カテゴリー「給食」の記事

2023年6月23日 (金)

給食との格闘

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▲私が小学生の頃は、基本はパン食だったので、箸が付いて来ることはまずなく、画像のような先割れスプーンが毎回必ず付いて来ていた。このため、たまに出るソフト麺やご飯を食べる時も、この先割れスプーンを使っていた・・・・・・。

私が小学生の頃、給食に出ていたヨーグルトはビン入りだった。


牛乳は紙パックの三角牛乳だったのに、ヨーグルトに限ってなぜビン入りだったのか、いま考えるとちょっと疑問に感じる。


そしてそのヨーグルトの容器に使われていたビンは、寸胴で口がキュッと先細りになっていて、ちょうど牛乳ビンの上部だけを、バッサリとカットしたような形をしていた。


で、このビン入りヨーグルト、子供たちには人気のメニューだったのだが、1つ難点があって、前述のようにビンの口が先細りになっていたため、とても食べづらかったのだ。


というのも、当時給食に必ず付いて来ていた先割れスプーンは、まるでカレースプーンのような大きさのスプーンだった。


牛乳ビンの口にカレースプーンを入れることを想像してもらえば分かると思うが、サイズ的にはギリギリだったのだ。


しかもヨーグルトのビンは上部がキュッと狭くなった形をしていたので、大きなスプーンでは中のヨーグルトをすくいづらく、そのことがとてもストレスになっていた。


特にビンの首の部分に貼り付いているヨーグルトは、スプーンをどう使っても、かき取ることが出来ず、ビンを逆さにしてみたり、振ってみたりして、なんとかきれいに食べられないものか、ビンと格闘している者が教室のあちこちにいた。


そんな風に、食べるのに一苦労のヨーグルトだったのだが、休みの者がいれば、じゃんけんによる争奪戦が展開されていた。


しかし、見事勝利しても、次の瞬間には再びヨーグルトのビンと格闘を始めなければならず、じゃんけんに勝ったにもかかわらず、ヨーグルトのビンを握りしめながら、大きなため息を吐いていたものである・・・・・・。


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▲給食にはマーガリンやバター、チーズ、ジャムなどがしばしば付いて来ていた。ジャムだけは袋入りになっていたが、その他のものは、四角い銀紙に包まれているだけだった。どうでもいいが、画像のように食パンが3枚も付いて来ることはなかった・・・・・・。

私が小学生の頃は、給食はパン食だったので、マーガリンやバターがしばしば付いて来ていた。


給食に付いて来るマーガリンやバターは1回分の量を小さなブロック状に固めてあり、それを銀色の紙できれいに包んであった。


こんな風に個別に小さく包装されているマーガリンやバターは、店で売っているところは一度も見たことがなかったので、あれは給食専用に開発されたものだったのだろう。


で、このマーガリンやバターだが、ただ専用の銀紙に包んであっただけなので、子供にはとても扱いづらいものだった。


開封するにしても、ミシン目などが入っていた訳ではなく、銀色の包装紙の接着部分を、爪でカリカリしながら、剥がして行くしか方法がなかった。


で、接着部分を剥がして、折り畳まれている包装紙をゆっくりと開いて行くのだが、当然のことながらその構造上、内側ほど包装紙はベタベタになっており、全部開き切る頃には、自分の手にもマーガリンやバターが付着し、手がベタベタになってしまっていた。


そうは言っても、これはもはや毎度のことで、半分は諦めていたものの、これにはみんなストレスを感じていたものである。


そんな中、バカな男子は、「マーガリンは食べられるし、ハンドクリームになるし、いい匂いもするんだぜ~」などと言って、テカテカになった自分の手を女子に見せびらかしていたが、そんなものを見せられたところで、「よかったね・・・」と苦笑するのが精一杯である・・・・・・。


ところで給食に出ていたマーガリンやバターには、それとはまた別の問題もあった。


夏は通常よりも軟らかく、冬は通常よりも硬くなってしまっていたのだ。


別の言い方をするなら、夏はドロドロ、冬はカチカチだったのである。


気温の高い夏はマーガリンやバターは、ちょっと触っただけでグニャグニャになっていることがすぐに分かり、開封の際に手がベタベタになることは容易に想像することが出来た。


手に伝わって来るグニャグニャした感触を噛みしめながら、「うわ~・・・」などと顔をしかめながら、開封作業を進めていたことを、いまでもはっきりと覚えている。


高温でマーガリンやバターが溶けているため、パンに塗りやすいことが、唯一の利点だったといえるだろう。


その反対に冬はマーガリンやバターは、これでもかというくらいカチカチになっていた。


暖かい季節のように、手がベタベタにならないのはよかったのだが、今度はあまりに硬すぎて、パンに塗れないという問題が生じていた。


真冬なんてパンに塗ることを諦めて、そのままかじって、パンと交互に食べている者もいたくらいだ・・・・・・。


さすがに今はもう、あのようなシンプルな包装のマーガリンやバターはないと思う。


そんな訳で、あの手がベタベタになるマーガリンやバターは、いったいいつ頃まで現役だったのか、個人的にはちょっと気になっているところだ・・・・・・。


2023年5月12日 (金)

給食の冷凍フルーツ

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▲給食の冷凍みかんはガチガチに凍ったまま配られていた。先走って食べようとすると、手にくっついたり、唇にくっついたりして、剥がれなくなって、焦りまくったものである・・・・・・。

私が小学生の頃は、給食のデザートに冷凍フルーツが付いて来ることがよくあった。


冷凍フルーツといって、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、恐らく冷凍みかんではないだろうか。


冷凍みかんはガチガチに凍った状態で学校まで届けられ、給食の時間に手元に届けられても、まだガチガチの状態をキープしていた。


だから冷凍みかんを先に食べようと思っても、まるで石のように硬くて、皮を剥くことすら出来なかった。


早く食べたい一心で、手で温めて溶かそうとしている者もいたが、冷凍みかんはかなり手ごわくて、みかんが融ける前に自分の手が凍結してしまい、温かいシチューの入った容器で、自らの手を解凍している間抜けなやつもいたものだ。


そんなガチガチに凍っていた冷凍みかんなのだが、給食をあらかた食べ終わる頃には、不思議なことにちょうどいい解凍具合になっていた。


ただ無造作に凍らせてあるだけのように見えた冷凍みかんだが、どうやら食べごろになる時間がちゃんと計算されていたようである・・・・・・。


給食に出ていた冷凍フルーツは、冷凍みかんばかりではなかった。


りんごを半分に切って凍らせてある冷凍りんごもよく出ていた。


冷凍りんごはりんごを半分に切って、真ん中の芯をくり抜いてから凍らせてあるので、そのまま全てを食べることが出来た。


しかし、芯をくり抜いたことで、冷凍りんごには真ん中に不自然な丸いくぼみが出来ていた。


ちなみに1人分はりんご半個分になる。


また、冷凍みかんは凍ったみかんがむき出しで、そのまま配られていたのだが、冷凍りんごは菓子パンのように、ちゃんと専用の透明な袋にきれいにパッケージングされていた。


この違いはいったいなんだったのだろう・・・・・・。


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▲給食に出ていた冷凍フルーツは、給食以外では見たことがなかった。ということは、学校給食用に開発された商品だったのだろうか?

私は子供の頃、りんごがあまり好きではなかったのだが、冷凍りんごはなぜかとても美味しく感じられた。


いま考えると冷凍りんごは、普通のりんごよりも甘かったので、何か一手間加えられていたことは間違いないだろう。


そして当時の私が、りんごが苦手だった最大の理由が、食べた時に口の中に残る独特のつぶつぶ感と、硬いのか軟らかいのかよく分からない、中途半端なその食感だった。


ところが冷凍りんごはりんごを凍らせたことによって、シャクシャクとした、なんとも心地のよい食感に変貌していて、まるでアイスキャンディーを食べているかのようだった。


私は給食で冷凍りんごを食べるたびに、「世の中のりんごが全て冷凍りんごになればいいのになぁ」などと、虫のいいことを考えていたものである・・・・・・。


冷凍りんごで唯一残念だったのは、皮を剥いていなかったことだ。


当時はみんな皮ごと食べてはいたが、それは栄養士が「りんごは皮ごと食べた方が体にいい」と言っていたからだった。


しかし、実際には、冷凍りんごは皮がない方が断然食べやすく、いつまでも口の中に残っている皮が、なんだかビニールでも口に含んでいるみたいで、煩わしくてしょうがなかった。


もし、私の友達に冷凍りんご会社の社長の息子がいたら、迷わず「冷凍りんごの皮は剥くべきだ」と、社長に伝えてもらっていたところである・・・・・・。


当時、給食によく出ていた冷凍フルーツには「冷凍パイン」もあった。


冷凍パインはパイナップルの輪切りを凍らせたもので、冷凍りんご同様、専用の透明な袋に1つずつパッケージングされていた。


冷凍りんごもそうだったが、透明な袋には何もプリントされてはいなかったので、これは給食専用に作られている商品だったのだろう。


冷凍パインも芯は取ってあったので、見た目は真ん中に穴の開いたドーナツ状だった。


冷凍パインは給食に出ていた冷凍フルーツシリーズでは最も食べやすく、サクサクとした食感を楽しみながら食べ進めて行くと、あっという間になくなってしまっていた。


冷凍パインの特筆すべきところは、冷凍みかんや冷凍りんごにあるような果皮や薄皮がないことだろう。


早い話が全てが果肉だったので、アイスキャンディーやシャーベット感覚で、ペロリと全て平らげることが出来たのである。


そんな訳で、冷凍パインには何の不満もなかったのだが、強いて言わせてもらうなら、芯を取った穴には、何かを詰めておいてもらいたかった。


なんだか真ん中にポッカリと開いた穴を見ていると、損をしたような気がしてならなかったのである・・・・・・。



2022年12月31日 (土)

不評だった給食のメニュー

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▲私が小学生の頃に最も不評だった給食のメニューを再現してみた。本来は春雨がもっと大量に入っていて、酢とみかん缶のシロップでびしゃびしゃだったのだが、後から自分で食べなければいけないので、そこまでの再現はなんとか思い止まった・・・・・・。

小学生の頃、クラスのほぼ全員に、「まずい!」と不評だった給食のメニューがある。


ものすごく簡単に言えば、「わかめときゅうりの酢の物」なのだが、ただの酢の物で終わらないところが、このメニューの恐ろしいところだ。


まず、この酢の物には、なぜか春雨がたっぷりと入っていた。


だから酢の物とはいうものの、その見た目は春雨にわかめときゅうりが絡んでいる和え物のような印象だった。


で、ここでやめておいてくれればセーフだったのだが、給食のおばさんは何を思ったのか、ここにみかんの缶詰を大量に投入しちゃったのである。


しかも、みかん缶のあま~い透明なシロップごとである。


もはや正気の沙汰とは思えない・・・・・・。


ここでこの酢の物のビジュアルをもう一度整理してみよう。


まずはわかめときゅうりの酢の物をイメージしてもらいたい。


そしてそこに春雨をたっぷりと加えて和えてみよう。


この時点では春雨にわかめときゅうりが適度に絡んでいるビジュアルで、一見すると中華風サラダのようにも見える。


しかしこれは中華風サラダではなく、酸っぱい酢の物であることを忘れてはいけない。


そしてここにみかんの缶詰をシロップごと投入する。


すると中華風サラダの中に、みかんの果肉を散らしてあるような異様な見た目になる・・・・・・。


で、この酢の物、みかんの果肉が見え隠れしている時点で、すでに美味そうには見えないのだが、先割れスプーンで具材をすくってみると、なんと酢とみかん缶のシロップが混ざった汁で、具材がびしゃびしゃになっていることに気付く。


ここまで大量の汁で和える必要がはたしてあるのだろうか。


いや、それ以前に酢とシロップは絶対に混ぜちゃいけないと私は思う。


せめて酢かシロップのどちらか一方にしてもらいたい。


このメニューが不評だった一番の原因は、どう考えてもこの汁である。


みかん風味の甘いシロップと酢は、しっかりと混ぜてあるにも関わらず、それぞれの自己主張があまりにも激しくて、混ざっているのに、混ざっていないような、なんとも気持ちの悪い味を作り上げていた・・・・・・。


それにしてもいったい誰が、こんなメニューを考案したのだろう。


みかんの缶詰が入った酢の物なんて、みんな学校でしか食べたことがないと言っていたし、恐らく給食用に考案されたメニューなのだろう。


想像するに、子供は酢の物があまり好きではないので、「子供も喜んで食べてくれる酢の物を」ということで、「とりあえず子供が好きな甘いみかんの缶詰を入れてみよう」ということになったのではないか。


「とりあえず甘くしときゃ、子供は喜んで食べてくれるだろう」とでも思ったのだろうか。


なんとも安直な考えである。


それにしても大人たちは、このメニューを試作してちゃんと食べてみたのだろうか。


そして、「うん、美味い、美味い。これならイケる!」とでも思ったのだろうか。


いったいどんな舌をしているのかと問い詰めてやりたいところだ・・・・・・。


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▲昭和50~60年代の給食には、なぜかみかん缶が利用されることが多かったと思う。デザートとして使うのならいいのだが、おかずの中にこれを投入するのはやめてほしいとみんなが思っていた・・・・・・。

そしてこの大人の安直な考え方は、子供たちに不評のメニューをさらに生み出すことになる。


その一つが「野菜とみかんの缶詰のサラダ」である。


今度は酢の物でない分まだましだが、これのどこにみかんの缶詰を入れる必要があるのだろう。


そしてこのメニュー、「サラダ」とはいうものの、千切りのキャベツときゅうりは、なんと塩もみなのである。


ここにみかんの缶詰が入っていたらもはや違和感しかない。


しかもこれを和えているマヨネーズには、ほのかなみかんの香りと甘さが感じられ、マヨネーズを少量のシロップで溶いてあることは明白だった。


今だったら、「う~ん、トロピカル!」などと、ボケの一つも言ってやりたいところだが、当事者だった当時は、「余計なことはするなよ・・・」という心境だった。


そんなにみかんの缶詰を出したいのなら、塩もみとは別に出してくれたらいいのだ。


「子供はみかんの缶詰が好き」というのは決して間違いではない。


ただ、みかんの缶詰が好きだからといって、「子供が苦手なメニューの中にそれを入れたら、喜んで食べてくれるだろう」というのは、大きな間違いである。


給食には美味しいメニューもたくさんあったが、友達と「そういうことじゃないんだよなぁ」と顔を見合わせたメニューがいくつかあったことも、また事実なのである・・・・・・。

2022年7月16日 (土)

昭和のナポリタン

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▲一般家庭ではナポリタンは、冷蔵庫にあるあり合わせの具材で、サッと作れるお手軽料理という形で広まった・・・・・・。

今でこそスパゲッティには様々なメニューがあるが、私が幼かった頃はスパゲッティといえばナポリタンのことだった。


言い方を変えるなら、ナポリタンしかなかった。


そしてそれは一般家庭に「たらこスパゲッティブーム」が訪れるまで続くことになる・・・・・・。


一般的にナポリタンは、「ハム、タマネギ、ピーマン」が基本の具材とされていたが、各家庭や店によって、具材にはかなりバリエーションがあった。


特に一般家庭では、ナポリタンは冷蔵庫にある、あり合わせの具材でサッと作れるお手軽料理という形で広まったので、ハムがベーコンになったり、ソーセージになったり、時には豚肉が使われたりもしていた・・・・・・。


また、私が小学生の頃の給食では、ナポリタンには必ずマッシュルームが入っていて、これがとても美味しく感じられ、家でもぜひ入れて欲しいと、母に催促していたのを覚えている。


給食といえば、当時はどんなメニューの時にも先割れスプーンが必ず付いていた。


このためフォークと違って、パスタを巻き付けて食べることが出来ず、スプーンの先割れ部分に引っ掛けて、すするように食べるしかなかった。


そのせいなのか、当時の給食にはスパゲッティよりも、ソフト麺が出ることが多かった。


そしてソフト麺が出る時には、ミートソースやカレーが必ず付いて来て、そこに自分で熱々の麺を投入して食べていた。


献立表には「スパゲッティミートソース風」とか「カレーうどん風」と書かれていたのをなんとなく覚えている・・・・・・。


また、当時は家庭でも、めったに使わないフォークを出すのが面倒だからと、普段使っている箸で、まるで焼きそばでも食べるかのように、パスタをズルズルとすすって食べている家が多かった。


このためナポリタンを食べた後には、口の周りにケチャップをべっとりつけている子供がたくさんいたものである。


そう、ナポリタンはケチャップで味付けをしていたのだ。


決してトマトソースやボイルしたトマトを使う訳ではなかった。


このお手軽感が一般家庭や学校給食でナポリタンが愛された理由だろう・・・・・・。


そして当時はパスタ料理というのがあまり浸透していなかったこともあり、ケチャップで味付けをした後に、まるで焼きそばのようにスパゲッティを炒め続けている人がたくさんいたものだ。


後から聞いた話では、当時テレビの料理番組で、ナポリタンが紹介された時、「スパゲッティは焼きそばじゃありませんから、ケチャップをからめたら、もう炒める必要はありません」というシェフの言葉に、「ええ~っ!」と衝撃を受けたお母さんが、お茶の間にたくさんいたのだそうだ。


まあ、考えてみれば、スパゲッティは先に茹でてあるのだから、当然といえば当然の話である・・・・・・。


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▲昭和の頃、給食でおなじみだった「ソフト麺」。給食のソフト麺はガサガサした手触りの、半透明の袋に入っていて、手で持てないぐらい熱々の状態で配られていた・・・・・・。

ところで私が子供の頃は、もうナポリタンはすっかり世の中に定着していたが、当初はなかなか受け入れてもらえなかったらしい。


それというのも昭和20~30年代は、日本人の主食は米以外に考えられないという時代だった。


だから一般家庭ではナポリタンは、ご飯のおかずとして考えられていたようなのだ。


これでは一般に定着しないのも無理のない話だ。


また、当時はまだフォークを使い慣れていない人が多く、しかもパスタをくるくると巻き取って食べるなんて面倒だと思っている人が多かったのだそう。


そんなこともあって、当時はなんとかナポリタンを受け入れてもらおうと、飲食店ではパスタの茹で方などを工夫していたそうである。


7割方茹でたパスタを一度冷まし、5~6時間置いてからさっと湯通しすることで、麺にもっちりとした食感を出していたのだという。


このため当時のスパゲティは、現在のものと比べるとかなり軟らかく、うどんに慣れた日本人の口に合わせた食感に、あえて仕上げていたのだという・・・・・・。


ちなみに現在では、パスタの茹で方はアルデンテが当たり前になっている。


しかし、アルデンテが浸透し始めたのは1980年代に入ってからで、硬質小麦のパスタが普通に手に入るようになってからのことだった。


それまで日本で流通していた小麦は軟質小麦だったのだ・・・・・・。


ところで私の個人的な印象では、1980年以降、硬質小麦が普及してからも、飲食店のナポリタンの麺は、決してアルデンテではなかったと思う。


どこかコシのない軟らかい麺が使われていた。


これは当時の茹で置きしておく作り方をあえて変えずに、そのまま踏襲していたからではないだろうか。


ナポリタンの麺は軟らかいものというイメージが、いつの間にか人々の頭の中に出来上がってしまっていたのかもしれない・・・・・・。


そしてその後、日本はバブルの時代が訪れる。


ちなみに1986(昭和61)年12月から、1991(平成3)年2月にかけてが、「バブル景気の時代」と言われている。


そしてちょうどこの頃、当時「イタ飯屋」と呼ばれていたイタリア料理の店が、街のあちこちに出来始めブームとなった。


「アルデンテ」という言葉が世に出始めたのは、ちょうどこの頃からだったと思う。


さらにメディアの影響もあって、「パスタは芯を少し残して茹でるもの」という常識が、少しずつ世の中に広まって行く。


そしてこの頃になってようやく日本人は、本場イタリアにはナポリタンはないという衝撃の事実を知ることになるのだ。


いま考えれば、アルデンテを一切無視したコシのない軟らかい麺に、具材は「ハム、タマネギ、ピーマン」、そして冷蔵庫のケチャップでパパッと手軽に味付けをしたナポリタンが、イタリア料理であるはずがない。


そう、ナポリタンは、日本人が作った、「なんちゃってイタリア料理」だったのだ。


そうはいうものの、その「なんちゃってイタリア料理」は、今の言い方に言い換えれば、「B級グルメ」と言えなくもない。


昭和のナポリタンは安価でお手軽に作れる、B級グルメだったからこそ、日本にここまで定着したのだろう。


ご存知のように日本人はB級グルメが大好きだ。


本格的なイタリアンよりも、「なんちゃってイタリアン」ぐらいがちょうどいい。


だからこそナポリタンは、今もこうして生き残っているのである・・・・・・。

2020年4月21日 (火)

給食の思い出 2

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私が小学生の頃、給食当番はかなりの重労働で、しかも気を使う仕事だった。


給食当番の日は4時間目の授業が終わると、そそくさと割烹着に着替えて、当番が全員そろったのを確認してから、給食室まで自分のクラス分の給食を取りに行かなければならなかった。


一方、当番でない生徒たちは午前中の授業が終わって、「あとは給食を食べて、午後ちょこっと授業を受けて帰るだけだ~!」という解放感に浸っており、なんともうらやましい限りである。


給食室に着くと、もう給食は持って行くばかりに準備されていて、そこから自分のクラスの分の給食を持って行くのだが、当時は運搬用のカートなんてものはなかったので、全部手持ちで自分のクラスまで運んで行かなければならなかった。


そして当時は1クラスの生徒の人数が、今とは比べ物にならないくらい多かったので、それに比例して運ぶ給食の量も多かった。


これは今考えると、小学生にとってはかなりの重労働で、子供たちだけでよくあんなに重たいものを運んで来られたものだと、今更ながら感心してしまう・・・・・・。


一番重たかったのは、「おかず」の入った巨大な容器だった。


おかずの容器は深さのある金属製の大きなバケツのような形をしていて、これにぴったりサイズの薄い蓋がされていた。


そしてこの中には、おかずがなみなみと入っているので、中身がシチューやカレーの時は、もう腕がちぎれるんじゃないかというほどの重さだった。


このおかずの容器には、バケツのように取っ手が付いていて、その取っ手を2人1組で持って歩くのだが、2人で持っていてもあまりの重さで、持ち手の部分が手の平に食い込んで来て、重さだけではなく痛みにも耐えながらの運搬作業となった。


あまりの重さに、5~6歩進んでは、容器を床に置いて手を休め、また5~6歩進んでは床に置いて手を休めを、何度も繰り返しながら、ようやく自分のクラスまでたどり着いていたものだ。


そんな状態だったので、たまにどこかのクラスで、おかずの入った容器を運搬中に廊下にひっくり返してしまって、あとから各クラスを回って、おかずを少しずつ分けてもらいに来ていたこともあった・・・・・・。


今考えれば、あんなに重たい物を、子供たちだけで運ばせるのは、ちょっと無理があったのではないかと思う。


現在では給食室の職員が、カートに1クラス分のセットを乗せて、各クラスの前に置いて行ってくれる学校が増えているという話を聞いて、「今の子供は至れり尽くせりだな~」と羨ましく思ったものだ。


まぁ、そこまでやってくれなくても、運搬にはせめてカートがあれば、かなり楽だったと思う・・・・・・。


給食を無事に教室まで運んで来ることが出来たとしても、まだ安心して気を抜いたりしてはいけない。
この後も給食当番の仕事はまだまだ続くのだ。


今から運んで来たパンや牛乳、おかずやサラダなどをトレイの上に1つ1つ乗せて行かなければならないのだ。


パンや牛乳はトレイの上にそのまま「ひょい」と乗せるだけなので、別になんの苦労もないのだが、おかずやサラダなどは容器に1人分ずつよそわなければならず、これがかなり気を使う作業だった。


子供にとっては、「多くも少なくもなく、適量を容器によそう」というのは、意外と難しいのである。


後のことを考えずに、初めから調子に乗って、沢山よそってしまったりすると、途中で「もしかしたら、これは足りなくなるんじゃないか?」ということにはたと気付いて、急に軌道修正してよそう量が極端に少なくなって行く。


全て配り終わってからあたりを見回すと、最初の方の人は容器になみなみとおかずが入っているのに、途中からはその半分くらいの量に減って行き、最後の方の人になると、3分の1ぐらいの量しか入っていないなんてこともよくあった・・・・・・。


それでも全員に行き渡っていればまだいいのだ。
残り5~6人分が足りなくなって、後から各席を回って、少しずつ回収させてもらうなんてこともたまに起きていた。


また、具にむらがあることもよくあった。


最初のうちは具がゴロゴロ入っているのに、最後の方の人は汁しか入っていないなんてこともよく起きていた。


また、仲のいい友達や自分の好みの女子には大サービス、嫌いなやつにはカスみたいな所を入れているやつもいた・・・・・・。


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私が小学生の頃は、給食に使われていた食器やトレイは、全て銀色のアルマイト製のものだった。
そしてトレイの上にはいつも2つの容器が乗せられていた。


1つは真ん中から2つに仕切られているお皿で、左側には主にから揚げなどの固形のおかず、右側にはサラダや果物などが入れられることが多かった。


もう1つはお椀型の容器で汁物やカレー、シチューなどを入れるのに使われていた。


ちなみに私が小学生の時は、給食に箸が付いて来たことは確か1度もなかったと思う。
その代わり、先端が3つに割れている、「先割れスプーン」が常に付いて来ていた。


当時は給食にご飯はごくたま~にしか出なかったので、どんな献立にも対応出来る、万能の先割れスプーンがセットされていたのだと思う。


だからたま~に出るご飯や、ソフト麺が献立の時も、箸ではなく先割れスプーンで食べていた記憶がある。


じつはこの先割れスプーンの歴史は意外と古く、昭和20年代の後半にはすでに開発されていたそうで、東京都が初めて学校給食に導入したのだそう。


それまでは、箸やスプーン、フォークなど地域によってバラバラの物を使っていたそうなのだが、先割れスプーンが登場してからは、これに統一されるようになったらしい。


そして先割れスプーンはスプーンのように使うことも出来るし、フォークのように使うことも出来ることから、様々な献立に対応することが出来るとして、重宝されるようになっていったのだという。


ところが昭和50年代の半ばぐらいから、「犬食いの原因になるのでは」と指摘されるようになり、じょじょに見直されるようになって行ったのだそう。


地域にもよるのだろうが、私は小学校の6年間の給食はずっとこの先割れスプーンを使っていたと思う。


ちなみに現在ではほとんどの小学校が、給食はパンではなくご飯食になったため、箸が採用されているそうだ・・・・・・。


ところで当時の給食に使われていたアルマイトの食器は、子供ながらに、「なんだか囚人みたいで嫌だな~」と、いつも思っていたものだ。


別に囚人がそんな食器を使っているところを見た訳でもないのに、なぜかそんなイメージを自分で作りだして勝手にそう思っていた。


それにアルマイトの食器に料理を盛られても、どうにも美味そうには見えなかったのだ・・・・・・。


また、近所の犬がご飯をもらう時に、これとそっくりのお椀型の容器を使っていて、「犬といっしょ」みたいなイメージも、少なからずあったのだと思う。


その犬はご飯をもらうと、いつも猛烈な勢いで食べ始め、食べ終わった後も容器をベロベロ舐め回し、容器も食べられると思っているのか、縁の部分をガジガジとかじったりしていた。


私は給食を食べ終わるころになると、いつもあの近所の犬のことを思い出し、「自分も食器をベロベロ舐め回した方がいいだろうか」と、頭の片隅の方で、うっすらと考えていた・・・・・・。


(画像上、緑色に染まった谷戸の風景。画像下、山吹色の語源となったヤマブキの花が見ごろに・・・)

2019年11月23日 (土)

給食の思い出

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私が小学生の頃、給食に付いて来る牛乳は「三角牛乳」だった。


三角牛乳はピラミッド型の紙パックに入った牛乳で、当時はスーパーなどで普通に売られていることはなく、給食以外では一度も見たことがなかった。


私は子供の頃、牛乳がどうも苦手で、家では全く飲むことはなかった。


しかし、給食について来る三角牛乳は、家の冷蔵庫に入っている牛乳と違って、牛乳特有の臭みのようなものがなく、味もあっさりしていて、とても飲みやすく、不思議なくらいゴクゴク飲むことが出来た・・・・・・。


当時、私の通っていた小学校では、毎週月曜日になると、給食の時間に栄養士が各教室を回って来て、給食の献立や食材の栄養効果について、色々と話をして行った。


栄養士の話で特に印象に残っているのは、「給食は三角食べをしなさい」というもので、まずは牛乳で口を潤し、次にパンを一口食べ、続いておかず、そして再び牛乳というローテーションで食べ進んで行くのがよいと言われていた。


私が小学生の頃は、給食にご飯はたまにしか出なかったが、ご飯の時にも牛乳は必ず付いていて、三角食べをして行くと、牛乳とご飯が口の中で混ざり合い、なんとも気持ちが悪かったのを、今でもはっきりと覚えている・・・・・・。


どういう訳か、冬になると三角牛乳は、なぜか異常なくらい冷えていて、凍る一歩手前なのではないかと思うほどだった。


こんな時も栄養士は、「冷たい牛乳を飲むと、お腹が弱い人はお腹を壊すこともあるから、慌てて飲まないで、口の中で少し温めてから、一口ずつゆっくりと飲むように」と指導していた。


あとで聞いた話では、いつも給食を一足先に食べている校長先生が、冷たすぎる牛乳を飲んで腹を壊したらしい。


校長先生が給食を食べる時は、牛乳も配達されたばかりで、我々が給食で牛乳を飲む時よりも更に冷えているらしく、もしかしたらシャーベット状に近いものだったのかもしれない・・・・・・。


給食の三角牛乳はごくた~まに何の前触れもなく、コーヒー牛乳になることがあった。


私はコーヒー牛乳は家でもよく飲んでいたので、これは大歓迎だった。
出来ることなら、毎回コーヒー牛乳にして欲しいぐらいである。


牛乳とコーヒー牛乳は、同じ「牛乳」と名前の付く飲み物なのに、牛乳にコーヒーがプラスされるだけで、牛乳とは全く違う、「うまい飲み物」に変身するのだ。


そもそも牛乳というのは、コーヒーを加えて、コーヒー牛乳にする前段階のもので、本来はそのまま飲むものではないのではないかと、子供の頃はよく思っていたものだ・・・・・・。


牛乳といえば、男子はよく友達とふざけ合いながら給食を食べていて、爆笑しながら鼻の穴から牛乳を噴いているバカなやつが、クラスに一人は必ずいたものだ。


こういうやつはたいていその後、「牛乳」とか「噴水」というあだ名になることが多かった・・・・・・。


先にも書いた通り、私の子供の頃は給食にご飯はたまにしか出なかったので、牛乳と同様にパンは給食の主食として必ず付いて来た。


パンの種類はバターロールパン、コッペパン、食パンなどが日替わりで出ていたと思う。


なかでもコッペパンは特に印象に残っている。


当時のコッペパンは信じられないくらい巨大で、現在コンビニなどで売られているコッペパンの倍近い大きさだった。


大きくて美味いのならお得感があり、お腹も満たされて大満足なのだが、当時のコッペパンはなんだかパサパサした食感で、口の中の水分をパンに全部持って行かれて、非常に食べづらいものだった。


そのせいもあって、食べ切れない者も少なくなく、午後の授業が始まっても、まだ食べさせられている者もいたくらいだ。


今と違って当時は給食は完食が原則だったのである。


悪知恵の働くやつは、「これは食べ切れない」と見るや、机の中にパンを隠して食べたことにしている者もいた。


ところがそういうのに限ってバカなやつが多く、夏休みや冬休みの前に、机やロッカーの中の物を全部出して整理させられる時に、カビだらけのパンがいくつも出て来て、結局は先生に怒られることになるのである。


さっさと家に持ち帰るなり、処分してしまうなりしておけばいいものを、「バカなやつだな~」といつも思っていたものだ・・・・・・。


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このように当時は給食のコッペパンは、「大きい、まずい、食べづらい」と思っている者がほとんどだったのだが、一手間を加えることで、誰もが美味いと感じる、全く別の食べ物へと変貌を遂げる。


その食べ物とは、ズバリ「あげパン」である。


「あげパン」はコッペパンを油で揚げて、砂糖をまぶしただけのものなのに、たったそれだけのことで、「こうも変わるか!」と不思議に思うほど、全く別のハイグレードな食べ物に変身していた。


コッペパンと言うのは、「あげパン」を作る前段階のパンで、本来はそのまま食べるものではないのではないかと、いつも思っていたものである。


そして、コッペパンは余っていても、誰もお代わりに手を上げる者なんていなかったのに、あげパンになると大人数の争奪戦となり、入手できる可能性は極めて低かったのである・・・・・・。


給食のパンと言えば、銀色の包み紙で包まれた、四角いマーガリンやチーズがいっしょに付いて来ることがよくあった。


こんな形のマーガリンは給食でしか見たことがなく、冬は石のように固く、夏はゆるゆるで、どちらにしてもパンに塗りづらくてしょうがなかった。


また、不器用なやつはマーガリンが出ると、決まって手がベタベタになっていたものだ。


チーズは近所の犬にあげようとして、密かに持ち帰るものが多かった。
そのせいか学校の近くの犬たちは、みんなぶくぶくと太っていたのを覚えている・・・・・・。


給食の主食として出されるメニューで、パンの次に多かったのは「ソフト麺」だった。


「ソフト麺」は見た目はうどんそのものだったが、うどんよりも軟らかい不思議な食感で、一口食べただけでうどんではないことはすぐに分かった。


あとで聞いた話では「ソフト麺」は、「牛乳に合う麺」として学校給食用に特別に開発された麺だという。


1965年に東京で最初に学校給食に採用され、その後は定番メニューとなって行ったそうだ。


それにしても、「牛乳に合う麺として開発された」ってすごいな~と思う。


まず、牛乳を飲ませることが前提になっているのだ。
そうまでして牛乳って飲まないといけないものなのか・・・・・・。


ソフト麺は配達の前に、ビニールに入れたまま茹でるそうで、その後は約60度に保たれた状態で納品される。


その後、再び給食室で温めていたのかどうかは定かではないが、ソフト麺のガサガサした袋を開ける時は、火傷をしそうなくらい熱かったのを、今でもはっきりと覚えている。


早く食べたいのに、あまりにも熱いので、少し冷めるのを待っていなければならない時のもどかしさは、きっと犬がご飯を前に、「待て!」をさせられている時の気持ちと同じに違いない・・・・・・。


ソフト麺が出る時は、カレーやミートソースがおかずになっていて、それぞれ「カレーうどん風」、「ミートソーススパゲッティ風」にして食べていたのを覚えている。


現在ではご飯やスパゲッティも普通に給食で出されるようになり、献立もそれぞれ、「カレーライス」、「スパゲッティミートソース」となり、ソフト麺の「〇〇〇風」の時代は、私が知らないうちに、すでに終焉を迎えていたようだ・・・・・・。


ちなみにソフト麺というのは、配達当日の朝に、約90度の温度で40分間の蒸気殺菌が必要とのことで、納品までにとても手間がかかるものだったのだそう。


このため、採算が合わずに廃業する業者が増え、給食での提供を取りやめる地域が増えて行ったのだという。


そのような背景もあって、現在ではソフト麺はほとんどの地域で、給食で出されることはなくなったらしい・・・・・・。


私がソフト麺で特に印象に残っているのは、牛乳のエピソードとかぶるのだが、友達とふざけて爆笑しながら麺をすすっていたバカな男子が、鼻からソフト麺が一本、「ニュル」っと出て来ているにも関わらず、それでも笑いが治まらずに、笑い続けているという非常にバカバカしいシーンである。


そして彼はその後も笑い続け、呼吸に合わせるようにソフト麺が出たり入ったりして、その様子を見ていた周囲の者にも、その笑いを伝染させて行ったのである。


そして最後は鼻から出ていたソフト麺は鼻の中にスーッと吸収されて行き、結局彼はそのソフト麺も美味しくいただいたようだった。


ある意味、これはイリュージョンと言ってもいいのかもしれない・・・・・・。


そして彼は翌日から「うどん男」とか、「ところてんマン」と呼ばれることになったのである・・・・・・。


(画像上は民家の垣根から顔を出して咲くコンギク、画像下はナラタケの群生。今秋の里山はナラタケの当たり年となった・・・)


2018年10月27日 (土)

酢豚にパイナップル

Photo
私はご飯のおかずになるものに、フルーツなどの甘いものが入っているメニューがどうも苦手だ。


一般によく言われるのは、「酢豚にパイナップル」だと思う。
そもそも、「酢豚」になぜ「パイナップル」なのか不思議でならない。


酢豚はその名の通り、豚肉をわざわざ酢で酸っぱくしているのに、なぜそこに甘いパイナップルを放り込む必要があるのか。


酸っぱさで統一されている酢豚界の中で、パイナップルだけが妙に浮いているということに違和感を感じないのだろうか。


パイナップルを口に含みながらご飯をほおばったって、私は少しも美味く感じない。
プリンをおかずにご飯を食べているようなものである・・・・・・。


そもそもパイナップルは果物である。
果物ならデザートとして食後に食べるのが正しい食べ方だと思う。


冷静になって考えてみたら、誰だってそう思うはずだ。


「酢豚にパイナップル論者」の人は、きっと何者かに知らず知らずの間に、マインドコントロールされているとしか思えない。
いったい誰が何の目的で、そんなことをしているのか。


酢豚にパイナップルを入れたものを人に食べさせることで、どんなメリットがあるというのか。


そもそも、酢豚にパイナップルを入れると、最初に言い出したのは、いったい何者なのだろうか。
謎としか言いようがない・・・・・・。


カレーにりんごを入れたがる人もいる。


すりおろして隠し味にというのなら分かるが、りんごを小さくスライスして、サクサクという食感が分かる状態のまま、カレーの中に放り込む。
「何で?」としか言いようがない。


「りんごを入れると子供が喜ぶ」と言う人がいるが、私は子供のころからりんごのスライスが入っているカレーが苦手だった。
せっかくの美味しいカレーが台無しだと思っていた。


カレーといっしょにりんごのスライスをサクサクと咀嚼したら、甘い果汁が口の中に染み出して、ご飯を食べる気が失せてしまう・・・・・・。


やはり「カレーはカレー」、「りんごはりんご」と分けて考えるべきだと思うのだ。


パイナップルにしてもりんごにしても果物なのだ。
果物を何で加熱しようと思うのか。


せっかくの果物のフレッシュ感が消え失せてしまうではないか・・・・・・。


カレーにりんごを入れたがる人はポテトサラダにもりんごを入れたがる。


「サラダだから加熱しないからいいだろう」と思うかもしれないがそういう問題ではない。
サラダだってごはんといっしょに食べるではないか。


ポテトサラダにはポテト以外にきゅうりやにんじんなどが入っているが、これらは「ポテトサラダ」として一体化している。
ところがりんごが入っていると、甘さや食感が自己主張しすぎてしまうと思うのだ。


ポテトサラダなのにりんごの方が前面に出て来て、もはやりんごサラダと化していると言えよう。


りんごのサラダを食べるなら、りんごを食べた方がよい。
なぜならりんごは果物で野菜ではないからだ・・・・・・。


ポテトサラダといえば、りんごの替わりにレーズンを入れる人もいる。
何度も書くが「何で?」としか言いようがない。


何でご飯といっしょに食べる物を甘くしようとするのだろう。


ちなみにレーズンは主食にもなりうるパンに潜んでいることもあるので注意が必要である・・・・・・。

 

Photo_2

サラダと言えば普通のサラダに果物の缶詰を混ぜる人もいる。


ここまで来ると私としては何を考えているのか分からない。
さすがにやりすぎだと思う。


小学生のころ、給食でこのフルーツの入ったサラダが出ることがあって、毎回「うぇ~っ!」と思っていたのだが、どうやら同級生たちにも不評のようだった。


その日のサラダのおかわりは全く売れず、たくさん残っていたのを今でもはっきりと覚えている。


給食はパンだったのでまだましだったが、ご飯といっしょにはとてもじゃないが食べられない一品である。


私の中では「ご飯の上に果物の缶詰を乗っけて食べる」くらいの感覚なので、いかに「うぇ~っ!」なのか理解していただけるかと思う。


それにしても、あのフルーツ入りのサラダは、今でも給食に採用されているのだろうか・・・・・・。


「ご飯の上に乗っけて食べる」で思い出したが、私の父は生前、甘いものが大好きで、毎年正月になると、白インゲンの甘い煮豆(豆の形をしたあんこみたいなものと思っていただければよい)を、母にたくさん作ってもらいよく食べていた。


おせち料理として少しずつ摘まんで食べるだけでは飽き足らず、ご飯の上に山盛りに乗せて、ご飯のおかずとしてガツガツ食べていた。


いくら甘いものが好きだと言っても、「それはちょっと食べ方を間違っているんじゃないの?」と、一言忠告してやりたいところである。


現実に私も母も何度も言ったのだが、父は全く聞く耳を持たず、「おはぎだって、ご飯とあんこをいっしょに食べてるだろ、それといっしょだ」と平然と言ってのけ、山盛りの白インゲンの甘い煮豆をご飯といっしょにかき込んでいたものだ。


はたから見たら、まるで牛丼でもかき込んでいるかのように見えただろう。


そんな食べ方をするものだから、大なべでいっぱいあった白インゲンの甘い煮豆は、驚異的なスピードで消費されて行き、いつも3~4日で食卓から消えていた・・・・・・。


私は子供のころ、あんこ系のものが苦手だったので、父がそんなものを、「うまい、うまい」とガツガツ食べているのを見て、これの何がそんなにうまいのか全く理解出来ず、不思議でならなかったものだ。


しかも、ご飯といっしょにである。
甘いものが好きなのは結構だが、少なくともご飯といっしょに食べるものではないと思うのだ・・・・・・。


そんな甘いもの好きな父だったが、なぜか酢豚にパイナップルや、カレーにりんごはダメだった。
パイナップルやりんご自体は好きだったのだが、ご飯のおかずとの組み合わせがダメだったようだ。


私から言わせれば、白インゲンの甘い煮豆で、ご飯を食べる方が、何十倍も何百倍も「ダメ」なのだが、人の嗜好というのは複雑怪奇で、一筋縄ではいかないものなのだな~と、つくづく思う・・・・・・。

 

(画像上は里山の谷戸で咲くゲンノショウコの花、画像下は林縁で咲くシロヨメナ)

 

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