カテゴリー「昭和の自動販売機」の記事

2024年5月11日 (土)

ガムの自動販売機

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▲昭和の頃はガムといえば板ガムのことだった。粒ガムが主流となった現在では、このパッケージを見ても、何の商品なのか分からない世代もいるのだろうか・・・・・・。

私が子供の頃は、ガムといえば板ガムのことだった。


それがいつの頃からか、スーパーやコンビニで見かけるガムは、大半が粒ガムに変わっていた。


子供の頃から板ガムに慣れ親しんで来た私としては、粒ガムが発売になった当初は、パッケージを見ただけでは、飴なのかガムなのか、区別がつかなかったものである・・・・・・。


で、この粒ガム、いったいいつ頃から出回り始めたのかというと、ガム大手のロッテでは、1994(平成6)年2月に発売した、「ブルーベリーガムシュガーレス」と「フラボノガムシュガーレス」が初だったという。


しかし、この当時は、まだまだ板ガムが主流で、一般には粒ガムの認知度は低かったようだ。


そしてその後、1997(平成9)年に「キシリトール」が粒ガムで発売されたことにより、粒ガムの認知度が一気に高まり、ガムの主流は板ガムから粒ガムへと変わって行ったのだそうだ。


しかし、子供の頃から板ガムに慣れ親しんで来た私としては、粒ガムの形を見ると、なんだか薬やサプリメントを思い浮かべてしまい、あまり食べたいとは思わなかったものだ。


また、板ガムのパッケージに慣れてしまっていた当時は、のど飴だと思って買ったのに、開封したら中身は粒ガムだったなんてことも何回かあった・・・・・・。


私が子供の頃は、ガムはじつに様々な種類のものが売られていた。


スペアミントやクールミント、ペパーミントをはじめとする、定番のミント系から、ブルーベリーやマスカット、梅やアセロラなどのフルーツ系、また、当時チョコレートや飴などのお菓子によく採用されていた、「コーヒー味」のガムなんてのもあった・・・・・・。


そして、それらは全て板ガムとして売られていた訳なのだが、板ガムはパッケージを開封して、包み紙からガムを取り出すと、なんとも言えない爽やかな香りが、周囲に「フワ~~ッ」と広がって行くのが感じられた。


当時、私が特に「いい香りだな~」と感じていたのは、ブルーベリーや梅、マスカットやアセロラなどの、フルーツ系のガムの香りだった。


不思議なもので、フルーツ系のガムの香りというのは、匂いを嗅いだだけで、まるで本物の果物を口に含んだような、ジューシーな感覚まで舌に伝わって来るような気がしていた。


そしてその香りは、ガムを噛もうとしている自分だけではなく、同じ部屋にいる多くの人が感じることが出来るほど強いもので、匂いを頼りにガムを手に取っている人を探し当て、「そのガム、なんていうガム?」なんて聞いたりするのが楽しかったものである・・・・・・。


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▲板ガムの魅力の1つが包み紙を開いたときの香りだった。特にフルーツ系のガムの香りは爽やかで、香りを嗅いだだけで、口の中に唾液が出て来たものである・・・・・・。

ところが粒ガムになってから、このガムの香りがなくなってしまったような気がするのだ。


その原因はなんだろうと考えてみると、ガム表面の硬いコーティング層がそれを阻んでいるような気がする。


包み紙を開けた時に、フワッと香るあのガムの匂いは、ガムを食べる時の楽しみの1つだったと思うのだが、それをなくしてしまっては、元も子もないのではないだろうか・・・・・・。


粒ガムになってなくなったものといえば、ガムの嚙み心地というか、弾力がなくなったような気がする。


粒ガムは硬いコーティング層が嚙み砕かれて、溶けてなくなってしまうと、妙に軟らかいふにゃふにゃとした噛み心地のガムが現れる。


板ガムの弾力に慣れていた当時は、「なんだこりゃ・・・」と思ったものである。


ガムは噛むためにあるのだ。


弾力をなくしてしまっては、意味がないと私は思う・・・・・・。


で、板ガムがたくさん発売されていた昭和の当時、「ガムの自動販売機」があったのを覚えているだろうか。


仕組みはジュースの自動販売機と全く同じで、硬貨を入れて欲しい商品のボタンを押すと、購入したガムが商品取り出し口にポトリと落ちて来るのだ。


ただ、ジュースの自動販売機と違う点が1つあって、自動販売機の窓から見えているのは、サンプルではなくて、実際に取り出し口に落ちて来る商品そのものだったのだ・・・・・・。


ガムの自動販売機では、5~6種類のガムが売られていて、自動販売機の窓からは、縦に積まれた商品のガムが見えるようになっていた。


このため売れているガムとそうでないガムの様子が客に丸分かりで、それを見て自分が買おうとしていたガムをやめて、残量の少ない人気のあるガムに変更したりする人もいたものだ。


確か1990年代までは「ガムの自動販売機」は見られたと思うのだが、いつの間にかその姿を見ることはなくなっていた・・・・・・。



2024年3月30日 (土)

森永「Piknik」と牛乳の自動販売機

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▲じつは「Piknik」は現在も販売されている。立体的な構造の容器に変わり、味のバリエーションも増えて6種類になった・・・・・・。

昭和の頃には、牛乳や乳飲料の自動販売機が、ジュースの自動販売機といっしょに並べて置かれていた。


私が子供の頃には、近所の商店街をはじめ、デパートやスーパーなどの商業施設、学校の購買部の脇などにも、牛乳や乳飲料の自動販売機は普通に置かれていた・・・・・・。


私が一番記憶に残っているのは、森永乳業から1981(昭和56)年に発売された、「Piknik(ピクニック)」という乳飲料だ。


発売当初の「Piknik(ピクニック)」は、ヨーグルト味、ラクトコーヒー味、ストロベリー味、フルーツ味の4種類で展開されていて、色違いのカラフルな容器がとても目を引いていた。


ちなみにパッケージの色は、ヨーグルト味が青色、ラクトコーヒー味が茶色、ストロベリー味がピンク色、フルーツ味が緑色だった。


そしてパッケージの下部には、虹のような印象的なマークが描かれていたので、覚えているかたも多いかと思う・・・・・・。


また、当時はパッケージの後ろ側にストローが付いている200ml程度の飲料は、四角いずんぐりむっくりとした容器が主流で、見るからに「牛乳パック」という見た目のものがほとんどだった。


現在のようなスリムな容器は、まだ見られない時代だったのである・・・・・・。


ところでこの森永の「Piknik(ピクニック)」、昭和の頃はテレビCMをしばしば放映していた。


その内容は「Piknik(ピクニック)」という商品名からなのか、アウトドアやスポーツシーンが多かったように思う。


いまだったら、飲み物のCMに起用するとなると、若手の俳優や女優なのだろうが、「Piknik(ピクニック)」のCMには、なぜか見たこともない外国人女性がたくさん出演していた・・・・・・。


当時、外国人女性がただひたすら、自転車を漕いでいるだけのCMがあったのだが、私は当初、普通の自転車レースのワンシーンなのかと思っていた。


ところがよく映像を見てみると、じつはこの自転車、複数の自転車が連なったような形をしており、1台の自転車に10人ほどの外国人女性が乗って漕いでいたのだ。


そしてこれが2台並んで走っているという謎の設定だった。


そしてCMではカメラの前を自転車が通過して行き、追い越される直前に、真後ろからのカメラアングルにパッと切り替わる。


そしてしばらくの間、自転車を漕いでいる外国人女性のお尻が映し出される。


このシーンには、きっと「おおっ!」と身を乗り出したかたも少なくなかっただろう・・・・・・。


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▲パックの後ろには、「Piknik」の発売当時の容器のデザインが紹介されていた。これを見て、「うわ~、懐かしい~!」と思ったかたは私と同世代だ・・・・・・。

そして最後はゴールに置かれている固定カメラの映像に切り替わり、その前をゴールテープを切った自転車が走り抜けて行くのだが、これだけではただの自転車レースの映像である。


というわけで、当然のことながら、彼女たちはCM中に商品をしっかりとアピールしていた。


じつは彼女たちは、自転車を漕ぎながら、片手に「Piknik(ピクニック)」のパックを持って、なぜかカメラ目線でにっこり微笑みながら、「Piknik(ピクニック)」をゴクゴク飲んでいたのだ。


片手運転やら前方不注意やらで、今だったらちょっと問題になっているかもしれない。


そしてCMの最後には女性の声で、「僕たち飲むなら、ピークニック!」というキャッチフレーズが流されていた・・・・・・。


また、後年発表のCMでは、ビーチの見えるプールサイドで、信じられないくらい高いヒールを履いた、水着姿の外国人女性が、数名並んで立っていて、ただ、ただ、お尻を振り続けているだけという、意味不明の映像もあった。


きっと、自転車バージョンのお尻のシーンが好評だったのだろう・・・・・・。


で、個人的には、森永「Piknik(ピクニック)」といえば、学生の頃に学校の購買部で、パンといっしょに買って、よく飲んでいたのを覚えている。


ちなみに私の当時のお気に入りはラクトコーヒー味だった・・・・・・。


ところで昭和の頃には、「牛乳の自動販売機」というのもあった。


乳飲料ではなく、牛乳そのものである。


牛乳といって多くの人がイメージするのは、500ml入りや1000ml入りの牛乳パックだと思う。


じつは昭和の頃には、500mlや1000mlの牛乳パックも、自動販売機に入れられて、普通に売られていたのだ・・・・・・。


森永の自動販売機には、前述の「Piknik(ピクニック)」といっしょに、1000mlの牛乳パックが入っているものもあったし、500mlと1000mlの牛乳パックだけを入れてあるものもあった。


そしてこれにはコーヒー牛乳なども入っていたと思う。


そしてこれは、明治など他の牛乳メーカーも同様だった。


これは現在ではかなり違和感があると思うのだが、当時はそれが当たり前の光景だったのだ・・・・・・。


ところで1000mlの牛乳パックを自動販売機で買うと、落ちて来る時の衝撃も半端がなかった。


自動販売機に硬貨を投入し、商品を選んでボタンを押すと、次の瞬間に「ダンッ!」という、ものすごい音と衝撃が伝わって来る。


子供の頃はそのたびに身体が「ビクッ!」と反応していたものである。


そしてあまりの衝撃で、穴でも開いていまいかと、恐る恐る牛乳パックを取り出すと、見事に角が凹んだ牛乳パックが現れるのである。


きっと、あんな風に凹んだ牛乳パックを見ることは、もう二度とないのだろうなぁ・・・・・・。


2024年1月30日 (火)

エロ本の自動販売機

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現在ではもう絶滅してしまったが、かつては「エロ本の自動販売機」が、街角に堂々と置かれていた時代があった。


エロ本の自動販売機は、商品窓にマジックミラーが使われていて、普段は中に何が入っているのか見えないようになっていた。


そして日が暮れてあたりが暗くなると、自動販売機のライトが点灯して、初めて中が見えるような仕組みになっていた。


当初わたしは、故障した自動販売機に、客が誤って硬貨を投入してしまわないように、商品窓を銀色の紙で覆って、見えないようにしてあるのだろうと、勝手に思い込んでいた。


しかし、故障した自動販売機なのに、いつまでも撤去されずに、その場所に放置されていて、変だなとは思っていた・・・・・・。


ところでこの「エロ本の自動販売機」、最盛期には全国に2万台以上が設置されていたそうである。


そしてそれは、当時の書店の数と、ほぼ同数だったというから驚きである。


ということは、私が「エロ本の自動販売機」を街で見かけていた頃は、もう、とっくにピークは過ぎていたということなのだろう・・・・・・。


そしてそれは自動販売機の中身を見ても明らかだったようである・・・・・・。


じつは当初自動販売機で売られていたエロ本は、ヌードグラビアと記事ページからなる、いまでいう「成人向け週刊誌」のような構成であったらしい。


そしてそれは、表紙とグラビアだけを見れば、いわゆる「エロ本」なのだが、雑誌の大半を占めている記事ページは、エロとはいっさい何の関係もない、サブカルチャー系の情報誌の体裁だったという。


しかも、頼みの綱の表紙やグラビア部分に関しても、エロ本というほどの過激さはなく、モデルの女性はしっかりと下着を付けており、それも特別セクシーなものでもなかったそうなのだ。


それだったら、いまでいう「成人向け週刊誌」の方が、よっぽど過激でエロ本ぽいといえるのかもしれない。


いま考えれば、「そんな内容でよく売れたな」と思うのだが、当時はエロメディアの絶対数が不足しており、そんなものでも多くの需要があって、なんと500億円規模の市場になっていたというから驚きである・・・・・・。


私が中学生の頃、「きのう俺は部活帰りに、自動販売機でエロ本を買った!」と豪語しているやつがいて、学校でそれをみんなに見せびらかしていることがあった。


どうも、「自分は度胸があるだろう!」ということを、みんなに自慢したかったらしい。


しかし、実際のところはどうもそうではなかったらしい。


じつはエロ本の自動販売機は、ボタンを押して商品が取り出し口に落ちて来る際に、なぜか「ブーーーッ!」という、けたたましいブザーが鳴るような仕組みになっていた。


彼はこの音に仰天して、腰を抜かしそうになり、一時電信柱の後ろまで走って行き、身を隠して様子を見ていたのだそうだ。


で、何も起こりそうもないので、急いで購入したエロ本を取りに戻ったのだという。


そして彼はその苦労して買ったエロ本を、わざわざ学校に持って来て、みんなに見せびらかしていることになるわけだ。


傍から見れば、そんなことをするやつは、ただの変態でしかないのはもはや言うまでもない。


現実に女子はかなり引いていたが、彼はそのことに全く気付いていない様子だった・・・・・・。


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で、そのエロ本を見せてもらったところ、予想に反して全ページカラーグラビアだったものの、びっくりするほどうすっぺらな雑誌だった記憶がある。


もう、この時点で、先程まで書いて来た「自販機本」とは、明らかに様相が違うことが分かると思う。


じつは私が学生の頃に街角で見られた「エロ本の自動販売機」は、中身が当初のものとは変更になっていたようで、いわゆる「ビニ本(ビニール本)」と呼ばれるものが入れられていたらしい・・・・・・。


で、いわゆる「自販機本」と何が違うのかというと、モデルの女性のポーズがより過激になり、着用している下着もスケスケのものに変更になっていたのだそうだ。


中には下着を着けていない写真も掲載されていたが、そのようなものは肝心な部分は見えないよう、ポーズが工夫されていた。


ものすごく分かりやすくいうなら、「とにかく明るい安村」状態である。


そして局部が見えるようなポーズのものは、当然のことながら、修正が加えられていた・・・・・・。


ところで当時、自動販売機で売られているエロ本は、修正部分を砂消し(消しゴム)でこすると、黒い修正箇所がきれいに消えて、肝心な部分が丸見えになるという、いかにも嘘っぽいうわさが流れていた。


当時は「そんなバカな」と思いながらも、とりあえず試してみたという人も、少なくなかったそうである。


昭和の頃に「砂消し」が売れたのは、このうわさのせいだという人もいるくらいである・・・・・・。


じつはこのうわさにはちゃんとした理由があった。


エロ本の自動販売機が最盛期の頃は、印刷所が24時間フル稼働で、関係者は多忙を極めていた。


このため、修正の入れ忘れがしょっちゅう起きていたのだという。


で、それをそのまま出荷する訳にはいかないので、急遽、人を集めて、なんと黒マジックを使って、手作業で肝心な部分を塗りつぶしていたのだという。


それを翌日の出荷に間に合うように、一晩でこなしていたというのだから、相当たいへんな作業だったに違いない。


もしかしたら、そんな雑誌を入手していれば、あのうわさは現実になっていたのかもしれないが、それでも砂消しでは無理だったろう。


ちゃんとした薬品を使えば、インクを消すことは出来たかもしれないが、問題は紙の方が耐えられるかどうかだ。


教室でエロ本を見せびらかしていた彼も、「砂消しを買って試してみる!」と息巻いていたが、次の日にそのことを尋ねてみると、たった一言、「やぶけた・・・」と呟いたのだった・・・・・・。


(画像上、早咲きの河津桜の蕾が動き出した。画像下、青空に映えるイチョウの枝振り・・・・・・)


2023年12月19日 (火)

消えたコンドームの自動販売機

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▲ジュースの自動販売機がずらりと並ぶ場所に、コンドームの自動販売機が今もかろうじて生き残っていた。ちなみにここは、もともとは酒屋だった場所で、現在は閉店していてすでに営業はしていない・・・・・・。

そういえば、ふと思ったのだが、最近はコンドームの自動販売機をあまり見かけなくなった。


私が子供の頃は、町のあちこちで見かけたものだが、いったいいつの間になくなってしまったのだろう。


もしかしたら、若い世代の人たちは、コンドームの自動販売機なんて、見たことがないのではないだろうか。


私が子供の頃は、薬局や酒屋の店先には必ず設置されていて、商店街の路地裏などにも、ひっそりと置かれていたものである・・・・・・。


当時、コンドームの自動販売機には、必ず「明るい家族計画」というキャッチコピーが大きく書かれていた。


そのこともあって、小学生の頃は、この中に入っているものを買えば、家族旅行の計画でも立てられるのかと思っていたものだ。


また、「計画」という言葉から、夏休みに入る前に書かされていた、タイムスケジュール表みたいなものを連想したりもしていた。


6:00 起床
6:30 ラジオ体操
7:00 朝食
8:00 夏休みの宿題


・・・・・・みたいなアレである。


旅行に行けるのはいいが、あんな面倒くさいものを書かされるのはごめんである。


せっかくの旅行なのだから、自分の好きな時間に起きて、自分の好きなように行動させてほしいものだ。


いまとなってはどうでもいい話だが、仮にそんなものを書かされるシステムになっていたとして、それをいったい誰に提出するというのか・・・・・・。


ところでコンドームの自動販売機が誕生した当初は、煙草の自動販売機を改良して作られていたらしく、当時のものは私の知っているものよりも、かなり大きなものだったらしい。


私が子供の頃によく見かけていたものは、自動販売機というよりも、箱型の発券機のような、コンパクトなものばかりだったと思う・・・・・・。


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▲昭和の頃は、「明るい家族計画」というキャッチコピーだったのだが、現在はおしゃれに「ファミリープラン」と言い換えられていた。まあ、意味としてはいっしょだが・・・・・・。

また、私が子供の頃は、コンドームの自動販売機は、薬局の店先で見かけることがほとんどで、他には酒屋やたばこ屋の店先や、路地裏などでたま~に見かけるぐらいだった。


ところがコンドームの自動販売機が登場した当初は、様々な業種の個人商店の店先に置かれていたようで、薬局の前に置かれるようになったのは、かなり後のことだったらしい。


つまりルーツをたどって行けば、コンドームとは何の関係もない、酒屋やたばこ屋に置かれていたものの方が先だったことになる訳だ。


これについては、なんだかちょっと意外な感じがする。


まあ、考えてみれば、薬局では店内にコンドームがすでに商品として置かれている訳で、普通に考えたら、わざわざ店先に自動販売機を設置する必要もないだろう・・・・・・。


じつはコンドームの自動販売機は、薬局の前に置かれてはいたが、薬局の人が管理していた訳ではなかったようなのだ。


ジュースの自動販売機がそうであるように、商品の補充などは、外から業者が回って来てやっていたようだ。


つまり薬局は場所を貸していたにすぎないことになる。


このため薬局では自動販売機が原因で、店内のコンドームの売り上げが減ることを懸念していたようで、当初は設置を渋っていたらしい。


そして現在では、コンドームはドラッグストアやコンビニなどに置かれるようになり、自動販売機の存在意義自体がなくなり、機械そのものを、もう生産していないのだそうだ・・・・・・。


私が高校生の頃の話だが、以前から教師に目を付けられていた生徒が、授業中に持ち物検査を受けることになった。


なぜ、そんなことになってしまったのかというと、学生服の胸ポケットが不自然に膨らんでいるのを、教師に見つかってしまったのだ。


誰もが「あれはたばこだな」と直感し、このあと彼はまるでヤクザのような風貌をした、生徒指導の先生の元へ連れて行かれ、きつい尋問を受けることになるのだろうと思っていた。


どうでもいいが、なんで生徒指導の先生というのは、「あの顔でよく教員免許が取れたものだ」と思うような人が多いのだろう。


変装でもして大学に通い、免許状の授与申請をしたとしか思えない。


素顔のままだったら、入学すらさせてもらえないのではないか。


で、持ち物検査を受けることになった彼だが、教師から「胸ポケットの中身を出せ!」と言われ、特に抵抗をすることもなく、素直にポケットに入っていたものを机の上に出した。


教師に「なんだこれは?」と尋ねられたが、彼は仏頂面のまま無言を貫いていた。


その様子を見た教師は、「はぁ~っ・・・」と大きくため息をついてから、彼に顔を近付けて、「もう一度聞く。なんだこれは?」と言った。


すると彼は、教師の顔をおもむろに見上げると、「なんに見えますか?」と逆に聞いた。


その態度に教師は少しムッとした様子で、「たばこに決まっているだろう!」ときっぱりと言い放った。


ところがその言葉に彼は、悪戯っぽい笑みを浮かべると、「ざ~んね~んで~した~、コレはコンドームでぇ~す!」と言ってのけたのだ。


その言葉に誰もが「えっ?」と思ったが、よく見れば確かにそれはコンドームの箱のようだった。


コンドームの箱というのは、パッと見た感じ、外国産たばこに似た、ちょっとしゃれたパッケージデザインのものがある。


どうも彼はいつも自分を注意して来る教師をギャフンと言わせたくて、胸ポケットにコンドームの箱をわざと仕込んでおいたらしい。


ところが教師は机の上のコンドームの箱を取り上げると、「コレはコレで問題だ!」というと、彼の腕を取って、生徒指導の先生の元へ連行して行ったのだった。


彼は「えっ、なんで?」という顔をしてこちらを見ていたが、廊下を歩いて行く彼の背中からは、「余計なことをしなければよかった・・・」という後悔の念がにじみ出ていたのだった・・・・・・。
 

2023年9月21日 (木)

たばことビールの自動販売機

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▲商店街にいまも残るたばこ屋の前には、まだこのように、たばこの自動販売機が置かれているが、最近はそれ以外の場所ではほとんど見かけなくなってしまった・・・・・・。

私が子供の頃は、まだ町のあちこちに「たばこ屋」が残っていた。


たばこ屋は必ず四角い小さな看板を掲げていて、赤地に白い文字で「たばこ」と書かれているか、赤地の中央が楕円形に白く抜けていて、そこに黒い文字で「たばこ」と書かれていた。


たばこ屋は畳1~2畳程度の狭い店舗がほとんどで、大半の店は店内に客が入るスペースはなくて窓口販売だった。


たばこ屋の窓口(店の外側)には、赤い公衆電話が必ず置かれていて、たばこには用がない人も、電話をかけるために、たばこ屋の赤い看板を探したりしていたものだ。


ひとくちにたばこ屋といっても、店の形態は様々で、本業の片手間にやっている店もよく見かけた。


というか、そういう店の方が多かったと思う。


例えば酒屋や米屋、雑貨屋の横に、狭い店舗が併設されていて、たばこ屋の窓口には、その店のおばあちゃんが店番をしていることが多かった・・・・・・。


また、今では考えられない話だが、昭和の頃はたばこは誰でも買うことが出来た。


だからお父さんに頼まれて、子供がたばこ屋に煙草を買いに来ている光景をよく見かけたものだ。


子供にしてみたら、ただのパシリということになるのだが、当時は「お釣りはお小遣いにしていいよ」という父親が多くて、喜んで買いに来ている子供がたくさんいたものだ・・・・・・。


ところでたばこといえば、最近はたばこの自動販売機をあまり見かけなくなった。


その理由としては、「喫煙に対する社会の変化」としか言いようがない。


昭和の頃は自動販売機のたばこは、いつでも誰でも買うことが出来たが、そのうちに23時から5時の間は販売が中止となった。


そして、2008年3月からは、未成年でもたばこを自由に変えることが問題視され、成人識別ICカード「taspo(タスポ)」が導入された。


しかし、taspoで使用している通信回線サービスが終了することから、これに合わせて2026年3月末でサービスは終了することとなった。


また、最近はコンビニエンスストアでたばこを買う人が増えて、自動販売機の需要が減り、自動販売機そのものが数を減らしているようだ・・・・・・。


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▲閉店した酒屋の前にいまも残るたばこの自動販売機。たばこの自動販売機の横に置いてあった、ビールの自動販売機はすでに撤去されてなくなっていた。個人商店が相次いで閉店して、管理する人がいなくなったのもその要因だと思われる・・・・・・。

さらに極めつけは、昭和の頃(約50年前)の男性の喫煙率は、なんと8割以上もあったというが、現在では3割以下にまで減少しているのだそう。


その数字が示すように、当時はあの国民的アニメ「サザエさん」の作中でも、波平さんやマスオさん、ノリスケさんは、家族の集まる居間で、平然とたばこを吹かしていたものだが、現在では懐からたばこを取り出すシーンは出て来なくなった。


このように喫煙者そのものが減少したことが、たばこの自動販売機を見かけなくなった一番の要因かも知れない。


いつの間にか町からたばこ屋が消えてなくなって行ったように、「昔はたばこの自動販売機があったよね」なんていう時代が、もしかしたら近い将来、やって来るのかもしれない・・・・・・。


自動販売機といえば、ビールの自動販売機も最近は見かけなくなった。


昭和の頃はジュースやたばこの自動販売機といっしょに、町のあちこちで見かけたものだが、いつの間にかどこに行っても見当たらなくなっていた。


そもそもの話、昔はビールは酒屋に注文して配達してもらうものだった。


サザエさんに出て来る三河屋のサブちゃんのように、御用聞きが町内を回っていた時代があったのだ。


ビールの自動販売機が一般的になって行ったのは、アルミ缶が誕生したことや、時代と共にライフスタイルが変化して行ったことなどが上げられる。


一人暮らしや共働きの世帯が増えると、酒屋による御用聞きや配達は逆に都合が悪くなり、仕事帰りに自宅近くの自動販売機でビールを買える方が、当時のライフスタイルには合っていたのだ・・・・・・。


ビールの自動販売機の設置台数は、1992(平成4)年がピークで、その後は少しずつ減少して行く。


その理由としては、たばこの自動販売機と同様に、未成年でも自由にビールを買えることが問題視され、メーカーが設置を自粛するようになって行ったためといわれている。


昭和の頃の不良のイメージは、体育館の裏でたばこをプカプカと吹かし、学校帰りの公園で自動販売機で買ったビールをグビグビと飲んでいる・・・・・・、昭和世代の人なら、そんな光景をどこかで見たことがあるという人も少なくないだろう。


自動販売機に年齢制限がかけられたり、町から撤去が進んだ現在では、不良も喫煙や飲酒は行わず、きっと健康的な不良生活を満喫しているに違いない・・・・・・。



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