カテゴリー「レトロ雑誌、本」の記事

2025年10月 8日 (水)

燃えろ‼プロ野球

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▲「燃えろ‼プロ野球」の発売当時は、優秀な助っ人外国人がたくさんいた。阪神タイガースのバースは1985(昭和60)年に三冠王に輝き、シーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得した強打者だった・・・・・・。

1987(昭和62)年6月26日、ジャレコからファミコン用ゲームソフト、「燃えろ‼プロ野球」が発売になった。


当時は選手がデフォルメされていない、リアルな等身で描かれている野球ゲームが、まだなかった時代だった。


そんな中、ジャレコの「燃えろ‼プロ野球」は、選手のグラフィックがリアル指向で、「おっ、こいつはすごいぞ!」と発売前から、大いに話題になったのである・・・・・・。


「燃えろ‼プロ野球」は、選手のグラフィック以外にも、観客の歓声や、審判や監督の声などが、リアルに再現されていて、当時の子供たちを驚かせたものである。


私が一番記憶に残っているのは、ノーアウト満塁で三振したときに流れる、「アホ!」という声。


普段なら「観客のヤジか・・・・・・」と、何とも思わないワンシーンなのだろうが、じつはこれ観客ではなく、自軍の監督が発しているのである。


きっと、いまだったら、まず間違いなく、ボツになる音声だろう・・・・・・。


と、そんなリアル指向の、「燃えろ‼プロ野球」だったのだが、肝心の野球ゲームとしての出来は、かなり問題があったといわざるを得ない。


で、何がそんなに問題だったのかというと、あまりにもバグが多すぎたことが、その要因の1つとなっていた・・・・・・。


最も有名なのは、いまやこのゲームの代名詞ともなっている、「バントでホームラン」だろう。


「燃えろ‼プロ野球」では、各球団に1人は強打者がいて、彼らはなぜかバントであろうが、バットにボールが当たれば、ホームランになったのである。


バントなので当然のことながら、1ミリもスイングはしていない。


ある意味これは怪奇現象である。


ちなみに外国人バッターは、バントが出来ない仕様になっているのだが、その代わりに、「スイングの途中で止めたバットでも、当たればホームラン」が打ててしまう・・・・・・。


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▲いまは無き、阪急ブレーブスのブーマーは、何といっても身長2m体重100㎏という見た目のインパクトが絶大だった。1984(昭和59)年にはシーズンMVPと三冠王を獲得している・・・・・・。

じつはこの「バントでホームラン」、先行して発売されていた、ナムコのファミスタに対抗するために、「誰もかなわないような怪物バッターを作ろう」と思い立ったことがきっかけになったのだそう。


そして1987(昭和62)年5月、ヤクルトスワローズに入団して、ホームランを量産していた、ボブ・ホーナーに注目。


ホーナーのミート指数とパワー指数を極端に上昇させたことにより、バットに当たればホームランというバグが生じることになってしまったのだという・・・・・・。


ちなみに「バントでホームラン」以外にも、本作のバグは多数が知られている。


本作では各選手に、「内野手」、「外野手」、「捕手」と、それぞれにポジションが決められている。


代打を出す場合、同じポジションの選手が残っていないと、「ダイダナイヤノコッテイマセン」などと表示され、その画面でフリーズしてしまい、そうなると、もうリセットするしか、道は残されていなかった・・・・・・。


また、これはバグというか、ゲームバランスの問題なのだが、球場の広さに対して、外野手の足が極端に遅く、ボテボテのゴロなのに、二塁打、三塁打になりやすかったり、高く上がった外野フライに追いつけなかったりしていた。


いま思うと、当時イチロー選手がいたら、この辺のゲームバランスも、こだわって作り込まれたのではないだろうか。


ただ、そのぶん、発売日は遅れたかもしれないが・・・・・・。


最後にこれは個人的に都市伝説だと思っているのだが、当時ファミコン通信のクロスレビューで、「燃えろ‼プロ野球」はなんと32点の高評価を得ている。


クロスレビューは4人のレビュアーが、10点満点で評価するのだが、なんと全員が8点を出しているのだ。


これを都市伝説といわずして何といおうか。


もはや編集部でプレイしたソフトは、一般販売されたソフトとは別物だったとしか思えない・・・・・・。



2025年9月24日 (水)

見えたぞ !! X-線メガネ

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▲「見えたぞ‼X-線メガネ」の見た目は、このような「おもちゃのメガネ」だった。どこからどう見ても、これに透視の機能が内蔵されているとは思えなかった・・・・・・。

昭和の頃は、どんな雑誌にも、必ずといっていいほど、怪しい通信販売の広告が掲載されていた。


そしてそれらの広告は、誰がどう見ても、「絶対に嘘に決まっている」とか、「そんなうまい話があるわけがない」と感じるものばかりだった。


しかし、人間というのは、全く信用していなくても、心のどこかに、「もしかしたら、本当なんじゃないか?」と思う気持ちが少なからず残っていて、よせばいいのに、ついつい「体験者Aさん」のレポートに目を通してしまうのである・・・・・・。


そんな通販グッズ広告の1つに、「見えたぞ ‼ X-線メガネ」があった。


広告には、「透視メガネをかけると、なにもかも透視することが出来るようです」とある・・・・・・。


「なにもかも」とはいったいどういうことかと思っていると、そのすぐ下に、いくつかの例がしっかりと書かれていた。


「貴方の手の骨も」、「卵の黄身も」、「服を着ている人も見てごらん」、「何が見えるでしょう」とある。


そして極めつけは、マリリンモンロー風の女性のイラストが描かれていて、例の地下鉄の風でスカートがめくれているシーンが再現されている。


しかも、風に煽られたスカートがなぜかスケスケになっているではないか。


そしてその隣では、黒縁メガネの男が目を見開き、よだれを流している。


このイラストを見ると、どうもこの「見えたぞ ‼ X-線メガネ」は、大人の男性がターゲットだったようである・・・・・・。


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▲「X光線人体透視メガネ」は左図のような筒状で、指先でつまめるほどの小さなものだった。小さな穴から中をのぞくと、確かに骨のようなものがぼんやりと見えていた(右図)・・・・・・。

で、この「見えたぞ ‼ X-線メガネ」は商品名の通り、メガネ型をしたグッズだったのだが、じつはこれには、「X光線 人体透視メガネ」という元ネタがあった。


ただし、こちらに関しては、メガネ型はしておらず、指でつまめるほどの大きさのグッズだった・・・・・・。


その形状は短い筒の上下に丸い蓋がついていて、蓋の真ん中に、小さな丸い穴が開けられていた。


そしてその丸い穴には、くもりガラスが取り付けてあった。


で、この穴をのぞくと、骨のようなものが、ぼんやりと見えていた・・・・・・。


ちなみに本来の使い方としては、「自分の手を日光に透かしながら、人体透視メガネでのぞいてみよう。なんと骨が透けて見えるではないか!」的なことだったようだ。


しかし、先にも書いたように、べつに手の平を透かさなくても、筒の中にすでに骨は見えていて、この時点でまんまと騙されたことを知り、天を仰いだ者が、当時どれほどいたことだろう。


ちなみにメガネ型をした、「見えたぞ ‼ X-線メガネ」の方も、仕組みとしては全く同じである・・・・・・。


ちなみにこの骨のように見えるものはじつは骨ではなかった。


じゃあ、いったいなんだったのかというと、鳥の羽を小さく切ったものが、内部に貼り付けてあったのだそう。


ただし、どんな鳥の羽でもいいというわけではなく、日本の国鳥、キジの羽でなくてはならなかった。


しかし、キジはどこにでもいる鳥ではないし、それなりに自然度の高いフィールドでなければ棲息していない。


しかもキジは乱獲が出来ないと来ている・・・・・・。


ちなみに日本で最も簡単に、しかも大量に入手出来る鳥の羽といえば、家畜であるニワトリの羽ということになるだろう。


ところがニワトリの羽には、「膜」があるそうで、「X-線メガネ」に使用すると、向こう側が透けて見えず、「透視している」というリアル感を再現することが出来ないのだそう・・・・・・。


そんなわけで、商品を製作する側は、キジの羽集めに苦労していたようなのだが、商品を購入する側は、べつに自分の手の骨など見たくもなくて、道行く女性のすっぽんぽんを拝みたかっただけなのである。


だからX-線メガネの中に何も入っていなかったとしても、べつにそんなことはどうでもよかったのだ。


そもそもの話、「たったの950円(送料共)」で服が透けて見えたりしたら、ドラえもんは誕生していなかっただろう・・・・・・。



2025年8月 6日 (水)

まんが日本昔ばなし

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▲「まんが日本昔ばなし」のこの絵柄は、きっと一定の年齢以上のかたなら、かなり懐かしく感じることだろう。じつはこの画像は本が収められているカバーになる・・・・・・。

画像はうちの物入れから出て来た古い本だ。


見ての通り、日本の昔ばなしの本なのだが、この絵柄は一定の年齢以上のかたなら、かなり懐かしく感じるのではないだろうか。


本のタイトルにもある通り、この本の元になっているのは、「まんが日本昔ばなし」で、私が子供の頃は、TBS系列で毎週土曜日の午後7時から7時30分まで放映されていた。


内容としては、もはや説明するまでもないと思うが、日本各地に伝わる昔話を映像化(アニメ化)し、市原悦子さんと常田富士男さんのコンビで、何役もの声を使い分ける手法で、独特の世界観を作り上げていた・・・・・・。


日本昔ばなしの放送が開始されたのは、1975(昭和50)年1月7日からで、この時はNETテレビ(現、テレビ朝日)系列での放送だった。


そして1975(昭和50)年3月25日まで、毎週火曜日の午後7時から7時30分の放送枠で放映されていた。


その後、1976(昭和51)年1月3日から、TBSテレビ系列へ移動して番組が再開され、1994(平成6)年9月24日まで、毎週土曜日の午後7時から7時30分の放送枠で放映されていた。


ちなみに局が変わる際に、ブランクがあった理由としては、もともとこの番組は、在外日本人向けに制作されたもので、番組改編の都合で空いた枠への穴埋めとして使用したためといわれている・・・・・・。


しかし、反響が高かったため、改めてレギュラー番組として放送されることが決まったということらしい。


つまり当初の予定では、早々に番組は終了する予定で、このような長寿番組になる要素はゼロに等しかったことになる。


世の中、何があるか分からないものである・・・・・・。


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▲外箱カバーの中には、このように5つのエピソードが収められている。どれも気軽に読むことが出来る薄い本で、アニメで使用された絵がそのまま使用されている・・・・・・。

で、うちの物入れから出て来た本に話を戻そう。


写真ではよく分からないと思うが、じつはこの本、大きな本というわけではなく、文庫本サイズである。


そして文庫本サイズのカバーの中に、5冊の本(エピソード)が納められている。


カバーにも書かれているが、その内容は、①桃太郎②竜の淵③たにし長者④ちょうふく山の山んば⑤鶴の恩がえし・・・、となっている・・・・・。


そしてこの本のカバーを裏返すと、「まんが日本昔ばなし第一巻全五冊」と書かれている。


「第一巻」ということは、この後も二巻、三巻と発売されていったのかもしれないが、私の記憶に残っているのは、この「第一巻」だけなので、二巻以降は買わなかったのだろう・・・・・・。


と、そう思っていたら、「竜の淵」の裏表紙に、「まんが日本昔ばなし全集」が紹介されていて、なんと第二十巻までがすでに紹介されていた。


そして第二十巻のところに、「以下続刊」と書かれていたので、まだまだ続いていったのかもしれない・・・・・・。


で、この第一巻は昭和51年4月30日に初版発行となっている。


まんが日本昔ばなしが、TBS系列で放送開始となったのは、1976(昭和51)年1月3日からなので、この本はそのわずか3ヶ月後に発売されたことになる。


仕事が早いというか、なんというか、当時いかに「まんが日本昔ばなし」が好評で、反響が高かったのかがよく分かる。


空いた放送枠への穴埋めとして使用された番組が、改めてレギュラー放送化されることになった理由は、そういうことだったのだと、この本を読み返してみて、改めて納得することになったのだった。


で、我が家の物入れに奇跡的に残っていたこの本は、子供の頃の思い出と共に、十分楽しむことは出来たのだが、読み終えてみて、「出来ることなら、市原悦子さんと常田富士男さんの声で朗読してもらいたいな」とふと思った。


「まんが日本昔ばなし」って、結局はそこなんだよなぁ・・・・・・。



2025年6月11日 (水)

トラがライオンに化けた話

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▲小学校低学年の頃に図工の時間に作った卓球のラケット。子供が糸鋸を使って切り出したものなので、形はいびづでとても褒められたものではないが、意外なことに担任の先生の総合評価は高かった・・・・・・。

自分でいうのも何だが、私は子供の頃、絵がうまかった。


自分ではその自覚は全くなかったのだが、他人からそういわれることが多かったので、きっとそうなのだろう。


そのせいか小学校の頃は図工の成績は常に安定していた。


しかし、そうはいっても、私は絵を描くことが特別好きだったわけではなく、学校の授業以外では、絵を描くことなんて、ほぼなかったと思う・・・・・・。


上の画像は私が小学校低学年の頃に図工の授業で作った卓球のラケットだ。


まず、教材の板を糸鋸でラケットの形に切って紙やすりを丁寧にかける。


そして、自分の好きな絵を描いて彩色し、仕上げにニスを塗って完成という工程だったと思う。


見た目とは裏腹に、けっこう手間がかかっている作品なのである・・・・・・。


で、私はこの時、ライオンの絵を描いているのだが、「どうやったらこんなにリアルなライオンの絵が描けるのか?」と、クラスメートや担任の先生に感心されたものである。


子供というのは、動物の絵を描かせると、デフォルメしたようなイメージになってしまったり、ベースが人間の顔のようになってしまい、まるで妖怪のようなものを生み出してしまうことが多い。


ではなぜ私は、こんなにリアルなライオンの絵をかけたのだろう・・・・・・。


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▲これはタイガーマスクの原作漫画だ。ライオンの顔を描くに当たり、このトラの覆面はとても参考になった・・・・・・。

じつは私が子供の頃、タイガーマスクのアニメが人気で、しきりに再放送をやっていた。


ご多分に漏れず、私もタイガーマスクのアニメをテレビで見ていたのだが、ある日、「タイガーマスクってトラだよな・・・」と思い、「トラってどんな生き物だっけ?」と思い、動物図鑑を開いて、トラの顔をじっくり観察してみたことがあった。


するとトラの出ているページには、ネコ科の動物がまとめて掲載されていて、当然ライオンもしっかりと載っていた。


で、私は気付いてしまったのだ。


「あれ?ネコ科の動物って、模様を全部取っ払ったら、みんな同じ顔をしているな・・・」ということに・・・・・・。


そこでまず、アニメのタイガーマスクをお手本に、リアルなトラの顔を描いてみる。


ただし、虎柄の模様はいっさい描き加えない。


続けて模様のないトラの顔に、ライオンのたてがみをつけ加えてみる。


「・・・・・・!」


すると予想通り、ちゃんとライオンの顔になったのだ。


ネコにライオンのたてがみのかぶり物を被せても、変な違和感がないのはこのためである。


そんなわけで、私が図工の授業で、こんなにリアルなライオンの絵を描けたのは、タイガーマスクのおかげだったのである。


私の画力に驚いていた担任の先生や友人たちも、まさかこの絵のルーツがライオンじゃなくてトラであり、しかもタイガーマスクのアニメがその原点だったなんて、これぽっちも思ってもみないだろう・・・・・・。


当時は昼間から夜までアニメ番組をたくさん放映していたこともあり、どこの家庭でも、「勉強しないでアニメばっかり見て!」というのが、母親の定番の小言になっていた。


しかし、いま思えば、私はそのアニメから学ばせてもらったことが山ほどある。


本件のように学校の授業に生かせたこともあったし、社会に出て役に立ったこともあった。


だから一概に、「勉強しないでアニメばっかり見て!」というのは、間違った認識だと私は思うのだ・・・・・・。


もっというなら、学校の勉強の8割は社会に出たら何の役にも立たない。


トラがライオンに化けたように、最高の教材は、案外身近なところにゴロゴロ転がっているものなのだ。


重要なのはそれに気づけるかどうかである・・・・・・。



2025年5月28日 (水)

ドラえもんと鼻くそ

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私は子供の頃、ドラえもんの単行本(小学館てんとう虫コミックス)を愛読していた。


ドラえもんには、子供の頃に読んで衝撃を受け、大人になっても忘れられないほど、強烈に印象に残っているエピソードがいくつかある。


そんなエピソードのひとつが、単行本(小学館てんとう虫コミックス)第7巻の、「くせなおしガス」というエピソードだ。


「くせなおしガス」とは、誰でも無意識にやってしまう悪いくせを、本人に気付かせるために、ガスの力で少し大げさに再現してくれるというもの。


のび太は自分の鼻をほじるくせを、パパとママに指摘されたので、2人のくせも本人たちに気付かせたいと思い、ドラえもんに頼んで、「くせなおしガス」を出してもらう。


そして2人のいる部屋に気付かれないように、「くせなおしガス」を噴霧するドラえもん。


ふすまの隙間から、いつ2人のくせが出てもいいように、こっそりと様子を見ているドラえもんとのび太。


ところが先にくせが出てしまったのはのび太の方で、暇を持て余したのか、ついつい鼻をほじるくせが出てしまったのだ。


すると鼻の穴につっこんだのび太の右手小指に、あれよあれよという間に、鼻くそがほじくり出されて行き、最終的にはのび太の顔よりも大きな、鼻くそのボールが出来てしまう。


それを見たのび太とドラえもんは大慌てで、
「ど、どうしよう、これ」
「きたないな。はやくごみ箱へ」
と、鼻くそボールを両手で持ちながら走り回っている。


そこへ玄関にお客さんがやって来る。


しかし、パニックになって走り回っているのび太とドラえもんは、巨大鼻くそボールで前が見えず、「ごめんください」と言いかけているお客さんの顔に、鼻くそボールをムギュッと押しつけてしまう。


そしてお客さんに、「なに?それ」と言われて、あわてて背後に鼻くそボールを隠している。


で、私が忘れられないのは、この「くせなおしガス」のエピソードそのものというより、この鼻くそボールのディティールなのだ。


ボールといっても、ただの球体というわけではなく、全体にでこぼこしていて、そのでこぼこの描写が何ともリアルで気持ちが悪く、それでいてコミカルで、思わず「プッ!」と吹き出してしまう破壊力があった。


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じつはドラえもんでは、小学館てんとう虫コミックス第15巻の、「こっそりカメラ」というエピソードにも鼻くそボールが登場する。


こちらはのび太の同級生の「はる夫」が、「ひそかにためたハナクソが、こんなボールになった」と、机の上に置いて満足気に眺めているのだが、のび太のものより2回りほど小さく感じる。


しかし、こちらは「くせなおしガス」で大げさに再現したものではなく、はる夫がコツコツとためて、少しずつ大きくしたものなのだ。


そう考えると、のび太の鼻くそボールよりも、はる夫の鼻くそボールの方がすごいといえよう。


のび太のものよりも小さいとはいえ、はる夫の鼻くそボールもそこそこのサイズで、占い師の使う水晶玉と、ハンドボールの中間ほどのサイズはあると思う。


それにしても、こんなに大きな鼻くそを、はる夫はいったいどこに保存しているのだろう。


この時、はる夫が鼻くそボールを置いているのは、恐らく学習机の上だと思うのだが、学習机の引き出しには、どう考えても入らないサイズだろう。


机の上にそのまま置いておければ一番楽なのだろうが、普通の家庭ならまず間違いなく、母ちゃんの雷が落ちる案件だろう。


一方、のび太の鼻くそボールの方も、ドラえもんは「はやくごみ箱へ」とのび太を促しているのだが、のび太の鼻くそボールは、のび太の顔よりも大きく、どう考えてもごみ箱の口につかえてしまうはずだ。


このあとどう処理をしたのか気になるところである。


このように、私は子供の頃に読んだ、ドラえもんの鼻くそにまつわるエピソードが、強烈な印象としていまでも頭に残っている。


そしてこれらのエピソードを読んだ当時の私が、「自分も野球のボールくらいのサイズなら、何とかいけるんじゃないか?」と、一瞬思ったことをつけ加えておきたい・・・・・・。


(画像上、5月中旬頃から咲き始めるシモツケの花・・・・・・。画像下、芳香を漂わせながら、スイカズラの花が咲いている・・・・・・)


2025年4月30日 (水)

ドラクエの旅立ちの地あるある

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▲初代のドラクエではアレフガルドの大地しかなかったので、マップの周りには町や城の情報も紹介されていた。ちなみにこれは当時徳間書店から刊行されていた攻略本についていたものだ・・・・・・。

ドラクエの世界にはとにかく謎が多い。


例えば主人公が旅立つ町の周辺には、なぜかレベルの低いモンスターしかいない。


これはいったいどうしてなのだろう。


そしてこれはシリーズを通して、ずっとそうである・・・・・・。。


定番なのは、いまやドラクエの代名詞にもなっているスライムだろう。


スライムといえば「ザコ中のザコ」で、公式ガイドブックには、「骨がないブヨブヨの軟体生物。体当たりで攻撃して来るだけのかわいいモンスターである」とだけ書かれていて、あまりの弱さに、注意点や攻略法については特に何も書かれていない。


これではただの動物図鑑である・・・・・・。。


レベルの低いモンスターしかいないので、町には原始的で安価な装備品しか売っていない。


武器でいうなら、「ひのきの棒」や「こん棒」、防具でいうなら、「布の服」や「旅人の服」が定番だ。


どうでもいいが、「ひのきの棒」や「こん棒」なんて、もはや「棒」といっちゃってる時点で、本当に武器と呼んでもいいのか、かなり疑問である・・・・・・。


公式ガイドブックの説明書きにも、「ひのきの棒」は「ひのきの幹を削って、持ちやすくした棒」とある。


そう、「棒」なのだ。


「剣」でも「槍」でもなく、ただの「棒」である。


それならば、竹刀や木刀の方が、まだ武器っぽいし、強力なのではないだろうか・・・・・・。


同様に「布の服」や「旅人の服」も、武器防具の店で扱うのは疑問である。


「布の服」なんて、どう考えたってただの服だろう。


公式ガイドブックには、「厚い麻布でつくられた袖のない服。防具というよりは、平凡な住民のための普段着である」と、はっきりと書かれている。


武器防具の店のおやじに、「普段着じゃねえか!」と、ひと言つっこんでやりたい気分でいっぱいだ・・・・・・。


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▲ドラクエⅡになって、パーティー制が導入され、冒険出来るフィールドが一気に広がった。それでもスタート地点のローレシアの城付近はやはり弱い敵しかいなかった。ちなみにこちらのマップも当時徳間書店から刊行された攻略本についていたもの・・・・・・。

どうでもいいが、なぜ「布の服」は半袖しかないのだろう。


夏以外はどう考えたって寒いし、これを防具というのなら、肌の露出は極めて危険といえるだろう。


まあ、ドラクエの世界では、女戦士が露出の多いビキニアーマーを装備しているくらいだから、我々の一般常識は通用しないのかもしれないが・・・・・・。


それにしても、いくら町の周辺には、レベルの低いモンスターしかいないとはいえ、旅人の行き先によっては、こんな貧弱な装備では、途中でモンスターの餌食になってもおかしくない。


それを考えると、武器防具の店の品揃えは、どう考えてもおかしいのではないだろうか・・・・・・。


おかしいといえば、主人公が旅立つ町にある、城の王様もどうかしている。


主人公が旅立つ際には、城の宝箱からいくつかアイテムを授けてくれるのだが、初代ドラクエでは、「鍵」と「たいまつ」と「120G」。


ドラクエⅡでは、「どうのつるぎ」、「かわのよろい」、「50G」。


ドラクエⅢでは、「こんぼう×2」、「ひのきのぼう」、「たびびとのふく」、「50G」なのだ。


王様は主人公のことを、「これから世界を救おうとしている勇者である」と認識しているはずである。


それにも関わらず、主人公に渡す装備品や支度金がこのありさまなのだ。


本来なら国を挙げて、全力で支援するのが普通である・・・・・・。


そもそもの話、「ひのきのぼう」や「たびびとのふく」が、国の宝であるはずがないし、「100G程度の金」が支援の限界であるわけがない。


さらにいうなら、この程度の装備やお金を宝箱に保管しているのもどうかしている。


誰でも開けられる、タンスの引き出しに入っていたって、おかしくはないだろう。


むしろその方が自然といえる・・・・・・。


また、こんな貧弱な装備では、目的地にたどり着く前に、レベルの低いモンスターにやられて、死んでしまってもおかしくないだろう。


ドラクエの世界では、もし仮に死んでしまったとしても、王様の前で生き返ることになる。


そしてその時に王様は、「しんでしまうとはなにごとだ!」と罵倒して来ることは、みなさんもご存知の通りである。


旅立って間もなくして死を経験した、日本全国にいる多くの勇者たちは、きっとその言葉を浴びせられて、「それはあんたのせいだろうがぁ!」とキレまくっていたに違いない・・・・・・。



2025年1月22日 (水)

まほうのビキニ

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▲ファミコン版のドラクエⅢ公式ガイドブックには、なぜか「まほうのビキニ」も、それを落とす「キングマーマン」も掲載されていなかった。画像はゲームボーイカラー版の公式ガイドブックで、ここに来てようやく情報が解禁されたことになる・・・・・・。

ドラクエの世界には、女性専用の装備品というのが存在する。


家庭用ゲーム機で発売されたドラクエシリーズで、女性専用の装備品が初めて登場したのは、1988(昭和63)年2月10日に発売になったドラクエⅢ(ファミコン版)だった・・・・・・。


ドラクエⅢでは、まず、旅立ってから間もなくして到着するアッサラームの町で、「アブない水着」が売られていた。


これについては、以前に書かせてもらったので、そちらを参考にしてもらいたい・・・・・・。


そしてドラクエⅢには、もう1つ女性専用の装備品が登場する。


「まほうのビキニ」は「アブない水着」と同様に、身体を守るための防具で、ドラクエの世界ではいちおう鎧の1種として分類されている。


鎧とはいうものの、「まほうのビキニ」の名称を見れば分かる通り、実際には「ビキニ=水着」である・・・・・・。


これを装備するぐらいなら、TシャツにGパンの方がよっぽど守備力がありそうだが、なんと「まほうのビキニ」は、勇者と戦士以外ではなぜか最強の鎧(守備力)に相当する。


特に武闘家と商人にとっては、「最強の鎧」ということもあって、ラスボスとの最終決戦にビキニ姿で挑まなければならず、裸同然の格好で、ゾーマの強烈な吹雪攻撃に耐え忍ばなくてはならない。


いうまでもなく、「まほうのビキニ」には耐性はないので、守備力がどうとかいう以前に、凍死しかねないと思うのだが・・・・・・。


ちなみに「まほうのビキニ」は、店では売っておらず、キングマーマンが戦闘後に64分の1の確率で落とす。


キングマーマンは半魚人風のビジュアルのモンスターで、身体の色は紫色で、腹側だけが橙色をしている。


そのビジュアルが示す通り、キングマーマンは海にしか現れない・・・・・・。


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▲ゲームボーイカラー版の公式ガイドブックでは、「まほうのビキニ」のビジュアルはもちろん、衝撃的なその誕生秘話までが語られている・・・・・・。

「まほうのビキニ」が勇者と戦士以外では最強の鎧ということもあり、キングマーマンが登場するのは物語り後半。


場所はゾーマ討伐前のアレフガルドの海。


この時点のアレフガルドは常に夜なので、キングマーマンは夜行性で、エンカウントするのは夜の海限定ということになるだろう。


同じ系列のモンスターに、マーマンとマーマンダインがいて、キングマーマンはその名の通り、最上位種となっている。


戦闘時の攻撃の特徴としては、ヒャダルコで攻撃して来たり、自分のHPが減ると、「ごくらくちょう」を呼んで回復してもらったりする・・・・・・。


ちなみにファミコン版の公式ガイドブックには、なぜかキングマーマンは載っていない。


「なんで?」と思っていたら、キングマーマンが落とす「まほうのビキニ」も載っていなかった。


ということは、「まほうのビキニ」がシークレットアイテム的な扱いになっているため、これを持っているキングマーマンも掲載出来なかったということなのではないだろうか。


じつはそのことを証明するかのように、「まほうのビキニ」は売ることが出来ないアイテムになっている。


公式ガイドブック(赤本)に載っていないので、ファミコン版Ⅲの時点では、「まほうのビキニ」のビジュアルは不明だったのだが、リメイク版で黄色いビキニであったことが判明している・・・・・・。


ところで、ゲームボーイカラー版の公式ガイドブックには、「まほうのビキニ」の誕生秘話が語られている。


個人的には、「布地が極端に少ないビキニであるにも関わらず、不思議な魔法の力で、驚異的な守備力と機動力を実現した」的な話なのかと思っていた。


ところがそこに書かれていたのは、「むっつりスケベな魔法使いが、可愛い弟子に着せようと作り出したもの」とある。


ゾーマの強烈な吹雪攻撃を、ビキニ姿で耐え忍ぶ彼女らに、この逸話を聞かせたら、はたしてどう思うだろうか・・・・・・。


2025年1月15日 (水)

MAYA

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▲自宅の物入れから、昭和の頃の古い雑誌が出て来た。「MAYA」は1988(昭和63)年10月に、「月刊ムー」の姉妹誌として創刊されている・・・・・・。

自宅の物入れを整理していたところ、思いがけず古い雑誌が出て来て、思わず見入ってしまった。


表紙のタイトルには、「MAYA」とあるのだが、いまの私には買った記憶が全くなくて、見覚えがない雑誌だった・・・・・・。


そこで表紙を捲って、目次を確かめてみることにする。


すると巻頭特集は、「ザ・ピラミッドミステリー」、総力特集企画は、「占いスペシャル1992年はこうなる!」、そして巻末大特集は、「宇宙人大図鑑」とある。


これを見ると、この「MAYA」という雑誌は、どうやらオカルト情報誌のようである。


オカルト情報誌といえば、1979(昭和54)年に学習研究社から創刊された「月刊ムー」が有名だが、ムー以外にもオカルト情報誌が発売されていたとは知らなかった・・・・・・。


で、「MAYA」については、衝撃的事実が明らかになった。


なんと「MAYA」は「月刊ムー」と同じ学習研究社から刊行されていたのである。


「すでにムーがあるのになんで?」と思うかたも少なくないと思うが、じつは「MAYA」は「月刊ムー」よりも、低年齢層に向けて刊行した雑誌だったらしいのだ。


確かに「月刊ムー」の内容は、子供にはかなり難しく、とてもじゃないが簡単に理解出来るようなものではなかった。


ちなみに「MAYA」は1988(昭和63)年10月に、月刊ムーの姉妹誌として創刊されている。


そう考えると、「ムー」を意識しての、「MAYA」というタイトルだったのだと理解出来る。


ちなみに「月刊ムー」以外のオカルト情報誌は、現在は全て休刊になってしまっている・・・・・・。


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▲巻末大特集の「宇宙人大図鑑」。オールカラーできれいにまとめられているが、いまとなっては、ちょっと聞いたことのないような宇宙人も紹介されている・・・・・・。

ところで、今回自宅の物入れから出て来た「MAYA」は、1992(平成4)年2月号だったのだが、なんとなんと、休刊前の最後の号だったのだ。


通常ならば「次号予告」になるページに、「読者の皆様へ」というタイトルがあって、「マヤはこの2月号を持って休刊いたします。3年半に渡る読者の皆様のあたたかいご支援に心よりお礼申し上げます。ビジュアルでわかりやすいオカルト入門書として、「マヤ」は可愛がって貰うべく努力してきました。しかし、当初の志とは裏腹に、読者の皆様のご期待に添えるまでに成長するに至りませんでした。誠に心苦しく残念ですが休刊のやむなきに至りました。長い間のご愛読有り難うございました。」とある・・・・・・。


この文面を見ると、3年半しか続けられなくて、読者に対して申し訳ないという気持ちが、ひしひしと伝わって来るのだが、個人的には雑誌として、3年半は長続きした方なのではないかと思う。


昭和のファミコンブームの頃に発売になった、ファミコンの情報誌なんて、3年どころか数ヶ月で休刊に追い込まれたものもあるのだ。


それを考えたら、3年半続けられたことは、立派だったと思うのだ・・・・・・。


ちなみにあまり知られていないが、「MAYA」を刊行していた学研からも、ファミコン情報誌は発売になっていた。


1986(昭和61)年4月に創刊された「ファミコントップ」がそれである。


じつはこの年にはなんと6誌ものファミコン情報誌が創刊されていた。


そのことも影響したのか、「ファミコントップ」は思うように売り上げが伸びていかず、なんとたったの4号で休刊へ追い込まれることになってしまった。


これは当時10誌近くあったファミコン情報誌の中で、最も短命な雑誌だったといえる。


そんなわけで、すでにお気づきかと思うが、学研には「MAYA」よりも上(下ともいえる・・・)の雑誌があったのである。


イメージとは裏腹に、学研ってけっこうやっちまっていたようである・・・・・・。


そして今回の件で1つ分かったことは、私がこの「MAYA」という雑誌をたった一冊だけ捨てずに保管しておいたのは、この号が最終号だったからではないだろうか。


ということは、当時のわたしは、この「MAYA」をずっと愛読していたのかもしれない。


そんな愛着のある雑誌でなければ、いくら最終号とはいえ、ずっと保管しておくことなんてないだろう。


ただ、1つ残念なのは、私には「MAYA」を購読していた頃のことが、いくら思い出そうとしても、全く思い出せないのだった・・・・・・。



2024年10月26日 (土)

あぶないみずぎ

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▲「ファミコン版ドラゴンクエストⅢ」の公式ガイドブック、通称「赤本」がこちら。ちなみにドラクエⅠの公式ガイドブックは「黒本」、ドラクエⅡの公式ガイドブックは「青本」だった・・・・・・。

ドラクエの世界には、女性専用の装備品というのが存在する。


家庭用ゲーム機で発売されたドラクエシリーズで、女性専用の装備品が初めて登場したのは、1988(昭和63)年2月10日に発売された「ドラクエⅢ(ファミコン版)」からだった。


そしてその装備品が売られていたのは、旅立ってから間もなくして到着するアッサラームの町だった・・・・・・。


アッサラームの町は昼と夜ではガラッと雰囲気が変わり、夜になると町のステージでベリーダンスが披露される、いわゆる「大人の町」でもあった。


そんな町だからなのか、北東にある武器屋には、他の町では見たことがない、「アブない水着(公式ガイドブックの表記)」なる防具が売られていた。


で、この「アブない水着」こそが、シリーズ初の女性専用の装備品だったのである・・・・・・。


では、「アブない水着」とは、どのような防具なのだろうか。


そこで公式ガイドブックを開いて、そのビジュアルを確認してみると、基本的には胸元が大きく開いたワンピーススタイルの水着であることが分かる。


ただ、通常の水着と違うのは、胸のすぐ下あたりから、へその下あたりにかけて、トランプのダイヤのマークの形に、布地がカットされていて、胸が大きく露出するデザインになっていることだ・・・・・・。


そして、すでにお気づきのかたも少なくないと思うが、これは防具とは名ばかりのただの水着である。


その証拠に公式ガイドブックに記載されている守備力はたったの「+1」なのだ。


そして頼みの綱の特殊効果に関しても、特に何もなしと来ている。


普通に考えたら、こんな裸同然の格好では、モンスターの打撃を食らえば、一撃で大怪我間違いなしで、炎を吐かれようものなら、焼け死んでしまってもおかしくはないだろう・・・・・・。


で、特筆すべきは、こんな何の役にも立たない水着が、なんと「78000G」もすることである。


いったい何に対しての価格設定なのか、意味がさっぱり分からない・・・・・・。


ところでこの「アブない水着」、前作に当たる「ドラクエⅡ」の時に、すでにその構想はあったのだという。


容量の問題があって、結果的にボツになってしまったものの、「販売価格がべらぼうに高い」、「ムーンブルクの王女に装備させると、フィールド上のキャラクターが水着姿になる」という案が練られていたらしい。


そして、キャラクターの名前によっては、「いやよ、こんなもの!」と、装備するのを拒否されてしまうという仕掛けが考えられていたようだ・・・・・・。


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▲公式ガイドブックに紹介されている「アブない水着」。確かにアブないのかもしれないが、その実態は防具というより、「ただの水着」と言ったほうが正解だ・・・・・・。

ところで、「ドラクエⅡ」といえば、MSXに移植されていたことをご存知だろうか?


今となっては、MSXといっても、何のことか分からない人の方が多いと思うので、簡単に説明しておくと、パソコンの入門機の、いわゆる「ホビーパソコン」という位置づけのマシンだった。


で、MSXに移植することで、使える容量が増えて、ファミコン版Ⅱではボツになってしまっていた「あぶないみずぎ」が、MSX版では晴れて採用されることになったのだ・・・・・・。


ファミコン版ドラクエⅢの「あぶないみずぎ」の入手方法は、「武器屋で購入する」というオーソドックスなスタイルであったが、MSX版ドラクエⅡでは、ムーンブルクの王女に何もアイテムを持たせない状態で、ラダトーム王に話しかけるとイベントが発生するようになっている。


ラダトーム王が、「こんなにかわいいのに、きるものもないとはかわいそうじゃ」と、宝箱から「あぶないみずぎ」を出して、プレゼントしてくれるのだ。


どうでもいいが、王様はいったい何の目的で、「あぶないみずぎ」を所持していたのだろうか・・・・・・。


そして王様から「あぶないみずぎ」をもらうと、なぜか教会の効果音が鳴り響き、「あぶないみずぎ」を着用したムーンブルクの王女の一枚絵が、画面にドーンと表示される。


しかも、全身の画像だけではなく、胸と下半身のアップがそれぞれ個別に表示されるというこだわりようだ。


この画像を見ると、「あぶないみずぎ」のデザインは、ファミコン版Ⅲの公式ガイドブックに掲載されているものと、基本的には同じなのだが、MSX版では胸元などにフリフリの装飾が付けられていて、どちらかというと、下着っぽい印象になっている。


ちなみにこの一枚絵、ドラクエのキャラクターデザインとはかなりかけ離れた、昭和アニメ風のデザインになっていて、妙に違和感を感じる仕上がりになっている・・・・・・。


そしてこの画像が表示された直後に、普段はひと言も発しない主人公が、思わず「おおっ、〇〇〇ちゃん!」と口走ってしまうのだ。


ちなみに「〇〇〇」にはムーンブルクの王女の名前が入ることになる。


いっしょにいたサマルトリアの王子も、「こいつはさいこうだぜ!」と興奮している様子。


そして、「あぶないみずぎ」を王女にプレゼントした張本人の王様も、「ああ、このとしまで、いきてきてよかったわい!」と感動している様子なのだが、思わず「このエロじじいがっ!」と、つっこまずにはいられない。


一方、リアルタイムで3人の感想を聞かされたムーンブルクの王女は、「そんなにみないで。わたし・・・はずかしい・・・」と、口でははにかんでいるのだが、先ほどの一枚絵の画像では、左手を腰に当てて、しっかりとポーズを取って見せている・・・・・・。


ところで、このMSX版ドラクエⅡの「あぶないみずぎ」には、ファミコン版ドラクエⅢの「あぶないみずぎ」にはない特徴があった。


なんと装備することで、特殊効果の「みとれる」の効果があったのだ。


早い話が敵が戦闘時にみとれてくれれば、そのターンの敵は、いっさい何もして来ないことになるわけだ。


やっかいな攻撃を仕掛けて来る敵には、これはとてもありがたい特殊効果になるだろう。


しかも、この「みとれる」は、驚くべきことに、ラスボスのシドーにも有効なのだ。


普段はしゃべらない主人公を、しゃべらせただけのことはあるといえよう・・・・・・。


ところでこのMSX版ドラクエⅡは、ファミコン版ドラクエⅢ発売の、わずか4日前に発売になっている。


参考までに付記すると・・・・・・、


ファミコン版ドラクエⅡは、1987(昭和62)年1月26日発売、


MSX版ドラクエⅡは、1988(昭和63)年2月6日発売、


ファミコン版ドラクエⅢは、1988(昭和63)年2月10日発売となる・・・・・・。


先ほども書いたように、MSX版ドラクエⅡには、あぶないみずぎに「みとれる」の特殊効果があった。


ところがその4日後に発売になったファミコン版ドラクエⅢでは、その特殊効果がきれいさっぱりなくなって、ただの「高額な普通の水着」になってしまったのだ。


たった4日の間に何があったというのか・・・・・・。


専門誌などを通じて、MSX版のあぶないみずぎの特殊効果のことを知ってしまうと、これについてはどうにもこうにも納得がいかない。


武器防具の店のおやじに文句を言ってやりたい気分でいっぱいだ。


しかも当時子供だった我々世代からしてみると、それを体験してみたくても、MSXなんて買ってもらえるはずもなく、ただ、ただ、悶々としながら、ファミコン版ドラクエⅢをプレイするしかなかったのである・・・・・・。


2024年9月 8日 (日)

別冊エキサイティングプロレス

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▲昭和の頃にはプロレス専門誌がたくさん発売されていた。この「エキサイティングプロレス」もその中のひとつだった・・・・・・。

先日、家の物入れを整理していたところ、「別冊エキサイティングプロレス」という懐かしい雑誌が出て来た。


表紙をよく見てみると、「1984年9月特大号」とある。


ちなみに1984年といえば昭和59年になる。


「エキサイティングプロレス」は、昭和の頃に日本スポーツ企画出版社が出していたプロレス専門誌で、画像の「別冊エキサイティングプロレス」は、1983(昭和58)年11月に創刊されている。


ちなみに「エキサイティングプロレス」は、通常版も別冊もそれぞれ月刊誌だったので、結果的に両方を合わせることで、隔週刊の雑誌ということになっていた・・・・・・。


ところで家の物入れから出て来た、「別冊エキサイティングプロレス」の表紙は、日本では全日本プロレスに所属していた、スタンハンセンとブルーザーブロディで、当時は「超獣コンビ」とか、「ミラクルパワーコンビ」などと呼ばれていた。


どうでもいいがこの表紙、昭和のプロレスファンが見たら、思わず泣いて喜ぶ懐かしさである・・・・・・。


で、この表紙をペラッとめくって、まず目に飛び込んで来るのが、「エキサイティングプロレスカセットレーベル」の文字。


「カセット・レーベル」と聞いて、「懐かしい!」と感じるか、「・・・・・・?」と感じるかは、それぞれの世代によって違うと思うが、この時代を知っている人なら、当時の雑誌には必ずといっていいほど、巻頭ページに「カセット・レーベル」が付いていたことをご存じだろう。


ちなみに「カセット・レーベル」とは、カセットテープのケースに入っている、いわばジャケットのようなもので、これを市販のものと取り替えて、使えるようになっていたのだ。


例えばプロレス専門誌ならプロレスラー、ファミコン専門誌ならゲームのキャラクター、アニメの専門誌ならアニメのキャラクター、芸能誌ならアイドルの写真など、当時はありとあらゆる雑誌にカセット・レーベルは付いていた。


カセットテープ自体がなくなってしまった現在では、もはや絶滅してしまった雑誌のサービスといえるだろう・・・・・・。


ところでこの「別冊エキサイティングプロレス」の表紙には、「黄金伝説をめぐり、2人のタイガーが激突する⁉」という、気になる見出しが付けられていた。


じつは私が子供の頃は、新日本プロレスのリングで、タイガーマスクがブームを巻き起こしていて、子供たちを熱狂させていた時代だった。


恐らくこの「タイガー」とは、タイガーマスクのことを指していることは間違いないだろう。


しかし、「2人のタイガー」とは、いったいどういうことなのか・・・・・・。


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▲リングネームを「ザ・タイガー」に変更して、UWFのリングに戻って来た初代タイガーマスクの記事。ファンの期待や注目度も高く、じつに10ページにも渡る特集記事だった・・・・・・。

そこでそれを確かめるべく、巻頭の「カセット・レーベル」のページをペラリとめくる。


するといきなり「1984年夏・・・ニューヒーロー誕生!」の文字と、黄金のマスクとマントを身にまとい、リングにすくっと立つタイガーマスクの姿。


そして次のページをめくると、「一筋の閃光が闇を引き裂いた時、新たなる伝説の扉が開いた‼」とある。


どうやらこれは、1984年7月31日に全日本プロレスでお披露目になった、2代目タイガーマスクの記事のようだ。


記事によると、この時は本当にただのお披露目だったようで、試合をすることはなく、青コーナーから入場して来て、コーナーポストにすくっと立ち、右手人差し指を天高く掲げる、タイガーマスクのあのお馴染みのポーズを見せた後、リングを1週、たった60秒間でファンの前から姿を消したとある。


ところで全日本プロレスで2代目タイガーマスクがデビューするということは、当時子供たちが熱狂していた、新日本プロレスの初代タイガーマスクは、すでにリングを去っていたということになるだろう。


私が見たかったのは、初代タイガーマスクの記事だったので、これについてはとても残念に思った・・・・・・。


と、そう思っていたのだが、じつはページをさらに捲って行くと、「黄金伝説再び・・・」という大きな見出しと共に、リングネームを「ザ・タイガー」に変更して、約1年ぶりにUWFのリングに戻って来た、「初代タイガーマスク」の記事が出ていたのである。


しかも特筆すべきは、この記事、タイガーが試合会場へ向かうバスへ乗り込むところから、記者が同行してレポートしているのである。


まだ、試合会場にも着いていない段階なので、当然のことながら、タイガーもマスクは着けていない。


「マスクマンが素顔をさらしちゃっていいの⁉」と思われるかも知れないが、じつは初代タイガーマスクは、新日本プロレスを去った後に、それまでかたくなに隠し続けていた正体をあっさり明かしていた。


しかし、それでも当時は、あの初代タイガーマスクの素顔を写真で見ると、「ドキッ!」としたものである・・・・・・。


そして記事では移動中のバスの中で、記者がインタビューをしていて、タイガーがそれに丁寧に答えている。


そして記事では、その様子が事細かに紹介されていた・・・・・・。


そうこうしているうちにバスは試合会場である後楽園ホールに到着。


一年ぶりのカムバックということもあって、熱狂したファンに周囲を取り囲まれる様子や、トレーナーに着替えたタイガーがアップを始める様子なども、事細かにレポートされていた。


そしてオープニングセレモニーから試合までの流れはもちろん、試合後に黄金のマスクを脱いで、メディア対応する姿までが、じつに10ページに渡り紹介されていた。


当時はSNSはおろかインターネットもまだ普及していなかった時代だ。


それゆえにこのようなプロレス専門誌の存在意義は大きく、みな食い入るように読みふけっていたものである。


家の物入れから偶然出て来た、「別冊エキサイティングプロレス1984年9月特大号」は、そんな昭和の時代に、ほんの少しの間、タイムスリップさせてくれたのだった・・・・・・。



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