カテゴリー「昭和のお菓子」の記事

2024年5月11日 (土)

ガムの自動販売機

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▲昭和の頃はガムといえば板ガムのことだった。粒ガムが主流となった現在では、このパッケージを見ても、何の商品なのか分からない世代もいるのだろうか・・・・・・。

私が子供の頃は、ガムといえば板ガムのことだった。


それがいつの頃からか、スーパーやコンビニで見かけるガムは、大半が粒ガムに変わっていた。


子供の頃から板ガムに慣れ親しんで来た私としては、粒ガムが発売になった当初は、パッケージを見ただけでは、飴なのかガムなのか、区別がつかなかったものである・・・・・・。


で、この粒ガム、いったいいつ頃から出回り始めたのかというと、ガム大手のロッテでは、1994(平成6)年2月に発売した、「ブルーベリーガムシュガーレス」と「フラボノガムシュガーレス」が初だったという。


しかし、この当時は、まだまだ板ガムが主流で、一般には粒ガムの認知度は低かったようだ。


そしてその後、1997(平成9)年に「キシリトール」が粒ガムで発売されたことにより、粒ガムの認知度が一気に高まり、ガムの主流は板ガムから粒ガムへと変わって行ったのだそうだ。


しかし、子供の頃から板ガムに慣れ親しんで来た私としては、粒ガムの形を見ると、なんだか薬やサプリメントを思い浮かべてしまい、あまり食べたいとは思わなかったものだ。


また、板ガムのパッケージに慣れてしまっていた当時は、のど飴だと思って買ったのに、開封したら中身は粒ガムだったなんてことも何回かあった・・・・・・。


私が子供の頃は、ガムはじつに様々な種類のものが売られていた。


スペアミントやクールミント、ペパーミントをはじめとする、定番のミント系から、ブルーベリーやマスカット、梅やアセロラなどのフルーツ系、また、当時チョコレートや飴などのお菓子によく採用されていた、「コーヒー味」のガムなんてのもあった・・・・・・。


そして、それらは全て板ガムとして売られていた訳なのだが、板ガムはパッケージを開封して、包み紙からガムを取り出すと、なんとも言えない爽やかな香りが、周囲に「フワ~~ッ」と広がって行くのが感じられた。


当時、私が特に「いい香りだな~」と感じていたのは、ブルーベリーや梅、マスカットやアセロラなどの、フルーツ系のガムの香りだった。


不思議なもので、フルーツ系のガムの香りというのは、匂いを嗅いだだけで、まるで本物の果物を口に含んだような、ジューシーな感覚まで舌に伝わって来るような気がしていた。


そしてその香りは、ガムを噛もうとしている自分だけではなく、同じ部屋にいる多くの人が感じることが出来るほど強いもので、匂いを頼りにガムを手に取っている人を探し当て、「そのガム、なんていうガム?」なんて聞いたりするのが楽しかったものである・・・・・・。


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▲板ガムの魅力の1つが包み紙を開いたときの香りだった。特にフルーツ系のガムの香りは爽やかで、香りを嗅いだだけで、口の中に唾液が出て来たものである・・・・・・。

ところが粒ガムになってから、このガムの香りがなくなってしまったような気がするのだ。


その原因はなんだろうと考えてみると、ガム表面の硬いコーティング層がそれを阻んでいるような気がする。


包み紙を開けた時に、フワッと香るあのガムの匂いは、ガムを食べる時の楽しみの1つだったと思うのだが、それをなくしてしまっては、元も子もないのではないだろうか・・・・・・。


粒ガムになってなくなったものといえば、ガムの嚙み心地というか、弾力がなくなったような気がする。


粒ガムは硬いコーティング層が嚙み砕かれて、溶けてなくなってしまうと、妙に軟らかいふにゃふにゃとした噛み心地のガムが現れる。


板ガムの弾力に慣れていた当時は、「なんだこりゃ・・・」と思ったものである。


ガムは噛むためにあるのだ。


弾力をなくしてしまっては、意味がないと私は思う・・・・・・。


で、板ガムがたくさん発売されていた昭和の当時、「ガムの自動販売機」があったのを覚えているだろうか。


仕組みはジュースの自動販売機と全く同じで、硬貨を入れて欲しい商品のボタンを押すと、購入したガムが商品取り出し口にポトリと落ちて来るのだ。


ただ、ジュースの自動販売機と違う点が1つあって、自動販売機の窓から見えているのは、サンプルではなくて、実際に取り出し口に落ちて来る商品そのものだったのだ・・・・・・。


ガムの自動販売機では、5~6種類のガムが売られていて、自動販売機の窓からは、縦に積まれた商品のガムが見えるようになっていた。


このため売れているガムとそうでないガムの様子が客に丸分かりで、それを見て自分が買おうとしていたガムをやめて、残量の少ない人気のあるガムに変更したりする人もいたものだ。


確か1990年代までは「ガムの自動販売機」は見られたと思うのだが、いつの間にかその姿を見ることはなくなっていた・・・・・・。



2023年6月11日 (日)

カルピスソーダ

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▲じつは缶入りのカルピスソーダは現在でも売られている。しかし、そのデザインは昭和の発売当初のものとは、ずいぶん変わってしまった・・・・・・。

カルピスソーダが発売になったのは、1973(昭和48)年8月のことだった。


ただし、この時は首都圏限定の発売で、その翌年から全国発売が開始された。


ちなみに当時はペットボトルはまだなかったので、細身の250ml缶での発売だった。


当時の缶のデザインはとてもシンプルで、白地の缶の上部に赤い文字で、「カルピスソーダ」と書かれていて、そこから下は青い水玉模様が散りばめられていた。


一定の年齢以上のかたなら、この缶はお馴染みのデザインだと思うのだが、ペットボトルが主流となった現在では、缶入りのカルピスソーダはほとんど見かけることがなくなってしまった・・・・・・。


ところで缶入り、またはペットボトル入りのカルピスといえば、まずは「カルピスウォーター」を思い浮かべる人が多いと思う。


ところが当時はまだ、カルピスウォーターは発売されていなかった。


意外に思われるかたも少なくないと思うが、カルピスウォーターよりも、カルピスソーダの方が発売は先になるのだ。


じつは発売元のアサヒ飲料も、当初はカルピスウォーターを発売しようと考えていたようなのだが、当時の技術ではカルピスを単純に水で割っただけでは長期保存がきかず、品質が劣化してしまうことが分かり、やむなく炭酸飲料として発売することになったらしい。


当時は「白くはじけるカルピスソーダ」のキャッチコピーにもあるように、「カルピスを炭酸で割るとはなんて斬新な発想なんだ!」と、ただただ感動している人が多かったそうだ。


しかし、カルピスソーダの誕生にそんな秘密が隠されていたなんて、当時は誰も知る由もなかったのである。


そして自動販売機の普及と共にカルピスソーダは、「戸外で気軽に飲めるカルピス」として、順調に売り上げを伸ばして行くことになるのだった・・・・・・。


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▲カルピスソーダは、昭和の発売当初、このようなシンプルなデザインだった。そして当時はじつに様々な味のバリエーションがあって、味ごとに水玉模様の色が変えられていて、とてもカラフルなことになっていた・・・・・・。

ところで昭和の頃、カルピスソーダには様々な味のバリエーションがあったのをご存じだろうか。


最初に発売された味のバリエーションは、オレンジ、グレープ、グレープフルーツで、1979(昭和54)年のことだった。


そしてその3年後の1982(昭和57)年にはプラム味が発売になる。


この時はまだ細身の250ml缶での発売だった。


そしてその翌年の1983(昭和58)年には、カルピスソーダに300ml缶が登場し、このタイミングでメロンフルーツパンチ味が発売になる。


そして1987(昭和62)年には、いちご、メロン、青りんごと、一気に3種類がラインナップに加わった。


そして1989(昭和64/平成元)年には、カルピスソーダにも350ml缶が登場し、コーラ、グレープ、イチゴ、メロン、オレンジにラインナップが一新される。


さらに1991(平成3)年にはアセロラブームがあって、アセロラ味も発売になっている。


ちなみにカルピスウォーターが発売になったのはちょうどこの年で、カルピスソーダの発売からじつに18年後のことだった・・・・・・。


このように当時は様々な味のバリエーションがあったカルピスソーダなのだが、個人的には味そのものよりも、とてもカラフルなことになっていた、缶のビジュアルの方が強く印象に残っている。


私が特に印象に残っているデザインは細身の250ml缶の頃のものだ。


冒頭でも書いた通り、当時の缶のデザインはとてもシンプルで、白地の缶の上部に赤い文字で「カルピスソーダ」と書かれていて、そこから下は青い水玉模様が散りばめられていた。


そしてこの当時のカルピスソーダには、4種類の味のバリエーションがあって、缶のデザインは全て同じだったが、それぞれカラーリングが変えられていた。


オレンジは缶の上部に書かれた「カルピスソーダ」の文字は青色で、その下に散りばめられている水玉模様は橙色。


グレープは「カルピスソーダ」の文字は緑色で水玉模様は紫色。


グレープフルーツは「カルピスソーダ」の文字は赤色で水玉模様は緑色。


プラムは「カルピスソーダ」の文字は青色で水玉模様は赤色だった。


そして当時のCMではノーマルを含めた5本の缶が並べられたカットが挿入され、その様子はとてもカラフルで、目に映えていたのをいまでもはっきりと覚えている。


今から40年も前に放映されていたCMを未だに覚えているのだから、私にとってあの缶のデザインやカラーリングは、よほど印象的だったのだろう。


ちなみにCM本編には女性アイドルが出演して、笑顔を振りまいていたと思うのだが、それが誰だったのかは、いくら考えても思い出せない。


「普通は逆だろう」と言われそうだが、こればっかりはどうしようもない・・・・・・。



2023年5月30日 (火)

すぎのこ村

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1970~1980年代には、自然豊かな日本の原風景を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


そのほとんどは、現在ではもう発売されていないが、明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は根強い人気で、現在でも継続して販売されている。


ところで昭和の頃に、「きのこの山」と「たけのこの里」には、「すぎのこ村」という姉妹商品があったことをご存じだろうか。


ちなみに「きのこの山」は1975(昭和50)年、「たけのこの里」は1979(昭和54)年の発売で、「すぎのこ村」は1987(昭和61)年の発売だった。


当時、「きのこの山」、「たけのこの里」、「すぎのこ村」の3商品は、いっしょに広告展開されていた。


だから「すぎのこ村」のCMでは、「きのこの山」と「たけのこの里」もいっしょに紹介されていた。


で、「すぎのこ村」のCMでは、「きのこの山」や「たけのこの里」のCMにも登場する、タヌキとブタのキャラクターが登場し、新たに加入したイノシシのキャラクターといっしょに、「すぎのこ村」を紹介していた。


そして「すぎのこ村」のCMでは、次のような愉快な歌がBGMとして流されていた。


「すぎのこ村のCM曲 ①」

きのこ たけのこ あのこはだあれ?
すぎのこ村の すぎのこじゃ
きのこ たけのこ すぎのこ
すぎのこも揃って食べ盛り~
きのこ たけのこ すぎのこ
じゃんけんぽんでかくれんぼ
きのこ たけのこ 見つけた
すぎのこも揃って食べ盛り~


どうだろうか、なんとなく聴いたことがあるような気がしないだろうか。


そしてじつはこのCM曲には別バージョンもあった。
それがこちらになる(↓)。


「すぎのこ村のCM曲 ②」

きのこのこのこ たぬきのこ
のこのこ たけのこ にょっきりこ~
きのこ たけのこ あのこはだあれ?
すぎのこ村のすぎのこじゃ
のこのこ きのこの山 いこか~
のこのこ たけのこの里 いこか~
のこのこ すぎのこ村にいっこか~
あれこれ 揃って 食べ盛り~


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ところで、「すぎのこ村」のパッケージ(外箱)は、「きのこの山」や「たけのこの里」と同じ仕組みのものが採用されていた。


というか、当時お菓子メーカー各社から発売になっていた、日本の原風景をテーマにしたチョコレート菓子は、どれもみな示し合わせたかのように、同じタイプの外箱に統一されていた。


このため、当時はどれも「きのこの山」の明治製菓が出しているお菓子だと思い込んでいる人も少なくなかったようだ。


「すぎのこ村」のパッケージデザインは、背景の山に小さな杉の木がたくさん植林されていて、その麓には数件の古民家が立ち並ぶ集落が描かれていた。


そしてパッケージの中央には、「すぎのこ村」のお菓子が大きく5本描かれていた。


「すぎのこ村」は棒状のビスケットの柄に、ミルクチョコレートがかけられ、そこにクラッシュアーモンドがまぶしてあるチョコレート菓子だった。


メーカーによるとこれは、杉の木をイメージしたものだったらしい。


そんな「すぎのこ村」なのだが、発売から1年ほどでパッケージが変更になった。


変更後のパッケージイラストは、変更前のような遠景ではなくなり、麓の古民家が1件だけ大きくクローズアップされ、その隣にはナシと思われる木が描かれ、根元の洞にはタヌキが棲んでいた。


そしてパッケージの中央には、「すぎのこ村」のお菓子がやはり大きく5本描かれていた。


で、この時どうしてパッケージが変更になったのかというと、お菓子の柄の部分が普通のビスケットから、ココアビスケットに変更になったからだった。


個人的にはクリーム色の柄の普通のビスケットの方が、見た目も味も好みだったので、「なんで変えたんだろう?」とずっと疑問に思っていたものだ。


そんな「すぎのこ村」なのだが、発売から数年で市場から姿を消すことになった。


どうも出荷数の減少がその原因だったらしい。


ところが「すぎのこ村」が店頭から姿を消して間もなく、「LUCKY MiNi」というチョコレート菓子が発売になる。


ちなみにこの「LUCKY MiNi」の元になっている「LUCKY」というお菓子は、グリコの「ポッキー」のような形状のチョコレート菓子である。


で、問題は「LUCKY MiNi」の方なのだが、なんとパッケージに描かれているお菓子の絵柄を見ると、驚くべきことに、「すぎのこ村」の形状そのものだったのだ。


「すぎのこ村」の時は、斜めに倒された向きでパッケージにレイアウトされていたのだが、「LUCKY MiNi」ではきれいに縦に並べられていて、見た目の印象はグリコの「アーモンドクラッシュポッキー」のようになっていた。


うまくカモフラージュされてはいるが、これはどう見ても「すぎのこ村」である。


終売になったと思ってがっかりしていた「すぎのこ村」に、まさかこのような形で再会するとは思ってもみなかった・・・・・・。


(画像上、ウツギの花は初夏の里山を代表する花と言っても過言ではないだろう。画像下、ゴールデンウィークの頃に羽化するアカボシゴマダラは白化する傾向がある・・・・・・)

2023年4月18日 (火)

ロッテの「ほおずき」

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1970~1980年代には、自然豊かな日本の原風景を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


ロッテから1982年に発売されていた「ほおずき」もそんな流れを汲むお菓子のひとつだった。


チョコレート菓子の「ほおずき」は、実際のほおずきの実の形を象っていて、空洞になっているチョコレートの内部には、ピーナッツボールが1つ入っていた。


また、「ほおずき」は少し乾燥して、外皮に割れ目が入った、本物のほおずきの実をイメージして作られていて、チョコレートの割れ目の部分から内部のピーナッツボールを覗けるようになっていた。


そして内部のピーナッツボールは、固定されている訳ではなくて、「ほおずき」を手に持って振ると、「カラカラ」と心地よい音が鳴るようになっていた。


そしてこの細工こそが、「ほおずき」というチョコレート菓子の売りにもなっていたのである。


いま考えると、150円で買えるチョコレート菓子に、よくこんな手の込んだ細工を施したものである。


冒頭でも書いたように、当時は自然豊かな日本の原風景をテーマにしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていたので、他のメーカーとの差別化を図るためにも、この細工は必要と考えたのかもしれない。


しかしその後は、こんな手の込んだ細工が施されたお菓子は見たことがなかったので、コスト的には恐らくギリギリだったのではないだろうか・・・・・・。


で、この「ほおずき」は、テレビCMも数種類作られて、しばしば放映されていた。


ロッテのお菓子のCMというと、冒頭に角笛を吹くキャラクターが登場するのが定番となっているが、じつは当初、このキャラクターは実写だったのをご存じだろうか。


スイスの山々を背景に、民族衣装を着て、角笛を持った女性を手前に配置。


その後方には、アルペンホルンを吹く男性がズラリと並ぶ。


そして、手前の女性が角笛を「ブッブ、プ~!」と吹くのだ。


ちなみにこの「ブッブ、プ~!」は、ロッテのCMでお馴染みの、あのメロディである。


そしてそれを合図にCM本編がスタートする。


CM冒頭では「とうりゃんせ」をして遊んでいる着物姿の少女たちが映し出される。


いったい何時代の設定なのだろう。


年長の少女がほおずきを1つもいで手の平に乗せると、あっという間にチョコレート菓子の「ほおずき」に変わって行く。


まるでマジックである。


そしてここでナレーションが入るのだが、「チョコの気持ちがよ~く似合うでしょ?チョコのほおずき」と、いま考えると、ちょっと意味不明なことを言っており、思わずひと言つっこんでやりたくなる。


そして着物姿の少女たちが横一列に並んで、「ほおずきチョコレート」を振って、カラカラと音を鳴らしながら食べ始めCMは終了となる・・・・・・。


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そしてこれ以降に公開された、別バージョンのCMからは、CM冒頭の角笛のシーンが、あのお馴染みの絵柄のキャラクターに変更になる。


ただし、「ブッブ、プ~!」というあのメロディは、実写の頃と全く同様である。


ほおずき市(いち)が舞台のCMでは、露店の前に豆絞りの手拭いを巻いたハッピ姿の店主がいて、「ヘイ、いらっしゃい!ほうずきいかが?」と道行く人に声を掛けて来る。


どうでもいいが、この店主の出で立ち、どこかで見たような気がするなと思っていたら、「ペヤングソース焼きそば」のCMの屋台の店主と全くいっしょなのだ。


どうやら昭和の頃は、豆絞りの鉢巻きに、紺色のハッピ姿というのが、露店や屋台の店主のイメージの定番だったようだ。


そしてその露店の前を、女の子たちがほおずきチョコレートを振って、カラカラと音を鳴らしながら歩いて行く。


その様子を露店の店主が不思議そうに見つめながら、「チョコレートかい?」と聞いて来る。


そしてここで、「美味しい音がする、ほおずきチョコレート」とナレーションが入る。


そして映像ではほおずきチョコレートの内部の仕組みが紹介されて行く。


最後に店主の「食われちゃうね、こりゃ」というセリフでCMは終了となる・・・・・・。


また、別バージョンのCMでは、植物のほおずきや花、うさぎなどのイラストをバックに、ほおずきチョコレートを持った手のクローズアップ映像が流され、「カラコロと美味しい音が響きます。ほおずき形のチョコレート」とナレーションが入る。


最後にお姉さんがほおずきチョコレートを1つ口に入れてCM終了となる・・・・・・。


おばあちゃんと孫が登場するバージョンもあった。


ほおずきが生っているのを見つけて、「うわぁ~、きれいなほおずき!」と女の子が感動している。


それを見ていたおばあちゃんが、「今の若い人は、ほおずきを鳴らせるのかしら?」と、ほおずきの皮を剥いて行く。


すると映像はほおずきチョコレートに切り替わり、女の子が「ほら、カラコロ!」と言いながら振って見せる。


それを見ていたおばあちゃんが、「まあ、ハイカラなチョコだね~」と言ったところでCMは終了となる・・・・・・。


このように「ロッテのほおずき」は、CMが複数作られていたのだが、そのどれもがほおずき形のチョコレートを振ると、「カラコロと音が鳴りますよ」という部分が強調されていた。


本物のほおずきは振っても音などしないのだが、他メーカーとの差別化という意味で、この「カラコロ」という音は、このお菓子の最大の売りになっていたということがよく分かる。


販売終了になると分かっていたら、もっとたくさん振っておいたのにな~・・・・・・。


(画像上、植物の芽吹きでやわらかい色合いに染まった里山。画像下、林縁ではヒトリシズカがひっそりと開花していた・・・・・・)

2023年3月 1日 (水)

ちょこだわら

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1970~1980年代には、自然豊かな日本の原風景を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


そのほとんどは、現在ではもう発売されていないが、明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は根強い人気で、現在でも継続して販売されている。


で、当時は明治製菓だけでも、「きのこの山」、「たけのこの里」、「すぎのこ村」、「ちょこだわら」など、同様のテーマのチョコレート菓子が複数発売になっていた。


ちなみに「すぎのこ村」というのは、細長いビスケット生地の柄にミルクチョコレートをかけて、その上からつぶつぶのアーモンドをまぶしてある、「杉の木」をイメージしたチョコレート菓子だった。


もう一方の「ちょこだわら」は、米俵の形をしたチョコレートの中に、お米のパフと、お米の形をしたホワイトチョコレートが詰め込まれている、とても手の込んだお菓子だった。


ちなみに「きのこの山」は1975(昭和50)年、「たけのこの里」は1979(昭和54)年、「ちょこだわら」は1982(昭和57)年、「すぎのこ村」は1987(昭和62)年の発売だった。


これを見ると、結果的に古くから発売されている2種がロングセラーとなり、現在でも生き残っていることになる訳だ。


で、販売終了になってしまった2種についてだが、「すぎのこ村」については、1990年代の初めごろまで発売されていたので、覚えているかたも少なくないと思う。


そして、もう一方の「ちょこだわら」に関しては、ほとんどの人は記憶に残っていないのではないだろうか・・・・・・。


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「ちょこだわら」のパッケージは、「きのこの山」や「たけのこの里」と同様の形の箱が採用されていた。


そしてパッケージのデザインは、古き良き日本の原風景が描かれていて、都会暮らしで一度もそんな場所に住んだことのない人間でも、日本人ならなぜか懐かしいと感じさせる光景だった。


で、具体的にどんな絵柄だったのかというと、パッケージの左側には黄金色に色付いた田んぼが描かれていて、中央には農道が通っており、道端には大きな米俵が乗せられた大八車が止められていた。


そして大八車の横には、着物姿の男の子と女の子がたたずんでいる。


そしてパッケージの右側には、山を背にした形で古民家が描かれていた。


さらに黄金色に実った田んぼには、着物を着せられた案山子が立っていて、大八車の下ではニワトリが俵からこぼれ落ちたお米をついばんで食べている。


そして上空を見ると、実った稲を狙ってスズメが数羽飛んで来ていた。


冒頭で「1970~1980年代には、自然豊かな日本の原風景を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた」と書いたが、「ちょこだわら」のパッケージデザインは、その中でも最も細かく描き込まれていて、まるで「まんが日本昔話」のワンシーンのようだった・・・・・・。


ところで、この「ちょこだわら」のパッケージは、ご説明して来たような世界観を重視していたため、肝心のお菓子のイラストは、パッケージの右隅に小さく1つだけ、ポツリと描かれているだけだった。


イラストでは俵型のチョコレートの前側がカットされていて、中に入っているお米形のパフとホワイトチョコレートが、ポロポロと外にこぼれ落ちている様子が描かれていた。


「きのこの山」のパッケージなんて、センターラインに沿って、7本もの「きのこの山」がずらりと並べられているのだ。


それを考えると、「ちょこだわら」はなんと控え目なデザインだったことだろう・・・・・・。


で、当時は全く気にもしていなかったが、いま考えると「ちょこだわら」はとても手の込んだチョコレート菓子だった。


ただ単に米俵の形をしたチョコレートを作るだけではなく、わざわざ中を空洞にして、その中にお米の形をしたパフと、ホワイトチョコレートを封入していたのだ。


これで1箱150円で売られていたのである。


「ちょこだわら」が販売終了になってしまったのは、もしかしたらパッケージやお菓子に凝り過ぎて、採算が取れなかったからではないだろうか・・・・・・。


(画像上、2月の中旬頃から見ごろになって来るマンサクの花。画像下、ミツマタはまだ蕾の状態。開花は3月に入ってから・・・・・・)

2022年12月19日 (月)

おにぎり村

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1970~1980年代には、「自然豊かな日本の原風景」を題材にしたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


そのほとんどは、現在ではもう発売されていないが、明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は根強い人気で、現在でも継続して販売されている。


当時わたしは、それらのお菓子の世界観になぜかとても惹かれ、新しいパッケージを見つけるたびに、親に買って欲しいとねだっていたものである。


1981(昭和56)年にロッテから発売になった「おにぎり村」もその中の一つで、他社のお菓子とは違う、おにぎりの形をしたビジュアルがとても斬新に感じたのを覚えている。


おにぎり村のパッケージイラストには、茅葺き屋根の古民家が描かれていて、その背景には緑の雑木林と、その奥に小高い茶色い山が3つ描かれていた。


そして抜けるような青空には、スズメが2羽舞うように飛んでいた。


で、パッケージの右側には、おにぎり村のお菓子のイラストが描かれているのだが、その様子はどう見てもおにぎりには見えなかった。


一応、形だけは、三角形のおにぎりの形をしているのだが、パッケージのイラストを見る限り、ご飯や海苔の姿はどこにも見当たらず、なんだか「いなり寿司」のような見た目をしていた。


そしてパッケージのイラストをさらに詳しく見ていくと、油揚げ(ではないのだが・・・)に包まれているのはご飯ではなくて、どうもピーナッツ入りのチョコレートのようだった。


そのイラストを見てしまうと、「おにぎりじゃないじゃん」と、思わず口走りそうになるのだが、これはお菓子屋の店頭に並べられているお菓子なので、当然と言えば当然の話である。


じつはいなり寿司の油揚げのように見えていたのは最中(もなか)の皮で、この中にピーナッツ入りのチョコレートが入っていたのである・・・・・・。


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で、ロッテではチョコレート菓子の「おにぎり村」の姉妹商品として、1981(昭和56)年にアイス版の「おにぎり村」も発売している。


アイス版の「おにぎり村」は、なんとパッケージまで三角形のおにぎりの形をしていて、お店のアイスクリームケースの中でひときわ目立っていたのを覚えている。


そしてアイス版の「おにぎり村」は、日本昔話風のテレビCMがとても印象的だった。


CMでは茅葺き屋根の古民家に住む少年が、囲炉裏の前でおにぎりをにぎっている。


そして庭にはエサをついばむ放し飼いのニワトリの姿がある。


この映像のバックには、「親孝行の子供がおにぎりを畑に届けた」という昔話風のナレーションが流れている。


そして場面は畑のシーンに切り替わり、ほっかむりをした少年の父親の姿が映し出される。


どうでもいいが、少年は頭頂部が尖ったおにぎり型の頭をしているのに、なぜかその父親は顎の方が尖った逆三角形の頭部をしている。


これで本当に親子なのかと疑問に感じるところだが、父親がほっかむりを取ると、なんと子供と同じ頭頂部の尖った三角形の頭に「ぷるんっ!」と戻って行くのだ。


「いったいどんな頭の構造をしているんだよ!」とひと言つっこんでやりたくなる。


そして父親は届けてもらったおにぎりを、「おお、うまそうじゃ。中はアイスかの~」と言って食べ始める。


「え?少年は確かおひつの中から、温かいご飯を取り出しておにぎりをにぎっていたよね?」という気がしないでもないが、CMはそんな視聴者の疑問を一切無視してどんどん進んで行く。


そして場面は引きの映像に切り替わり、父親がおにぎりをうっかり地面に落としてしまい、おにぎりが坂をコロコロと転がり始める。


「あれ、確か平らな畑でおにぎりを食べていたはずなのに・・・?」という気がしないでもないが、CMはそんな視聴者の疑問を一切無視して、「ロッテアイスおにぎり村」という締めくくりのナレーションと共に強制終了することになる・・・・・・。


で、このアイス版おにぎり村だが、CMで少年の父親が「中はアイスかの~」と言っていた通り、三角のおにぎりの形をした最中(もなか)の中には、バニラアイスがぎっしりと入っていた。


パッケージのイラストを見ると、チョコレート菓子のおにぎり村と同様に、まるで三角形のいなり寿司のようなものが描かれているのだが、イラストでは先端がカットされていて、中身が見えるようになっていた。


それを見ると中身はまるで本当のおにぎりのように見える。


そしてその中央には、おにぎりの具材の梅干しのようなものまで描かれていたのだが、ほとんどの人はこれを見て、「これはイメージだろう」と思っていたと思う。


ところが実際に商品を買って、アイス版おにぎり村を食べてみると、アイスの中央には梅干しに見立てたイチゴジャムが入っていて、断面だけはまるで本物のおにぎりのように見えて、当時の子供たちは大喜びだったのである。


そんな訳でお菓子(おにぎり)そのものの完成度という意味では、アイス版おにぎり村の圧勝といえるだろう・・・・・・。


(画像上、初冬の公園のベンチでは人ではなく銀杏が休憩中。画像下、越冬中のアカスジキンカメムシが「こんにちは!」・・・・・・)


2022年11月 1日 (火)

ビンジュースの自動販売機

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▲じつはビンジュースの自動販売機は、数は少ないが現在でも見ることが出来る。しかし、昭和の頃に見られたものとは構造が変わって、ボタンを押してジュースを選び、買ったジュースは「穴から引っこ抜く」のではなく、横からゴロゴロッと転がって出て来るようになった・・・・・・。

私が小学生の頃は、まだぎりぎりビンジュースの自動販売機が生き残っていた。


とはいうものの、歩道脇に立つ自動販売機は、もうすっかり缶入りのものに切り替わっていて、ビンジュースの自動販売機は、お菓子屋さんや駄菓子屋さんの前に、僅かに残っているぐらいだった。


現在ではビン入りのジュースなんて、居酒屋さんにでも行かなければ、お目にかかれなくなってしまったが、昭和40年代までは、店で売られているジュースはビン入りが主流で、昭和50年代に入って缶が主流になるまでは、自動販売機もビン売りだったのである。


ビンジュースの自動販売機には、いくつかのタイプがあったが、共通して言えることは、まず最初にお金を投入して、細長い透明窓の扉を開けて、選んだ商品を丸い穴から引っこ抜いて取り出すことだった。


ジュースのビンは王冠側を手前に寝かせた状態で入っていて、丸い穴から先端だけが見えていたのだ。


透明窓の扉は自動販売機の左側に縦向きに設置されているものが多かったが、自動販売機の下の方に横向きに設置されているものもあった。


これについては現在の自動販売機の商品取り出し口と位置が全くいっしょである。


ただし商品は現在のように上からガシャンと落ちて来る訳ではなくて、やはり穴から引っこ抜いて取り出すようになっていた。


ちなみにビンジュースの自動販売機には、構造上サンプルを入れるスペースがなかったので、いま見たらちょっと違和感があると思う。


ただ、商品取り出し口が自動販売機の下部に横向きに設置されていたものに関しては、上部にスペースがあり現在のようにサンプルが入れられていたようである。


ちなみに先程からビンジュースの自動販売機は、「穴から引っこ抜いて取り出す」と書いているのだが、これはビンジュースの自動販売機には、そもそも商品を選ぶためのボタンがなかったからだ。


だからお金を入れた後は、穴から見えている王冠の柄を確認して、自分の欲しい商品を引っこ抜くのである。


このためビンジュースの自動販売機は、全ての商品が同じ値段になっていた。


きっと、現在の自動販売機しか見たことのない人は、お金を入れた後に、どうやって商品を買うのか分からず、困惑することになると思う・・・・・・。


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▲ビンジュースの自動販売機には栓抜きが設置されている。ビンの王冠部分をここに引っ掛けてクイッと栓を抜くのだがコツが分かるまではちょっと戸惑うかもしれない・・・・・・。

当たり前の話だが、ビンのジュースは買った後に、栓抜きで栓を抜かなければ飲むことは出来ない。


「これでは自動販売機でジュースを買っても、その場で飲むことが出来ないじゃないか」と思われるかもしれない。


しかし、そんな心配は一切無用で、ビンジュースの自動販売機には、栓抜きがちゃんと設置されていた。


栓抜きと言っても、家庭で使うような栓抜きがぶら下げてあったという訳ではなくて、自動販売機にあるくぼみが栓抜きになっていたのだ。


そして抜いた栓は自動販売機の中の専用のスペースに落ちるようになっていた。


ただ、自動販売機の栓抜きにはちょっとしたコツがあって、子供にはなかなか上手く使いこなすことが出来なかった。


だからなんとか栓を開けることが出来ても、ドバドバとジュースをこぼしてしまって、いざ飲もうと思ったら、半分くらいしか残っていなかったなんてこともよくあった。


だからお菓子屋や駄菓子屋のおばちゃんは、子供が自動販売機でジュースを買おうとしているのを見つけると、わざわざ出て来てくれて、栓を抜く時は手をそえてサポートしてくれていた。


そもそもお菓子屋や駄菓子屋には、店内の冷蔵庫にも冷えたビンジュースが入っていて、それを買えばおばちゃんが栓抜きでプシュッと栓を抜いて渡してくれたのだ。


その方がよっぽど手間やリスクが少なくて済むのに、子供の頃はどういう訳か自動販売機でジュースを買いたかったのである。


で、自動販売機でビンジュースを買った後は、その場で飲んでしまうことがほとんどだった。


というのも、私が小学生の頃は道端の自動販売機は、もうほとんどが缶入りに切り替わっていたので、ビンを持ち歩いていると、捨てる場所がなかったのである。


ビンジュースの自動販売機の脇には、ビンジュースが納品される時に入っているプラスチックの運搬用ケースが置いてあって、飲み終わったジュースのビンはそこに返すようになっていた。


ケースにビンがいっぱいで入れる所がない時は、店の中へ持って行けばおばちゃんが回収してくれた。


でも、結局店の中まで持って行くのなら、初めから店の冷蔵庫に入っているビンジュースを買って、おばちゃんに栓を抜いてもらい、その場で飲んで、ビンを返して来た方がよっぽど合理的だったよなぁと、今さらながら思ったりもする。


その後、お菓子を買ったりもしていたのだから・・・・・・。

2022年10月20日 (木)

つくんこ

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昭和の頃に発売されていた、「つくんこ」というチョコレート菓子をご存じだろうか。


「つくんこ」はつくしの形をしたチョコレート菓子で、棒状のクラッカーにチョコレートを加えて、つくしの形に仕上げられていた。


分かりやすくいうなら、「きのこの山」の「つくし版」である。


以前、昭和の頃に森永製菓から発売されていた、「森のどんぐり」と「くるみの森」について書かせてもらったが、「つくんこ」は一足遅れて発売になった姉妹商品だった。


ちなみに「森のどんぐり」と「くるみの森」は、1977(昭和52)年発売、「つくんこ」は1983(昭和58)年の発売だった。


じつは森永製菓に限らず、1970~1980年代は、このような日本の野山を題材としたチョコレート菓子がたくさん発売されていたのだ。


現在でも買うことが出来る、明治の「きのこの山」と「たけのこの里」も、その中の一つで、「きのこの山」は1975(昭和50)年、「たけのこの里」は1979(昭和54)年から発売されている歴史の古いお菓子なのである・・・・・・。


で、どういう訳かこれらの商品は、どれも外箱の形状やパッケージのデザインが、まるで示し合わせたかのようによく似ていた。


そしてそれは「つくんこ」も例外ではなかった。


「つくんこ」の外箱の形状は、「きのこの山」や「たけのこの里」と同様で、箱の前側からミシン目に沿って、カパッと開ける仕組みになっていた。


そしてパッケージのデザインはというと、草原の中に立つ一軒の民家があって、家の後ろ側は木々に囲まれた、自然豊かな光景が描かれていた。


そしてこのような絵柄は、1970~1980年代にお菓子メーカー各社から発売になっていた、日本の野山を題材としたチョコレート菓子には、定番のデザインだったのである。


明治の「きのこの山」や「たけのこの里」は、自然豊かな環境の中に建つ民家が、まるで昔話に出て来るような、かやぶき屋根の家だったが、森永の「森のどんぐり」や「つくんこ」では、洋風の一軒家になっていた。


「つくんこ」の民家は、茶色い屋根の洋館が大きめに描かれていて、建物の左側にはレンガで作られた大きな煙突があり、建物の右側には、とんがり帽子の屋根の塔が併設されていた。


そして洋館の左の繁みからは、一匹のノウサギがひょっこりと顔を出してこちらを見ている。


また、パッケージイラストの上部には、大きくひらがなで「つくんこ」と書かれていて、その下の森の背景に被せるように、「つくしの つくんこ つんでごらん」と小さな文字で書かれていた。


そして主役である「つくんこ(お菓子)」は、パッケージの左右の隅に2本ずつデザインされていた。


1970~1980年代に各社から発売されていた、日本の野山を題材としたチョコレート菓子は、パッケージのデザインを見せることを重視していて、お菓子そのものはこのように控え目に配置されているものが多かったように思う・・・・・・。


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また、「つくんこ」が発売になった1980年代は、アイドル全盛と言われた時代で、お菓子のCMにはよく女性アイドルが起用されていた。


そしてそれは「つくんこ」も例外ではなく、CMには柏原芳恵さんが出演されていたのを覚えている。


CMは柏原芳恵さんがおばあちゃんといっしょに座っているシーンから始まる。


そして柏原さんがおもむろに「つくんこ」を手に取り、「こっちから食べるとつくんこで、こっちから食べるとこんくつ」と、おばあちゃんに説明している。


するとおばあちゃんは「つくんこ」を2本、互い違いに持って、「あたしゃ、こうして食べますよ」と言う。


そして柏原さんが「つくんこ」を食べ、おばあちゃんが「どう?」と感想を聞いたところで、「も~り~な~が、つ~くんこ ♪」という歌が流れてCMは終わる。


また、別バージョンのCMでは、柏原さんとおばあちゃんがピクニックに出かけようとしている様子で、2人はリュックを出して来て、色々と準備をしている。


そして柏原さんが「おばあちゃんはコレね。つくんこは私が持って行くね」というと、おばあちゃんが「わ~た~し~よ~」と言い返す。


すると柏原さんも引かず、「わ~た~し~!」と、どちらがつくんこを持って行くかで言い合いになっている。


そしてここで、「つくしタイプのスナックチョコ、も~り~な~が、つ~くんこ ♪」とナレーションと歌が流れるのだ。


最後におばあちゃんの「1本だけですよ」というセリフと同時に、柏原さんがつくんこを摘まみ食いをしてCMは終了となる。


ちなみにCMに出演していたおばあちゃんは、当時おばあちゃんタレントとして人気だった浦部粂子さんだった。


そしてCMの最後には、「森のどんぐり」と「くるみの森」のパッケージ画像が差し込まれ、「つくんこ」と姉妹商品であることをアピールしていた。


昭和の頃に森永製菓から発売になっていた、「森のどんぐり」、「くるみの森」、「つくんこ」は、いつの間にか販売終了となっていて、現在ではもう買うことは出来ない。


私はこれらの商品の世界観が大好きで、いつかまた復刻してくれることを信じて、日々、お菓子売り場を徘徊しているのである・・・・・・。


(画像上、里山で秋に咲くアザミの1つ、タイアザミ。画像下、触角が格好いいね、ショウリョウバッタモドキ・・・・・・)


2022年9月 2日 (金)

「森のどんぐり」と「くるみの森」

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▲じつは明治の「きのこの山」は1975(昭和50)年から発売になっている歴史の古いチョコレート菓子なのである・・・・・・。

チョコレート菓子の「きのこの山」と「たけのこの里」を知らない人はいないだろう。


じつは1970~1980年代には、このような日本の野山を題材としたチョコレート菓子が、お菓子メーカー各社からたくさん発売されていた。


明治から発売されている「きのこの山」と「たけのこの里」もその中の1つで、「きのこの山」は1975(昭和50)年、「たけのこの里」は1979(昭和54)年から発売されている、歴史の古~いお菓子なのである。


当時、お菓子メーカー各社から発売されていた、日本の野山を題材としたチョコレート菓子は、そのほとんどが現在ではもう終売となっており、「きのこの山」と「たけのこの里」は、その生き残りということになるだろう・・・・・・。


そんな訳で、このようなスタイルのチョコレート菓子は、明治の専売特許という訳ではなくて、1977(昭和52)年には森永から、「森のどんぐり」と「くるみの森」というチョコレート菓子が発売になっていた。


パッケージの形やデザインを見ると、これはどう考えても、1975(昭和50)年に先行して発売されていた、明治の「きのこの山」を意識したものであったようだ。


「森のどんぐり」のパッケージデザインは、草原の中を手前から奥に向かって続く一本道があって、その終点には一軒の赤い屋根の家が建っていた。


そして赤い屋根の家の後ろ側は森になっていて、そこが自然豊かな環境であることがよく分かる絵柄となっていた。


じつはこれ、「きのこの山」のパッケージデザインとたいへんよく似ていて、民家へと続く一本道の位置や、手前に草原があって、奥に森がある位置関係なども、全くいっしょという訳ではないのだが、そっくりな構図だったのである。


ただ、一つ決定的に違うのは、「きのこの山」では一本道の先にある一軒の家が、茅葺屋根の日本家屋であるのに対して、「森のどんぐり」では赤い屋根の洋風建築の家になっていることだ。


このことからも、明治の「きのこの山」をかなり意識した商品であったことがよく分かる。


で、肝心の中身の方はというと、どんぐりの形をしたクッキーをチョコできれいに包んだ、丸いチョコレート菓子だった。


ちなみにこの「森のどんぐり」は、発売当時はキャンディーズがテレビCMをやっていたようだ。


私は全く記憶にないのだが、コーラス隊に扮したキャンディーズが、「どんぐりころころ、どんぐりこ~、お口に入って、ああ、美味しい~ ♪」と歌っていたそうだ。


そしてナレーションが、「森永チョコレート、森のどんぐり。どんぐり勘定130円」と、なかなかうまいことを言って終了となる・・・・・・。


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▲明治の「たけのこの里」は、「きのこの山」から4年遅れて、1979(昭和54)年に発売になった・・・・・・。

ちなみに森永製菓は、この「森のどんぐり」と同時期に、「くるみの森」というチョコレート菓子も発売している。


1977(昭和52)年のことである。


「くるみの森」もパッケージの形は、明治の「きのこの山」と同じスタイルだ。


パッケージのデザインは「森のどんぐり」ほど、「きのこの山」を意識してはいなかったが、やはり自然豊かな日本の野山を題材とした絵柄になっていた。


「森のどんぐり」は中身のお菓子の絵柄は右端に寄せられていて、背景の絵柄を強調するデザインになっていたが、「くるみの森」では中身のお菓子の絵柄を中央に持って来て、ゴロゴロとしたくるみの形を強調するものとなっていた。


で、「くるみの森」がどんなお菓子だったのかというと、くるみの形をしたクッキーをチョコレートでくるんだチョコレート菓子だった。


どうやらクッキーをチョコでくるんでいるから「くるみ」ということらしい。


当時は全く気にしていなかったと思うのだが、今だったら、「肝心のくるみは入っていないんかいっ!」と、ひと言つっこんでやりたい気分でいっぱいである。


ちなみに「くるみの森」のテレビCMには、子役時代の観月ありささんが出演していた。
当時はまだ5歳だったそうである。


CMでは沖田浩之さんと共演していて、なぜか森の中の切り株をテーブル代わりにして、「くるみの森」を食べようとしている2人がいる。


そして沖田が「くるみの森、少し残しておこうね」と観月に語り掛ける。


すると観月が「リスが食べに来るかもしれないね」と返す。


どうでもいいが、リスにチョコレートを与えたりしてはいけないのは言うまでもない。


そして切り株の上に「くるみの森」を置いて食べ始める2人。


その後、2人が残しておいた「くるみの森」を、シマリスが2匹食べにやって来て、「少し残しておこうね。人間が食べに来るかもね」と話しているという衝撃の展開に。


その様子を隠れて見ていた観月が「あれ~!」とひと言。


そして最後に沖田が「おいしいスナックチョコ、森永くるみの森。いっしょに食べないかい?」とカメラに向かって語り掛けるのだ。


どうでもいいが、当時はこんな風に男性アイドルがカメラに向かって語り掛けるCMがよくあったように思う。


当時は学校でそれをマネして、「僕といっしょにおしっこにいかないかい?」と友達を連れションに誘ったり、家では母に「僕にファミコンゲームを買ってあげたらどうだい?」などと言って鼻で笑われたりしていたものだ。


そしてCMの終わりには、必ず「くるみの森」と「森のどんぐり」を並べたカットが入れられて、姉妹商品としてアピールしていた。


「森のどんぐり」と「くるみの森」は、同じ時期に発売された商品ということもあって、当時はこのようにいっしょに広告展開されていたのだ。


個人的にはどちらの商品もあまり食べた記憶は残っていなくて、もし復刻されるようなことがあったら、ぜひ食べてみたいと思っている。


そして、「ああ、そうだ!コレ、コレ!」と、当時のことを思い出したいと密かに思っているところだ・・・・・・。



2021年12月12日 (日)

ファンタゴールデンアップルの都市伝説

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▲じつは瓶入りのファンタは現在でも入手出来る。この瓶のデザインは現在のものだが、瓶の形そのものは当時のものとあまり変わっていない・・・・・・。

炭酸飲料のファンタを知らない人はいないだろう。


日本での発売は想像以上に古く、第2次世界大戦後の1958(昭和33)年からだというから驚きである。


当初は「オレンジ」、「グレープ」、「クラブソーダ」の3種類が同時発売されたという。


しかし、ファンタはこの時すでに、世界36ヶ国で発売されていたというから、日本での発売はむしろ遅い方だったようだ・・・・・・。


その後もファンタは順調に販売本数を増やして行き、1974(昭和49)年には、前述の3種に加えて、「レモン」と「アップル」が追加で発売されている。


ところが翌1975(昭和50)年、ファンタに転機が訪れることになる。


1968(昭和43)年の消費者保護基本法の制定や、1970(昭和45)年の国民生活センターの開設がきっかけとなり、食品の安全安心が問われる時代が訪れたのだ。


じつは当時のファンタは、合成着色料を使用しており、グレープを飲んだ後に、舌が紫色に染まることが問題視されていた。


当時のファンタは無果汁だったこともあり、ぶどうの味を再現するためには、香料と合成着色料を使うしかなかったのだ。


このためファンタグレープは、1975(昭和50)年5月に、問題解決のため販売を一時中止している。


そして、このファンタグレープの代替品として、1975(昭和50)年7月に発売されたのが、ゴージャスな金色のパッケージに身を包んだ、「ファンタゴールデングレープ」だった。


ゴールデングレープは合成着色料の見直しが行われて、着色をカラメルだけにした、まるでシャンパンのような色合いの、黄金色のグレープジュースだった。


そしてその2年後の1977(昭和52)年7月、着色料が改良されて、舌に紫色が付かなくなった、ファンタグレープが新発売されることになる。


それと同時に、ゴールデングレープはひっそりと販売を終了、市場からいつの間にか姿を消していた。


したがって、ゴールデングレープが販売されていたのは、1975(昭和50)年7月から1977(昭和52)年7月の、わずか2年間だけだったことになる。


そしてこのことが後の世で、とある都市伝説を生むきっかけになろうとは、当時は誰も思ってもみなかったのである・・・・・・。


確か2000(平成12)年頃のことだったと思うが、「1970年代のファンタには、ゴールデンアップルというフレーバーが存在していた」という噂話がネット上に書き込まれ、その後、「あった派」、「なかった派」に分かれて、大論争になったことがあった。


話があまりにも大きくなったので、後にコカ・コーラ社は、「過去に日本国内でそのような製品を販売したことはない」という公式見解を発表するほどだった。


ゴールデンアップルが「あった派」の意見としては、「飲んだ記憶がある」という、自身の記憶によるものが大半を占めていたのだが、なかにはコカ・コーラ社の社員からも、「売ったことがある」とか「地方のボトラーは売ったらしい」と証言する者が現れて、混乱は増して行くばかりだった。


確かに当時はコカ・コーラ社の製品をビン詰めして売るボトラーの数は、現在とは比べ物にならないくらい多かったらしく、全国各地に細かく分散して存在していたという。


しかし、「地方のボトラーが売っていた」というなら、なぜ「ゴールデンアップルを飲んだ記憶がある」という証言が、全国各地から寄せられてくるのか。


これは明らかに矛盾していると言えるだろう・・・・・・。


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▲瓶のサイズ感が分かるように手に持ってみた。ずっしりとした瓶の重みが当時を思い出させる・・・・・・。

そしてもし仮に、ゴールデンアップルがあったとしたら、なぜ物証が何一つ出て来ないのか。


じつはファンタの瓶や缶は、かなり古い時代のものまで残っていて、個人でコレクションされている人がたくさんいるのだ。


別にコレクターでなくても、1970年代といえば、瓶の王冠集めがちょっとしたブームになっていて、その当時集めていたものが、押し入れの片隅に眠っていて、片づけをしていたらそれがたまたま出て来たなんて話もよく聞く。


それなのにファンタゴールデンアップルの物証は、未だに何一つ出て来ていないのだ。


インターネットやSNSであっという間に情報が拡散されて行くこの時代に、そんなことがはたしてあり得るだろうか。


ここで思い出してもらいたいのが、グレープの代役として、たった2年間だけ販売されていたゴールデングレープだ。


「ゴールデンアップル」と「ゴールデングレープ」、名前からしてよく似ている。


そしてゴールデングレープは、まるでシャンパンのような色合いの黄金色のグレープジュースだった。


これは見た目の印象だけで判断するなら、グレープというよりもアップルジュースである。


当時、人々はゴールデングレープを受け入れてはいたが、「グレープジュースといえば紫色」というイメージはやはり根強くて、だからこそファンタグレープは、ゴールデングレープが発売されていたにも関わらず、着色料を改良して戻って来たのである。


黄金色のまるでアップルジュースのようなゴールデングレープが、「ゴールデンアップル」という幻想を生んだとしても、決しておかしくはないだろう・・・・・・。


そしてこのゴールデンアップルの都市伝説を、更に混乱させる「事件」が、2002(平成14)年の10月に起きることになる。


なんと日本コカ・コーラ社が、大胆にも「ファンタゴールデンアップル」を、新フレーバーとして新発売させてしまったのだ。


更に2006(平成18)年には、このゴールデンアップルをセブンイレブン限定で、「1970年代の復刻版デザイン」として、昔のファンタのデザインで販売している。


これを見て、「ゴールデンアップルはやっぱりあったんだ!」と、勘違いしたかたも少なくなかったはずだ。


何度も書くが、日本コカ・コーラ社の公式見解は、ゴールデンアップルについて、「過去に日本国内でそのような製品を販売したことはない」である。


それにも関わらず、ゴールデンアップルを「復刻」してしまうなんて、日本コカ・コーラ(株)さん、なにやってくれちゃってんの・・・・・・。



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