「謎フレーズ探偵」ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 ④
「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」
やめてよして触らないで
垢がつくから
あんたなんか嫌いよ
顔も見たくない(フン)
これは多くの人の記憶に残る、オーソドックスな歌詞の「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」だ。
そして前回はこの基本の歌詞から大きく変化した、「人の名前の羅列型の歌詞」についてご紹介をした。
その一例がこちらになる(↓)。
「人の名前の羅列型の歌詞」
やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
フランシスコザビエル
顔は志村けん
で、この「人の名前の羅列型の歌詞」は、私が学生時代を過ごした昭和50~60年代以降も、時代ごとに少しずつ歌詞を変えながら、小中学生の間で代々歌い継がれて行ったらしいのだ。
そこで今回は、私が小中学生の頃には聞いたことがなかった歌詞のものを、いくつかご紹介してみたいと思っている・・・・・・。
「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 J」
やめてよしこ沢田研二
赤川次郎
あんたなんか志村けん
顔はペプシマン
前回も書いた通り、「人の名前の羅列型の歌詞」は、前半の歌詞が「やめてよしこ 沢田研二 赤川次郎」と歌われるものが基本形になる。
これは元の替え歌の、「やめてよして触らないで垢がつくから」の「音」に合わせた歌詞の置き換えである。
そして今回注目すべきは、後半の歌詞の「あんたなんか志村けん顔はペプシマン」だ。
「志村けん」の部分については、私が小中学生の頃にも歌われていたので、伝統を引き継いだ形になるのだが、最後の「ペプシマン」については、当時は聞いたことがなかった。
というのも、「ペプシマン」自体がまだ世に出ていなかったのである。
ちなみに「ペプシマン」とはペプシコーラのCMキャラクターとして日本で発案され、1996(平成8)年3月からテレビCMに登場している。
ペプシマンは全身銀色のメタリックボディで、顔はツルツルでのっぺらぼうである。
だから歌詞Jでは、「あんたなんか志村けん」みたいだと言っているのに、「顔はペプシマン」と意味不明なことを言っていることになる・・・・・・。
「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 K」
やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
あんたなんかペプシマン
顔は清原
先ほども書いた通り、「人の名前の羅列型の歌詞」は、「やめてよしこ 沢田研二 赤川次郎」と歌われるのが基本形である。
これは元の替え歌から、「やめてよして→やめてよしこ」、「触らないで→沢田研二」、「垢がつくから→赤川次郎」と、音を合わせて歌詞が置き換えられていることからも明らかだ。
では、この夏目漱石バージョンはなんなのかというと、前半の歌詞がそのような理由によるものだと知らずに、ただ、人の名前を並べればいいだけだと思い込んだ当時の子供が、勝手にそのようにアレンジしてしまい、それが自然に広まって行ったものと思われる・・・・・・。
で、後半の歌詞だが、「あんたなんかペプシマン 顔は清原」と歌われている。
まず、「あんたなんかペプシマン」だが、ペプシマンはちょっとおまぬけなキャラクターなので、「あなたはペプシマンみたいに間抜けである」ということを言いたいのだろう。
そして「顔は清原」だが、これは言うまでもなく、元プロ野球選手の清原和博さんのことだろう。
清原さんは1983(昭和58)年4月から1986(昭和61)年3月までPL学園高校に在籍していた。
PL学園は甲子園の常連校だったこともあり、その当時から清原さんは一般に広く顔を知られていた。
しかし、歌詞にはペプシマンが登場していることから、ここで歌われている「顔は清原」は、高校時代のことを指しているのではなく、プロ入り後ということになるのだろう。
先ほども書いた通り、ペプシマンのデビューは1996(平成8)年のことである。
で、「あんたなんかペプシマン 顔は清原」の意味についてだが、「あなたはペプシマンみたいに間抜けで、顔は清原にそっくりである」という、なんだか褒めているんだか、けなしているんだか、よく分からない話になってしまっている・・・・・・。
「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌 L」
やめてよしこ沢田研二
夏目漱石
あんたなんか波平
顔はペプシマン
まず、「なぜ、主人公のサザエさんではなく波平なのか?」という疑問があるかと思うが、これについては、もともとこの歌は女子が男子に向けてうたう歌だからだ。
男子に向けて「あんたなんかサザエさん」というのは、ちょっとおかしいだろう。
そして見た目のインパクトも、サザエさんより波平の方が大きいし、歌われた男子の精神的ダメージは、きっとそれ以上のものがあるだろう。
そして注目すべきは、ここでも「ペプシマン」なのである。
どうやら1990年代は子供たちの間で、ペプシマンがブレイクしていたようである・・・・・・。
さて、4回に渡って書いて来た「ビビディ・バビディ・ブーの替え歌」だがいかがだったろうか。
今回、追いかけることが出来たのは、1990年代までだったが、もしかしたらこの替え歌は、その後も少しずつ進化しながら、歌い継がれているのかもしれない。
また、新たにその辺のことが分かったら、続きを書いてみたいと思っている・・・・・・。
(画像上、サザンカの花が見ごろになった。画像下、この時期の里山の林縁はカラフルな紅葉の道になっている・・・・・・)
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