「謎フレーズ探偵」ガッチャマンの替え歌③
前々回から、私が子供の頃に流行っていた、「ガッチャマンの替え歌」の調査を始めた。
そして前回の調査では、ガッチャマンの替え歌は、東日本と西日本で主人公が違っていたことが判明した。
今回はその続きである。
という訳で、内容を忘れてしまっているといけないので、まずは「ガッチャマンの元歌」、「東日本の替え歌」、「西日本の替え歌」を先におさらいしておこうと思う。
「ガッチャマンの元歌」
誰だ誰だ誰だ、空のかなたに踊る影
白い翼のガッチャマン
命をかけて飛び出せば
科学忍法火の鳥だ
飛べ飛べ飛べガッチャマン
行け行け行けガッチャマン
地球は一つ、地球は一つ
おお、ガッチャマン、ガッチャマン
「東日本の替え歌(オーソドックスなもの)」
誰だ誰だ誰だ、僕のおやつを盗むやつ
黒いお目々のパンダちゃん
命をかけて飛び出せば
電信柱にぶつかって
飛べ飛べないパンダちゃん
行け行けないパンダちゃん
地球は一つ、割れれば二つ
おお、パンダちゃん、パンダちゃん
「西日本の替え歌(オーソドックスなもの)」
誰だ誰だ誰だ、僕のおやつを盗むやつ
白い翼のニワトリ
命をかけて飛び出せば
科学忍法焼き鳥だ
飛べ飛べないニワトリ
行け行けないニワトリ
地球は一つ、割れたら二つ
おお、ニワトリ、ニワトリ
ざっと目を通してもらえば分かる通り、東日本の替え歌も、西日本の替え歌も、歌詞の内容そのものは、ほとんどいっしょと言っていいと思う。
それなのになぜか、東日本の替え歌の主人公は「パンダちゃん」、西日本の替え歌の主人公は「ニワトリ」になっている。
これはいったいどういうことなのだろう・・・・・・。
ガッチャマンのテレビアニメは、フジテレビ系列で1972年10月1日より、毎週日曜日午後6時から午後6時30分の放送枠で放映が始まった。
そして、1974年9月29日の放映終了までに、全105話が放送されている。
じつはガッチャマンのテレビアニメの放映が始まった1972年は、日中国交正常化を記念して、中国から日本にパンダが初めて贈られた年でもある。
昭和生まれの人なら、カンカンとランランと言えば、思い出していただけるかと思う。
カンカンとランランは、1972年10月28日に、中国から専用機に乗せられて、羽田空港へ到着している。
そして驚いてしまうのは、この時、当時の内閣官房長官の二階堂進さんが、わざわざ羽田空港まで出向いて、カンカンとランランを出迎えているのだ。
当時、パンダは正にVIP級の待遇だったと言えるだろう。
そしてこのことは、当日のニュースや翌日の新聞でも大きく報じられたそうだ。
その後、カンカンとランランは東京の上野動物園で、同年の11月5日から一般公開された。
当時のパンダフィーバーは凄まじく、パンダを見るためだけに2時間待ちの行列に並び、ようやく順番が回って来たと思ったら、立ち止まることも許されず、観覧時間はたったの30秒という有り様だった。
しかも、その30秒の間、パンダが起きて動き回っているという保証は何もなく、せっかく見に行ったのに、パンダは2頭とも寝ていて、全く動かなかったなんて話も当時はよく聞かされたものである。
ちなみに私も幼い頃に、上野動物園にパンダを見に行った記憶がある。
私が見に行った時は、すでにパンダ来日から5~6年が経過していたと思うのだが、それでもパンダ舎の前は大行列で、やはり立ち止まることは許されず、ゆっくり見ている暇はなかったと記憶している。
そして前評判通り、パンダは2頭とも寝ていて、しかもこちらに尻を向けていたため、寝顔すら見られなかったのを、なんとな~く覚えている。
帰宅後、どっと疲れが出たことは言うまでもない・・・・・・。
ガッチャマンの放映が始まったのが1972年10月1日。
日本にパンダが初めてやって来たのが1972年10月28日。
そして、カンカンとランランを飼育展示していたのが、東京都恩賜上野動物園。
もう、お気付きだろう。
そう、この3つのキーワードを合わせると、当時東日本の小学生の間で流行っていた、ガッチャマンの替え歌の背景が見えて来るのだ。
どうやら、東日本の替え歌の主人公が「パンダちゃん」だったのは、当時のパンダフィーバーが関係していたようである。
そして、その当時は、西日本の動物園には、パンダはいなかったので、「どーせ、西日本の動物園にはパンダはいませんよ~だ!」と、自虐的な意味合いを込めて、西日本の各地域では、主人公をどこにでもいる、身近なニワトリに置き換えて歌っていたのではないだろうか。
また、ガッチャマンの主人公、「大鷲の健」の白いコスチュームは、どうひいき目に見てもオオワシには見えない。
オオワシは白というよりも、全体に黒っぽい鳥なのだ。
小学生はオオワシなんて言われてもピンと来ないし、校庭の鳥小屋にいるニワトリの方が身近で、イメージしやすかったのだろう。
そして、昭和の当時、小学校の校庭で飼われていたニワトリは、白いボディで大型の、「白色レグホン種」が多かったのも、その一因になっていたと思われる。
ガッチャマンの放映スタートと、パンダ来日の時期が一致していることからも、これでほぼ間違いないと思われる・・・・・・。
(画像上、日陰のアジサイはまだまだ元気。画像下、まとまった雨の日が続いて、テングタケが次々と顔を出す)
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