カテゴリー「昭和のお菓子」の記事

2025年7月16日 (水)

500mlペットボトルへの道

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▲昭和の頃の懐かしいデザインで発売されたファンタ。ちなみにビン入りのファンタもこのデザインだった。やっぱりファンタといえばこのデザインだよな~・・・・・・。

1980年頃まではジュースなどの飲み物は、瓶入りや缶入りのものが普通だった。


このため、当時の飲み物は、一度開封してしまうと、蓋を元に戻すことは出来なかった・・・・・・。


瓶入りの飲料は王冠で封がされていたので、栓抜きを使って蓋を開けていた。


このため開栓後は、王冠が変形してしまい、戻しようがなかった・・・・・・。


缶入りの飲料はプルタブ式だったので、缶の口から引き抜いてしまった後は、もうどうしようもなかった。


いまでは考えられない話だが、飲み物は一度開けてしまったら、蓋が出来ないのが基本だったのである・・・・・・。


そうはいっても、子供は一度に全部は飲みきれないこともあった。


そんな時は仕方がないので、ラップで瓶や缶の口を覆い、冷蔵庫に入れておいた。


しかし、それが炭酸飲料だと、次に飲む頃には、炭酸が抜けてしまって、ただの砂糖水になっていて、「なんだこりゃ・・・」と思うこともしばしばあった・・・・・・。


昔はコンデンスミルクも缶入りだったので、缶の上部に練乳を出す穴と空気穴を2つ開けて使用していた。


このため、冷蔵庫に入れる際には、やはりラップを被せて保存していた。


コンデンスミルクに被せたラップは、いつもベタベタになっていて、使用するたびに手を洗いに行くのが、煩わしくて仕方なかった・・・・・・。


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▲昔のデザインを見ると、いまのデザインが思い出せなくなるという人に、こちらはフレーバーは復刻だが、デザインは現代の「ゴールデングレープ」・・・・・・。

炭酸飲料の炭酸が抜けてしまう問題に対応するために、瓶や缶を密閉出来る便利グッズが発売された。


うちにあったのは、瓶の口を密閉出来るグッズで、瓶の口に被せてグッと押し込むと、内側のゴムがぴったりと貼りついて、瓶の口を密閉出来る仕組みになっていた・・・・・・。


ちなみにこのグッズ、瓶の口に被せて押し込んで行くと、中からカエルの顔がビンの上部に、にょっきりと出て来るというおまけつきだった。


うちには緑色のカエルと橙色のカエルの2パターンがあったのを覚えている。


ちなみに缶を密閉出来る、「缶ピタくん」という便利グッズも売られていたのだが、なぜかうちにはなかった・・・・・・。


そんな中、1982(昭和52)年になって、ようやく清涼飲料水の容器にペットボトルが採用される。


しかし、そうはいっても、当時のものは、1.5リットルや2リットルなど、大きなサイズばかりだった・・・・・・。


また、当時の炭酸飲料のペットボトルの特徴として、ボトルの底を覆うようにして、プラスチックのカップが付いていた。


これはボトルの成形技術が追いつかなかったためで、炭酸飲料はボトルの底を丸形にせざるを得なかったためといわれている。


カップがないと自立させることが不可能だったのだ・・・・・・。


ところで、なぜ当時のペットボトルは、大きなものばかりだったのだろうか。


これについては、ペットボトルのリサイクルシステムが未整備だったからで、500mlなど小型のものを作ると、ゴミが増加してしまうことから、飲料メーカー各社が自主規制をしていたのだ。


飲料メーカー各社が自主規制を撤廃したのは、1996(平成8)年のことで、このタイミングでペットボトルのリサイクルシステムが確立したことになる・・・・・・。


いまでは当たり前になっている、500mlのペットボトルだが、当時は雑誌で特集が組まれるほど、センセーショナルな話題となった。


そして500mlのペットボトルの登場で、ペットボトルを持ち歩く人が増えたり、会議室のお茶がペットボトルに変化したり、私たちの生活が少しずつ変化して行ったのである・・・・・・。



2025年7月 2日 (水)

「カレーアイス」と「すしアイス」

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昭和のお菓子は「攻めている」商品が多かった。


いまは「味や食感で勝負」している商品が多いが、昭和のお菓子はパッケージも含めた見た目でも攻めていたのである・・・・・・。


私が子供の頃、赤城乳業から、「カレーアイス」という、信じられないような商品が発売になっていた。


赤城乳業といえば、もはやいうまでもなく、ガリガリ君で有名なあの会社である。


赤城乳業がこんなに攻めた商品も出していたのかと後になって気付いて、とても驚かされたものである・・・・・・。


カレーアイスというくらいだから、バニラアイスの上にカレーがかけてあるのを想像してしまうのだが、実際のところは、カレーに見立てたチョコレートがかけてあったのだった。


しかも、このカレーに見立てたチョコレートは、「甘口」と「中甘」の2種類があって、パッケージにもしっかりと書かれていた。


ちなみにパッケージに書かれていた注意書きによると、「中甘」はハーフビターチョコ味なのだとか。


どうでもいいが、ビターチョコ味のハーフとは、いったいどういう意味なのだろうか・・・・・・。


で、このカレーアイス、楕円形をしたカレー皿を模した容器に入っていた。


そして、パッケージ中央には、「カレーアイス」という商品名が赤字で配置され、右端に「中甘」、もしくは「甘口」のいずれかの表示がされていた。


そしてパッケージ上部には緑色の文字で、「古代インダス文明も、まっ青!」と意味不明なことが書かれていた・・・・・・。


そしてパッケージの左側には、金髪で黒髭の上半身裸の謎の男が、あぐらをかいて座っているイラストが描かれていた。


そして彼は、「赤城亭」という緑色の看板(?)を掲げているのだ。


また、彼の足の前には、壺と笛が置かれていて、その様子からして、どうやら彼は、「蛇使い」のようである。


インドといえば「蛇使い」というのが、昭和の子供たちの間に定着した、間違ったイメージだったのである・・・・・・。


と、そんなわけで、色々とつっこみどころ満載のカレーアイスだったのだが、子供たちの間では、「え~!」と思いながらも、カレーの味や香りをどこかで求めていたところがあって、買って食べてみて、「何だカレーじゃないじゃん」と、がっかりしている者が一定数いたものだ。


逆に本当のカレー味だったら、「アイスにカレーはないだろう~」と文句をいうくせに、何をほざいているんだ、このクソガキは!といったところである。


しかし、100個に1個くらいは、「当たり」として、本当のカレー味を入れてみても面白かったのではないだろうか。


そんなカレーアイスだったのだが、みなさんもご存知の通り、とっくの昔に終売になっており、是非とも復刻販売をしてもらいたいな~と思う次第である・・・・・・。


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攻めているアイスといえば、にぎり寿司の見た目をした、「すしアイス」も衝撃だった。


すしアイスを発売していたのは、あずきバーでお馴染みの井村屋で、カレーアイスの時と同様に、その意外さにとても驚かされたものである。


すしアイスのパッケージは、斜めに大きく、「にぎり寿司」という文字が配置されていて、これがとにかく目立っていて、パッケージの右上部に書かれていた、「すしアイス」という文字を打ち消すほどの効果があった・・・・・・。


ちなみにこのすしアイス、マグロのにぎりとたまご焼きのにぎりの2個入りで、パッケージには2貫並べたイラストが描かれていた。


それにしても、どういう理由でマグロとたまご焼きのネタがチョイスされたのか、その理由を知りたいところだ・・・・・・。


当たり前の話だが、このすしアイス、本当にマグロやたまご焼きの寿司の味がするわけではなく、あくまでも中身は普通のアイスである。


アイスをにぎり寿司の見た目にして、はたして子供たちの購買意欲を書き立てられるのかといったら、かなり疑問ではあるのだが・・・・・・。


きっと現代だったら、企画の段階で却下になっているだろう。


それでも勢いのまま発売してしまった昭和のあの頃って、すごい時代だったんだな~と改めて思う・・・・・・。


(画像上、雑木林の窪地で咲くアジサイの花・・・・・・。画像下、一般的なアジサイとは花の形が違うカシワバアジサイの花・・・・・・)



2025年5月21日 (水)

パンチガム

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▲板ガムが売れていた当時、果物の味がするガムがたくさん発売されていた。果物の味がするガムは、とても爽やかな香りがして人気だった・・・・・・。

昭和の頃、ドッキリグッズが流行っていた時期があった。


最も有名なのは、駄菓子屋でも売られていた、「パンチガム」ではないだろうか。


パンチガムは当時主流だった、板ガムの形をしたおもちゃで、ロッテから発売になっていた、板ガムのパッケージにそっくりな商品だった・・・・・・。


1980年代は板ガムが売れに売れていた時代で、ロッテからじつに多くの種類が発売されていた。


現在でも根強く生き残っているミント系のガムはもちろん、瑞々しいフルーツの味と香りを再現したものや、コクのあるコーヒー味のものまであった・・・・・・。


パンチガムはそんな板ガムのパッケージに見た目がそっくりで種類も複数あった。


ここまでそっくりだと、ちょっと問題になりそうだが、ちゃんとロッテに許可を取っていたのかどうかは、かなり怪しいところだ。


少々のことでは問題にならないのが、昭和という時代だったのである・・・・・・。


パンチガムはおもちゃなので、食べること(噛むこと)は出来ない。


板ガムを見たこともない、現代の子供たちは、「ガムのおもちゃ」などと言われても、きっと、どうやって遊ぶのか、想像もつかないのだろう・・・・・・。


じつはパンチガムは、購入した時点で、すでに封が開いていて、パッケージの口の部分から、中の板ガムがちょっとだけ見えていた。


当時はこの状態で、シャツや上着のポケットにガムを入れている人が多かったので、パンチガムもこのままポケットに忍ばせておけば、何の違和感もなく、怪しまれることもなかった・・・・・・。


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▲ドッキリグッズの「パンチガム」は、ロッテの板ガムのパッケージをそのまま使っているんじゃないかと思うほど、見た目がそっくりだった・・・・・・。

そしておもむろにパンチガムを取り出して、友達に「1枚あげるよ」と差し出すのである。


すると友達は、「どうもありがとう」と、板ガムを1枚摘まんで、パッケージの口の部分から、スーッと引き出すことになるわけだ。


するとダミーの板ガムに仕掛けられていたバネが作動して、「バチン!」と金具に指を挟まれてしまうというドッキリグッズだった・・・・・・。


で、このバネがけっこう強力で、当時のものは、思わず反射的に手を引っ込めてしまうほど痛かった。


「当時のもの」と書いたのは、パンチガムは現在も類似品が売られているためで、こちらはバネがゆる~く改良されており、指を挟まれても、痛くも痒くもない。


規制が厳しくなった現代では、痛いと感じる時点でアウトのようで、そのようなソフトなものしか、販売することが出来ないらしい。


しかし、これではドッキリグッズでも何でもなく、ドッキリを仕掛けた方も、騙された方も、ただ、ただ、気まずい空気が流れるだけである。


現代の子供たちの間で、パンチガム(類似品)が流行らない原因のひとつは、バネが弱くなり、面白くなくなったことに、その原因があると思う・・・・・・。


ところでこのパンチガムは、大人版としてたばこバージョンも売られていた。


現象としてはパンチガムと全くいっしょで、たばこを箱から引き出すとバネが作動して、金具に「バチン!」と指を挟まれるのである・・・・・・。


私はこのたばこバージョンの存在を知ったのは大人になってからで、当時は見たことも、聞いたこともなかった。


だからどこで売っていたのかも、未だによく分からないままだ。


少なくとも、駄菓子屋には置いていなかった(そりゃそうだろう)・・・・・・。


また、このたばこバージョンは、指を金具に挟まれるものの他に、たばこを取ろうとした瞬間に、たばこがものすごい勢いで、箱から飛び出して来るというものもあったそうだ。


これはたばこの箱にボタンが付いており、これを押すことで、たばこが発射される仕組みになっていたようだ。


このように昭和の頃は、ドッキリグッズがプチブレイクしていたのだが、最近はこのようなグッズは、ほとんど見かけなくなってしまい、何とも寂しい限りである・・・・・・。






2025年5月14日 (水)

アイスバーガー

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▲「アイスバーガー」はとっくに終売になっていて、現在ではもう買うことが出来ない。いま買うことが出来るアイスで、「アイスバーガー」に最も近いビジュアルといえば、こちらの「パリパリサンド」ではないだろうか・・・・・・。

昭和のお菓子は攻めている商品が多かった。


いまは「味や食感」で勝負している商品が多いが、昭和のお菓子はパッケージも含めた見た目でも攻めていたのである・・・・・・。


個人的に印象に残っているのは、森永から発売になっていた「アイスバーガー」だ。


名前からも想像出来るように、アイスバーガーは、「アイスが挟まっているハンバーガー」だった。


しかし、ハンバーガーといっても、アイスをバンズで挟んだだけというわけではなかった。


個人的にはそれはそれで食べてみたい気はするのだが・・・・・・。


で、アイスバーガーのビジュアルなのだが、「ハンバーガーというよりもチョコパイに近い感じ」といえば、分かってもらえるだろうか。


早い話がパッケージから出してすぐの状態は、「真っ黒いつるんとした物体」なのである・・・・・・。


で、「アイスバーガー」なので、中に挟まれているのは、いうまでもなくアイスなのだが、それを挟んでいるのは、先ほども書いた通り、バンズではなかった。


じつはアイスバーガーのアイスはスポンジで挟まれていたのである。


そしてそのスポンジをチョコでコーティングしていたというわけだ・・・・・・。


ちなみにアイスの方には、細かく刻まれたりんごが混ぜ込まれていて、爽やかなチョコレートケーキという印象だった。


また、りんごのシャクシャクとした食感がいいアクセントになっていたように思う・・・・・・。


こうしてアイスバーガーのビジュアルを見て行くと、「これのどこがハンバーガーなの?」と思うかもしれない。


本当にその通りなのだが、じつはアイスバーガーには秘密があったのだ・・・・・・。


昭和生まれの世代だったら、マクドナルドのハンバーガーが、発泡スチロール製の立体的なパッケージに入っていた時期があったのを、ご存知ではないだろうか。


発泡スチロール製のパッケージは、1978(昭和53)年から1990(平成2)年までの、約12年間使われていたので、きっとご存知のかたも少なくないと思う。


ちなみに全ての商品に使用されていたわけではなくて、ビックマックやフィレオフィッシュなど、特定の商品に限定で使われていた。


紙製のパッケージと比べると、発泡スチロール製のパッケージは高級感があったので、何だかちょっと贅沢をしているような特別感があって、嬉しかったものである・・・・・・。


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▲「パリパリサンド」は、「アイスバーガー」と同じ森永製菓が出している商品だ。「アイスバーガー」はスポンジでサンドされていたが、「パリパリサンド」はビスケットでサンドしている・・・・・・。

で、森永のアイスバーガーは、このマクドナルドの発泡スチロール製のパッケージに、そっくりな容器に入れられて販売されていたのだ。


ちなみにビックマックは薄い茶色のパッケージに「BIC MAC.」。


フィレオフィッシュは水色のパッケージに、「FILET-O-FISH」の文字が刻まれていた。


そして森永のアイスバーガーは、橙色のパッケージに、赤いラインが斜めに入れられたデザインで、カタカナで「アイスバーガー」と記されていた。


容器の形はマクドナルドのものといっしょで、子供にはそれがなんともおしゃれで格好よく感じられた・・・・・・。


ちなみに私は子供の頃、牛肉が苦手だったので、ハンバーガーはほとんど食べなかったのだが、マクドナルドの発泡スチロール製の容器は欲しくて、「マックに行きたい」と親に頼んだことがあったのだが、親からは「あんた牛肉食べないでしょ」と鼻であしらわれ、悔しい思いをしたことがあった。


しかし、アイスバーガーの方は、私の得意とするところであり、もう「食べないでしょ」とはいわせない。


そんなわけで、当時うちには、アイスバーガーの容器がゴロゴロあった・・・・・・。


で、このアイスバーガーの容器だが、ただコレクションしていたというわけではなく、中にはガチャポンの中身や、お菓子のおまけなどを入れて保管していた。


ある日、使っていた容器がいっぱいになったので、新しい空の容器に入れようと蓋を開けると、中に洋服のボタンが大量に入っていて、「うわぁ!」などと、思わず声が出るほど驚いたことがあった。


どうやら母の仕業らしい。


先日は「そんなに空の容器を取っておいてどうするのよ」などと、文句を言っていたくせに、自分もちゃっかり活用しているではないか・・・・・・。



2025年4月 9日 (水)

レコードの思い出

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昭和を語るうえで外せないものの1つにレコードがある。


私が子供の頃は、レコードからCDへ移行する過渡期だったので、実際にレコードを手に取っていたのは、小学生の頃までだったと思う・・・・・・。


ひとくちにレコードといっても、大きさや見た目の違うものが数種類あった。


レコードの時代にちょっとでも引っかかっている人ならば、「LP盤」、「EP盤」、「7インチシングル」なんて言葉を聞いたことがあると思う。


ちなみに「LP盤」とは「Long Play」の略で、曲数のあるアルバム用、「EP盤」は「Extended Play」の略で、1~2曲のシングル用。


「7インチシングル」は呼び方の違いで、「EP盤」と同様のものと思ってよい・・・・・・。


レコードは大きさにも違いがあって、「LP盤」は12インチの大盤で30㎝。


「EP盤(7インチシングル)」は、7インチと小さくて、大きさは17㎝と決まっていた。


「EP盤」のレコードは、プレーヤーにセットするための中央の穴が大きくて、「ドーナッツ盤」とも呼ばれていた。


むしろこちらの呼び名で覚えているかたの方が多いかも知れない・・・・・・。


いったい何でこんな大きな穴を開けてあるのかというと、もともとはジュークボックスなどのオートチェンジャーで、1曲ずつ連続演奏する用途を想定して企画されていたためで、穴はその時の名残ということになるだろう。


子供の頃は、そんな歴史なんて知る由もなく、ただ単にレコードの面積を小さくして、収録曲を減らして、値段を安くしているのだろうなんて、「上げ底」的なメーカーの悪巧みを疑っていたものである・・・・・・。


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で、ドーナッツ盤のレコードをプレーヤーで聴くためには、中央の穴を塞ぐように固定するアダプター(円盤)が必要だった。


アダプターは穴とピッタリサイズになっていて、これがないとレコードが安定せず、まともに曲を聴くことが出来なかった・・・・・・。


アダプターはプレーヤーに付属されていたが、小さなものなのでなくしやすく、使いたいときに、「あれ、どこにやったかな・・・?」なんてこともしばしばあった。


たいていの場合は、レコードをプレーヤーから外す時に、近くの本棚などにヒョイと置いて、そのまま忘れてしまっていたということが多かった・・・・・・。


また、アダプターは円盤状なので、うっかり落とすと、コロコロと転がって、家具と家具の隙間に入ってしまい、その瞬間から、それを掻き出すための棒探しが、家族総出で始まるのである。


私はこのアダプターについても、「わざわざなくしやすい形状のものを作って、何度も買わせようとするメーカーの悪巧みに違いない」と、子供ながらにずっと思っていたものだ


どうでもいいがいやな子供である・・・・・・。


ところでレコードといえば、昭和の頃に「レコード形のチョコレート」というのが売られていた。


明治製菓が発売していた「マイレコード」は、その名の通り、レコードの形をしたチョコレートで、本物のレコードの中央部分(タイトルなどが書かれているシールが貼られている部分)には、ホワイトチョコレートが使用されていた・・・・・・。


そして特筆すべきは、明治のマイレコードには、なんとおまけのソノシートまで付いていたのだ。


ちなみにソノシートとは、塩化ビニール製のペラペラのレコードで、当時は子供向けの雑誌の付録としてよく付いて来ていた・・・・・・。


風で飛んで行ってしまうくらい、ペラペラのレコードだったが、ちゃんとプレーヤーで音楽を聴くことが出来た。


そして驚いてしまうのは、そのおまけのソノシートは、なんと全12種類もあったのだそう。


ちなみに私は、おまけのソノシートの内容は残念ながら全く覚えていない・・・・・・。


「明治マイレコード」は、1979(昭和54)年の発売で人気だったのだが、なぜか数年で終売となってしまった。


おまけに力を入れすぎて、赤字だったのだろうか・・・・・・。


(画像上、咲き誇る満開の桜も、そろそろ見納めか・・・・・・。画像下、白花のスミレが歩道に沿うようにして群落を作っていた・・・・・・)






2025年3月26日 (水)

マリブのさざ波

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▲じつはガーナリップルは、昭和の頃に終売になってしまった、「マリブのさざ波」というチョコレートを、リニューアルして再発売したものだ・・・・・・。

以前、昭和の頃に発売されていた、「霧の浮舟(ロッテ)」というチョコレートをご紹介した。


まるで映画や小説のタイトルのような名前で、お菓子らしくない、かっこいいデザインのパッケージとも相まって、大人なノスタルジックな雰囲気漂うチョコレートとして記憶に残っている。


じつは昭和の頃、ロッテからはこのようなナイスなネーミングなチョコレートが他にも発売されていた・・・・・・。


「マリブのさざ波」というチョコレートがそれで、「霧の浮舟」と同様にパッケージのかっこよさが際立っていた。


「マリブのさざ波」のパッケージはお菓子らしくない焦げ茶色で、中央に2つ並べたチョコレートの画像が配置され、その左側に「Petite Vague du Marib」の文字。


そして画像の右側には、「Milk chocolete ”Pretzel"type」の文字。


そしてパッケージの右下に小さく、「マリブのさざ波」と記されていた・・・・・・。


例えるなら、まるで昔の洋物たばこのパッケージのような渋いデザインだった。


ちなみにパッケージの左側に記されている文字の意味についてだが、Petiteは「小さな」、Vagueは「波」、duは「の」、Maribは「マリブ」で、直訳すれば、「小さな波のマリブ」となる・・・・・・。


で、肝心のチョコレートについてだが、これについては、「マリブのさざ波」という商品を知らない世代も、よく知っている特徴的な形状をしている。


「どういうこと?」と思われるかもしれないが、説明を聞いてもらえば、きっと納得出来ると思う・・・・・・。


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▲ガーナリップルは絞り器で細く絞り出したチョコレートをハート形に仕上げてある。じつはこの特徴的な形は「マリブのさざ波」のチョコレートそのものなのだ・・・・・・。

ちなみに「マリブのさざ波」は、1979年に発売されたチョコレートで、理由は定かではないが、比較的早い段階で終売になってしまっている。


ところが2004年にリニューアルされ、再発売になった際には、「ガーナリップル」と名前が変更になっていた。


「マリブのさざ波」を知らなくても、「ガーナリップル」は多くの人が知っているのではないだろうか・・・・・・。


では、なぜ名前の違う「ガーナリップル」が「マリブのさざ波」のリニューアルなのかというと、じつはこの2つの商品は、中身のチョコレートの形状がそっくりなのである。


「絞り器で細く絞り出したチョコレートを、ハート形に仕上げてある」と書けば、すぐにイメージ出来るのではないだろうか。


「マリブのさざ波」は、このハートのような形状のチョコレートを、「さざ波」に例えていたということなのだろう。


「マリブのさざ波」を知らない世代からしてみたら、「ガーナリップル」のチョコレートの形状が、なんでこんな形になったのか、意味がさっぱり分からないと思うが、じつはこの形には、そんな知られざる歴史が隠されていたのである・・・・・・。


ところで、「マリブのさざ波」と「ガーナリップル」は、形はそっくりなのだが、チョコレートの味は全くの別物だったように思う。


「ガーナリップル」はいうまでもなく、「ガーナチョコレート」の味である。


一方の「マリブのさざ波」は、子供向けのミルクチョコレートというよりも、少し大人向けのビターな感じのチョコレートという印象だったように思う。


お菓子の外箱らしくない、渋い大人向けのパッケージがそう感じさせていたのかもしれない・・・・・・。


ちなみに「マリブのさざ波」のキャッチコピーには、「さざ波のようにデリケートなおいしさ。チョコレートの洗練された美しいカタチ。とろけるようなまろやかさと、さわやかなあと味を追求して生まれた新しいタイプの高級チョコレートです。おいしさがさざ波のようにひろがっていきます」とある。


一方、「ガーナリップル」のキャッチコピーは、「パリッ、トロッと優しい味わい、ガーナリップル新登場!せん細なチョコの形状から、英語で『さざ波』を意味するリップルと名づけられました。カカオが香る、ミルクがきわ立つ、研ぎ澄まされたチョコレートの味わいをお楽しみください」とある。


もはや疑いようもないだろう。


やはり「ガーナリップル」は「マリブのさざ波」の歴史がぎっしり詰め込まれたチョコレートだったのだ・・・・・・。


2025年2月 5日 (水)

霧の浮舟

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▲誰もが知っているカプリコは、チョコレートのジャンルでいうと「エアインチョコレート」になる・・・・・・。

「霧の浮舟」をご存知だろうか。


まるで映画のタイトルのようで、「どんな作品だったかな~」と、記憶の引き出しを開けて、探し物を始める人もいるかもしれない。


しかし、「霧の浮舟」は映画のタイトルではない。


「じゃあ、ベストセラーになった小説では?」と思うかも知れないがそれも違う。


では、いったい何なのかというと、「霧の浮舟」とは、1980(昭和55)年にロッテから発売になった、板チョコレートの名前だったのである。


とてもチョコレートとは思えない、センスあるネーミングといえるだろう・・・・・・。


「霧の浮舟」は商品名だけではなく、パッケージも秀逸で、真っ黒の地色のパッケージに、小舟が浮かぶセピア色の光景が描かれていて、それに合わせるように、「チョコレート 霧の浮舟」という文字が、セピア色に抜かれて刻まれていた。


このように「霧の浮舟」は、パッケージもまるで映画のポスターや、小説の表紙のようで、とても格好良かったのである・・・・・・。


ところで、「霧の浮舟」は、チョコレート菓子のジャンルとしては、「エアインチョコレート」になる。


エアインチョコレートは、チョコレートの中に細かい気泡が無数に入っていて、口の中で自然にホロッと崩れて行き、ゆっくりとなめらかに溶けていく特徴がある。


現在でも売られているエアインチョコレートで、最も有名なのは、グリコのカプリコではないだろうか。


カプリコのチョコレートの食感をイメージしていただければ、「霧の浮舟」もイメージしやすいと思う・・・・・・。


ところで、「霧の浮舟」は、2005(平成17)年に生産が終了になっている。


ところが、「えっ、つい最近まで食べていた気がするけど・・・」という人が、なぜかけっこういるようなのだ。


これはいったいどうしてなのだろう・・・・・・。


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▲エアインチョコレートは、チョコレートの中に細かい気泡が無数に入っている。そして、この気泡が独特のクセになる食感を生んでいるのである・・・・・・。

じつは「霧の浮舟」は、2009(平成21)年と2013(平成25)年に復刻販売されている。


2009(平成21)年は、期間限定販売だったので、すぐに終売になってしまったが、2013(平成25)年は復活販売となり、ずっと販売されるものと思っていたのだが、結果的に2018(平成30)年に終売となってしまった。


買えるはずもない昭和のチョコレート菓子を、「つい最近まで食べていた気がする」と感じる人がいたのはこのためだったのだ。


特に2013(平成25)年からは、約5年間も販売されており、昭和の時代を知らない人にも、「霧の浮舟」を印象づけるには十分な期間だったといえるだろう・・・・・・。


ところで、ロッテのエアインチョコレートといえば、「赤いやつじゃないの?」という人もいる。


「赤いやつ」とは2005(平成17)年にロッテから発売された「Airs」のことだろう。


「霧の浮舟」は手で割って食べる板チョコレートだったが、「Airs」は板チョコ型のパッケージに入ってはいたが、はじめからひとくちサイズに分割されていた・・・・・・。


また、「Airs」は「霧の浮舟」と同じエアインチョコレートだったが、「霧の浮舟」よりも気泡が細かく作られていて、食感はまるで違っていた。


どちらがいいかは好みの問題だが、個人的には気泡の荒い「霧の浮舟」のフワフワした感じがとても好きだった。


舌の上に乗せたチョコレートのフワフワとした食感は、個人的にはとても心地よく感じられ、その感覚をじっくりと楽しんでいると、チョコレートがスーッとなめらかに溶けていくのが感じられたものである。


そのイメージは正に、パッケージの浮舟のイラストそのもので、「ああ、そういうことなのか!」とひとり納得している自分がいたのだった。


「霧の浮舟」はひとくち食べてみて、初めてそのネーミングの意味が分かる、エアインチョコレートだったのである・・・・・・。




2024年12月19日 (木)

「プリンミクス」と「プリンエル」

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▲じつは「プリンミクス」は、現在も売られている超ロングセラー商品だ。発売はなんと1964(昭和39)年だった。右は100円ショップで手に入るプチサイズ・・・・・・。

私が子供の頃、プリンはお店で買って来て食べるものというより、自宅でお母さんが作ってくれるものだった。


店ではグリコのプッチンプリンも売っていたし、買って食べてもいたのだが、それよりも家で作っていたプリンの方が、強く印象に残っている・・・・・・。


家でプリンを作るなんていうと、「面倒くさそう」と思われるかたも少なくないと思う。


ところがどっこい、全然面倒くさくなかったのである。


なぜかというと、当時はハウスから、「プリンミクス」というプリンを家で手軽に作ることが出来るプリンの素が発売されていて、これがちょっとしたブームになっていたのだ。


ちなみにプリンミクスは、卵や牛乳などを準備する必要もなく、プリンの素をお湯と水で溶いて、冷蔵庫で冷やすだけで、簡単に作ることが出来た。


「プリンミクス」は1964(昭和39)年の発売で、なんと現在もスーパーに行けば売っている、超ロングセラー商品なのである。


半世紀も売られ続けているということは、やっぱり「プリンミクス」はよい商品ということになるだろう・・・・・・。


ところでこのハウスから発売になっていたプリンの素は、じつは2種類あった。


赤いパッケージの「プリンミクス」と、橙色のパッケージの「プリンエル」がそれである。


ちなみにプリンエルは、1988(昭和63)年の発売である・・・・・・。


で、当時はテレビCMも流れていたのだが、CMではプリンミクスとかプリンエルという商品名は使わずに、「ハウスプリン」と表現していたので、2種類の商品があるということを、分かっていない人も少なくなかった。


それもそのはず、プリンミクスとプリンエルは、パッケージもそっくりで、どちらも中央にドカンと大きなプリンの写真が自己主張していた・・・・・・。


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▲こちらは牛乳で作る「プリンエル」。プリンミクスから遅れて1988(昭和63)年に発売になった。プリンミクスと同様に現在も売られている超ロングセラー商品である・・・・・・。

では、このプリンミクスとプリンエル、何がどう違っていたのだろう?


じつはこれについては、プリンミクスは「お湯と水で作る」、プリンエルは「牛乳で作る」という明確な違いがあった。


ちなみに我が家では、母がプリンの素を牛乳で溶いて作っていた記憶があるので、プリンエルを使っていたのだろうか。


しかし、私には母が「プリンの素は牛乳で溶いた方が美味しいんだって」と言っていた記憶もあって、そう考えるとお湯と水で溶いて作るプリンミクスを、あえて牛乳で溶いて作っていたとも考えられるのだ。


いまとなっては確かめようもないのだが、牛乳で溶いて作るプリンは、とても美味しかったのを覚えている・・・・・・。


で、このプリンの素、水や牛乳で溶いて完成というわけではない。


それではただのプリン味の飲み物である。


そこでこのプリン味の液体を型に流し込み、冷蔵庫に入れて固める必要があるわけだ・・・・・・。


で、当時はハウスのプリンの素が大人気だったこともあって、どこの家にもプリンを固めるためのアルミの容器(型)が常備されていた。


このプリンの型に、プリン味の液体を入れて、冷蔵庫に入れて、1時間以上冷やせば、プリンが完成となるのだが、当時子供だった私は、「まだか、まだか・・・」と、気になって仕方がなくて、何度も冷蔵庫を開けては、プリンが固まっていないか確認していたので、冷蔵庫の温度が思うように下がらず、なかなかプリンが固まらなかった。


あげくのはてには、まだ半分しか固まっていないプリンを取り出し食べようとして、母に何度も怒られていたものである・・・・・・。


ところでこのプリンを固めるためのアルミの型だが、現在では売っているのを、ほとんど見かけなくなってしまった。


いまではプリンは、「店で買って来て食べる」のが主流となって、家で作る人は少なくなってしまったのだろう。


当時を知るものとしては、なんだかちょっと寂しく感じて、ついつい遠い目になってしまう・・・・・・。


2024年11月 7日 (木)

シャーベット

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私が子供の頃、駄菓子屋さんやお菓子屋さんに置いてあるアイスの冷蔵ケースには、アイスクリームやかき氷といっしょに、シャーベットが必ず入っていた。


私はシャーベットの「シャクシャク」という食感が好きで、当時はよく買って食べていた記憶がある・・・・・・。


当時シャーベットは、複数のメーカーから発売になっていたが、どこのメーカーのものも、なぜかオレンジとメロンの2種類のラインナップだった。


当時は何の疑問も抱かずに食べていたのだが、なぜ味のバリエーションが、オレンジとメロンだけだったのか、いま考えるとちょっと謎である。


ちなみに私は子供の頃、メロン味のシャーベットやアイスがちょっと苦手だったので、実質はオレンジの1択だった・・・・・・。


当時はメロンといえば、高級品のイメージがあり、「メロン味を選ばないなんてどうかしてる」とまでいわれたものだが、私にいわせれば、「これのどこがメロンなんだよ」の一言に尽きる。


ちょっと冷静になって、よく考えてみて欲しい。


その「メロン味」と呼ばれているものは、本当にフルーツのメロンの味がするだろうか。


もしかして、その色と香りに、騙されてはいないだろうか。


「メロンといえば緑色だろう」といわれるかもしれないが、シャーベットのメロン味の色は、まるで絵の具で着色したような人工的な色で、フルーツの瑞々しい色にはとても見えなかった。


それに緑色というのは、どうも食欲がそそらない色で、個人的にはオレンジとメロンが並んでいたら、手に取るのはやはりオレンジの方だった・・・・・・。


また、私はメロン味のシャーベットの「あと味」というか、食べた後に口の中に残る「あと香り」がどうも苦手で、そのこともメロン味を敬遠していた理由のひとつだった。


フルーツのメロンには、あのような「あと味」ならぬ「あと香り」はないのだ。


本物のメロンを使わずに、メロンの味を再現した結果がこれなのだろう・・・・・・。


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ところで当時は、シャーベットは複数のメーカーが発売するほど定番の商品だったのだが、どこの店へ行っても必ず見かけたのが、メイトー(共同乳業)から発売になっていた、「シャーベットメイト」だった。


きっとメイトー(共同乳業)が発売しているシャーベットだから「シャーベットメイト」だったのだろう。


何とも分かりやすくて、好感が持てるネーミングと言えよう・・・・・・。


当時シャーベットは、どこのメーカーのものも、カップアイスとして発売になっていた。


現在のカップアイスは、上蓋をパカッと開けると、ビニールのフイルムで内部が密封されていて、そのフイルムを剥がすことで、ようやく中身のアイスにたどり着く。


ところが昭和のカップアイスは、内部を密封するフイルムはまだ付いていなかった・・・・・・。


そして上蓋も現在のように容器に被せるタイプではなくて、容器の内径にピッタリサイズの落とし蓋を、アイスの上に乗せてあるだけだった。


で、蓋を取るときは、落とし蓋に付いているベロ(つまみ)を摘まんで、上に持ち上げるようにしながら外していた・・・・・・。


また、昭和の頃は、アイスの冷蔵ケースの性能があまりよくなくて、冷却温度にかなりムラがあった。


このため溶けたアイスが、落とし蓋の隙間から出て来てしまい、それが再度冷やされて固まったと思われるものが、しばしば見られた。


子供の頃は、そのはみ出たアイスを「おまけ」と呼んでいて、おまけ付きのカップを見つけた時は迷わずそれを選び、得をしたような気分になっていた・・・・・・。


いま考えれば、落とし蓋式の蓋の時点で、不衛生なことこの上ないのだが、当時はそれが当たり前で、特に問題になるようなこともなく、健康被害があったなんて話も聞いたことなかった。


そんな時代だったので、当然カップアイスの「おまけ」の部分も、ありがた~くいただき、「次回はもっと、おまけの量が多いやつを探し当てたいよな!」などと、友達と息巻いていたものである・・・・・・。


(画像上、酉の市が始まった・・・・・・。画像下、色とりどり、大小様々な熊手が並ぶ・・・・・・)





2024年10月20日 (日)

パーマンポテトチップス

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▲ポテトチップスに付いていたカードとぴったりサイズの袋の内側に、「当たり」の文字が出るともらえたカードアルバム・・・・・・。

カルビーのカード付きポテトチップスといえば、昔から「プロ野球チップス」が定番だった。


じつは1980年代には、このカード付きポテトチップスは、様々な種類のものが発売になっていた。


そしてそれは、スポーツというジャンルにとらわれず、アニメのキャラクターを採用した商品も多数発売されていた・・・・・・。


1980年代といえば、子供たちに藤子不二雄の作品が人気で、ドラえもんや忍者ハットリくん、パーマンなどが、テレビで次々と放映されている時代だった。


で、カード付きポテトチップスの方も、その人気にあやかって、ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマンなどの絵柄のものが、毎年のように発売になっていた・・・・・・。


最初に発売されたのは、やはり藤子不二雄の代表作のドラえもんだったが、1979(昭和54)年の発売当時は、「ドラえもんスナック」という商品名だった。


で、その2年後の1981(昭和56)年に発売になったのが、「忍者ハットリくんポテトチップス」だった。


そしてその2年後の1983(昭和58)年には、「パーマンポテトチップス」が発売になっている・・・・・・。


で、その翌年の1984(昭和59)年には、「ドラハッパーポテトチップス」が発売になるのだが、今となっては、「ドラハッパー」なんていっても、何のことやらさっぱり分からないという人の方が多いのではないだろうか。


じつは「ドラハッパー」とは、ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマンを合わせて、そのように呼んでいたのだ。


アニメでは絶対に共演することのない彼らが、ポテトチップスのカードの中では、夢の共演を果たしており、当時の子供たちは、ワクワクしながら、カードの袋を開封していたものである・・・・・・。


そして、「ドラハッパーポテトチップス」発売の翌年の1985(昭和60)年には、「オバQポテトチップス」が発売になるのだが、なぜかこの商品だけはカードが付いておらず、店のおばちゃんに、「カードは付いて来ないの?」と聞いている子供がたくさんいたものだ・・・・・・。


さらにその翌年の1986(昭和61)年には、「5きげんチップス」が発売になった。


ちなみに「5きげん」とはなんのことかというと、「ドラハッパー(ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマン)」に、オバケのQ太郎とプロゴルファー猿を加えたものを、「5きげんクラブ」と呼ぶようになり、「5きげんクラブ」のポテトチップスということで、「5きげんチップス」と命名されたようだ。


前年発売の「オバQポテトチップス」は、カードが付いていなかったことが不評だったのか、「5きげんチップス」から再び、カードが付属するようになった・・・・・・。


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▲カードアルバムの内側はこんな感じで、48枚のカードをコレクションすることが出来た。ちなみに上の画像の面は、カード6枚分あって、折りたたまれて収納されている・・・・・・。

で、この藤子不二雄作品のポテトチップスシリーズは、1袋につき、カードが1枚付いて来た。


私の記憶では、確か当時はポテトチップスの袋に、カードは貼り付けられていなくて、ポテトチップスを買うと店のおばちゃんが、「はい」とカードを手渡ししてくれていたように思う・・・・・・。


カードはピッタリサイズの袋に入っていて、中のカードの絵柄は分からないようになっていた。


で、この袋をハサミで切って、中のカードを取り出すのだが、じつはこの袋、ただのカードのカバーというわけではなくて、袋の内側に「当たり」の文字がプリントされていることがあったのだ。


そして、その「当たり」を葉書に貼ってカルビーに送ると、カードを収納することが出来る、「カードアルバム」をもらうことが出来た・・・・・・。


このアルバムには、48枚のカードをコレクションすることが出来たのだが、カードの種類はなんと100種類以上あったそうで、とても1冊のアルバムに収められる量ではなかった。


付属のカードは表面は漫画の1コマがカラーイラストで描かれていて、裏面は白黒のイラストに簡潔な文章が添えられる形で、そのシーンについての解説が書かれていた。


当時の子供たちは、これを読むことで、友達よりも物知りになれたような気がして、ちょっとした優越感に浸ることが出来たのだった。


だからいざ袋を開ける時には、「友達が持っていないカードが出ますように」と、毎回祈るような気持ちで、ドキドキしながら開封作業を行っていたものだ・・・・・・。


で、先ほども書いたように、カードの種類は100種類以上あったので、普通に考えたら、そうそうダブることはないと思うのだが、不思議なもので、同じカードが2枚、3枚と集まることもよくあった。


また、同じカードが出たので、友達に「カードを交換しないか?」と持ちかけると、友達がダブっているカードも、なぜか自分と同じカードだったなんてことも、しばしば起きていた・・・・・・。


ここまで来ると、もはや奇跡としかいいようがない。


それともカードによって、出やすいカードと、そうでないカードがあって、出現率が調整されていたのだろうか。


しかし、当時はそんな話は1度も聞いたことがなかったし、もし、レアカード的なものが存在していたとしたら、子供たちはもっと熱狂して、カード集めが大ブームになっていたことだろう。


で、私は幸運にも「当たり」が出て、カードアルバムをもらうことが出来たのだが、そのアルバムに収めるカードの方はというと、前述のようにダブりがたくさん出て、結局のところ、アルバムの半分も集めることが出来なかったのだった・・・・・・。



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