カテゴリー「レトロゲーム」の記事

2025年6月18日 (水)

ビデオCD

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▲セガサターンは背面の拡張スロットに、周辺機器として発売された、セガサターンムービーカードを差し込むことで、ビデオCDを再生することが出来た・・・・・・。

ビデオCDをご存知だろうか。


当時映像メディアの主流だったVHSと、次世代メディアと呼ばれて、まだ世に出ていなかったDVDの橋渡しの役割をするべく登場した、デジタルビデオ規格のことである。


ちなみにビデオCDが登場したのは1993(平成5)年で、DVDの開発が始まった年とピタリと重なる・・・・・・。


ビデオCDは1枚のCDの中に映像と音声を約74分記録することが出来た。


しかし、容量が小さいため、映画作品では2~3枚組で発売する必要があった。


また、ビデオCDの映像画質は、VHSの3倍モードと同程度といわれていた。


これについては、ビデオCDは650MBしか容量がなかったため、高圧縮にせざるを得なかったためといわれている・・・・・・。


ビデオCDの中身はMPEG1という規格のムービーファイルだったので、MPEG1が再生出来るパソコンでも再生することが出来た。


しかし、画質がいまひとつだったことや、ビデオCDに対応していないDVDプレーヤーもあったことなどから、映像タイトルとしての発売は、カラオケやアニメばかりだった・・・・・・。


また、当時はアダルト雑誌の全盛期で、書店に多くの成人向け雑誌が置かれていた。


ビデオCDはこれらの雑誌の付録として付いて来ることも少なくなかった。


ビデオCDが登場する以前は、雑誌に映像メディアが付録として付いて来ることなど、常識的に考えられなかった。


それがビデオCDが世に出てから、よく見かけるようになり、DVDの時代に入ると、もはや誰も驚かない、当たり前の光景になっていた。


これはビデオCDの功績といってもいいのかもしれない。


そんなビデオCDだったのだが、商業的には失敗に終わり、活用された期間はわずか数年ほどだった・・・・・・。


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▲セガサターンの拡張スロットは、普段は本体と同色の蓋がはめられていた。周辺機器に興味がなかったかたは、最後までこの蓋を開けることはなく、こんな拡張スロットが隠されていたことも知らなかっただろう・・・・・・。

このように映画などの映像ソフト自体は、全く普及しなかったビデオCDなのだが、再生機能そのものは、様々なプレーヤーに搭載されていた。


家庭用ゲーム機のセガサターンは、背面に装備されていた拡張スロットに、周辺機器として発売になった「セガサターンムービーカード」を差し込むことで、セガサターン本体でビデオCDの再生が可能だった。


拡張スロットは普段は本体と同色のカバーで蓋がされていて、気付いていない人も少なくなかったと思う・・・・・・。


セガサターンでは市販のビデオCDの再生のみならず、専用のゲームソフトも発売されていた。


結果的にムービーカードの専用ソフトは、「ルナシルバースターストーリーMPEG版」だけだったが、対応ソフトは10本以上のラインナップがあった・・・・・・。


セガサターンに限らず、当時発売されていた、「次世代ゲーム機」と呼ばれていたハードでは、「マルチメディア」という謳い文句がしきりに使われていて、ただのゲーム機ではなく、様々なメディアを再生可能なプラットホームを目指していたように思う。


ちなみにセガサターンでは、ムービーカードの発売後に、「フォトCDオペレーター」、「電子ブックオペレーター」という、2種類のシステムディスクが発売されている。


これによりフォトCDや電子ブックの再生がセガサターン上で可能になった・・・・・・。


話が横道にそれてしまったが、ビデオCDに引導を渡したのはやはりDVDだった。


そしてそのDVDの普及に一役買ったのが、SONYのPlay Station2の発売だった。


皮肉なもので、何だか当時のセガとSONYを象徴しているような構図である・・・・・・。



2025年4月30日 (水)

ドラクエの旅立ちの地あるある

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▲初代のドラクエではアレフガルドの大地しかなかったので、マップの周りには町や城の情報も紹介されていた。ちなみにこれは当時徳間書店から刊行されていた攻略本についていたものだ・・・・・・。

ドラクエの世界にはとにかく謎が多い。


例えば主人公が旅立つ町の周辺には、なぜかレベルの低いモンスターしかいない。


これはいったいどうしてなのだろう。


そしてこれはシリーズを通して、ずっとそうである・・・・・・。。


定番なのは、いまやドラクエの代名詞にもなっているスライムだろう。


スライムといえば「ザコ中のザコ」で、公式ガイドブックには、「骨がないブヨブヨの軟体生物。体当たりで攻撃して来るだけのかわいいモンスターである」とだけ書かれていて、あまりの弱さに、注意点や攻略法については特に何も書かれていない。


これではただの動物図鑑である・・・・・・。。


レベルの低いモンスターしかいないので、町には原始的で安価な装備品しか売っていない。


武器でいうなら、「ひのきの棒」や「こん棒」、防具でいうなら、「布の服」や「旅人の服」が定番だ。


どうでもいいが、「ひのきの棒」や「こん棒」なんて、もはや「棒」といっちゃってる時点で、本当に武器と呼んでもいいのか、かなり疑問である・・・・・・。


公式ガイドブックの説明書きにも、「ひのきの棒」は「ひのきの幹を削って、持ちやすくした棒」とある。


そう、「棒」なのだ。


「剣」でも「槍」でもなく、ただの「棒」である。


それならば、竹刀や木刀の方が、まだ武器っぽいし、強力なのではないだろうか・・・・・・。


同様に「布の服」や「旅人の服」も、武器防具の店で扱うのは疑問である。


「布の服」なんて、どう考えたってただの服だろう。


公式ガイドブックには、「厚い麻布でつくられた袖のない服。防具というよりは、平凡な住民のための普段着である」と、はっきりと書かれている。


武器防具の店のおやじに、「普段着じゃねえか!」と、ひと言つっこんでやりたい気分でいっぱいだ・・・・・・。


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▲ドラクエⅡになって、パーティー制が導入され、冒険出来るフィールドが一気に広がった。それでもスタート地点のローレシアの城付近はやはり弱い敵しかいなかった。ちなみにこちらのマップも当時徳間書店から刊行された攻略本についていたもの・・・・・・。

どうでもいいが、なぜ「布の服」は半袖しかないのだろう。


夏以外はどう考えたって寒いし、これを防具というのなら、肌の露出は極めて危険といえるだろう。


まあ、ドラクエの世界では、女戦士が露出の多いビキニアーマーを装備しているくらいだから、我々の一般常識は通用しないのかもしれないが・・・・・・。


それにしても、いくら町の周辺には、レベルの低いモンスターしかいないとはいえ、旅人の行き先によっては、こんな貧弱な装備では、途中でモンスターの餌食になってもおかしくない。


それを考えると、武器防具の店の品揃えは、どう考えてもおかしいのではないだろうか・・・・・・。


おかしいといえば、主人公が旅立つ町にある、城の王様もどうかしている。


主人公が旅立つ際には、城の宝箱からいくつかアイテムを授けてくれるのだが、初代ドラクエでは、「鍵」と「たいまつ」と「120G」。


ドラクエⅡでは、「どうのつるぎ」、「かわのよろい」、「50G」。


ドラクエⅢでは、「こんぼう×2」、「ひのきのぼう」、「たびびとのふく」、「50G」なのだ。


王様は主人公のことを、「これから世界を救おうとしている勇者である」と認識しているはずである。


それにも関わらず、主人公に渡す装備品や支度金がこのありさまなのだ。


本来なら国を挙げて、全力で支援するのが普通である・・・・・・。


そもそもの話、「ひのきのぼう」や「たびびとのふく」が、国の宝であるはずがないし、「100G程度の金」が支援の限界であるわけがない。


さらにいうなら、この程度の装備やお金を宝箱に保管しているのもどうかしている。


誰でも開けられる、タンスの引き出しに入っていたって、おかしくはないだろう。


むしろその方が自然といえる・・・・・・。


また、こんな貧弱な装備では、目的地にたどり着く前に、レベルの低いモンスターにやられて、死んでしまってもおかしくないだろう。


ドラクエの世界では、もし仮に死んでしまったとしても、王様の前で生き返ることになる。


そしてその時に王様は、「しんでしまうとはなにごとだ!」と罵倒して来ることは、みなさんもご存知の通りである。


旅立って間もなくして死を経験した、日本全国にいる多くの勇者たちは、きっとその言葉を浴びせられて、「それはあんたのせいだろうがぁ!」とキレまくっていたに違いない・・・・・・。



2025年3月12日 (水)

サテラビュー

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▲スーパーファミコンには「サテラビュー」という、時代を先取りした周辺機器があったのをご存知だろうか・・・・・・。

スーパーファミコンの周辺機器として発売された「サテラビュー」をご存知だろうか。


サテラビューはスーパーファミコン向けの、衛星データサービスを受信するためのデーター放送受信機だった・・・・・・。


当初、サテラビューは、通信販売のみで販売されていて、ゲーム雑誌に綴じ込まれていた注文用葉書や、「クロノトリガー」というゲームに同梱されていた葉書、ゲーム取扱店で配布していた小冊子などで、申し込みをすることが出来た。


そして1995(平成7)年4月中旬頃から、ヤマト運輸の代金引換便で配送が開始された・・・・・・。


じつはこのサテラビューは、スーパーファミコンの発売前から、その構想があったらしく、スーパーファミコン本体を裏返すと、小さな横長の端子があって、本体と同色のカバーで、きっちりと隠されていた。


そして、ここにサテラビューの本体を接続することになるわけだ。


ピッタリサイズなので、接続すると2段重ねの重箱のような姿になり、全く違和感はない・・・・・・。


といっても、これだけで放送を受信出来るわけではなくて、サテラビュー専用のカセット(BS-X)や、メモリーパックなどの接続も必要で、専用のAVセレクターを介して、テレビやBSチューナーとも連携させなければならなかった。


どんな機器でもそうだが、最初の接続の作業は面倒で、機械音痴の人なら、ここで挫折してしまっていたかもしれない・・・・・・。


サテラビューの最大の特徴といえるのが、BS放送を通して、ゲームのダウンロードが出来たことだろう。


その肝となるのが、付属のカセットの「BS-Xそれは名前を盗まれた街の物語」である。


このカセットは親亀子亀方式になっており、BS-Xのカセットの上に子亀であるメモリーパックを挿入することで、ダウンロードしたゲームを遊べるようになっていた・・・・・・。


それにしても、まるでRPGのようなタイトルだが、ソフトを立ち上げると、タイトルだけではなくて、本当にRPGのように、「名前を盗まれた街」が画面上に出現する。


プレーヤーはまずこの街で、「住民登録(キャラクターの作成)」を行うことで、街の中を歩き回れるようになっていた・・・・・・。


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▲スーパーファミコン本体を裏返すと、小さな横長の端子があって、本体と同色のカバーで隠されていた。サテラビューが普及しなかったこともあり、その存在すら知らなかったという人も少なくない・・・・・・。

放送中は街にある様々な建物に入ることが出来るようになる(サービスを受けることが出来るようになる)。


また、音声連動番組が放送されている時には、街のBGMに代わって、ラジオ音声が流される。


さらに、街には時間や季節の概念も存在していて、時間帯によって、登場する住民が変わったり、現実の季節に合わせて、木々が紅葉したり、雪が降ったりなど、景色の変化を楽しむことも出来た・・・・・・。


じつは、「BS-Xそれは名前を盗まれた街の物語」という意味深なタイトルからも分かる通り、BS-Xには街の噂をすべて集め、街の名前を盗んだ犯人を見つけるというストーリーがあった。


これについては、少しずつ情報は伝えられていたが、2000(平成12)年にサテラビューのサービス自体が終了してしまい、結局ストーリーが最後まで語られることはなかった・・・・・・。


では、なぜサテラビューのサービスは終了してしまったのだろうか。


じつはサテラビューは、BS放送の受信環境が整っていないと、サービスの利用が出来なかった。


サテラビューが発売された当時は、BS放送の受信機器が、現在のように普及しておらず、まずはそこから準備する必要があったのだ。


子供のためにそこまでしてやろうという親は、そうそういるものではないということだろう・・・・・・。


そんなわけで、サテラビューは思うように販売台数が伸びて行かなかった。


このため、スーパーファミコン本体の裏面にあった接続端子の存在も、全く知らなかったという人も少なくなかったようだ・・・・・・。


ところで、現在ではサテラビューのサービス自体は終了してしまっているが、BS-Xを起動することは可能で、街の中へ入ることも出来る。


ただし、街はもぬけの殻で住人の姿はなく、建物の中へ入ることは出来なくなっている。


その光景はあまりにも寂しく、こんなことならサービス終了後は、街も消えるプログラムにしておいてほしかったものである・・・・・・。


2025年1月22日 (水)

まほうのビキニ

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▲ファミコン版のドラクエⅢ公式ガイドブックには、なぜか「まほうのビキニ」も、それを落とす「キングマーマン」も掲載されていなかった。画像はゲームボーイカラー版の公式ガイドブックで、ここに来てようやく情報が解禁されたことになる・・・・・・。

ドラクエの世界には、女性専用の装備品というのが存在する。


家庭用ゲーム機で発売されたドラクエシリーズで、女性専用の装備品が初めて登場したのは、1988(昭和63)年2月10日に発売になったドラクエⅢ(ファミコン版)だった・・・・・・。


ドラクエⅢでは、まず、旅立ってから間もなくして到着するアッサラームの町で、「アブない水着」が売られていた。


これについては、以前に書かせてもらったので、そちらを参考にしてもらいたい・・・・・・。


そしてドラクエⅢには、もう1つ女性専用の装備品が登場する。


「まほうのビキニ」は「アブない水着」と同様に、身体を守るための防具で、ドラクエの世界ではいちおう鎧の1種として分類されている。


鎧とはいうものの、「まほうのビキニ」の名称を見れば分かる通り、実際には「ビキニ=水着」である・・・・・・。


これを装備するぐらいなら、TシャツにGパンの方がよっぽど守備力がありそうだが、なんと「まほうのビキニ」は、勇者と戦士以外ではなぜか最強の鎧(守備力)に相当する。


特に武闘家と商人にとっては、「最強の鎧」ということもあって、ラスボスとの最終決戦にビキニ姿で挑まなければならず、裸同然の格好で、ゾーマの強烈な吹雪攻撃に耐え忍ばなくてはならない。


いうまでもなく、「まほうのビキニ」には耐性はないので、守備力がどうとかいう以前に、凍死しかねないと思うのだが・・・・・・。


ちなみに「まほうのビキニ」は、店では売っておらず、キングマーマンが戦闘後に64分の1の確率で落とす。


キングマーマンは半魚人風のビジュアルのモンスターで、身体の色は紫色で、腹側だけが橙色をしている。


そのビジュアルが示す通り、キングマーマンは海にしか現れない・・・・・・。


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▲ゲームボーイカラー版の公式ガイドブックでは、「まほうのビキニ」のビジュアルはもちろん、衝撃的なその誕生秘話までが語られている・・・・・・。

「まほうのビキニ」が勇者と戦士以外では最強の鎧ということもあり、キングマーマンが登場するのは物語り後半。


場所はゾーマ討伐前のアレフガルドの海。


この時点のアレフガルドは常に夜なので、キングマーマンは夜行性で、エンカウントするのは夜の海限定ということになるだろう。


同じ系列のモンスターに、マーマンとマーマンダインがいて、キングマーマンはその名の通り、最上位種となっている。


戦闘時の攻撃の特徴としては、ヒャダルコで攻撃して来たり、自分のHPが減ると、「ごくらくちょう」を呼んで回復してもらったりする・・・・・・。


ちなみにファミコン版の公式ガイドブックには、なぜかキングマーマンは載っていない。


「なんで?」と思っていたら、キングマーマンが落とす「まほうのビキニ」も載っていなかった。


ということは、「まほうのビキニ」がシークレットアイテム的な扱いになっているため、これを持っているキングマーマンも掲載出来なかったということなのではないだろうか。


じつはそのことを証明するかのように、「まほうのビキニ」は売ることが出来ないアイテムになっている。


公式ガイドブック(赤本)に載っていないので、ファミコン版Ⅲの時点では、「まほうのビキニ」のビジュアルは不明だったのだが、リメイク版で黄色いビキニであったことが判明している・・・・・・。


ところで、ゲームボーイカラー版の公式ガイドブックには、「まほうのビキニ」の誕生秘話が語られている。


個人的には、「布地が極端に少ないビキニであるにも関わらず、不思議な魔法の力で、驚異的な守備力と機動力を実現した」的な話なのかと思っていた。


ところがそこに書かれていたのは、「むっつりスケベな魔法使いが、可愛い弟子に着せようと作り出したもの」とある。


ゾーマの強烈な吹雪攻撃を、ビキニ姿で耐え忍ぶ彼女らに、この逸話を聞かせたら、はたしてどう思うだろうか・・・・・・。


2024年12月 7日 (土)

ファミコンで通信が実現していたら・・・

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家庭用ゲーム機を手に取って、本体を裏返したり、回転させたりして、くまなく観察する人は、そうそういないと思う。


しかし、そのようにしてじっくり観察していると、「あれ、この端子って、いったい何のために付いているんだろう?」という、思わぬ発見があるものだ。


そしてそれは、ある特定の機種だけではなく、歴代家庭用ゲーム機の複数の機種で、確認することが出来るのである・・・・・・。


古いところでは、家庭用ゲーム機の先駆けとなった、ファミリーコンピューターの時代まで遡る。


ちなみにファミリーコンピューターは、1983(昭和58)年7月15日に発売になっている・・・・・・。


そして、その2年7ヶ月後の、1986(昭和61)年2月21日には、周辺機器のファミリーコンピューターディスクシステムが発売になる。


ファミコン本体とディスクシステムは、ファミコンのカートリッジスロットに、「RAMアダプタ」という平たい機器を差し込んで接続していた。


そしてこのことから分かる通り、ファミコン本体には、「周辺機器を接続する端子」は付いていなかったことになる・・・・・・。


じつはファミコンの時代にあった、「何に使用するのか意味の分からない端子」は、ファミコン本体ではなく、周辺機器であるディスクシステムの「RAMアダプタ」に付いていたのだ。


ただ、子供の頃はゲームに夢中で、そんな使いもしない端子に興味を示す者など誰もいなかった。


だからほとんどの人は、その端子には気付いていなかったのではないだろうか・・・・・・。


ちなみに「RAMアダプタ」に付いていた端子は、「RAMアダプタ」を後ろ側から見ると、長方形をした端子として据え付けられていた。


その大きさは、「RAMアダプタ」の横幅の半分ほども占めていて、結構大きな端子であったことが分かる・・・・・・。


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で、結局任天堂は、この端子に何を接続するつもりだったのだろうか。


じつは当初任天堂は、この端子に「ディスクファックス」と呼ばれる、通信アダプターを接続するつもりだったようなのだ。


通信アダプターということは、当然ネットワークへ接続することを想定していたということになるだろう・・・・・・。


で、任天堂はネットワークに接続することで、いったい何をしようとしていたのか。


これについては、自宅からファミコンのディスクシステムを使って、ネットワークに接続することで、ファミコンのソフトをダウンロードすることが出来るよう、構想が練られていたというのだ。


そして何よりも驚いてしまうのは、これが1980年代の話であることだ。


ちなみに国内初のパソコン通信は、1984(昭和59)年に開局されているのだが、当時のパソコン通信は、まだ文字だけの世界だった。


ゲームのダウンロードなんて、夢のまた夢の時代である・・・・・・。


さらに任天堂には、任天堂とメッセージのやり取りを行う、現代でいうところの、メール交換の構想もあったようだ。


いうまでもないが、当時はネットワークを利用するメールシステムは、まだまだ一般的ではなかった時代だ・・・・・・。


また、ゲームやコミュニケーション以外にも、学校や塾などのテストを、ネットワークを介して配信し、各家庭のディスクシステムを使って送信、そしてその回答を返信することで、採点や添削をしてもらえる、学習支援の機能なども考えられていたそうだ。


もし、この構想が実現していたら、「ま~た、勉強しないでファミコンばかりやって!」という、昭和の母ちゃんたちを、「ギャフン!」と言わせることが出来たかもしれないと思うと非常に残念でならない・・・・・・。


で、これらの機能は現代であれば、もはや当たり前の話になっているのだが、任天堂は1980年代にすでに現代のネットワークサービスに近いものを思い描いていたことになる。


そして、これが実現していたら、もしかしたら未来が変わっていたのかもしれないが、結局のところ、ディスクシステムの通信アダプター「ディスクファックス」は、ついに最後まで発売されることはなかった。


そして「何に使用するのか分からない端子」は、全く使われることがないまま、その役目を終えたのだった・・・・・・。


(画像上、イチョウは散ってからも黃葉が楽しめる・・・・・・。画像下、顔見知りの近所のネコ。寒くなって来たから、早くお家にお帰りなさいね・・・・・・)


2024年10月26日 (土)

あぶないみずぎ

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▲「ファミコン版ドラゴンクエストⅢ」の公式ガイドブック、通称「赤本」がこちら。ちなみにドラクエⅠの公式ガイドブックは「黒本」、ドラクエⅡの公式ガイドブックは「青本」だった・・・・・・。

ドラクエの世界には、女性専用の装備品というのが存在する。


家庭用ゲーム機で発売されたドラクエシリーズで、女性専用の装備品が初めて登場したのは、1988(昭和63)年2月10日に発売された「ドラクエⅢ(ファミコン版)」からだった。


そしてその装備品が売られていたのは、旅立ってから間もなくして到着するアッサラームの町だった・・・・・・。


アッサラームの町は昼と夜ではガラッと雰囲気が変わり、夜になると町のステージでベリーダンスが披露される、いわゆる「大人の町」でもあった。


そんな町だからなのか、北東にある武器屋には、他の町では見たことがない、「アブない水着(公式ガイドブックの表記)」なる防具が売られていた。


で、この「アブない水着」こそが、シリーズ初の女性専用の装備品だったのである・・・・・・。


では、「アブない水着」とは、どのような防具なのだろうか。


そこで公式ガイドブックを開いて、そのビジュアルを確認してみると、基本的には胸元が大きく開いたワンピーススタイルの水着であることが分かる。


ただ、通常の水着と違うのは、胸のすぐ下あたりから、へその下あたりにかけて、トランプのダイヤのマークの形に、布地がカットされていて、胸が大きく露出するデザインになっていることだ・・・・・・。


そして、すでにお気づきのかたも少なくないと思うが、これは防具とは名ばかりのただの水着である。


その証拠に公式ガイドブックに記載されている守備力はたったの「+1」なのだ。


そして頼みの綱の特殊効果に関しても、特に何もなしと来ている。


普通に考えたら、こんな裸同然の格好では、モンスターの打撃を食らえば、一撃で大怪我間違いなしで、炎を吐かれようものなら、焼け死んでしまってもおかしくはないだろう・・・・・・。


で、特筆すべきは、こんな何の役にも立たない水着が、なんと「78000G」もすることである。


いったい何に対しての価格設定なのか、意味がさっぱり分からない・・・・・・。


ところでこの「アブない水着」、前作に当たる「ドラクエⅡ」の時に、すでにその構想はあったのだという。


容量の問題があって、結果的にボツになってしまったものの、「販売価格がべらぼうに高い」、「ムーンブルクの王女に装備させると、フィールド上のキャラクターが水着姿になる」という案が練られていたらしい。


そして、キャラクターの名前によっては、「いやよ、こんなもの!」と、装備するのを拒否されてしまうという仕掛けが考えられていたようだ・・・・・・。


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▲公式ガイドブックに紹介されている「アブない水着」。確かにアブないのかもしれないが、その実態は防具というより、「ただの水着」と言ったほうが正解だ・・・・・・。

ところで、「ドラクエⅡ」といえば、MSXに移植されていたことをご存知だろうか?


今となっては、MSXといっても、何のことか分からない人の方が多いと思うので、簡単に説明しておくと、パソコンの入門機の、いわゆる「ホビーパソコン」という位置づけのマシンだった。


で、MSXに移植することで、使える容量が増えて、ファミコン版Ⅱではボツになってしまっていた「あぶないみずぎ」が、MSX版では晴れて採用されることになったのだ・・・・・・。


ファミコン版ドラクエⅢの「あぶないみずぎ」の入手方法は、「武器屋で購入する」というオーソドックスなスタイルであったが、MSX版ドラクエⅡでは、ムーンブルクの王女に何もアイテムを持たせない状態で、ラダトーム王に話しかけるとイベントが発生するようになっている。


ラダトーム王が、「こんなにかわいいのに、きるものもないとはかわいそうじゃ」と、宝箱から「あぶないみずぎ」を出して、プレゼントしてくれるのだ。


どうでもいいが、王様はいったい何の目的で、「あぶないみずぎ」を所持していたのだろうか・・・・・・。


そして王様から「あぶないみずぎ」をもらうと、なぜか教会の効果音が鳴り響き、「あぶないみずぎ」を着用したムーンブルクの王女の一枚絵が、画面にドーンと表示される。


しかも、全身の画像だけではなく、胸と下半身のアップがそれぞれ個別に表示されるというこだわりようだ。


この画像を見ると、「あぶないみずぎ」のデザインは、ファミコン版Ⅲの公式ガイドブックに掲載されているものと、基本的には同じなのだが、MSX版では胸元などにフリフリの装飾が付けられていて、どちらかというと、下着っぽい印象になっている。


ちなみにこの一枚絵、ドラクエのキャラクターデザインとはかなりかけ離れた、昭和アニメ風のデザインになっていて、妙に違和感を感じる仕上がりになっている・・・・・・。


そしてこの画像が表示された直後に、普段はひと言も発しない主人公が、思わず「おおっ、〇〇〇ちゃん!」と口走ってしまうのだ。


ちなみに「〇〇〇」にはムーンブルクの王女の名前が入ることになる。


いっしょにいたサマルトリアの王子も、「こいつはさいこうだぜ!」と興奮している様子。


そして、「あぶないみずぎ」を王女にプレゼントした張本人の王様も、「ああ、このとしまで、いきてきてよかったわい!」と感動している様子なのだが、思わず「このエロじじいがっ!」と、つっこまずにはいられない。


一方、リアルタイムで3人の感想を聞かされたムーンブルクの王女は、「そんなにみないで。わたし・・・はずかしい・・・」と、口でははにかんでいるのだが、先ほどの一枚絵の画像では、左手を腰に当てて、しっかりとポーズを取って見せている・・・・・・。


ところで、このMSX版ドラクエⅡの「あぶないみずぎ」には、ファミコン版ドラクエⅢの「あぶないみずぎ」にはない特徴があった。


なんと装備することで、特殊効果の「みとれる」の効果があったのだ。


早い話が敵が戦闘時にみとれてくれれば、そのターンの敵は、いっさい何もして来ないことになるわけだ。


やっかいな攻撃を仕掛けて来る敵には、これはとてもありがたい特殊効果になるだろう。


しかも、この「みとれる」は、驚くべきことに、ラスボスのシドーにも有効なのだ。


普段はしゃべらない主人公を、しゃべらせただけのことはあるといえよう・・・・・・。


ところでこのMSX版ドラクエⅡは、ファミコン版ドラクエⅢ発売の、わずか4日前に発売になっている。


参考までに付記すると・・・・・・、


ファミコン版ドラクエⅡは、1987(昭和62)年1月26日発売、


MSX版ドラクエⅡは、1988(昭和63)年2月6日発売、


ファミコン版ドラクエⅢは、1988(昭和63)年2月10日発売となる・・・・・・。


先ほども書いたように、MSX版ドラクエⅡには、あぶないみずぎに「みとれる」の特殊効果があった。


ところがその4日後に発売になったファミコン版ドラクエⅢでは、その特殊効果がきれいさっぱりなくなって、ただの「高額な普通の水着」になってしまったのだ。


たった4日の間に何があったというのか・・・・・・。


専門誌などを通じて、MSX版のあぶないみずぎの特殊効果のことを知ってしまうと、これについてはどうにもこうにも納得がいかない。


武器防具の店のおやじに文句を言ってやりたい気分でいっぱいだ。


しかも当時子供だった我々世代からしてみると、それを体験してみたくても、MSXなんて買ってもらえるはずもなく、ただ、ただ、悶々としながら、ファミコン版ドラクエⅢをプレイするしかなかったのである・・・・・・。


2024年9月14日 (土)

ファイナルファンタジーⅦのCM

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▲「ファイナルファンタジーⅦ」のパッケージデザインは驚くほどシンプルなものだった・・・・・・。

1996(平成8)年の正月明け、なんの前触れもなく、テレビで60秒間の衝撃的な内容のCMが流れ始めた。


画面には3DのCGで描かれた、「ミッドガル」と呼ばれる科学文明の栄えた都市が映し出され、カメラがゆっくりとパーンして行く。


場面は変わり、パソコンが並ぶオフィスに。


キーボードを小気味よく打ち鳴らしながら、プログラムを入力して行く開発者。


モニターの中には、先ほどのミッドガルの光景。


そして開発中のキャラクターの姿が、次々と映し出されて行く。


そしてエンターキーを叩くと、開発中の画面から飛び出したキャラクターが、フィールドに降り立つ。


息をつく間もなく、モンスターとエンカウントし、戦闘シーンに突入する。


さらに町の中やダンジョンを滑らかに動き回るキャラクター。


そしてそのゲーム画面に重ねるように、「F・FⅦ始動」という印象的なキャッチコピーが映し出される。


続けて「1996年12月発売予定」という告知。


最後はプレイステーションのロゴマークと、いまやお馴染みとなった、「プレイステーション」というナレーションが入りCMは終了・・・・・・。


もはや説明するまでもないと思うが、このCMは初代プレイステーション用ソフトとして、1997年1月31日に、スクウェアから発売になった、「ファイナルファンタジーⅦ」の第一報だった。


1996(平成8)年の正月明けのCMでは、「1996年12月発売予定」と告知されていたが、結果的には1ヶ月遅れて、年明けの発売となった・・・・・・。


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▲取扱説明書に掲載されていた印象的なカット。取扱説明書に採用されていた画像は、キャラクターはなぜか後ろ姿が多かったように思う・・・・・・。

で、このCMの何が衝撃的だったのかというと、まずは何よりも、これまでずっと任天堂のハードで発売されて来た、ファイナルファンタジーシリーズの最新作を、いきなりSONYのプレイステーションで発売すると、CM上で宣言してしまったことだろう。


このCMが公開されるまでは、世の中のほとんどの人は、ファイナルファンタジーⅦは、任天堂が4月に発売するとしていた(後に6月に延期)、NINTENDO64の専用ソフトとして開発されていると思っていた。


というのも、ファイナルファンタジーは、これまで「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」はファミリーコンピューター、「Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ」はスーパーファミコンと、一貫して任天堂のハードで発売されて来たからだ。


それがこのCMをもって、突然のハード変更、プレイステーション参入の発表となったのだ。


当時はファイナルファンタジーと、ドラゴンクエストの2大ビッグタイトルは、任天堂のハードで発売されることは間違いないと思われていた。


このためプレイステーションは買い控え、NINTENDO64の発売を待っている人が多かった。


そんなこともあって、このCMを見た時の衝撃はハンパないものがあったのである・・・・・・。


さらにこのCMを見て、多くの人が驚いたのは、Ⅵまでの2Dのドット絵から一転して、3Dという新たな表現方法が採用されていたことだろう。


当時は3Dのグラフィックを採用したゲームが、少しずつ増えて来てはいたものの、まだまだ格闘ゲームやアクションゲームが多く、RPGは2Dのドット絵が主流だった。


そんな時代だったからこそ、このCMのインパクトは非常に強く、多くの人がそこにゲームの未来を垣間見ていた。


そして人々は3Dというゲームの新たな表現方法を目の当たりにしたことで、「もしかしてスーパーファミコンの次は、プレイステーションになるんじゃないのか・・・?」と思い始めていた・・・・・・。


じつはファイナルファンタジーⅦは、当初、多くの人が予想していた通り、NINTENDO64で発売される可能性もあった。


しかし、NINTENDO64の開発が遅れたことで、この時すでに発売になっていた、プレイステーションにシフトチェンジしたのだという。


また、NINTENDO64は、ROMカセットでゲームを供給することがすでに決まっていた。


しかし、ファイナルファンタジーⅦの、膨大な容量のムービーをROMカセットに詰め込むことは難しく、最終的に容量の制約のない、CD-ROMを採用しているプレイステーションで発売することが決まったのだという・・・・・・。


また、当時はRPGといえば、中世ヨーロッパ風の、いわゆるファンタジーの世界観が定番だった。


CMでファイナルファンタジーⅦの映像を目の当たりにして衝撃だったのは、そのような要素が一切なくなって、機械文明が発展した、現代に近い独特な世界観が広がっていたことだろう。


個人的にはワールドマップ上に「城」が存在しない、初めてのRPGだったように思う・・・・・・。


このように1996(平成8)年の正月明けに突如公開された、ファイナルファンタジーⅦのCMは、その全てが衝撃的、かつ斬新で、ぼくら一般のプレイヤーだけではなく、ゲーム業界全体を騒然とさせ、人々の記憶に強烈な印象を残すことになったのだった・・・・・・。



2024年8月 3日 (土)

幻のファミコン版「ファイナルファンタジーⅣ」

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▲結果的にファミコンでのシリーズ最終作となった「ファイナルファンタジーⅢ」。じつは当初、「ファイナルファンタジーⅣ」は、スーパーファミコンではなく、ファミコンで発売される予定だった・・・・・・。

ファイナルファンタジーⅣは、スーパーファミコン用ソフトとして、1991(平成3)年7月19日にスクウェアから発売になった。


そしてファイナルファンタジーⅣは、スクウェアのスーパーファミコン参入の、記念すべき第1弾のソフトとなったのだった・・・・・・。


電源を入れて多くのプレーヤーがまず驚いたのは、ファミコンからスーパーファミコンにプラットフォームが変わって、グラフィック機能が大幅に強化され、ゲーム画面が見違えるほど美しくなっていたことだろう。


さらに新ハードの特性でもある、背景の多重スクロールや、回転、拡大、縮小表示機能などを駆使して、ゲームの演出効果が飛躍的に向上していたことも感動だった。


これについては、事前にファミコン専門誌から、情報は仕入れていたものの、実際に動いている画面を目の当たりにすると、「すげ~・・・」とテレビに目が釘付けで、正にお口あんぐり状態だった・・・・・・。
 

そしてファイナルファンタジーが、ファミコンからスーパーファミコンに移行して、一番変わったな~と感じたのは、プレーヤーに対して、妙に親切になったことだろう。


ファイナルファンタジーシリーズといえば、ファミコンの頃は、本当にクリアさせる気があるのかと、疑問に感じるほど不親切で、ゲームバランスや、セーブポイントの少なさに泣かされて来たプレーヤーも少なくなかったはずだ・・・・・・。


それがファイナルファンタジーⅣになって、突然ダンジョン内にセーブポイントが設けられて、セーブをすることが出来るようになっていたり、テントやコテージを使用して、HP、MPを回復させることが出来るようになっていたのだ。


逆にいうなら前作までは、ワールドマップ上でしかセーブをすることが出来なかったため、鬼のように長い高難度のダンジョンに入る時などは、大量の回復アイテムを買って持ち歩くぐらいしか、対策のしようがなかった。


そこまでしても、クリア間近に強敵に遭遇して、あっけなく死んでしまうこともあり、そうなるともう前回セーブしたポイントからやり直すしか方法がなかったのである・・・・・・。


そんな訳で、スーパーファミコンになって、やたらと親切になったファイナルファンタジーⅣだったのだが、1991(平成3)年10月29日には、さらに難易度を下げた、「ファイナルファンタジーⅣイージータイプ」が発売になった。


具体的にはゲームバランスを調整して難易度を下げているのだが、それ以外にも魔法の名前がシンプルなものに変更されていたり、隠し通路が見えるようになっていたりしていた。


イージータイプは主に低年齢層に向けた商品だったようだが、ファミコン時代のⅠ~Ⅲを知っている者にとっては、Ⅳの通常版のどこが難しいのか、はなはだ疑問に感じたものである。


そして頭の片隅で、「過保護とはこういうことをいうのだろうなぁ」となんとなく思っていた・・・・・・。


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▲画像の「ファイナルファンタジーⅢ」に続く「Ⅳ」が、もしファミコンで発売になっていたら、きっとシリーズ最高傑作となっていたことは、ほぼ間違いないだろう。私は当時、ファミコン通信の記事になった、「飛空艇屋」のゲーム画面が、未だにはっきりと目に焼き付いている・・・・・・。

ところで、1991(平成3)年7月19日に、スーパーファミコン用ソフトとして発売になった「ファイナルファンタジーⅣ」なのだが、じつは本作は制作発表当時、「ファイナルファンタジーⅤ」のナンバリングで発表されていた。


そしてこの制作発表の際には、「ファイナルファンタジーⅣ」についても、合わせて制作発表が行われていたのだが、こちらはファミコン用ソフトとして開発が行われているとのことだった。


ところがこの時、市場はすでに、ファミコンからスーパーファミコンに移り変わっており、いわゆる大人の事情もあって「ファイナルファンタージーⅤ」の方を、「Ⅳ」よりも先に発売しなければならなくなった。


そこで「ファイナルファンタジーⅣ」の開発は一旦凍結し、開発スタッフを「Ⅴ」に集めて、こちらを先に発売することとし、「Ⅳ」は後から開発をすることになったのだった。


このような事情があって、「Ⅳ」よりも「Ⅴ」の方が先に発売されることになったため、「ファイナルファンタジーⅤ」として開発が進められていたスーパーファミコン用ソフトが、結果的に「Ⅳ」に繰り上がって発売されることになったのだった。


そしてこれが1991(平成3)年7月19日に実際に発売になった、「ファイナルファンタジーⅣ」ということになる・・・・・・。


で、問題なのは、ファミコン用ソフトとして開発される予定だった、もともとの「ファイナルファンタジーⅣ」である。


本作はファイナルファンタジーシリーズの、ファミコン最終作となる予定だったのだが、いろいろあって結果的にお蔵入りとなってしまい、結局のところ発売はされなかった・・・・・・。


じつは当時、ファミコン通信(現ファミ通)の記事で、「Ⅳ(発売されなかったファミコン版)はこんな風になる」という、ゲーム内容を予想する企画があって、町の中と思しきゲーム画面が誌面に掲載されていた。


そしてそこには、「飛空艇屋」という飛空艇を売っている店が紹介されていた。


ゲーム画面自体は「Ⅲ」にそっくりで、あまり変わり映えはしなかったのだが、逆にそこにリアリティを感じたりしていたものである。


もちろんこれは、ゲーム内容の予想記事だったので、実際の開発画面ではなくて、架空のものだったのだが、多くの人が開発中の画面と勘違いをして、期待に胸を躍らせていたものである・・・・・・。


しかし、この「ファミコン版Ⅳ」が、もし本当に予定通り開発されていたら、ファイナルファンタジーシリーズのファミコン最終作ということもあって、開発スタッフも相当気合を入れて作っていたはずで、過去最高傑作といわれる作品になっていたのかもしれない。


私は新作のファイナルファンタジーの話題が上がるたびに、未だにファミコン通信(現ファミ通)の記事に出ていた、あの「飛空艇屋」のゲーム画面をふと思い出し、「幻のファイナルファンタジーⅣをプレイしてみたかったな~」と、当時に思いを馳せるのである・・・・・・。


どうでもいいが、いまとなってはファミ通の編集部にも、あの「ファミコン版Ⅳ」の予想記事のことを知っている人は、もう誰もいないのだろうなぁ・・・・・・。


2024年6月22日 (土)

ぼうけんのしょは消えてしまいました

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▲ファミコン版ドラクエⅢの取扱説明書には、リセットボタンを押しながら電源を切らないと、冒険の書が消えてしまうと書かれていたのだが・・・・・・。

昭和の頃、「ドラゴンクエストⅢ」を始めとする、バッテリーバックアップ機能を搭載したファミコンのカートリッジでは、セーブデータが消えてしまう悲劇がしばしば起きていた。


「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージに愕然として、思わず天を仰いだプレーヤーも少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。


では、なぜこのようなことが起きてしまっていたのだろうか。


このようなメッセージが画面上に突然表示されると、ソフトやハードに何らかのトラブルが発生して、セーブデータが消えてしまったような印象を受ける。


ところが実際にはそうではなかったらしく、このメッセージは、「セーブデータに問題が生じたのを確認したため、そのセーブデータをいまから削除しますよ」ということを、プレーヤーに告知するためのものだったのだ。


正確にいうなら、「二次災害を防ぐために、そのセーブデータを、いまから消しますよ」と言っていたのだ・・・・・・。


前述の「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージが出るケースというのは、ぼうけんのしょを正しく読み込めなかった場合に起きる。


では、なぜセーブデータを正しく読み込めなかったのかというと、1つはぼうけんのしょのデータが、文字通り破損していた場合。


そしてもう1つは、読み込むプログラムが誤作動を起こしている場合だ。


問題なのは後者で、単なるプログラムの誤作動であるにも関わらず、「データを読み込めなかったのは、このぼうけんのしょが破損しているからだ」と、ソフトの側で勝手に判断して、セーブデータを強制的に消去してしまっていたのだ。


つまり、「初めからそういうふうにプログラムされていた」ということになる。


じつはデータが破損するということは、そうそう起こることではないらしく、大半のケースがこちらの読み込み不良が原因であったらしい・・・・・・。


さらにいうと、「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」というメッセージが、画面に表示された時点では、まだセーブデータは消去されていなかったそうなのだ。


先ほども書いた通り、これは「いまからデータを消しますよ」という告知である。


ということは、このメッセージが表示されてすぐに電源を切ってやり直していれば、セーブデータを正しく読み込める可能性が高かったということになる。


衝撃的なメッセージにショックを受けて、天を仰いでいる場合ではなかったのだ・・・・・・。


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▲取扱説明書の裏表紙には、「勇者の心得」として、4つの注意事項が書かれているのだが、これを見るとやはりドラクエⅢは、かなりデリケートで、セーブデータが消えやすいソフトであることが分かる・・・・・・。

では、いったいデータはどのタイミングで消されていたのだろう。


じつはこれについては、各ゲームによって様々だったようなのだが、ファミコン版のドラゴンクエストⅢでは、例のメッセージが表示されて、あの忌まわしい呪いの音楽が鳴り響いた直後に、処理が行われていたようである。


つまり呪いの音楽が鳴り終わる前に、電源を切るなり、リセットボタンを押すなりしていれば、データは消されずに済んだのだ・・・・・・。


さらに「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」というメッセージが出る原因の一つに、カセットの接触不良の可能性があった。


この場合はデータそのものは無事なので、電源を切ってカセットを差し直しさえすれば、セーブデータは読み直すことが出来たはずである。


それだったら、データを消す前に、「一度電源を切って、カセットを差し直してください」ぐらい言って欲しかったものである。


いきなり、「ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいましたはないだろう!」と今さらながら腹が立つ。


しかし、そうはいっても、もし本当にデータが破損したままソフトを起動し続けていたとしたら、そのうちゲームシステムにまで影響が出てしまい、ソフトそのものが起動出来なくなる可能性がある。


このため破損したデータを保持したまま、ソフトが動くのを防ぐため、このようなデータを消すプログラムが組み込まれていたようだ・・・・・・。


ところでバッテリーバックアップは、電池によってデータが保持されている。


このため、長期間の通電がないと、電池内部から放電してしまい、電池切れを起こしてしまうことになる。


もちろんそうなってしまえば、データは消えてしまうことになるだろう・・・・・・。


ところが子供の頃にプレイしたドラクエⅢのバッテリーバックアップがまだ生きていて、ぼうけんのしょが奇跡的に消えていなかったなんて話もたまに耳にする。


ドラクエⅢといえば、1988(昭和63)年2月10日に発売された、ファミコン用のゲームソフトである。


いまから36年も前(2024年現在)に発売されたゲームの電池がまだ生きていたなんて、ちょっと信じられないような話だ・・・・・・。


じつは2021年にフジテレビ系列で放映された、「世にも奇妙な物語」の「ふっかつのじゅもん」というエピソードでは、このことがネタにされていた。


物語の最後に、子供の頃に遊んだゲームソフト、「ドラゴンクエストⅢ」を見つけた夫婦が、これを懐かしく思い、ゲームを起動したところ、画面に「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージが表示される。


そして次の瞬間、セーブデータだけではなく、夫婦の記憶まで消えてしまうという、ちょっと怖いエピソードだった。


きっと、これを見て、当時の記憶がよみがえったというかたも少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。



2024年5月 5日 (日)

バッテリーバックアップとフーフー

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▲ドラクエⅢのカートリッジの後ろ面には、「バックアップカセットについてのお願い」が貼り付けられていた。バックアップカセットがいかにデリケートなものであることが分かる・・・・・・。

昭和の頃、「ドラゴンクエストⅢ」を始め、バッテリーバックアップ機能を搭載したファミコンのカートリッジでは、セーブデータが消えてしまう悲劇が、しばしば起きていた。


「おきのどくですが ぼうけんのしょ1ばんは きえてしまいました」のメッセージに愕然として、思わず天を仰いだプレイヤーも、少なくなかったのではないだろうか・・・・・・。


では、なぜこのようなことが起きていたのだろうか。


これについては、そもそもファミコンは、バッテリーバックアップを想定して作られていなかったため、電源を切った際に電気ノイズが流れて、CPUが保存データの一部を書き換えてしまうことがあったのだという。


そしてその予防措置として行われるようになったのが、「リセットボタンを押しながら電源を切る」方法だった。


その理由については、「リセットボタンを押している間は、CPUが動作を停止するから」と言われていたが、それでもデータが消えてしまったという話を、当時はよく聞かされたものである。


そんなこともあって、バッテリーバックアップ機能を搭載したカートリッジが登場したことによって、急にソフトやハードを丁寧に扱う者が増えていったとも言われていた・・・・・・。


ファミコンといえば、ゲーム中にヒートアップして、本体とコントローラーを繋ぐケーブルを引き千切ってしまったり、八つ当たりでコントローラーを本体に投げつけたりする者が多くいて、当時の任天堂には修理依頼が絶えなかったと言われている。


というのも、ファミコンのコントローラーはコストダウンのため、コネクタ式ではなく、本体へ直接取り付けられていた。


このため、無理に引っ張ると、ケーブルが千切れてしまい、自分では元に戻すことが出来なかったのだ・・・・・・。


本体が壊れただけなら、修理をすれば済むことだが、ソフトの場合はそうもいかない。


アクションゲームやシューティングゲームならまだいいが、ドラクエのようなRPGともなると、ストーリーを先に進めていればいるほど、セーブデータが消えてしまった時のショックは大きいものとなる。


特にストーリーの節目、節目にある、イベントの前後のセーブデータや、万全の準備を整えて、後はラスボスを倒すだけというタイミングのセーブデータが消えてしまった時などは、頭の中が真っ白になり、人生初の放心状態を経験したという子供たちも、当時は決して少なくなかったはずである・・・・・・。


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▲ほこりが付着しているのではないかと、カセットの端子部をフーフーしていたかたも少なくないと思うが、じつはこれ端子部が劣化する恐れがあったのだそう。そうは言っても、ファミコン世代はみんなやっていたよな・・・・・・。

そんなこともあって、ドラクエⅢではゲームをセーブして、ソフトを本体から取り外し、箱にしまうまでが、怖くてしょうがなかった。


イジェクトボタンを操作すると、まるでトースターから焼き上がったパンが飛び出して来るように、カートリッジが「ビヨ~ン!」と跳ね上がって来るのだが、この時の衝撃でデータがとんでしまったりしないものかと、毎回のように心配をしていたものである。


じつはこれ、ただの取り越し苦労とも言い切れなかったようで、そのような衝撃が原因で、データが消失する可能性もあったらしいのだ。


また、ファミコン本体からカートリッジを着脱する時の衝撃だけでなく、カートリッジを箱にしまう際に、うっかり床に落としてしまうリスクなども当然ある訳だ・・・・・・。


ドラクエなどのRPGは、とても1日2日でエンディングまでたどり着けるようなゲームではない。


特に母ちゃんにゲームのプレイ時間を制限されている小中学生は、クリアまで数ヶ月を要することだってある訳だ。


その間、毎日毎日、カートリッジの抜き差しを繰り返すことを考えると、ゲームクリアまでカートリッジを差しっぱなしにしておいた方が、データ消失のリスクは少なかったのかもしれない・・・・・・。


また、バッテリーバックアップ機能搭載のカートリッジが誕生し、ゲームソフトを丁寧に扱う者が増えて来た頃、カートリッジの抜き差しの際に、端子部を「フーフー」する習慣が生まれた。


「もしかしたら、知らないうちに、端子部にホコリがくっついて、それが原因でデータが消えてしまうことがあるんじゃないか?」という不安から生まれた習慣だったようだ。


しかし、この「フーフー」、よかれと思ってやっていたのだが、専門家に言わせると、どうも逆効果になっていたかもしれないというのだ。


「フーフー」することで、確かにホコリを飛ばすことは出来ていたのかもしれないが、吹きかける息に含まれる水分が端子部に付着し、端子部の劣化を早めていたかもしれないという。


どれもこれも、「今となっては・・・」の話なのだが、こういう話って、いつの時代も、なんで後になってから言うんですかねぇ・・・・・・。



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