カテゴリー「変わりゆく町並み」の記事

2024年4月17日 (水)

「謎フレーズ探偵」たけやさおだけ

Photo_20240417174101

最近は「さおだけ屋」なんて、ほとんど見かけなくなってしまったが、私が子供の頃には、さおだけ屋は「やきいも屋」、「ちりがみ交換」と並んで、町内をしばしば巡回している車の1つだった。


「さおだけ屋」は軽トラックの荷台に、竿竹と物干し台を乗せて各町内を回り移動販売をしていた・・・・・・。


また、「さおだけ屋」といえば、「た~けや~、さおだけぇ~、2本で〇円、2本で〇円、〇年前のお値段です」というフレーズがお馴染みで、これを軽トラのスピーカーから流しながら、かなりゆっくりとしたスピードで町内を走っていた。


ちなみに「〇」の部分については、時代と共に少しずつ変化していたのではないかと思う・・・・・・。


ところで私が子供の頃は、「やきいも屋」と「ちりがみ交換」は呼び止めている人をよく見かけたものだが、「さおだけ屋」を呼び止めている人は、個人的には一度も見たことがなかった。


というのも、当時さおだけ屋は、「悪徳商法で詐欺である」という噂が流れていて、車を呼び止めたが最後、運転席から怖いおじさんが降りて来て、高額な竿竹や物干し台を売りつけて来ると言われていた。


軽トラのスピーカーからは、「2本で〇円、2本で〇円、〇年前のお値段です」と流してはいるが、実際には言葉巧みに誘導されて、最終的には5~6万もする高額商品を買わされるというのである・・・・・・。


ちなみに「2本で〇円、〇年前のお値段です」のフレーズだが、「2本で千円、20年前のお値段です」と記憶されているかたが多いと思う。


じつはこの部分については、「2本で千円というのは20年前のお値段で今は違いますよ」という意味が隠されているというのだ。


ちゃんと逃げ道は作ってあるということだろう・・・・・・。


また、実際に2本で千円の品物から、幅広い価格帯で商品を揃えてはいるが、安い商品はすぐに錆びて、買い替えなくてはならなくなる。


「それならば、長持ちする高級品の方が、長い目で見たら安く付きますよ」と説明され、結局は高額な商品を買わされることになるのだという話もあった。


うちではさおだけ屋から、竿竹や物干し台を買ったことは一度もなかったので、実際にその噂が本当だったのかどうかは定かではないが、当時はその噂を信じている人が多かったように思う・・・・・・。


Photo_20240417174102

ところでこれは大人になってから知った話なのだが、じつは「さおだけ屋」というのは、国家機関などから依頼されて、隠密活動を行っている集団で、竿竹の移動販売という業務形態は、それをカモフラージュしているに過ぎないのだという、まるで都市伝説のような噂まで存在していた。


前述のように、私は「さおだけ屋」をわざわざ呼び止めて、竿竹や物干し台を買っている人を見たことは過去に一度もなかった。


そもそも竿竹や物干し台なんて、そう頻繁に買い替えるようなものではないし、いつも売れない竿竹を荷台に積んで、町内を流しているだけの軽トラを見ていると、子供だって、「こんなんで、商売になるのかよ」と疑問に感じていたほどである。


それを考えると、先程の「そんな馬鹿な」と思えるような都市伝説が、なんだか現実味を帯びて来るような気がしてならないのだ・・・・・・。


では、さおだけ屋が国家機関から依頼されている隠密活動とは、いったいどのようなものなのだろうか。


これについては、電波傍受や盗聴を始め、一般には法的に行えないことを、代行しているのだという。


どうでもいいが、もしそれが事実だとしたら、「一歩間違えたら、犯罪者じゃねえか」という気がしないでもない・・・・・・。


では、そんな怪しい依頼が、具体的にはどこから来ているというのだろうか。


これについては、ズバリ、「公安警察」なのだそうだ。


「え~~~~~!」という気がしないでもないが、実際のところ、町内に紛れ込んで、潜伏している犯人を探し出すことは、決して容易なことではなく、定期的に軽トラで町内を流している「さおだけ屋」は、情報収集にはうってつけの存在なのだとか。


また、逃亡生活を続ける犯人の側からすると、さおだけ屋の「た~けや~、さ~おだけ~」のフレーズを聴くことで、「公安に追い詰められている」という気持ちが増していき、精神的にどんどん追い詰められていくのだそうだ・・・・・・。


ところで、なぜ逃走犯は「さおだけ屋は公安と繋がっている」ということを知っているのだろうか。


「怪盗〇〇〇〇」的な犯人なら、そんな情報を握っていても、決しておかしくはないが、元は一般人だったであろう普通の犯人が、そんな情報を知っているとはとても思えない・・・・・・。


私が子供の頃に聴いた、「た~けや~、さ~おだけ~」というあのフレーズは、まるで民謡歌手のような歌い方をする、おっさんの声だったのだが、いつの頃からか、あまり歌が上手いとは言いかねる、若い女性の声に変わっていた。


ちなみにスピーカーから流れてくる声は若い女性の声だが、運転しているのは、相変わらず、くたびれたおやじなので、「ちょっと見に行ってみよう」なんて気は起こさない方がよい。


多くの人に声を掛けてもらうための、イメージ戦略だったのかもしれないが、逃走犯にプレッシャーをかけて追い詰めるためには、昭和の頃によく聴かれた、あの、おっさんの声の方がよかったんじゃないかなぁと思う今日この頃である・・・・・・。


(画像上、岩に根付いたタチツボスミレ・・・・・・。画像下、身近な春の花、カントウタンポポ・・・・・・)


2024年3月30日 (土)

森永「Piknik」と牛乳の自動販売機

Photo_20240330155701
▲じつは「Piknik」は現在も販売されている。立体的な構造の容器に変わり、味のバリエーションも増えて6種類になった・・・・・・。

昭和の頃には、牛乳や乳飲料の自動販売機が、ジュースの自動販売機といっしょに並べて置かれていた。


私が子供の頃には、近所の商店街をはじめ、デパートやスーパーなどの商業施設、学校の購買部の脇などにも、牛乳や乳飲料の自動販売機は普通に置かれていた・・・・・・。


私が一番記憶に残っているのは、森永乳業から1981(昭和56)年に発売された、「Piknik(ピクニック)」という乳飲料だ。


発売当初の「Piknik(ピクニック)」は、ヨーグルト味、ラクトコーヒー味、ストロベリー味、フルーツ味の4種類で展開されていて、色違いのカラフルな容器がとても目を引いていた。


ちなみにパッケージの色は、ヨーグルト味が青色、ラクトコーヒー味が茶色、ストロベリー味がピンク色、フルーツ味が緑色だった。


そしてパッケージの下部には、虹のような印象的なマークが描かれていたので、覚えているかたも多いかと思う・・・・・・。


また、当時はパッケージの後ろ側にストローが付いている200ml程度の飲料は、四角いずんぐりむっくりとした容器が主流で、見るからに「牛乳パック」という見た目のものがほとんどだった。


現在のようなスリムな容器は、まだ見られない時代だったのである・・・・・・。


ところでこの森永の「Piknik(ピクニック)」、昭和の頃はテレビCMをしばしば放映していた。


その内容は「Piknik(ピクニック)」という商品名からなのか、アウトドアやスポーツシーンが多かったように思う。


いまだったら、飲み物のCMに起用するとなると、若手の俳優や女優なのだろうが、「Piknik(ピクニック)」のCMには、なぜか見たこともない外国人女性がたくさん出演していた・・・・・・。


当時、外国人女性がただひたすら、自転車を漕いでいるだけのCMがあったのだが、私は当初、普通の自転車レースのワンシーンなのかと思っていた。


ところがよく映像を見てみると、じつはこの自転車、複数の自転車が連なったような形をしており、1台の自転車に10人ほどの外国人女性が乗って漕いでいたのだ。


そしてこれが2台並んで走っているという謎の設定だった。


そしてCMではカメラの前を自転車が通過して行き、追い越される直前に、真後ろからのカメラアングルにパッと切り替わる。


そしてしばらくの間、自転車を漕いでいる外国人女性のお尻が映し出される。


このシーンには、きっと「おおっ!」と身を乗り出したかたも少なくなかっただろう・・・・・・。


Photo_20240330160001
▲パックの後ろには、「Piknik」の発売当時の容器のデザインが紹介されていた。これを見て、「うわ~、懐かしい~!」と思ったかたは私と同世代だ・・・・・・。

そして最後はゴールに置かれている固定カメラの映像に切り替わり、その前をゴールテープを切った自転車が走り抜けて行くのだが、これだけではただの自転車レースの映像である。


というわけで、当然のことながら、彼女たちはCM中に商品をしっかりとアピールしていた。


じつは彼女たちは、自転車を漕ぎながら、片手に「Piknik(ピクニック)」のパックを持って、なぜかカメラ目線でにっこり微笑みながら、「Piknik(ピクニック)」をゴクゴク飲んでいたのだ。


片手運転やら前方不注意やらで、今だったらちょっと問題になっているかもしれない。


そしてCMの最後には女性の声で、「僕たち飲むなら、ピークニック!」というキャッチフレーズが流されていた・・・・・・。


また、後年発表のCMでは、ビーチの見えるプールサイドで、信じられないくらい高いヒールを履いた、水着姿の外国人女性が、数名並んで立っていて、ただ、ただ、お尻を振り続けているだけという、意味不明の映像もあった。


きっと、自転車バージョンのお尻のシーンが好評だったのだろう・・・・・・。


で、個人的には、森永「Piknik(ピクニック)」といえば、学生の頃に学校の購買部で、パンといっしょに買って、よく飲んでいたのを覚えている。


ちなみに私の当時のお気に入りはラクトコーヒー味だった・・・・・・。


ところで昭和の頃には、「牛乳の自動販売機」というのもあった。


乳飲料ではなく、牛乳そのものである。


牛乳といって多くの人がイメージするのは、500ml入りや1000ml入りの牛乳パックだと思う。


じつは昭和の頃には、500mlや1000mlの牛乳パックも、自動販売機に入れられて、普通に売られていたのだ・・・・・・。


森永の自動販売機には、前述の「Piknik(ピクニック)」といっしょに、1000mlの牛乳パックが入っているものもあったし、500mlと1000mlの牛乳パックだけを入れてあるものもあった。


そしてこれにはコーヒー牛乳なども入っていたと思う。


そしてこれは、明治など他の牛乳メーカーも同様だった。


これは現在ではかなり違和感があると思うのだが、当時はそれが当たり前の光景だったのだ・・・・・・。


ところで1000mlの牛乳パックを自動販売機で買うと、落ちて来る時の衝撃も半端がなかった。


自動販売機に硬貨を投入し、商品を選んでボタンを押すと、次の瞬間に「ダンッ!」という、ものすごい音と衝撃が伝わって来る。


子供の頃はそのたびに身体が「ビクッ!」と反応していたものである。


そしてあまりの衝撃で、穴でも開いていまいかと、恐る恐る牛乳パックを取り出すと、見事に角が凹んだ牛乳パックが現れるのである。


きっと、あんな風に凹んだ牛乳パックを見ることは、もう二度とないのだろうなぁ・・・・・・。


2024年2月11日 (日)

「昭和の遊具」箱型ブランコ

Photo_20240211165201
▲「箱形ブランコ」は向かい合わせになった2つのベンチと、それを繋いでいる床板を、金属の支柱で上から吊り下げている遊具だった・・・・・・。

「箱型ブランコ」という遊具をご存知だろうか。


私が子供の頃は、どこの公園にも当たり前のように設置されているポピュラーな遊具だったが、どういう訳か最近は全く見なくなってしまった。


「箱型ブランコ」は「ゆりかごブランコ」とも呼ばれていて、向かい合わせになった2つのベンチと、それを繋いでいる床板を、金属の支柱で上から吊り下げている、ゴンドラ型のブランコだった。


普通のブランコは、腰かけるための板を、鎖で上から吊っているが、これをゴンドラに置き換えたものと思ってもらえばいいと思う。


「箱型ブランコ」は、もともとブランコを自力で漕いで遊べない、小さな子供用に作られた遊具で、外側から大人にゆっくりと揺らしてもらうことを想定していた。


別名の「ゆりかごブランコ」は、その様子を表現した名称と言えるだろう・・・・・・。


「箱型ブランコ」のベンチの大きさは、私が知っているものは、2人掛けのベンチが向かい合わせになっていて定員は4人だった。


しかし、身体の小さな幼い子供なら、片側に3人は腰掛けることが出来たので、合計6人はいっしょに座ることが出来たと思う・・・・・・。


「箱型ブランコ」には、ベンチと床板がむき出しになっているタイプのものと、ハムスターの回し車のような形状の筒状のカバーで、ベンチと床板をぐるりと囲っているものがあった。


私が子供の頃によく遊んでいたのは、ベンチと床板がむき出しになっているタイプのもので、筒状のカバーで囲っているタイプのものは、知ってはいたものの、乗って遊んだことは一度もなかった・・・・・・。


先ほども書いた通り、もともと「箱型ブランコ」は、ブランコを自力で漕いで遊べない小さな子供用に作られた遊具で、外側から大人にゆっくりと揺らしてもらうことを想定していた。


しかし、実際には小学生や中学生も乗って遊んでいたし、高校生や大人が乗っているのも見たことがあった。


小さな子供が乗って遊んでいる時は、当初の想定の通り、大人がゴンドラをゆらゆらと揺らして子供を遊ばせていた・・・・・・。


Photo_20240211165601
▲「箱形ブランコ」はハムスターの回し車のような形状のカバーで、周りをすっぽりと囲っているタイプののものもあって、見た目は遊園地にあるゴンドラのようだった・・・・・・。

しかし、小学生ぐらいになって来るとその遊び方は一変し、床板の上で足を踏ん張って、自力でゴンドラを漕ぐことが出来るようになって行った。


どのようにしてゴンドラを漕いでいたのかというと、手すりに掴って床板の上に立ち上がり、向かい合わせになった2人が、タイミングを合わせて、左右交互に重心移動をすることで、少しずつゴンドラを揺らして行くことが出来た・・・・・・。


そして小学校高学年ぐらいになると、その遊び方はさらに進化して行くことになる。


ベンチにはそれぞれ2人ずつ子供が座るのだが、この4名はただ座っているだけで何もしない。


じつは漕ぎ役の者は別にいて、ベンチの背もたれの部分に1人ずつ立って、ゴンドラを漕いで行くのだ。


漕ぎ方としては、手すりにしっかりと掴って、足の裏でベンチの背もたれを前方へ押すようにして交互に漕いで行く。


このようにして漕いで行くと、じょじょに揺れ幅が大きくなって行き、それに伴って揺れる速度も次第に速くなって行く。


そして通常の遊び方では、絶対に到達しない角度にまでゴンドラが持ち上がり、座っている方も手すりにしっかりと掴っていないと、向かい側に座っている友達の方へ落下してしまいそうになっていた。


この頃になると、ゴンドラは超高速で揺れており、落下しそうになるのを必死に踏ん張って堪えていると、もう次の瞬間には先ほどとは逆の背もたれの方向へものすごいGがかかり、身体がベンチに押し付けられているという、訳の分からない状態になっていた。


中には半狂乱状態になって、泣き叫んでいる者までいた・・・・・・。


ゴンドラの高度や速度も恐ろしかったが、それ以上に「箱型ブランコ」と金属の支柱を繋いでいるジョイントが、ゴンドラが行き来するたびに、「バキッ、バキッ!」と音を立てていたことも恐ろしかった。


ジョイントが壊れてゴンドラごと空中に放り出されるのではないかと誰もが思っていたものだ。


「そんな思いまでして、どうして乗るんだよ」と思われるかもしれないが、その恐怖がクセになってしまう者は決して少なくなかったのだ・・・・・・。


で、問題なのは、漕ぎ手の2人に、「漕いであげるから乗りなよ」と声を掛けられて乗ってしまった者たちだ。


多くの場合、それは自力で「箱型ブランコ」を漕ぐことが出来ない、同級生の女子だったり、低学年の子供たちだった。


そして、「漕いであげるから乗りなよ」が悪魔のささやきであることを、この時の彼らはまだ知る由もなかった。


「箱型ブランコ」の揺れ幅が小さい最初のうちは、みんな楽しくてはしゃいでいるのだが、次第に揺れ幅が大きくなって来ると、「あれ?箱型ブランコって、こんなに激しく揺れるんだっけ?」と誰もがふと疑問に感じ始める。


そして、ゴンドラの振り子運動が最高潮に達した頃には、いったい何語なんだかよく分からない言葉を発しながら、狂ったように泣き叫んでいる者と、まるで幽霊でも見てしまったかのように、両目をカッと見開いたまま、顔面蒼白状態で固まっている者にきれいに分かれていた。


そして無事に地上に生還出来た者たちは、しばしの放心状態の後、「生きているということは、当たり前のことではなく、奇跡に近いことなんだ」と、小学生にして早くも悟りを開くことになるのであった・・・・・・。



2024年1月30日 (火)

エロ本の自動販売機

Photo_20240130162201

現在ではもう絶滅してしまったが、かつては「エロ本の自動販売機」が、街角に堂々と置かれていた時代があった。


エロ本の自動販売機は、商品窓にマジックミラーが使われていて、普段は中に何が入っているのか見えないようになっていた。


そして日が暮れてあたりが暗くなると、自動販売機のライトが点灯して、初めて中が見えるような仕組みになっていた。


当初わたしは、故障した自動販売機に、客が誤って硬貨を投入してしまわないように、商品窓を銀色の紙で覆って、見えないようにしてあるのだろうと、勝手に思い込んでいた。


しかし、故障した自動販売機なのに、いつまでも撤去されずに、その場所に放置されていて、変だなとは思っていた・・・・・・。


ところでこの「エロ本の自動販売機」、最盛期には全国に2万台以上が設置されていたそうである。


そしてそれは、当時の書店の数と、ほぼ同数だったというから驚きである。


ということは、私が「エロ本の自動販売機」を街で見かけていた頃は、もう、とっくにピークは過ぎていたということなのだろう・・・・・・。


そしてそれは自動販売機の中身を見ても明らかだったようである・・・・・・。


じつは当初自動販売機で売られていたエロ本は、ヌードグラビアと記事ページからなる、いまでいう「成人向け週刊誌」のような構成であったらしい。


そしてそれは、表紙とグラビアだけを見れば、いわゆる「エロ本」なのだが、雑誌の大半を占めている記事ページは、エロとはいっさい何の関係もない、サブカルチャー系の情報誌の体裁だったという。


しかも、頼みの綱の表紙やグラビア部分に関しても、エロ本というほどの過激さはなく、モデルの女性はしっかりと下着を付けており、それも特別セクシーなものでもなかったそうなのだ。


それだったら、いまでいう「成人向け週刊誌」の方が、よっぽど過激でエロ本ぽいといえるのかもしれない。


いま考えれば、「そんな内容でよく売れたな」と思うのだが、当時はエロメディアの絶対数が不足しており、そんなものでも多くの需要があって、なんと500億円規模の市場になっていたというから驚きである・・・・・・。


私が中学生の頃、「きのう俺は部活帰りに、自動販売機でエロ本を買った!」と豪語しているやつがいて、学校でそれをみんなに見せびらかしていることがあった。


どうも、「自分は度胸があるだろう!」ということを、みんなに自慢したかったらしい。


しかし、実際のところはどうもそうではなかったらしい。


じつはエロ本の自動販売機は、ボタンを押して商品が取り出し口に落ちて来る際に、なぜか「ブーーーッ!」という、けたたましいブザーが鳴るような仕組みになっていた。


彼はこの音に仰天して、腰を抜かしそうになり、一時電信柱の後ろまで走って行き、身を隠して様子を見ていたのだそうだ。


で、何も起こりそうもないので、急いで購入したエロ本を取りに戻ったのだという。


そして彼はその苦労して買ったエロ本を、わざわざ学校に持って来て、みんなに見せびらかしていることになるわけだ。


傍から見れば、そんなことをするやつは、ただの変態でしかないのはもはや言うまでもない。


現実に女子はかなり引いていたが、彼はそのことに全く気付いていない様子だった・・・・・・。


Photo_20240130162301

で、そのエロ本を見せてもらったところ、予想に反して全ページカラーグラビアだったものの、びっくりするほどうすっぺらな雑誌だった記憶がある。


もう、この時点で、先程まで書いて来た「自販機本」とは、明らかに様相が違うことが分かると思う。


じつは私が学生の頃に街角で見られた「エロ本の自動販売機」は、中身が当初のものとは変更になっていたようで、いわゆる「ビニ本(ビニール本)」と呼ばれるものが入れられていたらしい・・・・・・。


で、いわゆる「自販機本」と何が違うのかというと、モデルの女性のポーズがより過激になり、着用している下着もスケスケのものに変更になっていたのだそうだ。


中には下着を着けていない写真も掲載されていたが、そのようなものは肝心な部分は見えないよう、ポーズが工夫されていた。


ものすごく分かりやすくいうなら、「とにかく明るい安村」状態である。


そして局部が見えるようなポーズのものは、当然のことながら、修正が加えられていた・・・・・・。


ところで当時、自動販売機で売られているエロ本は、修正部分を砂消し(消しゴム)でこすると、黒い修正箇所がきれいに消えて、肝心な部分が丸見えになるという、いかにも嘘っぽいうわさが流れていた。


当時は「そんなバカな」と思いながらも、とりあえず試してみたという人も、少なくなかったそうである。


昭和の頃に「砂消し」が売れたのは、このうわさのせいだという人もいるくらいである・・・・・・。


じつはこのうわさにはちゃんとした理由があった。


エロ本の自動販売機が最盛期の頃は、印刷所が24時間フル稼働で、関係者は多忙を極めていた。


このため、修正の入れ忘れがしょっちゅう起きていたのだという。


で、それをそのまま出荷する訳にはいかないので、急遽、人を集めて、なんと黒マジックを使って、手作業で肝心な部分を塗りつぶしていたのだという。


それを翌日の出荷に間に合うように、一晩でこなしていたというのだから、相当たいへんな作業だったに違いない。


もしかしたら、そんな雑誌を入手していれば、あのうわさは現実になっていたのかもしれないが、それでも砂消しでは無理だったろう。


ちゃんとした薬品を使えば、インクを消すことは出来たかもしれないが、問題は紙の方が耐えられるかどうかだ。


教室でエロ本を見せびらかしていた彼も、「砂消しを買って試してみる!」と息巻いていたが、次の日にそのことを尋ねてみると、たった一言、「やぶけた・・・」と呟いたのだった・・・・・・。


(画像上、早咲きの河津桜の蕾が動き出した。画像下、青空に映えるイチョウの枝振り・・・・・・)


2023年12月31日 (日)

「昭和の遊具」遊動円木

Photo_20231231092301
▲遊動円木は丸太にまたがって、「かすがい」の部分に捕まり、ブランコのように前後に揺らして遊ぶ遊具だった。その仕組みは丸太の両端を鎖で支柱に固定してあるだけのシンプルな遊具だった・・・・・・。

昭和の頃に見られた遊具の1つに「遊動円木」があった。


「遊動円木」は丸太の両端を鎖で支柱に固定してあるだけのシンプルな遊具だった。


当初は平均台のように、丸太の端から端まで、バランスを取りながら歩いて行くことで、平衡感覚を養うための遊具として考案されたらしい。


しかし、私が子供の頃には、すでにそのような遊び方をしている者は誰もいなくて、丸太にまたがって、ブランコのように揺らしながら遊ぶ遊具になっていた。


このため丸太の上部の数ヶ所には、持ち手として「かすがい」が打ち込まれていて、これに捕まって遊べるようになっていた。


また、私が子供の頃には、シーソーのような形状をした板型のものもあった。


板型のものは、きちんと彩色もされていて、イメージとしては、現在の遊具に近かったと思う・・・・・・。


遊動円木の歴史は古く、明治の頃からすでに存在していたようである。


一般に広く普及したのは、小学校に設置されるようになってからで、遊びを通して身体を鍛えるという目的があったらしい。


そう言われてみれば、私が小学生の頃は、筋力を使わなければ遊べない遊具が、校庭にいくつか設置されていた。


登り棒や雲梯、ジャングルジムなどは、その代表だったと思う・・・・・・。


ところで、当時「遊動円木」に使われていた丸太は、古くなって交換した、木製の電柱が再利用されていることもあったそうだ。


私が学生時代を過ごした昭和50~60年代は、バスが通るような広い道路は、もうコンクリート製の電柱に切り替わっていたが、メインの通りからちょっと奥に入った住宅街の狭い道などでは、まだ木製の電柱がちらほら見られた。


「遊動円木」で遊んでいた当時は、他の遊具と比べて、原始的な遊具だなとは思ってはいたものの、交換した電柱を使っているなんて思ってもみなかった。


それを知っていたら、犬の小便がかかっていそうな根元の方には、決して座らなかったのだが、今となってはもう時すでに遅しである。


このように昭和世代が子供の頃に経験して来たことって、焼却炉のダイオキシンの問題などもそうだが、「もう少し早く言ってよ」ということが山ほどある・・・・・・。


Photo_20231231093001
▲遊動円木にはシーソーのような板型のタイプも見られた。こちらの方が小型軽量に出来ていたので漕ぎ役の負担は軽減された・・・・・・。

冒頭でも書いたが、当初の遊動円木は、丸太の端から端までバランスを取りながら歩いて行くことで、平衡感覚を養うための遊具だった。


しかし、私が子供の頃には、みんなで丸太にまたがって、ブランコのようにゆらゆらと揺らしながら遊ぶ遊具になっていた。


低学年の頃は丸太の上にまたがって、身体を前後に揺することで体重移動をして、丸太をまるで揺りかごのように動かして遊んでいた。


しかし、これが高学年になって来ると、そんな遊び方では満足出来なくなり、いつの間にか丸太の両端に「漕ぎ役」の者が立ち、鎖に捕まって、ブランコの立ち漕ぎの要領で、丸太を動かしていくようになっていった。


丸太はブランコと違って重いので、最初は漕ぎ役の者は、しゃがむような姿勢になるまで下半身を落とし、丸太の端っこにしっかりと足を付けて、思いっ切り蹴り出して行かなければならなかった。


そんな風にして漕いで行くと、丸太は次第に高速で揺れるようになって行き、持ち手代わりに取り付けられている「かすがい」に、しっかり捕まっていないと、いつ振り落とされてもおかしくはなかった・・・・・・。


また、丸太の振り幅が大きくなって来ると、漕ぎ手の方も常に危険と隣り合わせだった。


なぜかというと、最初は丸太のへりを押し込むように漕いでいたのに、振り幅が大きくなって来ると、へりに足が届かなくなって行き、丸太の切り口(年輪)の部分を押すしかなくなって行くのだ。


そしてついに足が届かなくなれば、丸太が自分の方に戻って来るまで、鎖にぶら下がっているしかないのである・・・・・・。


そんな遊び方をしていたものだから、当時は「かすがい」に捕まっていても、振り落とされる者が続出していた。


また、自分が落ちるだけならいいのだが、周りで遊んでいた子供にダイビングボディプレスをしてしまい、巻き込んでしまったということもよくあった。


このように振り落とされる事故が多いということで、遊動円木の周囲をまるで砂場のようにしてある公園もあった。


しかし、そのようにすると、そこを砂場と勘違いした子供が、砂遊びを始めてしまい、丸太が頭に直撃するという事故も起きていたようだ。


そんな事故が多い遊具ということもあって、遊動円木はいつの間にか公園から姿を消していた。


まあ、いま思えばだが、そりゃあなくなるわな・・・・・・。


2023年12月19日 (火)

消えたコンドームの自動販売機

Photo_20231219173601
▲ジュースの自動販売機がずらりと並ぶ場所に、コンドームの自動販売機が今もかろうじて生き残っていた。ちなみにここは、もともとは酒屋だった場所で、現在は閉店していてすでに営業はしていない・・・・・・。

そういえば、ふと思ったのだが、最近はコンドームの自動販売機をあまり見かけなくなった。


私が子供の頃は、町のあちこちで見かけたものだが、いったいいつの間になくなってしまったのだろう。


もしかしたら、若い世代の人たちは、コンドームの自動販売機なんて、見たことがないのではないだろうか。


私が子供の頃は、薬局や酒屋の店先には必ず設置されていて、商店街の路地裏などにも、ひっそりと置かれていたものである・・・・・・。


当時、コンドームの自動販売機には、必ず「明るい家族計画」というキャッチコピーが大きく書かれていた。


そのこともあって、小学生の頃は、この中に入っているものを買えば、家族旅行の計画でも立てられるのかと思っていたものだ。


また、「計画」という言葉から、夏休みに入る前に書かされていた、タイムスケジュール表みたいなものを連想したりもしていた。


6:00 起床
6:30 ラジオ体操
7:00 朝食
8:00 夏休みの宿題


・・・・・・みたいなアレである。


旅行に行けるのはいいが、あんな面倒くさいものを書かされるのはごめんである。


せっかくの旅行なのだから、自分の好きな時間に起きて、自分の好きなように行動させてほしいものだ。


いまとなってはどうでもいい話だが、仮にそんなものを書かされるシステムになっていたとして、それをいったい誰に提出するというのか・・・・・・。


ところでコンドームの自動販売機が誕生した当初は、煙草の自動販売機を改良して作られていたらしく、当時のものは私の知っているものよりも、かなり大きなものだったらしい。


私が子供の頃によく見かけていたものは、自動販売機というよりも、箱型の発券機のような、コンパクトなものばかりだったと思う・・・・・・。


Photo_20231219174201
▲昭和の頃は、「明るい家族計画」というキャッチコピーだったのだが、現在はおしゃれに「ファミリープラン」と言い換えられていた。まあ、意味としてはいっしょだが・・・・・・。

また、私が子供の頃は、コンドームの自動販売機は、薬局の店先で見かけることがほとんどで、他には酒屋やたばこ屋の店先や、路地裏などでたま~に見かけるぐらいだった。


ところがコンドームの自動販売機が登場した当初は、様々な業種の個人商店の店先に置かれていたようで、薬局の前に置かれるようになったのは、かなり後のことだったらしい。


つまりルーツをたどって行けば、コンドームとは何の関係もない、酒屋やたばこ屋に置かれていたものの方が先だったことになる訳だ。


これについては、なんだかちょっと意外な感じがする。


まあ、考えてみれば、薬局では店内にコンドームがすでに商品として置かれている訳で、普通に考えたら、わざわざ店先に自動販売機を設置する必要もないだろう・・・・・・。


じつはコンドームの自動販売機は、薬局の前に置かれてはいたが、薬局の人が管理していた訳ではなかったようなのだ。


ジュースの自動販売機がそうであるように、商品の補充などは、外から業者が回って来てやっていたようだ。


つまり薬局は場所を貸していたにすぎないことになる。


このため薬局では自動販売機が原因で、店内のコンドームの売り上げが減ることを懸念していたようで、当初は設置を渋っていたらしい。


そして現在では、コンドームはドラッグストアやコンビニなどに置かれるようになり、自動販売機の存在意義自体がなくなり、機械そのものを、もう生産していないのだそうだ・・・・・・。


私が高校生の頃の話だが、以前から教師に目を付けられていた生徒が、授業中に持ち物検査を受けることになった。


なぜ、そんなことになってしまったのかというと、学生服の胸ポケットが不自然に膨らんでいるのを、教師に見つかってしまったのだ。


誰もが「あれはたばこだな」と直感し、このあと彼はまるでヤクザのような風貌をした、生徒指導の先生の元へ連れて行かれ、きつい尋問を受けることになるのだろうと思っていた。


どうでもいいが、なんで生徒指導の先生というのは、「あの顔でよく教員免許が取れたものだ」と思うような人が多いのだろう。


変装でもして大学に通い、免許状の授与申請をしたとしか思えない。


素顔のままだったら、入学すらさせてもらえないのではないか。


で、持ち物検査を受けることになった彼だが、教師から「胸ポケットの中身を出せ!」と言われ、特に抵抗をすることもなく、素直にポケットに入っていたものを机の上に出した。


教師に「なんだこれは?」と尋ねられたが、彼は仏頂面のまま無言を貫いていた。


その様子を見た教師は、「はぁ~っ・・・」と大きくため息をついてから、彼に顔を近付けて、「もう一度聞く。なんだこれは?」と言った。


すると彼は、教師の顔をおもむろに見上げると、「なんに見えますか?」と逆に聞いた。


その態度に教師は少しムッとした様子で、「たばこに決まっているだろう!」ときっぱりと言い放った。


ところがその言葉に彼は、悪戯っぽい笑みを浮かべると、「ざ~んね~んで~した~、コレはコンドームでぇ~す!」と言ってのけたのだ。


その言葉に誰もが「えっ?」と思ったが、よく見れば確かにそれはコンドームの箱のようだった。


コンドームの箱というのは、パッと見た感じ、外国産たばこに似た、ちょっとしゃれたパッケージデザインのものがある。


どうも彼はいつも自分を注意して来る教師をギャフンと言わせたくて、胸ポケットにコンドームの箱をわざと仕込んでおいたらしい。


ところが教師は机の上のコンドームの箱を取り上げると、「コレはコレで問題だ!」というと、彼の腕を取って、生徒指導の先生の元へ連行して行ったのだった。


彼は「えっ、なんで?」という顔をしてこちらを見ていたが、廊下を歩いて行く彼の背中からは、「余計なことをしなければよかった・・・」という後悔の念がにじみ出ていたのだった・・・・・・。
 

2023年11月19日 (日)

「昭和の遊具」空中シーソー(回転シーソー)

Photo_20231119084701
▲空中シーソーはこのようにギッタンバッコンさせて遊ぶ遊具だった。また、私は見たことがなかったが、竹とんぼのようにクルクルと回転するタイプのものもあったようだ・・・・・・。

昭和の頃には公園や学校に行けば必ずあったのに、いつの間にか撤去されてなくなってしまった遊具というのが、じつはけっこうあるものだ。


「空中シーソー」とか「回転シーソー」と呼ばれていた遊具もその中のひとつで、いまではもう絶滅してしまった遊具といえるだろう。


私の記憶では空中シーソー(回転シーソー)には大きく2つのタイプがあったように思う。


1つ目のタイプは梯子の真ん中を1本の支柱に固定してあるようなシンプルな外観のもの。


遊び方としては、梯子の両端にそれぞれ子供がぶら下がり、一方がジャンプした時にもう一方がしゃがむ。


この動作を交互に繰り返して行くことで、シーソーのようにギッタンバッコンさせて遊ぶのだ。


このタイプのものは、遊具の規模としては、それほど大きなものではなく、シーソーが空中に持ち上がる高さも、せいぜい自分の身長の2倍あるかないかぐらいだったと思う・・・・・・。


2つ目のタイプは、1つ目のものとは比べ物にならないくらいの大きさで、大きな公園などに行かなければ遊ぶことが出来なかった。


早い話が場所を取るので、それなりのスペースがないと設置出来なかったのだ。


こちらのタイプは体操競技で使う、大きな鉄棒のようなものが支柱になっていた。


そして梯子の形状もちょっと特殊で、まるで消防自動車の梯子のような形をしていた。


このタイプのものは、パッと見た感じ、とても遊具には見えず、その様子はまるで建設現場で見かける足場のような武骨な印象だった。


また、このタイプは遊具らしいカラフルな色に塗装されていた訳ではないので、きっと今の子供たちが見たら、何に使うものかさっぱり分からないと思う・・・・・・。


Photo_20231119085201
▲大型のタイプは通常の遊び方のほか、縦方向に回転させて遊ぶことが出来た。公園の遊具なので、体を固定するベルトなんてなくて、いま考えると大人でも危険な遊び方である・・・・・・。

で、基本の遊び方は、1つ目のコンパクトなタイプと同様なのだが、この大型のタイプは、シーソーが一番高い所まで持ち上がると、自分の身長の3倍以上の高さになっていたと思う。


普通に遊んでいるだけなら、そんなことにはならないのだが、お互いに勢いをつけて、思いっ切りジャンプをして漕いで行くと、かなりの高さにまで到達し、元に戻る時の勢いで、空中で体が水平になったりもしていた。


いま考えると、うっかり手を離して地面に叩きつけられようものなら、大怪我どころでは済まなかったかもしれない。


当時はいっしょに遊ぶ相手を間違えて、号泣しながら空中に持ち上げられている子供がよくいたものだが、空中シーソー(回転シーソー)では、この程度の遊び方はまだまだ序の口だった。


前述のように空中シーソー(回転シーソー)の基本の遊び方は、梯子の両端にそれぞれ子供がぶら下がり、お互いにギッタンバッコンさせて遊ぶのだが、この大型のタイプにはさらに高度な遊び方が存在していたのだ・・・・・・。


じつはこの大型の空中シーソーは、「回転シーソー」の別名があるように、まるでハムスターの回し車のように、ぐるぐると回転させることが出来た。


ちなみに1つ目のコンパクトタイプの空中シーソーは、支柱が梯子の真ん中で固定されているため縦方向への回転はしない。


2つ目の大型のタイプは、支柱が両サイドに2本あり、鉄棒状になっているため、梯子を縦方向にぐるぐると回転させることが出来たのだ。


ただし、回転させるためには、それなりの体力と技術が必要だった。


まず、通常の遊び方をする時に、手で持ってぶら下がる部分に足を乗せて立つ。


そしてその上の梯子の部分を手でしっかりと持つ。


そしてお互いに片足で地面を蹴って、少しずつ勢いをつけて行くと、シーソーは次第に水平から直角の高さにまで上がって行くようになる。


そして自分の体勢が逆立ちになったなと思った瞬間、シーソーはぐるぐると回転を始めるのだ。


その様子はまるで宇宙飛行士になるための訓練のようである。


宇宙飛行士たちはちゃんとシートベルトを装着して、ぐるぐると回されているのだが、空中シーソー(回転シーソー)には、そんなものは付いていない。


自分の力でしがみついていなければ、地面に真っ逆さまに落下して病院送りになること間違いなしだ。


空中シーソー(回転シーソー)にぐるぐると回されながら、いったい何が楽しくてこんなことをしているんだろうと、自分を見失うこともしばしばあった・・・・・・。


いま考えると、空中シーソー(回転シーソー)って、遊園地のアトラクションにあってもおかしくない代物だったと思う。


そんなものが公園や学校の校庭にポンと設置されていた昭和の時代って、本当に「スゲ~よな~」と今更ながら思ったりする。


しかも空中シーソー(回転シーソー)には、シートベルトも付いていなければ、係のお姉さんもいないのだ。


子供が勝手に好きなように遊んでよかったのである。


それって、今の時代だったら、完全にアウトだろう・・・・・・。


現実に空中シーソー(回転シーソー)で遊んでいると、危ないこともしばしば起きていた。


相手が上に持ち上げられている時に急に手を離して、相手が地面に叩きつけられたり、遊びをやめて着地した後に、鉄の手すりの部分が、ガクンと下りて来て、それで頭を強打したりと、事故の絶えない遊具ではあった。


それでも当時は大した問題になることはなく、「怪我をしないように、気を付けて遊びなさい」と言われるぐらいだった。


そして痛い目に遭った当人たちも、その翌日にはそんなことはもうすっかり忘れ、ゲラゲラ笑いながら、空中シーソー(回転シーソー)のスリルに絶叫していたものである。


いまこうして振り返ってみると、昭和の子供たちって、なんだかものすごく馬鹿っぽい。


それってやっぱり、落下したり、頭を打ったりしながら、遊んでいたからなのだろうか・・・・・・。


2023年11月13日 (月)

異世界への入り口

Photo_20230923093501
▲道の脇にあるちょっと開けた空間に1本の柿の木が立っている。私が中学生の頃に、「異世界への入り口」と呼ばれていた柿の木だ。当時は下校時にここで休憩している学生をよく見かけたものだ・・・・・・。

私が中学生の頃、通学路の道端に、1本の柿の木があった。


その柿の木は以前は幹が二股になっていたようだが、何かの理由で手前の幹を伐採したらしく、幹の根本付近が手前に大きくせり出して、洞のような形になっていた。


洞といっても、ポッカリと穴が開いていたという訳ではなかったので、当時は学校帰りに、そのくぼみの部分に腰を掛けて、休憩している学生をよく見かけたものだった・・・・・・。


そんなある日、柿の木の前を通りかかると、その日に限ってなぜか切り株には誰も座っていなかった。


私は「へ~、珍しいこともあるもんだな~」と思いながら、柿の木の前を通り過ぎようとしていた。


しかし、ちょうどその時、視界の片隅に何か妙なものが入り込んで来たのが分かった。


私はそれに何気なく視線をやると、思わず「ギョッ!」として立ち止まった。


そこに何があったのかというと、なぜか柿の木の前に、真っ赤なハイヒールが無造作に脱ぎ捨ててあったのだ。


恐らく誰も座っていなかったのは、このハイヒールが原因だろう。


最初は「誰かが新しい靴を買って来て、古いハイヒールを脱ぎ捨てて行ったのだろう」ぐらいにしか思っていなかった。


ところがどうもそうではなかったらしいのだ。


なぜかというと、そこに脱ぎ捨ててあった赤いハイヒールは、どう見ても真新しく、何年も履き込んでいるもののようには、とても見えなかったのである。


では、このハイヒールの持ち主は、いったいどうやって、この場から立ち去ったというのだろう。


まさか裸足でということはないだろうし、仮に何らかの理由で靴を履き替えたのだとしても、ここにハイヒールを残して行く意味が分からない。


で、この赤いハイヒールは、2日間その場に放置されていたのだが、3日目の朝には忽然と姿を消していた・・・・・・。


それから半月ほどたったある日、学校からの帰り道にあの柿の木の前を通ると、またしても木の前に何かが落ちているのが分かった。


「今度はなんだろう?」と思い、柿の木の前まで行ってみると、まず手前に小学生のものと思しきスニーカーが転がっていた。


そして切り株の右側には、小学校で使う絵の具セットが、きれいに立てた状態で置かれていた。


絵の具セットのケースの色は「青」だったので、どうやら持ち主は男子小学生のようだった。


なぜそんなことが分かるのかというと、私が小学生の頃は、絵の具セットの色は、男子が「青」で女子が「赤」と決まっていたのだ。


で、そんなことはともかく、彼はこんな所に絵の具セットを置いたまま、いったいどこへ行ってしまったというのだろう。


しかも、靴も履かずにである。


そもそもなぜわざわざ靴を脱いだりしたのだろう・・・・・・。


Photo_20230923094201
▲これが私が中学生の頃に、「異世界への入り口」と呼ばれていた洞。当時はもっと平らだったのだが、知らぬ間にこんな風に斜めに変形してしまっていた。形は変わってしまったものの、数十年間もこの場所に変わらず立っているってすごいことだと思う・・・・・・。

状況としては、赤いハイヒールの時と、さして変わってはいないのだが、今回はひとつ分かったことがあった。


何が分かったのかというと、「どうやら小学生の彼は、あの柿の木の洞に、間違いなく座っていた」ということである。


なぜなら彼の絵の具セットは、ちょうど柿の木の切り株の右側に立てた状態で置かれていたからだ。


つまり道の方を向いて切り株に腰かけた場合、右手に持っていた絵の具セットを、そのまま自分の脇に置くと、ちょうどこの位置でピッタリなのだ。


そして彼が履いていたスニーカーのつま先も道の方を向いており、彼がここに座っていたことを示唆していたのだ。


そしてそれはあの赤いハイヒールの時も同様だった。


ということは、2人はやはりここに座っていたと考えるのが妥当だろう・・・・・・。


そんなことがあってから、誰が言い始めたのかは定かではないが、いつしかこの柿の木の洞は異世界に通じていて、切り株に座ると洞に吸い込まれてしまうのだという都市伝説が生まれていた。


仮にその話が事実だとして、切り株に座った者が洞に吸い込まれてしまったとする。


しかし、それならどうしてわざわざ、彼らは靴を脱いだりしたのだろうか。


そもそもこれから洞に吸い込まれようとしている人が、靴を脱いでいる余裕などあるはずがない。


普通に考えたら、何も考える暇もなく、洞の中へ「ズボッ!」と吸い込まれて行ってしまうだろう。


それとも異世界というのはじつは土足厳禁で、「まずそこで靴を脱げ!」的なことを、背後からささやかれるのだろうか。


「金を出せ!」と背中にピストルを突き付けられているような状況を想定するなら、大人しく言うことを聞かざるを得ないかもしれない・・・・・・。


それからしばらくして、友人と2人で柿の木の前を通ると、切り株の上に茶色い紙袋に入った何かが置かれていた。


手に取って見ると、それは近所にある「〇〇書店」の紙袋のようだった。


紙袋の口はきちんとテープが貼られていたのだが、持ち主らしき人物はなぜかどこにもいなかった。


そこで封を開けて中身を確認してみると、中には高校の参考書が一冊と、エロ本が2冊入っていた。


なんとも絶妙な組み合わせといえよう。


友人は柿の木の洞を指差しながら、「どうせ持ち主は吸い込まれちゃったんだから、これはもらって行こうぜ」と、都合のいいことを言うと、参考書だけを切り株の上へ戻して、エロ本一冊を自分のカバンへ入れ、もう一冊を私に差し出した。


参考書は2週間以上、その場に放置されていたが、エロ本2冊は私たちに拾われ、結果的に有効活用されることとなり、無駄にはならずに済んだのである・・・・・・。



2023年9月21日 (木)

たばことビールの自動販売機

Photo_20230916091101
▲商店街にいまも残るたばこ屋の前には、まだこのように、たばこの自動販売機が置かれているが、最近はそれ以外の場所ではほとんど見かけなくなってしまった・・・・・・。

私が子供の頃は、まだ町のあちこちに「たばこ屋」が残っていた。


たばこ屋は必ず四角い小さな看板を掲げていて、赤地に白い文字で「たばこ」と書かれているか、赤地の中央が楕円形に白く抜けていて、そこに黒い文字で「たばこ」と書かれていた。


たばこ屋は畳1~2畳程度の狭い店舗がほとんどで、大半の店は店内に客が入るスペースはなくて窓口販売だった。


たばこ屋の窓口(店の外側)には、赤い公衆電話が必ず置かれていて、たばこには用がない人も、電話をかけるために、たばこ屋の赤い看板を探したりしていたものだ。


ひとくちにたばこ屋といっても、店の形態は様々で、本業の片手間にやっている店もよく見かけた。


というか、そういう店の方が多かったと思う。


例えば酒屋や米屋、雑貨屋の横に、狭い店舗が併設されていて、たばこ屋の窓口には、その店のおばあちゃんが店番をしていることが多かった・・・・・・。


また、今では考えられない話だが、昭和の頃はたばこは誰でも買うことが出来た。


だからお父さんに頼まれて、子供がたばこ屋に煙草を買いに来ている光景をよく見かけたものだ。


子供にしてみたら、ただのパシリということになるのだが、当時は「お釣りはお小遣いにしていいよ」という父親が多くて、喜んで買いに来ている子供がたくさんいたものだ・・・・・・。


ところでたばこといえば、最近はたばこの自動販売機をあまり見かけなくなった。


その理由としては、「喫煙に対する社会の変化」としか言いようがない。


昭和の頃は自動販売機のたばこは、いつでも誰でも買うことが出来たが、そのうちに23時から5時の間は販売が中止となった。


そして、2008年3月からは、未成年でもたばこを自由に変えることが問題視され、成人識別ICカード「taspo(タスポ)」が導入された。


しかし、taspoで使用している通信回線サービスが終了することから、これに合わせて2026年3月末でサービスは終了することとなった。


また、最近はコンビニエンスストアでたばこを買う人が増えて、自動販売機の需要が減り、自動販売機そのものが数を減らしているようだ・・・・・・。


Photo_20230916091601
▲閉店した酒屋の前にいまも残るたばこの自動販売機。たばこの自動販売機の横に置いてあった、ビールの自動販売機はすでに撤去されてなくなっていた。個人商店が相次いで閉店して、管理する人がいなくなったのもその要因だと思われる・・・・・・。

さらに極めつけは、昭和の頃(約50年前)の男性の喫煙率は、なんと8割以上もあったというが、現在では3割以下にまで減少しているのだそう。


その数字が示すように、当時はあの国民的アニメ「サザエさん」の作中でも、波平さんやマスオさん、ノリスケさんは、家族の集まる居間で、平然とたばこを吹かしていたものだが、現在では懐からたばこを取り出すシーンは出て来なくなった。


このように喫煙者そのものが減少したことが、たばこの自動販売機を見かけなくなった一番の要因かも知れない。


いつの間にか町からたばこ屋が消えてなくなって行ったように、「昔はたばこの自動販売機があったよね」なんていう時代が、もしかしたら近い将来、やって来るのかもしれない・・・・・・。


自動販売機といえば、ビールの自動販売機も最近は見かけなくなった。


昭和の頃はジュースやたばこの自動販売機といっしょに、町のあちこちで見かけたものだが、いつの間にかどこに行っても見当たらなくなっていた。


そもそもの話、昔はビールは酒屋に注文して配達してもらうものだった。


サザエさんに出て来る三河屋のサブちゃんのように、御用聞きが町内を回っていた時代があったのだ。


ビールの自動販売機が一般的になって行ったのは、アルミ缶が誕生したことや、時代と共にライフスタイルが変化して行ったことなどが上げられる。


一人暮らしや共働きの世帯が増えると、酒屋による御用聞きや配達は逆に都合が悪くなり、仕事帰りに自宅近くの自動販売機でビールを買える方が、当時のライフスタイルには合っていたのだ・・・・・・。


ビールの自動販売機の設置台数は、1992(平成4)年がピークで、その後は少しずつ減少して行く。


その理由としては、たばこの自動販売機と同様に、未成年でも自由にビールを買えることが問題視され、メーカーが設置を自粛するようになって行ったためといわれている。


昭和の頃の不良のイメージは、体育館の裏でたばこをプカプカと吹かし、学校帰りの公園で自動販売機で買ったビールをグビグビと飲んでいる・・・・・・、昭和世代の人なら、そんな光景をどこかで見たことがあるという人も少なくないだろう。


自動販売機に年齢制限がかけられたり、町から撤去が進んだ現在では、不良も喫煙や飲酒は行わず、きっと健康的な不良生活を満喫しているに違いない・・・・・・。



2023年8月16日 (水)

「昭和の遊具」回旋塔

Photo_20230812084501
▲回旋塔は1本の支柱に、数本の鎖で円錐状に大きな輪っかが吊り下げられている遊具だった。輪っかの部分はグルグルと回転する仕組みになっていて、子供たちはここに捕まって、クルクルと振り回されながら遊んでいた・・・・・・。

最近、公園や学校の前を通るたびに、自分が子供の頃に見ていた光景が、「ずいぶんと様変わりしてしまったなぁ」と感じる。


で、何がそんなに様変わりしてしまったのかというと、なんだか妙にスッキリしてしまったように感じるのである。


当初は自分が子供の頃に比べて、子供の数が減ってしまったことが、その原因なのだろうと思っていた。


しかし、誰もいない公園や学校の前を通っても、同様に違和感を感じるので、どうもそれが原因ではなかったようだ。


そこで当時の記憶をたどって行くと、そこにあるべきものがなくなっていたことに気付いたのだ・・・・・・。


で、何がなくなっていたのかというと、私が子供の頃には、当たり前のようにそこに設置されていた遊具が、きれいさっぱりと姿を消してしまっていたのである。


そしてその遊具を撤去した場所には、代わりの遊具が設置されている訳でもなく、ただの不自然な何もない空間になっていた。


どうやらこれが「スッキリしてしまった」と感じる原因のようだ。


で、なんで昔ながらの遊具が撤去されてしまったのかというと、近年になってその危険性を指摘されるようになったからに他ならない・・・・・・。


私が子供の頃に最も衝撃を受けた遊具といえば、なんと言っても「回旋塔」がナンバーワンである。


回旋塔というのは1本の支柱に、数本の鎖で円錐状に大きな輪っかが吊り下げられている遊具で、分かりやすくいうなら、傘の骨組みの形を想像してもらえばよいかと思う。


で、どのようにして遊ぶのかというと、回旋塔はその名の通り、回転する仕組みになっているので、まず輪っかのバーの部分に捕まって、支柱の周りを走って回転させ、そのまま輪っかにぶら下がって、クルクルと振り回されるのを楽しむのである。


しかし、これはあくまでも基本の遊び方なのだ。


慣れて来ると、より速く、よりスリリングに回されたくて、猛ダッシュで勢いをつけてから足を離し、遠心力で体が吹っ飛ばされそうになるのを必死に堪えながらバーに捕まっていた。


6~7人で回すとさらにスピードが増して、回転時間も長くなり、もはや回されていて、楽しいんだか苦しいんだか、よく分からなくなって来る。


超高速で回る回旋塔に必死に捕まりながら、次第に指先の感覚がなくなっていくのを感じつつ、いつの間にか隣の友達がいなくなっていることに、ふと気付くこともしばしばだった。


回旋塔の順番待ちをしていた友達が言うには、その瞬間彼はまるでスーパーマンのように、空中をものすごいスピードで飛んで行ったそうである。


ただ、唯一スーパーマンと違ったのは、彼が後ろ向きに飛んで行ったことだろう・・・・・・。


Photo_20230812085101
▲回旋塔は斜め方向に傾けて回すことも出来た。このようにして回すと、高速の回転運動に加えて、上下運動も加わって、回されている者は恐怖を通り越して「死」を覚悟することもあった・・・・・・。

子供は大人が思いもしないような遊び方を考案する天才である。


じつはこんな遊び方はほんの序の口だったのだ。


回旋塔というのは、ただ回転するだけでなく、斜め方向に傾けて回すことも可能だった。


だから数人で輪っかを地面の方向に押し下げて、反対側にぶら下がっている友達を高く持ち上げ、高速で回転させるなんて遊び方も出来た。


じつはこの時の彼は地面から2メートル近い高さまで持ち上がっている。


静止している状態でも、そこから飛び降りるのは、ちょっと無理な高さである。


で、バーを押し下げて、回旋塔を回転させているメンバーが、そこから一斉にいなくなるとどうなるのかというと、バーに捕まって回されている彼は、ただ高速で回転するだけでなく、上下運動も加わった状態で、高速でグリングリンと振り回されることになる訳だ。


まるで宇宙飛行士になるための訓練である・・・・・・。


で、先に振り回されている彼には大変申し訳ないのだが、ここからがいよいよ本番なのである。


先ほどまで下でバーを回転させていた子供たちが、高速で回転を続けている回旋塔に次々と飛び込んで行くのだ。


タイミングを見誤ると、すでに回旋塔に振り回されている彼の回し蹴りの餌食になる。


また、バーを掴み損ねれば、大怪我をする恐れだってある訳だ。


そしてそれは、走っている車に接触するほどの衝撃で、まともにぶつかれば病院送り間違いなしである。


そんな危険な状況の中で、バーをしっかりと掴んで遊びに参加出来ていたのだから、当時の子供たちの動体視力は半端ないものがあったのだろう・・・・・・。


と、まあ、このような遊び方をする回旋塔だったので、強烈な遠心力で吹っ飛ばされて、落下して行く子供たちが毎回のようにたくさんいた。


それでも私の周りでは、体中に擦り傷やあざを作っている子供はいくらでもいたものの、大怪我をしたとか救急車で運ばれたなんて話は聞いたことがなかった。


しかし、全国的に見ると、骨折や指を切断したりする事故があったらしく、いつしか回旋塔は危険だということになり、公園や学校から次々と姿を消して行くことになったのだった。


子供の頃、回旋塔で遊んでいた者としては、なんとも寂しい限りだが、こうして当時のことを冷静に振り返ってみると、「そりゃ、そうだよなぁ・・・」と思わざるを得ない・・・・・・。



2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

にほんブログ村