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2024年5月29日 (水)

「謎フレーズ探偵」グッとパーでわかれましょ ①

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私が小学生の頃、チーム分けが必要な遊びをする時は、グーとパーのどちらを出すかで、集団を2つに分けていた。


例えば野球やキックベース、ドッチボールなどの球技や、ケイドロをはじめとする鬼ごっこで遊ぶ時がそうである。


で、このグーとパーによるチーム分けなのだが、いろいろな人に話を聞いてみると、地域によってその掛け声に様々なバリエーションがあることが分かった。


ちなみにここでいう「地域」とは、都道府県などの広い範囲だけではなく、市区町村などの狭い範囲も指している。


現実に私が子供の頃には、中学に進学して、他の地域に住むクラスメートと交流するようになると、それまでは聞いたこともなかったような掛け声で、チーム分けをしようとするものが現れて、たいへん驚いたものである・・・・・・。


ちなみに私が小学生の頃に、チーム分けに使っていた掛け声は、以下のようなものだった。


(掛け声 A)

「グッとパーでわかれましょ」


私の記憶ではチーム分けの際は、ほぼ100%といってもいいぐらい、この掛け声だったと思う。


(掛け声 B)

「グットッパ」


時間がない時や、何らかの理由で急いでチーム分けをしなくてはいけない時などはこれだった。


恐らくこの掛け声は、その使い方から考えても、「グッとパーでわかれましょ(A)」を短縮したものと考えるのが自然だろう。


私が小学生の頃に使っていた、チーム分けの際の掛け声は、この2つだけで、これ以外の掛け声は、当時は聞いたことがなかった。


ちなみに私は神奈川県の横浜市出身である・・・・・・。


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中学に進学して、他の地域に住むクラスメートと交流するようになると、これらの掛け声にバリエーションが存在していることを知ることになりたいへん驚いた。


そしてそれは、掛け声A、掛け声Bともに存在していたのである。


それがこちらになる(↓)。


(掛け声C)

「グッとパーであえばいい」


これは掛け声Aのバリエーションと思われる。


個人的には小学生の頃は、ず~っと「グッとパーでわかれましょ」に慣れ親しんでいたので、正直なところ、「グッとパーであえばいい」には違和感しかなくて、「あえばいいとは、いったいどういう意味だろう?」とずっと思っていた。


これについては、いま考えても、思わず頭を捻ってしまうのだが、恐らく「数が合えばそれでいい」という意味だったのだろう。


しかし、それって、日本語としてどこかおかしくはないだろうか。


そう考えると、もともとの掛け声はどうもAのような気がする・・・・・・。


(掛け声D)

「グッチッパ」


これはどう考えても、掛け声Bのバリエーションだ。


なぜ、「グットッパ(B)」が「グッチッパ(D)」になったかは定かではないが、恐らくこの掛け声は、「グーチョキパー」を短縮したものだと思われる。


しかし、チーム分けにはチョキを使うことはないのに、なぜこのような掛け声になったのか疑問に感じる。


そしてこの掛け声については、さらなるバリエーションがあった。


(掛け声E)

「グッパッパ」


グーとパーで分かれるから、「グッパッパ」なのだろうが、これでは「パ」が1つ多い気がする。


そんな訳で、個人的にはもう一捻り欲しいところだ。


(掛け声F)

「グッパッしょ」


最初、「しょ」とは何のことだろうと思っていたのだが、掛け声のリズムからして、どうもジャンケンをする時の、「あいこでしょ」の「しょ」のようだった。


そう思って、「しょ」はひらがな表記にしてみた。


恐らく「グッパ」ではリズム感が悪いので、「あいこでしょ」の「しょ」を語尾に強引に付けてみたということではないだろうか・・・・・・。


そんな訳で、「グットッパ(B)」、「グッチッパ(D)」、「グッパッパ(E)」、「グッパッしょ(F)」という一連の短縮系の掛け声のもとは、「グットッパ(B)」ということになりそうだ・・・・・・。


(次回②へ続くよ・・・・・・)


(画像上、風車のような形をしたヤマボウシの花・・・・・・。画像下、甘い香りを漂わせながら、スイカズラがたくさんの花を咲かせている・・・・・・)


2024年5月23日 (木)

「昭和の遊具」雲梯

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最近、「小学校の校庭が嫌にすっきりしてしまったなぁ」と思っていたところ、私が通っていた当時にはあったはずの遊具が、ことごとくなくなってしまっていることにふと気付いた。


そのうちのひとつが「雲梯」である。


雲梯とは梯子をアーチ状にしたような遊具で、私が子供の頃には学校には必ず設置されていたものだ。


私の母校にあったものはアーチ状のものだったが、他にも梯子の部分が水平になっているものや、山形になっているもの、また、梯子ではなく吊り輪になっている特殊なタイプもあったようだ・・・・・・。


遊び方としては、梯子状の持ち手の部分にぶら下がり、右手、左手と交互に使いながら、前へ前へ進んで行き、端まで行き着いたらゴールになる。


例えるなら木の枝から枝へ、腕の力だけで移動して行く、お猿さんのイメージだ。


このため雲梯をサクサクとリズミカルに進んで行くことが出来る者は、男女問わず高確率で、「オランウータン!」とか「モンキー!」という掛け声を掛けられていたものだ・・・・・・。


ところでこの雲梯で遊ぶためには、ある程度の腕の筋力が必要になる。


このため小学校低学年の頃は、雲梯で遊ぼうなんてやつはほとんどいなかった。


しかし、学年が上がるにつれて、次第に筋力もついて来て、梯子の持ち手を、1つ飛ばしや2つ飛ばしで持ち替えながら、前へ前へ進んで行く者も現れるようになって来る。


この頃になると、自分が少しずつ猿に近付いて行っているのを、なんとなく実感出来たものである。


雲梯を端から端までクリアした者は、今度は梯子の上へよじ登り、まるでイグアナのような姿勢で、反対側まで歩いて行くという、離れ業を身に着けていった。


一見かっこうよく感じるのだが、よく考えてみれば、これは哺乳類から爬虫類への退化であることを忘れてはならない・・・・・・。


ところでこの雲梯だが、いま考えると、遊具というより身体を鍛える目的の設備だったような気がする。


というのも、雲梯は体育の授業にも取り入れられていたからだ。


雲梯をスムーズに渡って行くためには、握力や腕の筋力が必要なのはもはや言うまでもない。


さらに腕を交互に繰り出して、常に一定のペースで持ち手を持ち替えて行かないと、バランスを崩して途中で落下してしまうことになる。


雲梯にはリズム感が必要なのだ・・・・・・。


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また、端から端まで落下することなくゴールするためには、ある程度の持久力も必要になって来る。


雲梯は日常的に遊ぶことで、握力や腕の筋力、腹筋や背筋、持久力やリズム感まで、効果的に鍛えることが出来るのだ。


遊んでいるだけで、自然に身体を鍛えることが出来るのだから、子供の成長に伴う筋力の向上にとって、こんなに理想的な遊具はないといえるだろう・・・・・・。


では、そんな優秀な遊具だった雲梯が、なぜなくなってしまったのだろうか。


これについては、いくつかの要因があったようだ。


1つは雲梯は跳び箱などと違って、校庭に常に設置されている遊具なので、子供たちがいつでも自由に遊ぶことが出来たこと。


自由に遊べるということは、先生や大人の見ていない所で、何が起こってもおかしくないということだ。


例えば学校帰りにランドセルを背負ったまま、雲梯の上へあがって遊んでいた子供が、持ち手の梯子の部分にひっかかってしまい、宙吊りになって動けなくなってしまったなどの事故が起きていたようなのだ。


誰かがいっしょにいれば、すぐに発見してもらえるのだが、1人で雲梯に宙吊りになっている様子は、なんとも間抜けとしか言いようがない。


ランドセルを下ろさずに、横着をした結果がこれである・・・・・・。


そして、このような事故は決して少なくなかったようで、どうやらこれが危険と判断されたらしい。


また、そのような事故以外の要因としては、子供の体力低下が挙げられるという。


昔は学校のスポーツテストで、「懸垂」という種目が必ずあった。


ところが現在では、懸垂が1回も出来ない生徒が急増して、1999(平成11)年頃に、懸垂の種目は廃止になってしまっている。


懸垂を1回も出来ないなんて、私が子供の頃にはちょっと考えられない話だが、確かに懸垂が出来なければ、雲梯で遊ぶことなんて、絶対に不可能だろう・・・・・・。


私が小学生の時の卒業アルバムを開いて見ると、雲梯に数名ずつぶら下がって撮ってもらった写真や、みんなでジャングルジムに捕まって撮った写真など、遊具で撮った写真がたくさん収められている。


しかし、現在の小学校の校庭には、鉄棒以外の遊具は、何もなくなってしまった。


そんな風景を眺めていると、いまの卒業アルバムは、きっと寂しいことになってしまっているのだろうなぁと思わずにはいられない・・・・・・。


(画像上、初夏の林縁ではウツギの花が見頃に・・・・・・。画像下、公園ではピンク色のヤマボウシが咲き始めた・・・・・・)





2024年3月18日 (月)

修学旅行の木刀

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▲これは私が小学校の修学旅行で、日光に行った時に買って来た木刀。買ったはいいものの、これといった使い道もなく、部屋の片隅でほこりだらけになっていたものを引っ張り出して来て撮影した・・・・・・。

昭和の頃は有名な観光地に行くと、なぜか必ずと言っていいほど木刀が売られていた。


その土地にゆかりのある武士や、歴史上の人物がいたというのなら話は分かるが、なぜここに木刀が置いてあるのか、理解に苦しむような場所でも、当たり前のように売られていた。


子供の頃はべつに気にもしていなかったが、いまこうして考えてみると、なんだかおかしな話である・・・・・・。


私が初めて木刀の存在を知ったのは、小学生の頃に修学旅行で日光に行った時だった。


土産物屋が立ち並ぶような場所では、どの店へ入っても、木刀は店先の一番目に付く場所に、大量に立てて置かれていた。


いまになって冷静に考えてみれば、「木刀なんて買ったところで、いったい何に使うんだよ」と思うのだが、当時はクラスの男子はほぼ全員が、真っ先に木刀を買っていた。


大馬鹿者とは正にこのことである・・・・・・。


一方、女子は誰一人として木刀などには興味はない様子で、店の奥に置かれているキーホルダーや、小さな置物を手に取って眺めていた。


キーホルダーや置物は、小さくてかさばらず、ある程度数を買っても、小さな紙袋1つに収まる。


正にお土産には最適で、誰が見ても賢明な選択といえよう・・・・・・。


それに引き換え、男子が買った木刀は、かさばるとかかさばらない以前の問題で、持ち運ぶには雨上がりの傘のように、片手で持って歩くしか、方法がなかった。


しかも、男子小学生にそんなものを持たせたら、絶対に振り回したり、チャンバラごっこを始めるやつが現れるだろう。


これについては雨上がりの傘で、とっくの昔に証明済みである・・・・・・。


そして学校側もそれは事前に予想していたらしく、木刀は買って間もなくして、それぞれに名札を付けられて、担任に没収され、荷物として配送されることとなった。


その手際の良さから考えて、学校側は男子生徒のほぼ全員が木刀を買うことは、事前に予想していたということだろう。


ということは、修学旅行の時に男子が木刀を買うのは、もはや我が校の伝統になっていたということなのだろうか・・・・・・。


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▲数十年の時が経過して、文字は薄くなってしまっていたが、木刀にはしっかりと「日光山」と記されていた・・・・・・。

後で聞いた話だが、木刀は他のクラスの男子も、大半の生徒が買っていたらしく、学校に木刀が届いた時には、クラスごとに束ねられて、運ばれて来ていた。


その様子はまるで、店のバックヤードに納品されて来た、何かの商品のようだった。


それにしても、これが他校でも同様だったとしたら、昭和の観光地の土産物は、木刀だけで相当な売り上げになっていたに違いない・・・・・・。


そしてその後、木刀は事前に取り付けてあった名札をもとに、個々に配られることになるのだが、修学旅行先では、あんなに欲しかった木刀なのに、学校に帰って来た途端に、その熱はまるで潮がサーっと引いて行くように、急速に冷めて行っていた。


そして、自分の名札の付いた木刀が手元に届いた頃には、「なんでこんなものが欲しかったんだろう?」と、誰もが疑問に感じていたものである。


そしてその後、木刀はそれぞれの家へ持ち帰ることになるのだが、自宅ではこれといって使い道もなく、部屋の片隅に立てかけられたり、傘立てに入れられたりして、そのまま部屋の風景に溶け込んで、その存在はじょじょに忘れ去られて行くことになるのである・・・・・・。


ところで、ある日、友達の家へ遊びに行った時、部屋に見覚えのある木刀が3本も置いてあるのを発見し、たいへん驚いたことがあった。


私はそれを見て、彼が性懲りもなく、旅行に行くたびに、木刀を買って来ているのかと思い、「こいつは学習能力がないのか?」と疑ったのだが、話を聞いてみると、どうやらそうではなかったらしい。


じつは3本のうちの2本は、彼の2人の兄のもので、やはり小学校の修学旅行の時に買って来たものだという。


その話を聞いて、私は思わず「え?」と絶句した。


ということは、彼は過去に兄の失敗を2度も目撃して来ていたことになる訳だ。


そこでちょっと確認だが、木刀が家に来てから、何か役に立ったことはあるだろうか?


また、2人の兄が木刀を何かに利用しているのを、見たことがあるだろうか?


もしかして、木刀は家にやって来た当日に、部屋の片隅に追いやられ、そのまま埃だらけになって行ったのではないのか?


そしてその様子を2回も目撃していたにも関わらず、なんで彼は木刀を買おうとしているクラスメートを止めなかったのか?


いや、それ以前に、「なんでお前まで木刀を買ってんだよ」という話である。


そのことを彼に問い質すと、「そうなんだよなぁ。それは木刀を持って帰って来た日に、母ちゃんにも言われたよ」という。


続けて彼は、「頭では分かってたんだよ。でもさぁ、土産物屋に入って、木刀を見た途端に欲しくてたまらなくなったんだよ。家にあるのは、兄ちゃんのだし・・・」というのだ。


そして彼の母親は、兄弟そろって、3回も木刀を買って来たのを目の当たりにして、呆れてものも言えない様子だったという。


そして、たったひと言、「きっと、土産物屋には魔物がいるに違いない」とポツリと呟いたそうである・・・・・・。


2024年2月23日 (金)

「謎フレーズ探偵」いっせーの1!②

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私が小学生の頃、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」がプチブレイクしていたことがあった。


このゲームでは、「いっせーの1!」といった具合に、掛け声をかけながら、数字をコールしていたのだが、全国的に見ると、じつに様々な掛け声があったようなのだ。


で、この辺のことに関しては、前回詳しく書かせてもらっているので、そちらを参考にして欲しい・・・・・・。


で、今回は最もオーソドックスと思われる、「いっせーの」という掛け声に焦点を絞って、調査を進めて行こうと思っている。


じつはこの最もオーソドックスと思われていた、「いっせーの」という掛け声なのだが、細かく調べてみると、「いっせーの」という言葉にも、地域性があることが分かった。


私の出身は神奈川県の横浜市だが、小学生の頃、この遊びの掛け声は、「いっせーの1!」だった。


で、調べてみると、この掛け声は、やはり関東地方で勢力が強い掛け声だったようだ・・・・・・。


ところが意外だったのは、同じ関東でも、「いっせーの」ではなくて、「いっせーのーせ」という掛け声を採用している地域もあったようなのだ。


これについては、私は小、中、高を通してみても、一度も聞いたことがなかったので、たいへん驚いている。


と、そうは言っても、「せ」がたった1文字増えただけなのだが、実際に「いっせーのーせ」の掛け声で、この指遊びをやってみると、なれていないせいか、どこで数字をコールしたらいいのか、ちょっとタイミングが分からなくなってしまう・・・・・・。


ちなみに誤解のないように書いておくと、私が子供の頃は、「いっせーのーせー」という掛け声は、指遊びには使われていなかったが、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」としては日常的に使っていた。


だから「いっせーのーせ」という言葉自体は、関東では方言や地域性のある言葉という訳ではなくて、標準語と言っていいと思う・・・・・・。


ところでこの「いっせーのーせ」という掛け声だが、関西地方へ行くと、「いっせーのーで」という掛け声に変わる。


そしてこれは、指遊びの掛け声のみならず、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」としても、日常的に使われているそうなのだ。


たった1文字、「せ」が「で」に変わっただけなのだが、関東ではそのような言い方はしないので、横浜市出身の私としては、もはや違和感しかない・・・・・・。


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また、関東地方では、相手とタイミングを合わせる時に、「せーの」という言い方もするが、これも関西地方では、「せーのーで」になるのだそうだ。


どうやら関西では、語尾に「で」が付くらしい。


関東人としては、なんだかタイミングをずらされたような感じで、思わず、ずっこけそうになってしまう・・・・・・。


で、指遊びの掛け声だが、他の地域ではどうなのか見て行くと、「いっせーの」という言葉の原形を留めているものに関しては、あとは中部地方の「いっせっせーの」が見られるぐらいだった。


そしてこの「いっせーの」、「いっせーのーせ」、「いっせーのーで」、「いっせっせーの」に共通して言えることは、再三書いているように、「指遊びの掛け声」であると同時に、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」でもあるという点だ。


これについては、前回ご紹介した、「う~~」や「バリチッチ」、「せっさん」などにはない特徴といえる。


そして全国的に見て、この指遊びの最もメジャーな掛け声といえるのが、この「いっせーの系」なのである・・・・・・。


そんな訳でここからは、本題である指の数を当てるゲームからはちょっと離れて、単純に「いっせーの」という言葉について、もう少し深堀してみようと思っている。


「そもそもの話、いっせーのとはなんなのか?」ということである。


じつはこの「いっせーの」という言葉は、調べてみると、日本列島のほとんどの地域で使われている言葉であることが分かった。


で、ざっくり見て行くと、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」には、「いっせーの」と「せーの」という2通りの言い方があることが分かった。


そこで多くの人が疑問に思うのは、「じゃあ、なんで2通りの言い方があるのか?」ということだろう。


そんな訳で次回は、まずそのあたりから、紐解いて行こうと思っている・・・・・・。


(画像上、里山では早春に咲く花、マンサクが咲き始めた・・・・・・。画像下、猿の顔に例えられるセンダンの冬芽葉痕・・・・・・)


2024年2月17日 (土)

「謎フレーズ探偵」いっせーの 1!①

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▲「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」は、地域によって様々な名前で呼ばれていた・・・・・・。


私が小学生の頃、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」がプチブレイクしていたことがあった。


どんなゲームだったのかというと、まずジャンケンをして、先攻、後攻を決める。


そして握りこぶしをくっつけた状態で、両方の親指を前に伸ばす。


次に先攻の者が、「いっせーの2!」などと、数字をコールするのと同時に、「親指を片方上げる」、「親指を両方上げる」、「両方の親指を下げたまま」のいずれかのポーズをする。


この親指のポーズは後攻の者もコールに合わせていっしょに行う。


そして上がっている親指の数と、コールした数字が同じだった場合には片方の手を引く。


例えば「いっせーの3!」で自分の親指が1本で、相手が2本だった場合、コールした数が当たっていたことになるので、片方の手を引くことになる。


そして最終的に数が当たって、両方の手を引いた者が勝ちになる。


どうだろうか、なんとなく思い出してもらえただろうか・・・・・・。


ところでこのゲーム、私が小学生の頃には、特に名前はなかったと思うのだが、ある時期から「指スマ」という呼び方で知られるようになって、それを知った時には「なんで?」と疑問に思ったものだ。


「指」は分かるものの、「スマ」とはいったいなんのことなのか。


そう思って調べてみると、どうもそのきっかけは、1998(平成10)年に放映された、「SMAP×SMAP」というテレビ番組だったようで、これを略しての「スマ」だったらしい。


しかし、今となっては、その事情を知らない人も増えて来て、名前の由来を知らずに、そう呼んでいる人もいるようだ。


そう考えると、「それって、ゲームの名前にするのはどうなの?」という気がしないでもない・・・・・・。


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▲両方の親指を立てない状態は「0」で、私が小学生の頃は、「いっせーの 0!」とコールしていた・・・・・・。

ところでこのゲーム、冒頭でも書いたように、私が小学生の頃には、「いっせーの1!」と掛け声をかけていた。


ところがこの掛け声、地域によってずいぶんと違うようなのだ。


ちなみに私の出身は横浜市だが、小学生の頃は「いっせーの1!」一辺倒だったが、中学生になるとこれに加えて、「う~~1!」と掛け声をかける者も現れた。


「いっせーの1!」は単調なリズムで、淡々とゲームが進んで行くが、「う~~1!」の方は、「う~~」の長さをその都度変えることで、相手との駆け引きが生まれていた。


例えば「う~~~~1っ!」と、通常の倍ぐらい「う~」の掛け声を伸ばして、相手をイラつかせたり、逆に「う~1っ!」と掛け声を短く切ることで、相手に考える暇を与えず、両親指を下げたままの「ゼロ」で出させたりしていたものだ・・・・・・。


そんな訳で横浜では(というか、私の通っていた学校では)、「いっせーの1!」と「う~~1!」の2パターンだったのだが、全国的に見ると、じつに様々な掛け声があったようだ。


例えば三重県周辺の「バリチッチ」をはじめ、「ちっちーの」や「ちっち」など、「ちっち系」はよく知られている。


これらは言葉が似ていることもあって、元は同じ掛け声だったんじゃないかと推理することも出来る。


また、山口県周辺の「チーバリ」は、もしかしたら三重県の「バリチッチ」を逆から読んだものではないだろうか。


「ザギンでシースー(銀座で寿司)」的なことなのかもしれない・・・・・・。


また、少数派だが面白いところでは、秋田県の「たこたこ」、千葉県の「チュンチュン」、愛知県の「ビーム」、京都府や福井県の「ルンルン」などがある。


特筆すべきは山梨県の「せっさん」で、これについては、どうイントネーションを変えてみても、とてもゲームの掛け声とは思えない。


で、「せっさん」とはいったいどこ由来の言葉なのかと思い調べてみると、どうも漢字で書くと、「積算」か「説算」のいずれかであるらしい。


言葉の意味としては、指の合計を出すから「積算」、また合計の数を述べるから「説算」という考え方である。


さらに曲げた指を数えることから、「折算」という説もあるようだ。


早い話がどれが本当の由来なのかは、よく分かっていないということだろう。


ただ、1つ言えることは、昔から山梨県は、日本古来の数学である「和算」がとても盛んな地域として知られている。


そんな背景もあって、「数学にちなんだ掛け声が採用されたのではないか」と考える人も少なからずいるようだ・・・・・・。


ところで、この指遊びの掛け声で、私が一番驚いたのは、以前テレビ番組で、NiziUのMAKO(マコ)さんが、学生の頃にどんな掛け声で、この指遊びを遊んでいたかを聞かれて、何の迷いもなく、「ギンギラギンの1!」と答えていたことである。


他のメンバーはもちろんだが、その時スタジオにいた全員が、「え~~~!」という顔をしていたのが私は未だに忘れられない。


それにしても、「ギンギラギンの」って、いったいどこから出て来た言葉なのだろう。


全くもって謎としかいいようがない。


ちなみにMAKO(マコ)さんは福岡県の出身だが、県内全域が「ギンギラギンの」という訳ではないのでお間違いなく・・・・・・。


2024年2月11日 (日)

「昭和の遊具」箱型ブランコ

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▲「箱形ブランコ」は向かい合わせになった2つのベンチと、それを繋いでいる床板を、金属の支柱で上から吊り下げている遊具だった・・・・・・。

「箱型ブランコ」という遊具をご存知だろうか。


私が子供の頃は、どこの公園にも当たり前のように設置されているポピュラーな遊具だったが、どういう訳か最近は全く見なくなってしまった。


「箱型ブランコ」は「ゆりかごブランコ」とも呼ばれていて、向かい合わせになった2つのベンチと、それを繋いでいる床板を、金属の支柱で上から吊り下げている、ゴンドラ型のブランコだった。


普通のブランコは、腰かけるための板を、鎖で上から吊っているが、これをゴンドラに置き換えたものと思ってもらえばいいと思う。


「箱型ブランコ」は、もともとブランコを自力で漕いで遊べない、小さな子供用に作られた遊具で、外側から大人にゆっくりと揺らしてもらうことを想定していた。


別名の「ゆりかごブランコ」は、その様子を表現した名称と言えるだろう・・・・・・。


「箱型ブランコ」のベンチの大きさは、私が知っているものは、2人掛けのベンチが向かい合わせになっていて定員は4人だった。


しかし、身体の小さな幼い子供なら、片側に3人は腰掛けることが出来たので、合計6人はいっしょに座ることが出来たと思う・・・・・・。


「箱型ブランコ」には、ベンチと床板がむき出しになっているタイプのものと、ハムスターの回し車のような形状の筒状のカバーで、ベンチと床板をぐるりと囲っているものがあった。


私が子供の頃によく遊んでいたのは、ベンチと床板がむき出しになっているタイプのもので、筒状のカバーで囲っているタイプのものは、知ってはいたものの、乗って遊んだことは一度もなかった・・・・・・。


先ほども書いた通り、もともと「箱型ブランコ」は、ブランコを自力で漕いで遊べない小さな子供用に作られた遊具で、外側から大人にゆっくりと揺らしてもらうことを想定していた。


しかし、実際には小学生や中学生も乗って遊んでいたし、高校生や大人が乗っているのも見たことがあった。


小さな子供が乗って遊んでいる時は、当初の想定の通り、大人がゴンドラをゆらゆらと揺らして子供を遊ばせていた・・・・・・。


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▲「箱形ブランコ」はハムスターの回し車のような形状のカバーで、周りをすっぽりと囲っているタイプののものもあって、見た目は遊園地にあるゴンドラのようだった・・・・・・。

しかし、小学生ぐらいになって来るとその遊び方は一変し、床板の上で足を踏ん張って、自力でゴンドラを漕ぐことが出来るようになって行った。


どのようにしてゴンドラを漕いでいたのかというと、手すりに掴って床板の上に立ち上がり、向かい合わせになった2人が、タイミングを合わせて、左右交互に重心移動をすることで、少しずつゴンドラを揺らして行くことが出来た・・・・・・。


そして小学校高学年ぐらいになると、その遊び方はさらに進化して行くことになる。


ベンチにはそれぞれ2人ずつ子供が座るのだが、この4名はただ座っているだけで何もしない。


じつは漕ぎ役の者は別にいて、ベンチの背もたれの部分に1人ずつ立って、ゴンドラを漕いで行くのだ。


漕ぎ方としては、手すりにしっかりと掴って、足の裏でベンチの背もたれを前方へ押すようにして交互に漕いで行く。


このようにして漕いで行くと、じょじょに揺れ幅が大きくなって行き、それに伴って揺れる速度も次第に速くなって行く。


そして通常の遊び方では、絶対に到達しない角度にまでゴンドラが持ち上がり、座っている方も手すりにしっかりと掴っていないと、向かい側に座っている友達の方へ落下してしまいそうになっていた。


この頃になると、ゴンドラは超高速で揺れており、落下しそうになるのを必死に踏ん張って堪えていると、もう次の瞬間には先ほどとは逆の背もたれの方向へものすごいGがかかり、身体がベンチに押し付けられているという、訳の分からない状態になっていた。


中には半狂乱状態になって、泣き叫んでいる者までいた・・・・・・。


ゴンドラの高度や速度も恐ろしかったが、それ以上に「箱型ブランコ」と金属の支柱を繋いでいるジョイントが、ゴンドラが行き来するたびに、「バキッ、バキッ!」と音を立てていたことも恐ろしかった。


ジョイントが壊れてゴンドラごと空中に放り出されるのではないかと誰もが思っていたものだ。


「そんな思いまでして、どうして乗るんだよ」と思われるかもしれないが、その恐怖がクセになってしまう者は決して少なくなかったのだ・・・・・・。


で、問題なのは、漕ぎ手の2人に、「漕いであげるから乗りなよ」と声を掛けられて乗ってしまった者たちだ。


多くの場合、それは自力で「箱型ブランコ」を漕ぐことが出来ない、同級生の女子だったり、低学年の子供たちだった。


そして、「漕いであげるから乗りなよ」が悪魔のささやきであることを、この時の彼らはまだ知る由もなかった。


「箱型ブランコ」の揺れ幅が小さい最初のうちは、みんな楽しくてはしゃいでいるのだが、次第に揺れ幅が大きくなって来ると、「あれ?箱型ブランコって、こんなに激しく揺れるんだっけ?」と誰もがふと疑問に感じ始める。


そして、ゴンドラの振り子運動が最高潮に達した頃には、いったい何語なんだかよく分からない言葉を発しながら、狂ったように泣き叫んでいる者と、まるで幽霊でも見てしまったかのように、両目をカッと見開いたまま、顔面蒼白状態で固まっている者にきれいに分かれていた。


そして無事に地上に生還出来た者たちは、しばしの放心状態の後、「生きているということは、当たり前のことではなく、奇跡に近いことなんだ」と、小学生にして早くも悟りを開くことになるのであった・・・・・・。



2024年2月 5日 (月)

プールの腰洗い槽

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私が学生の頃、学校で水泳の授業がある時は、まず冷水のシャワーを浴びて、その後に「腰洗い槽」に浸かってから、プールに入るよう指導されていた。


ちなみに「腰洗い槽」とは、入り口と出口にそれぞれ階段が付いていて、中央がまるで浴槽を地面に埋めてあるように窪んでいる設備だった。


そして「腰洗い槽」の中には、塩素消毒剤入りの水が張られていて、ここに浸かることで、身体の殺菌が行われるとのことだった・・・・・・。


生徒たちはまず、入り口から階段で下りて行き、「腰洗い槽」に浸かるのだが、この時に両手を頭の上に乗せておくように指導されていた。


なぜかというと、「腰洗い槽」の塩素濃度は、プールの塩素濃度よりも高く設定されていたからだ。


このため、「腰洗い槽」の水に浸かった手で、自分の目を触ってしまうと、濃度の高い塩素が目に入ってしまう危険性があったのだ。


ちなみにプールの塩素濃度は0.4ppm~1.0ppm。


それに対して「腰洗い槽」の塩素濃度は50ppm~100ppmに設定されていた。


両手を頭の上に乗せておく理由については、先生から事前に説明されていたと思うのだが、小学生の頃は「腰洗い槽」に浸かる時は、まるでみんなで風呂に入っているような気分でテンションが高く、誰もが「キャー、キャー!」とはしゃいでいたので、そんな話は誰も聞いていなかったと思う・・・・・・。


で、両手を頭の上に乗せて、「腰洗い槽」に浸かってからは、その場で10秒間立ち止まっていなくてはならなかった。


そしてその間は、「い~ち、に~い、さ~ん、し~い、ご~お、ろ~く・・・」とみんなでカウントしていた記憶がある。


そしてその様子はまるで、本当に家で風呂に浸かっている時のようだった。


「どうせなら、ちょうどいい湯加減にしてくれればいいのに」と思っていたのは、きっと私だけではあるまい。


で、この「腰洗い槽」に入る目的なのだが、確か「腰から下を殺菌するため」と説明されていたように思う。


当時はプールに入るための流れ作業ぐらいにしか思っていなかったが、いま考えると、なんだか「風呂に入っていない人」みたいで失礼な話である・・・・・・。


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そんな「腰洗い槽」なのだが、最近は初めから設置されていないプールも増えているそうで、過去に「腰洗い槽」を使用していたプールでも、現在はもう使っていない所も少なくないそうだ。


で、その理由については、いくつかあるようだが、「腰洗い槽」が有効かどうかを確認するために行った実験では、大腸菌を付着させた水着を、「腰洗い槽」に5分間浸した場合と、水道の水で30秒間洗い流した場合で比較したところ、除菌率はほとんど変わっていなかったそうなのだ。


つまり10秒間、「腰洗い槽」に浸かったぐらいでは、なんの意味もなかったということになる。


ただ単に高濃度の塩素に浸からされ、目を危険にさらしていただけだったのである。


いまとなっては、もうどうでもいい話だが、なぜ「腰洗い槽」を設置する前に、その実験をやらなかったのだろう。


そんな話を聞かされるたびに、「われわれ昭和世代って、いろいろな場面で、何かと実験台にされて来たよなぁ」とつくづく思う・・・・・・。


プールの濾過、浄化設備の性能が向上したこともあり、現在では「腰洗い槽」の使用は、各学校の判断に任されているようだ。


そんな訳で、「腰洗い槽」を使っていない学校では、「腰洗い槽」はプールの脇にある謎の窪みと化しているのである。


撤去出来るような設備ではないので、仕方ないといえば仕方ないのだが、そのうち「腰洗い槽」にまつわる都市伝説が生まれそうな気がしてならない・・・・・・。


使われなくなった設備といえば、プールの授業の後に、目を洗うために設置されていた専用の蛇口も今はもうないそうだ。


こちらは「腰洗い槽」と違って、簡単に取り外せるので、今はもう撤去されてしまっている施設が多いようだ。


見たことのない人のために簡単に説明すると、上向きにU字状になっている蛇口があって、U字の先端の2ヵ所から、「ピューーーッ!」と水が出るようになっていた。


これがちょうど両目の幅と同じになっていて、洗眼用として利用されていたのだ。


昔は眼病予防のために、プールの後には必ず目を洗うよう指導されていたので、どこのプールにも必ず設置されている設備だった。


ところがその後の研究で、プールの後の洗顔は、目の表面にある粘膜を保護しているムチンを減らし、角膜の上皮バリア機能を破壊してしまう恐れがあることが分かったのだという。


また、当時は洗眼用の蛇口からは、けっこうな勢いで水が「ビュー、ビュー」出ていたのだが、この水圧もムチンがはがれやすくなる原因になるのだそうだ。


当時はプールの後はしっかりと目を洗うように言われていたので、その水圧を感じながら、ガンガン目を洗っていたものだ。


これでは眼病予防どころか、自ら率先して目を傷めつけていたことになるだろう。


「腰洗い槽」のところでも書いたように、「われわれ昭和世代って、いろいろな場面で、何かと実験台にされて来たよなぁ・・・」とつくづく思う、今日この頃である・・・・・・。


(画像上、毎年、2月に入ると咲き出すマンサクの花・・・・・・。画像下、落ち葉の下からフキノトウが顔を出した・・・・・・)


2023年12月31日 (日)

「昭和の遊具」遊動円木

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▲遊動円木は丸太にまたがって、「かすがい」の部分に捕まり、ブランコのように前後に揺らして遊ぶ遊具だった。その仕組みは丸太の両端を鎖で支柱に固定してあるだけのシンプルな遊具だった・・・・・・。

昭和の頃に見られた遊具の1つに「遊動円木」があった。


「遊動円木」は丸太の両端を鎖で支柱に固定してあるだけのシンプルな遊具だった。


当初は平均台のように、丸太の端から端まで、バランスを取りながら歩いて行くことで、平衡感覚を養うための遊具として考案されたらしい。


しかし、私が子供の頃には、すでにそのような遊び方をしている者は誰もいなくて、丸太にまたがって、ブランコのように揺らしながら遊ぶ遊具になっていた。


このため丸太の上部の数ヶ所には、持ち手として「かすがい」が打ち込まれていて、これに捕まって遊べるようになっていた。


また、私が子供の頃には、シーソーのような形状をした板型のものもあった。


板型のものは、きちんと彩色もされていて、イメージとしては、現在の遊具に近かったと思う・・・・・・。


遊動円木の歴史は古く、明治の頃からすでに存在していたようである。


一般に広く普及したのは、小学校に設置されるようになってからで、遊びを通して身体を鍛えるという目的があったらしい。


そう言われてみれば、私が小学生の頃は、筋力を使わなければ遊べない遊具が、校庭にいくつか設置されていた。


登り棒や雲梯、ジャングルジムなどは、その代表だったと思う・・・・・・。


ところで、当時「遊動円木」に使われていた丸太は、古くなって交換した、木製の電柱が再利用されていることもあったそうだ。


私が学生時代を過ごした昭和50~60年代は、バスが通るような広い道路は、もうコンクリート製の電柱に切り替わっていたが、メインの通りからちょっと奥に入った住宅街の狭い道などでは、まだ木製の電柱がちらほら見られた。


「遊動円木」で遊んでいた当時は、他の遊具と比べて、原始的な遊具だなとは思ってはいたものの、交換した電柱を使っているなんて思ってもみなかった。


それを知っていたら、犬の小便がかかっていそうな根元の方には、決して座らなかったのだが、今となってはもう時すでに遅しである。


このように昭和世代が子供の頃に経験して来たことって、焼却炉のダイオキシンの問題などもそうだが、「もう少し早く言ってよ」ということが山ほどある・・・・・・。


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▲遊動円木にはシーソーのような板型のタイプも見られた。こちらの方が小型軽量に出来ていたので漕ぎ役の負担は軽減された・・・・・・。

冒頭でも書いたが、当初の遊動円木は、丸太の端から端までバランスを取りながら歩いて行くことで、平衡感覚を養うための遊具だった。


しかし、私が子供の頃には、みんなで丸太にまたがって、ブランコのようにゆらゆらと揺らしながら遊ぶ遊具になっていた。


低学年の頃は丸太の上にまたがって、身体を前後に揺することで体重移動をして、丸太をまるで揺りかごのように動かして遊んでいた。


しかし、これが高学年になって来ると、そんな遊び方では満足出来なくなり、いつの間にか丸太の両端に「漕ぎ役」の者が立ち、鎖に捕まって、ブランコの立ち漕ぎの要領で、丸太を動かしていくようになっていった。


丸太はブランコと違って重いので、最初は漕ぎ役の者は、しゃがむような姿勢になるまで下半身を落とし、丸太の端っこにしっかりと足を付けて、思いっ切り蹴り出して行かなければならなかった。


そんな風にして漕いで行くと、丸太は次第に高速で揺れるようになって行き、持ち手代わりに取り付けられている「かすがい」に、しっかり捕まっていないと、いつ振り落とされてもおかしくはなかった・・・・・・。


また、丸太の振り幅が大きくなって来ると、漕ぎ手の方も常に危険と隣り合わせだった。


なぜかというと、最初は丸太のへりを押し込むように漕いでいたのに、振り幅が大きくなって来ると、へりに足が届かなくなって行き、丸太の切り口(年輪)の部分を押すしかなくなって行くのだ。


そしてついに足が届かなくなれば、丸太が自分の方に戻って来るまで、鎖にぶら下がっているしかないのである・・・・・・。


そんな遊び方をしていたものだから、当時は「かすがい」に捕まっていても、振り落とされる者が続出していた。


また、自分が落ちるだけならいいのだが、周りで遊んでいた子供にダイビングボディプレスをしてしまい、巻き込んでしまったということもよくあった。


このように振り落とされる事故が多いということで、遊動円木の周囲をまるで砂場のようにしてある公園もあった。


しかし、そのようにすると、そこを砂場と勘違いした子供が、砂遊びを始めてしまい、丸太が頭に直撃するという事故も起きていたようだ。


そんな事故が多い遊具ということもあって、遊動円木はいつの間にか公園から姿を消していた。


まあ、いま思えばだが、そりゃあなくなるわな・・・・・・。


2023年12月25日 (月)

プールのにおいと目が赤くなる原因

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季節を感じる香りというのがある。


例えばプールのにおいを嗅ぐと、多くの人は「夏が来たんだな~!」と感じると思う。


恐らくこれは、小学生の頃のプールの授業が記憶に刻まれているからだろう。


ところでこの「プールのにおい」って、いったいなんのにおいかご存じだろうか。


多くのかたはプールのにおいのことを、「塩素の臭い」だと思っているのではないだろうか。


私も子供の頃に、プールのにおいは塩素の臭いだと、大人から教わった記憶がある。


ところが、プールの水の塩素濃度は、1mg/L以下なのだそうだ。


これは水道の水と同程度とのことなので、当然においなどする訳がない。


では、あのプールの独特なにおいは、いったいなんのにおいなのだろう。


結論から先に書いてしまうと、プールの水を消毒するために入れられている塩素が、人のおしっこの中に含まれるアンモニアと反応することで、クロラミンという化合物を発生させる。


このクロラミンのにおいが、私たちが「プールのにおい」とか「塩素臭い」と表現する、あのにおいになっているのだ。


つまり何を言いたいのかというと、「人はプールの中でおしっこを垂れ流している」ということである。


それも1人2人ではなく、多くの人がおしっこをしているからこそ、クロラミンが生成され、施設の外まで、いわゆる「プールのにおい」が漂って来るのだ。


オリンピックで史上最多の金メダル23個を獲得したマイケル・フェルプスも、「プールでおしっこはみんなしていると思う」と語っている。


競泳選手は息継ぎの時に、口に入った水を勢いよく吹き出しながら泳いでいる。


テレビではそんなシーンがスローで再生されていて、子供の頃は、「かっこいいなぁ」なんて思いながら見ていたものだ。


しかし、おしっこの件を知ってしまうと、「なんだかきたねえなぁ・・・」と思ってしまう。


また、小学生の頃は、「プールの水を飲んじゃった」なんて言いながら、馬鹿みたいに笑っているやつがいたが、いま思えば彼は、プールの水で希釈された、全校生徒の小便をごくごくと摂取していたことになる訳だ。


いまさらではあるが、彼がこのエッセイを読んでいないことを祈りたい・・・・・・。


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ところでプールに入ると、ほとんどの人は程度の差こそあれ、目が赤くなると思う。


じつはこれも塩素とおしっこが反応して生成される、クロラミンが関係しているのだという。


クロラミンには刺激性があるため、それが目に入ることで、目が赤くなる原因になるというのだ。


さらに人によっては、目が赤くなるだけではなく、鼻水や咳が止まらなくなることもあるのだそうだ。


そういえば小学生の頃、プールの授業の後に、鼻水を垂らしたり、せき込んでいたりするやつがいた気がする。


「プールに入って身体が冷えたからだろう」とか、「プールの水を飲んでしまったからだろう」なんて言われていたが、実際のところはクロラミンが関係していたのかもしれない。


ところでこのクロラミンという物質だが、大量に集めて油に溶かして衝撃を与えると、爆発するぐらいの物質なのだそうだ。


もちろんこれは例えばの話で、わざわざそんな面倒なことをする人間はいないのだが、そんな物質だからこそ、ごく少量でも目に触れたりすると、角膜を傷つけてしまうことになるという訳だ。


そして目が受けたダメージを修復しようとして、血流をアップさせるため、目が赤く充血するという仕組みだ。


ナショナルスイミングプール財団(NSPF)のCEOは、「スイマーの目の色は、どのくらいの人が、プールでおしっこをしているか知るための指標となるものなのです」と語っている。


小学生の頃なんて、プールの授業の後は、まるで一晩中泣き腫らしたような目で、一日を過ごしている者もいた。


「どのぐらいの人がおしっこをしているか」って、あの目の状態を見れば、そりゃあもう、ほぼ全員だったのではないだろうか・・・・・・。


(画像上、スミレはしばしば冬にも開花する・・・・・・。画像下、ツチイナゴは成虫で越冬するバッタだ・・・・・・)


2023年11月25日 (土)

「謎フレーズ探偵」たんたんたぬきの金玉は

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「た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~、か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~ ♪」という歌をご存じだろうか?


・・・と、一応そのように書いてはみたものの、恐らく「知らない」と答えるかたは、限りなくゼロに等しいと思う。


もし仮に、「日本でもっとも有名な、どうしようもない歌ランキング」というのがあったら、この歌はまず間違いなくベスト5には入っているだろうし、もっと言ってしまえば、個人的にはこの歌が1位なんじゃないかとも思っている。


この歌はそれぐらい日本全国の幅広い世代の人が知っている、「どうしようもない歌」なのである・・・・・・。


しかし、この手の歌というのは、ある一定の世代の人は知っていても、年配の人や若い人は知らなかったりするものだ。


また、自分たちが子供の頃に歌っていたものと、現在歌われているものでは、明らかに歌詞が変化してしまっているということもよくある。


ところがこの歌は、歌詞の前半部分に関しては、日本全国どこへ行っても、全く同じフレーズで歌われていて、しかも数十年間、その内容は全く変化していないのである。


音楽の教科書に載っているとか、テキストとして何らかの形で残されているのならともかく、人から人へ歌い継がれて行くだけという、なんとも原始的な方法で、よくぞここまで完璧に、代々継承されて来たものである・・・・・・。


ちなみに、「た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~、か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~ ♪」に続く後半の歌詞に関しては、私が子供の頃(昭和50~60年代)から、すでにいくつかのバリエーションが存在していた。


それをいまからいくつかご紹介してみたいと思う・・・・・・。


「たんたんたぬきの金玉は(A)」

た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~
か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~
そ~れをみ~ていた、お~やだぬき~
おなかをかかえて~、わっはっは


「たんたんたぬきの金玉は(B)」

た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~
か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~
そ~れをみ~ていた、お~やだ~ぬき~
か~たあし、あ~げて、ぶ~らぶら~


歌詞Aと歌詞Bは、子だぬきの金玉が、風もないのに、ぶらぶらと揺れている様子を親だぬきが見ていて、そのことを面白がっているという、親だぬき目線の歌である・・・・・・。


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「たんたんたぬきの金玉は(C)」

た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~
か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~
そ~れをみ~ていた、こ~だぬきも~
お~やのまねして~、ぶ~らぶら~


「たんたんたぬきの金玉は(D)」

た~んたん、た~ぬきの、き~んた~まは~
か~ぜもないのに、ぶ~らぶら~
そ~れをみ~ていた、こ~だぬきは~
ぼ~くもほしいと~、な~きだした~


歌詞Aと歌詞Bでは、子だぬきの金玉が、風もないのにぶらぶらと揺れている様子を、面白がって眺めている親だぬき目線の歌だったが、歌詞Cと歌詞Dでは、親だぬきの金玉が揺れているのを眺めている、子だぬき目線の歌になっている・・・・・・。


で、どちらが正しいとか、どれが元歌だったのかということに関しては、残念ながら正直よく分からないとしか言いようがない。


というのも、私が子供の頃には、すでに複数のバリエーションが存在していて、判断の付かない状態になってしまっていたからだ。


ただ、ひとついえることは、「たんたんたぬきの金玉は」という歌は、もはや言うまでもないと思うが「替え歌」である。


そしてその元になった歌や曲については、いまさら調べるまでもなく、すでにちゃんと判明しているのだ・・・・・・。


じつはこの歌のもとになった曲は、小学生が歌う唱歌で、「夏は来ぬ」というタイトルで知られている。


「国民唱歌集」という1891(明治24)年発行の本にも掲載されていることから、替え歌の方もそれなりに歴史があるものと思われる。


ちなみに「夏は来ぬ」というタイトルを見ても分かる通り、「たぬきの金玉」などいっさい何の関係もない歌であることは、もはや言うまでもない・・・・・・。


そしてややこしい話になって来るが、この「夏は来ぬ」には、さらに元歌が存在している。


じつはこの歌は、もともとは「Shall We Gather At The River」という聖歌だったのだ。


邦題は「まもなくかなたの」で、1864年にアメリカで発表された曲になる。


それにしても、聖歌が唱歌になったまではよかったが、そこからどこをどう間違えたら、「たぬきの金玉」に行き着くのだろう。


そうは言っても、日本では「たぬきの金玉の歌」が誕生していなければ、この曲がここまで有名になることなんてなかっただろう。


現代人は唱歌、「夏は来ぬ」を知らないのだから、そういう意味では、「たぬきの金玉の歌」は、じつはすごい歌で、この歌の作者(恐らくそこらへんにいる子供だったのだろうが・・・)は、偉大な功績を残したといえるだろう。


ただ、今となっては、それがどこのだれだったのか、皆目見当もつかないのである・・・・・・。


(画像上、気温が下がると花色が鮮やかになるスイフヨウの花。画像下、雑木林ではナラタケが爆生中・・・・・・)


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