるだけで、傷を治せるのだろうか。


作中では宿屋に泊まると、たった一晩で、HP、MPともに全回復しているところをみると、これはただ単に一晩寝て、疲労が回復しただけではないだろう。


戦闘で負った傷も回復しているのだとしたら、これはもう何らかの治療を施されているとしか思えない・・・・・・。


考えてみれば、ドラクエの世界には病院がない。


ということは、この世界では宿屋が病院も兼ねているということではないのか。


しかもその医療技術はかなり高度なもので、モンスターとの戦闘で瀕死の重症を負っていても、宿屋にたった一晩泊るだけで、HP、MPが全回復してしまうのだ。


極端な話、HP1、MP0の状態でも、宿屋に一晩泊れば、翌朝には全回復している。


しかし、作中ではそこでいったい何が行われているかについては、いっさい語られることはない。


しかし、HP(生命値)が全回復しているということは、これはもう戦闘で負った傷もすっかり癒えているということに他ならないだろう・・・・・・。


ちなみにオリジナルのファミコン版ドラクエⅠではやくそうは24Gもする。


布の服が20Gであることを考えると、やくそうはそれなりのお値段であることが分かる。


で、その効果としては、HPを20~35回復する。


ところがラダトームの町の宿屋に泊ると、HPはもちろんのこと、やくそうでは回復出来ないMPも全回復してくれて、なんとたったの6Gで済む。


ファミコン版ドラクエⅡではやくそうは15Gだが、ローレシアの城下町の宿屋に泊まれば1人4Gで済む。


ファミコン版ドラクエⅢでは、やくそうは8Gとリーズナブルな価格になるが、アリアハンの城下町の宿屋はさらに安く、なんと1人たったの2Gで済む。


しかも、主人公の生家に泊れば無料である・・・・・・。


それにしても、ただ宿泊するだけではなく、瀕死の人間の治療もしてくれてこのお値段って、ちょっと信じられないような話だ。


きっと、薬代やら何やらでかなりのお金がかかっているはずである。


ということは、この世界では、国が医療費を全額負担してくれているということなのか・・・・・・。


そして薬と言えばやくそうだが、ドラクエの世界では道具屋で普通に売られているやくそうは、我々がドラッグストアで手軽に買える市販薬のようなもので、医者が患者に処方するような薬は、宿屋に泊まって、それなりの治療を受けないと、処方されないということなのではないだろうか。


恐らくこれが単にやくそうを使うことと、宿屋に泊まることで生じる効果の差なのではないか。


すなわちドラクエの世界では、宿屋に泊まるということは、病院に入院することにも相当する訳だ。


そう考えると、しがない宿屋の主人だと思っていた人物は、じつは凄腕のドクターだったのかもしれない・・・・・・。

2022年7月22日 (金)

ドラゴンクエストがドラゴンクエストたる由縁

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▲初代ドラゴンクエストのラスボス「竜王」。この竜王こそが、ドラゴンクエストがドラゴンクエストたる由縁だった・・・・・・。

ドラゴンクエストは日本が世界に誇るRPG(ロールプレイングゲーム)と言っても過言ではないだろう。


東京オリンピック2020(2021年開催)の入場行進曲に、ドラクエの曲が使われていたのは記憶に新しい。


ところで初代のドラクエが発売になったのは、1986(昭和61)年5月27日のことで、家庭用ゲーム機がファミリーコンピューター(通称ファミコン)だった時代まで遡ることになる。


時の流れは早いもので、今となっては、初代のドラクエはプレイしたことがないという世代のほうが多くなって来ているのではないだろうか。


ところでドラゴンクエストは、なぜドラゴンクエストというタイトルになったのかご存じだろうか。


じつはその理由を知るためには、初代のドラクエをプレイしなければ、意味がよく分からないと思うのだ。


ドラゴンクエストとは日本語に言い換えるなら、「竜を探し求める旅」という意味になる。


では、なぜ竜を探し求める必要があるのか。


それは初代ドラゴンクエストでは、竜王にさらわれたラダトーム城のローラ姫を助け出し、竜王を倒すことが、旅の最大の目的だったからである。


このようにドラゴンクエストの「ドラゴン」とは、もともとは本作のラスボスである竜王のことを指している言葉だったのだ。


作中では勇者(プレイヤー)が竜王と初めて対峙した時、竜王は紫色のローブを身にまとい、左手には杖を持っていて、まるで魔導士のような出で立ちをしていた。


そしてこの時、ほとんどのプレイヤーは、「え?」と思ったはずである。


なぜなら竜王は「竜王」というくらいだから、きっと巨大なドラゴンのような姿をしているに違いないと、誰もがそう思っていたからだ。


「拍子抜けをした」とは正にこのことである。


そんな竜王は勇者(プレイヤー)と顔を合わせるなり、ある提案をして来る。
「もし、わしのみかたになれば、せかいのはんぶんを〇〇〇〇にやろう」


この「〇〇〇〇」にはプレイヤーの名前が入ることになる。


この問いの後には、「はい」と「いいえ」の二択になるのだが、オリジナルのファミコン版では「はい」を選ぶと、竜王から「ふっかつのじゅもん」を教えられ、その後とんでもないことになってしまう。


「いいえ」を選ぶと当然戦闘に突入することになるのだが、これが正しい選択であることはもはや言うまでもない。


しかし、オリジナルのファミコン版の竜王は、変身前の姿がびっくりするほど小さくて、まるでザコキャラのような姿をしていたため、前述の二択の場面では、「こんな奴に騙されてたまるか」とばかりに、迷わず「いいえ」を選ぶプレイヤーがほとんどだった。


で、戦闘に突入すると、竜王はさすがにザコキャラとは言えない強さなのだが、そこまで苦労をすることもなく、案外あっさりと倒せてしまう。


しかし、「ホッ」としているのも束の間、ついに竜王が真の姿を現すことになるのだ。


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▲ドラクエⅡのラスボス「シドー」。もはや竜とはなんの関係もなくその肩書は「破壊神」だった・・・・・・。

その姿はプレイヤーが当初予想していた通りの巨大なドラゴンで、2本足で立ち上がり、両手の鋭い爪をこちらに向けて、威嚇しているようなポーズで描かれていた。


そして背中には西洋のドラゴン特有の大きな翼を持っているのだが、戦闘でその翼が使われることは結局一度もなかったと思う・・・・・・。


ところでオリジナルのファミコン版では、変身前の竜王は、ドラゴンの姿に変身した後の竜王の、足の平ほどの大きさしかなかった。


見上げるほどの巨大なドラゴンが、どうやってこんなちっちゃなおっさんに変身していたというのだろうか。


個人的には竜王に関しては、戦闘そのものの苦労よりも、むしろそのことの方が強く印象に残っている。


で、お話して来たように、この竜王こそが、ドラゴンクエストがドラゴンクエストたる由縁だったのである・・・・・・。


そしてその後、ドラゴンクエストはナンバリング作品になることが決定する。


当然のことながら、そのタイトルの通り、竜にまつわる冒険がストーリーの肝に据えられることになるのだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみれば、竜のストーリーは脇に置かれ、ドラゴンクエストなのに、肝心のドラゴンはどこかへ行っちゃった感がいなめなかった。


一応、「ドラクエⅡ」では、竜王の城もそのまま残っており、内部についても「ドラクエⅠ」の時と全く変わっていなかった。


ところが玉座に座っていたのは、「竜王のひ孫」と名乗る者で、冒険のヒントはくれるものの、ストーリーそのものに深く関わって来ることはなかった。


また、「ドラクエⅢ」でも竜王の先祖と思しき「竜の女王」が登場するのだが、ストーリーそのものを左右させるような存在ではなかった・・・・・・。


それならラスボスぐらいはドラゴン系なのではと、淡い期待を抱いていたのだが、「ドラクエⅡ」のハーゴンは大神官、そして自らを犠牲にして呼び出したシドーは破壊神だった。


「ドラクエⅡ」のハーゴンは、「ドラクエⅠ」の変身前の竜王に装束がやや似ており、「これはもしや、この後ドラゴンに変身するのか?」とちょっと期待したのだが、その後出現したシドーは全体のフォルムこそドラゴンぽくはあったが、その顔はドラゴンとは程遠い平べったい顔になってしまっていた。


身近な所で例えるなら、不細工な座敷犬といったところだろうか。


シドーは破壊神と名乗ってはいたが、「破壊の神がこんな面白系の顔でいいのかよ」と当時は子供ながらにずっとそう思っていたものだ。


そして「ドラクエⅢ」のラスボスのゾーマに至っては大魔王で、もはやドラゴンぽさはどこにも見当たらなくなり、もう完全に人型になってしまった。


と、そんな訳で、個人的には正統派のドラゴンクエスト、「竜を探し求める旅」を、もう一度作ってもらえないかな~と、切に願う次第である・・・・・・。



2022年5月29日 (日)

ファミコン時代の攻略本

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▲ファミコンの攻略本は小学生程度の子供でも理解出来るように、難しい言葉は使わないで分かりやすく書かれていた・・・・・・。

現在ではゲームの攻略本は、書店に行けば当たり前のように店頭に並んでいる。


しかし、任天堂のファミリーコンピューターが世に出た当初は、まだゲームの攻略本は売られていなかった。


攻略本という概念そのものが、当時はまだなかったのである。


ゲームの攻略本が初めて発売になったのは、1985(昭和60)年のことで、ファミコンの発売から3年後のことだった。


ファミコンの出荷台数は、1985(昭和60)年が374万台、1986(昭和61)年が390万台で、記録を見るとこの2年間が出荷台数のピークだったことが分かる。


そしてこのタイミングでゲームの攻略本も誕生していたことになる訳だ・・・・・・。


現在ではゲームの攻略本というと、大きくて重たい、まるで辞書のような本を想像すると思うが、じつは当時の攻略本は、今にして思うと、信じられないくらい、小さく薄いものだった。


具体的に言うなら、サイズは縦17cm×横10・5cmほどで、厚さも1cmあるかないかというものがほとんどだった。


そしてこのサイズ感こそが当時の攻略本のスタンダードだったのである・・・・・・。


そして当時の攻略本の最大の特徴は、小学生、中学生程度の子供を対象に書かれていたということだろう。


だから解説には難しい言葉はいっさい使われていなかったし、漢字には全てふりがなが振られていた。


そして解説文も「~してみよう」とか、「~すればカンタンだぞ」とか、「~しなくちゃね」といった具合に、子供に語り掛けるような口調で書かれていた。


また、「主人公はキミ自身だ!」というように、「キミ」という言葉もよく使われていたように思う・・・・・・。


当時の攻略本は初期に出たものほど、攻略本専用に描き下ろされた、漫画風のイラストが各ページにふんだんに使われていた。


しかも初期の攻略本は、表紙のイラストまでオリジナルのものが使われていて、タイトルがなかったら、もはや何の攻略本なのか、よく分からないものまであった。


これについては、次第にゲームのパッケージのイラストが、そのまま使われるようになって行ったので、やはり非公式のイラストでは、ちょっと問題があったのかもしれない・・・・・・。


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▲ファミコンの攻略本のサイズ感はこのくらい。こんなに薄っぺらの本でゲームの攻略が出来ていたのが信じられない・・・・・・。

表紙といえば当時の攻略本は、本の下の方に「帯」が巻かれているようなデザインに必ずなっていた。


これは実際に帯が巻かれている訳ではなくて、初めからそのように印刷されていたのである。


そしてこの「帯」の部分には、その攻略本の宣伝文句が簡潔に書かれていた。


で、ここに書かれている宣伝文句もまた、子供に向けて語り掛けるような口調になっていたのである・・・・・・。


そしてその攻略本をひょいと裏返すと、今では考えられないほど大きく、「定価」が書かれているのだが、その金額もまた、今では考えられないような300円台の価格設定だった。


現在ではゲームの攻略本というと、1500~2000円台のものがザラに見られるが、当時は500円払えばお釣りが来ていたのだ。


というのも、当時のゲームのターゲットは主に小中学生だったので、攻略本も小中学生が買える価格帯でなければ売れなかったのだ・・・・・・。


ところで、私が当時購入して、現在も手元に残っているファミコンゲームの攻略本を見ると、なぜかその9割が徳間書店から刊行されているものだった。


そうはいうものの、私が現在も所有している攻略本の数なんて、たかが知れているし、「たまたまなのかなぁ」と思っていたのだが、これがどうもそうでもないようなのだ。


調べてみると、当時任天堂は、ファミコン用ゲームの攻略法や、ゲームの楽しみ方を解説する書籍、いわゆる「攻略本」の出版委託契約を、徳間書店と結んでいたようなのだ。


任天堂は発売前のゲームの内容を有料で徳間書店に提供する。


そして徳間書店はその情報を元に、ゲームの攻略法や楽しみ方を編集し、本にして出版するという契約内容になっていたようなのだ。


1985(昭和60)年にゲームの攻略本という概念が突然生まれ、攻略本が急に出版され始めたのは、どうやらこの出版委託契約があったからのようだ。


そしてその後、徳間書店は任天堂が発売する、ゲームソフトの取り扱い説明書の編集も行うようになって行くのである・・・・・・。


人気ゲームソフト、ドラゴンクエストの攻略本は、Ⅲからはソフトの発売元のエニックス(当時)から、「公式ガイドブック」が発売されるのが通例となった。


ということは、ドラクエはⅡまでは、まだ「公式ガイドブック」は発売になっていなかったということになる。


なのでドラクエは、Ⅱまでは他のソフトと同様に、徳間書店から例のコンパクトな攻略本が発売されていた。


ところがドラクエの「公式ガイドブック」は、ⅠとⅡの分もなぜかちゃんとあるのだ。


じつはこれはⅢの「公式ガイドブック」が発売になってから、後付けで発売になったものだったのだ・・・・・・。


そしてちょうどこの頃から、ゲームの攻略本は年々大きく厚くなって行き、攻略本というよりは、データを集めた資料のような姿に進化して行くことになる。


そして攻略本は次第に徳間書店の専売特許ではなくなって行き、様々な出版社から発売されるようになって行った。


で、この頃からテレビゲームはじょじょに子供たちだけのものではなくなり、対象年齢がグッと引き上げられて行くことになったのだった。


そして今こうして、ファミコン当時の薄くてコンパクトな攻略本を読み返してみると、ゲームクリアを目指して、必死になって攻略本を読みふけっていた、子供時代の自分をちょっとだけ垣間見れた気がして、なんだかとっても懐かしい気分に浸れたのだった・・・・・・。

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