カテゴリー「レトロゲーム」の記事

2024年5月 5日 (日)

バッテリーバックアップとフーフー

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▲ドラクエⅢのカートリッジの後ろ面には、「バックアップカセットについてのお願い」が貼り付けられていた。バックアップカセットがいかにデリケートなものであることが分かる・・・・・・。

昭和の頃、「ドラゴンクエストⅢ」を始め、バッテリーバックアップ機能を搭載したファミコンのカートリッジでは、セーブデータが消えてしまう悲劇が、しばしば起きていた。


「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージに愕然として、思わず天を仰いだプレイヤーも、少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。


では、なぜこのようなことが起きていたのだろうか。


これについては、そもそもファミコンは、バッテリーバックアップを想定して作られていなかったため、電源を切った際に電気ノイズが流れて、CPUが保存データの一部を書き換えてしまうことがあったのだという。


そしてその予防措置として行われるようになったのが、「リセットボタンを押しながら電源を切る」方法だった。


その理由については、「リセットボタンを押している間は、CPUが動作を停止するから」と言われていたが、それでもデータが消えてしまったという話を、当時はよく聞かされたものである。


そんなこともあって、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジが登場したことによって、急にソフトやハードを丁寧に扱う者が増えていったとも言われていた・・・・・・。


ファミコンといえば、ゲーム中にヒートアップして、本体とコントローラーを繋ぐケーブルを引き千切ってしまったり、八つ当たりでコントローラーを本体に投げつけたりする者が多くいて、当時の任天堂には修理依頼が絶えなかったと言われている。


というのも、ファミコンのコントローラーはコストダウンのため、コネクタ式ではなく、本体へ直接取り付けられていた。


このため、無理に引っ張ると、ケーブルが千切れてしまい、自分では元に戻すことが出来なかったのだ・・・・・・。


本体が壊れただけなら、修理をすれば済むことだが、ソフトの場合はそうもいかない。


アクションゲームやシューティングゲームならまだいいが、ドラクエのようなRPGともなると、ストーリーを先に進めていればいるほど、セーブデータが消えてしまった時のショックは大きいものとなる。


特にストーリーの節目、節目にある、イベントの前後のセーブデータや、万全の準備を整えて、後はラスボスを倒すだけというタイミングのセーブデータが消えてしまった時などは、頭の中が真っ白になり、人生初の放心状態を経験したという子供たちも、当時は決して少なくなかったはずである・・・・・・。


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▲ほこりが付着しているのではないかと、カセットの端子部をフーフーしていたかたも少なくないと思うが、じつはこれ端子部が劣化する恐れがあったのだそう。そうは言っても、ファミコン世代はみんなやっていたよな・・・・・・。

そんなこともあって、ドラクエⅢではゲームをセーブして、ソフトを本体から取り外し、箱にしまうまでが、怖くてしょうがなかった。


イジェクトボタンを操作すると、まるでトースターから焼き上がったパンが飛び出して来るように、カートリッジが「ビヨ~ン!」と跳ね上がって来るのだが、この時の衝撃でデータがとんでしまったりしないものかと、毎回のように心配をしていたものである。


じつはこれ、ただの取り越し苦労とも言い切れなかったようで、そのような衝撃が原因で、データが消失する可能性もあったらしいのだ。


また、ファミコン本体からカートリッジを着脱する時の衝撃だけでなく、カートリッジを箱にしまう際に、うっかり床に落としてしまうリスクなども当然ある訳だ・・・・・・。


ドラクエなどのRPGは、とても1日2日でエンディングまでたどり着けるようなゲームではない。


特に母ちゃんにゲームのプレイ時間を制限されている小中学生は、クリアまで数ヶ月を要することだってある訳だ。


その間、毎日毎日、カートリッジの抜き差しを繰り返すことを考えると、ゲームクリアまでカートリッジを差しっぱなしにしておいた方が、データ消失のリスクは少なかったのかもしれない・・・・・・。


また、バッテリーバックアップ機能搭載のカートリッジが誕生し、ゲームソフトを丁寧に扱う者が増えて来た頃、カートリッジの抜き差しの際に、端子部を「フーフー」する習慣が生まれた。


「もしかしたら、知らないうちに、端子部にホコリがくっついて、それが原因でデータが消えてしまうことがあるんじゃないか?」という不安から生まれた習慣だったようだ。


しかし、この「フーフー」、よかれと思ってやっていたのだが、専門家に言わせると、どうも逆効果になっていたかもしれないというのだ。


「フーフー」することで、確かにホコリを飛ばすことは出来ていたのかもしれないが、吹きかける息に含まれる水分が端子部に付着し、端子部の劣化を早めていたかもしれないという。


どれもこれも、「今となっては・・・」の話なのだが、こういう話って、いつの時代も、なんで後になってから言うんですかねぇ・・・・・・。



2024年3月24日 (日)

ファミコンのバッテリーバックアップ

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▲ドラクエは「Ⅲ」からバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジが採用され、「ふっかつのじゅもん」からは開放されることになったのだが・・・・・・。

ファミコンの周辺機器、「ファミリーコンピューターディスクシステム」は、1986(昭和61)年2月21日に任天堂から発売になった。


ディスクシステムでは、ソフトの供給は専用の黄色いディスクカードで行われ、セーブが簡単に出来ることが売りの1つになっていた。


しかし、この当時の磁気ディスクは技術的にまだまだ未熟であり、容量がそれほどないうえに、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


この点をサードパーティー各社に敬遠され、結果的にディスクシステムは、ファミコン本体ほどの爆発的なヒットとはならなかったのだった・・・・・・。


そんな中、満を持して登場したのが、バッテリーバックアップ機能が搭載された大容量のカートリッジだったのである。


ここでちょっと、ファミコンのカートリッジの仕組みについて解説をしておこうと思う。


ファミコンのゲームソフトでは、カートリッジに入っている様々なデータは、ファミコン本体の電源をONにすると、RAMと呼ばれる場所に一時的に読み込まれることになる。


ちなみにRAMとはパソコンでいうところのメモリに当たる部分になる。


そしてCPUがそこからデータを取り出すことでゲームがスタートする。


そしてRAMにはそれだけではなくて、プレーヤーのゲームデータも全て収められている。


例えばドラクエでいえば、レベルはいくつか、現在の経験値はいくつか、現在どこにいて、どんな装備をしているのか、所持金はいくらで、持ち物は何を持っているのかなどがそれに当たる。


しかし、RAMはゲームデータの一時的な置き場所なので、ファミコン本体の電源を切ってしまえば、データは全て消えてしまうことになる。


このため、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」では、ゲームを再開するために、「ふっかつのじゅもん」が必要だったのだ・・・・・・。


そこで誕生したのが、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジだったのである。


で、ゲームデータをセーブするためには、どういった手続きが必要になって来るのかというと、簡単に言うなら、ファミコン本体のRAMから、プレーヤーのゲームデータだけを抜き出して、カートリッジの側に保存しておく必要がある訳だ。


前述の通り、ファミコン本体のRAMは、ゲームデータの一時的な置き場所でしかないので、電源を切ればゲームのデータは全て消えてしまう。


そこでカートリッジの中に専用のRAMを搭載し、それを電池と繋げることで、電源が切れないようにしたのが、バッテリーバックアップ機能付きのカートリッジだったのだ。


子供の頃はべつになんとも思っていなかったが、いまこうして考えてみると、「なんだか強引な発想だったのだなぁ」と思う・・・・・・。


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▲カセットの裏面には、「バックアップカセットについてのお願い」が書かれていたが、使用方法をきちんと守っていても、セーブデータはよく消えていた・・・・・・。

そしてこのバッテリーバックアップ機能が搭載されたカートリッジの登場で、ドラクエは「Ⅲ」からは、「ふっかつのじゅもん」から解放され、ワンタッチでセーブが出来るようになった。


このことによって、「ふっかつのじゅもん」を書きとめる手間と、書き間違えのリスクはなくなったものの、バッテリーバックアップに何も問題がなかったという訳ではなかった。


じつはこのバッテリーバックアップ、セーブデータがよく消えるという致命的な欠陥があったのである・・・・・・。


どういうことかというと、セーブデータが入っている「ぼうけんのしょ」を選んで、コントローラーの決定ボタンを押すと、次の瞬間になぜか突然、「呪いの音楽」が流れ始め、真っ黒な画面に白い文字で、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

と、唐突に表示されることがあったのである・・・・・・。


ファミコン版の「ドラクエⅢ」をプレイしたことのあるかたなら分かると思うが、「ドラクエⅢ」は容量不足の影響で、タイトル画面は真っ黒なバックに、「DORAGON QUEST」の白い文字だけが小さく表示されていて、BGMも一切なく無音だった。


そんな静寂の中で、突然の大音量で、おどろおどろしい「呪いの音楽」が流れ始めたら、驚かない訳がない。


心臓に悪いとは正にこのことである。


そして極めつけは、真っ黒な画面に淡々と表示される、

おきのどくですが
ぼうけんのしょ1ばんは
きえてしまいました

という簡潔なメッセージだった。


なんだかそれは、「昨日まで元気にいっしょに遊んでいた友達が、突然パタリと倒れて死んでしまいました」と宣告されているかのようで、当時は多くの子供たちが、トラウマになるほどの衝撃を受けたものである・・・・・・。


そしてこの時に流れる「呪いの音楽」は、日常生活の中で、個人的に何かただならぬショックを受けた時などに、「デデンデン、デンデン ♪」と呟くことで、周囲の者に対して、自己申告をすることにも使用されていた。


例えば返って来たテストの点数が、信じられないくらい悪かった時などに使用され、「ああ~、あいつ相当点数が悪かったんだな~。しばらく話しかけないでおいてやろう・・・」と、周りに気を使ってもらったりしていたものである。


また、先生によっては、採点したテストを返す時に、突然「デデンデン、デンデン ♪」と、呪いのBGMを奏で始め、「W辺くんは答案用紙に名前を書き忘れていたので、お気の毒ですが、今回のテストは0点です」と、ぶっきらぼうに宣言し、「W辺くん」を闇の世界へ葬り去ったこともあった・・・・・・。



2024年1月24日 (水)

ファミコンのディスクシステムとセーブ

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▲ファミコン版「ドラゴンクエストⅡ」にはセーブ機能はなく、ゲームを再開するためには、最大で52文字の「ふっかつのじゅもん」を入力する必要があった・・・・・・。

いまとなってはもはや当たり前の話だが、ゲームの続きを遊ぶためには、セーブデータが欠かせない。


しかし、家庭用ゲーム機の草分け的存在の、ファミリーコンピューターが発売になった当初は、ゲームの進行状況を保存しておくという概念そのものが、まだ存在していなかった。


その当時のファミコンのゲームは、アクションゲームやシューティングゲームが中心で、いま思えばステージ数もびっくりするほど少なかった。


このため、そもそもゲームの進行状況を保存しておく必要がなかったのである。


セーブという概念が生まれたのは、ある程度長い時間をかけて、ゲームクリアを目指して行く作品が登場してからになる・・・・・・。


ファミコンゲームに最初に採用されたセーブ方法は「パスワード」だった。


そしてこの当時は、まだ「セーブ」という言葉は一般的ではなかったと思う。


パスワードのシステムを最初に採用した、最も有名なゲームといえば、それはもはやいうまでもなく、「ドラゴンクエスト」だろう。


ドラゴンクエストでは、パスワードのことを「ふっかつのじゅもん」と呼び、現在では伝説として語り継がれている。


ちなみに「ふっかつのじゅもん」は、1986(昭和61)年5月27日発売の初代ドラゴンクエストと、1987(昭和62)年1月26日発売のドラゴンクエストⅡに採用されていた・・・・・・。


ところで、初代ドラゴンクエストが発売になった1986(昭和61)年は、ファミコンの周辺機器のディスクシステムが発売された年でもあった。


ディスクシステムは、フロッピーディスクのような外観の黄色いディスクカードを読み込むことで、ゲームをプレイすることが出来た。


このディスクカードは両面を使用することで、112キロバイトの容量があり、初期のファミコンのロムカセットの約3倍の容量があった。


ちなみに「スーパーマリオブラザーズ」は40キロバイト、「初代ドラゴンクエスト」は64キロバイトの容量だった・・・・・・。


また、ディスクカードを使用することにより、ゲームの進行状況をセーブすることが出来るようになった。


これはロムカセットではまだ実現していなかったことで、当時としては画期的なことだった。


そして、このディスクシステムが登場したことにより、ファミコンのゲームをプレイする子供たちの間で、初めてセーブという仕組みが認識されることになったのである・・・・・・。


これまではゲームを終了する際にパスワードをメモしておき、ゲームを再開する時には、そのメモしておいたパスワードを一文字ずつ入力しなければならなかった。


しかし、ゲームの容量が増えて行くにつれて、パスワードの文字数も、それに比例するように増えて行き、ドラクエⅡの頃にはなんと52文字にまで膨れ上がっていた。


そしてそのうちのたった一文字を間違えただけで、ゲームの再開がかなわなくなるのである。


それがディスクシステムが登場したことにより、ボタン1つでゲームの進行状況を保存出来るようになったのだ。


当時の子供たちは、初めてそれを経験した時には、「今までの苦労はいったいなんだったんだ・・・」と思わず脱力したものである・・・・・・。


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▲ファミコンのディスクシステムでは、ゲームの進行状況をボタン1つでセーブ出来るようになった・・・・・・。

ところでファミコンのディスクシステムが発売になったのは、1986(昭和61)年2月21日のことだった。


そしてこれは、「初代ドラゴンクエスト」が発売になった、1986(昭和61)年5月27日より前の話なのだ。


ということは、少なくとも、「ドラゴンクエストⅡ」に関しては、ディスクシステムで出そうと思えば出せたはずなのだ。


しかし、ドラゴンクエストⅡはロムカセットでの発売になった。


当時は多くの子供たちが、52文字もある「ふっかつのじゅもん」の書き間違いで、ゲーム再会がかなわなくなり、涙を飲んでいた。


しかもそれは1度や2度ではなかったのである。


もし、これがボタン1つでセーブ可能のディスクシステムだったらと思うと、非常にもどかしい思いでいっぱいだった・・・・・・。


では、どうしてドラクエは、ディスクシステムで発売されなかったのだろう。


じつはこれにはいくつかの理由があったようだ。


まず、発売当初のディスクシステムは大容量を売りにしていたのだが、じつはその直後に1メガビット(128キロバイト)の大容量のROMカートリッジが開発されていた。


一方のディスクシステムのディスクカードは、112キロバイトの容量だったが、読み込み時間が非常に長いことがネックになっていた。


カートリッジにはそのようなストレスはなかったのだ・・・・・・。


さらに1987(昭和62)年になると、リチウム電池を使用した、バッテリーバックアップ機能搭載のROMカートリッジが登場した。


もはや「セーブが出来る」ということは、ディスクシステムの専売特許ではなくなっていたのだ・・・・・・。


ソフトを買う側の子供たちにとっては、ディスクシステムのゲームは、何よりも価格が安いことが最大のメリットだった。


ところがソフトを開発する側にとっては、単価が安いということは、そのぶん利益率が上がらないということになるわけだ。


そうなって来ると、ソフトを開発する側としては、当然ディスクカードよりも、カートリッジを選択したくなる。


このような要因がいくつか重なって、ドラクエシリーズは最終的にカートリッジのソフトとして発売されることになったのである・・・・・・。


もし、「初代ドラゴンクエスト」や「ドラゴンクエストⅡ」が、ディスクシステムで発売になっていたら、「ふっかつのじゅもん」の書き間違いは起こらずに、きっと多くの子供たちがストレスなくエンディングまでたどり着けていただろう。


しかし、そうなって来ると、「ふっかつのじゅもん」はそもそも存在しなかったことになり、現在のように「伝説」として語り継がれることもなかったのである。


実際にゲームをプレイしていた当時は、それこそ死活問題だったのだが、いまとなってはあれはあれでいい思い出となっているのだから、これでよかったのかもしれない・・・・・・。



2023年12月13日 (水)

ふっかつのじゅもん

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▲ファミコン版「ドラゴンクエストⅡ」では、最大52文字の「ふっかつのじゅもん」を入力しなければ、ゲームの続きを遊ぶことが出来なかった・・・・・・。

いまとなってはもはや当たり前の話だが、ゲームの続きを遊ぶためには、セーブデータが欠かせない。


しかし、家庭用ゲーム機の草分け的存在の、「ファミリーコンピューター」が発売になった当初は、ゲームの進行状況を保存しておくという概念そのものがまだ存在していなかった。


その当時のファミコンのゲームは、アクションゲームやシューティングゲームが中心で、いま思えばステージ数もびっくりするほど少なかった。


このため、そもそもゲームの進行状況を保存しておく必要がなかったのである。


セーブという概念が生まれたのは、ある程度、長い時間をかけて、ゲームクリアを目指していく作品が登場してからになる・・・・・・。


ファミコンのゲームに最初に採用されたセーブ方法は「パスワード」だった。


そして、この当時はまだ、「セーブ」という言葉は一般的ではなかったと思う。


パスワードのシステムを採用した最も有名なゲームといえば、もはやいうまでもなくドラゴンクエストだろう。


ドラゴンクエストでは、パスワードのことを「ふっかつのじゅもん」と呼び、現在では伝説として語り継がれている・・・・・・。


「ふっかつのじゅもん」を使うためには、ゲーム終了時に王様から呪文を聞いてメモを取っておく必要があった。


そしてゲームを再開する時に、「CONTINUE」画面で、これを入力することで、中断した時の条件のまま、ゲームを再開することが出来たのだ。


ちなみに初代ドラゴンクエストでは、「ふっかつのじゅもん」はラダトームの城で王様から聞くことになる。


「ふっかつのじゅもん」の文字数は20文字と決まっていて、意味のないひらがな文字の羅列だった。


当時は20文字でも長く感じたものだが、これがドラゴンクエストⅡになると、「ふっかつのじゅもん」は合計7ヶ所で聞けるようになり、ゲームの進行具合によって、文字数は18文字から52文字と、事実上増えてしまうことになる。


冒険出来るフィールドが倍以上に広がったのだから、当然といえば当然の話なのだが、意味のない文字の羅列を、1文字も間違えることなく、52文字も書き写すことは、決して容易なことではなかった・・・・・・。


単に読み間違えたことに気付かずに、そのままメモを取ってしまうこともよくあったが、似ている文字を見間違えることもよくあった。


例えば「ぬ」と「ね」、「ぬ」と「め」、「わ」と「ね」、「ぷ」と「ぶ」などの見間違えはしょっちゅう起きていた。


また、当時のブラウン管テレビは、現在のテレビと比べると解像度が低く、「ふっかつのじゅもん」に限らず、ゲームに出て来るような字体の文字は、読み取りにくいという問題もあった。


また、「ふっかつのじゅもん」は、一文字でも間違えると、画面には「じゅもんがちがいます」というメッセージが冷たく表示され、ゲームを再開することが出来なかった。


このため、当時のファミコン専門誌や攻略本には、「ふっかつのじゅもんはメモを取った後に、本当に呪文が合っているか、もう一度しっかり確認しておこう」とか、「ふっかつのじゅもんは必ず2回聞いてメモをしておこう」と注意喚起がされていた。


最初のうちは誰もが、「ひらがなを間違えることなんてあるもんか」と、高をくくっていたものだが、「意味のないひらがな文字の羅列だからこそ間違えるのだ」ということを、ほとんどの子供たちはゲーム序盤で思い知ることになるのである・・・・・・。


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▲「取扱説明書」に書かれていた、「ふっかつのじゅもん」についての解説。

このように、自分のミスでゲームを再開出来なくなるのは、無念ではあるが、まあ仕方がないことだ。


しかし、せっかくメモをしておいた「ふっかつのじゅもん」を、ただのいたずら書きと見なされて、親に捨てられてしまうという事件も、当時はよく起きていた。


「ふっかつのじゅもん」は、ゲームをプレイして行くうえでとても大切なもので、ゲームそのものと言ってもいい。


だからゲーム終了時には、「ふっかつのじゅもん」が間違っていないか、何度も何度も確認をする。


そしてメモをどこへやったか忘れないように、一番目に付くであろう、机の上へ乗せておく。


そしてメモが風で飛ばされて、どこかへ行ってしまわないように、ペン立てを上に乗せて置いておくという念の入れようだ。


しかし、部屋の掃除に来た母ちゃんに、「ぷてまるら ぐてたもらまえ・・・」が、いたずら書き以外の何であるかなんて、理解出来ようはずがなかったのである・・・・・・。


いまだったらスマホやデジカメで、「ふっかつのじゅもん」を撮影しておけばそれで済むのだが、当時はスマホもデジカメもまだ存在していない時代だった。


当時はカメラといえば、フイルムカメラのことだったので、仮に「ふっかつのじゅもん」をカメラで撮影しておいたとしても、装填してあるフイルムを使い切るまでは現像には出せない。


また、当時はいまみたいに、日常的になんでもかんでも写真に撮るような時代ではなかったので、フイルムを1本使い切るのに数ヶ月かかることも少なくなかった。


そんな訳で、当時は「ふっかつのじゅもん」を写真に撮って残しておくというのは、現実的な方法ではなかったのである・・・・・・。


現在ではボタン1つで簡単にゲームのセーブが出来る時代になったが、昔は「ふっかつのじゅもん」を1文字、1文字書き写し、何度も何度も確認をするという、非常に面倒な作業が必要だったのだ。


そして、そこまでのことをしたにも関わらず、「ふっかつのじゅもん」が間違っているということもよくあった。


冒険も終盤に差し掛かって来ると、1ヶ月以上にもおよぶ苦労が、その一瞬で水の泡と化してしまうことになるわけだ。


あまりのショックにゲームクリアを諦めてしまう者も大勢いたものだ。


そしてそこから立ち直り、再度冒険へと旅立ち、見事エンディングへとたどり着いた、不屈の精神を持つ者だけが、当時は真の勇者と呼ばれていたのである・・・・・・。


2023年9月15日 (金)

「ドラクエ」RPGがまだ浸透していなかった時代


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▲初代ドラゴンクエストのラスボスの「竜王」。いまでは考えられない話だが、当時は攻略本にラスボスの姿が堂々と掲載されていた・・・・・・。

任天堂から家庭用ゲーム機のファミリーコンピューターが発売になったのは、1983(昭和58)年7月15日のことだった。


そして1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこのファミコンブームの真っただ中の、1986(昭和61)年5月27日に、満を持して発売になったのが、後に日本が世界に誇るRPGとなる、「ドラゴンクエスト」だったのである。


ちなみにドラゴンクエストは、家庭用ゲーム機では初のRPGだった・・・・・・。


当時はパソコンでは、「ウィザードリィ」や「ザナドゥ」などのRPGがすでに発売になっていたが、これらのタイトルはパソコンのゲームということもあって対象年齢が高く、子供が遊ぶにはちょっと難解で、キャラクターデザインも少々とっつきにくいものであった。


当時、任天堂は「ファミコンはあくまでもおもちゃ」と公言しており、小中学生が主なターゲットだったため、ドラクエは子供に興味を持ってもらえるような、可愛らしいキャラクターデザインにして、ゲームのシステムも極力単純化して、シンプルなコマンド選択式が採用された。


さらにドラクエの開発を手掛けていた堀井雄二さんは、ドラクエの発売に先駆けて、すでにパソコン版が発売になっていた、「ポートピア連続殺人事件」をファミコンに移植。


そしてドラクエ発売の前年の、1985(昭和60)年11月29日にリリースした。


「ポートピア連続殺人事件」には、「ばしょいどう」、「ひとにきけ」、「ひとしらべろ」、「なにかみせろ」、「ひとさがせ」、「よべ」、「たいほしろ」などのコマンドがあり、これを選択して行くことで、ストーリーを進めて行くことになる。


つまり、「ポートピア連続殺人事件」というアドベンチャーゲームを先に発売して、コマンド選択式のゲームにまず慣れてもらい、ドラクエをプレイする時に、プレーヤーが戸惑わないように仕掛けがされていたのだ。


さらにドラクエといえば、当時は「少年ジャンプ」誌上に、なぜかファミコンのゲームソフトを紹介するページがあって、ここにファミコン専門誌にも載っていないような情報が、開発中の画面写真と合わせて紹介されていた。


堀井さんはこのページに、発売前のドラクエの情報を掲載して、当時はまだ一般的ではなかったRPGというジャンルを、少しずつ世間に浸透させていったのだ・・・・・・。


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▲当時はドラクエの発売元のエニックスに、出版部門がまだ設立されていなかった。このため攻略本は徳間書店から発売されていた。そしてこの攻略本には、他のモンスターと同様にラスボスの姿も堂々と掲載されていた・・・・・・。

ところで1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークだったと書いたが、じつはこの2年間はファミコン専門誌の創刊ラッシュでもあった。


いまでは考えられないような話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が、出版各社から発売になっていたのである。


そしてゲームの攻略本が誕生して、次々と刊行されて行くようになるのも、ちょうどこの頃からだった・・・・・・。


ちなみに上の画像は、1986(昭和61)年9月30日に発売になった、初代ドラゴンクエストの攻略本である。


当時はまだ、ドラクエの発売元のエニックスに、出版部門が設立されておらず、攻略本は徳間書店から発売になっていた。


で、この攻略本の中身を見て驚いてしまうのは、なんと初代ドラクエのラスボス「竜王」の姿が、モザイクを掛けられるでもなく、堂々と掲載されているのである。


しかも、変身前の姿のみならず、変身後の姿まで載っていて、「これが竜王の正体だ」と、はっきりと書かれているのである。


いまだったらちょっと考えられない話なのだが、当時はまだRPGというジャンルが一般に浸透しておらず、ラスボスなんていう概念も、正直よく分かっていなかった。


だから「他のモンスターは全部出しているのに、なんで最後の敵だけ載せちゃいけないの?」という感じだったのだ。


それは出版社の側も、プレーヤーの側も同様だったと思う。


だから当時はファミコン専門誌の記事の中でも、ラスボスの姿がごく普通に載っていた記憶がなんとなく残っている。


「そんな時代もあった」といえばそれまでだが、何事も最初というのは手探りなのである・・・・・・。


2023年7月29日 (土)

学研が出していたファミコン専門誌

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▲ファミ通は現在も発売されている、唯一の家庭用コンピューターゲーム専門誌である。じつは創刊当時のファミ通は「ファミコン通信」という誌名だった。そしてそのファミコンの名前を、未だに誌名に残してくれていることは、ファミコン世代にはとても嬉しいことだ・・・・・・。

インターネットがまだなかった時代、ゲームソフトの情報提供は雑誌の役割だった。


当初、コンピューターゲームの主流はパソコンだったが、1983(昭和58)年7月15日にファミコンが発売になったことで、その流れは大きく変わって行った。


特に1985(昭和60)年から、1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこれを契機に、ファミコン専門誌が次々と創刊されて行くことになったのである。


今では考えられない話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が出版各社から発売になっていたのだ。


そんなファミコン専門誌だったのだが、現在でも発売されているのはわずか1誌だけで、他は全て休刊になってしまっている。


あの時代を知っている者としては、なんとも寂しい限りである・・・・・・。


このように一時は雨後の筍のごとく、創刊ラッシュだったファミコン専門誌なのだが、その全てが順調に売れて行ったという訳ではなかった。


その理由の1つは、ほぼ同時期に創刊ラッシュとなってしまったため、ライバルが多かったことが上げられるだろう。


「ファミコントップ」は1986(昭和61)年4月に学研から創刊されたファミコン専門誌だった。


1986(昭和61)年には、なんと6誌ものファミコン専門誌が創刊になっていて、ちょうどこの年が創刊ラッシュのピークであったことが分かる・・・・・・。


ところで学研からファミコン専門誌が発売になっていたなんて聞くと、私はちょっと意外な感じがする。


学研といえば我々の世代からすると、「学研のおばちゃん」が自転車で家まで配達してくれていた、学年誌の「科学と学習」や、本棚にズラリと並べられていた「学研の図鑑」のイメージが強かった。


だから学習とは何の関係もないファミコンの専門誌を、学研が出していたなんて聞くと、個人的にはなんだかちょっと、場違いな感じがしてならないのだ・・・・・・。


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▲スーパーミステリーマガジン「ムー」は、1979年(昭和54)に学習研究社から創刊された歴史の古い雑誌である。その後、学研のグループ再編に伴い、現在はワンパブリッシングから発行されている・・・・・・。

しかし、その一方で、学研は「スーパーミステリーマガジン」と称した、オカルト専門誌の「ムー」を発売している会社でもあるのだ(現在はワンパブリッシング刊)。


ちなみに「ムー」は2023年に創刊44周年を迎え、現在も発売中の雑誌である。


それを考えると、学研がファミコン専門誌を出していたって、何ら不思議ではなかったのかもしれない・・・・・・。


で、話が少しそれてしまったが、学研から創刊された「ファミコントップ」についてである。


1986(昭和61)年、ファミコン専門誌の創刊ラッシュの中で発売された「ファミコントップ」なのだが、思うように売り上げが伸びて行かず、なんとたったの4号で休刊に追い込まれることになってしまった。


これは当時10誌近くあったファミコン専門誌の中で、最も短命な雑誌だったといえるだろう。


さすがにこれだけライバルが多いと、他誌との差別化というか、独自色がよほどはっきりとしていないと、競争に勝つことは難しかったということなのだろう。


しかし、学研がすごかったのは、これでファミコン専門誌から即撤退とは考えていなかったことだ。


じつはファミコントップの休刊から2年後に、「最強ゲーム情報誌」と称して、「ファミコンBEST」というムック本を新たに創刊したのだ。


前身の「ファミコントップ」が、たったの4号で休刊に追い込まれたにも関わらず、それに懲りることなく、「最強ゲーム情報誌」を発売してしまうあたり、怖いもの知らずにも程があるといえよう。


しかし、この「ファミコンBEST」も6号が刊行された後、またしても休刊へと追い込まれることになってしまった。


ちなみに1986(昭和61)年に4号だけ発売され、その後、休刊となってしまった「ファミコントップ」は、現在では古書店などでは、高値が付けられて売られているそうだ。


雑誌は取っておく人が少なくて、現物がほとんど残っていないことがその理由のようだ。


人気が出ずに売り上げが伸びず、早々に休刊へと追い込まれた雑誌が、数十年後にこんなに高値で取引されるようになるなんて、当時は誰も想像もしていなかった未来だろう・・・・・・。



2023年6月17日 (土)

「ゲームボーイ」という名のファミコン専門誌

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▲任天堂から携帯用ゲーム機の「ゲームボーイ」が発売になったのは、1989(昭和64/平成元)年4月のことだった。画像は初代のゲームボーイで、後発の機種に比べるとかなり大きく厚みがあった・・・・・・。

インターネットがまだなかった時代、ゲームソフトの情報提供は雑誌の役割だった。


当初、コンピューターゲームの主役はパソコンだったが、1983(昭和58)年7月15日にファミコンが発売になったことで、その流れは大きく変わって行った。


特に1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこれを契機にファミコン専門誌が次々と創刊されて行くことになったのである。


いまでは考えられない話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が出版各社から発売になっていた。


そんなファミコン専門誌だったのだが、現在でも発売されているのはわずか1誌だけで、他は全て休刊になってしまっている。


あの時代を知っている者としては、なんとも寂しい限りである・・・・・・。


で、今回は当時発売されていたファミコン専門誌の中から、あえてメジャーとはいえなかったものを選んで、面白いエピソードをご紹介してみたいと思っている。


日本初のファミコン専門誌、「ファミリーコンピューターMagazine(徳間書店刊)」が発売になったのは、1985(昭和60)年7月のことだった。


そしてこの年の12月、それを追いかけるようにして、「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」という雑誌が発売になった。


ちなみにこの雑誌、「ゲームボーイ」とはいうものの、創刊当時に扱っていた情報は、あくまでもファミコンのゲームソフトについてだった。


それもそのはず、「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」が創刊された当時は、「任天堂の携帯用ゲーム機のゲームボーイ」はまだ発売されていなかった。


ちなみに任天堂から携帯用ゲーム機のゲームボーイが発売になったのは、1989(昭和64/平成元)年4月のことで、「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」の創刊から、じつに3年4ヶ月後のことだったのだ。


ということは、もはやいうまでもないが、「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」という誌名は、特定のゲーム機のことを指しているのではなくて、単純に「ゲーム少年」という、そのまんまの意味だったということになる。


いま考えれば、誌名に「ファミコン」の文字は一切なく、なんとも斬新なネーミングの雑誌だったといえるだろう・・・・・・。


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▲ゲームボーイ(マガジンボックス刊)では、ライバル誌のファミコン通信(↑)の人気企画「ガバス」を集めて、ファミコン通信編集部に、編集者が自ら出向いて景品をもらいに行くという、ぶっとんだ企画もやっていた・・・・・・。

ところで任天堂は、携帯用ゲーム機の「ゲームボーイ」を発売する際に、ゲームボーイというファミコン専門誌がすでに存在していることは、さすがに知っていただろう。


なにしろ任天堂のファミコンのゲームを紹介してくれている雑誌なのだ。


知らない訳がないだろう。


それにも関わらず任天堂は、自社の携帯用ゲーム機に、ゲームボーイという名前を付けたことになる訳だ。


普通だったら、トラブルを避けるという意味でも、他の名前の候補に変更することを検討すると思うのだが、結局任天堂は最終的にゲームボーイという名前に決定している。


いまとなっては、そのことを知る者はもうほとんどいないが、当時のゲーム業界には、任天堂の携帯用ゲーム機が登場する以前から、「ゲームボーイ」はすでに存在していたのだ。


そしてその「元祖ゲームボーイ」はゲーム機などではなくて、当時まるで雨後の筍のごとく創刊されていた、ファミコン専門誌の1つだったのである・・・・・・。


ところで、この「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」という雑誌だが、「誌面にそんな広告出してもいいの?」と思うような、かなりアウトローな商品を取り扱う、怪しい業者の広告を堂々と出していることでも知られていた。


例えば聞いたこともないような、ゲームソフトの買取業者の広告だったり、コピーツールの通販業者の広告を、毎号、当たり前のように掲載していた。


これらはメジャーなファミコン専門誌では、全く見ることのない広告だったので、ファミコン専門誌としてはかなり異彩を放っていたといえるだろう・・・・・・。


また、ゲームボーイ(マガジンボックス刊)では、新作ゲームの紹介記事以外にも、ライバル誌の「ファミコン通信」の人気企画でもあった「ガバス」を読者から広く募り、ファミコン通信の編集部に編集者がわざわざ出向いて、景品をもらいに行くという攻めた企画もやっていた。


ちなみに「ガバス」とは、お便りが採用されると貰える、ポイント付きのチケットのようなもので、一定のポイントのガバスを編集部に送ることで、希望の商品と交換することが出来た。


きっと、ファミコン通信の編集者たちも、「そんなことする~?」と驚いたに違いない。

 

ファミ通は現在も発売されている、唯一の「家庭用コンピューターゲーム専門誌」だが、編集者の世代交代も進み、きっと当時のことを知っている人はもう誰もいないだろう。


だからこんなことがあったということをリアルに知っている者は、もう当時の読者だけになってしまっているはずだ。


雑誌を作っている編集部の人間よりも、読者の方がその歴史に詳しいなんて、なんだか妙な話である・・・・・・。


そんな「ゲームボーイ(マガジンボックス刊)」だったのだが、時代の流れには逆らえず、1994(平成6)年に休刊になってしまったのだった・・・・・・。


2023年5月 6日 (土)

ファミコン専門誌

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▲「ファミリーコンピューターMagazine」は、ゲームの攻略記事がとても充実している雑誌だった。そして画像のような攻略本サイズの付録がよく付いて来ていた。この付録を目当てにファミマガを買っていたという人も少なくないはずだ・・・・・・。

インターネットがまだなかった時代、ゲームソフトの情報提供は雑誌の役割だった。


当初、コンピューターゲームの主流はパソコンだったが、1983(昭和58)年7月15日にファミコンが発売になったことで、その流れは大きく変わっていった。


特に1985(昭和60)年から1986(昭和61)年にかけては、ファミコンの出荷台数のピークで、1985(昭和60)年は374万台、1986(昭和61)年は390万台が出荷されている。


そしてこれを契機に、いわゆる「ファミコン専門誌」が次々と創刊されていくことになった。


今では考えられない話だが、最盛期にはなんと10誌ものファミコン専門誌が出版各社から発売になっていたのである・・・・・・。


1985(昭和60)年7月、日本初のファミコン専門誌として誕生したのが、「ファミリーコンピューターMagazine」だった。


「ファミリーコンピューターMagazine」を刊行した徳間書店は、当時、任天堂から発売になるゲームソフトの、取扱説明書の編集も任されていた。


また、任天堂はファミコンソフトの攻略法や楽しみ方を解説する書籍、いわゆる「攻略本」の出版委託契約を徳間書店と結んでいた。


当時はゲームの攻略本を買うと、徳間書店刊行のものがやたらと多かったのだが、どうやらそのような理由があったからのようだ。


そんなこともあって、「ファミリーコンピューターMagazine」は、ゲームの攻略記事がとても充実している雑誌だった・・・・・・。


そんな「ファミリーコンピューターMagazine」だったのだが、「ファミコン通信」にじょじょにシェアを奪われて行き、1998(平成10)年3月発売の5.6月合併号をもって、ついに休刊となってしまった。


余談だが休刊前に一時ファミマガは、NINTENDO64のゲームを中心に取り扱った、「ファミマガ64」に誌名を変更していた時期があった。


しかし、当時の任天堂は誰が見ても迷走中で、NINTENDO64そのものがヒットしなかった。


結果的にこれに付き合わされる形となり、ファミマガは休刊へと追い込まれることになったのだった。


正にタッグを組む相手を間違えたとしか言いようがない休刊劇だったといえよう・・・・・・。


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▲当初、「ファミコン通信」の表紙には、マスコットキャラクターの「ネッキー」が毎号のように登場していた。しかし、時代の流れと共に、アイドルが表紙になったり、ゲームのキャラクターが表紙なったりするようになり、その存在感はじょじょに薄れて行った・・・・・・。

1986(昭和61)年6月には、「ファミコン通信(アスキー)」が創刊された。


ちなみにこのファミコン通信、現在では「ファミ通」に誌名が変わっているが、現在も生き残っている唯一の「家庭用コンピューターゲーム専門誌」ということになる。


そしてファミ通のすごいところは、誌名を短縮したものの、未だに「ファミコン」の名前を残してくれていることだろう。


前述のように「ファミ通」は、創刊から2000年3月までは、アスキーから発売になっていた。


しかし、その後いろいろあって、現在の発売元はKADOKAWAということになっている。


ちなみにKADOKAWAといえば、昭和の頃はライバル誌の「マル勝ファミコン」を発売していた会社である。


そしてその「マル勝ファミコン」は、時代の流れに逆らえず、1997(平成9)年に休刊に追い込まれている。


当時「マル勝ファミコン」の編集部で働いていた人たちは、こんな皮肉な未来がやって来ようなどとは、きっと思ってもみなかっただろう。


じつは「ファミ通」に関しては、いろいろと感慨深い思い出があるので、いずれまた単独のエピソードとして書いてみたいと思っている・・・・・・。


「ファミコン通信」と同じ年に、「ファミコン必勝本」も誕生している。


「ファミコン必勝本」はJICC出版局、現在の宝島社が発売するファミコン誌だった。


じつはこの雑誌の前身は、別冊宝島シリーズ「ファミリーコンピューター必勝本」というムック本だったのだそうだ。


ムック本といえば、宝島社の代名詞と言っても過言ではなく、いま考えれば「なるほどな」と思う。


で、「ファミコン必勝本」で驚いてしまうのは、なんとオールカラーの誌面にも関わらず、250円という低価格であったことだろう。


これは当時の小中学生にとっては、とてもありがたい価格設定であったに違いない。


そんな「ファミコン必勝本」だったのだが、時代の流れには逆らえず、1998(平成10)年5月1.15日合併号をもって休刊となってしまった・・・・・・。


「ファミコン通信」のところでも、ちょっとご紹介しているが、1986(昭和61)年4月には「マル勝ファミコン(角川書店)」が創刊されている。


「マル勝ファミコン」は、ファミコン専門誌が発売される以前からあった、パソコンゲームの専門誌、「コンプティーク」の1コーナーから独立して誕生した雑誌だった。


じつはこのような形で誕生したファミコン専門誌は、「マル勝ファミコン」だけではなく、あの「ファミコン通信」も「ログイン」というパソコンゲーム専門誌の1コーナーが独立して創刊されたものだった。


「マル勝ファミコン」は、1990(平成2)年11月にスーパーファミコンが発売になると、1991(平成3)年4月に誌名を「マル勝スーパーファミコン」に変更している。


さらに1996(平成8)年にも誌名を変更しているのだが、この時の誌名は誰もが首をかしげる「マル勝ゲーム少年」だった。


当時この雑誌を実際に手に取った人は、きっと「こんな誌名じゃ、絶対売れねぇ・・・」と思っていたはずだ。


なぜなら誰が見ても、「やっちまった感」が半端なかったからである。


そしてその予想通り、「マル勝ファミコン」は、1997(平成9)年に休刊することとなったのだった・・・・・・。


今回ご紹介したファミコン専門誌は、当時はどこの書店にも置いてあるようなメジャーな4誌だった。


しかし、ネタとして本当に面白いのは、じつは「メジャーではなかった方」なのだ。


そんな訳でそちらの方も、そのうちご紹介してみたいと思っている・・・・・・。


2023年3月19日 (日)

ドラクエと鍵 ②

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▲右が「とうぞくのカギ」、真ん中が「まほうのカギ」、左が「さいごのカギ」になる。ドラクエシリーズでは、ストーリーに沿って右から左の順番で入手して行くことになる・・・・・・。

ドラクエシリーズに登場するカギといえば、「とうぞくのカギ」、「まほうのカギ」、「さいごのカギ」が基本の構成となっている。


しかし、このラインナップになったのは、1988(昭和63)年2月10日に発売になった、ファミコン版「ドラクエⅢ」からだった。


で、「とうぞくのカギ」、「まほうのカギ」、「さいごのカギ」は、ストーリーに沿って、正にこの順番で登場して来ることになる・・・・・・・。


最初に登場する「とうぞくのカギ」は、その名の通り、盗賊のバコタが作ったカギと言われている。


そしてその仕組みについては非常に単純で、可動式の3本の棒をそれぞれ動かすことで、鍵穴に合わせて扉を解錠する仕組みになっている。


「とうぞくのカギ」は構造が単純なだけに、開けられる扉の種類も限られてしまい、黄色か赤の扉以外は開けることが出来ない。


それにしても、これだけ単純な仕組みだと、カギというより、もはやパズルに近く、セキュリティという意味では、かなり危なっかしいといえよう。


これだったら、ただのかんぬきや錠前の方が、よほど安心なような気がする・・・・・・。


ちなみに「とうぞくのカギ」は、「ドラクエⅢ、Ⅳ」ではお宝、「Ⅴ」では登場せず、「Ⅵ」からはなんと市販品になってしまっている。


どうでもいいが、「とうぞくのカギ」などという、そのものズバリの名前のカギを、店で普通に販売したりして、この世界では問題ないのだろうか。


リアルな世界に置き換えて考えるなら、ピッキングの道具をホームセンターで普通に売っているようなものである。


まあ、それを買ったとしても、それなりの技術がなければ、道具を使いこなすことは出来ないのだが、ドラクエの世界では、主人公は何の苦労もなくそれを使いこなしている。


ということは、彼にはもともとそっち方面の素質があるのか、事前に「それなりの技術」を習得していた可能性があるということになるだろう。


人の家に勝手に上がり込んだり、タンスや壺の中身を物色してみたりと、かなり怪しいとは思ってはいたが・・・・・・。


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▲じつは「まほうのカギ」は「初代ドラゴンクエスト」にも登場している。ただし、「初代ドラゴンクエスト」に登場する「まほうのカギ」は1度使うと壊れてしまい、その都度、買い替えなければならなかった。そしてこれにはある理由があった・・・・・・。

ストーリーが中盤あたりまで進むと、「まほうのカギ」が手に入るようになる。


なぜ、「まほうのカギ」なのかというと、カギの先端部分に魔法がかけられていて、それによって様々な鍵穴に対応出来る仕組みになっているらしい。


アナログな仕組みの「とうぞくのカギ」とは大違いである・・・・・・。


じつはこの「まほうのカギ」、ドラクエⅠから早くも登場していて、Ⅰのアイテム名はシンプルに「かぎ」だった。


しかし、これを売っている「鍵屋」に行くと、「どんなとびらももあけてしまう、まほうのかぎ」という触れ込みで売られている。


ところがⅠの「まほうのかぎ」は、なぜか一度使うと壊れてしまうので、その都度、買い直さなくてはならなかった。


一方、Ⅲの「まほうのカギ」は、一度手に入れれば、壊れることはなく、ずっと使うことが出来る。


これについては、Ⅲのリムルダールの町に、「まほうのカギ」を探しているという老人がいて、主人公が持っているカギを見て、「これと同じものを作ろうと思っている」という。


そしてエンディングで、ついに老人はカギを完成させているのだが、なんと「一度使うと壊れてしまう」というのだ。


「ドラクエⅠ」は「Ⅲ」から400年後の世界を描いている。


どうやらドラクエⅠに登場していた「かぎ」は、オリジナルの方ではなく、リムルダールの老人が作った複製品の製法が代々継承されて行き、大量生産されたものらしい・・・・・・。


ところでこの「まほうのカギ」、名前は格好いいのだが、その主な用途は、世界各地の宝物庫に保管されているお宝を、ただ回収して来るためだけに存在しているようなものといえよう。


それを考えると、「とうぞくのカギ」よりも、むしろこちらの方が、「とうぞくのカギ」と呼ぶに相応しい気がする。


そしてそれを使っているのが本職の盗賊ではなく、正にこれから世界を救おうとしている勇者であるところがまた、何とも言えないものがある・・・・・・。


ドラクエシリーズに登場する3本のカギのうち、一番最後に登場するのが「さいごのカギ」だ。


「さいごのカギ」は全ての扉に対応しているカギで、これで今まで開けることの出来なかった扉も、開けることが出来るようになる。


と、そうは言っても、前述の「まほうのカギ」で、この世界にあるほとんどの扉は開けてしまっているので、「さいごのカギ」の使い所は牢屋ぐらいのものである。


しかし、ドラクエの世界では、なぜか牢屋には囚人だけではなく、貴重なアイテムが眠っていることも少なくないのだ。


記憶の糸を手繰り寄せながら、世界中の牢屋を確認しに行くだけの価値はある。


また、囚人が収監されている牢屋では、扉を開ければ、当然のことながら、囚人は自由の身になってしまうのだが、なぜかそこから出て行こうとする者は誰もいない。


ということは、よっぽどこの世界では、囚人たちにとって居心地のいい環境作りがされているのだろう。


もっとも、脱走でもされたら、それに加担した主人公一行も収監されてしまうことになるだろう。


ただ、収監されたことにより、この場所がどれだけ居心地がいい場所なのか、身を持って経験することは出来るだろうが・・・・・・。


2023年1月 6日 (金)

ドラクエと鍵

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▲もはやいうまでもないと思うが、右が「金の鍵」で、左が「銀の鍵」になる。金の鍵は金色に縁取られた扉、銀の鍵は銀色に縁取られた扉なら全て開けることが出来る。これは世界各国どこへ行っても共通だ。これでセキュリティ上、問題ないのだろうか・・・・・・?

信じられないような話だが、ドラゴンクエストの世界には、扉を開けるための鍵は数種類しか存在していない。


そしてその鍵の種類によって、開けられる扉のタイプは決まっている。


ドラクエの世界では施錠の仕組みはとても単純で、同じ色(同じ系統)の扉なら、全て1本の鍵で世界中どこの施設の扉であろうと、開いてしまうことになる。


扉の向こう側には、貴重なアイテムが保管されていることも少なくないのに、これでセキュリティ上、問題ないのだろうか。


いや、むしろ大問題だと思うのだが、不思議なことに鍵を手に入れて、世界中の扉を開けに行ってみても、扉はどこもしっかりと施錠されていて、部屋の中の宝箱も全くの手つかずで、誰かが進入した形跡は微塵もないのである。


で、勇者一行は、その手つかずの宝箱の中身を、所有者の許可もなく、なんのためらいもなくもらって来る訳だ。


しかし、これって冷静に考えてみると、主人公こそが「宝物庫荒らし」ということになるのではないだろうか・・・・・・。


そんな訳でドラクエの世界では、扉のタイプに対応した鍵さえ入手してしまえば、世界中どこへ行っても、扉を開けることが出来てしまう。


しかし、そうは言うものの、鍵の入手については、一筋縄でいかないものが多い。


例えばドラクエⅡに登場する「きんのカギ」については、持ち主のタシスンが帰って来ないため、いつまで経っても鍵は手に入らない。


そこで町にいる人に話を聞くと、旅の商人から、「この町の男たちの船が魔物に襲われて海の藻屑になった」というとんでもない情報が聞ける。


そしてタシスンの妻からは、「タシスンは犬が大好きだった」という話、さらに町の少年からは、「うわ~ん、あそこの犬が吠えて袖を引っ張るんだよぉ」という、どうでもよさそうな情報が聞ける。


しかし、この町で一番重要な人物は、じつは人ではなくて道具屋の裏にいる犬なのだ。


そうは言っても、犬に話を聞いても話が全く通じない。


そこでやるべきことは、犬の足元の地面を調べることなのだ。


これをやらなければ、いつまで経っても話が進展することはない。


ちなみに「きんのカギ」が手に入ると、金色に縁どられた扉は全て開けられるようになる・・・・・・。


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▲こちらは牢屋の鍵と水門の鍵。なんと牢屋の鍵は道具屋で売っている。もちろん正規のルートではなく、闇取引に応じなければ入手することは出来ない・・・・・・。

そしてもう一つ、「きんのカギ」より早く手に入る「ぎんのカギ」については、湖の洞窟の地下2階に、他の宝箱といっしょに隠されている。


それなら普通のダンジョン探索と変わらないじゃないかと思われるかもしれないが、ここでのパーティは仲間になって間もないサマルトリアの王子1人だけなのだ。


仲間になった直後のサマルトリアの王子は、本当に信じられないくらい役に立たない。


もはや主人公が1人で行くのと大して変わらないのである。


そして「ぎんのカギ」が手に入ると、銀色に縁どられた扉は全て開けられるようになる・・・・・・。


ところで苦労して手に入れた「きんのカギ」と「ぎんのカギ」だが、じつは売ることも出来る。


「金」と「銀」というくらいだから、さぞかし高額で買い取ってもらえるのだろうと思っていたら、なんとどちらもたったの2Gにしかならない。


どうやら「金」と「銀」というのは見た目の色だけで、実際のところは別のお安い金属で出来ているようだ・・・・・・。


ドラクエⅡに登場するカギを2つご紹介して来たので、ついでにもう1つ、「ろうやのカギ」もご紹介してみたいと思う。


じつは「ろうやのカギ」はペルポイの町にある道具屋で売っている。


売っているのなら、入手は簡単じゃないかと思われるだろうが、普通に買えるのなら苦労はしない。


じつはペルポイの町には道具屋がなぜか2つあるのだが、このうち「ろうやのカギ」が売られているのは、怪しい男が経営している店の方だ。


この店のメニューを見ると、なぜか一ヶ所が空欄になっている。


で、その空欄を選択すると、怪しい店員が闇取引を持ちかけて来る。


価格はなんと2000Gだ。


ドラクエⅡでは「はがねのつるぎ」が1500Gなので、「ろうやのカギ」がいかに高額か分かると思う。


で、「ろうやのカギ」を手に入れれば、「鉄格子の扉=牢屋の扉」を自由に開けることが出来るようになる。


それにしてもドラクエの主人公って、先にも書いた通り、鍵を手に入れて、宝物庫荒らしのようなことをしてみたり、本来なら摘発すべき闇取引で、なんのためらいもなくアイテムを入手してみたり、とても世界を救おうとしている勇者には見えないのだが、これで本当にいいのだろうか・・・・・・。


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