カテゴリー「中学校」の記事

2024年5月29日 (水)

「謎フレーズ探偵」グッとパーでわかれましょ ①

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私が小学生の頃、チーム分けが必要な遊びをする時は、グーとパーのどちらを出すかで、集団を2つに分けていた。


例えば野球やキックベース、ドッチボールなどの球技や、ケイドロをはじめとする鬼ごっこで遊ぶ時がそうである。


で、このグーとパーによるチーム分けなのだが、いろいろな人に話を聞いてみると、地域によってその掛け声に様々なバリエーションがあることが分かった。


ちなみにここでいう「地域」とは、都道府県などの広い範囲だけではなく、市区町村などの狭い範囲も指している。


現実に私が子供の頃には、中学に進学して、他の地域に住むクラスメートと交流するようになると、それまでは聞いたこともなかったような掛け声で、チーム分けをしようとするものが現れて、たいへん驚いたものである・・・・・・。


ちなみに私が小学生の頃に、チーム分けに使っていた掛け声は、以下のようなものだった。


(掛け声 A)

「グッとパーでわかれましょ」


私の記憶ではチーム分けの際は、ほぼ100%といってもいいぐらい、この掛け声だったと思う。


(掛け声 B)

「グットッパ」


時間がない時や、何らかの理由で急いでチーム分けをしなくてはいけない時などはこれだった。


恐らくこの掛け声は、その使い方から考えても、「グッとパーでわかれましょ(A)」を短縮したものと考えるのが自然だろう。


私が小学生の頃に使っていた、チーム分けの際の掛け声は、この2つだけで、これ以外の掛け声は、当時は聞いたことがなかった。


ちなみに私は神奈川県の横浜市出身である・・・・・・。


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中学に進学して、他の地域に住むクラスメートと交流するようになると、これらの掛け声にバリエーションが存在していることを知ることになりたいへん驚いた。


そしてそれは、掛け声A、掛け声Bともに存在していたのである。


それがこちらになる(↓)。


(掛け声C)

「グッとパーであえばいい」


これは掛け声Aのバリエーションと思われる。


個人的には小学生の頃は、ず~っと「グッとパーでわかれましょ」に慣れ親しんでいたので、正直なところ、「グッとパーであえばいい」には違和感しかなくて、「あえばいいとは、いったいどういう意味だろう?」とずっと思っていた。


これについては、いま考えても、思わず頭を捻ってしまうのだが、恐らく「数が合えばそれでいい」という意味だったのだろう。


しかし、それって、日本語としてどこかおかしくはないだろうか。


そう考えると、もともとの掛け声はどうもAのような気がする・・・・・・。


(掛け声D)

「グッチッパ」


これはどう考えても、掛け声Bのバリエーションだ。


なぜ、「グットッパ(B)」が「グッチッパ(D)」になったかは定かではないが、恐らくこの掛け声は、「グーチョキパー」を短縮したものだと思われる。


しかし、チーム分けにはチョキを使うことはないのに、なぜこのような掛け声になったのか疑問に感じる。


そしてこの掛け声については、さらなるバリエーションがあった。


(掛け声E)

「グッパッパ」


グーとパーで分かれるから、「グッパッパ」なのだろうが、これでは「パ」が1つ多い気がする。


そんな訳で、個人的にはもう一捻り欲しいところだ。


(掛け声F)

「グッパッしょ」


最初、「しょ」とは何のことだろうと思っていたのだが、掛け声のリズムからして、どうもジャンケンをする時の、「あいこでしょ」の「しょ」のようだった。


そう思って、「しょ」はひらがな表記にしてみた。


恐らく「グッパ」ではリズム感が悪いので、「あいこでしょ」の「しょ」を語尾に強引に付けてみたということではないだろうか・・・・・・。


そんな訳で、「グットッパ(B)」、「グッチッパ(D)」、「グッパッパ(E)」、「グッパッしょ(F)」という一連の短縮系の掛け声のもとは、「グットッパ(B)」ということになりそうだ・・・・・・。


(次回②へ続くよ・・・・・・)


(画像上、風車のような形をしたヤマボウシの花・・・・・・。画像下、甘い香りを漂わせながら、スイカズラがたくさんの花を咲かせている・・・・・・)


2024年5月23日 (木)

「昭和の遊具」雲梯

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最近、「小学校の校庭が嫌にすっきりしてしまったなぁ」と思っていたところ、私が通っていた当時にはあったはずの遊具が、ことごとくなくなってしまっていることにふと気付いた。


そのうちのひとつが「雲梯」である。


雲梯とは梯子をアーチ状にしたような遊具で、私が子供の頃には学校には必ず設置されていたものだ。


私の母校にあったものはアーチ状のものだったが、他にも梯子の部分が水平になっているものや、山形になっているもの、また、梯子ではなく吊り輪になっている特殊なタイプもあったようだ・・・・・・。


遊び方としては、梯子状の持ち手の部分にぶら下がり、右手、左手と交互に使いながら、前へ前へ進んで行き、端まで行き着いたらゴールになる。


例えるなら木の枝から枝へ、腕の力だけで移動して行く、お猿さんのイメージだ。


このため雲梯をサクサクとリズミカルに進んで行くことが出来る者は、男女問わず高確率で、「オランウータン!」とか「モンキー!」という掛け声を掛けられていたものだ・・・・・・。


ところでこの雲梯で遊ぶためには、ある程度の腕の筋力が必要になる。


このため小学校低学年の頃は、雲梯で遊ぼうなんてやつはほとんどいなかった。


しかし、学年が上がるにつれて、次第に筋力もついて来て、梯子の持ち手を、1つ飛ばしや2つ飛ばしで持ち替えながら、前へ前へ進んで行く者も現れるようになって来る。


この頃になると、自分が少しずつ猿に近付いて行っているのを、なんとなく実感出来たものである。


雲梯を端から端までクリアした者は、今度は梯子の上へよじ登り、まるでイグアナのような姿勢で、反対側まで歩いて行くという、離れ業を身に着けていった。


一見かっこうよく感じるのだが、よく考えてみれば、これは哺乳類から爬虫類への退化であることを忘れてはならない・・・・・・。


ところでこの雲梯だが、いま考えると、遊具というより身体を鍛える目的の設備だったような気がする。


というのも、雲梯は体育の授業にも取り入れられていたからだ。


雲梯をスムーズに渡って行くためには、握力や腕の筋力が必要なのはもはや言うまでもない。


さらに腕を交互に繰り出して、常に一定のペースで持ち手を持ち替えて行かないと、バランスを崩して途中で落下してしまうことになる。


雲梯にはリズム感が必要なのだ・・・・・・。


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また、端から端まで落下することなくゴールするためには、ある程度の持久力も必要になって来る。


雲梯は日常的に遊ぶことで、握力や腕の筋力、腹筋や背筋、持久力やリズム感まで、効果的に鍛えることが出来るのだ。


遊んでいるだけで、自然に身体を鍛えることが出来るのだから、子供の成長に伴う筋力の向上にとって、こんなに理想的な遊具はないといえるだろう・・・・・・。


では、そんな優秀な遊具だった雲梯が、なぜなくなってしまったのだろうか。


これについては、いくつかの要因があったようだ。


1つは雲梯は跳び箱などと違って、校庭に常に設置されている遊具なので、子供たちがいつでも自由に遊ぶことが出来たこと。


自由に遊べるということは、先生や大人の見ていない所で、何が起こってもおかしくないということだ。


例えば学校帰りにランドセルを背負ったまま、雲梯の上へあがって遊んでいた子供が、持ち手の梯子の部分にひっかかってしまい、宙吊りになって動けなくなってしまったなどの事故が起きていたようなのだ。


誰かがいっしょにいれば、すぐに発見してもらえるのだが、1人で雲梯に宙吊りになっている様子は、なんとも間抜けとしか言いようがない。


ランドセルを下ろさずに、横着をした結果がこれである・・・・・・。


そして、このような事故は決して少なくなかったようで、どうやらこれが危険と判断されたらしい。


また、そのような事故以外の要因としては、子供の体力低下が挙げられるという。


昔は学校のスポーツテストで、「懸垂」という種目が必ずあった。


ところが現在では、懸垂が1回も出来ない生徒が急増して、1999(平成11)年頃に、懸垂の種目は廃止になってしまっている。


懸垂を1回も出来ないなんて、私が子供の頃にはちょっと考えられない話だが、確かに懸垂が出来なければ、雲梯で遊ぶことなんて、絶対に不可能だろう・・・・・・。


私が小学生の時の卒業アルバムを開いて見ると、雲梯に数名ずつぶら下がって撮ってもらった写真や、みんなでジャングルジムに捕まって撮った写真など、遊具で撮った写真がたくさん収められている。


しかし、現在の小学校の校庭には、鉄棒以外の遊具は、何もなくなってしまった。


そんな風景を眺めていると、いまの卒業アルバムは、きっと寂しいことになってしまっているのだろうなぁと思わずにはいられない・・・・・・。


(画像上、初夏の林縁ではウツギの花が見頃に・・・・・・。画像下、公園ではピンク色のヤマボウシが咲き始めた・・・・・・)





2024年2月23日 (金)

「謎フレーズ探偵」いっせーの1!②

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私が小学生の頃、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」がプチブレイクしていたことがあった。


このゲームでは、「いっせーの1!」といった具合に、掛け声をかけながら、数字をコールしていたのだが、全国的に見ると、じつに様々な掛け声があったようなのだ。


で、この辺のことに関しては、前回詳しく書かせてもらっているので、そちらを参考にして欲しい・・・・・・。


で、今回は最もオーソドックスと思われる、「いっせーの」という掛け声に焦点を絞って、調査を進めて行こうと思っている。


じつはこの最もオーソドックスと思われていた、「いっせーの」という掛け声なのだが、細かく調べてみると、「いっせーの」という言葉にも、地域性があることが分かった。


私の出身は神奈川県の横浜市だが、小学生の頃、この遊びの掛け声は、「いっせーの1!」だった。


で、調べてみると、この掛け声は、やはり関東地方で勢力が強い掛け声だったようだ・・・・・・。


ところが意外だったのは、同じ関東でも、「いっせーの」ではなくて、「いっせーのーせ」という掛け声を採用している地域もあったようなのだ。


これについては、私は小、中、高を通してみても、一度も聞いたことがなかったので、たいへん驚いている。


と、そうは言っても、「せ」がたった1文字増えただけなのだが、実際に「いっせーのーせ」の掛け声で、この指遊びをやってみると、なれていないせいか、どこで数字をコールしたらいいのか、ちょっとタイミングが分からなくなってしまう・・・・・・。


ちなみに誤解のないように書いておくと、私が子供の頃は、「いっせーのーせー」という掛け声は、指遊びには使われていなかったが、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」としては日常的に使っていた。


だから「いっせーのーせ」という言葉自体は、関東では方言や地域性のある言葉という訳ではなくて、標準語と言っていいと思う・・・・・・。


ところでこの「いっせーのーせ」という掛け声だが、関西地方へ行くと、「いっせーのーで」という掛け声に変わる。


そしてこれは、指遊びの掛け声のみならず、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」としても、日常的に使われているそうなのだ。


たった1文字、「せ」が「で」に変わっただけなのだが、関東ではそのような言い方はしないので、横浜市出身の私としては、もはや違和感しかない・・・・・・。


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また、関東地方では、相手とタイミングを合わせる時に、「せーの」という言い方もするが、これも関西地方では、「せーのーで」になるのだそうだ。


どうやら関西では、語尾に「で」が付くらしい。


関東人としては、なんだかタイミングをずらされたような感じで、思わず、ずっこけそうになってしまう・・・・・・。


で、指遊びの掛け声だが、他の地域ではどうなのか見て行くと、「いっせーの」という言葉の原形を留めているものに関しては、あとは中部地方の「いっせっせーの」が見られるぐらいだった。


そしてこの「いっせーの」、「いっせーのーせ」、「いっせーのーで」、「いっせっせーの」に共通して言えることは、再三書いているように、「指遊びの掛け声」であると同時に、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」でもあるという点だ。


これについては、前回ご紹介した、「う~~」や「バリチッチ」、「せっさん」などにはない特徴といえる。


そして全国的に見て、この指遊びの最もメジャーな掛け声といえるのが、この「いっせーの系」なのである・・・・・・。


そんな訳でここからは、本題である指の数を当てるゲームからはちょっと離れて、単純に「いっせーの」という言葉について、もう少し深堀してみようと思っている。


「そもそもの話、いっせーのとはなんなのか?」ということである。


じつはこの「いっせーの」という言葉は、調べてみると、日本列島のほとんどの地域で使われている言葉であることが分かった。


で、ざっくり見て行くと、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」には、「いっせーの」と「せーの」という2通りの言い方があることが分かった。


そこで多くの人が疑問に思うのは、「じゃあ、なんで2通りの言い方があるのか?」ということだろう。


そんな訳で次回は、まずそのあたりから、紐解いて行こうと思っている・・・・・・。


(画像上、里山では早春に咲く花、マンサクが咲き始めた・・・・・・。画像下、猿の顔に例えられるセンダンの冬芽葉痕・・・・・・)


2024年2月17日 (土)

「謎フレーズ探偵」いっせーの 1!①

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▲「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」は、地域によって様々な名前で呼ばれていた・・・・・・。


私が小学生の頃、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」がプチブレイクしていたことがあった。


どんなゲームだったのかというと、まずジャンケンをして、先攻、後攻を決める。


そして握りこぶしをくっつけた状態で、両方の親指を前に伸ばす。


次に先攻の者が、「いっせーの2!」などと、数字をコールするのと同時に、「親指を片方上げる」、「親指を両方上げる」、「両方の親指を下げたまま」のいずれかのポーズをする。


この親指のポーズは後攻の者もコールに合わせていっしょに行う。


そして上がっている親指の数と、コールした数字が同じだった場合には片方の手を引く。


例えば「いっせーの3!」で自分の親指が1本で、相手が2本だった場合、コールした数が当たっていたことになるので、片方の手を引くことになる。


そして最終的に数が当たって、両方の手を引いた者が勝ちになる。


どうだろうか、なんとなく思い出してもらえただろうか・・・・・・。


ところでこのゲーム、私が小学生の頃には、特に名前はなかったと思うのだが、ある時期から「指スマ」という呼び方で知られるようになって、それを知った時には「なんで?」と疑問に思ったものだ。


「指」は分かるものの、「スマ」とはいったいなんのことなのか。


そう思って調べてみると、どうもそのきっかけは、1998(平成10)年に放映された、「SMAP×SMAP」というテレビ番組だったようで、これを略しての「スマ」だったらしい。


しかし、今となっては、その事情を知らない人も増えて来て、名前の由来を知らずに、そう呼んでいる人もいるようだ。


そう考えると、「それって、ゲームの名前にするのはどうなの?」という気がしないでもない・・・・・・。


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▲両方の親指を立てない状態は「0」で、私が小学生の頃は、「いっせーの 0!」とコールしていた・・・・・・。

ところでこのゲーム、冒頭でも書いたように、私が小学生の頃には、「いっせーの1!」と掛け声をかけていた。


ところがこの掛け声、地域によってずいぶんと違うようなのだ。


ちなみに私の出身は横浜市だが、小学生の頃は「いっせーの1!」一辺倒だったが、中学生になるとこれに加えて、「う~~1!」と掛け声をかける者も現れた。


「いっせーの1!」は単調なリズムで、淡々とゲームが進んで行くが、「う~~1!」の方は、「う~~」の長さをその都度変えることで、相手との駆け引きが生まれていた。


例えば「う~~~~1っ!」と、通常の倍ぐらい「う~」の掛け声を伸ばして、相手をイラつかせたり、逆に「う~1っ!」と掛け声を短く切ることで、相手に考える暇を与えず、両親指を下げたままの「ゼロ」で出させたりしていたものだ・・・・・・。


そんな訳で横浜では(というか、私の通っていた学校では)、「いっせーの1!」と「う~~1!」の2パターンだったのだが、全国的に見ると、じつに様々な掛け声があったようだ。


例えば三重県周辺の「バリチッチ」をはじめ、「ちっちーの」や「ちっち」など、「ちっち系」はよく知られている。


これらは言葉が似ていることもあって、元は同じ掛け声だったんじゃないかと推理することも出来る。


また、山口県周辺の「チーバリ」は、もしかしたら三重県の「バリチッチ」を逆から読んだものではないだろうか。


「ザギンでシースー(銀座で寿司)」的なことなのかもしれない・・・・・・。


また、少数派だが面白いところでは、秋田県の「たこたこ」、千葉県の「チュンチュン」、愛知県の「ビーム」、京都府や福井県の「ルンルン」などがある。


特筆すべきは山梨県の「せっさん」で、これについては、どうイントネーションを変えてみても、とてもゲームの掛け声とは思えない。


で、「せっさん」とはいったいどこ由来の言葉なのかと思い調べてみると、どうも漢字で書くと、「積算」か「説算」のいずれかであるらしい。


言葉の意味としては、指の合計を出すから「積算」、また合計の数を述べるから「説算」という考え方である。


さらに曲げた指を数えることから、「折算」という説もあるようだ。


早い話がどれが本当の由来なのかは、よく分かっていないということだろう。


ただ、1つ言えることは、昔から山梨県は、日本古来の数学である「和算」がとても盛んな地域として知られている。


そんな背景もあって、「数学にちなんだ掛け声が採用されたのではないか」と考える人も少なからずいるようだ・・・・・・。


ところで、この指遊びの掛け声で、私が一番驚いたのは、以前テレビ番組で、NiziUのMAKO(マコ)さんが、学生の頃にどんな掛け声で、この指遊びを遊んでいたかを聞かれて、何の迷いもなく、「ギンギラギンの1!」と答えていたことである。


他のメンバーはもちろんだが、その時スタジオにいた全員が、「え~~~!」という顔をしていたのが私は未だに忘れられない。


それにしても、「ギンギラギンの」って、いったいどこから出て来た言葉なのだろう。


全くもって謎としかいいようがない。


ちなみにMAKO(マコ)さんは福岡県の出身だが、県内全域が「ギンギラギンの」という訳ではないのでお間違いなく・・・・・・。


2024年2月 5日 (月)

プールの腰洗い槽

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私が学生の頃、学校で水泳の授業がある時は、まず冷水のシャワーを浴びて、その後に「腰洗い槽」に浸かってから、プールに入るよう指導されていた。


ちなみに「腰洗い槽」とは、入り口と出口にそれぞれ階段が付いていて、中央がまるで浴槽を地面に埋めてあるように窪んでいる設備だった。


そして「腰洗い槽」の中には、塩素消毒剤入りの水が張られていて、ここに浸かることで、身体の殺菌が行われるとのことだった・・・・・・。


生徒たちはまず、入り口から階段で下りて行き、「腰洗い槽」に浸かるのだが、この時に両手を頭の上に乗せておくように指導されていた。


なぜかというと、「腰洗い槽」の塩素濃度は、プールの塩素濃度よりも高く設定されていたからだ。


このため、「腰洗い槽」の水に浸かった手で、自分の目を触ってしまうと、濃度の高い塩素が目に入ってしまう危険性があったのだ。


ちなみにプールの塩素濃度は0.4ppm~1.0ppm。


それに対して「腰洗い槽」の塩素濃度は50ppm~100ppmに設定されていた。


両手を頭の上に乗せておく理由については、先生から事前に説明されていたと思うのだが、小学生の頃は「腰洗い槽」に浸かる時は、まるでみんなで風呂に入っているような気分でテンションが高く、誰もが「キャー、キャー!」とはしゃいでいたので、そんな話は誰も聞いていなかったと思う・・・・・・。


で、両手を頭の上に乗せて、「腰洗い槽」に浸かってからは、その場で10秒間立ち止まっていなくてはならなかった。


そしてその間は、「い~ち、に~い、さ~ん、し~い、ご~お、ろ~く・・・」とみんなでカウントしていた記憶がある。


そしてその様子はまるで、本当に家で風呂に浸かっている時のようだった。


「どうせなら、ちょうどいい湯加減にしてくれればいいのに」と思っていたのは、きっと私だけではあるまい。


で、この「腰洗い槽」に入る目的なのだが、確か「腰から下を殺菌するため」と説明されていたように思う。


当時はプールに入るための流れ作業ぐらいにしか思っていなかったが、いま考えると、なんだか「風呂に入っていない人」みたいで失礼な話である・・・・・・。


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そんな「腰洗い槽」なのだが、最近は初めから設置されていないプールも増えているそうで、過去に「腰洗い槽」を使用していたプールでも、現在はもう使っていない所も少なくないそうだ。


で、その理由については、いくつかあるようだが、「腰洗い槽」が有効かどうかを確認するために行った実験では、大腸菌を付着させた水着を、「腰洗い槽」に5分間浸した場合と、水道の水で30秒間洗い流した場合で比較したところ、除菌率はほとんど変わっていなかったそうなのだ。


つまり10秒間、「腰洗い槽」に浸かったぐらいでは、なんの意味もなかったということになる。


ただ単に高濃度の塩素に浸からされ、目を危険にさらしていただけだったのである。


いまとなっては、もうどうでもいい話だが、なぜ「腰洗い槽」を設置する前に、その実験をやらなかったのだろう。


そんな話を聞かされるたびに、「われわれ昭和世代って、いろいろな場面で、何かと実験台にされて来たよなぁ」とつくづく思う・・・・・・。


プールの濾過、浄化設備の性能が向上したこともあり、現在では「腰洗い槽」の使用は、各学校の判断に任されているようだ。


そんな訳で、「腰洗い槽」を使っていない学校では、「腰洗い槽」はプールの脇にある謎の窪みと化しているのである。


撤去出来るような設備ではないので、仕方ないといえば仕方ないのだが、そのうち「腰洗い槽」にまつわる都市伝説が生まれそうな気がしてならない・・・・・・。


使われなくなった設備といえば、プールの授業の後に、目を洗うために設置されていた専用の蛇口も今はもうないそうだ。


こちらは「腰洗い槽」と違って、簡単に取り外せるので、今はもう撤去されてしまっている施設が多いようだ。


見たことのない人のために簡単に説明すると、上向きにU字状になっている蛇口があって、U字の先端の2ヵ所から、「ピューーーッ!」と水が出るようになっていた。


これがちょうど両目の幅と同じになっていて、洗眼用として利用されていたのだ。


昔は眼病予防のために、プールの後には必ず目を洗うよう指導されていたので、どこのプールにも必ず設置されている設備だった。


ところがその後の研究で、プールの後の洗顔は、目の表面にある粘膜を保護しているムチンを減らし、角膜の上皮バリア機能を破壊してしまう恐れがあることが分かったのだという。


また、当時は洗眼用の蛇口からは、けっこうな勢いで水が「ビュー、ビュー」出ていたのだが、この水圧もムチンがはがれやすくなる原因になるのだそうだ。


当時はプールの後はしっかりと目を洗うように言われていたので、その水圧を感じながら、ガンガン目を洗っていたものだ。


これでは眼病予防どころか、自ら率先して目を傷めつけていたことになるだろう。


「腰洗い槽」のところでも書いたように、「われわれ昭和世代って、いろいろな場面で、何かと実験台にされて来たよなぁ・・・」とつくづく思う、今日この頃である・・・・・・。


(画像上、毎年、2月に入ると咲き出すマンサクの花・・・・・・。画像下、落ち葉の下からフキノトウが顔を出した・・・・・・)


2024年1月30日 (火)

エロ本の自動販売機

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現在ではもう絶滅してしまったが、かつては「エロ本の自動販売機」が、街角に堂々と置かれていた時代があった。


エロ本の自動販売機は、商品窓にマジックミラーが使われていて、普段は中に何が入っているのか見えないようになっていた。


そして日が暮れてあたりが暗くなると、自動販売機のライトが点灯して、初めて中が見えるような仕組みになっていた。


当初わたしは、故障した自動販売機に、客が誤って硬貨を投入してしまわないように、商品窓を銀色の紙で覆って、見えないようにしてあるのだろうと、勝手に思い込んでいた。


しかし、故障した自動販売機なのに、いつまでも撤去されずに、その場所に放置されていて、変だなとは思っていた・・・・・・。


ところでこの「エロ本の自動販売機」、最盛期には全国に2万台以上が設置されていたそうである。


そしてそれは、当時の書店の数と、ほぼ同数だったというから驚きである。


ということは、私が「エロ本の自動販売機」を街で見かけていた頃は、もう、とっくにピークは過ぎていたということなのだろう・・・・・・。


そしてそれは自動販売機の中身を見ても明らかだったようである・・・・・・。


じつは当初自動販売機で売られていたエロ本は、ヌードグラビアと記事ページからなる、いまでいう「成人向け週刊誌」のような構成であったらしい。


そしてそれは、表紙とグラビアだけを見れば、いわゆる「エロ本」なのだが、雑誌の大半を占めている記事ページは、エロとはいっさい何の関係もない、サブカルチャー系の情報誌の体裁だったという。


しかも、頼みの綱の表紙やグラビア部分に関しても、エロ本というほどの過激さはなく、モデルの女性はしっかりと下着を付けており、それも特別セクシーなものでもなかったそうなのだ。


それだったら、いまでいう「成人向け週刊誌」の方が、よっぽど過激でエロ本ぽいといえるのかもしれない。


いま考えれば、「そんな内容でよく売れたな」と思うのだが、当時はエロメディアの絶対数が不足しており、そんなものでも多くの需要があって、なんと500億円規模の市場になっていたというから驚きである・・・・・・。


私が中学生の頃、「きのう俺は部活帰りに、自動販売機でエロ本を買った!」と豪語しているやつがいて、学校でそれをみんなに見せびらかしていることがあった。


どうも、「自分は度胸があるだろう!」ということを、みんなに自慢したかったらしい。


しかし、実際のところはどうもそうではなかったらしい。


じつはエロ本の自動販売機は、ボタンを押して商品が取り出し口に落ちて来る際に、なぜか「ブーーーッ!」という、けたたましいブザーが鳴るような仕組みになっていた。


彼はこの音に仰天して、腰を抜かしそうになり、一時電信柱の後ろまで走って行き、身を隠して様子を見ていたのだそうだ。


で、何も起こりそうもないので、急いで購入したエロ本を取りに戻ったのだという。


そして彼はその苦労して買ったエロ本を、わざわざ学校に持って来て、みんなに見せびらかしていることになるわけだ。


傍から見れば、そんなことをするやつは、ただの変態でしかないのはもはや言うまでもない。


現実に女子はかなり引いていたが、彼はそのことに全く気付いていない様子だった・・・・・・。


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で、そのエロ本を見せてもらったところ、予想に反して全ページカラーグラビアだったものの、びっくりするほどうすっぺらな雑誌だった記憶がある。


もう、この時点で、先程まで書いて来た「自販機本」とは、明らかに様相が違うことが分かると思う。


じつは私が学生の頃に街角で見られた「エロ本の自動販売機」は、中身が当初のものとは変更になっていたようで、いわゆる「ビニ本(ビニール本)」と呼ばれるものが入れられていたらしい・・・・・・。


で、いわゆる「自販機本」と何が違うのかというと、モデルの女性のポーズがより過激になり、着用している下着もスケスケのものに変更になっていたのだそうだ。


中には下着を着けていない写真も掲載されていたが、そのようなものは肝心な部分は見えないよう、ポーズが工夫されていた。


ものすごく分かりやすくいうなら、「とにかく明るい安村」状態である。


そして局部が見えるようなポーズのものは、当然のことながら、修正が加えられていた・・・・・・。


ところで当時、自動販売機で売られているエロ本は、修正部分を砂消し(消しゴム)でこすると、黒い修正箇所がきれいに消えて、肝心な部分が丸見えになるという、いかにも嘘っぽいうわさが流れていた。


当時は「そんなバカな」と思いながらも、とりあえず試してみたという人も、少なくなかったそうである。


昭和の頃に「砂消し」が売れたのは、このうわさのせいだという人もいるくらいである・・・・・・。


じつはこのうわさにはちゃんとした理由があった。


エロ本の自動販売機が最盛期の頃は、印刷所が24時間フル稼働で、関係者は多忙を極めていた。


このため、修正の入れ忘れがしょっちゅう起きていたのだという。


で、それをそのまま出荷する訳にはいかないので、急遽、人を集めて、なんと黒マジックを使って、手作業で肝心な部分を塗りつぶしていたのだという。


それを翌日の出荷に間に合うように、一晩でこなしていたというのだから、相当たいへんな作業だったに違いない。


もしかしたら、そんな雑誌を入手していれば、あのうわさは現実になっていたのかもしれないが、それでも砂消しでは無理だったろう。


ちゃんとした薬品を使えば、インクを消すことは出来たかもしれないが、問題は紙の方が耐えられるかどうかだ。


教室でエロ本を見せびらかしていた彼も、「砂消しを買って試してみる!」と息巻いていたが、次の日にそのことを尋ねてみると、たった一言、「やぶけた・・・」と呟いたのだった・・・・・・。


(画像上、早咲きの河津桜の蕾が動き出した。画像下、青空に映えるイチョウの枝振り・・・・・・)


2023年11月13日 (月)

異世界への入り口

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▲道の脇にあるちょっと開けた空間に1本の柿の木が立っている。私が中学生の頃に、「異世界への入り口」と呼ばれていた柿の木だ。当時は下校時にここで休憩している学生をよく見かけたものだ・・・・・・。

私が中学生の頃、通学路の道端に、1本の柿の木があった。


その柿の木は以前は幹が二股になっていたようだが、何かの理由で手前の幹を伐採したらしく、幹の根本付近が手前に大きくせり出して、洞のような形になっていた。


洞といっても、ポッカリと穴が開いていたという訳ではなかったので、当時は学校帰りに、そのくぼみの部分に腰を掛けて、休憩している学生をよく見かけたものだった・・・・・・。


そんなある日、柿の木の前を通りかかると、その日に限ってなぜか切り株には誰も座っていなかった。


私は「へ~、珍しいこともあるもんだな~」と思いながら、柿の木の前を通り過ぎようとしていた。


しかし、ちょうどその時、視界の片隅に何か妙なものが入り込んで来たのが分かった。


私はそれに何気なく視線をやると、思わず「ギョッ!」として立ち止まった。


そこに何があったのかというと、なぜか柿の木の前に、真っ赤なハイヒールが無造作に脱ぎ捨ててあったのだ。


恐らく誰も座っていなかったのは、このハイヒールが原因だろう。


最初は「誰かが新しい靴を買って来て、古いハイヒールを脱ぎ捨てて行ったのだろう」ぐらいにしか思っていなかった。


ところがどうもそうではなかったらしいのだ。


なぜかというと、そこに脱ぎ捨ててあった赤いハイヒールは、どう見ても真新しく、何年も履き込んでいるもののようには、とても見えなかったのである。


では、このハイヒールの持ち主は、いったいどうやって、この場から立ち去ったというのだろう。


まさか裸足でということはないだろうし、仮に何らかの理由で靴を履き替えたのだとしても、ここにハイヒールを残して行く意味が分からない。


で、この赤いハイヒールは、2日間その場に放置されていたのだが、3日目の朝には忽然と姿を消していた・・・・・・。


それから半月ほどたったある日、学校からの帰り道にあの柿の木の前を通ると、またしても木の前に何かが落ちているのが分かった。


「今度はなんだろう?」と思い、柿の木の前まで行ってみると、まず手前に小学生のものと思しきスニーカーが転がっていた。


そして切り株の右側には、小学校で使う絵の具セットが、きれいに立てた状態で置かれていた。


絵の具セットのケースの色は「青」だったので、どうやら持ち主は男子小学生のようだった。


なぜそんなことが分かるのかというと、私が小学生の頃は、絵の具セットの色は、男子が「青」で女子が「赤」と決まっていたのだ。


で、そんなことはともかく、彼はこんな所に絵の具セットを置いたまま、いったいどこへ行ってしまったというのだろう。


しかも、靴も履かずにである。


そもそもなぜわざわざ靴を脱いだりしたのだろう・・・・・・。


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▲これが私が中学生の頃に、「異世界への入り口」と呼ばれていた洞。当時はもっと平らだったのだが、知らぬ間にこんな風に斜めに変形してしまっていた。形は変わってしまったものの、数十年間もこの場所に変わらず立っているってすごいことだと思う・・・・・・。

状況としては、赤いハイヒールの時と、さして変わってはいないのだが、今回はひとつ分かったことがあった。


何が分かったのかというと、「どうやら小学生の彼は、あの柿の木の洞に、間違いなく座っていた」ということである。


なぜなら彼の絵の具セットは、ちょうど柿の木の切り株の右側に立てた状態で置かれていたからだ。


つまり道の方を向いて切り株に腰かけた場合、右手に持っていた絵の具セットを、そのまま自分の脇に置くと、ちょうどこの位置でピッタリなのだ。


そして彼が履いていたスニーカーのつま先も道の方を向いており、彼がここに座っていたことを示唆していたのだ。


そしてそれはあの赤いハイヒールの時も同様だった。


ということは、2人はやはりここに座っていたと考えるのが妥当だろう・・・・・・。


そんなことがあってから、誰が言い始めたのかは定かではないが、いつしかこの柿の木の洞は異世界に通じていて、切り株に座ると洞に吸い込まれてしまうのだという都市伝説が生まれていた。


仮にその話が事実だとして、切り株に座った者が洞に吸い込まれてしまったとする。


しかし、それならどうしてわざわざ、彼らは靴を脱いだりしたのだろうか。


そもそもこれから洞に吸い込まれようとしている人が、靴を脱いでいる余裕などあるはずがない。


普通に考えたら、何も考える暇もなく、洞の中へ「ズボッ!」と吸い込まれて行ってしまうだろう。


それとも異世界というのはじつは土足厳禁で、「まずそこで靴を脱げ!」的なことを、背後からささやかれるのだろうか。


「金を出せ!」と背中にピストルを突き付けられているような状況を想定するなら、大人しく言うことを聞かざるを得ないかもしれない・・・・・・。


それからしばらくして、友人と2人で柿の木の前を通ると、切り株の上に茶色い紙袋に入った何かが置かれていた。


手に取って見ると、それは近所にある「〇〇書店」の紙袋のようだった。


紙袋の口はきちんとテープが貼られていたのだが、持ち主らしき人物はなぜかどこにもいなかった。


そこで封を開けて中身を確認してみると、中には高校の参考書が一冊と、エロ本が2冊入っていた。


なんとも絶妙な組み合わせといえよう。


友人は柿の木の洞を指差しながら、「どうせ持ち主は吸い込まれちゃったんだから、これはもらって行こうぜ」と、都合のいいことを言うと、参考書だけを切り株の上へ戻して、エロ本一冊を自分のカバンへ入れ、もう一冊を私に差し出した。


参考書は2週間以上、その場に放置されていたが、エロ本2冊は私たちに拾われ、結果的に有効活用されることとなり、無駄にはならずに済んだのである・・・・・・。



2023年8月10日 (木)

修学旅行と茶碗蒸し

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私は中学生になるまで、一般的な茶碗蒸しがどのようなものであるか、一度も見たことがなかった。


そうは言っても、茶碗蒸しという食べ物自体を知らなかったという訳ではない。


さすがにそこまで世間知らずではない。


あくまでも世の中の多くの人が想像するであろう、「茶碗蒸し」を知らなかったという意味である・・・・・・。


というのも、我が家の茶碗蒸しは、それ単独でご飯のおかずになるように、とても具沢山に作られていたからだ。


一般的な茶碗蒸しなら、上から箸を刺し込めば、なんの抵抗もなく、箸がスーッと入って行き、あっという間に箸の先端が容器の底に到達すると思う。


ところがうちの茶碗蒸しは具材が容器の中にこれでもかというくらい、びっしりと詰め込まれていたため、上から順番に食べ進めて行かないと、箸がつかえて中へ入って行かないほどだった。


で、何をそんなに詰め込んでいたのかというと、基本は下から鶏肉、しいたけ、たけのこ、紅白のかまぼこの順だった。


これだけでも、具材はすでに上からはみ出しているほどだったが、これに加えて季節ごとにいくつかの具材を入れていたように思う。


さらに普通は茶碗蒸しを作る場合、茶碗蒸し専用の容器を使うと思うのだが、うちではそれにプラスして、どんぶりでも茶碗蒸しを作っていた。


うちでは茶碗蒸しを作ると、他におかずや汁物はいっさい何も作らなかったので、茶碗蒸しだけでご飯が食べられるように、量をたくさん作っていたのだ。


で、そんなこともあって、子供の頃の私の茶碗蒸しのイメージは、前述の「家で作ってもらう、具沢山の茶碗蒸し」だったのである。


だから当時の私は、「これこそが正に茶碗蒸しという食べ物なんだ」と、信じて疑わなかったのである。


家で出されるカレーやハンバーグを見て、「本当のカレーやハンバーグは、いったいどのようなものなんだろう?」なんて考えるやつはいないだろう。


それと同じことである・・・・・・。


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で、冒頭にも書いた通り、私が一般的に知られている茶碗蒸しのイメージを知ったのは中学生の時だった。


そしてそのきっかけは、中学2年の時に行った修学旅行だった。


私は中学の修学旅行は京都、奈良に行ったのだが、この時に食事のたびに、しつこいぐらいに出て来たのが茶碗蒸しだったのである。


ところが私は、それが自分の知っている茶碗蒸しとあまりにかけ離れていたため、隣に座った友達に、「これなに?」と思わず聞いてしまっていた。


いま思えば、あれが私の「真の茶碗蒸し」との出会いだったように思う。


その「真の茶碗蒸し」を食べて、まず口を突いて出た言葉は、「なんだこりゃ」だったと記憶している・・・・・・。


で、何がそう思わせたのかというと、まず「真の茶碗蒸し」には、ほとんど具材が入っていなかったのだ。


「真の茶碗蒸し」に入っていた具材といえば、表面に三つ葉と銀杏が1個飾り付けられていて、中身の方には薄くスライスされたキノコが数枚と、底の方にまたしても銀杏が2~3個入っているぐらいだったと思う。


早い話が容器の中身はスッカスカだったのである。


そしてそれはあふれんばかりの具材が詰め込まれている我が家の茶碗蒸しとは全く別の食べ物だった。


だから私は「真の茶碗蒸し」を食べ進めながら、口には出さなかったが、「これじゃあ、失敗したプリンを食べてるようなものだなぁ」と思っていた。


さらに言うなら、プリンは全体的に固まっているから、食べ物として成立しているが、「真の茶碗蒸し」の内部は、ほぼ汁物といってよく、個人的には、それなら「かきたま汁」としてお椀で出して欲しかったところである。


しかも、「真の茶碗蒸し」のスープは、「ものすごく薄味の出汁」という印象で、まるで医者から塩分を控えるように言われている人の療養食のようだった。


今だったら、また違った味わい方が出来るのだろうが、食べ盛りの中学生が、そんなあっさりとした、病院食のような味付けの食べ物で満足できる訳がなく、うす味の茶碗蒸しをすすりながら、「ああ~、カレー食いてえ・・・」と呟いている者が少なからずいたものである。


さらにどういう訳か知らないが、京都、奈良の修学旅行では、どこへ行っても、食事にはこの薄味の茶碗蒸しが、まるで嫌がらせのように毎回必ず付いて来た。


しかも、場所が変わっても、具材の内容や味付けは、まるで示し合わせたかのように、ほとんどいっしょで、みんなで顔を見合わせながら、「またか~・・・」と思っていたのを、今でもはっきりと覚えている・・・・・・。


(画像上、夏の青空がよく似合うカノコユリの花。画像下、明るい雑木林でアカボシゴマダラに出会った・・・・・・)



2023年5月24日 (水)

「謎フレーズ探偵」ブタもおだてりゃ木に登る

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▲この顔にピンと来るかたは、きっと、「ブタもおだてりゃ木に登る」のフレーズをご存知のはずである・・・・・・。

私が中学生の時、国語の授業でとあるチャレンジが行われたことがあった。


どのようなチャレンジだったのかというと、前の席の者から順番に、ことわざを1つずつ言って行き、何人目までバトンを繋いで行くことが出来るかというものだった。


そしてクラスのちょうど真ん中あたりまで回して行くことが出来たら、先生から次のテストの問題が、教科書のどのあたりから出題されるのか、ズバリ教えてもらえることになっていた。


みんなテストの問題がかかっているので必死である・・・・・・。


で、当初の予想通り、だいたい10人目ぐらいまではスムーズに進んで行くのだが、10人を過ぎたあたりから、急にペースダウンして行き、先生のつぶやくヒントに助けられながら、なんとか次の者へ回して行っているという状況だった。


そんな中、こいつは絶対に無理だろうという、アホを絵に描いたような「T」という男子に順番が回って来た。


クラスの大半の者が、「ここで万事休すか・・・」と、半ばあきらめかけていたところ、「T」は先生の「ヒントはいるか?」という問いにきっぱりと首を振り、自信満々の表情で、「ブタもおだてりゃ木に登る!」と言ってのけたのである。


その瞬間、教室の数ヶ所で、「おおっ!」という小さく低いどよめきが上がっていたのが分かった。


そしてその時だれもが、「それは盲点だった!」という表情をしているのが分かった。


しかし、先生の反応はいまいちで、「う~ん・・・」と首を捻りながら、「それは・・・、ことわざとは違うな・・・」と残念そうに言った。


その言葉を聞いて教室の数ヶ所で、「え?」と顔を見合わせている者がいたのが分かった。


そしてそれは、「そもそも、ブタもおだてりゃ木に登るってなんだっけ?」という疑問に変わって行ったのである。


じつはこの時、私は「T」が答えた、「ブタもおだてりゃ木に登る」の出所にすぐに気付いた。


自分にとって、「ブタもおだてりゃ木に登る」は、もはや常識と言ってもいいぐらいの言葉だったからだ。


そしてそれは、他のクラスメートも同様だったはずなのだが、どういう訳かこの時は忘れてしまっている者が多かったのだ・・・・・・。


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▲コックピットの一角に突如出現した丸い穴から、なぜか小さなヤシの木が生えて来る。そしてそのヤシの木の幹を「おだてブタ」が登って来て、最後に「ブタもおだてりゃ木に登る~、ブー」というのが、ヤッターマンでは定番のシーンだった・・・・・・。

じつは「ブタもおだてりゃ木に登る」という言葉は、「ヤッターマン」というテレビアニメから全国へ知れ渡ることになった言葉なのだ。


ヤッターマンの本放送はフジテレビ系列で、1977(昭和52)年1月1日から1979(昭和54)年1月27日まで、毎週土曜日の午後6時30分から7時までの放送枠で放映されていた。


2年間の平均視聴率は20・1%、最高視聴率は28・4%だったというから、当時の子供たちがいかにこの作品を支持していたのかがよく分かる。


私はヤッターマンは、小学校の低学年の頃に見ていた記憶があるのだが、人気作品ということもあり、その後も再放送を何度もやっていたので、どのタイミングで見ていたのかは正直微妙なところではある。


で、このヤッターマンには、「ドロンボー一味」という、悪役の三人組が作ったロボットが毎回必ず登場することになる。


そしてドロンボー一味の中で、メカ開発を担当するボヤッキーが、自分が作ったメカがいかに優れたものであるか、コクピットの中で自慢をし始めるというのが、ストーリーの定番の流れとなっている。


そして、リーダーのドロンジョは、ボヤッキーの自慢話を一通り聞き終えると、「流れ石だね、リュウセキだねぇ、流石だね~」などと、ボヤッキーのことをとにかく褒めちぎるのだ。


そして、このタイミングで、操縦桿や各種計器、ボタンなどがズラリと並ぶコックピットの一角に、なぜか突然小さな丸い穴が出現する。


そしてそこからミニチュアサイズのヤシの木がスーッと現れるのだ。


そしてそのヤシの木の幹を、「おだてブタ」と呼ばれるブタ型のメカがスルスルと登って行き、一番上までたどり着くと、「ブタもおだてりゃ木に登る~、ブー!」と言うのである。


ちなみにこの「おだてブタ」、ボヤッキーが言うには、「おだての波長を感知して反応するメカ」なのだそう・・・・・・。


で、この「ブタもおだてりゃ木に登る」というフレーズだが、ヤッターマンを始めとする「タイムボカンシリーズ」の総監督である、笹川ひろし氏の出身地、福島県会津地方で実際に使われていた囃子言葉が元ネタになっていたのだとか。


そしてそれをヤッターマンの作中でギャグとして使ったことがきっかけとなり、まるで古くからあることわざのごとく、日本全国へと広まって行ったという訳なのだ。


いま思えば、「ヤッターマンの影響力恐るべし」である・・・・・・。


ちなみに私はボヤッキーが作ったメカの性能を褒めちぎるドロンジョ様のセリフ、「流れ石だね、リュウセキだねぇ、流石だね~」で、「流石」という漢字をちゃんと覚えた記憶がある。


やっぱり当時の子供たちにとって、ヤッターマンの影響力は絶大だったのである・・・・・・。


2023年5月18日 (木)

弁当箱のフタ

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私は子供の頃から、「蓋にこびり付いているもの」が妙に好きだった。


例えば駅弁の内蓋にこびり付いている、ご飯粒などがそうである。


常識的に考えて、駅弁の内蓋にこびり付いているご飯粒は、駅弁の容器に詰められているご飯と全く同じもののはずだ。


ところがどういう訳か、私には内蓋にこびり付いているご飯粒の方が、駅弁の容器に詰められているご飯よりも、数倍美味い気がするのだ。


特に容器に経木が使われている弁当箱のご飯は絶品である。


本来なら「美味いものは最後に食え!」の格言に従って、蓋にこびり付いたご飯粒は、一番最後に一粒ずつ丁寧に味わいたいのだが、そうすると水分が飛んで味が落ちてしまうため、やむを得ず一番最初に味わうことにしている。


しかし、そうはいっても、駅弁の内蓋にくっ付いているご飯粒などたかが知れている。


出来ることなら、他人の買った弁当箱の内蓋も譲り受け、こびり付いたご飯粒を、ありがたくいただきたいぐらいである。


しかし、よほど親しい間柄でもない限りそれは無理で、いつももどかしい思いをしている・・・・・・。


弁当といえば駅弁ばかりではない。


当時、私の住む横浜市では、中学からは給食ではなく、弁当持参だったので、毎朝家から弁当箱を持って通学していた。


そしてこの弁当箱の蓋にも、ご飯粒をはじめ、じつに様々なものがこびり付いていたのである。


ご飯粒といっしょにこびり付いている可能性の高いものに「ふりかけ」があった。


ふりかけの中でも、特に「のり玉」は高確率で蓋に貼り付いていることが多く、蓋にこびり付いたご飯粒を1粒ずつ口へ運びながら、「今日はのり玉つきだぜ、ヘッ、へッ、へッ・・・」などと、周りに気付かれぬよう、弁当箱の蓋で自らの顔を覆い隠しながら、1人ほくそ笑んでいたものである・・・・・・。


また、たまにサプライズで、海苔弁の海苔がベロンと剥がれて、蓋の方に全部くっ付いていてしまっていることがあった。


しかし、ここまで来てしまうと、こびり付いているというよりは、どう見ても「思いがけず剥がれてしまった」ものである。


だからこのような場合は、蓋から丁寧に剥がして、本来あるべきご飯の上へ戻し、普通に海苔弁として食べた方が美味いに決まっている。


蓋にくっ付いていれば、なんでもかんでも美味くなるという訳ではないのである・・・・・・。


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弁当でこびり付くのは、ご飯のエリアばかりではない。


おかずのエリアにもぜひ注目して欲しい。


おかずのエリアで蓋にこびり付いていることが多いのはミートボールの餡である。


不思議なものでミートボールの餡というのは、ミートボール本体に絡んでいる状態よりも、このように弁当箱の蓋にこびり付いているものの方が、普通に食べるよりも格段に美味い。


そのことをたった一言で表現するのは非常に難しいのだが、ものすごく簡単に言うなら、「コクが増しに増している」のである。


だからミートボールの餡が弁当箱の蓋に付着している時は、ご飯のエリアからこびり付いたご飯をかき集めて来て、おかずエリアのミートボールの餡に合流させて食べると最強である。


あまりの美味さに、満面の笑みを浮かべながら涙を流しそうになる自分がいる。


しかし、さすがに学校の教室でそれをやったら、自分の未来は閉ざされると思い、必死になって堪えたのはもはや言うまでもない・・・・・・。


ハンバーグにかけられたソースも、弁当箱の蓋に付着すると魔法のソースへと変貌する。


ただし、これについては、レトルトのハンバーグよりも、手作りのハンバーグの方がおすすめである。


手作りのハンバーグにかけられたソースが弁当箱の蓋に付着すると、それはもはやソースではなく、ハンバーグの味がすると言っても過言ではない。


しかも、ハンバーグそのものを食べるよりも、蓋に付着したソースの方が、どういう訳かうま味がはるかに増しているのである。


ミートボールの餡の時は、満面の笑みを浮かべながら、涙を流しそうになったが、手作りハンバーグのソースになると、こぼれ落ちそうになる涙を必死にこらえながら、エクスタシーを迎えそうになる。


ソースを絡めたご飯粒を1粒ずつ口に運びながら、思わず「んあっっ!」などと、歓喜の声上げてしまいそうになるので注意が必要である・・・・・・。


このように弁当箱の蓋というのは決して侮ってはいけない。


下手をしたら弁当というのは、彩りよくきれいに詰められている弁当本体よりも、それを守っているだけの存在と思われている蓋の方が、メインイベンターなのかもしれない。


少なくとも私にとってはそうである・・・・・・。


(画像上、上品な桃色の花をびっしりと付けるタニウツギ。画像下、越冬したクビキリギスが活動を開始した。5月は産卵シーズンになる・・・・・・)

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