カテゴリー「自然」の記事

2024年1月18日 (木)

蝶の知られざる習性

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▲ゴマダラチョウはカブトムシやクワガタムシといっしょに樹液に群がっているところをよく見かける・・・・・・。

蝶というとお花畑をヒラヒラと舞っている姿を思い浮かべる人が多いと思う。


なぜかといえば、蝶は花の蜜を主食としていて、蜜を吸うために花から花へと飛び回っているからだ。


その光景は優雅で美しく、アニメやドラマの世界では、のどかな風景を演出するために、あえてそんなシーンを挿入することもある。


また、写真や絵画の題材としてもよく使われていて、蝶は自然環境において、美しさや優雅さの象徴のように考えられている・・・・・・。


ところで蝶は花の蜜を主食としているが、花の蜜しか吸わないという訳ではない。


種類によっては、樹液や熟れた果実の汁を吸うものもいる。


例えば日本の国蝶であるオオムラサキやゴマダラチョウは、カブトムシやクワガタムシといっしょに樹液に群がり、彼らと場所争いを繰り広げながら、幹からにじみ出る樹液に口吻(ストロー状の口)を伸ばしている。


また、蝶は水も飲む。


里山を歩いていると、蝶が湿った路上に降りて来て、地面に向けて口吻を伸ばしている姿をしばしば見かける。


これはほとんどの場合オスで、ナトリウムを摂取するための行動といわれている・・・・・・。


ところで夏に野山を歩いていると、普段は人から一定の距離をとっている蝶がヒラヒラと寄って来て、身体にピタリと止まることがある。


胸にまるでブローチのように止まってみたり、本人も気付かぬままに、背中に密かに止まられていたり、まるで「ねえ、ねえ」と話しかけているように、顔をこちらへ向けて肩に止まっていたり、止まる場所にこれといった決まりはないようだ。


ただ1つ共通して言えることは、蝶が人に寄って来るのは、夏場が多いということだろう。


では、なぜ蝶は夏になると、人に寄って来るのだろう。


じつは種類にもよるのだが、蝶はたんぱく質が分解する時に発する臭いに寄って来る性質がある。


そしてその成分の中には乳酸などの老廃物も含まれている。


そう、蝶は人というよりも、人の汗に反応して寄って来ているのだ。


蝶にとっては人の汗も、摂取すべき栄養なのである。


だから蝶にしてみたら、汗だくの人ほど、「美味しそう」と感じているに違いない。


普段は人から距離を取っている蝶が、自分からヒラヒラ寄って来て、身体にピタリと止まってくれると、なんだかちょっと嬉しいものだが、真相を知ってしまうと、「おまえ汗臭いな!」と言われているみたいで、とても複雑な心境である・・・・・・。


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▲アカボシゴマダラは樹液以外に、柿などの落下した果実や、獣糞でもしばしば見かける・・・・・・。

しかし、汗ぐらいで驚いていてはいけない。


じつは蝶は動物のおしっこにも集って来る。


動物の中でも人間のおしっこは、特に塩分を豊富に含んでいるため、蝶に好まれるようだ。


現在では野外でおしっこをする人なんていないだろうが、昭和の頃には外で小便をしている人がたくさんいた。


「立ち小便」なんて言葉があったぐらいだ。


だから道端に不自然な水たまりがあったりすると、「誰かが小便をした跡に違いない」と思って、そこを避けて歩いたりしていたものだ・・・・・・。


子供の頃、よく虫捕りに行っていた野原や林縁では、そんな小さな水たまりに蝶が集まって、吸水していることがよくあった。


いま思えば、雨も降っていないのに、水たまりが出来ているなんてかなり不自然である。


もしかしたら、あれは誰かが残して行ったおしっこだったのかもしれない・・・・・・。


じつは海外の昆虫写真家の中には、蝶のこんな習性を撮影に利用している人もいるそうだ。


蝶を撮影する際には、死んだ魚におしっこをかけたものを、わざわざ持参して来るのだそうだ。


これはかなり効果があるそうで、あっという間に蝶が集まって来るという。


そして蝶は夢中になっておしっこを飲み始めるので、その間に簡単に撮影が出来るのだそうだ。


それにしても、夢中になっておしっこを飲み始めるって、なんともすごい表現である・・・・・・。


ところで1990年代に飲尿療法がブームになったことがあった。


しかし、当時はいくら健康にいいといわれても、自分の小便を飲むなんて絶対に嫌だと思っていたものだが、蝶が夢中になっておしっこを飲んでいる様子を見ると、もしかしたらあれは本当に身体にいいんじゃないかとさえ思えて来る。


そうは言っても、飲んでみたいとは、これっぽっちも思わないが・・・・・・。


しかし、おしっこぐらいで驚いていてはいけない。


信じられないかもしれないが、じつは蝶は動物のうんこにも集って来るのだ。


野山を散策中に、コロッとした土の塊に、蝶が数匹止まっているのを発見した。


しかし、よく見たらそれは土の塊ではなく、動物のうんこだったなんてこともよくあるのだ。


じつは蝶のオスは塩分とアミノ酸を消費してフェロモンを生成する。


うんこには塩分とアミノ酸が豊富に含まれているため、蝶はうんこにも集って来るのだ。


都市部でも放置された犬の糞に、蝶が止まっている様子を目撃することはあるのだが、多くの人は蝶が飛び立ってから気付くので、蝶は地面に降りて休憩していたのだろうぐらいにしか思っていない。


どうでもいいが、おしっこやうんこに集って来る蝶を見ていると、蝶と蝿の境界って、いったい何だろうと思わずにはいられない・・・・・・。


お花畑をヒラヒラと舞っている蝶の姿は大変優雅で美しい。


そんな蝶がたまに身体にピタッと止まってくれたりすると、とっても嬉しいものだが、それと同時に、「お前、さっきまでうんこに止まってましたなんて言わないよね?」と、思わず問い質さずにはいられないのである・・・・・・。



2023年12月 7日 (木)

道端で咲くスミレの花

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▲早咲きのノジスミレはまだ霜が降りることもある、2月の終わり頃から春を感じて早くも花が咲き出す・・・・・・。

一般にスミレの花というと、郊外の自然豊かな環境に咲く花というイメージがあると思う。


しかし、じつはスミレは、種類にもよるが、都市部のアスファルトの道端でも普通に観察出来る花である。


では、都市部ではスミレはどこに自生しているのだろう。


これについては、タンポポをイメージしてもらえれば分かりやすいと思う。


「でも、道端でスミレの花なんて見たことないよ」という人もいるかもしれない。


恐らくそれは、まず間違いなく、見落としているだけである。


スミレはタンポポに比べると、花も葉もとても小さい。


せかせかと歩いていたら、きっと気付かずに素通りしてしまっているだろう。


では、スミレはいったいどのような場所に生えているのだろう。


ひとことで言うなら、それは「アスファルトの隙間」といえるだろう。


アスファルトに覆われた都市部の道端では、土の場所なんてほとんどなくて、スミレやタンポポはそのような、土へと通じるほんの僅かな隙間に根を下ろし生育しているのだ。


では、そのような隙間はいったいどこにあるのだろうか。


ズバリ言うならそれはガードレールの下である。


バスが通れるぐらいの道路なら、車道と歩道の間には縁石があって、歩道の方が一段高くなっている。


この縁石と歩道のアスファルトの境目に、ごく僅かな隙間があるのだ。


スミレはこの隙間に沿って、ひっそりと生育しているのだ。


一般にスミレの群落というと、野原や林縁、耕作地の周辺などが、一面スミレ色に染まり、お花畑になっているような光景をイメージすると思う。


しかし、都市の環境に適応して、命を繋いで来たスミレの群落は、アスファルトの隙間に沿って、ただ、ただ、一直線に伸びているのだ。


また、スミレは歩道から一段下がった車道側の縁石沿いでも、花を咲かせていることが多い。


しかし、その場合は、歩道を普通に歩いていただけでは、目に留まることはない。


ガードレールから身を乗り出して、下を覗き込んで、初めてスミレが咲いていることに気付く。


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▲道端で咲くスミレの花。アスファルトの隙間に沿って一直線に群落を作っている・・・・・・。

野草とはいうものの、スミレは踏みつぶされることを嫌う。


幸いにもアスファルトの隙間は、道の端っこにしかないため、歩道側で育つものも、車道側で育つものも、人や車に踏みつぶされる心配はまずない。


そういう意味では、アスファルトの隙間というのは、スミレにとっては意外と安全な場所なのである。


しかし、土を求めて、わざわざアスファルトの隙間に根を下ろすぐらいなら、公園や草地に群落を作った方が、よほど効率的に個体数を増やして行くことが出来るのではないか。


と、そう思われるかたも少なくないかもしれないが、じつは話はそう単純ではないのだ。


公園や草地では様々な種類の草がたくさん生えている。


特に初夏を迎える頃になると、背の高い草がどんどん繁り始め、小さなスミレは他の草に埋もれて、光合成が出来なくなって枯れてしまう。


一方、都市のアスファルトの隙間に生える草は少なく、種類も限られているので、太陽の光を一年中独占できるという利点がある。


一見、過酷な環境に感じるアスファルトの隙間も、じつはスミレにとっては、意外と快適な環境といえるのかもしれない。


ところでスミレの本来の自生地である里山は、あたり一面、土の環境なのに、スミレは他の草に負けることなく、毎年たくさんの花を咲かせている。


これはいったいどうしてなのか?


じつは里山では定期的に草刈りが入り、背の高い草はその都度、刈り取られてしまう。


里山の草刈りは一定の高さで刈り残すのが基本である。


なぜかというと、地面近くまで根こそぎ刈り取ってしまうと、そこで暮らしていた昆虫たちが、食べ物を求めて、田んぼや畑の方へ移動して行き、農作物を食い荒らしてしまうからだ。


このためスミレのような背の低い草は、草刈りにあわないで済むという訳だ。


そしてスミレは、周りの草を刈り取ってもらったおかげで、日当たりもよくなって、花の後には大きな葉を繁らせ、種を飛ばすことが出来るのである。


それにスミレが花を咲かせる春は、まだ他の草も伸び切っていない時期なのも大きい。


昔はそんな環境があちこちにあったのだが、都市開発に伴って、里山はどんどん姿を消して行くことになる。


都市部と里山、一見全く違う環境のように思えるのだが、共通していることがじつはひとつある。


それはどちらも人が作り出して管理している環境であるということだ。


このようにスミレは、いつも人の生活のすぐ近くにいて、人が作り出した環境をうまく利用して、繁殖を繰り返して来たのだ。


そう考えると、道端で咲くスミレの花が、まるで自分の子供のように、とても愛おしく思えて来るのである・・・・・・。


2023年9月 9日 (土)

雑種のタンポポ

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▲うちの近所で見られる雑種のタンポポは花が驚くほど大きい。画像は花の大きさがよく分かるように、同行者に花茎を指の間に挟んでもらい、手の平の大きさと比較してみた・・・・・・。

私が子供時代を過ごした昭和50~60年代は、近所の道端で見られるタンポポは外来種のセイヨウタンポポがほとんどだった。


セイヨウタンポポはヨーロッパ原産の外来種で、今からおよそ150年前に食用として日本へ渡来して来たと言われている。


で、当時は住宅地の道端で見られるタンポポは、このセイヨウタンポポばかりで、図鑑などにはセイヨウタンポポに駆逐されて、日本の在来タンポポが数を減らしているようなことが書かれていた・・・・・・。


ところが近年になって、その勢力図が大きく書き換えられていることが明らかになった。


いつの間にか、在来種のタンポポと、セイヨウタンポポが交雑し、雑種のタンポポが誕生していたことが分かったのだ。


そしてその雑種のタンポポは、私たちが知らない間に日本各地へ分布を広げていたというのである。


さらに都市部では、これまでセイヨウタンポポと思われていた個体のうち、なんと8割以上が雑種のタンポポに置き換わってしまっていたことが分かったというのだ。


何度も書くが、私が子供の頃、近所のアスファルトの道端で見られたタンポポは外来種のセイヨウタンポポだった。


それがいったいいつの間にこんなことになってしまっていたのだろう。


私たちの気付かないところで、道端のタンポポにそんな異変が起きていたなんてちょっと驚きである。


子供の頃、地べたに座り込んで観察をしていたあの花と、大人になってからこうして見下ろしているタンポポの花は、そっくりではあるが厳密には別物だったのだ・・・・・・。


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▲雑種のタンポポの総苞の形がよく分かるように、花が開き始めた個体を選んで撮影してみた。一見、カントウタンポポのような形の総苞だが、開花が進むと、総苞の外片は水平まで開いて来る。分かりやすくいうなら、シャンプーハットのような状態になる・・・・・・。

では、雑種のタンポポはどのようにして見分けたらいいのだろう。


正確に見分けるためには、遺伝子の解析を行う必要があるのだが、タンポポの花の下に隠れている「総苞」の形を確認することで大まかな分類は出来るという。


ちなみに私が子供の頃に図鑑で見た、「在来種のタンポポとセイヨウタンポポの見分け方」も、この総苞の違いが紹介されていた。


在来種のカントウタンポポの総苞は、真っ直ぐに直立していて、きれいなお椀のような形をしている。


一方、外来種のセイヨウタンポポは、総苞の外片が強く反り返り、先端が花茎にくっついてしまっている。


で、雑種のタンポポはどうなっているのかというと、いくつかのタイプがあるものの、両者の中間程度のものが最も多く見られるようだ。


どういうことかというと、総苞の外片はセイヨウタンポポほどは強く反り返らないが、水平程度には開いているものが多いのだ。


私を含め、昭和世代の人たちには、「シャンプーハット」をイメージしてもらえば分かりやすいかもしれない・・・・・・。


そして在来種のカントウタンポポと雑種の違いは、そのような見た目だけではなく、繁殖の方法についても大きく違っている。


在来種のカントウタンポポが種を作るためには、他の花の花粉が必要になる。


花を訪れる昆虫に花粉を運んでもらうことで受粉が行われ種が出来るのだ。


ところが雑種のタンポポは、受粉をしなくても種を作ることが出来るため、クローンのように増殖して行くことが可能なのだ。


このため雑種のタンポポには個性がなく、同じ場所で見られる個体は、花の大きさや形がどれも親と同じような見た目になる。


ちなみにうちの近所で見られる雑種のタンポポはどれも花が驚くほど大きい。


花茎を中指と薬指の間に挟んで、花を手の平の上に乗せてみると、手の平の横幅と花の直径がほとんどいっしょであることが分かる。


そしてこの花はただ大きいだけではなく、タンポポの花とは思えないようなボリュームがあって、遠目にはまるでマリーゴールドの花が咲いているのかと勘違いするほどである。


私が「最近、タンポポの花が何かおかしいな」と感じたのは、この大きな花を咲かせるタンポポを目にしたのがそのきっかけだった。


そうは言っても雑種のタンポポには、その見た目に複数のタイプがあるので、全部が全部、このような大きな花を咲かせるという訳ではない。


私たち昭和世代にとっては、一番よく見慣れているであろう、セイヨウタンポポの花の大きさに近いものの方がむしろ多いのだ・・・・・・。


ところで先ほど、「雑種のタンポポは、受粉をしなくても、種を作ることが出来る」と書いたが、じつは花にはちゃんと花粉がある(花粉がないタイプのものもある)。


そしてこの花粉が在来種のカントウタンポポに受粉してしまう可能性もある訳だ。


そうなって来ると、カントウタンポポが作る種子のうち、何パーセントかは雑種になる可能性があるということになる。


現実に雑種のタンポポはそのようにして誕生した・・・・・・。


救いなのは雑種のタンポポは、カントウタンポポが自生している里山や野原では育ちにくいことだ。


セイヨウタンポポがそうだったように、雑種のタンポポは都市部のアスファルトの隙間がお好みなのだ。


セイヨウタンポポは、雑種のタンポポとの生存競争に負けて、近所から姿を消して行ったのだ。


毎日通っている生活道路の片隅で、そんな熾烈な争いが起きていたなんて、きっと世の中のほとんどの人は知らなかっただろう・・・・・・。


2023年7月23日 (日)

カントウタンポポとセイヨウタンポポ

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▲野原一面に群生している「カントウタンポポ」の群落。ちなみに私が子供の頃に読んでいた図鑑には、「日本タンポポ」という大きな括りで紹介されていて、地域ごとの詳しい分類まではされていなかった・・・・・・。

私が子供の頃(昭和50~60年代)、近所で見られるタンポポは、外来種のセイヨウタンポポがほとんどだった。


セイヨウタンポポはヨーロッパ原産の外来種で、今からおよそ150年前に、食用として日本へ渡来して来たといわれている。


で、当時は住宅地の道端で見られるタンポポは、このセイヨウタンポポばかりで、図鑑などを開くと、セイヨウタンポポに駆逐されて、日本の在来タンポポが数を減らしているようなことが書かれていた。


ところがうちの近所では、日本の在来タンポポが全く見られないという訳ではなかった。


野原や開発に取り残されている土手、雑木林などでは、在来種のカントウタンポポが大きな群落を作って生えていて、逆にそこにはセイヨウタンポポの姿はなかった。


その光景を見る限りは、とても在来種のカントウタンポポが、セイヨウタンポポに駆逐されているようには見えなかった・・・・・・。


そしてこれは大人になってから知ったことだが、じつはこのことにはちゃんとした理由があった。


じつはカントウタンポポが結実するためには、他の個体の花粉が必要になる。


このため、カントウタンポポが増えて行くためには、同じ場所にたくさんの個体が群生していた方が都合がいいのだ。


そして確実に花粉を受粉してもらうためには、たくさんの昆虫が生息している、野原のような環境の方が望ましい。


一方のセイヨウタンポポは受粉をしなくても、単体で種子を作ることが出来るため、わざわざ群生をする必要はない。


このため、住宅地のコンクリートの隙間などに、点々と生育していても、全く問題はないのだ。


そしてこのような環境では、他の植物と競合することが少ないという利点がある・・・・・・。


また、野原では初夏を迎えると、他の草が一気に伸び始め、タンポポなど背の低い草は下の方に埋もれてしまい、光合成が出来なくなってしまう。


しかし、カントウタンポポは、夏に葉を落として夏眠をする性質があり、春に飛ばした種子も、夏の暑い盛りを避けて発芽する。


そして周りの草が枯れ始めた頃に目覚めて、葉を伸ばし始めるのだ。


だから夏の暑い時期に、周囲を草に覆われてしまっても、カントウタンポポにとっては、特に問題はないということになる。


一方、セイヨウタンポポにはこのような特性がないため、野原などには入り込みにくいということになる・・・・・・。


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▲カントウタンポポは花が終わる頃になると、周囲を背の高い草に覆われてしまい、光合成が出来なくなってしまう。しかし、カントウタンポポには夏眠の性質があり、特に問題はない・・・・・・。

当時の図鑑や身近な自然を紹介した読み物には、「セイヨウタンポポに駆逐されて、日本の在来タンポポが数を減らしている」と書かれていた。


しかしそれは、セイヨウタンポポに駆逐されてというよりも、開発によってカントウタンポポが自生する、里山や野原がなくなって行っていることの方が、むしろ問題だったようである・・・・・・。


ところで、私は子供の頃に、わざわざ野原に行って、在来種のカントウタンポポを1株掘って来て、庭に植えて育てていたことがあった。


住宅地の道端ではカントウタンポポは見られなかったので、身近な場所にカントウタンポポが生えていれば、ちょっと人に自慢出来ると思っていたのだ。


で、私は庭に植えたカントウタンポポに肥料まで与えて大切に育てていた。


するとカントウタンポポは夏に葉を枯らして、夏眠するどころか、まるでホウレンソウのごとく大きな葉を繁らせ、どんどん巨大になって行った。


その様子は母に、「なんだかこのタンポポ美味しそうだね」と言わしめたほどである。


当時わたしはその生長具合を見て、「肥料が効いて来たんだな、しめしめ・・・」ぐらいにしか思っていなかったのだが、今こうして考えてみると、家の庭では他の草に光合成を妨げられるようなことはないのだ。


それに当時住んでいた家には、見上げるほどの大きなヤブツバキの木があって、夏に涼しい日陰を作ってくれていた。


これがカントウタンポポの生長にはよかったのかもしれない・・・・・・。


ちなみにこれまでずっと、在来種のタンポポのことを、「カントウタンポポ」と書いて来たのだが、当時の子供向けの図鑑には、在来種のタンポポは、「日本タンポポ」という大きな括りで紹介されていた。


このため子供の頃の私は、自分の住んでいる地域に自生している在来タンポポが、「カントウタンポポ」であることは知らなかった・・・・・・。


翌年の春、庭のカントウタンポポは、まるで花束のようにたくさんの花を咲かせた。


私は「友達に自慢するならいまだ!」とばかりに、「うちには日本タンポポの大株があって、いまたくさんの花を咲かせているんだ!」と、胸を張って話をした。


しかし残念なことに、友達は誰一人として、日本タンポポとセイヨウタンポポの違いが分からず、まずそこから説明を始めなければならなかったのだった・・・・・・。



2023年3月31日 (金)

蛹の神秘

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▲これはナミアゲハの蛹だ。ぷにぷにの幼虫が、この蛹の期間を経ることにより、美しい翅をもったチョウに変身する。なんだかイリュージョンマジックを見ているかのようである・・・・・・。

昆虫には卵から幼虫が孵化して、その幼虫が脱皮を繰り返しながら成長し、蛹の期間を経てから成虫に羽化する「完全変態」をするものと、卵から孵化した幼虫が、脱皮を繰り返しながら成長して行き、蛹の期間を経ずに、そのまま成虫になる「不完全変態」をするものがいる。


完全変態をする昆虫には、チョウやハチ、カブトムシやクワガタムシがいる。


一方、不完全変態をする昆虫には、バッタやカマキリ、セミやトンボなどがいる。


不完全変態をする昆虫は、幼虫から成虫になると、翅が生えたり、そのことによって、生活環境がガラリと変わるものがいたりはするものの、基本的に身体の構成そのものはあまり変わらない。


例えば卵から孵化したカマキリは、アブラムシなどの小さな昆虫を捕らえて成長する。


そして幼虫は脱皮を繰り返しながら、少しずつ体が大きくなって行き、それに伴い捕食する昆虫のサイズも大きくなって行く。


しかし、カマキリの場合、成虫になっても、基本的な身体の仕組みは変わることがなく、幼虫の延長線上に成虫のステージが見えていると言っても過言ではない。


その一方で、完全変態をする昆虫は、幼虫が蛹となり、羽化して成虫になると、まるで別の種類の生き物が生まれて来たのかというくらい、劇的に姿が変わる。


例えば木の葉をモリモリ食べて育っていた、ぷにぷにのイモムシが、美しいチョウの姿に変身して、お花畑を優雅に舞い始めたり、腐葉土の中で人知れず育っていた丸っこい幼虫が、子供たちのヒーロー、カブトムシとなって、地上に姿を現したりする訳だ。


その様子はまるでイリュージョンマジックを見ているかのようである・・・・・・。


では、なぜ昆虫は、そのような大掛かりな仕掛けを、自身の身体に組み込んだのだろうか。


そもそも完全変態をする昆虫にとって、幼虫というのは、単純にエサをたくさん食べて、身体を大きくして、そこに栄養を溜め込んで行くことだけに特化した身体の構造になっている。


分かりやすく言うなら、「栄養タンク」が歩いているようなものである。


では、なぜそんなに栄養を溜め込む必要があるのか?


ものすごく簡単に言うなら、それはもちろん成虫になるためである。


では、なぜ成虫にならなくてはいけないのか?


それはもちろん、子孫を残さなくてはならないからだ。


そして幼虫期の栄養タンクに特化した単純な身体の構造を、様々な機能を持った成虫の身体に作り替える準備期間として、「蛹」というステージが必要になって来るのだ。


そしてこの蛹の期間こそが、完全変態をする昆虫にとっては、最もデリケートで、しかも一番大切な時期なのである・・・・・・。


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▲こちらはオオクワガタの蛹。カブトムシやクワガタムシの蛹は、見た目は成虫の姿と変わらない。しかし、この蛹の中身はなんとドロドロのクリーム状になっている・・・・・・。

ところで、カブトムシの蛹を見たことはあるだろうか。


実物は見たことがないと言う人も、きっと図鑑や教科書、テレビなど、どこかで必ずその姿を見ているはずである。


カブトムシの蛹は脚が折りたたまれている状態ではあるものの、もうほとんど成虫と変わらない姿をしている。


普通に考えたら、この中には蛹と全く同じ形をした、カブトムシ本体が収まっているはずである・・・・・・。


ところが話はそう単純なことではないのだ。


もう羽化間近という成熟した蛹なら、その予想通り、中にはカブトムシ本体が隠れているのだが、まだ蛹になって間もない若い蛹は、じつはそうではないのである。


先ほど、「蛹は幼虫期の単純な身体の構造を、様々な機能を持った成虫の身体に作り替える準備期間である」と言った。


じつは幼虫は蛹になると、自身の身体を作り替えるために、体内から酵素を出して、細胞組織を溶かして行くのだという。


このため、この時期の蛹の中身は、なんと驚くべきことに、ドロドロのクリーム状になっているのだ。


そしてこれはカブトムシに限った話ではなく、チョウをはじめ、完全変態をする昆虫全般に言えることなのである。


といっても、全てが液状になってしまう訳ではなく、細胞原基や一部の筋肉などは溶けずにそのまま残っている。


だからこの時期の蛹に傷をつけてしまうと、中からドロッとしたクリーム状の液体が流れ出て来て、後には空っぽの蛹の殻だけが残るという、人から見たらなんとも摩訶不思議としかいいようのない光景を目撃することになるのだ。


そしてもちろん中身のなくなった蛹は、そのまま死んでしまうことになる・・・・・・。


だからカブトムシの蛹は、中身がドロドロの液体であるにも関わらず、とりあえず完成後の姿やサイズを予想して、型だけを先に作ってあるということになるのだ。


つまりこの時期の蛹の外見というのは、成虫の形をした入れ物に過ぎないということになる。


それってなんだか、プリンやゼリーを作る過程のようでもある。


しかし、昆虫がプリンやゼリーと違うのは、私たちと同じ生き物である点だ。


プリンやゼリーは原液が型の形に固まればそれで完成だが、昆虫はドロドロになったクリームを、成虫の身体に再構成して、なおかつそこに命を宿しておかなくてはならないのだ・・・・・・。


ところで素朴な疑問だが、蛹の中身がドロドロのクリーム状の時、昆虫には意識はあるのだろうか。


「ああ~、俺はいま、クリーム状の液体になっているのだなぁ」などと思っているのだろうか。


そうだとしたら、それはドロドロのクリームの、どのあたりがそう思っているのだろう。


考えれば考えるほど不思議な話だが、その謎を理解するためには、自分が一度、蛹の中身になってみるしか方法はないのだろう。


そう考えると、この謎は永遠に解けない気がする・・・・・・。


2020年6月26日 (金)

窓に激突したコジュケイ

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私が小学生の頃の話なのだが、ある日、学校から帰って来て、何気なく縁側を覗いて見たところ、隅の方に見慣れない大きな鳥かごが置いてあることに気付いた。


私は「え?」と思って、鳥かごの中をそっと覗き込んでみた。
すると中にはウズラのような体形をした見たこともないカラフルな鳥が入っていた。


当時の私の印象では、大きさはハトよりも少し大きく感じた。


私は「な、なんだコイツは・・・」と思わず絶句して、玄関前をほうきで掃いていた母に、「ねえねえ、縁側にいる鳥はなに?」と小走りに聞きに行った。


母はのん気なもので、「ああ、忘れてた」と言うと、昼に起きた事件についてゆっくりと語り始めた・・・・・・。


その日の昼下がり、母はお茶を飲みながら、テレビでサスペンスドラマを見ていたという。


するとなんの前触れもなく、窓ガラスが突然、「バン!」と大きな音を立てたのだという。


その時、母はサスペンスドラマの緊迫した場面に集中していたため、その大きな音に思わず飛び上がるほど仰天し、何者かが家の窓ガラスに発砲して来たんじゃないかと思い、身の危険を感じるほどの恐怖を感じていたという・・・・・・。


しかし、よくよく考えてみれば、こんな見るからに金目の物が何もなさそうな家に、わざわざ拳銃を向けるような、バカなことをするやつはいないだろう。


そこで母はカーテンに身を隠しながら、恐る恐る窓の外をチラリと覗いて見たという。
気分的には物陰に身を隠しながら、拳銃を片手に周囲をチラチラとうかがっている刑事といったところか。


あたりに怪しい人物は特に見当たらなかったので、安心した母はとりあえず外に出て、音の原因を探ってみることにした。


そして外に出ようと窓をガラリと開けたところ、縁側の上に横たわるあのカラフルな鳥を発見したのだという。


母が言うには、「最初見た時はピクリとも動かないので死んでいると思った」そうだ。


一瞬、「撃たれたのはこの鳥か!?」と、まだサスペンスドラマを引きずっていたが、どうやら周囲の状況から見て、あの「バン!」という大きな音は、この鳥がうちの窓ガラスに激突した時の音らしい・・・・・・。


母は縁側に横たわる鳥をかわいそうに思って、物入れにしまってあった大きな鳥かごを取り出して来ると、セキセイインコ用のエサと水をセットしてから、横たわっている鳥を抱き上げて、かごの中に入れて様子を見ることにした。


鳥は相変わらず、ぐったりと横たわったままだったが、抱き上げた時はまだ温かかったそうで、「もしかしたら生きているかもしれない」と思ったという。


そして鳥が目覚めたのは、「その一時間後ぐらいだと思う」とのことだった。


しかし、その時点では、座ったまま立ち上がることはなく、「ボー」っとあたりを見回していて、どうやら脳震盪を起こしているようだったという。


母は私と一緒にかごの中を動き回るカラフルな鳥を見つめながら、「あの時は骨折して歩けないんじゃないかと心配してたけど大丈夫そうだねぇ」とホッとした様子だった・・・・・・。


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私は突然うちの縁側に現れたこのカラフルな鳥がかわいく思えて来て、母に「飼いたい!」と言ったのだが、「バカ言ってんじゃないよ!あんなバカでかい鳴き声で鳴かれたら、近所から苦情が来るよ!」と即答して来た。


今のところ、このカラフルな鳥は、出会ってから一度も声を発しておらず、なんとも大人しいものである。


私にはこの鳥がそんなやかましい鳴き声を発するなんて、ちょっと信じられなくて、母にこの鳥はどんな鳴き声で鳴くのかと聞いてみた。


すると母は、「なに言ってんの~!お前もしょっちゅう聞いてるでしょ?ピッコロホイ!ピッコロホイ!ってさ」と、私がこの鳥を知らないことを意外な様子だった。


母は「ピッコロホイ」と言っていたが、一般的には「チョットコイ」と聞きなされることが多いその鳥の鳴き声は、コジュケイと言う野鳥のものだった。


当時コジュケイは早朝から大きくよく通る声で、「チョット~コイ!チョット~コイ!チョット~コイ!」とリズミカルに鳴いていた。


コジュケイはキジの仲間で、本州以南の冬に積雪のない暖かい地域に分布し、耕作地と雑木林が隣接しているような環境に好んで生息している。


コジュケイはもともとは、中国中南部原産の野鳥だったが、1920年頃に東京、神奈川などで放鳥され、狩猟の獲物とされて来た歴史がある。


私の出身地である神奈川県横浜市でも、昭和30年頃までは狩猟が普通に行われていたらしく、鉄砲をかついだ男性が、狩ったコジュケイの首を鷲掴みにして、カメラに向かってポーズしている白黒写真を何かの本でちらっと見たことがある。


写真の風景を見ると、周囲は谷戸地形が広がっていて、きっと相当な田舎の方なのだろうと思っていたのだが、撮影された場所の住所を見ると、なんとうちのすぐ近所で、それがまた衝撃であった・・・・・・。


私が子供の頃は近所には畑が多く、小さな雑木林もまだ点々と残っていたので、どうやらコジュケイが生きて行くには、最適な環境だったようだ。


しかし、コジュケイはちょっとした緑地や、緑の多い公園のような場所があれば、十分生きて行けるようである。


都市化が進んだ現在でもそのような場所が近くにあれば、コジュケイのけたたましい鳴き声を、今でも身近に聞くことが出来る・・・・・・。


ところでコジュケイは、「声はすれども姿は見えず」という鳥で、臆病な性格もあって、雑木林や藪の中を、身を隠しながら移動することが多く、開けた場所に堂々と現れることは稀である。


私も子供の頃は鳴き声だけは毎日のように聞いていたのだが、姿を見たことはそれまで一度もなかった。


大人になって里山歩きをするようになってからは、コジュケイの生態も少しずつ分かって来て、子供の頃は、「声はすれども姿は見えず」だったコジュケイが、意外と簡単に観察出来る野鳥だったことに気付いたのだった・・・・・・。


ところで、うちの縁側に横たわっていたあのコジュケイだが、どうやら飛んでいる最中に、窓ガラスを通り抜けられると思い込んだらしく、そのままの勢いで窓に激突して、その衝撃で気絶してしまったらしい。


当時住んでいた家の周りは木々が多かったので、それが窓ガラスに映りこんで、窓の向こう側にも、自分が飛んで来た方向と同じような環境が広がっていると勘違いしたようだ。


当時、母は「コジュケイという鳥はバカだから」と、口癖のように言っていたのだが、何を根拠にそのようなことを言っていたのか未だに謎である・・・・・・。


(画像上、土手で咲くホタルブクロの花。画像下、八重咲のドクダミの花)


2020年5月15日 (金)

「昭和の商店街」 八百屋編

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私が子供の頃、商店街の八百屋では、天井からヒモをぶら下げて、店の中央付近に大きなザルが吊るしてあった。


このザル、いったい何をするためのものかと言うと、じつはここにお金を入れてあったのである。


早い話がザルがレジ代わりになっていたのだ。


店の主人はこのザルのことを、「銭かご」と呼んでいたが、これはどうやら通称だったらしい。


今だったら物騒でとてもじゃないがそんなことは出来ないが、昭和の頃にはごく普通に見られる光景だった。


当時はお客さんから受け取ったお金をそこに入れて、お釣りもそこから取り出して渡すというのが当たり前で、誰もそのことを不思議に思ったりはしていなかった・・・・・・。


ザルがレジ代わりだと、店のどこにいても、その場でお客さんから代金を受け取り、お釣りを渡すことが出来るという利点があった。


いちいちレジの置かれている店の奥まで行き、お釣りを取って来るという手間が省けるので、すぐに次の客に対応することが出来たのだ。


ザルを吊ってあるヒモは、下側がゴムになっていたので、手元まで引き寄せて小銭を探すことも出来て便利だった。


ザルがレジ代わりとは言うものの、さすがにザルはレジのように商品の計算まではしてくれない。
このため八百屋の主人はいつも腰に大きなそろばんを挿して接客をしていた。


そして商品の計算をする時は、そのそろばんをサッと取り出して、パチパチと弾きながら計算をしていた。


八百屋の主人が持っていたそろばんは、木製で幅広のとても大きなもので、パチパチと珠を弾く音がとても心地よかったのを、今でもはっきりと覚えている・・・・・・。


そして当時は買った野菜は新聞紙にくるんで、「ハイ、どうもありがとう!」と、そのまま手渡されるだけだったので、買い物に行く時は必ず「買い物かご」を持って歩くのが当たり前だった。


ちなみにうちでは母が、竹を編み込んで作ってある「買い物かご」と、予備の布製の袋をその中に一つ入れて、いつも持ち歩いていたのを覚えている。


このように当時は竹などを編み込んで作ってある、底の広い「買い物かご」がどこの家にも必ず一つはあって、買い物に行く時はみんなその「買い物かご」を持って歩いていたものだ。


それがいつの間にか、「レジ袋」が世の中に現れて、「買い物かご」を持って歩く習慣は次第になくなって行った。


今でも「買い物かご」を持って歩いている主婦は、きっとサザエさんくらいだろう。


そして今の時代は、「買い物かご」なんて言ったら、きっとスーパーに置いてある、あのグレーのプラスチックで出来たかごを思い浮かべる人がほとんどなのではないだろうか。


しかし、皮肉なもので、近年になって、海洋プラスチック問題が叫ばれるようになり、レジ袋は廃止の方向に向かっている。


今は小さく折りたためるエコバックが人気だが、もしかしたら昭和の頃によく見られた、あの「買い物かご」が復活する日も近いのかもしれない・・・・・・。


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ところで商店街の八百屋と言えば、いま考えると不思議に思うことがある。


当時、八百屋では夏になると、なぜか毎年のようにカブトムシを売っていた。
それも成虫ではなくて、大きなガラス瓶に入った幼虫を売っていたのだ。


カブトムシの幼虫は時期になると、店の一角に山積みにされて、各種の野菜よりも大量に置いてあったように思う。


カブトムシの幼虫は腐葉土を食べて育つので、大きなガラス瓶の中には、腐葉土がギュウギュウに詰め込まれていた。
そしてその中に大きな幼虫が、一匹だけ入れられて売られていたのだ。


じつはカブトムシの幼虫はかなりの大食いで、飼育していると成虫になるまでに、何度も何度も餌の腐葉土を交換しなくてはならない。


ところが八百屋で売られていたカブトムシの幼虫は、あと1~2週間程度で蛹になる大きな幼虫を選んで、瓶に入れて出荷していたので、エサ交換の必要がなかったのだ。


このため子供たちはエサ交換の手間もなく、カブトムシが幼虫から蛹になり、成虫に羽化するまでを手軽に観察することが出来たのだ。


私は小学校低学年の時に、この八百屋で売られていたカブトムシの幼虫を、夏休みの自由研究に選び、日々ガラス瓶の壁越しに幼虫を観察し、観察日記を付け続けていた。着ける


ところが肝心の蛹になるころになって、なぜか幼虫が瓶の中央付近に移動してしまって、全く見えなくなってしまったのだ。


予期せぬ事態に慌てた私は、親に事情を話し、八百屋の主人に相談に行った。


そして観察しやすい位置で蛹になっている瓶を選んでもらい、割引をしてもらった上で瓶を追加で購入し、なんとか羽化までの観察記録を付け続けることが出来たのだった。


そしてそのおかげで、私はその年の夏休みの自由研究を、無事に学校に提出することが出来たのである・・・・・・。


ところで八百屋に山積みにされていたカブトムシの幼虫は、幼虫の時も蛹になってからも、ガラス面にピタリと貼り付いていて、とても観察しやすい位置にいるのに、それを購入して家に持ち帰ると、なぜか幼虫はビンの中央付近に移動してしまい、見えなくなってしまうことが多かった。


これはいったいどうしてなのかと、八百屋の主人に聞いてみたところ、八百屋では閉店後は周囲が真っ暗になるが、家庭では部屋に灯りがいつまでも点いているため、幼虫が灯りを避けて暗いところへ移動してしまうのだろうとのことだった。


そしてこれを防止するためには、瓶を下駄箱や押し入れなどの暗い所に置いておくか、黒く塗った厚紙などで、周りをすっぽりカバーしておき、観察する時だけ瓶を取り出して見るといいとのことだった。


しかし、子供の心理としては、カブトムシの幼虫をいつでも見られるようにしておきたいというのがあって、きっと自分には無理だろうなと内心密かに思っていたものだ・・・・・・。


このように当時は商店街の八百屋には、なぜか夏になるとカブトムシの幼虫が大量に入荷して子供たちに大人気だった。


当時は毎年当たり前のように見られる光景で、別に気にもしていなかったのだが、今こうして振り返ってみると、なぜ八百屋でカブトムシの幼虫を売っていたのか、謎としかいいようがない。


また、八百屋では秋になると、スズムシも小さなかごに入れて売られていた。
八百屋の主人は毎日、売り物のキュウリやナスを包丁で小さく切って、スズムシのかごに入れてやっていた。


スズムシはカブトムシほどは大量に入荷しなかったが、店の数ヶ所にスズムシの入った小さなかごが重ねられ、綺麗な声で鳴いていたのを覚えている・・・・・・。


(画像上、色鮮やかなイモカタバミの花。画像下、花付きのいいツツジの花)


2019年8月13日 (火)

人をからかうセミ

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夏と言えばセミ、セミと言えば夏と言うくらい、セミは夏の風物詩と言えるだろう。


子供の頃、夏休みの宿題の絵日記に、木に止まって鳴いているセミと、捕虫網を持ってそれを見上げている、虫取り少年(少女)の絵を描いたと言う人は、きっと少なくないだろう。


しかし、最近では夏休みに捕虫網を持ってセミを追いかけている子供を全く見かけなくなった。
いや、それどころか夏休みなのに、外で子供の姿をほとんど見かけない・・・・・・。


原因はどう考えても、近年の夏の暑さだろう。


昔とは明らかに違う、「亜熱帯化」したとも言われるほどの暑さで、子供たちは学校や親から外出を控えさせられているのかもしれない。


人間は「命を守るため、不要の外出や運動は控えるように」と指導されているぐらいなのに、セミはと言えば昔から何も変わることはなく、「危険な暑さ」をものともせず、相変わらず大きな声で平然と元気に鳴いている。


昔より気温が上昇したことで数を減らしているとか、暑さが原因で地上に出て来てからの寿命が短くなったとか言う話も全く聞かない。


どうやらセミには最近のこの暑さも全く影響がないようだ。


セミにとっては、「人間の子供」という煩わしい存在が消えてくれて、「日本の亜熱帯化」はむしろありがたいことなのかもしれない・・・・・・。


セミと言えば木の上で鳴いている姿だけではなく、地上に落ちてひっくり返っている所もよく見かける。


それにしても人の生活圏の、こんなに身近な場所で生まれ、そして死んで行く昆虫というのも珍しいのではないか。


しかし、そんなセミの中には、死んでいる訳でも、弱っている訳でもなく、「ただ、ひっくり返って道端に寝転がっているセミ」というのがいるのをご存じだろうか。


見た目には死んでいるセミや、弱っているセミと、全く見分けがつかないからやっかいだ。


まぁ、実際には寿命が近付き、弱って来ているから、「ひっくり返っている」のだが、「もしかして、狸寝入りをしていたんじゃないか」と思わせるようなことが今から起ころうとしている・・・・・・。


道の真ん中でひっくり返っているセミを見つければ、生き物が好きな人なら誰でも、「いくら死んでいるとは言え、歩行者に踏みつぶされてしまってはかわいそうだ」と思うだろう。


そして、街路樹の根元にでも移動させてやろうと、セミを「ヒョイ」と摘まみ上げる。


するとその途端、死んでいたはずのセミが、「ジーーッ、ジッ、ジッ、ジッ、ジーーッ!」と大音量で騒ぎ始め、翅や脚を高速でぶんぶん動かして、怖いぐらいに抵抗を始め、仰天させられることがしばしばある・・・・・・。


驚いて「パッ」と手を離すと、セミはもの凄い勢いで飛び去って行き、数メートル先の木にピタリと止まる。
「なんだ元気だったのか」とホッとすると同時に、「だましやがったな~」とも思う。


そもそも瀕死の状態で道にひっくり返っていたのなら、飛び立って木に止まる力なんて残っていないはずだ。


もしかしてセミには、「ちょっと人をだましてやろう」という、「いたずら心」のようなものがあって、「道に寝転がっていたら、きっと人は死んでいると思うだろうから、摘まみ上げられた瞬間に大声を出して驚かしてやろう、イッヒッヒ!」などと思っているのではないか。


と、そんなセミの「いたずら好き」のキャラを想像してみるのも楽しいものだ・・・・・・。


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セミは人間に嫌がらせもよくする。


「今日はやけにセミの声がうるさいな~」と思っていたら、それもそのはず、うちの網戸にピタリと貼り付いて、セミが大音量で鳴いているではないか。


まるでセミがスピーカーで、網戸がスピーカーの保護カバーみたいに見えて来て、そのアンバランスさに思わず笑ってしまうのだが、残念ながらボリュームの調整ボタンがないため、常に音量はMAXで、セミの大きな鳴き声が部屋中に響き渡ることになる。


野外で出会うと、ちょっと近付いただけで、「ピューーッ!」とおしっこをひっかけて、すぐに飛び去って行くくせに、網戸で鳴いている時は、耳を塞いですぐそばまで行っても、飛び去らないどころか鳴き止みもしない。


網戸の内側からでは人は手を出せないということを、セミはちゃんと理解しているとしか思えない・・・・・・。


網戸よりはまだましだが、セミは家の壁に止まって鳴いていることもよくある。


網戸の時と違って、すぐにはセミがどこで鳴いているのか分からないため、「今日はやけにセミの鳴き声がうるさいな~」と思いながらも、セミの居場所が分からないため、なぜうるさいのかが分からず、ただ、ただ、困惑することになるのである。


そしてこういう時はむしろ、向かいの家の人がいち早くセミの存在に気付いて、「あれじゃぁ、くろねこさん家、相当うるさいだろうね~」と、家族でその様子を見て笑っていたりするのである・・・・・・。


確かにこれだけ近くで鳴かれると、セミの鳴き声は相当にうるさく、テレビの音がほとんど聞き取れなくなるのだから困ったものだ。


そして、この時ばかりは、家のテレビのボリュームは、耳の遠い年寄りのいる家かと思うほど、一気に上げられることになるのだが、セミが予期せずにピタリと鳴き止むと、今度は自分で上げたボリュームのあまりのでかさにパニックになり、慌ててボリュームを下げたつもりが、逆にもっと上げてしまっていたりして、「右翼の街宣車襲来か!」と思うほどの大音量で、近所迷惑なことこの上ない。


そしてセミはまたしてもそんな人間のまぬけな姿を、物陰からそっと見つめながら、ほくそ笑んでいるのである・・・・・・。


道端でひっくり返っているセミには、「死んでいる者」と、「弱っている者」と、「狸寝入りをしている(ように見える)者」がいると言うことはすでに書いた通りだ。


このうち「弱っているセミ」に関しては、そのままにして置いたら、まだ生きているにも関わらず、踏みつぶされてしまう可能性もあるので、安全な場所に移動させてやりたいと考えるのが人情だ。


そこでセミをそっと拾い上げて手に乗せるのだが、やはりもう飛んで行く気力もないらしく大人しくしている。
それでも手の中からゆっくりとはい出て来て、腕をのそのそとよじ登って行く。


セミが落ちないように気にかけながら、木々の多い場所へ急いで歩いて行くのだが、どうやらこういう時というのは、セミは人の腕を「木の幹」と錯覚しているらしい。


きっと、もうそこまでの判断力は残っていないのだろう・・・・・・。


なぜ、そう思うのかと言うと、こういう時、セミはかなりの確率で、その針のような形状の口を、人の腕にプスリと突き刺そうとしてくるからだ。


セミの口がなぜ針のような形をしているのかというと、樹木の表面に針を突き刺して、中の樹液をチュウチュウと吸い上げるストローのような役割があるからだ。


瀕死の状態ではあるが、何とかエネルギーを摂取しようという、セミの本能なのだろう。


しかし、いくら弱っているセミとは言え、その口は針そのもので、やはりプスリとやられたら結構痛いものだ。


腕をゆっくりとよじ登って来るセミを見ていると、なんだか人慣れしたセミのように見えてかわいく感じるものだが、とつぜん針(口)をプスリと突き刺され、「痛ててててっ!」などとやっていると、セミはこんなに弱っていても、人に対して「いたずら心」を忘れないやつなんだな~と、私はつくづく思うのだ・・・・・・。


(画像上は今年はやけに多く見かけるミンミンゼミ、画像下は物陰から人の様子をうかがっているようなアブラゼミ)


2019年8月 1日 (木)

迷惑な虫

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一般にはカメムシは嫌われている昆虫だ。
カメムシが嫌いという人に、なぜ嫌いなのかを聞くと、ほとんどの人が「臭いから」と答える。


しかし、多くのかたが誤解していると思うが、カメムシは常に臭い訳ではない。
指で摘まんだり、手で払ったりして、カメムシに刺激を加えたから、臭い匂いを出して身を守ろうとしているのだ。


一度カメムシに匂いを付けられると、そう簡単にはその匂いを落とすことは出来ない。


匂いが手に付いて石鹸でゴシゴシ洗っても、一回や二回洗ったぐらいでは、その匂いはほとんど落とすことが出来ず、しばらくの間は「カメムシ臭」をまとったまま生活することになる。


カメムシ臭は独特の鼻に付く匂いなので、一週間ぐらい経ってもまだ匂っているような気がする。


カメムシは人を刺したりすることはない安全な昆虫だ。
だからカメムシが飛んで来て衣服に止まったりしても、手で払ったり、指で摘まんで放り投げたりしないことだ。


カメムシに匂いを付けられたと言って怒っている人は、カメムシに匂いを付けられたのではなく、自分からわざわざ匂いを付けてもらうように仕向けているということをもっと知るべきだろう・・・・・・。


なぜかカメムシは洗濯物によく止まる。


洗濯物の匂いが好きなのか、ただ単に平らな場所に止まりたいだけなのかは分からないが、カメムシが止まっていることに気付かずに洗濯物を取り込んでしまうと、家の中にまでカメムシが進入して来てやっかいなことになる。


一度、部屋の中に入ってしまうと、部屋中を飛び回ったり、壁を素早く歩き回ったりして、手で捕まえなければ外に出すのは困難になる。


洗濯物を取り込む時はカメムシが付いていないかよく確認するか、一枚ずつバタバタしてから家の中に持ち込むようにするべきだろう。


以前、我が家ではカメムシがくっついていることに気付かずに、洗濯物を家の中に取り込んでしまったことがあった。


その後もカメムシがいることに全く気付かないまま、カメムシをサンドするように洗濯物を綺麗に畳んだうえ、あろうことかそれをタンスの中にギュウギュウ押し込んでしまい、カメムシさんの逆鱗に触れてしまったことがある。


言うまでもなく、タンスの中の洗濯物は全てまんべんなくカメムシ臭に包まれていた。
当然、すぐにもう一度洗濯はしたものの、カメムシ臭は少しも薄れているようには思えなかった。


その後、私たちは一か月以上に渡り、カメムシフレグランスを身にまとい、日常のちょっとした仕草のたびに、カメムシの香りをフワフワと漂わせ、周囲の者を困惑させることになるのだった。


ちなみにカメムシフレグランスは天然由来の成分で、地球に優しい香料であるということだけは付け加えておきたい・・・・・・。


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カマキリと言うと草地にいるイメージがあるが、じつは庭木など身近な場所に生息している種類もいる。


樹上生活をしている種類のカマキリは、マンションのベランダに突然現れて、「何でこんな所に?」と驚かされることもよくある。


私の友人(女性)は軒下に干していた洗濯物を取り込もうとしていたら、干していた自分のブラジャーに大きな緑色のカマキリがくっついていたことがあったという。


「どうやってカマキリにどいてもらおう・・・」と考えていたところ、「なんだかこのカマキリ、ちょっと様子がおかしいな」ということにふと気付いた。


そして違和感を感じて、カマキリのお尻のあたりに注目すると、何やら白い大きな塊がくっついているではないか。


「なにこれ?」と思って更に目を凝らして見ると、どうやらこのカマキリは産卵をしているようだったという。
しかも、彼女のブラジャーにである・・・・・・。


「よりによって、なんでここに・・・」と思いながら、彼女は「早く産卵をやめさせて、カマキリを移動させなければ」と慌てたが、カマキリの「卵のう」はもうすでに完成間近で、「もはやどうにもならない状態」だったという。


そこで彼女はとりあえず今日はブラジャーをそのまま外に残しておき、明日カマキリがいなくなってから、どうするか考えることにした。


翌日、ブラジャーを確認すると、カマキリの卵のうはもう完全に乾いていて、茶色に変わっていた。


少し引っ張ってみたが、まるでボンドでくっ付けてあるように、しっかりと貼り付いていて、そう簡単には剥がせそうにはなかったそうだ。


しかも、その卵のうがくっついている位置が問題で、「ちょうど乳首のあたりだった」と言う。


彼女は何を思ったのか、そのブラジャーをTシャツの上からはめてみたそうだが、右胸の真ん中がピョコンと飛び出ていて、思わず爆笑してしまったそうだ。


ブラジャーなのに乳首が付いていて、しかも極太!


「どうせなら両方に付いていたら面白グッツになるのにな~」などと考えていたら、笑いのツボにはまってしまい、腹筋がつりそうになるまで笑い転げたと言う・・・・・・。


彼女はカマキリのお母さんから卵を託されたような気持ちになって、この卵が無事に孵るよう、「来年の春まで私がしっかり守って行かなければ」と考えた。


毎日、このブラジャーをはめ続けていれば、卵はしっかり守られるが、卵のうが付いていては洗濯が出来ない。


しかも、卵のうがシャツを突き上げ、「右胸だけ異様に乳首がでかい女」と思われかねない。


それに部屋の中に連れて行ったら冬でも暖かいので、春を待たずして卵が孵ってしまうだろう。


彼女は卵のうを連れて歩くことはあきらめ、風で飛ばされないよう軒下にブラジャーをしっかりとくくり付け、春を待つことにした・・・・・・。


翌春、卵のうからおびただしい数のカマキリの幼虫が滝のように流れ出て来た。
彼女はカマキリのお母さんとの約束を無事に果たすことが出来て「ホッ」と安堵したという。


それと同時に途切れることなく、滝のように流れ出て来るカマキリの赤ちゃんを、「いったい何匹いるんだろう・・・」と呆然と見つめながら、「卵のうを部屋の中に連れて行かなくて本当によかった」と心の底から思っていた。


しかし、うかつなことに窓を開けっ放しにして観察していたため、先に生まれた先発隊がいつの間にか部屋の中を行進しており、それを外に出すのに小一時間かかったという・・・・・・。

(画像上はオニユリ。この花が咲き出すと本格的な暑さが到来する。画像下はカマキリの幼虫。今はまだ翅の生えていないちっちゃな幼虫だが、夏の終わりから秋には成虫になり産卵する)

2019年3月 5日 (火)

ヒキガエルの蛙合戦

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私は自然と触れ合うのが好きなので、よく里山に散策に出かける。


里山には田んぼや小川、湿地、ため池など、たくさんの水辺があるので、多くの種類のカエルが生息している。


都市部に住んでいると、カエルが生息出来るような水辺の環境が少ないので、カエルを見かけることはほとんどないと思う。


しかし、都市部にもカエルはいない訳ではない。


公園や神社、お寺の池などを繁殖場所として、都市の環境に適応して生きているカエルがいる。
一般にヒキガエルとかガマガエルと呼ばれているカエルがそうだ。


ヒキガエルは全体に茶褐色で頭部が大きく、ずんぐりむっくりとした、カエルらしからぬ体型をしている。


ヒキガエルは「カエル」と言って、一般の人がイメージするアマガエルやトウキョウダルマガエルよりも体が数倍も大きくて、初めて見るかたはきっと驚かれるに違いない。


まるで、重戦車のようなイメージと言ったら分かりやすいだろうか。


ヒキガエルが水辺に現れるのは繁殖の時期だけで、里山では普段は雑木林の中で暮らしている・・・・・・。


一方、都市部では、木々の多い公園などで暮らしているヒキガエルは別として、生息場所となる雑木林そのものがほとんど残っていない地域が多い。


しかし、そのような場所にも、ヒキガエルはちゃんと生息している。
いったいどこにいるのかと言うと、意外にも身近な場所で、民家の庭や、お寺や神社、畑などを普段の生活の場所にしている。


一昔前までは庭付きの家が多かったので、「一軒の家の庭に、一匹はヒキガエルが住んでいる」と言われていたくらいだ。


しかし、「自分の家の庭でヒキガエルなんて見たことないよ」という人も多いかと思うが、じつはヒキガエルは身を隠す天才で、ちょっとやそっと探したくらいでは見つけ出すことは出来ないのだ・・・・・・。


そんな身近な場所にも生息しているヒキガエルを、最も目にする機会が多いのはやはり繁殖期だろう。
ヒキガエルは3月の初旬ぐらいになると冬眠から目覚めて、繁殖のために自分の生まれた池へ移動を始める。


都市部ではその移動の途中で、車にひかれてぺちゃんこになっている姿をよく見かける。


里山では車にひかれることはないが、ヤマカガシを初めとするヘビなどの天敵に襲われて命を落とすこともある。
どちらにしてもヒキガエルにとって、池への移動の道のりは命がけなのだ・・・・・・。


ヒキガエルはメスの数がオスに比べて極端に少ない。
このため繁殖地の池ではメスを取り合って、多くのオスがメスの背中の上で団子状になってもつれている。


オスはもつれ合いながらライバルのオスを足で蹴り飛ばし、なんとかメスを死守しようと必死なのだが、次々と別のオスが飛びついて来て、組んず解れつの状態が続き、いつまで経っても決着は付かない。


このメスの取り合いを「カエル合戦」と呼ぶ地域が多い。


この時期のオスは動くものなら何にでも抱接(メスの背中におんぶして抱き着くこと)しようとするので、時には池畔で冬眠している巨大なウシガエルをメスと間違えて抱き着いてしまったりもする。


同種間のリリースコールがないので、ウシガエルはいつまで経っても放してもらえない。
まだ、うたた寝中だったウシガエルにしてみれば迷惑なことこの上ないだろう・・・・・・。


ヒキガエルのオスの抱接する力は強く、時にはメスを絞め殺してしまうこともあるそうだ。


先にも書いた通り、ヒキガエルはメスの数がオスに比べて極端に少なく、オスはライバルにメスを取られまいという気持ちが強すぎて、自分でも気付かないうちにメスを絞め殺してしまっていたというところなのだろう。


カエル合戦では激しくメスを奪い合い、抱接をした状態のまま、何かの拍子にひっくり返ってしまうこともある。


その裏返しになった姿は、正に総合格闘技のチョークスリーパーそのもので、メスのボディーにガッチリとオスの腕が食い込んでいるのが分かる。


繁殖のためとはいえ、最後までタップ(ギブアップの意思表示)しないメスの根性はカエルとは言え尊敬に値する。


このように、ヒキガエルは繁殖のために池へやって来るのも命がけ、池で繁殖相手と出会ってからも命がけなのである・・・・・・。


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カエル合戦が終わって静かになった池には、まるで「ところてん」のようなひも状の卵塊が、池畔を覆うように漂っている。


小さな池だと、それこそ池面全体をヒキガエルの卵塊がびっしりと覆ってしまう。
この「ところてん」の中に卵が入っていて、一匹のメスが1500~8000個の卵を産むと言われている。


一つの池に一匹のメスしか来ないなんてことはまずないので、当然複数のメスが卵塊を産んで行くことになる。
だから池面を覆ってしまうほどの卵塊が出現することになるのだ。


それは毎年見慣れている人なら、「ああ、今年もヒキガエルが卵を産む季節になったんだな~」くらいにしか思わないだろうが、初めてそれを目撃した人にはかなり衝撃的で異様な光景に見えるようだ。


ましてやカエルについて興味や知識が全くない人だったらなおさらで、「この池でいったい何が起きているんだろう」と、一種の恐怖のようなものを感じる人もいるようなのだ・・・・・・。


「カエルの卵」という言葉から、多くの人が想像するのは、ゼラチンに包まれた小さな丸い卵が、一つ一つくっ付きあって、手のひらサイズくらいの大きさで、ひと塊になっているようなイメージだと思う。


ところがヒキガエルの卵塊は細長いひも状なので、「これはいったい何なんだ!?」ということになる。


正体の分からないものほど、人は想像力をかき立てられるらしく、過去には「UFOや宇宙人の置き土産だ」とか、「池の底から何かがにょろにょろと湧き出して来ているのだ」などと言い出す人もいたのだとか。


自然と接する機会の少ない都市部ならではのエピソードである・・・・・・。


さて、この池の中の「ところてん」はヒキガエルの卵である。
卵と言うことは、この後、当然オタマジャクシが生まれて来ることになる。


先程、一匹のメスが産む卵の数は、1500~8000個と書いた。
と言うことは、単純計算で一匹のメス当たり、1500~8000匹のオタマジャクシが生まれて来ることになる。


池には多くのメスが産卵にやって来るので、卵が一斉に孵ったら想像を絶する数のオタマジャクシが生まれて来るという訳だ。


「ところてん」のような細長い卵塊が、池面を埋め尽くしている光景も衝撃的だが、じつはオタマジャクシが孵ったあとの池の光景も凄いことになる。


オタマジャクシはある程度の大きさになるまでは、水深の浅い岸の方に集まって密集している。


このため、少し離れた場所から池を見ると、岸側の水面が真っ黒に見える。
何だろうと思って近付いてのぞき込むと、黒くて丸い謎の物体が池面を埋め尽くしているように見えるのだ。


あまりにも沢山のオタマジャクシが、折り重なるようにうごめいているので、オタマジャクシの尾の部分が見えず、ただ、ただ、黒くて丸い謎の物体が、岸辺に集まっているように見えるという訳だ。


で、都市部ではまたしても、「これはいったい何なんだ!?」と思う人が出て来ることになるのである・・・・・・。


数年前、里山のため池で、ヒキガエルのオタマジャクシが岸辺に集まっている光景があまりにも壮観だったので、何枚も写真に撮って、家に帰ってから家族に見せたことがあった。


私としては、「すごいね、こんなにいたの?」とか、「春だね~」というコメントを期待していたのだが、返って来たコメントは、「なにこれ?」とか、「なんで小豆の写真なんて撮ったの?」とか、「これじゃあ、小豆を洗った後に何を作ったのか分からないじゃん」といったものだった。


そう言われてみれば、確かに小豆に見えなくもないが・・・・・・。


(画像上はヒキガエルのカエル合戦。オスがメスの背中に飛びつこうとしているところ。画像下は田んぼで見られるヤマアカガエルのオタマジャクシ。ヒキガエルのカエル合戦が始まるころ、ヤマアカガエルはすでにオタマジャクシが見られる。カエルの仲間は繁殖の時期をずらすことで他種のオタマジャクシと競合しないようにしている)

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