カテゴリー「商店街」の記事

2025年4月 2日 (水)

ふきあげパイプ

Photo_20250402171101

駄菓子屋で売られていたおもちゃというのは、お正月のお年玉を使ったり、クリスマスに親にねだって買ってもらうような高級なおもちゃではなく、何かを我慢すれば、普段でも簡単に手に入るような、安価なものばかりだった。


そしてそれらは、値段が値段だけに、購入して遊んだところで、満足感や充実感はあまりなくて、「だから何?」と感じるようなものばかりだった・・・・・・。


例えば「ふきあげパイプ」というおもちゃをご存知だろうか。


「ふきあげパイプ」のパイプとは、首の部分が大きい、西洋風のキセルのことで、専用のたばこを吸うための道具のことである。


日本では映画の中で見かけるくらいで、実際に使っている人に遭遇することはまずない。


ちなみに私が子供の頃に見た、パイプでたばこを吸っている日本人は、ジャイアント馬場ぐらいだったと思う。


そんなこともあって、子供にとっては、たばこを吸うための道具としてのパイプは、全くリアリティがなかったのだが、「ふきあげパイプ」に関しては、お馴染みのおもちゃで、色々な場所で売られていたのを覚えている・・・・・・。


Photo_20250402171201

「ふきあげパイプ」はプラスチックで出来たパイプ型のおもちゃで、パイプの先端に小さなカゴが付いていて、その中に軽いプラスチック製の小さなボールが入っていた。


そしてパイプの口から息を「プーーッ!」と吹き込むことで、カゴの中の小さなボールがフワフワと浮き上がるのだ。


パイプとはいうものの、息を吸い込むのではなく、息を吐くという、本物のパイプとは真逆のことをしなくてはならないのである・・・・・・。


ふきあげパイプは、ただそれだけのおもちゃなのだが、ボールが目の前でフワフワと浮き上がるという現象が、まるでマジックでも見ているかのような不思議さもあって、当時の子供たちにはとても人気があった。


しかも、マジックだったら、ある程度の練習が必要だが、ふきあげパイプは何の練習もなしに、簡単にボールを浮かせることが出来るのだ。


そんな人気のふきあげパイプだったので、それなりに売れる商品だったらしく、駄菓子屋だけではなくて、文房具屋や雑貨屋などでも売られていて、当時は見る機会の多いおもちゃだった・・・・・・。


ふきあげパイプはそれ単独で遊ぶというより、座卓やテーブルの上に置いてあって、テレビのCM中に手に取って、ボールを浮かせたり、何もすることがなくて、暇を持て余している時などに手に取って、ボールをフワフワと浮かせて楽しんでいたものだ。


そういう意味では喫煙者がたばこを吹かす時と、さして変わらなかったのだな~と、いまになって思ったりする。


このおもちゃをパイプの形にしようと思った開発者が、そこまで考えて作ったかどうかは定かではないが、もしそうだったとしたら、さすが目の付け所が違うとしかいいようがない・・・・・・。


ところでこのふきあげパイプというおもちゃは、外に持ち出して遊ぶことは出来なかった。


なぜかというと、ふきあげパイプは本体もボールも軽いプラスチック製だったので、外でボールをフワフワ浮かせていると、そよ風くらいの弱い風でも、その影響をもろに受け、あっという間にボールはどこかへ飛んで行ってしまったのだ・・・・・・。


そんなわけで、うちではふきあげパイプは、いつもテレビの前の座卓の上に置かれていて、暇さえあればパイプを咥えて、ボールをフワフワ浮かせていた。


そんな私を見て、両親は「こいつ将来、ヘビースモーカーになるんじゃないか?」と心配していたが、結局のところ、私は大人になっても、たばこを吸うことは、いっさいなかったのだった・・・・・・。


(画像上、歩道に沿って細長い群落を作っているスミレ・・・・・・。画像下、里山ではミツバツツジが咲き始めた・・・・・・)



2025年3月 5日 (水)

カットルボーン

Photo_20250305180801
▲「カットルボーン」はこのような箱に入って売られている。透明な窓からちょこっと見えているのが、いわゆるイカの甲になる・・・・・・。

私は子供の頃、生き物の飼い方の本を読むのが好きだった。


ある日、セキセイインコの飼い方が解説してある本を読んでいたところ、「セキセイインコには副食として、カットルボーンを与えた方がよい」と書かれていた。


「カットルボーン?」


初めて聞く言葉だった。


カットルボーンとはいったい何のことだろう・・・・・・。


一応、セキセイインコの飼育書にはカットルボーンの写真やイラストも載っていたのだが、当時子供だった私にとっては、「得体の知れない物体」としかいいようがなかった。


平たいボートのような形をしたそれは、私にはどう見ても人工物にしか見えず、セキセイインコの健康に必要な成分を固めた、煎餅のようなものだろうと、勝手に想像していた・・・・・・。


私はカットルボーンのことが気になって、後日、小鳥屋さんに実物を見に行った。


カットルボーンは平たい長方形の箱に入れて売られていて、パッケージにはセキセイインコの写真が使われていた。


箱を手に取って説明を読むと、「カットルボーン(イカの甲)」と書かれていた。


足の甲なら知っているが、イカの甲とはいったい何のことだろう・・・・・・。


そこで勇気を出して店のおやじに、カットルボーンのパッケージに書かれているイカの甲とはいったい何のことか聞いてみることにした。


すると店のおやじは、何ともあっさりと、「イカの骨のことだよ」というではないか。


「え?イカの骨?」


私はイカの骨といえば、半透明で細長~い、ふにゃふにゃのアレしか思いつかなかった。


それにこのカットルボーンは、これ自体がイカのような形をしていて、どこからどう見たって骨には見えない。


私の怪訝な表情から察したのか、店のおやじは、「そんなに気になるなら、魚屋さんに行って聞いてみなよ」とアドバイスをくれた。


そこで私はインコたちのさえずりに見送られながら魚屋へ向かった・・・・・・。


Photo_20250305181201
▲箱の中にはこのような物体が入っている。全く知識のない人にとっては、これがいったい何なのか想像もつかないだろう。ちなみに下の金具でカットルボーンをケージに固定する・・・・・・。

すると顔見知りの魚屋のおばちゃんが、「あら、くろねこくん、どうしたの?」と笑顔で迎えてくれた。


そこで事情を説明して、「カットルボーン=イカの甲」のことを聞いてみた。


するとおばちゃんは、「ああ、それはね、コウイカの骨のことだよ」と教えてくれた。


おばちゃんによると、ヤリイカやスルメイカと違って、コウイカの骨は硬いヘラ状をしていて、小鳥屋さんで売っていたカットルボーンが、正にイカの胴体の中に入っているのだという。


後日、母にコウイカを買って貰い、家で腹を割いてみたところ、本当にイカの甲が入っていて、半信半疑だった私は、「ええ~~~っ!」とびっくり仰天したものである・・・・・・。


ところでこのイカの甲だが、じつは貝殻の名残なのだそう。


というのも、イカの祖先は、なんと巻き貝だったというのだ。


かつては貝殻で守られていたイカだったが、現在の姿は貝殻の外に筋肉が露出し、逆にそれが貝殻を覆ってしまった状態になっている。


いったいどういう進化だったのか理解に苦しむところだ・・・・・・。


ところでこのイカの甲、ただの骨というわけではなくて、内部に小さな空間がたくさんあって、ここにガスを出し入れすることにより、浮力を調整しているといわれている。


これについては、現在のイカの姿になってから発達した器官のようだ・・・・・・。


で、謎が解けたところで、そもそもの話、何でこのイカの甲をセキセイインコに与えなければいけないのかである。


これについては、カルシウムの摂取や、イカの甲を囓ることによって、ストレスを解消するなどの効果があるようだ。


うちで飼っていたセキセイインコたちは、カットルボーンを入れるとすぐにガリガリと囓り始め、あっという間にうすっぺらにしてしまい、ケージの底にはカットルボーンを囓ったカスが山盛りになっていたものだ。


「せっかく買って来たんだから、少しは大事に食べてくれよ・・・」と、ひきつった笑みを浮かべずにはいられない、のどかな日曜日の昼さがりだった・・・・・・。


2025年2月12日 (水)

ポリバルーン

Photo_20250212171301
▲じつはポリバルーンは現在でも売られている。名前は変わってしまったが、遊び方は当時と変わらず、ストローの先端に風船を作ることが出来る・・・・・・。

「ポリバルーン」というおもちゃをご存知だろうか?


昭和の頃は、駄菓子屋で売られているおもちゃの定番で、なぜか文房具屋などでも売られていた・・・・・・。


ポリバルーンは形のあるおもちゃではなくて、塗り薬の入ったチューブのような見た目だった。


チューブの中には、酢酸ビニール樹脂という物質を、アルコール類で溶かした溶液が入っていた。


溶液といっても、チューブから絞り出してみると、透明な接着剤のような感じで、かなり粘性の強い物質だった・・・・・・。


で、これを何に使うのかというと、ポリバルーンの溶液をストローの先端に付けて、ゆっくりと息を吹き込んでいくと、なんと溶液が「プク~~~ッ」と膨らんでいくのである。


イメージとしては、ガラス職人が風鈴やコップを作る時に、真っ赤に熱したガラス玉を、長い棒の先に付けて、反対側から息を吹きながら、ゆっくりと膨らませていくあの感じである・・・・・・。


するとストローの先端には、透明な風船状のものが出来上がる。


風船といっても、ゴムではないので、手触りは台所用のラップに近いものだった。


厚みに関してもラップに近く、膨らませていく過程で、どんどん乾燥していくので、息を吹き込みすぎると、あっけなく割れてしまった。


乾燥する前に膨らませなくてはいけないという焦りもあって、一気に息を吹きすぎて、すぐに割れてしまうこともしばしばあった。


一定の速度で正確に、割れる直前のギリギリを狙って、息を吹き込むという加減が子供には難しくて、割ってしまうことの方が多かったように思う・・・・・・。


Photo_20250212171701
▲昭和の頃はストローの先端に出来る風船は透明だったのだが、現在売られている「進化版」はなんと色違いで3色のチューブがついて来る。ちなみに画像は赤色のチューブを使って作った風船だ・・・・・・。

ポリバルーンの遊び方としては、「割らずにどこまで大きな風船を作れるか」を競うことが、最もシンプルでポピュラーだったように思う。


また、どうせ割れてしまうならと、あえて小さい風船を作って、それを紙風船のように、手の平で「ポ~ン、ポ~ン」と弾ませながら、遊んでいる者もいた。


こういう頭のいい遊び方をするのは、たいてい女子で、男子はいうまでもなく馬鹿なので、「どれだけでかい風船を作れるか」に命をかけていた。


「割れては凹み再挑戦」を繰り返しながら、なんとか小さめのゴム風船ぐらいのサイズまでは作れるようになって、女子に「すご~い!」などと、褒められているものもいた。


いまだったら、それをスマホで撮影して、その現場にいなかった友達に、後から自慢も出来るのだろうが、当時はそんな便利なものはなかったので、作った風船が萎んでしまえば「ハイ、それまでよ」で、「オレはこの前、このくらいの大きさのを作った」と言っても、「うそつけ~、そんなわけないだろ!」と一蹴され、信じてもらえず、悔しい思いをしたものである・・・・・・。


ところで、「ポリバルーン」といえば、忘れてならないのが、その強烈な臭いだろう。


どんな臭いだったのかというとシンナー系の臭いで、長時間遊んでいると、いつの間にか片手にストローを持ったまま、何もない虚空を見つめて、静止していたなんて話も聞いたことがある。


ガンプラがブームの頃になると、子供たちもシンナーや接着剤を使うようになり、臭いに対してそれなりの耐性が出来ていたのだが、「ポリバルーン」で遊んでいたのは、それ以前のもっと幼い頃の話なので、恐らくシンナー系の臭いはこれが初体験だったはずだ。


そんなわけで、当時の子供たちは、小さなうちから、「シンナー系の臭いはやばい」ということを思い知らされていた・・・・・・。


ところでこの「ポリバルーン」というおもちゃは現在も売られている。


昔と違っていまは、あの強烈な臭いは改善されているのだろうか・・・・・・。



2025年1月29日 (水)

牛乳配達

Photo_20250129172101

最近は瓶入りの牛乳を見る機会がすっかりなくなってしまったが、昭和の頃は、ほとんどの家が牛乳屋さんから牛乳を配達してもらっていたので、瓶入り牛乳は嫌でも毎日見ていたものだ。


朝起きて郵便ポストから朝刊を、そして牛乳箱から瓶牛乳を取って来るのが、昭和の朝の光景だったのである・・・・・・。


ところで牛乳箱などといっても、現代では通じないかもしれないが、天板が蓋になっていて、「カパッ!」と開くことが出来る、木製の四角い箱と思って貰えばよいと思う。


イメージとしては、鳥の巣箱がそっくりなのだが、もちろん鳥が出入りするための丸い穴はない。


そして牛乳箱は全体を黄色や赤色などの目立つ色に塗ってあって、牛乳屋さんに見つけてもらいやすく工夫してあった・・・・・・。


昔は新聞配達や牛乳配達は、早朝のまだ薄暗い時間帯に来ていて、家の前で止まるバイクのエンジン音や、自転車の「キーーーッ!」とというブレーキ音が、目覚まし時計代わりになっていたという人も少なくなかった。


牛乳配達に至っては、自転車の荷台から牛乳瓶を取り出す時の、「カチャカチャ」という音を聴いて、無性に朝の一杯を飲みたくなって、「ボーーッ」としていた頭が急速に冴えていくのを感じていたという人もいたそうである・・・・・・。


ところで、当時は配達された新聞や牛乳を取りに行くのは子供たちの仕事だった。


このため昭和のドラマやアニメでは、朝起きて子供が眠い目をこすりながら、玄関先まで新聞と牛乳を取りに行く場面が、しばしば描かれていたものだ。


サザエさんのカツオや、ドラえもんののび太が、パジャマ姿で新聞や牛乳を取りに行くシーンを見たことがあるという人も、少なくないのではないだろうか・・・・・・。


Photo_20250129172102

ところで今となっては、「新聞はともかく、牛乳って誰が配達していたの?」と思う人も少なくないかもしれない。


じつは昭和の頃には、商店街など町のあちこちに牛乳の販売店があって、店の人が自転車の荷台に、牛乳瓶がたくさん入った箱を積んで、契約してもらっている各家庭に、牛乳を配達して回っていたのである。


新聞屋さんの牛乳版と思ってもらえばよいかと思う・・・・・・。


そして牛乳の配達を牛乳屋さんと契約した時に手渡されるのが牛乳箱で、「玄関先の分かりやすい場所に設置しておいて下さい」と言われていた。


牛乳箱の色は牛乳メーカーごとに違っていて、間違って配達されることがないように工夫してあった・・・・・・。


そして牛乳配達の優れていた点は、飲み終わった空き瓶を牛乳箱に戻しておくと、牛乳を配達してくれる時に、空き瓶を回収して持ち帰ってくれていたことだろう。


ゴミやリサイクルの問題が叫ばれる以前から、牛乳配達というシステムでは、牛乳瓶を循環させる仕組みが、すでに出来上がっていたのである・・・・・・。


そんな牛乳配達だったのだが、牛乳パックの登場をきっかけに、じょじょに減少していくことになる。


そしてそれはスーパーマーケットが増加して、商店街が衰退し始めた頃とちょうど重なる。


牛乳配達を見なくなっても、牛乳瓶は根強く生き残っていたのだが、2020年前後から乳業メーカー各社は、瓶入り商品の販売を、相次いで取り止めて来ている。


いま思えば、牛乳配達が減少していった時点で、「毎朝牛乳を飲む」という昭和の文化は、とっくの昔に消滅していたのかもしれない。


しかし、牛乳配達の自転車の「キーーーッ!」というブレーキのきしむ音や、荷台から牛乳瓶を取り出す時の、「カチャカチャ」という、瓶がぶつかり合う音は、私の記憶から消えることは決してないだろう。


いまこうして振り返ってみると、牛乳配達とは単に牛乳を届けていただけではなく、「昭和の朝」そのものだったのである・・・・・・。


(画像上、梅に鶯という言葉があるように、ちょうどこの時期に和菓子屋さんの店頭に出る「うぐいす餅」・・・・・・。画像下、ヨモギの芽が出始めるころに店頭に出る「草餅」・・・・・・)



2025年1月 2日 (木)

近所にあった「ほかほか弁当」

Photo_20250102170401
▲昭和の頃、商店街の外れにあった「ほかほか弁当」は、このようなチェーン店ではなかったと思うのだが、残念ながらいまとなっては確かめようもない・・・・・・。

私が中学生の頃、近所の商店街の外れに、「ほかほか弁当」という弁当屋がオープンした。


当時はコンビニ弁当が、まだあまり美味しくなかった時代だったので、近所に弁当専門店が出来ることは、みんな大歓迎だった。


「ほかほか弁当」はとてもシンプルな店構えで、店内に客が入るスペースは一切なくて、窓口で注文を受けて、その同じ窓口から出来上がった弁当を受け取る、「窓口販売」のシステムだった・・・・・・。


で、この「ほかほか弁当」なのだが、私は初めて弁当を買いに行った時の衝撃がいまでも忘れられない。


何がそんなに衝撃だったのかというと、簡単に言えば、弁当の量が信じられないくらい多かったことだ。


当時は現在のように、エコバッグ持参ではなかったので、弁当屋でも大きめのレジ袋に、出来上がった弁当をすっぽり入れて、手渡してくれていた。


このため、手渡された時点では、中の弁当がどんな状態なのかは、よく分からなかったのだが、家に持ち帰って、袋から弁当を取り出してみてビックリ仰天。


なんと弁当のフタが思いっ切り浮いているのだ。


それも5㎝以上もである。


で、浮いている弁当のフタは、2本の輪ゴムでしっかり止めてあるのだが、きっと、この輪ゴムがなかったら、中身が飛び出して袋の中に散らばり、大変なことになっていただろう・・・・・・。


で、問題は「なんで弁当のフタが浮いているのか?」である。


これについては、輪ゴムを外してフタを開けてみれば一目瞭然だった。


この時、私が買ったのは、「唐揚げ弁当」だったのだが、弁当ではちょっと見たこともない量の唐揚げが、山盛りに入っていたのである。


確かかなり大きなサイズの唐揚げが10個は入っていたように思う。


「入っていた」というより、「無理矢理入れてあった」という表現の方が正しいかもしれない


たくさん入っていること自体は喜ばしいことなのだが、「何もそんなに無理に詰め込まなくてもいいんじゃないか・・・」と思えるほどの量だった・・・・・・。


Photo_20250102170901
▲現在のお弁当はこのような横型の容器が主流になっているが、昭和の当時は縦型が主流で、おかずの入るスペースと、ご飯の入るスペースが均等に仕切られていた。また、容器は白く中身が見えない仕様になっていた・・・・・・。

ところで最近のコンビニ弁当の容器は、ご飯の入るスペースより、おかずの入るスペースの方が広く取られていて、ご飯好きの私としては、「なんで?」と疑問に感じてしまうのだが、「ほかほか弁当」の容器は、おかずの入るスペースとご飯の入るスペースが、きれいに均等に分かれていた。


そして先ほどは唐揚げの量に驚かされたのだが、じつは「ほかほか弁当」の弁当は、ご飯の量も半端がなかった。


一目見て分かるほどの山盛りのご飯が、ギュウギュウに詰められていたのだ。


「てんこ盛り」という言葉は、正にこの弁当のためにあるのではないかと思えるほどである・・・・・・。


その量たるや、ご飯茶碗3杯分以上は優にあるのではないかと思えるほどだった。


それは一般的な弁当屋で、50円増しでオーダー出来る、「大盛り」を遙かに凌ぐ量といえるだろう。


じつは弁当を持って帰るときに、「弁当しか持っていないのに馬鹿に重たいな」と思ってはいたのだ・・・・・・。


で、こんなに爆盛りの弁当だと、値段もさぞかしお高いのだろうと思われるかたも少なくないかもしれない。


しかし、私の記憶が間違っていなければ、これでたったの500円だった。


このように近所の「ほかほか弁当」の弁当は、おかずもご飯も超大盛りだったので、初めて見たときは、家族そろって、目ん玉を丸くして、ただただ顔を見合わせていたのだった・・・・・・。


そんな弁当だったので、ガテン系の仕事の人たちには特に人気で、平日の昼時には、作業服姿の人で行列が出来ていたそうである。


ところで近所の商店街の外れにあった「ほかほか弁当」だが、いま思うと、とてもチェーン店には見えなかった。


弁当を作っている人は3人いたが、全員制服は着ていなくて、白い割烹着を羽織った、近所のおばちゃんのような格好だった。


また、店名の書かれた看板も、ロゴマーク的なものはなくて、ただ、「ほかほか弁当」と黒いシンプルな文字で書かれているだけだった。


そんな「ほかほか弁当」だったのだが、私の知らないうちに、いつの間にか閉店してしまっていた。


「あんなに繁盛していたのになんでだろう?」と、近所の人たちは顔を見合わせていたのだが、私はおばちゃんたちが調子に乗って、おかずとご飯を盛り過ぎて赤字が続き、ついに潰れてしまったのではないかと、密かに思っていたのだった・・・・・・。


2024年12月26日 (木)

「スターヘリコプター」と「ぴょんぴょんカエル」

Photo_20241226171501
▲昭和の当時に売られていた「スターヘリコプター」はもう売られていないが、その進化版と思われるおもちゃが売られていた。昭和版ではシンプルな棒状だった回転軸が、現代では拳銃型になって、引き金を引くことで、プロペラが飛んで行く仕組みになっている・・・・・・。

駄菓子屋で売られていたおもちゃというのは、お正月のお年玉を使ったり、クリスマスに親にねだって買ってもらうような、高額なおもちゃではなく、何かを我慢すれば、普段でも簡単に手に入るような、安価なものばかりだった。


そしてそれらは、値段が値段だけに、購入して遊んだところで、満足感や充実感はあまりなくて、「だから何?」と感じるようなものばかりだった。


で、そんな「だから何?」をいまからいくつかご紹介してみたいと思っている。


きっと、皆さんの思い出の1ページにも、しっかりと刻まれているアイテムだと思うので、当時を懐かしんでもらえたら幸いである・・・・・・。


まず、私が駄菓子屋で売られていたおもちゃで、真っ先に思い浮かべるのは「スターヘリコプター」だ。


確かそんな商品名だったと思うのだが、イメージとしては竹とんぼのプラスチック版である。


とはいうものの、竹とんぼをただプラスチックで作りましたというわけではなくて、柄の部分には回転軸が内蔵されていて、ひもを引っ張ることにより、これが回転して上部のプロペラが飛んで行くような仕組みになっていた。


ちなみにプロペラの羽は、Yの字状に3枚あって、各羽を円形の輪っかで固定してあった・・・・・・。


竹とんぼはコツがつかめないと、うまく飛ばせないものだが、スターヘリコプターはひもを引っ張るだけで、誰でも簡単に飛ばすことが出来た。


ただ、スターヘリコプターは、私たちが想像している以上に飛ぶので、室内だと電気の傘の上に乗っかってしまったり、野外だと木の枝に引っかかったりと、遊ぶ場所を選ばないと、プロペラを回収するのに、非常に苦労することになる・・・・・・。


うちでは飛んで行ったプロペラが、タンスの後ろの隙間に落ちてしまい、物差しやハエ叩きで、何とか取ろうとしたのだが結局取れず、これはタンスを動かさなきゃ無理だなということになって、年末の大掃除まで待たされることになった。


ところがその数週間後、うちのネコがスターヘリコプターのプロペラを咥えて歩いて来て、「どうやって取ったの !?」と、家族全員で唖然としたことがあった。


結局、ネコがどうやってプロペラを取ったのかは、いまも謎のままである。


駄菓子屋のおもちゃというのは、冒頭にも書いたように、「だから何?」と感じるようなものばかりで、すぐに飽きてしまうものがほとんどだったが、このスターヘリコプターでは、けっこう遊んだのを覚えている・・・・・・。


Photo_20241226172301
▲昭和の頃はよく見かけた「ぴょんぴょんカエル」。現代の子供たちもこのおもちゃの存在を知っているのは、「サザエさん」の登場人物、カツオの影響に違いない。ちなみに現在店頭で見かけるのは、いわゆる「類似品」である・・・・・・。

駄菓子屋で売られていたおもちゃで忘れてならないのが「ぴょんぴょんカエル」だろう。


現在では「ぴょんぴょんカエル」で遊んでいる子供なんて、めっきり見なくなってしまったが、じつはこの「ぴょんぴょんカエル」は、現在でも販売されている超ロングセラー商品だ・・・・・・。


そしてこの「ぴょんぴょんカエル」を現在でも有効に活用している超有名な少年がいる。


「サザエさん」の登場人物のひとり、カツオである。


カツオはサザエさんを驚かすために、「ぴょんぴょんカエル」を何度使用したか知れない。


カツオは何度も同じ手口で驚かしに来るのに、毎回腰を抜かすほど驚くサザエさんは、よっぽどカエルが苦手なのだろう・・・・・・。


「ぴょんぴょんカエル」は、カエルのお尻からチューブが伸びていて、それがポンプに繋がっている。


で、このポンプをシュポシュポ押すと、カエルの折り畳まれた足が伸びて、ぴょんぴょん跳ねる仕組みになっている・・・・・・。


ところでカエル本体に空気を送るためのチューブについてだが、これは何mもあるような長いものではなくて、せいぜい40~50㎝もあればいい方だ。


ということは、サザエさんからは、いたずらを仕掛けようとしているカツオの姿は、丸見えだったはずなのだ。


それにもかかわらずサザエさんは、「ぴょん!」と飛び出て来たカエルを本物だと認識し、腰を抜かすほど驚いて、いたずらを仕掛けて来たカツオに激怒して、追いかけ回しているのである。


どうでもいいが、もはやそれって、カツオが悪いというより、サザエさんの方がどうかしているとしか、いいようがないのではないだろうか・・・・・・。



2024年11月13日 (水)

「ロケット弾(ジャンプ弾)」と「かんしゃく玉」

Photo_20241113170501
▲「ロケット弾(ジャンプ弾)は、プラスチックで出来たロケット型のおもちゃで、先端に平玉火薬を詰めて放り上げて遊んでた・・・・・・。

今では考えられない話だが、昭和の頃、駄菓子屋で売られていたおもちゃには、火薬を装填して遊ぶものが結構あった。


子供が遊ぶおもちゃに火薬を使うとなると、何かと規制が厳しくなった現代では、発売に「待った!」がかかること間違いなしなのだが、当時は特に問題になることもなく、当たり前のように売られていた・・・・・・。


タイトルにある、「ロケット弾」とか「ジャンプ弾」と呼ばれていた、ロケットの形をしたおもちゃも、その中のひとつだった。


どんなものだったのか、簡単に説明すると、まず、ロケットの先端部分に平玉火薬を詰めて、天に向かって思いっ切り投げ上げる。


火薬を使用するのに、発射は人力という、何とも矛盾したロケットなのである。


すると当然のことながら、ロケットは頭を下に向けた状態で、落下してくることになる。


そして地面に着地した衝撃で、火薬が「バーン!」と派手に爆発する。


と、まあ、ただそれだけのシンプルなおもちゃだった・・・・・・。


ところで、この「ロケット弾(ジャンプ弾)」だが、ロケットとはいうものの、名前に「弾」とあるように、どちらかといえば、「ミサイル」を意識して作られていたように思う。


そもそもの話、ロケットは打ち上げ後に、地上に落下して来たら、それは失敗を意味する。


上空に投げ上げて、それが落下して来て、着地点で「バーン!」と爆発するとなれば、これはどう考えても「ミサイル」である。


商品名を「ロケット弾」としたのは、子供が遊ぶおもちゃが「ミサイル」では、どう考えてもまずいと思ったからではないのか。


いくら規制の甘い昭和の時代とはいえ、さすがに「ミサイル」では、発売出来なかったのだろう・・・・・・。


Photo_20241113170901
▲かんしゃく玉は綺麗な球体ではなくて、手の平で丸めたようないびづな球体だった。様々な色に彩色されていたが、元が火薬玉なので、全体にくすんだような黒ずんだ色合いをしていた・・・・・・。

ところで皆さんは、ロケットとミサイルの違いをご存知だろうか。


じつはこの2つは、基本的に同じものなのだ。


先端に何を搭載するかで名前が変わって来る。


つまり人工衛星を積んで打ち上げればロケット。


弾薬を積んで打ち上げればミサイルになる・・・・・・。


駄菓子屋のおもちゃ「ロケット弾」は、ロケットの先端部分に平玉火薬を詰めていた。


そういう意味では、やはりロケットというよりはミサイルなのだろう。


しかし、先ほども書いたとおり、子供の遊ぶおもちゃに「ミサイル」は、さすがにまずいだろうということで、「ロケット」に「弾」を付けて、「ロケット弾」とすることで、どうにかこうにか、辻褄を合わせたといったところだろうか。


何だか当時の大人たちの苦労が目に浮かぶようで、思わず「クスッ!」と笑わずにはいられない・・・・・・。


で、先ほども書いたとおり、この「ロケット弾(ジャンプ弾)」は、ロケット型のおもちゃに、平玉火薬を詰めて、天に向かって、思いっ切り投げ上げて、それが地面に着地した瞬間に、火薬が「バーン!」と爆発する仕組みのおもちゃだった。


じつは駄菓子屋には、この「ロケット弾(ジャンプ弾)」から、余計なものをそぎ落とし、思いっ切り簡略化したおもちゃも売られていた。


それが「かんしゃく玉」だった。


「かんしゃく玉」の見た目は、粘土を手の平で転がして丸めたような、いびづな丸い玉で、赤や緑、青や黄色などに、カラフルに彩色されていた。


そしてこれが厚紙で出来た箱に入れられて売られていたのだ・・・・・・。


「かんしゃく玉」は、玉そのものが火薬になっているので、これを直接地面や壁に、思いっ切り投げつけると、「バーン!」という大きな爆発音がした。


当時はこれをブロック塀やアスファルトの地面に投げつけて爆発させたり、道に撒いて物陰に隠れていて、車や人に踏ませて脅かしたりしていたものだ。


いま考えると、「とんでもないことをしていたな~」と思うのだが、当時は大人もかんしゃく玉を、駄菓子屋のおもちゃとして認識していたので、「バーン!」という音で驚きはしても、「子供がかんしゃく玉を撒いたんだな」と思うだけで、特に怒られたり、問題になるようなことはなかったのである・・・・・・。


2024年10月 2日 (水)

キャップ弾火薬鉄砲

Photo_20241002180201
▲これは現在100円ショップで売られている鉄砲型のおもちゃだが、銃身を倒して、シリンダーに火薬を装填するようになっている。この仕組みについては、当時のものとなんら変わらない・・・・・・。

昭和の頃によく見られた駄菓子屋では、いわゆる駄菓子の販売以外に玩具の販売もしていた。


駄菓子屋で売られていた玩具は、一般的なおもちゃ屋で売られている玩具とはちょっと違っていて、駄菓子屋特有のものだったように思う・・・・・・。


駄菓子屋で売られていた玩具の代表選手といえば、なんといっても火薬を使用する玩具だろう。


火薬というと、花火を思い浮かべるかたも少なくないと思うが、じつはそうではなくて、駄菓子屋で売られていたのは、内部に火薬を装填して使用する玩具だった。


子供用のおもちゃに火薬を使用するなんて言ったら、きっと今だったら、企画の段階で完全にアウトだろうが、当時は特に問題になることもなく、普通に売られていた・・・・・・。


以前、火薬が使われている駄菓子屋のおもちゃとして、「巻玉鉄砲」と「平玉鉄砲」をご紹介したのだが、じつは火薬が使われている鉄砲型のおもちゃは、この2つ以外にもまだあった。


「キャップ弾火薬鉄砲」は、かなり本格的な鉄砲のおもちゃで、8連式のリボルバー仕様になっていた。


火薬は巻玉鉄砲や平玉鉄砲のようなシート状ではなくて、「カネキャップ弾」と呼ばれるリング状のものだった。


巻玉鉄砲や平玉鉄砲と比べると、火薬の威力がかなり強く、取り扱いには十分な注意が必要だった。


1発の威力が強いことに加え、8回連続で撃つことが可能だったため、連発とは思わずに、うっかり鉄砲の前へ飛び出したりすると、火傷をする恐れもあった。


今だったら、世に出ることは絶対にあり得ないおもちゃだろう・・・・・・。


Photo_20241002181001
▲これも現在100円ショップで売られている「8連発ピストル音の弾」。上のピストルに装填して使用する。じつは昭和の当時に売られていた「カネキャップ弾」も、これと見た目はほぼ同じと考えていい・・・・・・。

また、「キャップ弾火薬鉄砲」には、これをさらに進化させた商品もあった。


基本の「キャップ弾火薬鉄砲」は、「バン、バン、バン・・・!」と音を発することは出来たが弾は出なかった。


あの火薬の威力で弾まで出たら、かなり危険な代物だったのではないかと想像してしまう。


ところが「キャップ弾火薬鉄砲」の進化版は、派手な音に加えて、なんと弾も発射することが出来たのだ。


ちなみに弾はプラスチック製だったが、ちゃんと弾丸の形が再現されていた・・・・・・。


弾丸の装填方法は本物の拳銃と同様で、銃身を倒してシリンダーに弾丸を円形に1つずつ挿入して行く。


「キャップ弾火薬鉄砲」は火薬もリング状で、シリンダーにぴっちりとはめ込んで使用していたので、プラスチック弾はこの火薬リングの外周にセットするようになっていた。


子供の頃はこの火薬とプラスチック弾の装填方法がとてもリアルに感じられ、思わず手が震えたものだが、考えてみたら、本物の拳銃に弾を装填するところなんて見たことがないのだから、その感覚がどこから来ていたのか、いま考えると、全くもって謎としかいいようがない。


しかし、実際にはそう間違いでもなかったところが、また不思議なところなのである・・・・・・。


で、このプラスチック弾の撃てる「キャップ弾火薬鉄砲」だが、前述のようにおもちゃとしては火薬の威力がかなり強かったので、「弾まで撃つことが出来たら、危険極まりないだろう」と考えるのが普通である。


しかし、幸いなことに、「キャップ弾火薬鉄砲」の弾は、プラスチック製ということもあってとても軽く、弾丸としての威力は全くなかったのである。


このように弾丸や火薬の装填方法はとてもリアルで、取り扱い方法を誤ると、火傷をする恐れがあるほどの火薬の威力だったのに、弾だけはなぜか安っぽいプラスチック製という、バランスの取り方があまりにも極端すぎる、「キャップ弾火薬鉄砲」だったのである。


まあ、そうは言っても、これで弾に威力まであったら、いくら規制の甘い昭和の時代とはいえ、発売にストップがかかっていた可能性は大である・・・・・・。


2024年8月21日 (水)

「巻玉鉄砲」と「平玉鉄砲」と「銀玉鉄砲」

Photo_20240821175101
▲現在売られているピストル型のおもちゃはこんな感じ。なんだか当時のものに比べるとちゃっちくなってしまった印象だ・・・・・・。

昭和の頃によく見られた「駄菓子屋」では、いわゆる駄菓子の販売以外に玩具の販売もしていた。


駄菓子屋で売られていた玩具は、一般的な「おもちゃ屋」で売られている玩具とはちょっと違っていて、駄菓子屋特有のものだったように思う・・・・・・。


駄菓子屋で売られていた玩具の代表選手といえば、なんといっても火薬を使用する玩具だろう。


火薬というと、花火を思い浮かべるかたも少なくないと思うが、じつはそうではなくて、駄菓子屋で売られていたのは、内部に火薬を装填して遊ぶ玩具だった。


子供用のおもちゃに火薬を使用するなんて言ったら、きっと今だったら、企画の段階で完全にアウトだろうが、当時は特に問題になることもなく、普通に売られていた・・・・・・。


火薬が使われている玩具には、いくつかの種類があったが、その中でも拳銃の形をしているものは男の子に人気があった。


そしてその拳銃の形をした玩具にも、いくつかの種類があって、どれを選ぶかはその店の品揃えに大きく左右された。


最もポピュラーだったのは、「巻玉鉄砲」と呼ばれるもので、拳銃の形をした玩具に、「巻玉火薬」と呼ばれるロール紙を装填して使用するものだった。


そして拳銃と火薬は別売りになっていて、巻玉火薬は厚紙で出来た青い箱に入れて売られていた。


ちなみに巻玉火薬とは、赤い紙テープのようなものに、錠剤のような形の火薬が、等間隔に張り付けられているものだった。


そしてこれをロール状のまま、拳銃の上部に手順通りに装填して使用するのである。


一見面倒な作業に思えるのだが、当時の子供たちにとっては、この作業が本物の拳銃に弾丸を装填する作業のように思えて、格好よく感じられたものである。


そして、拳銃の引き金を引くたびに、赤いロール紙が少しずつ回転して行き、「バン、バン、バン!」と連射させることが出来たのだ。


ただ、銃声というにはかなり小さな音で、全く迫力はなかったのだが、気分だけは大いに盛り上がっていた。


そして辺りにはそれなりに、火薬の匂いと煙が立ち込めて来て、なんとなくその気にはさせてくれていたものである。


このため家の中で遊ぶと、部屋に火薬の匂いと煙が充満して来て、まず間違いなく、親に怒られるので、先に蚊取り線香を焚いて、カムフラージュしたりしたものである。


ちなみに巻玉鉄砲は、弾を発射する拳銃ではなかったので、辺りに「薬莢」が散らかる心配はなかった。


これについては、子供にとっては救いだったといえるだろう。


火薬の匂いと煙に加え、周囲にゴミまで散乱させていたら、巻玉鉄砲は瞬く間に、親に没収されていたことだろう・・・・・・。


Photo_20240821175401
▲ちなみにこのピストルは某有名100円ショップで購入した。駄菓子屋のピストルは100円ではなかったと思うので、品質が落ちてしまったと感じるのは、まあ、仕方がないことか・・・・・・。

巻玉鉄砲に似た商品で、「平玉鉄砲」というのもあった。


平玉鉄砲は値段が高かったので、店によっては置いていない所も多かった。


平玉鉄砲も火薬は別売りで、数十回分の火薬が1シートにまとめられた状態で売られていた。


そしてこのシートから、火薬を1つずつちぎり取って、1発ずつ拳銃に装填していかなくてはならなかった。


「平玉鉄砲」と言っても、ピンと来ないかもしれないが、昭和生まれのかたなら、運動会の徒競走で、「位置について~!よ~い!バン!」と鳴らしていた、あの鉄砲といえば、分かってもらえるだろうか・・・・・・。


「巻玉鉄砲」や「平玉鉄砲」は、弾の出ない音だけの鉄砲だったが、駄菓子屋には弾を撃つことが出来る、「銀玉鉄砲」というのもあった。


銀玉鉄砲はハガネ式の鉄砲で、装填するのは火薬ではなく、別売りの銀色の玉だった。


このため巻玉鉄砲や平玉鉄砲のような、銃声や煙は出なかった。


銀玉鉄砲の玉は、その名の通り、銀色をしていたが、金属で出来ている訳ではなく、粘土のようなものを丸く固めて、そこに銀色の着色をしたものだった。


確か銀玉鉄砲の玉は1箱50個入りで、厚紙で出来た赤い箱に入れて売られていた。


そしてこの玉を拳銃に装填して使用するのだが、当然玉がなくなれば撃てなくなる。


昭和の頃は、親に何箱も玉を買ってもらえる子供なんていなかったので、玉がなくなれば、今度は自分が撃った玉を拾って歩き、それを再び拳銃に装填し直して遊んでいた。


しかし、いま考えればそのおかげで、周囲に撃った玉が散乱して、問題になるようなことがなかったのだ。


そして時代が進み、銀玉がBB弾になると、玉は消耗品という認識になり、散乱した玉は回収されることなく、マナー問題にまで発展して行った。


昭和の頃の銀玉鉄砲の玉は、仮に全てを回収しきれなかったとしても、原材料は粘土なので、放置しておいても自然に土に帰る。


しかし、BB弾はプラスチックなので、いつまでもそのままの状態で残ってしまう。


そうなるとこれは、ただのマナーの問題ではなくなり、環境問題ということになって来る。


それを考えると、自分が撃った玉は全回収が鉄則だったあの頃が、ちょうどよかったのかもしれない・・・・・・。


2024年6月16日 (日)

小鳥屋さんと大納言

Photo_20240616165301

子供の頃はあちこちにあったのに、いつの間にか見かけなくなってしまった店というのが結構あるものだ。


例えば商店街にあった小鳥屋さんがそうである。


現在ではペットショップはあっても、飼い鳥の専門店というのは、あまり見かけなくなってしまった。


鳥好きの私としては、なんとも寂しい限りである・・・・・・。


昭和の頃、小鳥屋さんはなぜかどこの商店街に行っても、観賞魚の店と並んで立っていることが多く、どちらの店も子供たちでいつもにぎわっていた。


小鳥屋さんに入って、店内を一回りして来た子供たちは、その足で観賞魚の店も見に行くのが定番のコースになっていたので、この並びはもしかしたら、商店街の戦略の1つだったのかもしれない・・・・・・。


小鳥屋さんは店の軒先からすでにたくさんの鳥かごが置かれていて、店の外壁が見えないほどだった。


そして小鳥屋さんといえば、店先には必ずおしゃべりが得意な大型のインコやオウム、九官鳥などがいて、客引きの大役を任されていた。


当時は商店街で買い物中のお母さんや、店の前をたまたま通りかかった人たちが、ちょっと足を止めて、おしゃべりインコに、「こんにちは!」と声を掛けてくのが日常の光景になっていた・・・・・・。


何気なく声を掛けたおしゃべりインコが突然店主の声で、「このまえ坊ちゃんが来てましたよ!」などとしゃべり出し、「ええ~~~っ・・・⁉」と驚いているお母さんたちを、当時はよく見かけたものである。


大型のインコやオウムはとても頭がよく、ただものまねをするだけではなく、相手のしゃべり方や声色を真似たり、簡単な会話が出来る個体までいる・・・・・・。


また、店主と客が店先で会話をしているのを聞いていて、客の名前と顔を覚えてしまい、その客が歩いて来るのを見つけるたびに、「吉田さ~ん、吉田さ~ん!」などと、大声で呼びかけていることもあった。


吉田さんはおしゃべりインコに駆け寄って、「ちょっと、恥ずかしいからやめてよ~!」と、真顔で抗議していたが、おしゃべりインコに、「吉田さん、今日のおやつはリンゴだよっ、いる?」などと畳みかけられて、思わず「プッ!」と吹き出してしまい、店先でおしゃべりインコといっしょに爆笑する羽目になるのだった。


ちなみにおしゃべりインコの笑い声は、店主の豪快な「ガハハ」という笑い声を真似ているので、余計にバカバカしく聞こえるらしく、吉田さんは思わず笑いのツボにはまってしまい、小鳥店の店先でおしゃべりインコといっしょに、涙を流しながら、腹を抱えて笑っていた。


きっと、傍から見たら、世にも奇妙な光景だったことだろう・・・・・・。


Photo_20240616165302

小鳥店で子供たちに特に人気だったのは、なんといってもセキセイインコだった。


セキセイインコは羽の色や模様の変化で、200種類以上の品種が作り出されているといわれていて、そのバラエティー豊かな品種の中から、自分の好きな色柄を選べることも、人気のひとつとなっていた。


店内に入るとセキセイインコは、店の奥の棚のほとんどを占めていて、きっちり品種ごとに分けてカゴに入れられて、展示販売されていた。


カゴには「オパーリン」や「ハルクイン」、「ウイング」や「レインボー」など、品種名のプレートが1つ1つ付けられていて、初めて見た時は、その数の多さにとても驚いたものである・・・・・・。


当時の私が特に印象に残った品種は、「大納言」というプレートが付けられている品種だった。


なぜかというと、他の品種は全て「オパーリン」とか、「ハルクイン」などのカタカナ表記なのに、「大納言」だけはドーンと大きく漢字表記で、ご丁寧にもふりがなまで付けられていたのだ。


子供の頃は「大納言」という言葉の意味も分からなかったので、単純に「なんでこれだけ漢字なんだろう?」とずっと思っていた。


ちなみに大納言の一般的な意味としては、律令制において、左大臣、右大臣、内大臣に続く4番目の官位のことを指している。


大納言は「大臣」に次ぐ身分に当たり、大臣、中納言らと政務に参与し、大臣不在の時はこれを代行していたといわれている。


一方、セキセイインコの品種としての大納言はというと、簡単に言うなら斑の一品種で、後頭、風切羽、尾羽に加え、胸にも大きく地色が出たものを指している。


これがどうして太政管の次官である「大納言」と繋がったのかはよく分からないが、個人的にはその斑の出方が、和装の着物のように見えて、その堂々とした佇まいが、まるで役人のように感じられたからではないかと勝手に想像している・・・・・・。


ところで、当時近所の和菓子屋には、「大納言」という名前の、大きな豆大福が売られていた。


そのこともあって、私はセキセイインコの品種としての「大納言」を初めて知った時、「なぜ、大福の名前を付けたんだろう?」と、まず疑問に思った。


そしてそれと同時に、品種名のプレートに書かれていたふりがなを見て、「あの大福は、だいなごんって読むのかぁ」と、その読み方を初めて知ることになったのだった。


世の中、何がどこで繋がっているか分からないものである・・・・・・。


(画像上、大きな白いお皿のような花を咲かせるタイサンボク・・・・・・。画像下、木の幹に溶け込む様子はまるで忍者のウンモンスズメ・・・・・・)



その他のカテゴリー

2026年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

にほんブログ村