カテゴリー「昭和のテレビ番組」の記事

2026年7月 8日 (水)

中国のビックリ人間

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最近ではほとんど見ることがなくなってしまったが、昭和のテレビ番組では、「ビックリ人間」がしばしば特集されていた。


そんな「ビックリ人間」の常連だったのが中国人だった。


「ビックリ武術」と銘打たれた彼らは、中国河南省の嵩山(すうざん)、あの有名な少林寺の周辺に伝わる、武術少林拳の使い手だという・・・・・・。


まず、挨拶代わりに紹介されたのは指逆立ち。


手の平ではなくて指を立てて逆立ちをするという。


見ているだけで、思わず「痛ててててて・・・!」と声が出て、指が「ボキッ!」と折れそうなパフォーマンスである。


念のため、自分の指が折れていないかさすってみるが、指逆立ちをしている人を見ているだけなのだから折れるわけがない・・・・・・。


次に紹介されたのは、「石頭突き割り」。


これは読みようによっては、「いし、ずつきわり」とも、「いしあたま、つきわり」とも読むことが出来る。


さて、いったいどちらが正しいか・・・、と答えを知りたいと思うが、これについては、はっきり申し上げて、どちらでもいいと思う・・・・・・。


パフォーマンスとしては、大きな石を頭突きで割ってみせるだけである。


石を頭突きで割るということは、当然のことながら、演者の頭も石頭に違いない。


ということは、どちらも正解ということになるだろう・・・・・・。


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続けてご紹介するのは、彼らのメインイベントともいえるほどの大技である。


まず、上半身裸の1人の男性が台の上に横になる。


そして、彼の上半身の上に大きな剣山を複数セットする。


さらにその上にもう1人、上半身裸の男性が横になる。


続けて、その上(腹)に平らな石をセットする。


そして仕上げとして、もう1人の男性が巨大なハンマーで、平らな石を思いっ切りぶっ叩くのだ。


「名付けて、剣山サンドイッチ石叩き」などと、ふざけたナレーションが入っていたが、もしこれが本当ならば、笑い事ではないのは、誰が見ても明らかだった。


あまりの衝撃映像に、「血が吹き出すんじゃないかと思って、チャンネルを変えちゃったよ」という人も少なくなかったようだ・・・・・・。


最後にご紹介するのは、見るからに苦しそうなパフォーマンスだ。


まず、1人のおっさんがフレームイン。


そして台の上に準備されていたおがくずを口いっぱいに詰め込み始める。


もう、入らないだろうというくらい、おがくずを口に含んだおっさんの頬は、まるで怒ったハリセンボンのごとく、パンパンにふくらんでいてる。


何が楽しくてそんなことをしているのか、全く理解出来ない・・・・・・。


そして、おっさんが何やら自分の口を指し示していたと思ったら、驚くべきことに、おっさんの口から、モクモクと煙が立ちのぼり始める。


思わず、口いっぱいに煙草を咥えたおやじが、もうもうと煙を上げながら、煙草をふかすパフォーマンスを思い出してしまった・・・・・・。


で、おがくずのおっさんだが、クライマックスが迫っているらしく、「こっちを見ろ、こっちを見ろ」と、身振り手振りでアピールして来る。


そしてついにこのおっさん、何と口から火を吹くのである。


その様子を見ていると、口の中のおがくずは、真っ黒な燃えかすになっていく・・・・・・。


おっさんは全てのプログラムを終えたらしく、ドヤ顔で拍手を求めていたが、視聴者が感じていたのは、驚きや感動ではなく、咳き込みそうな息苦しさと、何とも後味の悪い、いや~な気分だけだった。


私は何だか無性にサイダーが飲みたくなった・・・・・・。


(画像上、斜面への、転倒、転落防止用に植えられているアジサイ・・・・・・。画像下、林縁で偶然出会ったテングタケの親子・・・・・・)



2026年5月20日 (水)

ビックリ人間のおっぱい

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最近ではほとんど見ることはなくなってしまったが、昭和のテレビ番組では、「ビックリ人間」がしばしば特集されていた。


そんな特番に必ず登場していたのが、「ものすごくおっぱいの大きな外国人女性」だった・・・・・・。


この、「ものすごくおっぱいの大きな外国人女性」には、2つのタイプの人がいて、1つは「ただ単におっぱいが信じられないくらい大きい人」で、このタイプの人は、何かパフォーマンスをするわけではなく、カメラの前で巨大なおっぱいをアピールするだけだった。


そして、この「おっぱいが信じられないくらい大きい人」は、年々、さらに大きなおっぱいを持つ女性を見つけて来ては、大きさを次々と更新して行くのが定番だった。


そして、私が覚えている限りでは、「スイカ4つ分」といわれていた女性が最後だったように思う。


ちなみにいうまでもないが、「スイカ4つ分」の内訳は、「おっぱいの片方ずつが、スイカを2個合わせた大きさ」という意味である・・・・・・。


そして、もう1つのタイプの人は、「大きなおっぱいでパフォーマンスをする人」で、その巨大なおっぱいを用いて、空手の瓦割りのようなパフォーマンスを次々と繰り広げていた。


例えば重ねた板5枚を、わしづかみにしたおっぱいを叩き付けて割る。


飲料の缶をおっぱいの圧で押しつぶす。


おっぱいを振り下ろしてスイカを割る・・・など、なんとも強烈な印象が残るパフォーマンスだった・・・・・・。


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というのも、おっぱいで様々なものを破壊してしまうこと自体は、確かにすごいのだが、わしづかみにして叩き付けられているおっぱいは、どこからどう見ても痛々しく、パフォーマンスの後は、真っ赤になっていたものだ。


これはどう考えても、おっぱいの使い方を間違えているとしかいいようがない・・・・・・。


このおっぱいパフォーマンスをしていた外国人女性は、「バスト推定Xカップ、重さ18kg」なんていわれていた。


そして彼女は、このおっぱいパフォーマンスで荒稼ぎをして、なんと島をまるごと1つ買ったというから驚きである・・・・・・。


ところで、この「ビックリ人間」は、ゴールデンタイムに放送されることがほとんどだった。


「子供が見ている時間帯に、こんな映像を流してもいいの?」と思われそうだが、昭和から平成初期にかけては、素っ裸の女性がテレビに登場することも少なくなかったので、「ビックリ人間」に出て来る巨乳の女性なんて、全然序の口、屁の河童だったのである・・・・・・。


それに彼女たちには、全然エロさのようなものは感じなかった。


イメージとしては、悪役の女子プロレスラーで、決してグラビアアイドルや、セクシータレントではなかったのである。


そんなわけで、「ビックリ人間」の、「ものすごくおっぱいの大きな女性」を目の当たりにした、当時の子供たちは、巨乳がトラウマになった者も少なくなかったそうだ・・・・・・。


(画像上、里山ではウツギの花が花盛り・・・・・・。画像下、遅咲きのサツキの花が見ごろになった・・・・・・)



2026年4月29日 (水)

唐草模様の風呂敷を背負った泥棒

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昭和の頃、泥棒といえば、ほっかむりをした手ぬぐいを鼻の下で結んで、大きな唐草模様の風呂敷を背負っているイメージだった。


そして昭和の泥棒(イメージ)は、必ず青い口ひげが目立つ、中肉中背の中年の男性で、移動は抜き足、差し足、忍び足が定番だった・・・・・・。


しかし、いま考えると、当時は何でそんなイメージが定着していたのか甚だ疑問である。


なぜなら、誰もそのような風貌をした泥棒なんて、一度も見たことがなかったからだ。


テレビのニュースで、警察に捕まった泥棒が連行されて行くシーンを、幾度となく見て来たが、一度もそのようなイメージの泥棒の姿は見たことがなかった・・・・・・。


しかし、昭和の頃、漫画やアニメに登場する泥棒は、リアルな泥棒の姿ではなく、イメージ通りの唐草模様の風呂敷を背負った泥棒だった。


また、お笑い番組のコントに出て来る泥棒も、やはりイメージ通りの、「ザ・泥棒」だったのである。


ということは、この泥棒のイメージは、誰かが作り出したキャラクターとしての泥棒なのだろうか・・・・・・。


しかし、調べてみると、これがどうもそうではないようなのだ。


そしてそれは、「ザ・泥棒」のトレードマークでもある、唐草模様の風呂敷にヒントが隠されていたのである・・・・・・。


では、そもそも唐草模様とは、いったい何の模様なのか。


そこで調べてみると、唐草の「唐」には、外国という意味があるらしい。


そして、唐草の「草」には、「つる草」という意味がある。


つる草は生命力が強く、茎を四方八方へ伸ばしていく。


このことから、長寿や子孫繁栄を象徴しているといわれている。


このため唐草模様は、おめでたいものを象徴していて、「縁起がよいもの」とされていた。


そんなこともあって、唐草模様の風呂敷は、嫁入り道具を包むのにも利用され、その結果として、当時は「どこの家にも、当たり前にあるもの」だった・・・・・・。


ちなみに、唐草模様の風呂敷自体は、明治30年頃には、すでに登場しており、昭和40年に生産量がピークを迎えている・・・・・・。



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で、問題はこのことと、泥棒に何の関係があるのかだ。


泥棒が家の中に侵入し、真っ先に向かうのはタンスが定番である。


そして泥棒がまずすることといえば、一番下の引き出しを開けること。


なぜ、一番下なのかというと、上から引き出しを開けてしまうと、その下の引き出しを開ける時に、一度引き出しを閉めなくてはならないからだ・・・・・・。


タンスというのは、上の方に高価な貴重品を入れておき、下段に行くにつれて、日常的に使うものを入れておくもの。


このため、唐草模様の風呂敷は、下に入っていることがほとんどだったのだ・・・・・・。


で、まずは一番下の引き出しを開けて風呂敷を出して広げる。


そして一段ずつ上の引き出しを開けて行き、金目のものを抜き取っていく。


そして最後に風呂敷で全て包んで、それを背負ってずらかるという無駄のない手順だ・・・・・・。


前述の通り、当時は唐草模様の風呂敷は、どこの家にもあるもので、日常的に使うものだった。


このため泥棒が唐草模様の風呂敷を背負って歩いていても、特別怪しい光景には映らなかったというわけだ。


というわけで、唐草模様の風呂敷を背負った泥棒は、昭和は昭和でも、私たちよりも、もっとずっと前の世代の、「泥棒の手口」だったようである・・・・・・。


そういえば、サザエさんやドラえもんに登場する泥棒は、令和の時代になっても、未だにこの「ザ・泥棒」である。


どうやら、昭和の頃に実在した「ザ・泥棒」は、サザエさんやドラえもんが後生に語り継いで行ってくれるようだ・・・・・・。



2026年4月 1日 (水)

目玉が飛び出るおばさん

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最近ではほぼ見ることがなくなってしまったが、昭和のテレビ番組では、「ビックリ人間」がしばしば特集されていた。


そんな「ビックリ人間」の中で、私が最もよく覚えているのは、「目玉が飛び出るおばさん」である・・・・・・。


目玉が飛び出るといえば、昭和の漫画やアニメでは、ビックリしたときの表現として、目玉がビヨ~ンと飛び出る描写がよく見られた。


「目玉が飛び出るおばさん」は、そんな漫画やアニメさながらに、目玉がビヨ~ンと飛び出るのである。


ただ、そのおばさんの場合は「実写」なので、ビジュアル的にかなりホラーで、実際に目の前で見たら、飛び上がるほど驚くことだろう・・・・・・。


で、このおばさん、何で目玉が飛び出るのかというと、どうもそのきっかけとなる出来事があったらしいのだ。


なんでも、頭に物が当たったことがきっかけで、あくびをするたびに、目玉が飛び出し始めたのだという。


それって、病院に行って、それなりの治療を受けた方がいいんじゃないかと思ったのは、きっと私だけではあるまい・・・・・・。


そして放送当時、おばさんの目玉が飛び出る長さは12㎜といわれていて、何とギネス世界記録にも認定されていたのだそうだ。


どうでもいいが、目玉が飛び出す長さを競う相手なんて、他にいるのだろうか・・・・・・。


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そして前述の通り、このおばさんが目玉を飛び出させている映像はかなりホラーで、漫画やアニメで目玉が飛び出す描写とはちょっと違っていた。


では、どこがどう違っていたのかというと、このおばさんの場合は、「目玉が飛び出る」というよりも、「目玉がこぼれ落ちそう」になっているといったら分かってもらえるだろうか。


漫画やアニメの目玉が飛び出る描写というのは、ほんの一瞬で元に戻るのだが、「目玉が飛び出るおばさん」の場合は、目玉が「ヌ~~~ッ」と、ゆっくり飛び出して来て、その後、「ポロッ」と目玉がこぼれ落ちそうな予感すら感じさせるのである・・・・・・。


もちろん、実際に目玉が「ゴロン」とこぼれ落ちることはないのだが、この一連の映像は、「驚愕」というより、「恐怖」に近いといえよう。


ホラー映画や心霊番組に弱い人にこの映像を見せたら、きっと卒倒すること間違いなしである。


また、心臓の弱い、じいさん、ばあさんには、「目玉が飛び出るおばさん」の映像は見せない方がいいだろう。


そんなことをしたら、まず間違いなく、あの世へ一直線である・・・・・・。


「目玉が飛び出るおばさん」がその後どうなったのかは定かではないが、当時子供だった私はあの映像を見て、「日本のお化け屋敷に就職したら、きっと日本で一番怖いスターお化けになれるのになぁ」なんて、非常に失礼なことを思っていたのだった・・・・・・。

(画像上、ソメイヨシノが見頃になった・・・・・・。画像下、ゼンマイがニョキニョキ伸びて来た・・・・・・)

2025年12月24日 (水)

ゆく年くる年

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昭和の頃には、毎年12月31日から翌年の1月1日にかけて、「ゆく年くる年」という年越し番組が放送されていた。


いま思えば、「ゆく年くる年」は、けっこうな長寿番組で、時期としては、1956(昭和31)年から、1988(昭和63)年までの32年間、放送されていたことになる。


放送時間は午後11時45分から深夜1時までで、一貫してSEIKOの一社提供の番組だった・・・・・・。


また、「ゆく年くる年」は、全国の民放103局の同時ネットで、大晦日から正月にかけての、この時間帯だけは、どこのチャンネルをかけても、全く同じ番組が放送されていた。


だから当日の新聞や雑誌の番組表は、局と局の境界線をなくして、横に繋がった番組表になっていた・・・・・・。


さらに「ゆく年くる年」は、SEIKOの一社提供の番組だったので、流されるCMも全くいっしょで、何から何まで全部いっしょだったことになる。


CMといえば、「ゆく年くる年」放送の1週間ぐらい前になると、当時SEIKOが放映していた「時報CM」内で、時報の前にちゃっかり番組の宣伝を入れたりしていた・・・・・・。


昭和の頃は、子供は深夜まで起きていてはいけないという風潮があって、小学生の頃には夜9時には、「もう寝なさい」といわれていたものだった。


しかし、大晦日だけは、年越しまで起きていてもよいという家庭が多く、この日ばかりは子供もハイテンションで夜更かしをしていたものである。


そんなこともあって、SEIKOの時報CMに、「ゆく年くる年」の番宣が差し込まれるようになると、「いよいよだな~!」と1週間も前からワクワクしていたものである。


ところで、「大晦日だけは、子供も年越しまで起きていてよい」と考えるのは、一般家庭だけではなかったようで、テレビ業界でも、「ゆく年くる年」だけは、深夜に子供が普通に中継に参加したりしていて、いま考えるとちょっと驚きだったりする・・・・・・。


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そんな「ゆく年くる年」だったのだが、番組の内容的には、とても子供が食いついて見るようなものではなかった。


全国各地の年越しの風景の中継や、合唱シーン、楽器の演奏などが延々と流されていたのだ。


1週間も前から、あんなにワクワクしていたのに、それに反して、テレビからは非常につまらない映像が垂れ流されている。


そのような、自分が全く興味がない映像を、意味もなくだらだらと見続けていると、困ったことに決まって眠くなって来るのだ・・・・・・。


開いているのか、開いていないのか、よく分からない目で、見えているのか、見えていないのか、よく分からない映像を、じっと見つめていると、母から「眠いなら布団で寝なさい」と声をかけられる。


何を言うか、自分はこれから、年越しのカウントダウンを、みんなと共有しながら新年を迎えるのだ。


寝てなんかいられるものか。


と、そう思ってはいたのだが、いつもあともう少しのところで、完全に眠ってしまっていた・・・・・・。


もう、頼むから、「蛍の光」の大合唱なんてやめてくれ。


「蛍の光」は私にとっては、子守歌でしかない。


「眠って下さい」といっているようなものである。


ドラクエの「ラリホー」よりも効く睡眠誘導の呪文といっても過言ではない。


そんなわけで、私は「ゆく年くる年」は、ドリフにしてくれないかな~と、毎年のように思っていたのだった・・・・・・。


(画像上、真冬にひっそりと咲く、ビワの花・・・・・・。画像下、コナラの紅葉は12月が最も色鮮やか・・・・・・)



2025年8月 6日 (水)

まんが日本昔ばなし

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▲「まんが日本昔ばなし」のこの絵柄は、きっと一定の年齢以上のかたなら、かなり懐かしく感じることだろう。じつはこの画像は本が収められているカバーになる・・・・・・。

画像はうちの物入れから出て来た古い本だ。


見ての通り、日本の昔ばなしの本なのだが、この絵柄は一定の年齢以上のかたなら、かなり懐かしく感じるのではないだろうか。


本のタイトルにもある通り、この本の元になっているのは、「まんが日本昔ばなし」で、私が子供の頃は、TBS系列で毎週土曜日の午後7時から7時30分まで放映されていた。


内容としては、もはや説明するまでもないと思うが、日本各地に伝わる昔話を映像化(アニメ化)し、市原悦子さんと常田富士男さんのコンビで、何役もの声を使い分ける手法で、独特の世界観を作り上げていた・・・・・・。


日本昔ばなしの放送が開始されたのは、1975(昭和50)年1月7日からで、この時はNETテレビ(現、テレビ朝日)系列での放送だった。


そして1975(昭和50)年3月25日まで、毎週火曜日の午後7時から7時30分の放送枠で放映されていた。


その後、1976(昭和51)年1月3日から、TBSテレビ系列へ移動して番組が再開され、1994(平成6)年9月24日まで、毎週土曜日の午後7時から7時30分の放送枠で放映されていた。


ちなみに局が変わる際に、ブランクがあった理由としては、もともとこの番組は、在外日本人向けに制作されたもので、番組改編の都合で空いた枠への穴埋めとして使用したためといわれている・・・・・・。


しかし、反響が高かったため、改めてレギュラー番組として放送されることが決まったということらしい。


つまり当初の予定では、早々に番組は終了する予定で、このような長寿番組になる要素はゼロに等しかったことになる。


世の中、何があるか分からないものである・・・・・・。


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▲外箱カバーの中には、このように5つのエピソードが収められている。どれも気軽に読むことが出来る薄い本で、アニメで使用された絵がそのまま使用されている・・・・・・。

で、うちの物入れから出て来た本に話を戻そう。


写真ではよく分からないと思うが、じつはこの本、大きな本というわけではなく、文庫本サイズである。


そして文庫本サイズのカバーの中に、5冊の本(エピソード)が納められている。


カバーにも書かれているが、その内容は、①桃太郎②竜の淵③たにし長者④ちょうふく山の山んば⑤鶴の恩がえし・・・、となっている・・・・・。


そしてこの本のカバーを裏返すと、「まんが日本昔ばなし第一巻全五冊」と書かれている。


「第一巻」ということは、この後も二巻、三巻と発売されていったのかもしれないが、私の記憶に残っているのは、この「第一巻」だけなので、二巻以降は買わなかったのだろう・・・・・・。


と、そう思っていたら、「竜の淵」の裏表紙に、「まんが日本昔ばなし全集」が紹介されていて、なんと第二十巻までがすでに紹介されていた。


そして第二十巻のところに、「以下続刊」と書かれていたので、まだまだ続いていったのかもしれない・・・・・・。


で、この第一巻は昭和51年4月30日に初版発行となっている。


まんが日本昔ばなしが、TBS系列で放送開始となったのは、1976(昭和51)年1月3日からなので、この本はそのわずか3ヶ月後に発売されたことになる。


仕事が早いというか、なんというか、当時いかに「まんが日本昔ばなし」が好評で、反響が高かったのかがよく分かる。


空いた放送枠への穴埋めとして使用された番組が、改めてレギュラー放送化されることになった理由は、そういうことだったのだと、この本を読み返してみて、改めて納得することになったのだった。


で、我が家の物入れに奇跡的に残っていたこの本は、子供の頃の思い出と共に、十分楽しむことは出来たのだが、読み終えてみて、「出来ることなら、市原悦子さんと常田富士男さんの声で朗読してもらいたいな」とふと思った。


「まんが日本昔ばなし」って、結局はそこなんだよなぁ・・・・・・。



2025年6月25日 (水)

テレビの時報時計

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そういえばテレビで時報を報じなくなって、もうどれくらい経つのだろう。


かつてNHKでは、お昼や7時のニュース番組の直前に、画面いっぱいの大きなアナログ時計を表示して、秒針の動きに合わせて、「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン!」と00分00秒の時報を報じてから、ニュース番組が始まっていた・・・・・・。


ニュース原稿を読むアナウンサーというのは、直前までやっている番組を、その場で見られるようになっているらしく、直前に全く緊張感のない番組をやっていたりすると、冒頭でニヤけている顔が、一瞬映ったりすることがよくあった。


ところが番組の直前に時報時計が表示されると、ちょうどの時報を待つ間に、気分がリセットされるようで、しっかりと切り替えがされた状態で、番組がスタートしていた。


そういう意味では、時報時計がなくなったことで、アナウンサーは自らの間抜けな表情を視聴者に晒さないよう、細心の注意が必要になり、きっと気の抜けない毎日を送っていることだろう・・・・・・。


ところでこのテレビの時報時計、昭和の頃は何かと重宝していたものである。


当時は電波時計なんて便利なものはなかったので、家中の時計が狂いまくりで、半月も放置していると、同じ時刻を指し示している時計が1つもないという有様だった。


これではどれが正解なのか全く分からないのだが、結局のところ、正確な時を刻んでいる時計は1つもなかったのである。


そんなわけで、我が家ではテレビの時報時計を見ながら、まず手元の時計の時刻を合わせて、その時計を見ながら、家中の時計を合わせて回るという作業を、月に1回は行っていたように思う・・・・・・。

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幼い頃はともかく、目覚まし時計を使う年齢になると、その頻度はさらに多くなっていった。


目覚まし時計を使うということは、絶対に寝坊をしてはいけない状況だからだ。


そんな中で肝心の時計が狂っていたら、何の意味もないわけだ。


だから目覚まし時計の時刻合わせは、面倒くさくても週一回は必ずやっていた・・・・・・。


テレビの録画機器が登場した際も、当初は時刻合わせの機能は付いていなかった。


だから録画機器の時計が狂っていることも少なくなく、録画予約で録画した番組の頭が切れていたり、番組が最後まで入っていなかったりしていた。


なので、家中の時計を合わせる時には、テレビの録画機器の時刻も合わせておかなくてはいけないのだが、録画機器は時計の形をしていないこともあり、忘れられがちで、後で録画した番組を見て、「あ~~~っ!」と思うことがしばしばあった・・・・・・。


「時計の形をしていない」といえば炊飯器もそうである。


炊飯器のタイマーを使わない人は、べつにどうでもいいのだろうが、私は早朝に家を出る仕事をしていたので、ご飯は外がまだ暗いうちに炊けていないと、朝食も食べられないし、お弁当を持って行くことも出来なかった。


そんなわけで、私にとっては炊飯器の時刻合わせも、大切な仕事だったのだが、寝る前にタイマーをセットするのを忘れることもたまにあった。


「これじゃあ、時刻を合わせといたのに意味ないじゃん」と、話しかけても微動だにしない炊飯器の前に、しばし立ち尽くすこともあったものだ・・・・・・。


そんな時代を生きて来たものだから、当初は携帯電話の時計が狂わないのが、不思議でならなかった。


購入してから1度も時刻なんて合わせたことがないのに、「あれ?この前ケータイの時計を合わせたのいつだっけ?」なんて、のんきに考えていたのだから、もはやこれは「昭和病」といえるのかもしれない・・・・・・。


(画像上、深みのあるワインレッドの何ともいえない色合いの花を咲かせるアジサイの花・・・・・・。画像下、「ダンスパーティー」という品種名のアジサイ。センスのあるネーミングだ・・・・・・)



 

2025年6月11日 (水)

トラがライオンに化けた話

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▲小学校低学年の頃に図工の時間に作った卓球のラケット。子供が糸鋸を使って切り出したものなので、形はいびづでとても褒められたものではないが、意外なことに担任の先生の総合評価は高かった・・・・・・。

自分でいうのも何だが、私は子供の頃、絵がうまかった。


自分ではその自覚は全くなかったのだが、他人からそういわれることが多かったので、きっとそうなのだろう。


そのせいか小学校の頃は図工の成績は常に安定していた。


しかし、そうはいっても、私は絵を描くことが特別好きだったわけではなく、学校の授業以外では、絵を描くことなんて、ほぼなかったと思う・・・・・・。


上の画像は私が小学校低学年の頃に図工の授業で作った卓球のラケットだ。


まず、教材の板を糸鋸でラケットの形に切って紙やすりを丁寧にかける。


そして、自分の好きな絵を描いて彩色し、仕上げにニスを塗って完成という工程だったと思う。


見た目とは裏腹に、けっこう手間がかかっている作品なのである・・・・・・。


で、私はこの時、ライオンの絵を描いているのだが、「どうやったらこんなにリアルなライオンの絵が描けるのか?」と、クラスメートや担任の先生に感心されたものである。


子供というのは、動物の絵を描かせると、デフォルメしたようなイメージになってしまったり、ベースが人間の顔のようになってしまい、まるで妖怪のようなものを生み出してしまうことが多い。


ではなぜ私は、こんなにリアルなライオンの絵をかけたのだろう・・・・・・。


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▲これはタイガーマスクの原作漫画だ。ライオンの顔を描くに当たり、このトラの覆面はとても参考になった・・・・・・。

じつは私が子供の頃、タイガーマスクのアニメが人気で、しきりに再放送をやっていた。


ご多分に漏れず、私もタイガーマスクのアニメをテレビで見ていたのだが、ある日、「タイガーマスクってトラだよな・・・」と思い、「トラってどんな生き物だっけ?」と思い、動物図鑑を開いて、トラの顔をじっくり観察してみたことがあった。


するとトラの出ているページには、ネコ科の動物がまとめて掲載されていて、当然ライオンもしっかりと載っていた。


で、私は気付いてしまったのだ。


「あれ?ネコ科の動物って、模様を全部取っ払ったら、みんな同じ顔をしているな・・・」ということに・・・・・・。


そこでまず、アニメのタイガーマスクをお手本に、リアルなトラの顔を描いてみる。


ただし、虎柄の模様はいっさい描き加えない。


続けて模様のないトラの顔に、ライオンのたてがみをつけ加えてみる。


「・・・・・・!」


すると予想通り、ちゃんとライオンの顔になったのだ。


ネコにライオンのたてがみのかぶり物を被せても、変な違和感がないのはこのためである。


そんなわけで、私が図工の授業で、こんなにリアルなライオンの絵を描けたのは、タイガーマスクのおかげだったのである。


私の画力に驚いていた担任の先生や友人たちも、まさかこの絵のルーツがライオンじゃなくてトラであり、しかもタイガーマスクのアニメがその原点だったなんて、これぽっちも思ってもみないだろう・・・・・・。


当時は昼間から夜までアニメ番組をたくさん放映していたこともあり、どこの家庭でも、「勉強しないでアニメばっかり見て!」というのが、母親の定番の小言になっていた。


しかし、いま思えば、私はそのアニメから学ばせてもらったことが山ほどある。


本件のように学校の授業に生かせたこともあったし、社会に出て役に立ったこともあった。


だから一概に、「勉強しないでアニメばっかり見て!」というのは、間違った認識だと私は思うのだ・・・・・・。


もっというなら、学校の勉強の8割は社会に出たら何の役にも立たない。


トラがライオンに化けたように、最高の教材は、案外身近なところにゴロゴロ転がっているものなのだ。


重要なのはそれに気づけるかどうかである・・・・・・。



2025年4月23日 (水)

エリマキトカゲブーム

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▲昭和の頃、バスクリンやバスピカを買って、応募券のようなものを送ると、抽選で何名様かに当たるキャンペーンだったのかもしれないが、残念ながらいまとなっては全く覚えていない・・・・・・。

うちには私が子供の頃から使っている小さなタンスがまだある。


タンスなので子供の頃は、もちろん衣類を入れていたのだが、現在では昔の雑貨や、小さな置物を保管するのに使っている。


久しぶりに、そのタンスの引き出しを開けてみたところ、自分でも忘れかけていた、懐かしい小物がたくさん入っていて、思わず見入ってしまった・・・・・・。


そのうちの1つがエリマキトカゲの消しゴムだった。


「消しゴム」といっても、文字を消すためのものではない。


いまでは想像も付かないだろうが、昭和の頃は、ガチャポンで出て来るフィギュアなどは、色つきの消しゴムで作られていたのだ。


スーパーカーブームの頃には、「スーパーカー消しゴム(カー消し)」、キン肉マンブームの頃には、「キン肉マン消しゴム(キン消し)」が売られていたのは、もはや有名な話である・・・・・・。


で、うちのタンスから出て来たエリマキトカゲの消しゴムなのだが、これはどうもガチャポンで販売されていたものではなさそうだった。


というのも、エリマキトカゲ消しゴムは、2つセットになっていて、小さな透明な小袋に入れられていたのだ。


そして小袋の中には、1枚の紙が入っていて、デフォルメされたエリマキトカゲの絵が描かれていた。


そしてその紙の上部には、小さな文字で、「バスクリン・バスピカS えりまきとかげプレゼント」と書かれていた。


「プレゼント」ということは、バスクリンやバスピカを買うと、この消しゴムがもれなくおまけに付いて来たのか、引換券のようなものが付いていて、それを葉書などに貼って送ることで、抽選で何名様かに当たる的なことだったのかもしれない。


当時はそのような販促品や懸賞品が多かったので、えりまきとかげ消しゴムも、きっとそうだったのだろう・・・・・・。


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▲「エリマキトカゲがコインになった」とあるが、実際には1966年にオーストラリア政府が発行した2セント銅貨である。このコインも当時どのようにして入手したのか全く覚えていない・・・・・・。

ところでエリマキトカゲを知っている人は、一定の年齢以上の人だと思うのだが、いまとなっては、よほどの動物好き(は虫類好き)の人でなければ知らないのではないだろうか。


昭和の頃にエリマキトカゲがブームになったきっかけは、1984(昭和59)年にTBS系列で放送されていた、「わくわく動物ランド」で、千石正一氏が日本で初めて紹介したことだった。


その後、三菱自動車のミラージュのCMで、トレードマークの襟を広げたトカゲが、二本足で疾走して行く姿が話題となり、特に子供たちの間で人気が爆発し、ブームとなったのだった。


その後、エリマキトカゲを題材とした、様々な商品が発売されて行くのだが、子供向けの本やビデオ、フィギュアやぬいぐるみ、ジグソーパズルなど、そのジャンルは多岐に及んだ・・・・・・。


ところでうちのタンスから出て来たエリマキトカゲグッズは、じつはもう1つあった。


それが画像のエリマキトカゲのコインで、パッケージの裏面の説明書きを見ると、「1966年にオーストラリア政府が発行した2セント銅貨」とある。


ちなみにパッケージではエリマキトカゲが描かれている面が表側になっているが、この裏側にはエリザベスⅡ世の横顔が描かれている・・・・・・。


当時私がこのコインをどのような経緯で入手したのかは定かではない。


しかし、同時期にいくつかの企業がノベルティグッズとして配布もしていたようである。


そのうちの1つがセブンイレブンで、ポストミックスという飲料を買って、ポイントスタンプを集めると、エリマキトカゲコインがもらえたらしい。


私はよく覚えていないが、このキャンペーンはテレビCMも放映していたようだ。


しかし、このキャンペーンでもらえたエリマキトカゲコインのパッケージは、私が持っているものとはデザインが違っていて、企業名も入っていないので、どうやらこれはノベルティグッズではないようだ。


そんなわけで、うちのタンスから出て来たエリマキトカゲグッズは、2種類とも、どのようにして入手したのか、よく覚えていなかったのである・・・・・・。


2024年9月 2日 (月)

「謎フレーズ探偵」ポチる

Photo_20240902174901

「ポチる」という言葉がある。


もはや説明するまでもないと思うが、「ポチる」とは通販サイトなどで、商品の購入を確定することを意味している。


購入ボタンを「ポチッ」と押して買うから「ポチる」なのである。


しかし、実際には「ポチッ」としているのは、PCならマウスの方で、画面上の購入ボタンからは、当然のことながら、手に伝わって来る感触は何もない。


で、ここでちょっと疑問に感じることがある。


マウスならば「ポチッ」ではなく、「カチッ」ではないのか?


それなのになぜ、「ポチッ=ポチる」になったのだろうか・・・・・・。


じつはこの「ポチる」という言葉には、元になった言葉がある。


それは「ポチッとな」で、昔から様々なアニメやゲームの世界で、登場人物たちのセリフとして使われて来た。


そしてそれはほとんどの場合、何かしらのボタンを押すシーンで、「今からボタンを押しますよ」の合図として使われて来たのだ・・・・・・。


で、この「ポチッとな」には、さらなる元ネタがある。


そしてその元ネタは、1977(昭和52)年1月1日から、1979(昭和54)年1月27日まで、フジテレビ系列で放映されていた、アニメ「ヤッターマン」になる。


具体的にはヤッターマンの作中で、ドロンボー一味のボヤッキーが、ヤッターマンのメカを攻撃する際に、操縦席にある赤く丸いボタンを「ポチッとな」と言いながら押していたのが、全ての始まりだったのである。


そしてヤッターマンは人気の作品ということもあって、その後も何度も再放送を繰り返していた。


その結果、幅広い世代の人が知るアニメ作品となって、「ポチッとな」も世間に広く浸透していったのである・・・・・・。


Photo_20240902174902

で、私が子供の頃は、日常生活の中でも、何かのボタンやスイッチを押す時に、ボヤッキーの「ポチッとな」をよく真似して使っていたものだ。


例えばテレビの電源ボタンやラジカセの再生スイッチ、扇風機の風量切り替えボタンや、バスの降車ボタンを押す時などがそうである・・・・・・。


ところでこのボヤッキーの「ポチッとな」というセリフだが、じつは当時ボヤッキーの声を担当されていた、声優の八奈見乗児さんのアドリブだったといわれている。


だからもしその時に、アドリブが却下されていたら、現代の「ポチる」という言葉は誕生していなかったのかも知れない・・・・・・。


ちなみにボヤッキーといえば、「ポチッとな」以外にも、「はぁ~い、全国の女子高生のみなしゃ~ん」や、「今週の山場~っ!」などの決まり文句があることで知られているが、これらも全てアドリブだったと言われている。


このため作品中盤あたりからは、ボヤッキーの台詞の部分に、あらかじめ余裕を持たせておき、アドリブを入れやすくしておいたのだそうだ・・・・・・。


ところで2008(平成20)年にヤッターマンのリメイク版が放送された際には、キャラクターグッズとして「ポチッとなボタン」と、その廉価版の「ポチッとなボタンミニ」が発売された。


これらのボタンは、アニメ本編のイメージを忠実に再現していて、赤いボタンにはドロンボー一味のトレードマークでもある、ドクロのマークもちゃんとプリントされていた。


そしてボタンを押すことで、「ポチッとな」を始めとする、様々な台詞をしゃべるおもちゃに仕上がっていた・・・・・・。


また、2010(平成22)年2月12日には、日本マクドナルドのハッピーセットのおまけとして、期間限定、数量限定で、「ポチッとな」が配布されていた。


こちらも前述のキャラクター商品に似たデザインで、ボタンを押すことで、ドロンボー一味の台詞が再生される仕組みになっていた。


台詞は3種類で、ドロンジョの「やぁ~っておしまい!」、ボヤッキーとトンズラーの「アラホラサッサー!」、そして最後はメインとなる、ボヤッキーの「ポチッとな」が収録されていた・・・・・・。


私が子供の頃、ヤッターマンの作中に登場するポチッとなボタンは、その大きさや形状、押し心地などが、なんとも絶妙に感じられ、テレビを見ながら、「あれをぜひ押してみたい」と思っている少年少女がたくさんいたものだ。


だから昭和のあの頃に「ポチッとなボタン」が商品化されていたら、きっと馬鹿売れしていたに違いない・・・・・・。


ところで「ポチッとな」といえば、ヤッターマンの作中で、ボヤッキーがボタンでないものを、「ポチッとな」と押していることがあった。


で、それは何かというと、ドロンジョの乳首で、ハプニングのどさくさに紛れて、「ポチッとな」と押していたのだが、その直後にドロンジョに張り倒されていたことはもはやいうまでもないだろう・・・・・・。


(画像上、暑い中にも秋を感じるようになり、フィールドではツクツクボウシの個体数が一気に増えた・・・・・・。画像下、シロソウメンタケも秋を感じて地上に姿を現した・・・・・・)



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