カテゴリー「CM」の記事

2024年3月30日 (土)

森永「Piknik」と牛乳の自動販売機

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▲じつは「Piknik」は現在も販売されている。立体的な構造の容器に変わり、味のバリエーションも増えて6種類になった・・・・・・。

昭和の頃には、牛乳や乳飲料の自動販売機が、ジュースの自動販売機といっしょに並べて置かれていた。


私が子供の頃には、近所の商店街をはじめ、デパートやスーパーなどの商業施設、学校の購買部の脇などにも、牛乳や乳飲料の自動販売機は普通に置かれていた・・・・・・。


私が一番記憶に残っているのは、森永乳業から1981(昭和56)年に発売された、「Piknik(ピクニック)」という乳飲料だ。


発売当初の「Piknik(ピクニック)」は、ヨーグルト味、ラクトコーヒー味、ストロベリー味、フルーツ味の4種類で展開されていて、色違いのカラフルな容器がとても目を引いていた。


ちなみにパッケージの色は、ヨーグルト味が青色、ラクトコーヒー味が茶色、ストロベリー味がピンク色、フルーツ味が緑色だった。


そしてパッケージの下部には、虹のような印象的なマークが描かれていたので、覚えているかたも多いかと思う・・・・・・。


また、当時はパッケージの後ろ側にストローが付いている200ml程度の飲料は、四角いずんぐりむっくりとした容器が主流で、見るからに「牛乳パック」という見た目のものがほとんどだった。


現在のようなスリムな容器は、まだ見られない時代だったのである・・・・・・。


ところでこの森永の「Piknik(ピクニック)」、昭和の頃はテレビCMをしばしば放映していた。


その内容は「Piknik(ピクニック)」という商品名からなのか、アウトドアやスポーツシーンが多かったように思う。


いまだったら、飲み物のCMに起用するとなると、若手の俳優や女優なのだろうが、「Piknik(ピクニック)」のCMには、なぜか見たこともない外国人女性がたくさん出演していた・・・・・・。


当時、外国人女性がただひたすら、自転車を漕いでいるだけのCMがあったのだが、私は当初、普通の自転車レースのワンシーンなのかと思っていた。


ところがよく映像を見てみると、じつはこの自転車、複数の自転車が連なったような形をしており、1台の自転車に10人ほどの外国人女性が乗って漕いでいたのだ。


そしてこれが2台並んで走っているという謎の設定だった。


そしてCMではカメラの前を自転車が通過して行き、追い越される直前に、真後ろからのカメラアングルにパッと切り替わる。


そしてしばらくの間、自転車を漕いでいる外国人女性のお尻が映し出される。


このシーンには、きっと「おおっ!」と身を乗り出したかたも少なくなかっただろう・・・・・・。


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▲パックの後ろには、「Piknik」の発売当時の容器のデザインが紹介されていた。これを見て、「うわ~、懐かしい~!」と思ったかたは私と同世代だ・・・・・・。

そして最後はゴールに置かれている固定カメラの映像に切り替わり、その前をゴールテープを切った自転車が走り抜けて行くのだが、これだけではただの自転車レースの映像である。


というわけで、当然のことながら、彼女たちはCM中に商品をしっかりとアピールしていた。


じつは彼女たちは、自転車を漕ぎながら、片手に「Piknik(ピクニック)」のパックを持って、なぜかカメラ目線でにっこり微笑みながら、「Piknik(ピクニック)」をゴクゴク飲んでいたのだ。


片手運転やら前方不注意やらで、今だったらちょっと問題になっているかもしれない。


そしてCMの最後には女性の声で、「僕たち飲むなら、ピークニック!」というキャッチフレーズが流されていた・・・・・・。


また、後年発表のCMでは、ビーチの見えるプールサイドで、信じられないくらい高いヒールを履いた、水着姿の外国人女性が、数名並んで立っていて、ただ、ただ、お尻を振り続けているだけという、意味不明の映像もあった。


きっと、自転車バージョンのお尻のシーンが好評だったのだろう・・・・・・。


で、個人的には、森永「Piknik(ピクニック)」といえば、学生の頃に学校の購買部で、パンといっしょに買って、よく飲んでいたのを覚えている。


ちなみに私の当時のお気に入りはラクトコーヒー味だった・・・・・・。


ところで昭和の頃には、「牛乳の自動販売機」というのもあった。


乳飲料ではなく、牛乳そのものである。


牛乳といって多くの人がイメージするのは、500ml入りや1000ml入りの牛乳パックだと思う。


じつは昭和の頃には、500mlや1000mlの牛乳パックも、自動販売機に入れられて、普通に売られていたのだ・・・・・・。


森永の自動販売機には、前述の「Piknik(ピクニック)」といっしょに、1000mlの牛乳パックが入っているものもあったし、500mlと1000mlの牛乳パックだけを入れてあるものもあった。


そしてこれにはコーヒー牛乳なども入っていたと思う。


そしてこれは、明治など他の牛乳メーカーも同様だった。


これは現在ではかなり違和感があると思うのだが、当時はそれが当たり前の光景だったのだ・・・・・・。


ところで1000mlの牛乳パックを自動販売機で買うと、落ちて来る時の衝撃も半端がなかった。


自動販売機に硬貨を投入し、商品を選んでボタンを押すと、次の瞬間に「ダンッ!」という、ものすごい音と衝撃が伝わって来る。


子供の頃はそのたびに身体が「ビクッ!」と反応していたものである。


そしてあまりの衝撃で、穴でも開いていまいかと、恐る恐る牛乳パックを取り出すと、見事に角が凹んだ牛乳パックが現れるのである。


きっと、あんな風に凹んだ牛乳パックを見ることは、もう二度とないのだろうなぁ・・・・・・。


2023年6月11日 (日)

カルピスソーダ

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▲じつは缶入りのカルピスソーダは現在でも売られている。しかし、そのデザインは昭和の発売当初のものとは、ずいぶん変わってしまった・・・・・・。

カルピスソーダが発売になったのは、1973(昭和48)年8月のことだった。


ただし、この時は首都圏限定の発売で、その翌年から全国発売が開始された。


ちなみに当時はペットボトルはまだなかったので、細身の250ml缶での発売だった。


当時の缶のデザインはとてもシンプルで、白地の缶の上部に赤い文字で、「カルピスソーダ」と書かれていて、そこから下は青い水玉模様が散りばめられていた。


一定の年齢以上のかたなら、この缶はお馴染みのデザインだと思うのだが、ペットボトルが主流となった現在では、缶入りのカルピスソーダはほとんど見かけることがなくなってしまった・・・・・・。


ところで缶入り、またはペットボトル入りのカルピスといえば、まずは「カルピスウォーター」を思い浮かべる人が多いと思う。


ところが当時はまだ、カルピスウォーターは発売されていなかった。


意外に思われるかたも少なくないと思うが、カルピスウォーターよりも、カルピスソーダの方が発売は先になるのだ。


じつは発売元のアサヒ飲料も、当初はカルピスウォーターを発売しようと考えていたようなのだが、当時の技術ではカルピスを単純に水で割っただけでは長期保存がきかず、品質が劣化してしまうことが分かり、やむなく炭酸飲料として発売することになったらしい。


当時は「白くはじけるカルピスソーダ」のキャッチコピーにもあるように、「カルピスを炭酸で割るとはなんて斬新な発想なんだ!」と、ただただ感動している人が多かったそうだ。


しかし、カルピスソーダの誕生にそんな秘密が隠されていたなんて、当時は誰も知る由もなかったのである。


そして自動販売機の普及と共にカルピスソーダは、「戸外で気軽に飲めるカルピス」として、順調に売り上げを伸ばして行くことになるのだった・・・・・・。


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▲カルピスソーダは、昭和の発売当初、このようなシンプルなデザインだった。そして当時はじつに様々な味のバリエーションがあって、味ごとに水玉模様の色が変えられていて、とてもカラフルなことになっていた・・・・・・。

ところで昭和の頃、カルピスソーダには様々な味のバリエーションがあったのをご存じだろうか。


最初に発売された味のバリエーションは、オレンジ、グレープ、グレープフルーツで、1979(昭和54)年のことだった。


そしてその3年後の1982(昭和57)年にはプラム味が発売になる。


この時はまだ細身の250ml缶での発売だった。


そしてその翌年の1983(昭和58)年には、カルピスソーダに300ml缶が登場し、このタイミングでメロンフルーツパンチ味が発売になる。


そして1987(昭和62)年には、いちご、メロン、青りんごと、一気に3種類がラインナップに加わった。


そして1989(昭和64/平成元)年には、カルピスソーダにも350ml缶が登場し、コーラ、グレープ、イチゴ、メロン、オレンジにラインナップが一新される。


さらに1991(平成3)年にはアセロラブームがあって、アセロラ味も発売になっている。


ちなみにカルピスウォーターが発売になったのはちょうどこの年で、カルピスソーダの発売からじつに18年後のことだった・・・・・・。


このように当時は様々な味のバリエーションがあったカルピスソーダなのだが、個人的には味そのものよりも、とてもカラフルなことになっていた、缶のビジュアルの方が強く印象に残っている。


私が特に印象に残っているデザインは細身の250ml缶の頃のものだ。


冒頭でも書いた通り、当時の缶のデザインはとてもシンプルで、白地の缶の上部に赤い文字で「カルピスソーダ」と書かれていて、そこから下は青い水玉模様が散りばめられていた。


そしてこの当時のカルピスソーダには、4種類の味のバリエーションがあって、缶のデザインは全て同じだったが、それぞれカラーリングが変えられていた。


オレンジは缶の上部に書かれた「カルピスソーダ」の文字は青色で、その下に散りばめられている水玉模様は橙色。


グレープは「カルピスソーダ」の文字は緑色で水玉模様は紫色。


グレープフルーツは「カルピスソーダ」の文字は赤色で水玉模様は緑色。


プラムは「カルピスソーダ」の文字は青色で水玉模様は赤色だった。


そして当時のCMではノーマルを含めた5本の缶が並べられたカットが挿入され、その様子はとてもカラフルで、目に映えていたのをいまでもはっきりと覚えている。


今から40年も前に放映されていたCMを未だに覚えているのだから、私にとってあの缶のデザインやカラーリングは、よほど印象的だったのだろう。


ちなみにCM本編には女性アイドルが出演して、笑顔を振りまいていたと思うのだが、それが誰だったのかは、いくら考えても思い出せない。


「普通は逆だろう」と言われそうだが、こればっかりはどうしようもない・・・・・・。



2023年5月30日 (火)

すぎのこ村

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1970~1980年代には、自然豊かな日本の原風景を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


そのほとんどは、現在ではもう発売されていないが、明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は根強い人気で、現在でも継続して販売されている。


ところで昭和の頃に、「きのこの山」と「たけのこの里」には、「すぎのこ村」という姉妹商品があったことをご存じだろうか。


ちなみに「きのこの山」は1975(昭和50)年、「たけのこの里」は1979(昭和54)年の発売で、「すぎのこ村」は1987(昭和61)年の発売だった。


当時、「きのこの山」、「たけのこの里」、「すぎのこ村」の3商品は、いっしょに広告展開されていた。


だから「すぎのこ村」のCMでは、「きのこの山」と「たけのこの里」もいっしょに紹介されていた。


で、「すぎのこ村」のCMでは、「きのこの山」や「たけのこの里」のCMにも登場する、タヌキとブタのキャラクターが登場し、新たに加入したイノシシのキャラクターといっしょに、「すぎのこ村」を紹介していた。


そして「すぎのこ村」のCMでは、次のような愉快な歌がBGMとして流されていた。


「すぎのこ村のCM曲 ①」

きのこ たけのこ あのこはだあれ?
すぎのこ村の すぎのこじゃ
きのこ たけのこ すぎのこ
すぎのこも揃って食べ盛り~
きのこ たけのこ すぎのこ
じゃんけんぽんでかくれんぼ
きのこ たけのこ 見つけた
すぎのこも揃って食べ盛り~


どうだろうか、なんとなく聴いたことがあるような気がしないだろうか。


そしてじつはこのCM曲には別バージョンもあった。
それがこちらになる(↓)。


「すぎのこ村のCM曲 ②」

きのこのこのこ たぬきのこ
のこのこ たけのこ にょっきりこ~
きのこ たけのこ あのこはだあれ?
すぎのこ村のすぎのこじゃ
のこのこ きのこの山 いこか~
のこのこ たけのこの里 いこか~
のこのこ すぎのこ村にいっこか~
あれこれ 揃って 食べ盛り~


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ところで、「すぎのこ村」のパッケージ(外箱)は、「きのこの山」や「たけのこの里」と同じ仕組みのものが採用されていた。


というか、当時お菓子メーカー各社から発売になっていた、日本の原風景をテーマにしたチョコレート菓子は、どれもみな示し合わせたかのように、同じタイプの外箱に統一されていた。


このため、当時はどれも「きのこの山」の明治製菓が出しているお菓子だと思い込んでいる人も少なくなかったようだ。


「すぎのこ村」のパッケージデザインは、背景の山に小さな杉の木がたくさん植林されていて、その麓には数件の古民家が立ち並ぶ集落が描かれていた。


そしてパッケージの中央には、「すぎのこ村」のお菓子が大きく5本描かれていた。


「すぎのこ村」は棒状のビスケットの柄に、ミルクチョコレートがかけられ、そこにクラッシュアーモンドがまぶしてあるチョコレート菓子だった。


メーカーによるとこれは、杉の木をイメージしたものだったらしい。


そんな「すぎのこ村」なのだが、発売から1年ほどでパッケージが変更になった。


変更後のパッケージイラストは、変更前のような遠景ではなくなり、麓の古民家が1件だけ大きくクローズアップされ、その隣にはナシと思われる木が描かれ、根元の洞にはタヌキが棲んでいた。


そしてパッケージの中央には、「すぎのこ村」のお菓子がやはり大きく5本描かれていた。


で、この時どうしてパッケージが変更になったのかというと、お菓子の柄の部分が普通のビスケットから、ココアビスケットに変更になったからだった。


個人的にはクリーム色の柄の普通のビスケットの方が、見た目も味も好みだったので、「なんで変えたんだろう?」とずっと疑問に思っていたものだ。


そんな「すぎのこ村」なのだが、発売から数年で市場から姿を消すことになった。


どうも出荷数の減少がその原因だったらしい。


ところが「すぎのこ村」が店頭から姿を消して間もなく、「LUCKY MiNi」というチョコレート菓子が発売になる。


ちなみにこの「LUCKY MiNi」の元になっている「LUCKY」というお菓子は、グリコの「ポッキー」のような形状のチョコレート菓子である。


で、問題は「LUCKY MiNi」の方なのだが、なんとパッケージに描かれているお菓子の絵柄を見ると、驚くべきことに、「すぎのこ村」の形状そのものだったのだ。


「すぎのこ村」の時は、斜めに倒された向きでパッケージにレイアウトされていたのだが、「LUCKY MiNi」ではきれいに縦に並べられていて、見た目の印象はグリコの「アーモンドクラッシュポッキー」のようになっていた。


うまくカモフラージュされてはいるが、これはどう見ても「すぎのこ村」である。


終売になったと思ってがっかりしていた「すぎのこ村」に、まさかこのような形で再会するとは思ってもみなかった・・・・・・。


(画像上、ウツギの花は初夏の里山を代表する花と言っても過言ではないだろう。画像下、ゴールデンウィークの頃に羽化するアカボシゴマダラは白化する傾向がある・・・・・・)

2023年4月18日 (火)

ロッテの「ほおずき」

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1970~1980年代には、自然豊かな日本の原風景を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


ロッテから1982年に発売されていた「ほおずき」もそんな流れを汲むお菓子のひとつだった。


チョコレート菓子の「ほおずき」は、実際のほおずきの実の形を象っていて、空洞になっているチョコレートの内部には、ピーナッツボールが1つ入っていた。


また、「ほおずき」は少し乾燥して、外皮に割れ目が入った、本物のほおずきの実をイメージして作られていて、チョコレートの割れ目の部分から内部のピーナッツボールを覗けるようになっていた。


そして内部のピーナッツボールは、固定されている訳ではなくて、「ほおずき」を手に持って振ると、「カラカラ」と心地よい音が鳴るようになっていた。


そしてこの細工こそが、「ほおずき」というチョコレート菓子の売りにもなっていたのである。


いま考えると、150円で買えるチョコレート菓子に、よくこんな手の込んだ細工を施したものである。


冒頭でも書いたように、当時は自然豊かな日本の原風景をテーマにしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていたので、他のメーカーとの差別化を図るためにも、この細工は必要と考えたのかもしれない。


しかしその後は、こんな手の込んだ細工が施されたお菓子は見たことがなかったので、コスト的には恐らくギリギリだったのではないだろうか・・・・・・。


で、この「ほおずき」は、テレビCMも数種類作られて、しばしば放映されていた。


ロッテのお菓子のCMというと、冒頭に角笛を吹くキャラクターが登場するのが定番となっているが、じつは当初、このキャラクターは実写だったのをご存じだろうか。


スイスの山々を背景に、民族衣装を着て、角笛を持った女性を手前に配置。


その後方には、アルペンホルンを吹く男性がズラリと並ぶ。


そして、手前の女性が角笛を「ブッブ、プ~!」と吹くのだ。


ちなみにこの「ブッブ、プ~!」は、ロッテのCMでお馴染みの、あのメロディである。


そしてそれを合図にCM本編がスタートする。


CM冒頭では「とうりゃんせ」をして遊んでいる着物姿の少女たちが映し出される。


いったい何時代の設定なのだろう。


年長の少女がほおずきを1つもいで手の平に乗せると、あっという間にチョコレート菓子の「ほおずき」に変わって行く。


まるでマジックである。


そしてここでナレーションが入るのだが、「チョコの気持ちがよ~く似合うでしょ?チョコのほおずき」と、いま考えると、ちょっと意味不明なことを言っており、思わずひと言つっこんでやりたくなる。


そして着物姿の少女たちが横一列に並んで、「ほおずきチョコレート」を振って、カラカラと音を鳴らしながら食べ始めCMは終了となる・・・・・・。


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そしてこれ以降に公開された、別バージョンのCMからは、CM冒頭の角笛のシーンが、あのお馴染みの絵柄のキャラクターに変更になる。


ただし、「ブッブ、プ~!」というあのメロディは、実写の頃と全く同様である。


ほおずき市(いち)が舞台のCMでは、露店の前に豆絞りの手拭いを巻いたハッピ姿の店主がいて、「ヘイ、いらっしゃい!ほうずきいかが?」と道行く人に声を掛けて来る。


どうでもいいが、この店主の出で立ち、どこかで見たような気がするなと思っていたら、「ペヤングソース焼きそば」のCMの屋台の店主と全くいっしょなのだ。


どうやら昭和の頃は、豆絞りの鉢巻きに、紺色のハッピ姿というのが、露店や屋台の店主のイメージの定番だったようだ。


そしてその露店の前を、女の子たちがほおずきチョコレートを振って、カラカラと音を鳴らしながら歩いて行く。


その様子を露店の店主が不思議そうに見つめながら、「チョコレートかい?」と聞いて来る。


そしてここで、「美味しい音がする、ほおずきチョコレート」とナレーションが入る。


そして映像ではほおずきチョコレートの内部の仕組みが紹介されて行く。


最後に店主の「食われちゃうね、こりゃ」というセリフでCMは終了となる・・・・・・。


また、別バージョンのCMでは、植物のほおずきや花、うさぎなどのイラストをバックに、ほおずきチョコレートを持った手のクローズアップ映像が流され、「カラコロと美味しい音が響きます。ほおずき形のチョコレート」とナレーションが入る。


最後にお姉さんがほおずきチョコレートを1つ口に入れてCM終了となる・・・・・・。


おばあちゃんと孫が登場するバージョンもあった。


ほおずきが生っているのを見つけて、「うわぁ~、きれいなほおずき!」と女の子が感動している。


それを見ていたおばあちゃんが、「今の若い人は、ほおずきを鳴らせるのかしら?」と、ほおずきの皮を剥いて行く。


すると映像はほおずきチョコレートに切り替わり、女の子が「ほら、カラコロ!」と言いながら振って見せる。


それを見ていたおばあちゃんが、「まあ、ハイカラなチョコだね~」と言ったところでCMは終了となる・・・・・・。


このように「ロッテのほおずき」は、CMが複数作られていたのだが、そのどれもがほおずき形のチョコレートを振ると、「カラコロと音が鳴りますよ」という部分が強調されていた。


本物のほおずきは振っても音などしないのだが、他メーカーとの差別化という意味で、この「カラコロ」という音は、このお菓子の最大の売りになっていたということがよく分かる。


販売終了になると分かっていたら、もっとたくさん振っておいたのにな~・・・・・・。


(画像上、植物の芽吹きでやわらかい色合いに染まった里山。画像下、林縁ではヒトリシズカがひっそりと開花していた・・・・・・)

2022年12月19日 (月)

おにぎり村

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1970~1980年代には、「自然豊かな日本の原風景」を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


そのほとんどは、現在ではもう発売されていないが、明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は根強い人気で、現在でも継続して販売されている。


当時わたしは、それらのお菓子の世界観になぜかとても惹かれ、新しいパッケージを見つけるたびに、親に買って欲しいとねだっていたものである。


1981(昭和56)年にロッテから発売になった「おにぎり村」もその中の一つで、他社のお菓子とは違う、おにぎりの形をしたビジュアルがとても斬新に感じたのを覚えている。


おにぎり村のパッケージイラストには、茅葺き屋根の古民家が描かれていて、その背景には緑の雑木林と、その奥に小高い茶色い山が3つ描かれていた。


そして抜けるような青空には、スズメが2羽舞うように飛んでいた。


で、パッケージの右側には、おにぎり村のお菓子のイラストが描かれているのだが、その様子はどう見てもおにぎりには見えなかった。


一応、形だけは、三角形のおにぎりの形をしているのだが、パッケージのイラストを見る限り、ご飯や海苔の姿はどこにも見当たらず、なんだか「いなり寿司」のような見た目をしていた。


そしてパッケージのイラストをさらに詳しく見ていくと、油揚げ(ではないのだが・・・)に包まれているのはご飯ではなくて、どうもピーナッツ入りのチョコレートのようだった。


そのイラストを見てしまうと、「おにぎりじゃないじゃん」と、思わず口走りそうになるのだが、これはお菓子屋の店頭に並べられているお菓子なので、当然と言えば当然の話である。


じつはいなり寿司の油揚げのように見えていたのは最中(もなか)の皮で、この中にピーナッツ入りのチョコレートが入っていたのである・・・・・・。


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で、ロッテではチョコレート菓子の「おにぎり村」の姉妹商品として、1981(昭和56)年にアイス版の「おにぎり村」も発売している。


アイス版の「おにぎり村」は、なんとパッケージまで三角形のおにぎりの形をしていて、お店のアイスクリームケースの中でひときわ目立っていたのを覚えている。


そしてアイス版の「おにぎり村」は、日本昔話風のテレビCMがとても印象的だった。


CMでは茅葺き屋根の古民家に住む少年が、囲炉裏の前でおにぎりをにぎっている。


そして庭にはエサをついばむ放し飼いのニワトリの姿がある。


この映像のバックには、「親孝行の子供がおにぎりを畑に届けた」という昔話風のナレーションが流れている。


そして場面は畑のシーンに切り替わり、ほっかむりをした少年の父親の姿が映し出される。


どうでもいいが、少年は頭頂部が尖ったおにぎり型の頭をしているのに、なぜかその父親は顎の方が尖った逆三角形の頭部をしている。


これで本当に親子なのかと疑問に感じるところだが、父親がほっかむりを取ると、なんと子供と同じ頭頂部の尖った三角形の頭に「ぷるんっ!」と戻って行くのだ。


「いったいどんな頭の構造をしているんだよ!」とひと言つっこんでやりたくなる。


そして父親は届けてもらったおにぎりを、「おお、うまそうじゃ。中はアイスかの~」と言って食べ始める。


「え?少年は確かおひつの中から、温かいご飯を取り出しておにぎりをにぎっていたよね?」という気がしないでもないが、CMはそんな視聴者の疑問を一切無視してどんどん進んで行く。


そして場面は引きの映像に切り替わり、父親がおにぎりをうっかり地面に落としてしまい、おにぎりが坂をコロコロと転がり始める。


「あれ、確か平らな畑でおにぎりを食べていたはずなのに・・・?」という気がしないでもないが、CMはそんな視聴者の疑問を一切無視して、「ロッテアイスおにぎり村」という締めくくりのナレーションと共に強制終了することになる・・・・・・。


で、このアイス版おにぎり村だが、CMで少年の父親が「中はアイスかの~」と言っていた通り、三角のおにぎりの形をした最中(もなか)の中には、バニラアイスがぎっしりと入っていた。


パッケージのイラストを見ると、チョコレート菓子のおにぎり村と同様に、まるで三角形のいなり寿司のようなものが描かれているのだが、イラストでは先端がカットされていて、中身が見えるようになっていた。


それを見ると中身はまるで本当のおにぎりのように見える。


そしてその中央には、おにぎりの具材の梅干しのようなものまで描かれていたのだが、ほとんどの人はこれを見て、「これはイメージだろう」と思っていたと思う。


ところが実際に商品を買って、アイス版おにぎり村を食べてみると、アイスの中央には梅干しに見立てたイチゴジャムが入っていて、断面だけはまるで本物のおにぎりのように見えて、当時の子供たちは大喜びだったのである。


そんな訳でお菓子(おにぎり)そのものの完成度という意味では、アイス版おにぎり村の圧勝といえるだろう・・・・・・。


(画像上、初冬の公園のベンチでは人ではなく銀杏が休憩中。画像下、越冬中のアカスジキンカメムシが「こんにちは!」・・・・・・)


2022年10月20日 (木)

つくんこ

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昭和の頃に発売されていた、「つくんこ」というチョコレート菓子をご存じだろうか。


「つくんこ」はつくしの形をしたチョコレート菓子で、棒状のクラッカーにチョコレートを加えて、つくしの形に仕上げられていた。


分かりやすくいうなら、「きのこの山」の「つくし版」である。


以前、昭和の頃に森永製菓から発売されていた、「森のどんぐり」と「くるみの森」について書かせてもらったが、「つくんこ」は一足遅れて発売になった姉妹商品だった。


ちなみに「森のどんぐり」と「くるみの森」は、1977(昭和52)年発売、「つくんこ」は1983(昭和58)年の発売だった。


じつは森永製菓に限らず、1970~1980年代は、このような日本の野山を題材としたチョコレート菓子がたくさん発売されていたのだ。


現在でも買うことが出来る、明治の「きのこの山」と「たけのこの里」も、その中の一つで、「きのこの山」は1975(昭和50)年、「たけのこの里」は1979(昭和54)年から発売されている歴史の古いお菓子なのである・・・・・・。


で、どういう訳かこれらの商品は、どれも外箱の形状やパッケージのデザインが、まるで示し合わせたかのようによく似ていた。


そしてそれは「つくんこ」も例外ではなかった。


「つくんこ」の外箱の形状は、「きのこの山」や「たけのこの里」と同様で、箱の前側からミシン目に沿って、カパッと開ける仕組みになっていた。


そしてパッケージのデザインはというと、草原の中に立つ一軒の民家があって、家の後ろ側は木々に囲まれた、自然豊かな光景が描かれていた。


そしてこのような絵柄は、1970~1980年代にお菓子メーカー各社から発売になっていた、日本の野山を題材としたチョコレート菓子には、定番のデザインだったのである。


明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は、自然豊かな環境の中に建つ民家が、まるで昔話に出て来るような、かやぶき屋根の家だったが、森永の「森のどんぐり」や「つくんこ」では、洋風の一軒家になっていた。


「つくんこ」の民家は、茶色い屋根の洋館が大きめに描かれていて、建物の左側にはレンガで作られた大きな煙突があり、建物の右側には、とんがり帽子の屋根の塔が併設されていた。


そして洋館の左の繁みからは、一匹のノウサギがひょっこりと顔を出してこちらを見ている。


また、パッケージイラストの上部には、大きくひらがなで「つくんこ」と書かれていて、その下の森の背景に被せるように、「つくしの つくんこ つんでごらん」と小さな文字で書かれていた。


そして主役である「つくんこ(お菓子)」は、パッケージの左右の隅に2本ずつデザインされていた。


1970~1980年代に各社から発売されていた、日本の野山を題材としたチョコレート菓子は、パッケージのデザインを見せることを重視していて、お菓子そのものはこのように控え目に配置されているものが多かったように思う・・・・・・。


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また、「つくんこ」が発売になった1980年代は、アイドル全盛と言われた時代で、お菓子のCMにはよく女性アイドルが起用されていた。


そしてそれは「つくんこ」も例外ではなく、CMには柏原芳恵さんが出演されていたのを覚えている。


CMは柏原芳恵さんがおばあちゃんといっしょに座っているシーンから始まる。


そして柏原さんがおもむろに「つくんこ」を手に取り、「こっちから食べるとつくんこで、こっちから食べるとこんくつ」と、おばあちゃんに説明している。


するとおばあちゃんは「つくんこ」を2本、互い違いに持って、「あたしゃ、こうして食べますよ」と言う。


そして柏原さんが「つくんこ」を食べ、おばあちゃんが「どう?」と感想を聞いたところで、「も~り~な~が、つ~くんこ ♪」という歌が流れてCMは終わる。


また、別バージョンのCMでは、柏原さんとおばあちゃんがピクニックに出かけようとしている様子で、2人はリュックを出して来て、色々と準備をしている。


そして柏原さんが「おばあちゃんはコレね。つくんこは私が持って行くね」というと、おばあちゃんが「わ~た~し~よ~」と言い返す。


すると柏原さんも引かず、「わ~た~し~!」と、どちらがつくんこを持って行くかで言い合いになっている。


そしてここで、「つくしタイプのスナックチョコ、も~り~な~が、つ~くんこ ♪」とナレーションと歌が流れるのだ。


最後におばあちゃんの「1本だけですよ」というセリフと同時に、柏原さんがつくんこを摘まみ食いをしてCMは終了となる。


ちなみにCMに出演していたおばあちゃんは、当時おばあちゃんタレントとして人気だった浦部粂子さんだった。


そしてCMの最後には、「森のどんぐり」と「くるみの森」のパッケージ画像が差し込まれ、「つくんこ」と姉妹商品であることをアピールしていた。


昭和の頃に森永製菓から発売になっていた、「森のどんぐり」、「くるみの森」、「つくんこ」は、いつの間にか販売終了となっていて、現在ではもう買うことは出来ない。


私はこれらの商品の世界観が大好きで、いつかまた復刻してくれることを信じて、日々、お菓子売り場を徘徊しているのである・・・・・・。


(画像上、里山で秋に咲くアザミの1つ、タイアザミ。画像下、触角が格好いいね、ショウリョウバッタモドキ・・・・・・)


2022年9月 2日 (金)

「森のどんぐり」と「くるみの森」

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▲じつは明治の「きのこの山」は1975(昭和50)年から発売になっている歴史の古いチョコレート菓子なのである・・・・・・。

チョコレート菓子の「きのこの山」と「たけのこの里」を知らない人はいないだろう。


じつは1970~1980年代には、このような日本の野山を題材としたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


明治から発売されている「きのこの山」と「たけのこの里」もその中の1つで、「きのこの山」は1975(昭和50)年、「たけのこの里」は1979(昭和54)年から発売されている、歴史の古~いお菓子なのである。


当時、お菓子メーカー各社から発売されていた、日本の野山を題材としたチョコレート菓子は、そのほとんどが現在ではもう終売となっており、「きのこの山」と「たけのこの里」は、その生き残りということになるだろう・・・・・・。


そんな訳で、このようなスタイルのチョコレート菓子は、明治の専売特許という訳ではなくて、1977(昭和52)年には森永から、「森のどんぐり」と「くるみの森」というチョコレート菓子が発売になっていた。


パッケージの形やデザインを見ると、これはどう考えても、1975(昭和50)年に先行して発売されていた、明治の「きのこの山」を意識したものであったようだ。


「森のどんぐり」のパッケージデザインは、草原の中を手前から奥に向かって続く一本道があって、その終点には一軒の赤い屋根の家が建っていた。


そして赤い屋根の家の後ろ側は森になっていて、そこが自然豊かな環境であることがよく分かる絵柄となっていた。


じつはこれ、「きのこの山」のパッケージデザインとたいへんよく似ていて、民家へと続く一本道の位置や、手前に草原があって、奥に森がある位置関係なども、全くいっしょという訳ではないのだが、そっくりな構図だったのである。


ただ、一つ決定的に違うのは、「きのこの山」では一本道の先にある一軒の家が、茅葺屋根の日本家屋であるのに対して、「森のどんぐり」では赤い屋根の洋風建築の家になっていることだ。


このことからも、明治の「きのこの山」をかなり意識した商品であったことがよく分かる。


で、肝心の中身の方はというと、どんぐりの形をしたクッキーをチョコできれいに包んだ、丸いチョコレート菓子だった。


ちなみにこの「森のどんぐり」は、発売当時はキャンディーズがテレビCMをやっていたようだ。


私は全く記憶にないのだが、コーラス隊に扮したキャンディーズが、「どんぐりころころ、どんぐりこ~、お口に入って、ああ、美味しい~ ♪」と歌っていたそうだ。


そしてナレーションが、「森永チョコレート、森のどんぐり。どんぐり勘定130円」と、なかなかうまいことを言って終了となる・・・・・・。


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▲明治の「たけのこの里」は、「きのこの山」から4年遅れて、1979(昭和54)年に発売になった・・・・・・。

ちなみに森永製菓は、この「森のどんぐり」と同時期に、「くるみの森」というチョコレート菓子も発売している。


1977(昭和52)年のことである。


「くるみの森」もパッケージの形は、明治の「きのこの山」と同じスタイルだ。


パッケージのデザインは「森のどんぐり」ほど、「きのこの山」を意識してはいなかったが、やはり自然豊かな日本の野山を題材とした絵柄になっていた。


「森のどんぐり」は中身のお菓子の絵柄は右端に寄せられていて、背景の絵柄を強調するデザインになっていたが、「くるみの森」では中身のお菓子の絵柄を中央に持って来て、ゴロゴロとしたくるみの形を強調するものとなっていた。


で、「くるみの森」がどんなお菓子だったのかというと、くるみの形をしたクッキーをチョコレートでくるんだチョコレート菓子だった。


どうやらクッキーをチョコでくるんでいるから「くるみ」ということらしい。


当時は全く気にしていなかったと思うのだが、今だったら、「肝心のくるみは入っていないんかいっ!」と、ひと言つっこんでやりたい気分でいっぱいである。


ちなみに「くるみの森」のテレビCMには、子役時代の観月ありささんが出演していた。
当時はまだ5歳だったそうである。


CMでは沖田浩之さんと共演していて、なぜか森の中の切り株をテーブル代わりにして、「くるみの森」を食べようとしている2人がいる。


そして沖田が「くるみの森、少し残しておこうね」と観月に語り掛ける。


すると観月が「リスが食べに来るかもしれないね」と返す。


どうでもいいが、リスにチョコレートを与えたりしてはいけないのは言うまでもない。


そして切り株の上に「くるみの森」を置いて食べ始める2人。


その後、2人が残しておいた「くるみの森」を、シマリスが2匹食べにやって来て、「少し残しておこうね。人間が食べに来るかもね」と話しているという衝撃の展開に。


その様子を隠れて見ていた観月が「あれ~!」とひと言。


そして最後に沖田が「おいしいスナックチョコ、森永くるみの森。いっしょに食べないかい?」とカメラに向かって語り掛けるのだ。


どうでもいいが、当時はこんな風に男性アイドルがカメラに向かって語り掛けるCMがよくあったように思う。


当時は学校でそれをマネして、「僕といっしょにおしっこにいかないかい?」と友達を連れションに誘ったり、家では母に「僕にファミコンゲームを買ってあげたらどうだい?」などと言って鼻で笑われたりしていたものだ。


そしてCMの終わりには、必ず「くるみの森」と「森のどんぐり」を並べたカットが入れられて、姉妹商品としてアピールしていた。


「森のどんぐり」と「くるみの森」は、同じ時期に発売された商品ということもあって、当時はこのようにいっしょに広告展開されていたのだ。


個人的にはどちらの商品もあまり食べた記憶は残っていなくて、もし復刻されるようなことがあったら、ぜひ食べてみたいと思っている。


そして、「ああ、そうだ!コレ、コレ!」と、当時のことを思い出したいと密かに思っているところだ・・・・・・。



2022年5月 5日 (木)

学研の科学と学習 ①

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私が小学生の頃、「まだかな、まだかな~、学研の~おばちゃんまだかな~、学研の~おばちゃん ♪」という、一度聴いたら忘れようのない、印象的な歌が流れるCMがよく放映されていた。


CMはいくつかのバリエーションがあったように記憶しているが、いずれのバリエーションのものも、遊んでいる小学生の元に、「学研のおばちゃん」が、学研の「科学」と「学習」を届けにやって来るというベタな内容だった。


「科学」と「学習」というのは、当時、学習教育出版社から出版されていた小学生向けの学習雑誌で、「科学」は理科、「学習」は国語や社会を取り扱った内容になっていた・・・・・・。


ちなみにこの「科学」と「学習」は、1946(昭和21)年に創刊されて、当初は学校で教師から配布される仕組みになっていたらしい。


それが1972(昭和47)年より、「学研コンパニオン」の制度が導入され、いわゆる「学研のおばちゃん」が自宅まで届けてくれるようになったのだそう。


CMでも「コンパニオンがお伺いします」とか、「学研のおばちゃんがお届けします」とか、「教育コンパニオンがお届けします」などのナレーションが入っていて、「自宅まで届けてくれる」ことが、この雑誌の売りの1つになっていたことは間違いないようだ・・・・・・。


ちなみに「科学」と「学習」は、学年別の雑誌になっていて、「〇年の科学〇月号」、「〇年の学習〇月号」と、学年が上がると、その教科書の内容に沿った内容のものが、毎月届けられる仕組みになっていた。


また、「科学」と「学習」は、両方購読することも、どちらか一方だけを購読することも出来た。


当時人気があったのは、「科学」の方で、私の周りでは「科学」だけを購読している者が多かったように思う。


ちなみに学研のおばちゃんは、自転車で雑誌を届けに来てくれていたのだが、自転車のかごの中を覗くと、やはり「学習」よりも「科学」の方が、たくさん入っていた記憶がある。


当時、学研の「科学」と「学習」が人気だったのは、魅力的な付録が毎月必ず付いて来るからだった。


「科学」の内容は理科だったので、主に生物と化学に関する付録が多かったように思う。


私は子供の頃から、生き物や植物が大好きだったので、生物系の付録が付いて来る月は特に楽しみで、学研のおばちゃんがピンポンを鳴らすのを、玄関で今か今かと待ち構えていたものである・・・・・・。


小学校低学年の頃というのは、学校の理科の授業では、毎年なにかしらの種を蒔いて観察をしていたものだが、「科学」の付録でも植物の種子は定番だった。


1年生の時に付いて来た朝顔の種は、発芽したものを鉢に移植したところ、なぜか学校で育てているものとは、比べ物にならないくらいでかくなった。


その様子はとても同じ種類のアサガオとは思えないほどだった。


そして朝顔はいつの間にか蔓がすだれを這い上がり、縁側のひさしまで到達し、まるでグリーンカーテンのごとく繁りまくり、室内を夕方のように薄暗くしていた。


縁側の朝顔はなぜか秋になっても枯れることはなく、季節外れの時期に、びっくりするほどたくさんの花を咲かせて、うちの家族を驚かせていたのを覚えている・・・・・・。


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3年生の時に付録として付いて来たエンドウ豆は、発芽して蔓が伸びて来ると、鉢では収拾がつかなくなり、仕方なく庭の物干しの横に場所を作って地植えにした。


すると蔓の勢いはさらに増し、あっという間に物干し竿まで到達した。


その後、2本並んでいた物干し竿の1本を、あっという間に横断して端まで行き着くと、今度は庭のサザンカの木をよじ登って繁って行った。


結局、物干し竿の1本は使えなくなったのだが、エンドウ豆の蔓は切られずにそのままにしてもらっていた。


なぜかというと、エンドウ豆は大きく生長してからは、毎日大きなザルに山盛り一杯の豆を収穫出来たからで、家庭菜園をはるかに超える収穫量に、母は台所で一人ほくそ笑んでいたものである・・・・・・。


ちなみにこの科学の付録のエンドウ豆、私より年齢が5~6歳下の人に話を聞くと、なんと「ツタンカーメンの紫エンドウだった」というではないか。


しかも、ピラミッドの形をした容器まで付いて来たというから驚きである。


私の時は緑色の普通のエンドウ豆だった記憶しかないのだが、いつの間にそんなミステリアスな豆に変更になっていたのだろう。


ところで「ツタンカーメンの紫エンドウ」とはそもそもなんなのか。


これについては、「古代エジプトのツタンカーメン王の墓からエンドウ豆が出土。そして三千年以上の時を経て発芽し現代によみがえった」というエピソードが、いつの頃からか日本各地に広まって、次第にそう呼ばれるようになって行ったものらしい。


当時はそのエピソードを信じている人が多かったようだが、実際のところは、日本から桜を贈った返礼品として、1956(昭和31)年にアメリカから伝わった豆だったようだ。


そして日本全国に広まって行ったのは、1983(昭和58)~1986(昭和61)年頃と言われている。


で、ちょうどこの頃に、なぜかマスコミが「ツタンカーメンのエンドウ、古代のロマンの輪を広げよう」という特集記事を書いたりして、噂が一気に広まり人気となったらしい。


当時マスコミは、紫エンドウの出所を知っていたはずなのに、なぜそんな記事を書いたりしたのか、全くもって謎としか言いようがない・・・・・・。


ちなみに紫エンドウというのは、鞘の色が紫色をしているエンドウ豆のことで、鞘の色以外は普通のエンドウ豆となんら変わらない。


だから鞘を割って中を見ると、緑色の豆がコロコロと出て来る。
いわゆるグリーンピースである。


ところが不思議なのは、この緑色の豆をお米といっしょに炊いて、グリーンピースご飯にすると、炊き立ては普通のグリーンピースご飯なのだが、しばらく保温の状態で置いておくと、まるで赤飯のような見た目に変化して行くのだ。


私にはツタンカーメンと紫エンドウが結びついたのは、この不思議な現象も一役買っていたように思えてならない・・・・・・。


(画像上、里山の林床で咲くエビネの花。画像下、ケヤキに守られるようにして花を咲かせるカントウタンポポ・・・・・・)

2021年10月13日 (水)

「謎フレーズ探偵」レインボーマンの替え歌③

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前回までの調査で、レインボーマンの替え歌には、大きく3つの系統があることが分かった。


まず、1つ目は、「インドの山奥で」の次の歌詞が、「でんでん虫かたつむり」になるもの。


そして2つ目は、「インドの山奥で」の次の歌詞が、「でんでんでん六まめうまいまめ」になるもの。


そして3つ目は、「インドの山奥で」の次の歌詞が、「出っ歯のハゲ頭」になるものだ。


そしてそのいずれの系統の替え歌も、元歌(レインボーマンの主題歌)の原形を留めているのは、冒頭の「インドの山奥で」の部分だけだった。


その後のフレーズについては、レインボーマンとは一切なんの関係もなく、歌詞を次々と繋げて行く、しりとり歌になっていた。


ちなみに私は、本家のレインボーマンの放送については、1回も見たことがないし、当時小学生の間で流行っていたと言われる替え歌の方も、歌っていた記憶は全くない。


ただ、不思議なことに、替え歌のメロディだけは、なんとな~く聴いたことがあるような気もするのだ。


これについては、今回レインボーマンの替え歌について情報提供をしてくれたAさんが、私が「知らない」と言うので、替え歌を実際に歌って聴かせてくれたことで判明した。


そこでこの謎を解くためにも、ちょっとレインボーマンについて、色々と調べてみることにした・・・・・・。


まず、「愛の戦士レインボーマン」がテレビで放送されていたのは、1972(昭和47)年10月6日から1973(昭和48)年9月28日までだった。


本放送当時は毎週金曜日の午後7時30分からの30分枠で放送されていたようだ。


番組のジャンルとしては、東宝制作による特撮ものということになる。


そしてその後、再放送があったのかどうかは定かではないが、少なくとも本放送当時の私は、まだ幼過ぎてとてもこのような特撮番組を理解出来る年齢ではなかった。


だからレインボーマン自体を、「見ていなかった=知らなかった」というのは、当然といえば当然のことなのかもしれない。


ところがレインボーマンの替え歌の方はというと、じつはレインボーマンの放送から、じつに20年以上もの間、小学生の間で代々歌い継がれて来たそうで、むしろ元歌を知らないで歌っていた世代の方が多かったようなのだ。


だから私も替え歌の方は知っていてもおかしくはないはずなのだ・・・・・・。


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そして更に調査を進めて行くと、じつはレインボーマンは、1982(昭和57)年10月10日から1983(昭和58)年3月27日まで、TBS系列でアニメ版が放映されていたようなのだ。


本放送当時は毎週日曜日の午後1時30分からのサンデーアニメプレゼント枠で、「時空要塞マクロス」との2本立てで放映されていたという。


私はマクロスの方はなんとな~く記憶にあるが、レインボーマンの方はアニメ版の方も全く記憶に残っていない。


ということは、恐らく見ていなかったのだろう。


私の記憶にはないものの、レインボーマンは特撮版の放映から10年後に、アニメ版がテレビで放映されていたことが分かった。


恐らくこのことが、替え歌のロングランに少なからず影響していたのではないだろうか・・・・・・。


で、この話を今回の情報提供者のAさんに話したところ、「それだったら、CMの影響の方が大きかったんじゃないか?」と言われた。


私はAさんの言う「CM」についても、すっかり忘れてしまっていたので、Aさんに1から説明してもらったところ、「サザンサザン」という運動靴のCMに、レインボーマンの替え歌が使われたことがあったのだそうだ。


そして、「あのCMはさんまがやっていたから、影響力という意味じゃ、本家以上だったろうよ」と言うのだ。


そこでちょっと調べてみたところ、1987(昭和62)年にシューズメーカー、アキレスの運動靴、「サザンサザン」のCMで、明石家さんまさんが、確かにレインボーマンの替え歌を歌っていたようなのだ。


ただしこれは、本来の替え歌とは歌詞が違っていたようで、どうやらCM用に書き下ろされたものらしい。


そのCMに使われていた替え歌がこちら(↓)。


「CMの替え歌」

インドの山奥(で)
電報打った(ら)
らっきょが転が(り)
りきんだ拍子(に)
二年の春だ(よ)
予習も忘れ(て)
天下一品、サザンサザン


私がレインボーマンや、その替え歌については知らないのに、メロディだけはなんとなく聴いたことがあると感じていたのは、どうやらこのCM の影響のようだ。


そして、この運動靴のCMが放映された1987(昭和62)年は、レインボーマンの特撮版が放映されてから、じつに15年も後のことになる。


それにも関わらず、レインボーマンの替え歌がCMに採用されたということは、当時の小学生の間では、まだまだレインボーマンの替え歌が流行っていたということなのだろう。


そして恐らく、このCMが再ブレイクのきっかけとなり、その後もレインボーマンの替え歌は90年代まで、小学生たちの間で、脈々と歌い継がれて行くことになったのである・・・・・・。


(画像上、見事に枝垂れたハギの花。画像下、今年は二回咲いてくれたキンモクセイの花)

2021年10月 7日 (木)

「謎フレーズ探偵」レインボーマンの替え歌 ②

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前回からレインボーマンの替え歌について調査を始めた。


そしてレインボーマンの替え歌には、いくつかの特徴を持った系統があることが分かった。


で、前回ご紹介したものは、「インドの山奥で」の次の歌詞が、「でんでん虫かたつむり」になるものだった。


今回はこれとは別系統のものを、順を追ってご紹介して行きたいと思っている。


皆さんが覚えているレインボーマンの替え歌は、はたしてこの中にあるだろうか・・・・・・。


「替え歌 C」

インドの山奥(で)
でんでんでん六豆、うま~いま(め)
めーだーかーの学校は~、か~わ~の~な(か)
か~ら~す~、なぜ鳴くの~、からすはや~ま~(に)
にんにく食べたら屁が
ぽっぽっぽ~、ハトぽっぽ~


レインボーマンの替え歌は、いわゆる繋ぎ歌になっており、歌詞の()の部分は歌わずに、歌詞を次々と繋げて歌って行く「しりとり歌」である。


そしてこの替え歌Cでは、「インドの山奥で」の次の歌詞が、必ず「でんでんでん六豆、うま~い豆」になる特徴がある。


もはや言うまでもないと思うが、「でんでんでん六豆、うま~い豆」とは、株式会社でん六が発売する豆菓子、「でん六豆」のCM曲のフレーズである。


このことから、でん六豆は当時からすでに売られていた歴史あるお菓子であることが分かる。


そしてこの替え歌Cでは、その後のフレーズを、各種の童謡で歌い繋いで行く特徴があり、最後が「ぽっぽっぽ~、ハトぽっぽ~」で終わるものと、そこからもう少し、歌詞を繋いで行くものとに分かれる。


で、「ハトぽっぽ~」の後に、もう少し続くものの一例がこちらになる(↓)。


「替え歌 D」

インドの山奥(で)
でんでんでん六豆、うま~いま(め)
めーだーかーの学校は~、か~わ~の~な(か)
か~ら~す~、なぜ鳴くの~、からすはや~ま~(に)
にんにく食べたら屁が
ぽっぽっぽ~、ハトぽっぽ~
ま~めが欲しいかそらやる(ぞ)
ぞ~さん、ぞ~さん、お~はなが長いのね~
そ~よ母さんもな~がいのよ~


じつはここから更に続いて行くものもあるのだが、そのいずれもが、でん六豆の歌詞の後は、なぜか全て童謡で繋いで行っており、それがこの系統の特徴にもなっている。


そしてもう1つの特徴としては、替え歌AやBのように冒頭の歌詞へのループはしないという点だ。


そして替え歌CとDで一つ指摘しておきたいのは、「なぜ、にんにくを食べて屁が出るのか?」ということと、屁が出たのなら、「ぽっぽっぽ~」ではなくて、「ぷっぷっぷ~」ではないのかという点だ。


このようにこの部分に関しては、「かなり強引」としか言いようがないのだが、「でん六豆系統」の替え歌には必ず採用されている一節なので、当時の子供たちの間では、かなり重要視されていたワンフレーズということになるのだろう。


まあ、小学生は「おなら」とか「うんこ」が大好きだから、是が非でも残したいフレーズだったのだろう・・・・・・。


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さて、ここからは替え歌C、Dとは、また別系統の替え歌になる。


歌詞が短いものが多いので、いくつか続けてご紹介することにする。
それではどうぞ(↓)。


「替え歌 E」

インドの山奥(で)
出っ歯のハゲあた(ま)
まんじゅう食いたい(な)
菜っ葉のおみおつ(け)
けんかが止まらな(い)
インドの山奥で(冒頭へループして行く)


「替え歌 F」

インドの山奥(で)
出っ歯のハゲあた(ま)
ま〇こに毛が生え(た)
たぬきの立ち小便


「替え歌 G」

インドの山奥(で)
出っ歯のおじさん(が)
がいこつひろって死んじゃった


替え歌E~Gでは、「インドの山奥で」の次の歌詞が、必ず「出っ歯のハゲ頭(おじさん)」になるという特徴がある。


そしてこの系統は、歌詞が長続きせず、とにかく短くてあっという間に終わってしまうものが多いようだ。


また、今回調査したものに関しては、「出っ歯のハゲ頭(おじさん)」に続く次の歌詞が、「まんじゅう食いたいな」になるものと、「ま〇こに毛が生えた」になるものにきれいに分かれた。


「ま〇こに毛が生えた」に関しては、もう完全に下ネタで、当時こんなフレーズを小学生が学校で、大きな声で歌っていたのかと思うと、思わず「プッ!」と吹き出してしまう。


ま〇こに毛が生えたことを世間に公表して、いったいどうしようというのか。


また、なぜか歌詞は異常に短いが、「がいこつを拾ってどうにかなる」系もそこそこ見られた。


じつはこのレインボーマンの替え歌、全国の小学生の間でじつに20年近くの間、歌い継がれて来たらしい。


当然、元歌を知らないで歌っている世代の方が多かったと思われる。


という訳で、次回はなぜレインボーマンの替え歌が、そんなに長きに亘り、歌い継がれて来たのかについて調査して行きたいと思っている・・・・・・。


(画像上、道端でひっそり咲く、アレチヌスビトハギの花。画像下、フェンスに絡んで咲いていたガガイモの花)


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