カテゴリー「謎フレーズ探偵」の記事

2024年9月 2日 (月)

「謎フレーズ探偵」ポチる

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「ポチる」という言葉がある。


もはや説明するまでもないと思うが、「ポチる」とは通販サイトなどで、商品の購入を確定することを意味している。


購入ボタンを「ポチッ」と押して買うから「ポチる」なのである。


しかし、実際には「ポチッ」としているのは、PCならマウスの方で、画面上の購入ボタンからは、当然のことながら、手に伝わって来る感触は何もない。


で、ここでちょっと疑問に感じることがある。


マウスならば「ポチッ」ではなく、「カチッ」ではないのか?


それなのになぜ、「ポチッ=ポチる」になったのだろうか・・・・・・。


じつはこの「ポチる」という言葉には、元になった言葉がある。


それは「ポチッとな」で、昔から様々なアニメやゲームの世界で、登場人物たちのセリフとして使われて来た。


そしてそれはほとんどの場合、何かしらのボタンを押すシーンで、「今からボタンを押しますよ」の合図として使われて来たのだ・・・・・・。


で、この「ポチッとな」には、さらなる元ネタがある。


そしてその元ネタは、1977(昭和52)年1月1日から、1979(昭和54)年1月27日まで、フジテレビ系列で放映されていた、アニメ「ヤッターマン」になる。


具体的にはヤッターマンの作中で、ドロンボー一味のボヤッキーが、ヤッターマンのメカを攻撃する際に、操縦席にある赤く丸いボタンを「ポチッとな」と言いながら押していたのが、全ての始まりだったのである。


そしてヤッターマンは人気の作品ということもあって、その後も何度も再放送を繰り返していた。


その結果、幅広い世代の人が知るアニメ作品となって、「ポチッとな」も世間に広く浸透していったのである・・・・・・。


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で、私が子供の頃は、日常生活の中でも、何かのボタンやスイッチを押す時に、ボヤッキーの「ポチッとな」をよく真似して使っていたものだ。


例えばテレビの電源ボタンやラジカセの再生スイッチ、扇風機の風量切り替えボタンや、バスの降車ボタンを押す時などがそうである・・・・・・。


ところでこのボヤッキーの「ポチッとな」というセリフだが、じつは当時ボヤッキーの声を担当されていた、声優の八奈見乗児さんのアドリブだったといわれている。


だからもしその時に、アドリブが却下されていたら、現代の「ポチる」という言葉は誕生していなかったのかも知れない・・・・・・。


ちなみにボヤッキーといえば、「ポチッとな」以外にも、「はぁ~い、全国の女子高生のみなしゃ~ん」や、「今週の山場~っ!」などの決まり文句があることで知られているが、これらも全てアドリブだったと言われている。


このため作品中盤あたりからは、ボヤッキーの台詞の部分に、あらかじめ余裕を持たせておき、アドリブを入れやすくしておいたのだそうだ・・・・・・。


ところで2008(平成20)年にヤッターマンのリメイク版が放送された際には、キャラクターグッズとして「ポチッとなボタン」と、その廉価版の「ポチッとなボタンミニ」が発売された。


これらのボタンは、アニメ本編のイメージを忠実に再現していて、赤いボタンにはドロンボー一味のトレードマークでもある、ドクロのマークもちゃんとプリントされていた。


そしてボタンを押すことで、「ポチッとな」を始めとする、様々な台詞をしゃべるおもちゃに仕上がっていた・・・・・・。


また、2010(平成22)年2月12日には、日本マクドナルドのハッピーセットのおまけとして、期間限定、数量限定で、「ポチッとな」が配布されていた。


こちらも前述のキャラクター商品に似たデザインで、ボタンを押すことで、ドロンボー一味の台詞が再生される仕組みになっていた。


台詞は3種類で、ドロンジョの「やぁ~っておしまい!」、ボヤッキーとトンズラーの「アラホラサッサー!」、そして最後はメインとなる、ボヤッキーの「ポチッとな」が収録されていた・・・・・・。


私が子供の頃、ヤッターマンの作中に登場するポチッとなボタンは、その大きさや形状、押し心地などが、なんとも絶妙に感じられ、テレビを見ながら、「あれをぜひ押してみたい」と思っている少年少女がたくさんいたものだ。


だから昭和のあの頃に「ポチッとなボタン」が商品化されていたら、きっと馬鹿売れしていたに違いない・・・・・・。


ところで「ポチッとな」といえば、ヤッターマンの作中で、ボヤッキーがボタンでないものを、「ポチッとな」と押していることがあった。


で、それは何かというと、ドロンジョの乳首で、ハプニングのどさくさに紛れて、「ポチッとな」と押していたのだが、その直後にドロンジョに張り倒されていたことはもはやいうまでもないだろう・・・・・・。


(画像上、暑い中にも秋を感じるようになり、フィールドではツクツクボウシの個体数が一気に増えた・・・・・・。画像下、シロソウメンタケも秋を感じて地上に姿を現した・・・・・・)



2024年7月16日 (火)

「謎フレーズ探偵」あした天気にな~れ

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子供の頃に、「あ~した、てんきに、な~あ~れっ ♪」という歌をうたいながら、靴の片方を遠くへ飛ばして、地面に落ちた靴の向きで、明日の天気を占ったことがあると思う。


そして靴を飛ばした後は、靴の着地点まで、靴の向きを確認しに行かなければならないのだが、靴を片方履いていないため、焦る気持ちをグッと堪えて、ケンケンをしながら、必死に移動をしていたのを、なんとなく覚えている・・・・・・。


で、占いの結果は、飛ばした靴が上向きになっていれば晴れ。


横向きだったら曇り。


逆さまだったら雨といわれていた。


しかし、天気占いをする時というのは、翌日が遠足やお祭り、子供会の花火大会など、子供が楽しみにしている行事であることが多く、占いの結果に納得がいかないと、「晴れ」になるまで、何度も占いを繰り返したりしていたものである。


ファミコンでゲームオーバーになるたびに、リセットボタンを押してしまう心理と全くいっしょである。


しかし、いま思えば、占いでこれをやってしまっては何の意味もないと思うのだが・・・・・・。


ところで、この天気占いをする時には、「あ~した、てんきに、な~あ~れっ ♪」と、歌をうたいながら、靴を飛ばしていたと思うのだが、このフレーズ、地域によっていくつかのバリエーションがあったようなのだ。


と、そうは言っても、最も一般的なのは、冒頭から書いている、「あ~した、てんきに、な~あ~れっ ♪」で、これは全国的に広まっている、最も一般的なフレーズのようだ。


で、これ以外には、以下のようなものが知られているようだ。


(歌詞A)

雨か天気か、雪、霜か


(歌詞B)

明日の天気はどうじゃ、雨か日和か、もう一度


(歌詞C)

明日、雨か日和か、天行て問うて来い


(歌詞D)

雨か日和か提灯か


(歌詞E)

あした天気にしておくれ


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で、これらのフレーズをパッと見て、何か気付くことはないだろうか。


どういう訳か、どのフレーズも、歌詞の初めに出て来る天気は、なぜか「雨」なのである。


どうしてこうも、そろいもそろって、ネガティブな歌詞なのだろう。


そしてこれはいったい、何を意味しているのだろうか・・・・・・。


もしかして、昔はこの天気占いは、明日の天気予報があまりよくない時に行うものだったのではないだろうか。


これらのフレーズを見ていると、私には「天気予報では明日は雨と言っていますが、本当に明日は雨になるんでしょうか、神様?」と、天に問いかけているような気がしてならないのだ・・・・・・。


そして極めつけは、歌詞Eの「あした天気にしておくれ」である。


これはもはや「問いかけ」ではなく、「お願い」である。


そしてこれは、冒頭の「あ~した、てんきに、な~あ~れっ ♪」も同様と言っていいだろう。


そしてこれについては、どうもちゃんとした理由があったようなのだ・・・・・・。


大正時代から昭和の初期頃までは、日本では下駄が最も一般的な庶民の履物であり、この占いも「下駄占い」と呼ばれていた。


ところが下駄は平安時代の中頃まで時代を遡ると、庶民はもちろん、貴族にとっても縁の薄い、「聖なる履物」であったらしい。


どういうことかというと、そもそも下駄という履物は、「占いの道具」として使われていたようなのだ。


具体的にどのようにして、占いに用いていたのかは定かではないが、雨乞いや日乞いの神事に使われていたといわれている。


ちなみに「雨乞い」とは日照りが続いて、水が枯れた時に雨を願って行う神事。


もう一方の「日乞い」とは長雨が続いた時に、晴れを願って行う神事のことをいう・・・・・・。


また、そもそも下駄という履物は、雨の日にぬかるみにはまらないように履くものだった。


平安時代には高下駄という歯の高い下駄を履いていたそうで、この高下駄のことを足駄(あしだ)と呼んでいた。


この足駄を「明日」にかけて、明日の天気を占うようになったともいわれているそうだ・・・・・・。


一方、子供の遊びとしての下駄占いについてだが、明日の天気が晴れなら、下駄の向きは表、雨なら裏が出るといわれていた。


じつはこれについては、その理由もちゃんと考察されていて、「低気圧の接近で大気中の水分が増えると、下駄の鼻緒が湿って重くなり、裏面が出やすくなるのではないのか?」というのだ。


しかし、下駄はその構造上、どうしても裏面が出やすく、この理論に基づいて占いに使用するのであれば、スニーカーなどの平らな靴の方が適しているといえるだろう・・・・・・。


また、子供の遊びとしての「下駄占い」に関してだが、まず飛ばした下駄の距離を競う、「下駄飛ばし」という遊びがあって、そこに後付けで天気占いの要素が融合したと考えるのが妥当のようだ。


そして飛ばした履物が下駄から靴に変わっても、この仕組みはそのまま引き継がれ、「靴飛ばし」という名前に変更になり、現在に至っているのである。


だからたとえ「天気占い」で雨が出たとしても、「今のは距離が出ていたから、晴れに繰り上げだな」などという、謎ルールがあったりして、結局は自分の都合のいい天気に決定していたように思う。


そういう意味では、当時の子供は「神」だったのかもしれない・・・・・・。


(画像上、オニユリが咲き始めると、本格的な夏はもうすぐそこまでやって来ている・・・・・・。画像下、木の根元から樹液がしみ出しているらしく、アカボシゴマダラを始め、昆虫たちが集まって来ていた・・・・・・)


2024年6月 4日 (火)

「謎フレーズ探偵」グッとパーでわかれましょ ②

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私が小学生の頃、チーム分けが必要な遊びをする時には、グーとパーのどちらを出すかで、集団を2つに分けていた。


例えば野球やキックベース、ドッチボールなどの球技や、ケイドロをはじめとする鬼ごっこなどで遊ぶ時がそうである。


そしてこのグーとパーによるチーム分けの際には、専用の掛け声があって、前回は基本的ともいえる、シンプルなものをいくつかご紹介した。


で、今回は意味がよく分からない、謎のフレーズが含まれている掛け声に焦点を当てて、その謎を考察してみようと思っている・・・・・・。


(掛け声 G)

「グッパージャス」


じつはこの掛け声は、今回情報収集(友人、知人への聞き込み)に協力してもらっているYさんから提供してもらった。


Yさんは私と同じ神奈川県横浜市出身なのだが、私が子供の頃には、この掛け声はなぜか聞いたことがなかった。


で、この掛け声をパッと見て、多くの人が疑問に感じるのは、「グッパージャス」の「ジャスとはなにか?」ということだろう。


そこでそのことをYさんに聞いてみると、「子供の頃は気にもしていなかったけど、たぶんピッタリ分けるって意味でジャストなんじゃない?」という。


ちなみにYさんのお友達数名にも聞いてみてもらったのだが、「ジャス」の語源まではご存じないようだった・・・・・・。


(掛け声 H)

「グッパージャン」


こちらの掛け声は「ジャス」が「ジャン」に変化している。


「じゃん」というと、「横浜市の方言なんじゃないか?」という人がいるのだが、この掛け声は横浜市出身の私とYさんは一度も聞いたことがなかった。


情報提供者のTさんは東京都の出身で、「ジャン」の意味を尋ねると、「グーとパーに分かれるじゃんけんだからじゃないか?」と、びっくりするほどシンプルな回答だった。


ちなみにこの「グッパージャン(H)」には、「グッパー、グッパー、グッパー、ジャン」という長いバージョンもあったそうである。


ただ、「面倒くさいので、グッパージャンで済ますことが多かった」のだそう。


どうでもいいが、「グッパージャン」はスパイスの聞いた調味料、「グッパー、グッパー、グッパー、ジャン」は、そのCM曲みたいで、なんだか笑える・・・・・・。


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(掛け声 I)

「グッパーエス」


「ジャス」、「ジャン」と来て、今度は「エス」である。


「エスってなんだよ!」と思わずつっこみたくなるのは、私だけではあるまい。


ちなみにこちらの掛け声は、千葉県出身のIさんから情報を提供してもらった。


誤解のないように書いておくが、Iさんは普段は「グッとパーでわかれましょ(A)」を使うことの方が多かったそうである。


今回わたしが珍しい掛け声を探していると聞いて、「そういえばグッパーエスもあったな」と思い出してくれたようだ。


で、「エス」の意味についてだが、Iさんは「そんなの知らないよ」といいながらも、「掛け声繋がりで、オーエスのエスとかじゃないの?」と、無理矢理答えらしきものを捻り出してくれた・・・・・・。


(掛け声 J)

「うーららおーもーて」


この掛け声を聞いて、まず思うのは、「あれ?グッパーじゃないの?」ということだ。


そう、「うーららおーもーて」は、グーとパーで分かれるのではなく、手の甲を出すか、手の平を出すかで、チーム分けをするのだそうだ。


情報提供は長崎県出身のMさんで、「子供の頃のチーム分けは、ほぼ100%これだったと思う」とのことだった。


私は子供の頃、この掛け声は1度も聞いたことがなかったのだが、じつは神奈川県や東京都でも、「うーららおーもーて」を使っていた地域はあったのだそうだ。


ちなみにMさんの話では、「うーららおーもーて」は、ちょっと隣の市や町へ行くだけで、「ら」が1つ減って、「うーらおーもーて」になったり、イントネーションが微妙に変わったりしていたとのことだった・・・・・・。


という訳で今回は、誰もが子供の頃に、何度となく使っていたであろう、チーム分けの際の掛け声を採り上げてみた。


1つ残念だったのは、私を含めて情報収集(友人知人への聞き込み)に協力してもらった人たちが、みんな神奈川県出身者ということもあって、関東地方の掛け声が中心になってしまったことだ。


きっと、全国的に調査をすれば、もっとバラエティー豊かな掛け声が出て来るのだろう・・・・・・。


ただ、1つ分かったことは、そのような広範囲の調査でなくても、自分の住んでいる町から、ちょっと隣町へ行っただけで、掛け声が微妙に変化していたり、聞いたこともないような掛け声が存在していたりしていたことだ。


だからこれを全国レベルでやったら、きっと膨大な量の掛け声が集まって来ることになり、数回程度の連載ではとてもさばき切れなかったことだろう。


そういう意味では、このぐらいでちょうどよかったのかなぁと思っている・・・・・・。


(画像上、ナツツバキの花が咲き始めた・・・・・・。画像下、シモツケの花が咲くと、見慣れた道がとても華やかになる・・・・・・)


2024年5月29日 (水)

「謎フレーズ探偵」グッとパーでわかれましょ ①

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私が小学生の頃、チーム分けが必要な遊びをする時は、グーとパーのどちらを出すかで、集団を2つに分けていた。


例えば野球やキックベース、ドッチボールなどの球技や、ケイドロをはじめとする鬼ごっこで遊ぶ時がそうである。


で、このグーとパーによるチーム分けなのだが、いろいろな人に話を聞いてみると、地域によってその掛け声に様々なバリエーションがあることが分かった。


ちなみにここでいう「地域」とは、都道府県などの広い範囲だけではなく、市区町村などの狭い範囲も指している。


現実に私が子供の頃には、中学に進学して、他の地域に住むクラスメートと交流するようになると、それまでは聞いたこともなかったような掛け声で、チーム分けをしようとするものが現れて、たいへん驚いたものである・・・・・・。


ちなみに私が小学生の頃に、チーム分けに使っていた掛け声は、以下のようなものだった。


(掛け声 A)

「グッとパーでわかれましょ」


私の記憶ではチーム分けの際は、ほぼ100%といってもいいぐらい、この掛け声だったと思う。


(掛け声 B)

「グットッパ」


時間がない時や、何らかの理由で急いでチーム分けをしなくてはいけない時などはこれだった。


恐らくこの掛け声は、その使い方から考えても、「グッとパーでわかれましょ(A)」を短縮したものと考えるのが自然だろう。


私が小学生の頃に使っていた、チーム分けの際の掛け声は、この2つだけで、これ以外の掛け声は、当時は聞いたことがなかった。


ちなみに私は神奈川県の横浜市出身である・・・・・・。


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中学に進学して、他の地域に住むクラスメートと交流するようになると、これらの掛け声にバリエーションが存在していることを知ることになりたいへん驚いた。


そしてそれは、掛け声A、掛け声Bともに存在していたのである。


それがこちらになる(↓)。


(掛け声C)

「グッとパーであえばいい」


これは掛け声Aのバリエーションと思われる。


個人的には小学生の頃は、ず~っと「グッとパーでわかれましょ」に慣れ親しんでいたので、正直なところ、「グッとパーであえばいい」には違和感しかなくて、「あえばいいとは、いったいどういう意味だろう?」とずっと思っていた。


これについては、いま考えても、思わず頭を捻ってしまうのだが、恐らく「数が合えばそれでいい」という意味だったのだろう。


しかし、それって、日本語としてどこかおかしくはないだろうか。


そう考えると、もともとの掛け声はどうもAのような気がする・・・・・・。


(掛け声D)

「グッチッパ」


これはどう考えても、掛け声Bのバリエーションだ。


なぜ、「グットッパ(B)」が「グッチッパ(D)」になったかは定かではないが、恐らくこの掛け声は、「グーチョキパー」を短縮したものだと思われる。


しかし、チーム分けにはチョキを使うことはないのに、なぜこのような掛け声になったのか疑問に感じる。


そしてこの掛け声については、さらなるバリエーションがあった。


(掛け声E)

「グッパッパ」


グーとパーで分かれるから、「グッパッパ」なのだろうが、これでは「パ」が1つ多い気がする。


そんな訳で、個人的にはもう一捻り欲しいところだ。


(掛け声F)

「グッパッしょ」


最初、「しょ」とは何のことだろうと思っていたのだが、掛け声のリズムからして、どうもジャンケンをする時の、「あいこでしょ」の「しょ」のようだった。


そう思って、「しょ」はひらがな表記にしてみた。


恐らく「グッパ」ではリズム感が悪いので、「あいこでしょ」の「しょ」を語尾に強引に付けてみたということではないだろうか・・・・・・。


そんな訳で、「グットッパ(B)」、「グッチッパ(D)」、「グッパッパ(E)」、「グッパッしょ(F)」という一連の短縮系の掛け声のもとは、「グットッパ(B)」ということになりそうだ・・・・・・。


(次回②へ続くよ・・・・・・)


(画像上、風車のような形をしたヤマボウシの花・・・・・・。画像下、甘い香りを漂わせながら、スイカズラがたくさんの花を咲かせている・・・・・・)


2024年4月17日 (水)

「謎フレーズ探偵」たけやさおだけ

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最近は「さおだけ屋」なんて、ほとんど見かけなくなってしまったが、私が子供の頃には、さおだけ屋は「やきいも屋」、「ちりがみ交換」と並んで、町内をしばしば巡回している車の1つだった。


「さおだけ屋」は軽トラックの荷台に、竿竹と物干し台を乗せて各町内を回り移動販売をしていた・・・・・・。


また、「さおだけ屋」といえば、「た~けや~、さおだけぇ~、2本で〇円、2本で〇円、〇年前のお値段です」というフレーズがお馴染みで、これを軽トラのスピーカーから流しながら、かなりゆっくりとしたスピードで町内を走っていた。


ちなみに「〇」の部分については、時代と共に少しずつ変化していたのではないかと思う・・・・・・。


ところで私が子供の頃は、「やきいも屋」と「ちりがみ交換」は呼び止めている人をよく見かけたものだが、「さおだけ屋」を呼び止めている人は、個人的には一度も見たことがなかった。


というのも、当時さおだけ屋は、「悪徳商法で詐欺である」という噂が流れていて、車を呼び止めたが最後、運転席から怖いおじさんが降りて来て、高額な竿竹や物干し台を売りつけて来ると言われていた。


軽トラのスピーカーからは、「2本で〇円、2本で〇円、〇年前のお値段です」と流してはいるが、実際には言葉巧みに誘導されて、最終的には5~6万もする高額商品を買わされるというのである・・・・・・。


ちなみに「2本で〇円、〇年前のお値段です」のフレーズだが、「2本で千円、20年前のお値段です」と記憶されているかたが多いと思う。


じつはこの部分については、「2本で千円というのは20年前のお値段で今は違いますよ」という意味が隠されているというのだ。


ちゃんと逃げ道は作ってあるということだろう・・・・・・。


また、実際に2本で千円の品物から、幅広い価格帯で商品を揃えてはいるが、安い商品はすぐに錆びて、買い替えなくてはならなくなる。


「それならば、長持ちする高級品の方が、長い目で見たら安く付きますよ」と説明され、結局は高額な商品を買わされることになるのだという話もあった。


うちではさおだけ屋から、竿竹や物干し台を買ったことは一度もなかったので、実際にその噂が本当だったのかどうかは定かではないが、当時はその噂を信じている人が多かったように思う・・・・・・。


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ところでこれは大人になってから知った話なのだが、じつは「さおだけ屋」というのは、国家機関などから依頼されて、隠密活動を行っている集団で、竿竹の移動販売という業務形態は、それをカモフラージュしているに過ぎないのだという、まるで都市伝説のような噂まで存在していた。


前述のように、私は「さおだけ屋」をわざわざ呼び止めて、竿竹や物干し台を買っている人を見たことは過去に一度もなかった。


そもそも竿竹や物干し台なんて、そう頻繁に買い替えるようなものではないし、いつも売れない竿竹を荷台に積んで、町内を流しているだけの軽トラを見ていると、子供だって、「こんなんで、商売になるのかよ」と疑問に感じていたほどである。


それを考えると、先程の「そんな馬鹿な」と思えるような都市伝説が、なんだか現実味を帯びて来るような気がしてならないのだ・・・・・・。


では、さおだけ屋が国家機関から依頼されている隠密活動とは、いったいどのようなものなのだろうか。


これについては、電波傍受や盗聴を始め、一般には法的に行えないことを、代行しているのだという。


どうでもいいが、もしそれが事実だとしたら、「一歩間違えたら、犯罪者じゃねえか」という気がしないでもない・・・・・・。


では、そんな怪しい依頼が、具体的にはどこから来ているというのだろうか。


これについては、ズバリ、「公安警察」なのだそうだ。


「え~~~~~!」という気がしないでもないが、実際のところ、町内に紛れ込んで、潜伏している犯人を探し出すことは、決して容易なことではなく、定期的に軽トラで町内を流している「さおだけ屋」は、情報収集にはうってつけの存在なのだとか。


また、逃亡生活を続ける犯人の側からすると、さおだけ屋の「た~けや~、さ~おだけ~」のフレーズを聴くことで、「公安に追い詰められている」という気持ちが増していき、精神的にどんどん追い詰められていくのだそうだ・・・・・・。


ところで、なぜ逃走犯は「さおだけ屋は公安と繋がっている」ということを知っているのだろうか。


「怪盗〇〇〇〇」的な犯人なら、そんな情報を握っていても、決しておかしくはないが、元は一般人だったであろう普通の犯人が、そんな情報を知っているとはとても思えない・・・・・・。


私が子供の頃に聴いた、「た~けや~、さ~おだけ~」というあのフレーズは、まるで民謡歌手のような歌い方をする、おっさんの声だったのだが、いつの頃からか、あまり歌が上手いとは言いかねる、若い女性の声に変わっていた。


ちなみにスピーカーから流れてくる声は若い女性の声だが、運転しているのは、相変わらず、くたびれたおやじなので、「ちょっと見に行ってみよう」なんて気は起こさない方がよい。


多くの人に声を掛けてもらうための、イメージ戦略だったのかもしれないが、逃走犯にプレッシャーをかけて追い詰めるためには、昭和の頃によく聴かれた、あの、おっさんの声の方がよかったんじゃないかなぁと思う今日この頃である・・・・・・。


(画像上、岩に根付いたタチツボスミレ・・・・・・。画像下、身近な春の花、カントウタンポポ・・・・・・)


2024年3月 6日 (水)

「謎フレーズ探偵」いっせーの1!④

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「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」は、ルールは全国共通なのに、なぜか日本各地に様々な掛け声が存在している。


そして最も一般的と思われる掛け声が、「いっせーの」、「いっせーのーせ」、「いっせーので」、「いっせっせ」などの、「いっせーの系」の掛け声なのだ。


そしてこれらはそのまま、重たい物を動かす時などに、「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」としても使われている。


で、この「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」は、調べてみると、日本のほとんどの地域で、前述の「いっせーの」、または「せーの」という掛け声が使われていることが分かる・・・・・・。


ところがどういう訳か、九州地方だけはこれが当てはまらず、ちょっと特殊なことになっているのだ。


例えば福岡県では、「いっせーの」や「せーの」に相当する掛け声は、「さんのーがーはい」となる。


神奈川県(横浜市)出身の私からしたら、「いったい何語なんだ?」と思わざるを得ない。


何回聞き直しても、とても日本語とは思えない。


恐らく「さんのーがーはい」の「はい」の部分は、「あなたもご一緒に!」的な「はい」なのだろう。


「いっせーのーせ」の「せ」に相当する部分と言えば分かりやすいだろうか・・・・・・。


しかし、それより前の、「さんのーがー」とはいったいどういう意味なのだろう。


じつはこれにはいくつかの説があるようだ。


まずはもともとは、「いちにのさんはい」だったのではないかという説。


「いちにのさんはい」は「さんはい」と短縮することもある。


ここからタイミングを取りやすいように、「さんのーがーはい」という言葉に変化していったのではないかという考え方だ・・・・・・。


2つ目の説は、「せーの」の語源でもあった、「賽の神(さいのかみ)」から変化していったのではないかとする説。


ちなみに前回も書いている通り、「賽の神」とは「道祖神」のことである。


前回ご紹介した「せーの」という掛け声は、「さいのかみ来い」→「せえのかみ来い」→「せーの来い」→「せーの」と変化していった。


「さんのーがーはい」の場合は、「さいのかみ来い」→「さいの来い」→「さんのー来い」→「さんのーがーはい」という流れで変化していったのではないかという考え方だ・・・・・・。


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ところでこの福岡の方言と思われる「さんのーがーはい」だが、同じ九州でも他県に行くと、そのフレーズが少しずつ変化していて面白い。


例えば熊本県では、「せーのがさんはい」という掛け声に変わる。


なんだか言葉がより複雑になっているように感じるのだが、「せーのが」と「さんはい」に分けて考えると分かりやすい。


「せーのが」の「せーの」は言うまでもなく、「賽の神」のことだろう。


そして「さんはい」については、「いちにのさんはい」の「いちにの」を省略して、「さんはい」としたものだろう。


重たい物を動かすために、「賽の神」の力を借りたいので、「さいのかみ来い(せーの)」。


そしてそれに、タイミングを合わせる時の、「さんはい」をプラスした掛け声ということになるのではないだろうか・・・・・・。


そしてこれが鹿児島県に行くと、「いっちゃのーがーせい」という掛け声に変化する。


もはや何かの呪文のようだが、「いっちゃのーがーせい」を分かりやすく言い換えると、「いっせーのーがーせい」となるそうだ。


「いっせーのーがー」の部分は、言うまでもなく、「いっせーの」の掛け声から来ていることは間違いないだろう・・・・・・。


では、「せい」とはいったいなんのことか。


これまでの例から見ても、「せい」は「賽の神」のことではないだろうか。


「賽の神」は「せえのかみ」と訛ることもある。


「せえ」が「せい」に変化したとしても、何ら不思議ではない・・・・・・。


「せい」が「賽の神」を指しているとするなら、「いっせーのーがーせい」の意味としては、タイミングを合わせる「いっせーの」という掛け声と、重たい物を動かすのに、「賽の神の力を借りたい」という意味の、「さいのかみ来い」が合わさった言葉ということになるのではないだろうか。


そして日本の多くの地域では、重たい物を動かす時などに、「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」が、そっくりそのまま、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」の掛け声になっているのだが、今回ご紹介して来たこれらの掛け声は、なぜかそれに当てはまらないのである・・・・・・。


さて、ここで本題である、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」に話を戻そう。


じつはこのゲームのルーツを探って行くと、1600年頃にはすでに行われていたとされる、中国の「本拳(ほんけん)」がその起源ではないかと考えられているようだ。


日本には18世紀頃、およそ300年前に、長崎県に伝来したと言われている。


そしてこれが各地に広まって行き、少しずつ形を変えながら、最終的に「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」になったと考えられている。


ところがどういう訳か、私の知り合いの長崎県人数名に、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」について話を聞いてみると、みんな口をそろえて、「子供の頃は知らなかったので、遊んだことがなかった」というのだ。


(ちなみにこれについては、昭和50~60年代に子供だった人たちに話を聞いている)


最初に「本拳」が伝来した長崎県に、親指のゲームが定着していないというのも、なんだか不思議な話である・・・・・・。


そして調べてみると、長崎県に限らず、どうも九州地方では、このゲームは局所的にしか広まっていないようなのだ。


これはいったいどうしてなのだろう。


親指のゲームの原形は、長崎発で各地に広まって行ったものの、日本で改良されて完成形となった親指のゲームは、出発地点まで戻って来ることはなかったということだろうか。


「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」といい、九州地方はちょっと独特のようである・・・・・・。


(画像上、毎年撮影している桃色の椿が見頃になった・・・・・・。画像下、マンサクの花はそろそろ終盤に・・・・・・)



2024年2月29日 (木)

「謎フレーズ探偵」いっせーの1!③

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さて、ここからは、本題である「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」からはちょっと離れて、単純に「いっせーの」という言葉そのものについて、もう少し深掘りしてみようと思っている。


で、調べてみると、この「いっせーの」という言葉は、日本列島のほとんどの地域で使われている言葉であることが分かった。


で、ざっくり見て行くと、相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声には、「いっせーの」と「せーの」という2通りの言い方があることも分かった。


そこで多くの人が疑問に思うのは、「じゃあ、なんで2通りの言い方があるのか?」ということだろう・・・・・・。


まず、パッと見て気付くことは、「いっせーの」と「せーの」という言葉は、とてもよく似ているということだ。


いちいち説明するまでもないが、「いっせーの」は「せーの」に、「いっ」を付けただけである。


ということは、「もしかしたら、元をたどれば、この2つは同じ言葉だったんじゃないのか?」と誰もが思うのではないだろうか。


ところがこれがどうもそう単純な話ではなさそうなのである。


「いっせーの」と「せーの」は、一見似ている言葉のように感じるが、じつは全く別の言葉のようなのだ。


別の言い方をするなら、「いっせーの」と「せーの」は、語源が全く別なのである・・・・・・。


まず、「いっせーの」の方だが、これはフランス語の号令の、「イッセー」に由来しているらしい。


明治時代に日本海軍がフランス海軍と合同で訓練をしていたことがあった。


この時にフランス海軍が使っていた、ボートを引き上げる時の号令「イッセー」が、その由来と考えられているのだそう。


そしてこれは、日本語の「一斉」にも関係があるのではないか、という説もあるようだ。


確かに「一斉」をカタカナ表記にすれば「イッセイ」となる。


「イッセイ」と「イッセー」、関係がないと考える方がむしろ不自然だ・・・・・・。


では、「せーの」の方はどうだろう。


先ほども書いたが、パッと見た印象では、「せーの」は「いっせーの」から「いっ」を省略しただけのように見える。


しかし、「いっせーの」の語源を知ってしまうと、「いっ」はどう考えても、省略してはいけないということが分かる・・・・・・。


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で、答えを先に書いてしまうと、「せーの」の語源は、じつは「賽の神(さいのかみ)」から来ているそうなのだ。


では、「賽の神」とはいったいなんだろう?


今となっては聞きなれない言葉かもしれないが、「賽の神」とは道祖神のことを指す。


道祖神とは疫病や災厄などが村に入って来ないように、道の辻などに祀られている石仏(神様)のことである。


また、道祖神は、1月14日に各地で行われる、「どんど焼き」にも深い関りのある神様でもある。


そして、この道祖神のことを、「賽の神」と呼ぶ地域があるのだ。


そしてこれは、べつに地方の呼び名という訳ではないらしく、東京でもかつては道祖神のことを、「賽の神」と呼んでいた地域があったのだそうだ。


そして年配の人の中には、この「賽の神」が訛って、「せえのかみ」と発音する人もいたのだという・・・・・・。


で、問題はなぜ、「賽の神」が「相手とタイミングを合わせる時の掛け声」になったのかだ。


例えば重たい物を持ち上げる時などに、「賽の神」の力を借りることが出来たら、きっと重たい物を楽に動かすことが出来るだろう。


「そんなことに神頼み?」と思われるかもしれないが、「賽の神」は私たちにとって、一番身近なところにいる神様ということで、昔の人は親しみを込めて、「きっと、力を貸してくれるだろう」と考えたのだろう。


そんなこともあって、当初は「せーの」ではなく、「さいのかみ来い」と掛け声をかけていたのではないかと考えられている。


それが「せえのかみ来い」と訛り、「せーの来い」と短縮され、最終的に「せーの」になっていったという流れだ。


このように、「いっせーの」と「せーの」は、同じ意味合いの言葉であるにも関わらず、その語源は全く別のところにあったのである・・・・・・。


ところでこの、いっせーの」と「せーの」という掛け声は、日本列島のほとんどの地域で使われている言葉なのだが、九州地方だけはなぜかちょっと特殊なのだ。


という訳で、次回はその辺のことについて、ちょっと書いてみようと思っている・・・・・・。


(画像上、早咲きの桜として知られる河津桜が見頃になった・・・・・・。画像下、石の割れ目から、ヒガシニホントカゲが出て来て日光浴・・・・・・)

2024年2月23日 (金)

「謎フレーズ探偵」いっせーの1!②

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私が小学生の頃、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」がプチブレイクしていたことがあった。


このゲームでは、「いっせーの1!」といった具合に、掛け声をかけながら、数字をコールしていたのだが、全国的に見ると、じつに様々な掛け声があったようなのだ。


で、この辺のことに関しては、前回詳しく書かせてもらっているので、そちらを参考にして欲しい・・・・・・。


で、今回は最もオーソドックスと思われる、「いっせーの」という掛け声に焦点を絞って、調査を進めて行こうと思っている。


じつはこの最もオーソドックスと思われていた、「いっせーの」という掛け声なのだが、細かく調べてみると、「いっせーの」という言葉にも、地域性があることが分かった。


私の出身は神奈川県の横浜市だが、小学生の頃、この遊びの掛け声は、「いっせーの1!」だった。


で、調べてみると、この掛け声は、やはり関東地方で勢力が強い掛け声だったようだ・・・・・・。


ところが意外だったのは、同じ関東でも、「いっせーの」ではなくて、「いっせーのーせ」という掛け声を採用している地域もあったようなのだ。


これについては、私は小、中、高を通してみても、一度も聞いたことがなかったので、たいへん驚いている。


と、そうは言っても、「せ」がたった1文字増えただけなのだが、実際に「いっせーのーせ」の掛け声で、この指遊びをやってみると、なれていないせいか、どこで数字をコールしたらいいのか、ちょっとタイミングが分からなくなってしまう・・・・・・。


ちなみに誤解のないように書いておくと、私が子供の頃は、「いっせーのーせー」という掛け声は、指遊びには使われていなかったが、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」としては日常的に使っていた。


だから「いっせーのーせ」という言葉自体は、関東では方言や地域性のある言葉という訳ではなくて、標準語と言っていいと思う・・・・・・。


ところでこの「いっせーのーせ」という掛け声だが、関西地方へ行くと、「いっせーのーで」という掛け声に変わる。


そしてこれは、指遊びの掛け声のみならず、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」としても、日常的に使われているそうなのだ。


たった1文字、「せ」が「で」に変わっただけなのだが、関東ではそのような言い方はしないので、横浜市出身の私としては、もはや違和感しかない・・・・・・。


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また、関東地方では、相手とタイミングを合わせる時に、「せーの」という言い方もするが、これも関西地方では、「せーのーで」になるのだそうだ。


どうやら関西では、語尾に「で」が付くらしい。


関東人としては、なんだかタイミングをずらされたような感じで、思わず、ずっこけそうになってしまう・・・・・・。


で、指遊びの掛け声だが、他の地域ではどうなのか見て行くと、「いっせーの」という言葉の原形を留めているものに関しては、あとは中部地方の「いっせっせーの」が見られるぐらいだった。


そしてこの「いっせーの」、「いっせーのーせ」、「いっせーのーで」、「いっせっせーの」に共通して言えることは、再三書いているように、「指遊びの掛け声」であると同時に、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」でもあるという点だ。


これについては、前回ご紹介した、「う~~」や「バリチッチ」、「せっさん」などにはない特徴といえる。


そして全国的に見て、この指遊びの最もメジャーな掛け声といえるのが、この「いっせーの系」なのである・・・・・・。


そんな訳でここからは、本題である指の数を当てるゲームからはちょっと離れて、単純に「いっせーの」という言葉について、もう少し深堀してみようと思っている。


「そもそもの話、いっせーのとはなんなのか?」ということである。


じつはこの「いっせーの」という言葉は、調べてみると、日本列島のほとんどの地域で使われている言葉であることが分かった。


で、ざっくり見て行くと、「相手と動きのタイミングを合わせる時の掛け声」には、「いっせーの」と「せーの」という2通りの言い方があることが分かった。


そこで多くの人が疑問に思うのは、「じゃあ、なんで2通りの言い方があるのか?」ということだろう。


そんな訳で次回は、まずそのあたりから、紐解いて行こうと思っている・・・・・・。


(画像上、里山では早春に咲く花、マンサクが咲き始めた・・・・・・。画像下、猿の顔に例えられるセンダンの冬芽葉痕・・・・・・)


2024年2月17日 (土)

「謎フレーズ探偵」いっせーの 1!①

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▲「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」は、地域によって様々な名前で呼ばれていた・・・・・・。


私が小学生の頃、「相手が立てる親指の数を当てるゲーム」がプチブレイクしていたことがあった。


どんなゲームだったのかというと、まずジャンケンをして、先攻、後攻を決める。


そして握りこぶしをくっつけた状態で、両方の親指を前に伸ばす。


次に先攻の者が、「いっせーの2!」などと、数字をコールするのと同時に、「親指を片方上げる」、「親指を両方上げる」、「両方の親指を下げたまま」のいずれかのポーズをする。


この親指のポーズは後攻の者もコールに合わせていっしょに行う。


そして上がっている親指の数と、コールした数字が同じだった場合には片方の手を引く。


例えば「いっせーの3!」で自分の親指が1本で、相手が2本だった場合、コールした数が当たっていたことになるので、片方の手を引くことになる。


そして最終的に数が当たって、両方の手を引いた者が勝ちになる。


どうだろうか、なんとなく思い出してもらえただろうか・・・・・・。


ところでこのゲーム、私が小学生の頃には、特に名前はなかったと思うのだが、ある時期から「指スマ」という呼び方で知られるようになって、それを知った時には「なんで?」と疑問に思ったものだ。


「指」は分かるものの、「スマ」とはいったいなんのことなのか。


そう思って調べてみると、どうもそのきっかけは、1998(平成10)年に放映された、「SMAP×SMAP」というテレビ番組だったようで、これを略しての「スマ」だったらしい。


しかし、今となっては、その事情を知らない人も増えて来て、名前の由来を知らずに、そう呼んでいる人もいるようだ。


そう考えると、「それって、ゲームの名前にするのはどうなの?」という気がしないでもない・・・・・・。


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▲両方の親指を立てない状態は「0」で、私が小学生の頃は、「いっせーの 0!」とコールしていた・・・・・・。

ところでこのゲーム、冒頭でも書いたように、私が小学生の頃には、「いっせーの1!」と掛け声をかけていた。


ところがこの掛け声、地域によってずいぶんと違うようなのだ。


ちなみに私の出身は横浜市だが、小学生の頃は「いっせーの1!」一辺倒だったが、中学生になるとこれに加えて、「う~~1!」と掛け声をかける者も現れた。


「いっせーの1!」は単調なリズムで、淡々とゲームが進んで行くが、「う~~1!」の方は、「う~~」の長さをその都度変えることで、相手との駆け引きが生まれていた。


例えば「う~~~~1っ!」と、通常の倍ぐらい「う~」の掛け声を伸ばして、相手をイラつかせたり、逆に「う~1っ!」と掛け声を短く切ることで、相手に考える暇を与えず、両親指を下げたままの「ゼロ」で出させたりしていたものだ・・・・・・。


そんな訳で横浜では(というか、私の通っていた学校では)、「いっせーの1!」と「う~~1!」の2パターンだったのだが、全国的に見ると、じつに様々な掛け声があったようだ。


例えば三重県周辺の「バリチッチ」をはじめ、「ちっちーの」や「ちっち」など、「ちっち系」はよく知られている。


これらは言葉が似ていることもあって、元は同じ掛け声だったんじゃないかと推理することも出来る。


また、山口県周辺の「チーバリ」は、もしかしたら三重県の「バリチッチ」を逆から読んだものではないだろうか。


「ザギンでシースー(銀座で寿司)」的なことなのかもしれない・・・・・・。


また、少数派だが面白いところでは、秋田県の「たこたこ」、千葉県の「チュンチュン」、愛知県の「ビーム」、京都府や福井県の「ルンルン」などがある。


特筆すべきは山梨県の「せっさん」で、これについては、どうイントネーションを変えてみても、とてもゲームの掛け声とは思えない。


で、「せっさん」とはいったいどこ由来の言葉なのかと思い調べてみると、どうも漢字で書くと、「積算」か「説算」のいずれかであるらしい。


言葉の意味としては、指の合計を出すから「積算」、また合計の数を述べるから「説算」という考え方である。


さらに曲げた指を数えることから、「折算」という説もあるようだ。


早い話がどれが本当の由来なのかは、よく分かっていないということだろう。


ただ、1つ言えることは、昔から山梨県は、日本古来の数学である「和算」がとても盛んな地域として知られている。


そんな背景もあって、「数学にちなんだ掛け声が採用されたのではないか」と考える人も少なからずいるようだ・・・・・・。


ところで、この指遊びの掛け声で、私が一番驚いたのは、以前テレビ番組で、NiziUのMAKO(マコ)さんが、学生の頃にどんな掛け声で、この指遊びを遊んでいたかを聞かれて、何の迷いもなく、「ギンギラギンの1!」と答えていたことである。


他のメンバーはもちろんだが、その時スタジオにいた全員が、「え~~~!」という顔をしていたのが私は未だに忘れられない。


それにしても、「ギンギラギンの」って、いったいどこから出て来た言葉なのだろう。


全くもって謎としかいいようがない。


ちなみにMAKO(マコ)さんは福岡県の出身だが、県内全域が「ギンギラギンの」という訳ではないのでお間違いなく・・・・・・。


2024年1月 6日 (土)

「謎フレーズ探偵」ちり紙交換車

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「毎度、お騒がせいたしております。
ちり紙交換車でございます。
ご家庭内でご不要となりました、
古新聞、古雑誌、ぼろ切れ、
ダンボールなどございましたら、
お声がけください」


私が子供の頃は、こんなフレーズを拡声器で流しながら、ちり紙交換の軽トラックが、定期的に町内を巡回しにやって来ていた。


当時は複数の業者の軽トラックが、入れ違いで回って来ていたので、このフレーズを耳にする機会が多く、それはもはや「生活の音」といっても過言ではなかった。


そして時代と共にじょじょにその数は減って行ったものの、確か平成の前半頃までは、ちり紙交換の車は走っていたと思う。


で、いつの頃からか、「最近、ちり紙交換の車、見なくなったよな~」なんて思っているうちに、いつの間にか全く見なくなってしまったのである・・・・・・。


では、そもそも、「ちり紙交換」とはいったいなんだったのだろう。


じつはこれこそが、昭和の頃に主流だった、古紙のリサイクル回収の方法だったのだ。


当時は家庭から出る一般ゴミには、分別という意識がほとんどなくて、なんでもかんでもゴミ袋に詰めて出していた時代だった。


そんな中、古紙回収に協力すれば、ちり紙がただでもらえるというのは、画期的なシステムといえた・・・・・・。


ちなみにもらえるちり紙の量は、出した古新聞や古雑誌を秤で測って、それに見合った量をもらうことが出来た。


使用する秤は業者によって違っていて、吊るし秤を使っている業者もあれば、上皿自動秤を使っている業者もあった。


当時はどちらの秤もアナログ式の針の目盛りを読むタイプで、業務用のとても大きなものだった。


そして、ちり紙交換業者が回収して行った古新聞や古雑誌は、その後、古紙再生業者に売られることになる訳だ。


そんな「ちり紙交換」だったのだが、現在ではめっきり見ることがなくなった。


古紙価格が暴落したことで、ちり紙交換業者が相次いで廃業したことが原因である・・・・・・。


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その代わりに現在では、新聞屋さんが月1回、古新聞の回収を行っていて、玄関先に古新聞を専用の袋に入れて出しておくと、車で巡回して来て回収してくれるシステムになっている。


また、古雑誌についても、いっしょに出しておけば、ついでに回収してもらえる。


そして「ちり紙交換」でちり紙がもらえたように、新聞屋さんもトイレットペーパーを、回収のしるしとして、置いて行ってくれる。


ありがたいことに新聞屋さんは、古紙とちり紙を交換するシステムを、引き継いでくれたことになる訳だ。


「今まではちり紙と交換してもらえたのに何ももらえないの?」と文句を言われることを恐れたのだろうか。


また、現在では各自治体でも資源回収を行っていて、昭和の頃に比べて、リサイクル回収の方法が増えている・・・・・・。


ところでこれまで散々書いておいてなんなのだが、みなさんは「ちり紙」をご存じだろうか?


ちり紙は漢字では「塵紙」と書き、「ちりがみ」または「ちりし」と読む。


ちり紙は長方形の一枚紙が700~800枚単位でパッケージングされていて、当時は日用品を売る店や薬局で売られていた。


その用途はトイレットペーパーやティッシュペーパーと同様で、様々な場面で使うことが出来る便利な紙だった・・・・・・。


トイレが水洗化される前のボットン便所では、「ちり紙」はピッタリサイズの箱に入れられて、トイレの角に置かれているのが定番の光景だった。


私は幼い頃にその様子を見た記憶があるのだが、どこで見たのかは定かではない。


少なくとも、私が小学生の頃には、自宅のトイレは水洗だったので、普通にトイレットペーパーを使っていたし、部屋ではティッシュペーパーを使っていた・・・・・・。


しかし、ちり紙は便利だったので、座卓の上に必ず一束おかれていて、今でいうペーパータオルのように使っていた記憶がある。


何かをこぼした時には、片手で簡単に適量を取ることが出来て、サッと拭き取ることが出来たし、ホコリを取ったり、ちょっとした掃除にも使うことが出来た。


そんなちり紙だったのだが、ちり紙交換の車と共に、じょじょに見なくなって行った。


それまでは当たり前のように部屋に置かれていたものなのに、いったいいつ頃から、その姿を見なくなったのか、記憶が定かではない。


それってなんだか、とても不思議な話である・・・・・・。


(画像上、ハルサザンカの花が咲き出した。画像下、落ち葉に埋もれながら春を待つカントウタンポポ・・・・・・)


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