カテゴリー「ドラクエ」の記事

2025年4月30日 (水)

ドラクエの旅立ちの地あるある

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▲初代のドラクエではアレフガルドの大地しかなかったので、マップの周りには町や城の情報も紹介されていた。ちなみにこれは当時徳間書店から刊行されていた攻略本についていたものだ・・・・・・。

ドラクエの世界にはとにかく謎が多い。


例えば主人公が旅立つ町の周辺には、なぜかレベルの低いモンスターしかいない。


これはいったいどうしてなのだろう。


そしてこれはシリーズを通して、ずっとそうである・・・・・・。。


定番なのは、いまやドラクエの代名詞にもなっているスライムだろう。


スライムといえば「ザコ中のザコ」で、公式ガイドブックには、「骨がないブヨブヨの軟体生物。体当たりで攻撃して来るだけのかわいいモンスターである」とだけ書かれていて、あまりの弱さに、注意点や攻略法については特に何も書かれていない。


これではただの動物図鑑である・・・・・・。。


レベルの低いモンスターしかいないので、町には原始的で安価な装備品しか売っていない。


武器でいうなら、「ひのきの棒」や「こん棒」、防具でいうなら、「布の服」や「旅人の服」が定番だ。


どうでもいいが、「ひのきの棒」や「こん棒」なんて、もはや「棒」といっちゃってる時点で、本当に武器と呼んでもいいのか、かなり疑問である・・・・・・。


公式ガイドブックの説明書きにも、「ひのきの棒」は「ひのきの幹を削って、持ちやすくした棒」とある。


そう、「棒」なのだ。


「剣」でも「槍」でもなく、ただの「棒」である。


それならば、竹刀や木刀の方が、まだ武器っぽいし、強力なのではないだろうか・・・・・・。


同様に「布の服」や「旅人の服」も、武器防具の店で扱うのは疑問である。


「布の服」なんて、どう考えたってただの服だろう。


公式ガイドブックには、「厚い麻布でつくられた袖のない服。防具というよりは、平凡な住民のための普段着である」と、はっきりと書かれている。


武器防具の店のおやじに、「普段着じゃねえか!」と、ひと言つっこんでやりたい気分でいっぱいだ・・・・・・。


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▲ドラクエⅡになって、パーティー制が導入され、冒険出来るフィールドが一気に広がった。それでもスタート地点のローレシアの城付近はやはり弱い敵しかいなかった。ちなみにこちらのマップも当時徳間書店から刊行された攻略本についていたもの・・・・・・。

どうでもいいが、なぜ「布の服」は半袖しかないのだろう。


夏以外はどう考えたって寒いし、これを防具というのなら、肌の露出は極めて危険といえるだろう。


まあ、ドラクエの世界では、女戦士が露出の多いビキニアーマーを装備しているくらいだから、我々の一般常識は通用しないのかもしれないが・・・・・・。


それにしても、いくら町の周辺には、レベルの低いモンスターしかいないとはいえ、旅人の行き先によっては、こんな貧弱な装備では、途中でモンスターの餌食になってもおかしくない。


それを考えると、武器防具の店の品揃えは、どう考えてもおかしいのではないだろうか・・・・・・。


おかしいといえば、主人公が旅立つ町にある、城の王様もどうかしている。


主人公が旅立つ際には、城の宝箱からいくつかアイテムを授けてくれるのだが、初代ドラクエでは、「鍵」と「たいまつ」と「120G」。


ドラクエⅡでは、「どうのつるぎ」、「かわのよろい」、「50G」。


ドラクエⅢでは、「こんぼう×2」、「ひのきのぼう」、「たびびとのふく」、「50G」なのだ。


王様は主人公のことを、「これから世界を救おうとしている勇者である」と認識しているはずである。


それにも関わらず、主人公に渡す装備品や支度金がこのありさまなのだ。


本来なら国を挙げて、全力で支援するのが普通である・・・・・・。


そもそもの話、「ひのきのぼう」や「たびびとのふく」が、国の宝であるはずがないし、「100G程度の金」が支援の限界であるわけがない。


さらにいうなら、この程度の装備やお金を宝箱に保管しているのもどうかしている。


誰でも開けられる、タンスの引き出しに入っていたって、おかしくはないだろう。


むしろその方が自然といえる・・・・・・。


また、こんな貧弱な装備では、目的地にたどり着く前に、レベルの低いモンスターにやられて、死んでしまってもおかしくないだろう。


ドラクエの世界では、もし仮に死んでしまったとしても、王様の前で生き返ることになる。


そしてその時に王様は、「しんでしまうとはなにごとだ!」と罵倒して来ることは、みなさんもご存知の通りである。


旅立って間もなくして死を経験した、日本全国にいる多くの勇者たちは、きっとその言葉を浴びせられて、「それはあんたのせいだろうがぁ!」とキレまくっていたに違いない・・・・・・。



2025年1月22日 (水)

まほうのビキニ

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▲ファミコン版のドラクエⅢ公式ガイドブックには、なぜか「まほうのビキニ」も、それを落とす「キングマーマン」も掲載されていなかった。画像はゲームボーイカラー版の公式ガイドブックで、ここに来てようやく情報が解禁されたことになる・・・・・・。

ドラクエの世界には、女性専用の装備品というのが存在する。


家庭用ゲーム機で発売されたドラクエシリーズで、女性専用の装備品が初めて登場したのは、1988(昭和63)年2月10日に発売になったドラクエⅢ(ファミコン版)だった・・・・・・。


ドラクエⅢでは、まず、旅立ってから間もなくして到着するアッサラームの町で、「アブない水着」が売られていた。


これについては、以前に書かせてもらったので、そちらを参考にしてもらいたい・・・・・・。


そしてドラクエⅢには、もう1つ女性専用の装備品が登場する。


「まほうのビキニ」は「アブない水着」と同様に、身体を守るための防具で、ドラクエの世界ではいちおう鎧の1種として分類されている。


鎧とはいうものの、「まほうのビキニ」の名称を見れば分かる通り、実際には「ビキニ=水着」である・・・・・・。


これを装備するぐらいなら、TシャツにGパンの方がよっぽど守備力がありそうだが、なんと「まほうのビキニ」は、勇者と戦士以外ではなぜか最強の鎧(守備力)に相当する。


特に武闘家と商人にとっては、「最強の鎧」ということもあって、ラスボスとの最終決戦にビキニ姿で挑まなければならず、裸同然の格好で、ゾーマの強烈な吹雪攻撃に耐え忍ばなくてはならない。


いうまでもなく、「まほうのビキニ」には耐性はないので、守備力がどうとかいう以前に、凍死しかねないと思うのだが・・・・・・。


ちなみに「まほうのビキニ」は、店では売っておらず、キングマーマンが戦闘後に64分の1の確率で落とす。


キングマーマンは半魚人風のビジュアルのモンスターで、身体の色は紫色で、腹側だけが橙色をしている。


そのビジュアルが示す通り、キングマーマンは海にしか現れない・・・・・・。


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▲ゲームボーイカラー版の公式ガイドブックでは、「まほうのビキニ」のビジュアルはもちろん、衝撃的なその誕生秘話までが語られている・・・・・・。

「まほうのビキニ」が勇者と戦士以外では最強の鎧ということもあり、キングマーマンが登場するのは物語り後半。


場所はゾーマ討伐前のアレフガルドの海。


この時点のアレフガルドは常に夜なので、キングマーマンは夜行性で、エンカウントするのは夜の海限定ということになるだろう。


同じ系列のモンスターに、マーマンとマーマンダインがいて、キングマーマンはその名の通り、最上位種となっている。


戦闘時の攻撃の特徴としては、ヒャダルコで攻撃して来たり、自分のHPが減ると、「ごくらくちょう」を呼んで回復してもらったりする・・・・・・。


ちなみにファミコン版の公式ガイドブックには、なぜかキングマーマンは載っていない。


「なんで?」と思っていたら、キングマーマンが落とす「まほうのビキニ」も載っていなかった。


ということは、「まほうのビキニ」がシークレットアイテム的な扱いになっているため、これを持っているキングマーマンも掲載出来なかったということなのではないだろうか。


じつはそのことを証明するかのように、「まほうのビキニ」は売ることが出来ないアイテムになっている。


公式ガイドブック(赤本)に載っていないので、ファミコン版Ⅲの時点では、「まほうのビキニ」のビジュアルは不明だったのだが、リメイク版で黄色いビキニであったことが判明している・・・・・・。


ところで、ゲームボーイカラー版の公式ガイドブックには、「まほうのビキニ」の誕生秘話が語られている。


個人的には、「布地が極端に少ないビキニであるにも関わらず、不思議な魔法の力で、驚異的な守備力と機動力を実現した」的な話なのかと思っていた。


ところがそこに書かれていたのは、「むっつりスケベな魔法使いが、可愛い弟子に着せようと作り出したもの」とある。


ゾーマの強烈な吹雪攻撃を、ビキニ姿で耐え忍ぶ彼女らに、この逸話を聞かせたら、はたしてどう思うだろうか・・・・・・。


2024年10月26日 (土)

あぶないみずぎ

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▲「ファミコン版ドラゴンクエストⅢ」の公式ガイドブック、通称「赤本」がこちら。ちなみにドラクエⅠの公式ガイドブックは「黒本」、ドラクエⅡの公式ガイドブックは「青本」だった・・・・・・。

ドラクエの世界には、女性専用の装備品というのが存在する。


家庭用ゲーム機で発売されたドラクエシリーズで、女性専用の装備品が初めて登場したのは、1988(昭和63)年2月10日に発売された「ドラクエⅢ(ファミコン版)」からだった。


そしてその装備品が売られていたのは、旅立ってから間もなくして到着するアッサラームの町だった・・・・・・。


アッサラームの町は昼と夜ではガラッと雰囲気が変わり、夜になると町のステージでベリーダンスが披露される、いわゆる「大人の町」でもあった。


そんな町だからなのか、北東にある武器屋には、他の町では見たことがない、「アブない水着(公式ガイドブックの表記)」なる防具が売られていた。


で、この「アブない水着」こそが、シリーズ初の女性専用の装備品だったのである・・・・・・。


では、「アブない水着」とは、どのような防具なのだろうか。


そこで公式ガイドブックを開いて、そのビジュアルを確認してみると、基本的には胸元が大きく開いたワンピーススタイルの水着であることが分かる。


ただ、通常の水着と違うのは、胸のすぐ下あたりから、へその下あたりにかけて、トランプのダイヤのマークの形に、布地がカットされていて、胸が大きく露出するデザインになっていることだ・・・・・・。


そして、すでにお気づきのかたも少なくないと思うが、これは防具とは名ばかりのただの水着である。


その証拠に公式ガイドブックに記載されている守備力はたったの「+1」なのだ。


そして頼みの綱の特殊効果に関しても、特に何もなしと来ている。


普通に考えたら、こんな裸同然の格好では、モンスターの打撃を食らえば、一撃で大怪我間違いなしで、炎を吐かれようものなら、焼け死んでしまってもおかしくはないだろう・・・・・・。


で、特筆すべきは、こんな何の役にも立たない水着が、なんと「78000G」もすることである。


いったい何に対しての価格設定なのか、意味がさっぱり分からない・・・・・・。


ところでこの「アブない水着」、前作に当たる「ドラクエⅡ」の時に、すでにその構想はあったのだという。


容量の問題があって、結果的にボツになってしまったものの、「販売価格がべらぼうに高い」、「ムーンブルクの王女に装備させると、フィールド上のキャラクターが水着姿になる」という案が練られていたらしい。


そして、キャラクターの名前によっては、「いやよ、こんなもの!」と、装備するのを拒否されてしまうという仕掛けが考えられていたようだ・・・・・・。


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▲公式ガイドブックに紹介されている「アブない水着」。確かにアブないのかもしれないが、その実態は防具というより、「ただの水着」と言ったほうが正解だ・・・・・・。

ところで、「ドラクエⅡ」といえば、MSXに移植されていたことをご存知だろうか?


今となっては、MSXといっても、何のことか分からない人の方が多いと思うので、簡単に説明しておくと、パソコンの入門機の、いわゆる「ホビーパソコン」という位置づけのマシンだった。


で、MSXに移植することで、使える容量が増えて、ファミコン版Ⅱではボツになってしまっていた「あぶないみずぎ」が、MSX版では晴れて採用されることになったのだ・・・・・・。


ファミコン版ドラクエⅢの「あぶないみずぎ」の入手方法は、「武器屋で購入する」というオーソドックスなスタイルであったが、MSX版ドラクエⅡでは、ムーンブルクの王女に何もアイテムを持たせない状態で、ラダトーム王に話しかけるとイベントが発生するようになっている。


ラダトーム王が、「こんなにかわいいのに、きるものもないとはかわいそうじゃ」と、宝箱から「あぶないみずぎ」を出して、プレゼントしてくれるのだ。


どうでもいいが、王様はいったい何の目的で、「あぶないみずぎ」を所持していたのだろうか・・・・・・。


そして王様から「あぶないみずぎ」をもらうと、なぜか教会の効果音が鳴り響き、「あぶないみずぎ」を着用したムーンブルクの王女の一枚絵が、画面にドーンと表示される。


しかも、全身の画像だけではなく、胸と下半身のアップがそれぞれ個別に表示されるというこだわりようだ。


この画像を見ると、「あぶないみずぎ」のデザインは、ファミコン版Ⅲの公式ガイドブックに掲載されているものと、基本的には同じなのだが、MSX版では胸元などにフリフリの装飾が付けられていて、どちらかというと、下着っぽい印象になっている。


ちなみにこの一枚絵、ドラクエのキャラクターデザインとはかなりかけ離れた、昭和アニメ風のデザインになっていて、妙に違和感を感じる仕上がりになっている・・・・・・。


そしてこの画像が表示された直後に、普段はひと言も発しない主人公が、思わず「おおっ、〇〇〇ちゃん!」と口走ってしまうのだ。


ちなみに「〇〇〇」にはムーンブルクの王女の名前が入ることになる。


いっしょにいたサマルトリアの王子も、「こいつはさいこうだぜ!」と興奮している様子。


そして、「あぶないみずぎ」を王女にプレゼントした張本人の王様も、「ああ、このとしまで、いきてきてよかったわい!」と感動している様子なのだが、思わず「このエロじじいがっ!」と、つっこまずにはいられない。


一方、リアルタイムで3人の感想を聞かされたムーンブルクの王女は、「そんなにみないで。わたし・・・はずかしい・・・」と、口でははにかんでいるのだが、先ほどの一枚絵の画像では、左手を腰に当てて、しっかりとポーズを取って見せている・・・・・・。


ところで、このMSX版ドラクエⅡの「あぶないみずぎ」には、ファミコン版ドラクエⅢの「あぶないみずぎ」にはない特徴があった。


なんと装備することで、特殊効果の「みとれる」の効果があったのだ。


早い話が敵が戦闘時にみとれてくれれば、そのターンの敵は、いっさい何もして来ないことになるわけだ。


やっかいな攻撃を仕掛けて来る敵には、これはとてもありがたい特殊効果になるだろう。


しかも、この「みとれる」は、驚くべきことに、ラスボスのシドーにも有効なのだ。


普段はしゃべらない主人公を、しゃべらせただけのことはあるといえよう・・・・・・。


ところでこのMSX版ドラクエⅡは、ファミコン版ドラクエⅢ発売の、わずか4日前に発売になっている。


参考までに付記すると・・・・・・、


ファミコン版ドラクエⅡは、1987(昭和62)年1月26日発売、


MSX版ドラクエⅡは、1988(昭和63)年2月6日発売、


ファミコン版ドラクエⅢは、1988(昭和63)年2月10日発売となる・・・・・・。


先ほども書いたように、MSX版ドラクエⅡには、あぶないみずぎに「みとれる」の特殊効果があった。


ところがその4日後に発売になったファミコン版ドラクエⅢでは、その特殊効果がきれいさっぱりなくなって、ただの「高額な普通の水着」になってしまったのだ。


たった4日の間に何があったというのか・・・・・・。


専門誌などを通じて、MSX版のあぶないみずぎの特殊効果のことを知ってしまうと、これについてはどうにもこうにも納得がいかない。


武器防具の店のおやじに文句を言ってやりたい気分でいっぱいだ。


しかも当時子供だった我々世代からしてみると、それを体験してみたくても、MSXなんて買ってもらえるはずもなく、ただ、ただ、悶々としながら、ファミコン版ドラクエⅢをプレイするしかなかったのである・・・・・・。


2024年6月22日 (土)

ぼうけんのしょは消えてしまいました

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▲ファミコン版ドラクエⅢの取扱説明書には、リセットボタンを押しながら電源を切らないと、冒険の書が消えてしまうと書かれていたのだが・・・・・・。

昭和の頃、「ドラゴンクエストⅢ」を始めとする、バッテリーバックアップ機能を搭載したファミコンのカートリッジでは、セーブデータが消えてしまう悲劇がしばしば起きていた。


「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージに愕然として、思わず天を仰いだプレーヤーも少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。


では、なぜこのようなことが起きてしまっていたのだろうか。


このようなメッセージが画面上に突然表示されると、ソフトやハードに何らかのトラブルが発生して、セーブデータが消えてしまったような印象を受ける。


ところが実際にはそうではなかったらしく、このメッセージは、「セーブデータに問題が生じたのを確認したため、そのセーブデータをいまから削除しますよ」ということを、プレーヤーに告知するためのものだったのだ。


正確にいうなら、「二次災害を防ぐために、そのセーブデータを、いまから消しますよ」と言っていたのだ・・・・・・。


前述の「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージが出るケースというのは、ぼうけんのしょを正しく読み込めなかった場合に起きる。


では、なぜセーブデータを正しく読み込めなかったのかというと、1つはぼうけんのしょのデータが、文字通り破損していた場合。


そしてもう1つは、読み込むプログラムが誤作動を起こしている場合だ。


問題なのは後者で、単なるプログラムの誤作動であるにも関わらず、「データを読み込めなかったのは、このぼうけんのしょが破損しているからだ」と、ソフトの側で勝手に判断して、セーブデータを強制的に消去してしまっていたのだ。


つまり、「初めからそういうふうにプログラムされていた」ということになる。


じつはデータが破損するということは、そうそう起こることではないらしく、大半のケースがこちらの読み込み不良が原因であったらしい・・・・・・。


さらにいうと、「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」というメッセージが、画面に表示された時点では、まだセーブデータは消去されていなかったそうなのだ。


先ほども書いた通り、これは「いまからデータを消しますよ」という告知である。


ということは、このメッセージが表示されてすぐに電源を切ってやり直していれば、セーブデータを正しく読み込める可能性が高かったということになる。


衝撃的なメッセージにショックを受けて、天を仰いでいる場合ではなかったのだ・・・・・・。


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▲取扱説明書の裏表紙には、「勇者の心得」として、4つの注意事項が書かれているのだが、これを見るとやはりドラクエⅢは、かなりデリケートで、セーブデータが消えやすいソフトであることが分かる・・・・・・。

では、いったいデータはどのタイミングで消されていたのだろう。


じつはこれについては、各ゲームによって様々だったようなのだが、ファミコン版のドラゴンクエストⅢでは、例のメッセージが表示されて、あの忌まわしい呪いの音楽が鳴り響いた直後に、処理が行われていたようである。


つまり呪いの音楽が鳴り終わる前に、電源を切るなり、リセットボタンを押すなりしていれば、データは消されずに済んだのだ・・・・・・。


さらに「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」というメッセージが出る原因の一つに、カセットの接触不良の可能性があった。


この場合はデータそのものは無事なので、電源を切ってカセットを差し直しさえすれば、セーブデータは読み直すことが出来たはずである。


それだったら、データを消す前に、「一度電源を切って、カセットを差し直してください」ぐらい言って欲しかったものである。


いきなり、「ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいましたはないだろう!」と今さらながら腹が立つ。


しかし、そうはいっても、もし本当にデータが破損したままソフトを起動し続けていたとしたら、そのうちゲームシステムにまで影響が出てしまい、ソフトそのものが起動出来なくなる可能性がある。


このため破損したデータを保持したまま、ソフトが動くのを防ぐため、このようなデータを消すプログラムが組み込まれていたようだ・・・・・・。


ところでバッテリーバックアップは、電池によってデータが保持されている。


このため、長期間の通電がないと、電池内部から放電してしまい、電池切れを起こしてしまうことになる。


もちろんそうなってしまえば、データは消えてしまうことになるだろう・・・・・・。


ところが子供の頃にプレイしたドラクエⅢのバッテリーバックアップがまだ生きていて、ぼうけんのしょが奇跡的に消えていなかったなんて話もたまに耳にする。


ドラクエⅢといえば、1988(昭和63)年2月10日に発売された、ファミコン用のゲームソフトである。


いまから36年も前(2024年現在)に発売されたゲームの電池がまだ生きていたなんて、ちょっと信じられないような話だ・・・・・・。


じつは2021年にフジテレビ系列で放映された、「世にも奇妙な物語」の「ふっかつのじゅもん」というエピソードでは、このことがネタにされていた。


物語の最後に、子供の頃に遊んだゲームソフト、「ドラゴンクエストⅢ」を見つけた夫婦が、これを懐かしく思い、ゲームを起動したところ、画面に「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージが表示される。


そして次の瞬間、セーブデータだけではなく、夫婦の記憶まで消えてしまうという、ちょっと怖いエピソードだった。


きっと、これを見て、当時の記憶がよみがえったというかたも少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。



2024年5月 5日 (日)

バッテリーバックアップとフーフー

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▲ドラクエⅢのカートリッジの後ろ面には、「バックアップカセットについてのお願い」が貼り付けられていた。バックアップカセットがいかにデリケートなものであることが分かる・・・・・・。

昭和の頃、「ドラゴンクエストⅢ」を始め、バッテリーバックアップ機能を搭載したファミコンのカートリッジでは、セーブデータが消えてしまう悲劇が、しばしば起きていた。


「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージに愕然として、思わず天を仰いだプレイヤーも、少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。


では、なぜこのようなことが起きていたのだろうか。


これについては、そもそもファミコンは、バッテリーバックアップを想定して作られていなかったため、電源を切った際に電気ノイズが流れて、CPUが保存データの一部を書き換えてしまうことがあったのだという。


そしてその予防措置として行われるようになったのが、「リセットボタンを押しながら電源を切る」方法だった。


その理由については、「リセットボタンを押している間は、CPUが動作を停止するから」と言われていたが、それでもデータが消えてしまったという話を、当時はよく聞かされたものである。


そんなこともあって、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジが登場したことによって、急にソフトやハードを丁寧に扱う者が増えていったとも言われていた・・・・・・。


ファミコンといえば、ゲーム中にヒートアップして、本体とコントローラーを繋ぐケーブルを引き千切ってしまったり、八つ当たりでコントローラーを本体に投げつけたりする者が多くいて、当時の任天堂には修理依頼が絶えなかったと言われている。


というのも、ファミコンのコントローラーはコストダウンのため、コネクタ式ではなく、本体へ直接取り付けられていた。


このため、無理に引っ張ると、ケーブルが千切れてしまい、自分では元に戻すことが出来なかったのだ・・・・・・。


本体が壊れただけなら、修理をすれば済むことだが、ソフトの場合はそうもいかない。


アクションゲームやシューティングゲームならまだいいが、ドラクエのようなRPGともなると、ストーリーを先に進めていればいるほど、セーブデータが消えてしまった時のショックは大きいものとなる。


特にストーリーの節目、節目にある、イベントの前後のセーブデータや、万全の準備を整えて、後はラスボスを倒すだけというタイミングのセーブデータが消えてしまった時などは、頭の中が真っ白になり、人生初の放心状態を経験したという子供たちも、当時は決して少なくなかったはずである・・・・・・。


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▲ほこりが付着しているのではないかと、カセットの端子部をフーフーしていたかたも少なくないと思うが、じつはこれ端子部が劣化する恐れがあったのだそう。そうは言っても、ファミコン世代はみんなやっていたよな・・・・・・。

そんなこともあって、ドラクエⅢではゲームをセーブして、ソフトを本体から取り外し、箱にしまうまでが、怖くてしょうがなかった。


イジェクトボタンを操作すると、まるでトースターから焼き上がったパンが飛び出して来るように、カートリッジが「ビヨ~ン!」と跳ね上がって来るのだが、この時の衝撃でデータがとんでしまったりしないものかと、毎回のように心配をしていたものである。


じつはこれ、ただの取り越し苦労とも言い切れなかったようで、そのような衝撃が原因で、データが消失する可能性もあったらしいのだ。


また、ファミコン本体からカートリッジを着脱する時の衝撃だけでなく、カートリッジを箱にしまう際に、うっかり床に落としてしまうリスクなども当然ある訳だ・・・・・・。


ドラクエなどのRPGは、とても1日2日でエンディングまでたどり着けるようなゲームではない。


特に母ちゃんにゲームのプレイ時間を制限されている小中学生は、クリアまで数ヶ月を要することだってある訳だ。


その間、毎日毎日、カートリッジの抜き差しを繰り返すことを考えると、ゲームクリアまでカートリッジを差しっぱなしにしておいた方が、データ消失のリスクは少なかったのかもしれない・・・・・・。


また、バッテリーバックアップ機能搭載のカートリッジが誕生し、ゲームソフトを丁寧に扱う者が増えて来た頃、カートリッジの抜き差しの際に、端子部を「フーフー」する習慣が生まれた。


「もしかしたら、知らないうちに、端子部にホコリがくっついて、それが原因でデータが消えてしまうことがあるんじゃないか?」という不安から生まれた習慣だったようだ。


しかし、この「フーフー」、よかれと思ってやっていたのだが、専門家に言わせると、どうも逆効果になっていたかもしれないというのだ。


「フーフー」することで、確かにホコリを飛ばすことは出来ていたのかもしれないが、吹きかける息に含まれる水分が端子部に付着し、端子部の劣化を早めていたかもしれないという。


どれもこれも、「今となっては・・・」の話なのだが、こういう話って、いつの時代も、なんで後になってから言うんですかねぇ・・・・・・。



2024年3月24日 (日)

ファミコンのバッテリーバックアップ

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▲ドラクエは「Ⅲ」からバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジが採用され、「ふっかつのじゅもん」からは開放されることになったのだが・・・・・・。

ファミコンの周辺機器、「ファミリーコンピューターディスクシステム」は、1986(昭和61)年2月21日に任天堂から発売になった。


ディスクシステムでは、ソフトの供給は専用の黄色いディスクカードで行われ、セーブが簡単に出来ることが売りの1つになっていた。


しかし、この当時の磁気ディスクは技術的にまだまだ未熟であり、容量がそれほどないうえに、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


この点をサードパーティー各社に敬遠され、結果的にディスクシステムは、ファミコン本体ほどの爆発的なヒットとはならなかったのだった・・・・・・。


そんな中、満を持して登場したのが、バッテリーバックアップ機能が搭載された大容量のカートリッジだったのである。


ここでちょっと、ファミコンのカートリッジの仕組みについて解説をしておこうと思う。


ファミコンのゲームソフトでは、カートリッジに入っている様々なデータは、ファミコン本体の電源をONにすると、RAMと呼ばれる場所に一時的に読み込まれることになる。


ちなみにRAMとはパソコンでいうところのメモリに当たる部分になる。


そしてCPUがそこからデータを取り出すことでゲームがスタートする。


そしてRAMにはそれだけではなくて、プレーヤーのゲームデータも全て収められている。


例えばドラクエでいえば、レベルはいくつか、現在の経験値はいくつか、現在どこにいて、どんな装備をしているのか、所持金はいくらで、持ち物は何を持っているのかなどがそれに当たる。


しかし、RAMはゲームデータの一時的な置き場所なので、ファミコン本体の電源を切ってしまえば、データは全て消えてしまうことになる。


このため、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」では、ゲームを再開するために、「ふっかつのじゅもん」が必要だったのだ・・・・・・。


そこで誕生したのが、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジだったのである。


で、ゲームデータをセーブするためには、どういった手続きが必要になって来るのかというと、簡単に言うなら、ファミコン本体のRAMから、プレーヤーのゲームデータだけを抜き出して、カートリッジの側に保存しておく必要がある訳だ。


前述の通り、ファミコン本体のRAMは、ゲームデータの一時的な置き場所でしかないので、電源を切ればゲームのデータは全て消えてしまう。


そこでカートリッジの中に専用のRAMを搭載し、それを電池と繋げることで、電源が切れないようにしたのが、バッテリーバックアップ機能付きのカートリッジだったのだ。


子供の頃はべつになんとも思っていなかったが、いまこうして考えてみると、「なんだか強引な発想だったのだなぁ」と思う・・・・・・。


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▲カセットの裏面には、「バックアップカセットについてのお願い」が書かれていたが、使用方法をきちんと守っていても、セーブデータはよく消えていた・・・・・・。

そしてこのバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジの登場で、ドラクエは「Ⅲ」からは、「ふっかつのじゅもん」から解放され、ワンタッチでセーブが出来るようになった。


このことによって、「ふっかつのじゅもん」を書きとめる手間と、書き間違えのリスクはなくなったものの、バッテリーバックアップに何も問題がなかったという訳ではなかった。


じつはこのバッテリーバックアップ、セーブデータがよく消えるという致命的な欠陥があったのである・・・・・・。


どういうことかというと、セーブデータが入っている「ぼうけんのしょ」を選んで、コントローラーの決定ボタンを押すと、次の瞬間になぜか突然、「呪いの音楽」が流れ始め、真っ黒な画面に白い文字で、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

と、唐突に表示されることがあったのである・・・・・・。


ファミコン版の「ドラクエⅢ」をプレイしたことのあるかたなら分かると思うが、「ドラクエⅢ」は容量不足の影響で、タイトル画面は真っ黒なバックに、「DORAGON QUEST」の白い文字だけが小さく表示されていて、BGMも一切なく無音だった。


そんな静寂の中で、突然の大音量で、おどろおどろしい「呪いの音楽」が流れ始めたら、驚かない訳がない。


心臓に悪いとは正にこのことである。


そして極めつけは、真っ黒な画面に淡々と表示される、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

という簡潔なメッセージだった。


なんだかそれは、「昨日まで元気にいっしょに遊んでいた友達が、突然パタリと倒れて死んでしまいました」と宣告されているかのようで、当時は多くの子供たちが、トラウマになるほどの衝撃を受けたものである・・・・・・。


そしてこの時に流れる「呪いの音楽」は、日常生活の中で、個人的に何かただならぬショックを受けた時などに、「デデンデン、デンデン ♪」と呟くことで、周囲の者に対して、自己申告をすることにも使用されていた。


例えば返って来たテストの点数が、信じられないくらい悪かった時などに使用され、「ああ~、あいつ相当点数が悪かったんだな~。しばらく話しかけないでおいてやろう・・・」と、周りに気を使ってもらったりしていたものである。


また、先生によっては、採点したテストを返す時に、突然「デデンデン、デンデン ♪」と、呪いのBGMを奏で始め、「W辺くんは答案用紙に名前を書き忘れていたので、お気の毒ですが、今回のテストは0点です」と、ぶっきらぼうに宣言し、「W辺くん」を闇の世界へ葬り去ったこともあった・・・・・・。



2024年1月24日 (水)

ファミコンのディスクシステムとセーブ

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▲ファミコン版「ドラゴンクエストⅡ」にはセーブ機能はなく、ゲームを再開するためには、最大で52文字の「ふっかつのじゅもん」を入力する必要があった・・・・・・。

いまとなってはもはや当たり前の話だが、ゲームの続きを遊ぶためには、セーブデータが欠かせない。


しかし、家庭用ゲーム機の草分け的存在の、ファミリーコンピューターが発売になった当初は、ゲームの進行状況を保存しておくという概念そのものが、まだ存在していなかった。


その当時のファミコンのゲームは、アクションゲームやシューティングゲームが中心で、いま思えばステージ数もびっくりするほど少なかった。


このため、そもそもゲームの進行状況を保存しておく必要がなかったのである。


セーブという概念が生まれたのは、ある程度長い時間をかけて、ゲームクリアを目指して行く作品が登場してからになる・・・・・・。


ファミコンゲームに最初に採用されたセーブ方法は「パスワード」だった。


そしてこの当時は、まだ「セーブ」という言葉は一般的ではなかったと思う。


パスワードのシステムを最初に採用した、最も有名なゲームといえば、それはもはやいうまでもなく、「ドラゴンクエスト」だろう。


ドラゴンクエストでは、パスワードのことを「ふっかつのじゅもん」と呼び、現在では伝説として語り継がれている。


ちなみに「ふっかつのじゅもん」は、1986(昭和61)年5月27日発売の初代ドラゴンクエストと、1987(昭和62)年1月26日発売のドラゴンクエストⅡに採用されていた・・・・・・。


ところで、初代ドラゴンクエストが発売になった1986(昭和61)年は、ファミコンの周辺機器のディスクシステムが発売された年でもあった。


ディスクシステムは、フロッピーディスクのような外観の黄色いディスクカードを読み込むことで、ゲームをプレイすることが出来た。


このディスクカードは両面を使用することで、112キロバイトの容量があり、初期のファミコンのロムカセットの約3倍の容量があった。


ちなみに「スーパーマリオブラザーズ」は40キロバイト、「初代ドラゴンクエスト」は64キロバイトの容量だった・・・・・・。


また、ディスクカードを使用することにより、ゲームの進行状況をセーブすることが出来るようになった。


これはロムカセットではまだ実現していなかったことで、当時としては画期的なことだった。


そして、このディスクシステムが登場したことにより、ファミコンのゲームをプレイする子供たちの間で、初めてセーブという仕組みが認識されることになったのである・・・・・・。


これまではゲームを終了する際にパスワードをメモしておき、ゲームを再開する時には、そのメモしておいたパスワードを一文字ずつ入力しなければならなかった。


しかし、ゲームの容量が増えて行くにつれて、パスワードの文字数も、それに比例するように増えて行き、ドラクエⅡの頃にはなんと52文字にまで膨れ上がっていた。


そしてそのうちのたった一文字を間違えただけで、ゲームの再開がかなわなくなるのである。


それがディスクシステムが登場したことにより、ボタン1つでゲームの進行状況を保存出来るようになったのだ。


当時の子供たちは、初めてそれを経験した時には、「今までの苦労はいったいなんだったんだ・・・」と思わず脱力したものである・・・・・・。


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▲ファミコンのディスクシステムでは、ゲームの進行状況をボタン1つでセーブ出来るようになった・・・・・・。

ところでファミコンのディスクシステムが発売になったのは、1986(昭和61)年2月21日のことだった。


そしてこれは、「初代ドラゴンクエスト」が発売になった、1986(昭和61)年5月27日より前の話なのだ。


ということは、少なくとも、「ドラゴンクエストⅡ」に関しては、ディスクシステムで出そうと思えば出せたはずなのだ。


しかし、ドラゴンクエストⅡはロムカセットでの発売になった。


当時は多くの子供たちが、52文字もある「ふっかつのじゅもん」の書き間違いで、ゲーム再会がかなわなくなり、涙を飲んでいた。


しかもそれは1度や2度ではなかったのである。


もし、これがボタン1つでセーブ可能のディスクシステムだったらと思うと、非常にもどかしい思いでいっぱいだった・・・・・・。


では、どうしてドラクエは、ディスクシステムで発売されなかったのだろう。


じつはこれにはいくつかの理由があったようだ。


まず、発売当初のディスクシステムは大容量を売りにしていたのだが、じつはその直後に1メガビット(128キロバイト)の大容量のROMカートリッジが開発されていた。


一方のディスクシステムのディスクカードは、112キロバイトの容量だったが、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


カートリッジにはそのようなストレスはなかったのだ・・・・・・。


さらに1987(昭和62)年になると、リチウム電池を使用した、バッテリーバックアップ機能搭載のROMカートリッジが登場した。


もはや「セーブが出来る」ということは、ディスクシステムの専売特許ではなくなっていたのだ・・・・・・。


ソフトを買う側の子供たちにとっては、ディスクシステムのゲームは、何よりも価格が安いことが最大のメリットだった。


ところがソフトを開発する側にとっては、単価が安いということは、そのぶん利益率が上がらないということになるわけだ。


そうなって来ると、ソフトを開発する側としては、当然ディスクカードよりも、カートリッジを選択したくなる。


このような要因がいくつか重なって、ドラクエシリーズは最終的にカートリッジのソフトとして発売されることになったのである・・・・・・。


もし、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」が、ディスクシステムで発売になっていたら、「ふっかつのじゅもん」の書き間違いは起こらずに、きっと多くの子供たちがストレスなくエンディングまでたどり着けていただろう。


しかし、そうなって来ると、「ふっかつのじゅもん」はそもそも存在しなかったことになり、現在のように「伝説」として語り継がれることもなかったのである。


実際にゲームをプレイしていた当時は、それこそ死活問題だったのだが、いまとなってはあれはあれでいい思い出となっているのだから、これでよかったのかもしれない・・・・・・。



2023年12月13日 (水)

ふっかつのじゅもん

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▲ファミコン版「ドラゴンクエストⅡ」では、最大52文字の「ふっかつのじゅもん」を入力しなければ、ゲームの続きを遊ぶことが出来なかった・・・・・・。

いまとなってはもはや当たり前の話だが、ゲームの続きを遊ぶためには、セーブデータが欠かせない。


しかし、家庭用ゲーム機の草分け的存在の、「ファミリーコンピューター」が発売になった当初は、ゲームの進行状況を保存しておくという概念そのものがまだ存在していなかった。


その当時のファミコンのゲームは、アクションゲームやシューティングゲームが中心で、いま思えばステージ数もびっくりするほど少なかった。


このため、そもそもゲームの進行状況を保存しておく必要がなかったのである。


セーブという概念が生まれたのは、ある程度、長い時間をかけて、ゲームクリアを目指していく作品が登場してからになる・・・・・・。


ファミコンのゲームに最初に採用されたセーブ方法は「パスワード」だった。


そして、この当時はまだ、「セーブ」という言葉は一般的ではなかったと思う。


パスワードのシステムを採用した最も有名なゲームといえば、もはやいうまでもなくドラゴンクエストだろう。


ドラゴンクエストでは、パスワードのことを「ふっかつのじゅもん」と呼び、現在では伝説として語り継がれている・・・・・・。


「ふっかつのじゅもん」を使うためには、ゲーム終了時に王様から呪文を聞いてメモを取っておく必要があった。


そしてゲームを再開する時に、「CONTINUE」画面で、これを入力することで、中断した時の条件のまま、ゲームを再開することが出来たのだ。


ちなみに初代ドラゴンクエストでは、「ふっかつのじゅもん」はラダトームの城で王様から聞くことになる。


「ふっかつのじゅもん」の文字数は20文字と決まっていて、意味のないひらがな文字の羅列だった。


当時は20文字でも長く感じたものだが、これがドラゴンクエストⅡになると、「ふっかつのじゅもん」は合計7ヶ所で聞けるようになり、ゲームの進行具合によって、文字数は18文字から52文字と、事実上増えてしまうことになる。


冒険出来るフィールドが倍以上に広がったのだから、当然といえば当然の話なのだが、意味のない文字の羅列を、1文字も間違えることなく、52文字も書き写すことは、決して容易なことではなかった・・・・・・。


単に読み間違えたことに気付かずに、そのままメモを取ってしまうこともよくあったが、似ている文字を見間違えることもよくあった。


例えば「ぬ」と「ね」、「ぬ」と「め」、「わ」と「ね」、「ぷ」と「ぶ」などの見間違えはしょっちゅう起きていた。


また、当時のブラウン管テレビは、現在のテレビと比べると解像度が低く、「ふっかつのじゅもん」に限らず、ゲームに出て来るような字体の文字は、読み取りにくいという問題もあった。


また、「ふっかつのじゅもん」は、一文字でも間違えると、画面には「じゅもんがちがいます」というメッセージが冷たく表示され、ゲームを再開することが出来なかった。


このため、当時のファミコン専門誌や攻略本には、「ふっかつのじゅもんはメモを取った後に、本当に呪文が合っているか、もう一度しっかり確認しておこう」とか、「ふっかつのじゅもんは必ず2回聞いてメモをしておこう」と注意喚起がされていた。


最初のうちは誰もが、「ひらがなを間違えることなんてあるもんか」と、高をくくっていたものだが、「意味のないひらがな文字の羅列だからこそ間違えるのだ」ということを、ほとんどの子供たちはゲーム序盤で思い知ることになるのである・・・・・・。


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▲「取扱説明書」に書かれていた、「ふっかつのじゅもん」についての解説。

このように、自分のミスでゲームを再開出来なくなるのは、無念ではあるが、まあ仕方がないことだ。


しかし、せっかくメモをしておいた「ふっかつのじゅもん」を、ただのいたずら書きと見なされて、親に捨てられてしまうという事件も、当時はよく起きていた。


「ふっかつのじゅもん」は、ゲームをプレイして行くうえでとても大切なもので、ゲームそのものと言ってもいい。


だからゲーム終了時には、「ふっかつのじゅもん」が間違っていないか、何度も何度も確認をする。


そしてメモをどこへやったか忘れないように、一番目に付くであろう、机の上へ乗せておく。


そしてメモが風で飛ばされて、どこかへ行ってしまわないように、ペン立てを上に乗せて置いておくという念の入れようだ。


しかし、部屋の掃除に来た母ちゃんに、「ぷてまるら ぐてたもらまえ・・・」が、いたずら書き以外の何であるかなんて、理解出来ようはずがなかったのである・・・・・・。


いまだったらスマホやデジカメで、「ふっかつのじゅもん」を撮影しておけばそれで済むのだが、当時はスマホもデジカメもまだ存在していない時代だった。


当時はカメラといえば、フイルムカメラのことだったので、仮に「ふっかつのじゅもん」をカメラで撮影しておいたとしても、装填してあるフイルムを使い切るまでは現像には出せない。


また、当時はいまみたいに、日常的になんでもかんでも写真に撮るような時代ではなかったので、フイルムを1本使い切るのに数ヶ月かかることも少なくなかった。


そんな訳で、当時は「ふっかつのじゅもん」を写真に撮って残しておくというのは、現実的な方法ではなかったのである・・・・・・。


現在ではボタン1つで簡単にゲームのセーブが出来る時代になったが、昔は「ふっかつのじゅもん」を1文字、1文字書き写し、何度も何度も確認をするという、非常に面倒な作業が必要だったのだ。


そして、そこまでのことをしたにも関わらず、「ふっかつのじゅもん」が間違っているということもよくあった。


冒険も終盤に差し掛かって来ると、1ヶ月以上にもおよぶ苦労が、その一瞬で水の泡と化してしまうことになるわけだ。


あまりのショックにゲームクリアを諦めてしまう者も大勢いたものだ。


そしてそこから立ち直り、再度冒険へと旅立ち、見事エンディングへとたどり着いた、不屈の精神を持つ者だけが、当時は真の勇者と呼ばれていたのである・・・・・・。


2023年9月15日 (金)

「ドラクエ」RPGがまだ浸透していなかった時代


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▲初代ドラゴンクエストのラスボスの「竜王」。いまでは考えられない話だが、当時は攻略本にラスボスの姿が堂々と掲載されていた・・・・・・。

任天堂から家庭用ゲーム機のファミリーコンピューターが発売になったのは、1983(昭和58)年7月15日のことだった。


そして1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこのファミコンブームの真っただ中の、1986(昭和61)年5月27日に、満を持して発売になったのが、後に日本が世界に誇るRPGとなる、「ドラゴンクエスト」だったのである。


ちなみにドラゴンクエストは、家庭用ゲーム機では初のRPGだった・・・・・・。


当時はパソコンでは、「ウィザードリィ」や「ザナドゥ」などのRPGがすでに発売になっていたが、これらのタイトルはパソコンのゲームということもあって対象年齢が高く、子供が遊ぶにはちょっと難解で、キャラクターデザインも少々とっつきにくいものであった。


当時、任天堂は「ファミコンはあくまでもおもちゃ」と公言しており、小中学生が主なターゲットだったため、ドラクエは子供に興味を持ってもらえるような、可愛らしいキャラクターデザインにして、ゲームのシステムも極力単純化して、シンプルなコマンド選択式が採用された。


さらにドラクエの開発を手掛けていた堀井雄二さんは、ドラクエの発売に先駆けて、すでにパソコン版が発売になっていた、「ポートピア連続殺人事件」をファミコンに移植。


そしてドラクエ発売の前年の、1985(昭和60)年11月29日にリリースした。


「ポートピア連続殺人事件」には、「ばしょいどう」、「ひとにきけ」、「ひとしらべろ」、「なにかみせろ」、「ひとさがせ」、「よべ」、「たいほしろ」などのコマンドがあり、これを選択して行くことで、ストーリーを進めて行くことになる。


つまり、「ポートピア連続殺人事件」というアドベンチャーゲームを先に発売して、コマンド選択式のゲームにまず慣れてもらい、ドラクエをプレイする時に、プレーヤーが戸惑わないように仕掛けがされていたのだ。


さらにドラクエといえば、当時は「少年ジャンプ」誌上に、なぜかファミコンのゲームソフトを紹介するページがあって、ここにファミコン専門誌にも載っていないような情報が、開発中の画面写真と合わせて紹介されていた。


堀井さんはこのページに、発売前のドラクエの情報を掲載して、当時はまだ一般的ではなかったRPGというジャンルを、少しずつ世間に浸透させていったのだ・・・・・・。


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▲当時はドラクエの発売元のエニックスに、出版部門がまだ設立されていなかった。このため攻略本は徳間書店から発売されていた。そしてこの攻略本には、他のモンスターと同様にラスボスの姿も堂々と掲載されていた・・・・・・。

ところで1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークだったと書いたが、じつはこの2年間はファミコン専門誌の創刊ラッシュでもあった。


いまでは考えられないような話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が、出版各社から発売になっていたのである。


そしてゲームの攻略本が誕生して、次々と刊行されて行くようになるのも、ちょうどこの頃からだった・・・・・・。


ちなみに上の画像は、1986(昭和61)年9月30日に発売になった、初代ドラゴンクエストの攻略本である。


当時はまだ、ドラクエの発売元のエニックスに、出版部門が設立されておらず、攻略本は徳間書店から発売になっていた。


で、この攻略本の中身を見て驚いてしまうのは、なんと初代ドラクエのラスボス「竜王」の姿が、モザイクを掛けられるでもなく、堂々と掲載されているのである。


しかも、変身前の姿のみならず、変身後の姿まで載っていて、「これが竜王の正体だ」と、はっきりと書かれているのである。


いまだったらちょっと考えられない話なのだが、当時はまだRPGというジャンルが一般に浸透しておらず、ラスボスなんていう概念も、正直よく分かっていなかった。


だから「他のモンスターは全部出しているのに、なんで最後の敵だけ載せちゃいけないの?」という感じだったのだ。


それは出版社の側も、プレーヤーの側も同様だったと思う。


だから当時はファミコン専門誌の記事の中でも、ラスボスの姿がごく普通に載っていた記憶がなんとなく残っている。


「そんな時代もあった」といえばそれまでだが、何事も最初というのは手探りなのである・・・・・・。


2023年3月19日 (日)

ドラクエと鍵 ②

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▲右が「とうぞくのカギ」、真ん中が「まほうのカギ」、左が「さいごのカギ」になる。ドラクエシリーズでは、ストーリーに沿って右から左の順番で入手して行くことになる・・・・・・。

ドラクエシリーズに登場するカギといえば、「とうぞくのカギ」、「まほうのカギ」、「さいごのカギ」が基本の構成となっている。


しかし、このラインナップになったのは、1988(昭和63)年2月10日に発売になった、ファミコン版「ドラクエⅢ」からだった。


で、「とうぞくのカギ」、「まほうのカギ」、「さいごのカギ」は、ストーリーに沿って、正にこの順番で登場して来ることになる・・・・・・・。


最初に登場する「とうぞくのカギ」は、その名の通り、盗賊のバコタが作ったカギと言われている。


そしてその仕組みについては非常に単純で、可動式の3本の棒をそれぞれ動かすことで、鍵穴に合わせて扉を解錠する仕組みになっている。


「とうぞくのカギ」は構造が単純なだけに、開けられる扉の種類も限られてしまい、黄色か赤の扉以外は開けることが出来ない。


それにしても、これだけ単純な仕組みだと、カギというより、もはやパズルに近く、セキュリティという意味では、かなり危なっかしいといえよう。


これだったら、ただのかんぬきや錠前の方が、よほど安心なような気がする・・・・・・。


ちなみに「とうぞくのカギ」は、「ドラクエⅢ、Ⅳ」ではお宝、「Ⅴ」では登場せず、「Ⅵ」からはなんと市販品になってしまっている。


どうでもいいが、「とうぞくのカギ」などという、そのものズバリの名前のカギを、店で普通に販売したりして、この世界では問題ないのだろうか。


リアルな世界に置き換えて考えるなら、ピッキングの道具をホームセンターで普通に売っているようなものである。


まあ、それを買ったとしても、それなりの技術がなければ、道具を使いこなすことは出来ないのだが、ドラクエの世界では、主人公は何の苦労もなくそれを使いこなしている。


ということは、彼にはもともとそっち方面の素質があるのか、事前に「それなりの技術」を習得していた可能性があるということになるだろう。


人の家に勝手に上がり込んだり、タンスや壺の中身を物色してみたりと、かなり怪しいとは思ってはいたが・・・・・・。


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▲じつは「まほうのカギ」は「初代ドラゴンクエスト」にも登場している。ただし、「初代ドラゴンクエスト」に登場する「まほうのカギ」は1度使うと壊れてしまい、その都度、買い替えなければならなかった。そしてこれにはある理由があった・・・・・・。

ストーリーが中盤あたりまで進むと、「まほうのカギ」が手に入るようになる。


なぜ、「まほうのカギ」なのかというと、カギの先端部分に魔法がかけられていて、それによって様々な鍵穴に対応出来る仕組みになっているらしい。


アナログな仕組みの「とうぞくのカギ」とは大違いである・・・・・・。


じつはこの「まほうのカギ」、ドラクエⅠから早くも登場していて、Ⅰのアイテム名はシンプルに「かぎ」だった。


しかし、これを売っている「鍵屋」に行くと、「どんなとびらももあけてしまう、まほうのかぎ」という触れ込みで売られている。


ところがⅠの「まほうのかぎ」は、なぜか一度使うと壊れてしまうので、その都度、買い直さなくてはならなかった。


一方、Ⅲの「まほうのカギ」は、一度手に入れれば、壊れることはなく、ずっと使うことが出来る。


これについては、Ⅲのリムルダールの町に、「まほうのカギ」を探しているという老人がいて、主人公が持っているカギを見て、「これと同じものを作ろうと思っている」という。


そしてエンディングで、ついに老人はカギを完成させているのだが、なんと「一度使うと壊れてしまう」というのだ。


「ドラクエⅠ」は「Ⅲ」から400年後の世界を描いている。


どうやらドラクエⅠに登場していた「かぎ」は、オリジナルの方ではなく、リムルダールの老人が作った複製品の製法が代々継承されて行き、大量生産されたものらしい・・・・・・。


ところでこの「まほうのカギ」、名前は格好いいのだが、その主な用途は、世界各地の宝物庫に保管されているお宝を、ただ回収して来るためだけに存在しているようなものといえよう。


それを考えると、「とうぞくのカギ」よりも、むしろこちらの方が、「とうぞくのカギ」と呼ぶに相応しい気がする。


そしてそれを使っているのが本職の盗賊ではなく、正にこれから世界を救おうとしている勇者であるところがまた、何とも言えないものがある・・・・・・。


ドラクエシリーズに登場する3本のカギのうち、一番最後に登場するのが「さいごのカギ」だ。


「さいごのカギ」は全ての扉に対応しているカギで、これで今まで開けることの出来なかった扉も、開けることが出来るようになる。


と、そうは言っても、前述の「まほうのカギ」で、この世界にあるほとんどの扉は開けてしまっているので、「さいごのカギ」の使い所は牢屋ぐらいのものである。


しかし、ドラクエの世界では、なぜか牢屋には囚人だけではなく、貴重なアイテムが眠っていることも少なくないのだ。


記憶の糸を手繰り寄せながら、世界中の牢屋を確認しに行くだけの価値はある。


また、囚人が収監されている牢屋では、扉を開ければ、当然のことながら、囚人は自由の身になってしまうのだが、なぜかそこから出て行こうとする者は誰もいない。


ということは、よっぽどこの世界では、囚人たちにとって居心地のいい環境作りがされているのだろう。


もっとも、脱走でもされたら、それに加担した主人公一行も収監されてしまうことになるだろう。


ただ、収監されたことにより、この場所がどれだけ居心地がいい場所なのか、身を持って経験することは出来るだろうが・・・・・・。


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