カテゴリー「小学校」の記事

2026年1月28日 (水)

魔法瓶

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▲昭和の頃に主流だった水筒型の魔法瓶。当時のものはマイボトルではなくファミリーサイズで運動会の定番だった・・・・・・。

魔法瓶をご存知だろうか。


最近ではその呼称をあまり使わなくなってしまったので、ピンと来ない人も少なくないかもしれない・・・・・・。


魔法瓶は保温(保冷)性を高めるために、内ビンと外ビンの二重構造になっており、その間を真空状態にすることで、熱の移動を防ぎ、長時間の保温や保冷が出来るようになっている。


しかし、当初のものは、内ビンがガラス製だったので、落とすと割れてしまうという欠点があった。


そこで開発されたのが、ステンレス製の魔法瓶で、これが後のサーモスとなる・・・・・・。


魔法瓶には持ち運べる水筒型と、据え置いて使うポット型があった。


水筒型のものは、時代と共に衝撃性能が向上し、アウトドア用品の定番に。


そして据え置き型のものは、湯沸かし機能が付加されて、電気魔法瓶と呼ばれるようになった・・・・・・。


魔法瓶で私が一番印象に残っているのは、ファミリーサイズの水筒型のもので、昭和の頃は運動会の定番だった。


当時は運動会のお昼は、校庭にレジャーシートを敷いて、家族で食べるスタイルだったので、水筒も現在のようなマイボトルではなくて、ファミリーサイズ仕様だった・・・・・・。


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▲水筒型の魔法瓶はフタがコップになっていて、外蓋の内側にもう一つ小さめのフタが隠れていた。中のお茶を飲みたいときはこのフタに注いで飲むようになっていた・・・・・・。

また、当時の水筒型魔法瓶の特徴として、フタがコップになっていたことがあげられる。


フタは大小2つのものが被せられていて、外側の大きなフタは、本体と同色になっていて、文字通り、水筒の外蓋にもなっていた。


そして、その内側にもうひとつ小ぶりなフタが隠れていて、こちらは分かりやすくいうと、炊飯器に付いている、米の計量カップのようなものだった。


水筒に入っているお茶や麦茶を飲みたい時には、この2つのフタに注いで飲むのが、当時の定番のスタイルだったのである・・・・・・。


ところで、この水筒型の魔法瓶、うちにあったものは緑色で、友達の家にあったものも緑色だった。


このため、当時の私は、この魔法瓶は緑色のものしかないと、信じて疑わなかったのだが、どうやら青色や赤色、黄色など、色のバリエーションもあったようである。


しかし、私の周りでは、なぜか緑色のものを使っている家族しか見たことがなくて、これはいったいどうしてなのかと、今更ながら不思議でならない・・・・・・。


ところで現在の水筒は、マグボトルという直飲みタイプが主流になった。


直飲みなので、もちろんマイボトルということになる・・・・・・。


そしてこのことに大きく関わっている出来事が、1996(平成8)年に登場した、500mlのペットボトルなのである。


500mlのペットボトルが登場するまでは、2リットルペットボトルを直飲みしたりすると、「ラッパ飲み」などといわれ、行儀が悪いとされていた。


それが500mlのペットボトルの登場により、その概念そのものが、いつの間にか消えてなくなり、魔法瓶(水筒)も直飲みスタイルがポピュラーになっていったのである・・・・・・。



2025年10月 1日 (水)

サカタのタネガーデンセンター

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▲「サカタのタネガーデンセンター」は、過去に何度かリニューアルがあって、外観がその都度変化して来ている。上の画像は閉店する2023年のもの・・・・・・。

私は子供の頃からずっと、サカタのタネガーデンセンターに、たいへんお世話になって来た。


サカタのタネガーデンセンターは、東急東横線「反町駅」近くにあった大型の園芸店で、いちおう種苗専門店ではあったが、小鳥や金魚、熱帯魚売り場なども充実している、子供にも人気の店だった・・・・・・。


私の父は盆栽を育てることが趣味だったので、サカタのタネガーデンセンターには、苗はもちろん、各種用土や肥料をよく買いに来ていた。


母は草花が好きだったので、季節の草花を買いに来ることが多かった。


一方、私はといえば、生き物が大好きな子供だったので、ペット売り場を見て回るのが最大の目的だった。


また、当時家で飼っていたセキセイインコの餌や、副食を買いに定期的に訪れていた・・・・・・。


小学校の頃は理科の授業で、何か植物を育てるたびに、家でもっと観察してみたくなり、わざわざ種を買いに出掛けたものである。


小学校1年の頃は、理科の授業でアサガオを種から育てて、観察日記をつけさせられるものだが、学校で配られるアサガオの種は、とてもシンプルな花色のものばかりだった。


私はアサガオには、もっとたくさんの品種があることを知っていたので、花弁の縁が白く縁取られる「覆輪」や、絞り模様の花の「絞り咲き」などの種を探すために、種売り場をうろついたりしていたものだった・・・・・・。


で、私が人生で初めて買った花の種は、そのアサガオだったと思うのだが、家に帰って種の袋を開けてとても驚いたのを覚えている。


というのも、私としては、種の袋を開封すると、中から黒々としたアサガオの種が、手の平にバラバラとたくさんこぼれ落ちてくるイメージだったのだが、袋の中から出て来たのは、透明な小さな袋に密封された、たった5~6粒の種だったのだ。


「えっ、たったこれだけ・・・・・・?」とか、「これって、もしかしてぼったくりっていうやつじゃ・・・・・・」と、小学生ながら不安になったりしたものだった・・・・・・。


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▲2023年12月、何気なく立ち寄った店内に「閉店のお知らせ」が告知されていた。東急東横線の反町駅近くで、72年もの間、営業を続けて来たことが分かる・・・・・・。

ところがそんな心配をよそに、種を植えてみれば、なんと全部がきっちりと発芽して、順調に育っていったのだった。


サカタのタネで購入した花の種は、アサガオに限らず、花の写真がプリントされたパッケージの中に、小さな透明な密封袋が入っており、その中に5~6粒の種が入っているというスタイルのものがほとんどだった。


「こんなに少なくて、発芽しなかったらどうするんだろう?」と、毎回のように心配したものだが、不思議なことにどの花の種も、ほとんどが発芽していた。


「やっぱりそこらへんのスーパーで売っている花の種とは違うんだな~」と、何度思ったことかしれない・・・・・・。


ちなみに小学校2年生の時はヒマワリ、3年生の時はヘチマの種を買って育てたのだが、どちらも、ただでさえ狭い庭の、かなりのスペースを占領してしまい、両親からは大ひんしゅくを買ったものだった。


それでもヒマワリは予想以上に大きな花を咲かせてくれたし、ヘチマは大きな実をつけて、大人のすねほどもあるヘチマタワシが何個か収穫出来た。


父はせっかく収穫したのだから、風呂で使おうといっていたのだが、私は苦労して育てたヘチマで身体を洗うなんて、ちょっと考えられず、結局そのまま学習机の棚に飾り、ひとり悦に入っていたのだった・・・・・・。


そんなサカタのタネガーデンセンターだったのだが、2023年12月に突如閉店することになってしまった。


私にとっては、子供の頃の思い出がたくさん詰まった園芸店だったので、その一報を聞いてたいへんショックだった・・・・・・。


サカタのタネガーデンセンターは何度かリニューアルをして、建物の外観がその都度変化して来たのだが、私が一番印象に残っているのは、真っ白いシンプルな2階建ての建物のころで、建物の上部には赤い字で、「サカタのタネ」、緑の字で「ガーデンセンター」と書かれていたのが印象的だった。


確か1980年代までは、その白い建物だったと思う。


そんなサカタのタネガーデンセンターは、いまはもうなくなって、その跡地を通るたびに、何だか子供の頃の思い出を、すっぽりとどこかへ持って行かれたような、複雑な気持ちになるのだった・・・・・・。



2025年8月20日 (水)

音楽室のうわさと鼻血の原因

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昭和の頃には日常生活に密着した迷信や、都市伝説というのがけっこうあった。


そしてそれらは真偽のほどは定かではないのに、なぜか信じている人が少なくなかった・・・・・・。


例えば学校の七不思議として有名になった、音楽室の肖像画の目が夕方になると、キョロキョロと動き出すとか、誰もいないはずの音楽室から、ピアノを弾く音が聞こえて来るという、いわゆる「怖い話」などがそうだ。


じつはこれについては、実際に見たり聴いたりしたという人が、1クラスに何名かは必ずいたものである。


他の七不思議に関しては、エピソードが伝わっているだけで、実際に体験した人はいなかったのに、音楽室の話だけは、目撃者や体験者がいて、妙に信憑性が高かったのである・・・・・・。


で、この音楽室のエピソードなのだが、私が大人になってから聞いた話では・・・・・・、むかし放課後に音楽室で遊んでいた女の子がいて、何かの拍子にピアノの蓋に身体を挟まれて、大怪我をしたことがあったのだという。


この事件がきっかけとなって、先生や保護者が、子供たちにいつまでも学校にいないで、早く帰ってもらおうと、夕方になると音楽室の肖像画の目が動くとか、誰もいないはずの音楽室から、ピアノを弾く音が聞こえて来るという、子供が怖がるような話を、わざと流したのだという。


そしてこれが全国的に広まり、学校の七不思議の1つになったということらしい・・・・・・。


しかし、その後、うわさを流した先生や保護者たちが、予想もしていなかったことが起こり始める。


遅くまで学校で遊んでいた子供たちの中から、実際に肖像画の目が動いたのを見たという者や、誰もいない音楽室からピアノを弾く音が聞こえたと主張する者が複数人現れたのだ。


ただのうわさ話が都市伝説へ昇華した瞬間だった・・・・・・。


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昭和の頃に聞いたうわさ話に、「チョコレートを食べ過ぎると鼻血が出る」というのもあった。


これについては、うわさ話というよりも、「本当の話」として語られていたので、チョコレートを食べるときには、どのくらいが適量なのかが分からず、「もしかしたら、もうひとくち食べたら、鼻血が出るんじゃないか・・・」と、ビクビクしながら食べていたのを覚えている。


そしてどうもこのうわさを流したのも、じつは子供たちの親だったようだ・・・・・・。


戦後の日本では、アメリカ兵が配ったチョコレートが流行していた。


しかし、チョコレートばかり食べていると、身体が甘いものを摂取したことで満足してしまい、まともに食事が出来なくなってしまう。


このことを懸念した親がチョコレートを控えさせるという意味で、そのようなうわさを流したのではないかと考えられている・・・・・・。


そもそもの話、カカオポリフェノールには血圧を下げる効果があり、鼻血は逆に出にくくなるそうなのだ。


大人に比べて子供の方が鼻血が出やすいのは、鼻の穴をほじったり、こすったりしてしまい、その時に出来る傷が原因なのだそう。


チョコレートの食べすぎとは何の関係もないのだ。


同様にピーナツを食べ過ぎると鼻血が出るという話もあるが、こちらもチョコレートと同様に、食べ過ぎて食事を摂れなくなることを懸念した親が流したうわさだったようだ・・・・・・。


もうひとつ、つけ加えるなら、「エッチなものを見ると鼻血が出る」というのもある。


昭和の漫画にはよくある描写で、ヒロインのパンツや裸を、偶然見てしまった主人公が、両方の鼻の穴から鼻血を、「ブーーーツ!」と勢いよく噴射するシーンがある。


これについても、子供に見せないために、親(大人)が作り出した迷信だといわれている。


これらのことから総合的に判断すると、「大人の言うことは、鵜呑みにしない方がいい」ということである・・・・・・。


(画像上、立秋を過ぎるとちらほらと鳴き始めるツクツクボウシ・・・・・・。画像下、セミたちの母なる木。こんなにたくさんのセミたちを地上へ送り出して来た・・・・・・)

2025年7月 9日 (水)

ビリビリブーム

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▲出番は少なくなったものの、いまも売られている9V電池(左)。右は懐かしいナショナルブランドの頃のデザインの単1電池。当時は9V電池も同様のデザインだった・・・・・・。

昭和の頃はビリビリが密かなブームだった。


ビリビリとはいわゆる電気ショックのことで、いま思うとなんでそんなことが流行っていたのか、さっぱり意味が分からない・・・・・・。


そうはいっても、自力で電気を発生させることが出来る人間などいない。


そこで電気を発生させるためのグッズが必要になって来るわけだ・・・・・・。


一番身近なところにある電気を発生させるグッズといえば乾電池だろう。


最近はほとんど見ることもなくなってしまったが、昭和の頃には、角形と呼ばれる四角い乾電池をよく見かけたものだ。


この四角い乾電池は、9V(ボルト)電池とも呼ばれていて、普通の丸い乾電池の6倍もの高い電圧を持っている。


ちなみに普通の丸い乾電池は、1.5V(ボルト)の電圧になる・・・・・・。


角形乾電池は形状の違い意外にも大きな特徴があって、+極と-極の位置が、普通の乾電池とは違っていた。


普通の乾電池の場合、+極と-極は、上下に分かれているが、角形の乾電池の場合は、電池の上部に+極と-極が、2つ並んでいるのだ・・・・・・。


で、昭和の頃、この角形乾電池の電極の部分をペロリと舐めると、舌がビリビリするらしいという噂が、子供たちの間に流れたことがあった。


誰もが「そんな馬鹿な」と思っていたのだが、実はこの噂は本当で、大人の間では乾電池に電気が残っているか確かめるために、電極をペロリと舐めることはよく行われていたのだそう。


ただ、子供がまねをしたら危ないから、子供の前では乾電池を舐めることは控える大人が多かったため、子供たちの間では、あくまでも「うわさ」として認知されていたということらしい・・・・・・。


しかし、そんな気になる噂を聞いたら、本当かどうか、確かめてみたくなるのが子供というものだ。


そうはいっても、普通の乾電池ならともかく、9V(ボルト)という高い電圧を持っている角形乾電池を舐める行為は非常に危険である。


+極と-極を同時に舐めることに加えて、唾液で湿っている敏感な舌に電気が通ることになるわけだ。


もはやビリビリどころの話ではなく、舌を突き抜けるような衝撃と、火傷をしたような痛みがあり、その後も舌が引きつり、ジリジリとした感覚が、しばらくの間、続くことになる。


そしてこれを試してみた子供が思うことは、「こんなこと二度とやるまい」ということである・・・・・・。


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▲これは古いタイプの100円ライター。カチンコ(電気ショック)は、この100円ライターを分解して、着火部分を取り出したものだった・・・・・・。

ビリビリブームの頃、ビリビリを発生させるおもちゃ(?)も売られていた。


それは当時10円玉数枚で回すことが出来たガチャガチャの景品で、通称で「カチンコ(電気ショック)」と呼ばれていた・・・・・・。


カチンコはドッキリグッズとして開発されたわけではなくて、100円ライターの着火部分の部品だった。


形状としては、プラスチックで出来たちっちゃな長方形の箱だった。


そして箱の途中から短いコードが伸びていて、コードの先端だけ針金が露出していた・・・・・・。


使い方は単純で、針金部分を肌に当てて、ボタンを「カチッ!」と押すと、「ビリッ!」と激痛が走るというもの。


怖いもの見たさではないが、自分で体験してみたくて、自らの手に押し当てて、やってみる者もいたが、たいていの場合は餌食になるのは、クラスメートの誰かだった。


後ろで手を組んでいる者にそっと近づいて、「カチッ!」とやったり、「いいものをあげるから手を出して」といって、手を前に出させて、「カチッ!」とやったりしていた。


このためカチンコ(電気ショック)は、「友達をなくすグッズ」と呼ばれていた。


それにしても、こんなものが公然と売られていた昭和の頃って、いまでは考えられないような世の中だったんだな~とつくづく思う・・・・・・。


2025年6月11日 (水)

トラがライオンに化けた話

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▲小学校低学年の頃に図工の時間に作った卓球のラケット。子供が糸鋸を使って切り出したものなので、形はいびづでとても褒められたものではないが、意外なことに担任の先生の総合評価は高かった・・・・・・。

自分でいうのも何だが、私は子供の頃、絵がうまかった。


自分ではその自覚は全くなかったのだが、他人からそういわれることが多かったので、きっとそうなのだろう。


そのせいか小学校の頃は図工の成績は常に安定していた。


しかし、そうはいっても、私は絵を描くことが特別好きだったわけではなく、学校の授業以外では、絵を描くことなんて、ほぼなかったと思う・・・・・・。


上の画像は私が小学校低学年の頃に図工の授業で作った卓球のラケットだ。


まず、教材の板を糸鋸でラケットの形に切って紙やすりを丁寧にかける。


そして、自分の好きな絵を描いて彩色し、仕上げにニスを塗って完成という工程だったと思う。


見た目とは裏腹に、けっこう手間がかかっている作品なのである・・・・・・。


で、私はこの時、ライオンの絵を描いているのだが、「どうやったらこんなにリアルなライオンの絵が描けるのか?」と、クラスメートや担任の先生に感心されたものである。


子供というのは、動物の絵を描かせると、デフォルメしたようなイメージになってしまったり、ベースが人間の顔のようになってしまい、まるで妖怪のようなものを生み出してしまうことが多い。


ではなぜ私は、こんなにリアルなライオンの絵をかけたのだろう・・・・・・。


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▲これはタイガーマスクの原作漫画だ。ライオンの顔を描くに当たり、このトラの覆面はとても参考になった・・・・・・。

じつは私が子供の頃、タイガーマスクのアニメが人気で、しきりに再放送をやっていた。


ご多分に漏れず、私もタイガーマスクのアニメをテレビで見ていたのだが、ある日、「タイガーマスクってトラだよな・・・」と思い、「トラってどんな生き物だっけ?」と思い、動物図鑑を開いて、トラの顔をじっくり観察してみたことがあった。


するとトラの出ているページには、ネコ科の動物がまとめて掲載されていて、当然ライオンもしっかりと載っていた。


で、私は気付いてしまったのだ。


「あれ?ネコ科の動物って、模様を全部取っ払ったら、みんな同じ顔をしているな・・・」ということに・・・・・・。


そこでまず、アニメのタイガーマスクをお手本に、リアルなトラの顔を描いてみる。


ただし、虎柄の模様はいっさい描き加えない。


続けて模様のないトラの顔に、ライオンのたてがみをつけ加えてみる。


「・・・・・・!」


すると予想通り、ちゃんとライオンの顔になったのだ。


ネコにライオンのたてがみのかぶり物を被せても、変な違和感がないのはこのためである。


そんなわけで、私が図工の授業で、こんなにリアルなライオンの絵を描けたのは、タイガーマスクのおかげだったのである。


私の画力に驚いていた担任の先生や友人たちも、まさかこの絵のルーツがライオンじゃなくてトラであり、しかもタイガーマスクのアニメがその原点だったなんて、これぽっちも思ってもみないだろう・・・・・・。


当時は昼間から夜までアニメ番組をたくさん放映していたこともあり、どこの家庭でも、「勉強しないでアニメばっかり見て!」というのが、母親の定番の小言になっていた。


しかし、いま思えば、私はそのアニメから学ばせてもらったことが山ほどある。


本件のように学校の授業に生かせたこともあったし、社会に出て役に立ったこともあった。


だから一概に、「勉強しないでアニメばっかり見て!」というのは、間違った認識だと私は思うのだ・・・・・・。


もっというなら、学校の勉強の8割は社会に出たら何の役にも立たない。


トラがライオンに化けたように、最高の教材は、案外身近なところにゴロゴロ転がっているものなのだ。


重要なのはそれに気づけるかどうかである・・・・・・。



2025年5月 7日 (水)

光化学スモッグとは何だったのか?

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最近は全くといっていいほど聞かなくなったが、私が子供の頃は、よく光化学スモッグ注意報が発令されていた。


光化学スモッグが出ると、目がチカチカしたり、喉が痛くなったりするので、外には出ないようにいわれていた。


学校では光化学スモッグ注意報が出ると、必ず校内放送が流れ、窓を閉めるようにいわれたり、休み時間に校庭で遊べなくなったりしていた・・・・・・。


また、下校時には、「鼻と口をハンカチで押さえて帰りましょう」と、校内放送が繰り返し流されていたものだ。


ハンカチを忘れて来たものは、それが原因で肺がやられ、自分は死ぬんじゃないかと思い、必死に息を止めて歩いたりしていたものである。


もはやどうでもいい話だが、当時は光化学スモッグ注意報がしょっちゅう出ていたのに、なぜマスク持参でなかったのか、いま思うとかなり疑問である。


ハンカチで鼻と口を押さえるよりも、マスクをした方が両手が使えるし、その方がよっぽど楽だったのではないかと思うのだが、なんと光化学スモッグの有害なガス成分はマスクでは防げないのだとか。


いま考えると、マスクで防げないなら、ハンカチで口を押さえてもいっしょなんじゃないかと思うのだが・・・・・・。


そんなわけで当時は光化学スモッグがしょっちゅう出ていたのだが、「そもそも光化学スモッグとは何なのか?」については、当時子供だった私たちは、全く理解出来ていなかったように思う。


簡単にいうなら、光化学スモッグは大気汚染の一種で、発生すると周囲の見通しが低下し、薄く霧がかかったような状態になる。


その原因は工場や自動車から大気中に排出された窒素酸化物や炭化水素が、太陽光の紫外線を浴び、化学反応を起こして変質した、「光化学オキシダント」だといわれている・・・・・・。


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また、光化学スモッグが発生しやすい日というのも分かっていて、5月から9月のよく晴れた日の日中は要注意であったらしい。


前述のように、紫外線を浴びることで、化学反応が起きるため、夏の方が発生件数は多かったようだ。


また、風が強いと、スモッグが拡散されてしまうため、無風または風の弱い日の方が、発生しやすかったらしい・・・・・・。


で、人体への影響についてだが、一番多くいわれていたのが、目がチカチカしたり、目に痛みを感じたりすることだろう。


次に喉の痛みや咳が出ることについてもよくいわれていた。


また、ひどくなると、頭痛を感じたりする人もいたようだが、私の周りでは聞いたことがなかった・・・・・・。


そんなこともあって、光化学スモッグ注意報が出ると、授業を中断して、すぐに窓を閉めさせられたものである。


しかし、当時はエアコンなんて完備されていなかったので、蒸し暑い真夏の日中に、窓を閉め切った教室は、ただ、ただ、地獄でしかなかった。


そんなわけで、「ちょっとだけなら開けておいてもいいぞ」みたいなことをいっていたような気がする・・・・・・。


また、光化学スモッグ注意報が出ると、休み時間に校庭で遊ぶことが出来なくなった。


いつもはにぎやかな校庭に、ひとっこひとりいない光景は、何だかちょっと異様で怖かったものである・・・・・・。


そこまで徹底して休み時間に校庭で遊ばせなかったのに、なぜか体育の授業中に光化学スモッグ注意報が出た時は、「すぐに教室に入れ!」とはならずに、「あともう少しだから、これだけ終わらせてしまおう!」と、緊急なんだかそうじゃないんだか、よく分からない対応がされていた。


そんなこともあって、当時は子供ながらに、「光化学スモッグって、そんなにいい加減なものなのか?」と頭をひねっていたものである・・・・・・。


というのも、当時は「光化学スモッグはやばいものである」という情報は、あちこちから入って来るものの、自分自身は何も症状を感じたことがなかったのである。


そんなこともあって、家に帰ったあとは、もう友達と外で遊んだりしていつも通り過ごしていた。


だから当時の私にとって光化学スモッグは、「あるんだかないんだかよく分からないもの」でしかなかった。


分かりやすくいうなら、私にとっての光化学スモッグは、「口裂け女と同じような立ち位置に存在するもの」だったのである・・・・・・。


(画像上、里山ではヤマツツジが見頃になった・・・・・・。画像下、林床で咲くキンランの花・・・・・・)


2025年2月19日 (水)

「半ドン」という極楽

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「半ドン」という言葉をご存知だろうか。


半ライス、半チャーハンのように、どんぶりものを食べ切れないから、半分の量にしてもらうという意味ではない・・・・・・。


昭和の頃、会社は月曜から土曜までの6日間勤務が普通で、子供たちも当たり前のように、月曜から土曜まで学校に通っていた。


そんな中、土曜日だけは、午前中で学校は終わりだった。


これがいわゆる「半ドン」である・・・・・・。


ちなみに「半ドン」の言葉の由来は、「半分ドンタク」が訛ったという説がある。


「半分ドンタク」の「ドンタク」とは、オランダ語で「日曜日」という意味のようだ。


また、別の説もあって、「半分休みの土曜日」を略したともいわれている。


この他にも諸説あるようだが、早い話がいまとなっては、誰も本当の理由を知らないということだろう。


いったいどこの誰が言い出して、どういう意味だったのか、誰も記録なんて付けていないから、出所不明の謎の言葉になってしまったということだろう・・・・・・。


半ドンの日は午前中で授業が終わるので、朝からもう嬉しくてしょうがなかった。


平日だったら小学校は5時間目、6時間目まで授業があったので、下校時間は午後2時、3時が当たり前である。


ところが半ドンの土曜日は、午前中の4時間目で授業は終わりで帰ってよかったのだ・・・・・・。


しかし、ちょっとした問題もあって、4時間目の終了のチャイムが鳴ったからといって、「はい、さようなら~」とはいかなかったのである。


私も含めてとっくの昔に学生生活を終えた人からしてみると、きっと、もう忘れかけている記憶かと思うのだが、下校の前にはすることがあったはずである。


よ~く、思い出してみてほしい・・・・・・。


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そう、「教室の掃除」をしなければいけなかったのだ。


しかも、午前中で授業が終了ということは、当然のことながら、給食は出ないことになる。


平日だったら、「めんどくせ~」と思いながらも、帰るためにはさっさと掃除を終えなくてはいけないから、みんな黙々と掃除をしていた。


しかし、半ドンの日は給食がない。


いつもだったら、「パパッ」といい加減に、いや手早く済ませてしまう掃除だが、給食を食べていないというだけで、びっくりするくらい身体が動かないのだ。


ダラダラやっているわけでもないのに、半ドンの日の掃除ははかどらず、いつもの倍近くの時間がかかっていたように思う。


このように、「腹が減っていると、こんなにも身体が動かなくなるものか!」ということを実感出来るのもまた、半ドンならではの醍醐味だったのである・・・・・・。


べつに掃除当番でなくても、昼食は家に帰ってからだったので、帰りの通学路はとにかく腹が減っていて、みんな子供とは思えないほど覇気がなく、まるで病人が行進しているかのようにトボトボと歩いていた。


きっと、端から見たら、異様な光景だったに違いない・・・・・・。


ヘロヘロになりながら家にたどり着くと、母親が昼食の準備をして待っていた。


家の昼ご飯だから、べつに手の込んだものが出るはずもなく、インスタントの袋麺や、冷蔵庫に入っているもので、パパッと簡単に作れるものが出されるのだが、不思議なことにこれが信じられないくらい美味く感じられた。


人間という生き物は、極限まで腹が減っていると、粗末な料理でもご馳走に感じるらしい。


いつだったか、母にその話をしたところ、ひっぱたかれそうになったのを覚えている・・・・・・。


昼食を食べ終えて、生命の危機を脱すると、急に正常な思考が出来るようになり、「いつもだったら、まだ学校にいて、5時間目の授業を受けているんだよな~」などと、ふと思うことがよくあった。


しかし、「今日は半ドンの日なので、自分はもう家に帰って来ていて、いまから半日は休みなんだ~!」と実感すると、嬉しさのあまり、思わず「キャッ!」だか「ウへェッ!」だか忘れたが、自然とへんな声が出てしまい、その開放感を大の字になって、じっくりと味わったりしたものだった。


狭い部屋で大の字になり、うっとりとした表情をして、ニヤニヤしている様子は、きっと「危険な香り」がプンプンしていたに違いない。


ちなみに公立の学校に、完全週休2日制が導入されたのは、2002(平成14)年からだった・・・・・・。


(画像上、毎年、立春の頃に咲き始めるマンサクの花・・・・・・。画像下、お猿さんの顔に例えられることが多いセンダンの冬芽葉痕・・・・・・)


2024年7月16日 (火)

「謎フレーズ探偵」あした天気にな~れ

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子供の頃に、「あ~した、てんきに、な~あ~れっ ♪」という歌をうたいながら、靴の片方を遠くへ飛ばして、地面に落ちた靴の向きで、明日の天気を占ったことがあると思う。


そして靴を飛ばした後は、靴の着地点まで、靴の向きを確認しに行かなければならないのだが、靴を片方履いていないため、焦る気持ちをグッと堪えて、ケンケンをしながら、必死に移動をしていたのを、なんとなく覚えている・・・・・・。


で、占いの結果は、飛ばした靴が上向きになっていれば晴れ。


横向きだったら曇り。


逆さまだったら雨といわれていた。


しかし、天気占いをする時というのは、翌日が遠足やお祭り、子供会の花火大会など、子供が楽しみにしている行事であることが多く、占いの結果に納得がいかないと、「晴れ」になるまで、何度も占いを繰り返したりしていたものである。


ファミコンでゲームオーバーになるたびに、リセットボタンを押してしまう心理と全くいっしょである。


しかし、いま思えば、占いでこれをやってしまっては何の意味もないと思うのだが・・・・・・。


ところで、この天気占いをする時には、「あ~した、てんきに、な~あ~れっ ♪」と、歌をうたいながら、靴を飛ばしていたと思うのだが、このフレーズ、地域によっていくつかのバリエーションがあったようなのだ。


と、そうは言っても、最も一般的なのは、冒頭から書いている、「あ~した、てんきに、な~あ~れっ ♪」で、これは全国的に広まっている、最も一般的なフレーズのようだ。


で、これ以外には、以下のようなものが知られているようだ。


(歌詞A)

雨か天気か、雪、霜か


(歌詞B)

明日の天気はどうじゃ、雨か日和か、もう一度


(歌詞C)

明日、雨か日和か、天行て問うて来い


(歌詞D)

雨か日和か提灯か


(歌詞E)

あした天気にしておくれ


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で、これらのフレーズをパッと見て、何か気付くことはないだろうか。


どういう訳か、どのフレーズも、歌詞の初めに出て来る天気は、なぜか「雨」なのである。


どうしてこうも、そろいもそろって、ネガティブな歌詞なのだろう。


そしてこれはいったい、何を意味しているのだろうか・・・・・・。


もしかして、昔はこの天気占いは、明日の天気予報があまりよくない時に行うものだったのではないだろうか。


これらのフレーズを見ていると、私には「天気予報では明日は雨と言っていますが、本当に明日は雨になるんでしょうか、神様?」と、天に問いかけているような気がしてならないのだ・・・・・・。


そして極めつけは、歌詞Eの「あした天気にしておくれ」である。


これはもはや「問いかけ」ではなく、「お願い」である。


そしてこれは、冒頭の「あ~した、てんきに、な~あ~れっ ♪」も同様と言っていいだろう。


そしてこれについては、どうもちゃんとした理由があったようなのだ・・・・・・。


大正時代から昭和の初期頃までは、日本では下駄が最も一般的な庶民の履物であり、この占いも「下駄占い」と呼ばれていた。


ところが下駄は平安時代の中頃まで時代を遡ると、庶民はもちろん、貴族にとっても縁の薄い、「聖なる履物」であったらしい。


どういうことかというと、そもそも下駄という履物は、「占いの道具」として使われていたようなのだ。


具体的にどのようにして、占いに用いていたのかは定かではないが、雨乞いや日乞いの神事に使われていたといわれている。


ちなみに「雨乞い」とは日照りが続いて、水が枯れた時に雨を願って行う神事。


もう一方の「日乞い」とは長雨が続いた時に、晴れを願って行う神事のことをいう・・・・・・。


また、そもそも下駄という履物は、雨の日にぬかるみにはまらないように履くものだった。


平安時代には高下駄という歯の高い下駄を履いていたそうで、この高下駄のことを足駄(あしだ)と呼んでいた。


この足駄を「明日」にかけて、明日の天気を占うようになったともいわれているそうだ・・・・・・。


一方、子供の遊びとしての下駄占いについてだが、明日の天気が晴れなら、下駄の向きは表、雨なら裏が出るといわれていた。


じつはこれについては、その理由もちゃんと考察されていて、「低気圧の接近で大気中の水分が増えると、下駄の鼻緒が湿って重くなり、裏面が出やすくなるのではないのか?」というのだ。


しかし、下駄はその構造上、どうしても裏面が出やすく、この理論に基づいて占いに使用するのであれば、スニーカーなどの平らな靴の方が適しているといえるだろう・・・・・・。


また、子供の遊びとしての「下駄占い」に関してだが、まず飛ばした下駄の距離を競う、「下駄飛ばし」という遊びがあって、そこに後付けで天気占いの要素が融合したと考えるのが妥当のようだ。


そして飛ばした履物が下駄から靴に変わっても、この仕組みはそのまま引き継がれ、「靴飛ばし」という名前に変更になり、現在に至っているのである。


だからたとえ「天気占い」で雨が出たとしても、「今のは距離が出ていたから、晴れに繰り上げだな」などという、謎ルールがあったりして、結局は自分の都合のいい天気に決定していたように思う。


そういう意味では、当時の子供は「神」だったのかもしれない・・・・・・。


(画像上、オニユリが咲き始めると、本格的な夏はもうすぐそこまでやって来ている・・・・・・。画像下、木の根元から樹液がしみ出しているらしく、アカボシゴマダラを始め、昆虫たちが集まって来ていた・・・・・・)


2024年7月10日 (水)

「昭和の遊具」タイヤの遊具

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▲昭和の頃にはよく見たタイヤの遊具だが、最近は学校や公園から姿を消しつつある・・・・・・。

私が子供の頃、学校の校庭や公園には、必ずタイヤの遊具が設置されていた。


当時、最もよく見かけたタイヤの遊具は、半分が土に埋められているタイヤが、等間隔に並べられているものだった・・・・・・。


ところでこのタイヤの遊具だが、いま考えると、名前も分からなければ、遊び方も分からない謎の遊具だった。


このため遊び方も人それぞれで、跳び箱を飛ぶように、タイヤの上部に手をついて、ピョンピョンと連続して飛び越えて行く者や、タイヤの上に乗って、バランスを取りながら、タイヤからタイヤへと、飛び移って行く者などがいた。


また、タイヤのカーブに自分の背中を当てて、ブリッジのような姿勢になって、「ぬあ~~~っ!」などと叫んでいるやつや、タイヤの穴に自分の身体をすっぽり通して、そのまま地面に横たわり、タイヤの上を飛び越えて行く者が、自分の上に落下して来て、顔や股間を踏み付けられるんじゃないかというスリルを楽しんでいるおかしなやつもいた。


当時はそんなことをして、いったい何が楽しいのか、意味がさっぱり分からなかったものだが、いま思えば彼は、足を滑らせて落下して来た女子に、本当に顔や股間を踏み付けられたかったんじゃないかと思う。


いわゆる「どMのはしり」というやつだ。


大人になった彼の性癖がエスカレートしていないことを祈るばかりである・・・・・・。


ところでこのタイヤの遊具、設置されている施設によって、タイヤの埋まり具合や、タイヤとタイヤの間隔が微妙に違っていた。


タイヤの埋まり具合に関しては、タイヤの半分程度が、地面に埋められているのが普通だが、半分以上が土に埋められて、タイヤの上部だけが地上に出ているところもあった。


これでは低すぎて、跳び箱のようにピョンピョン飛び越えて行くことは出来ず、自動的にタイヤの上をバランスを取りながら歩いて行く遊び方しか出来なかった。


で、それが面白いかと言われれば、決して面白くはないのはいうまでもないことだ・・・・・・。


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▲タイヤの埋まり具合や間隔には、これといった決まりはなかったようで、それぞれの施設でまちまちだった・・・・・・。

また、タイヤの埋まり具合は普通だが、タイヤとタイヤの間隔がおかしなことになっている公園もあった。


普通はタイヤとタイヤの間隔は、子供が飛び越えられるくらいの間隔で並べられているものだ。


ところがその公園では、「間隔」などという概念は一切なく、タイヤは全てくっつけた状態で並べられていた。


これでは丸太が置いてあるのと変わらない。


これでいったいどうやって遊べというのか。


ちなみに私はそのタイヤの遊具で、子供が遊んでいるのを見たことは一度もなかったが、酔っ払いがベット代わりにして寝ているのは、何度か見たことがあった・・・・・・。


タイヤの遊具といえば、横倒しにしたタイヤを、3本のロープで吊った、ブランコのような遊具もあった。


テレビでパンダが乗って遊んでいるのをよく見ると思うがアレである。


ただ、このタイヤのブランコ、見た目はブランコなのだが、子供にはけっこう高さがあって、タイヤの部分に座ると、足が地面に届かないのである。


だから誰かがいっしょにいないと、ブランコのように揺らして遊ぶことが出来なかった。


遊び方としては、友達に後ろから押して揺らしてもらうのが一般的だったが、友達にタイヤの部分を、ハンドルを回すようにゆっくりと回転させてもらい、3本のロープを三つ編み状にして、限界まで達したところでパッと手を離し、タイヤを高速で回転させる遊び方が最も流行っていた。


タイヤといっしょに高速で回転しながら、振り落とされないように、必死にしがみついていると、知らないうちに尻がタイヤの穴にハマっていき、回転が止まった後に、タイヤの穴から尻が抜けなくなって焦っているやつもいた。


友達に協力してもらって、なんとかタイヤから尻を抜いたはいいが、今度は目が回っているため、まともに歩くことが出来ず、まるで酔っ払いのコントでも見ているような歩き方で、左前方にある砂場に突進して行き、でんぐり返しをして、ようやく立ち止まるという有り様だった。


そして公園で遊んでいた小さな子供たちは、その滑稽な歩き方に大爆笑で、フラフラになって砂場で転がっている彼も、その様子を見てまんざらでもない様子だった。


きっと彼は、当時子供たちに大人気だった、ドリフのコントのようなことが出来て、満足だったのだと思う・・・・・・。



2024年6月 4日 (火)

「謎フレーズ探偵」グッとパーでわかれましょ ②

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私が小学生の頃、チーム分けが必要な遊びをする時には、グーとパーのどちらを出すかで、集団を2つに分けていた。


例えば野球やキックベース、ドッチボールなどの球技や、ケイドロをはじめとする鬼ごっこなどで遊ぶ時がそうである。


そしてこのグーとパーによるチーム分けの際には、専用の掛け声があって、前回は基本的ともいえる、シンプルなものをいくつかご紹介した。


で、今回は意味がよく分からない、謎のフレーズが含まれている掛け声に焦点を当てて、その謎を考察してみようと思っている・・・・・・。


(掛け声 G)

「グッパージャス」


じつはこの掛け声は、今回情報収集(友人、知人への聞き込み)に協力してもらっているYさんから提供してもらった。


Yさんは私と同じ神奈川県横浜市出身なのだが、私が子供の頃には、この掛け声はなぜか聞いたことがなかった。


で、この掛け声をパッと見て、多くの人が疑問に感じるのは、「グッパージャス」の「ジャスとはなにか?」ということだろう。


そこでそのことをYさんに聞いてみると、「子供の頃は気にもしていなかったけど、たぶんピッタリ分けるって意味でジャストなんじゃない?」という。


ちなみにYさんのお友達数名にも聞いてみてもらったのだが、「ジャス」の語源まではご存じないようだった・・・・・・。


(掛け声 H)

「グッパージャン」


こちらの掛け声は「ジャス」が「ジャン」に変化している。


「じゃん」というと、「横浜市の方言なんじゃないか?」という人がいるのだが、この掛け声は横浜市出身の私とYさんは一度も聞いたことがなかった。


情報提供者のTさんは東京都の出身で、「ジャン」の意味を尋ねると、「グーとパーに分かれるじゃんけんだからじゃないか?」と、びっくりするほどシンプルな回答だった。


ちなみにこの「グッパージャン(H)」には、「グッパー、グッパー、グッパー、ジャン」という長いバージョンもあったそうである。


ただ、「面倒くさいので、グッパージャンで済ますことが多かった」のだそう。


どうでもいいが、「グッパージャン」はスパイスの聞いた調味料、「グッパー、グッパー、グッパー、ジャン」は、そのCM曲みたいで、なんだか笑える・・・・・・。


Photo_20240604165602

(掛け声 I)

「グッパーエス」


「ジャス」、「ジャン」と来て、今度は「エス」である。


「エスってなんだよ!」と思わずつっこみたくなるのは、私だけではあるまい。


ちなみにこちらの掛け声は、千葉県出身のIさんから情報を提供してもらった。


誤解のないように書いておくが、Iさんは普段は「グッとパーでわかれましょ(A)」を使うことの方が多かったそうである。


今回わたしが珍しい掛け声を探していると聞いて、「そういえばグッパーエスもあったな」と思い出してくれたようだ。


で、「エス」の意味についてだが、Iさんは「そんなの知らないよ」といいながらも、「掛け声繋がりで、オーエスのエスとかじゃないの?」と、無理矢理答えらしきものを捻り出してくれた・・・・・・。


(掛け声 J)

「うーららおーもーて」


この掛け声を聞いて、まず思うのは、「あれ?グッパーじゃないの?」ということだ。


そう、「うーららおーもーて」は、グーとパーで分かれるのではなく、手の甲を出すか、手の平を出すかで、チーム分けをするのだそうだ。


情報提供は長崎県出身のMさんで、「子供の頃のチーム分けは、ほぼ100%これだったと思う」とのことだった。


私は子供の頃、この掛け声は1度も聞いたことがなかったのだが、じつは神奈川県や東京都でも、「うーららおーもーて」を使っていた地域はあったのだそうだ。


ちなみにMさんの話では、「うーららおーもーて」は、ちょっと隣の市や町へ行くだけで、「ら」が1つ減って、「うーらおーもーて」になったり、イントネーションが微妙に変わったりしていたとのことだった・・・・・・。


という訳で今回は、誰もが子供の頃に、何度となく使っていたであろう、チーム分けの際の掛け声を採り上げてみた。


1つ残念だったのは、私を含めて情報収集(友人知人への聞き込み)に協力してもらった人たちが、みんな神奈川県出身者ということもあって、関東地方の掛け声が中心になってしまったことだ。


きっと、全国的に調査をすれば、もっとバラエティー豊かな掛け声が出て来るのだろう・・・・・・。


ただ、1つ分かったことは、そのような広範囲の調査でなくても、自分の住んでいる町から、ちょっと隣町へ行っただけで、掛け声が微妙に変化していたり、聞いたこともないような掛け声が存在していたりしていたことだ。


だからこれを全国レベルでやったら、きっと膨大な量の掛け声が集まって来ることになり、数回程度の連載ではとてもさばき切れなかったことだろう。


そういう意味では、このぐらいでちょうどよかったのかなぁと思っている・・・・・・。


(画像上、ナツツバキの花が咲き始めた・・・・・・。画像下、シモツケの花が咲くと、見慣れた道がとても華やかになる・・・・・・)


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